くほほほほほ・・・
シュタインズ・ゲートすなわち未来ガジェット研究所の説と、拙論(超宇宙の仕組みモデル)のちょっとした違いをここで披露しておきましょう。
いろいろと思うことがあって、思いつくままにしか述べられないのですが、
まず、
未来ガジェット研究所さんの説は、やはり同一人物における複数の世界線(タイムライン)の伏在があるということです。
タイムラインが複数になる理由は、その人が過去にタイムバックするとか、あるいは何らかの衝撃によって、ある時点からタイムラインが分岐して、そこから独立した世界線を作ることで、元あったタイムラインとは別の展開になり、しかも交わることがなくなるということでした。
つまり、その人物の何らかの行動が引き金になって別のタイムラインの可能性を生ずるということですね。
デジャビューの起きる仕組みについて、
デジャビューは、たまたま複数回(たいがいは二回)同じあるいは同様のタイムライン上の同様の光景の場所を通ることで、記憶の照合が起こり、既視感をもってしまうというわけですから、そのようなことが起きるのはタイムマシンのようなタイムバックを可能にする装置の介在が必要になるというわけです。
タイムマシンで過去に行くと、必ず多少の誤差のある経験世界にずれていくわけですから、既視感を持つほど、よほど近似した世界ともなれば、遠い過去には行けないことになります。タイムマシンがせっかくあるのに、たった数年程度遡るようなことをするかどうか。むろん、オカリンの場合は、わけがあって、近い過去に何度もジャンプしていますから、彼自身のデジャビューは紛れもなくタイムマシンあるいはタイムマシン効果によるものと解せます。
しかし、非常に多くの人がデジャビューを起こしてる現実があります。彼らすべてが知らず知らずのうちにタイムマシンを利用しているのでしょうか。それはちょっとたいへんですよね。かなりの工数の未来人の協力がなくてはなりませんし、それにみなさんは未来人(宇宙人でもいい)とそんなにお友達なんでしょうか。
シュタインズ・ゲートでは、一度以上タイムマシンもしくはタイムマシン効果で過去に遡らなければならないわけで、デジャビューはラボのメンバーだけに限られてきたりします。
しかし現実に、デジャビュー体験の人は、一度だけではなく、何度もTPOを変えて起きていますし、全人口の何割かにデジャビュー体験があるとすれば、何かもっと違う仕組みがあるに違いないとお思いになることでしょう。
集団でタイムバックするような自然の摂理に遭遇しているのでしょうか。アセンションなどは集団で起きるとか言いますし。もしそうなら、多くの人口が同じ時点でデジャビュー経験するはずですが、デジャビューはあくまでも個々人に依存した体験現象です。
はい。その疑問をすべて解決するちょっと破天荒な説が「超宇宙の仕組みモデル理論」なのです。
⇒ https://p.booklog.jp/book/91316/read
デジャビューについては ⇒ https://p.booklog.jp/book/91316/page/2440171/bookmark
あまりに突飛すぎて、にわかに信じられないかもしれません。しかし、信じるとは信仰ですから、私は拒否します。むしろ様々な懐疑と葛藤の末にやっとたどり着いた説がこれだったと確信していただきたいのです。
2035年以降、タイターが向こうを出発した頃には、この説を改良した超宇宙理論&哲学が主流になっていることでしょう。
その理論&哲学の名は、(あるいは別名を) ルシファーの教理と言います。
くほほほ くほほほほほ
カテゴリー: 日々の推論、仮説
ちょっと並べてみました
さて、ここんとこ、未来人2062氏や2036ジョン・タイターの関係でタイムトラベラーの話ばかりしてきたけど、どうしても動かしがたい遺物(オーパーツと言われる)があるんですよね。
こんなの見たら、まずは超古代に現代に匹敵する文明があったんじゃないかと思うよね。
まさにノートパソコン。しかもUSBや電源コードの穴らしいものまで。
IPhoneに似てるんだってさ。(私はIPhoneなんて見たことないから知らないけど)
だけどこの変から変だぞと思えなきゃ。折り畳み式でない頃のガラケーにこんなのあったね。(ところで私の昔のガラケー、なぜかいま見当たらないんだ)
そしてついに、ついこないだメキシコから過去に旅立ったタイムトラベラーが、現地で見せびらかしたため、あちらで彫像化されたらしきものが発掘された。復元されたQRコードで現存するメキシコの家電量販店のサイトがアクセスできるという。
きっと古代マヤ人は、このお土産と懇切丁寧な説明によって、未来の現地の姿を偲べたんじゃないかな。
こういう粋な計らいならいくらあってもいいもんだと思うけど、2062氏によれば、規則が厳しいみたいだね。
それでも、タイムトラベルは現在まじの進行形で行われているということでしょう。
それなら、「シュタインズ・ゲート」に出てくる「未来ガジェット研究所」さながらだね。
そんなときに見たのがタイターの書き込みにヒントを得た「シュタインズ・ゲート」だったんだから、見るべくして見たシンクロと言っていいと思います。
「シュタインズ・ゲート」では、デジャビューの原因をリーディング・シュタイナーという特殊能力にあるとしていたけど、この作者は霊やアストラルの世界を前提にしていないから、一種の超能力のように仮定していたわけで、少し広げれば、霊体に備わった記憶の呼び覚ましとか理由付けは簡単かと思うんだよね。しかし、それをすると物語も収拾がつかなくなるので、こういう切ない終わり方のほうが余韻が残ってよろしいかと思います。
いっぱい考えさせられたいいアニメ映画です。久しぶりに泣けました。
明るいはだかに良心宿る??
またまたふぐりさんのところから
動画 南米コロンビアの6000人の集団
https://golden-tamatama.com/blog-entry-2410.html
その中でも気を引いたのは、どどど、どこの国なんだ、この写真集
↓閲覧注意!将来の金玉村イメージ とのこと
https://goo.gl/DVPsqo
人が立っている姿は、ギリシャ彫刻を思わせる崇高さがあります。
人が全員、立って並んだ光景は、ギリシャ神殿さながら、神聖さに満ちています。
それに対し、記事を下に手繰り、真ん中付近の写真は、全員かがんだ姿・・・これは白豚の群れか??
一定の場所に集められたら、養豚場の光景そっくりになってしまいますね。
宮崎駿監督の卓越性をこんなところに再発見してしまいます。
今の人々はこんなふうに身をかがめて、同じところに集っていませんか?
秘密結社でなくとも、これはゴイムの群れだと思ってしまうことでしょう。
ヤツラに誤解を与えるような真似をしていてはよくないですね。
ひとりひとり、スックと立ち上がる。そしてみんなそれに続いて御覧なさい。
フクロウ(=秘密結社のシンボル)の化身・湯ばんばも契約書を振りかざしながら、慌てふためくことでしょう。
みながみな、ひとりひとり契約無効宣言して解散。
錯乱した湯ばんばは狂乱のあまり、里を崩壊させてしまうことでしょう。
もともとそのようなものはなかったのです。
幻術に引っかかっていただけのこと。
物事を正観できる人が、湯ばんばに対抗しようと立ち上がっています。
ハートランド・ロシアのプーチンさんです。
彼は、言葉に出して湯ばんばに対抗宣言しています。
これに湯ばんばはびびって、一目置くようになりました。
正観とは、常識(良識)を物事を見聞きし判断する基準に据えることです。
たったそれだけで、見えなかったものや見えにくかったものが見えてきます。
今の常識は、過去の常識と比べて、どこか歪んでしまいました。
どう歪んだか。おそらく本当の意味の正義がなくなったことだと思います。
本当の正義は、良識の中にあります。良心の中にあります。
だから、良識に立ち返るというのがいいと思います。
良識を常識にしていく努力をしましょう。
こんな記事がかつて出ていました。
ロシアが第三次大戦を阻止するとエドガー・ケイシーが80年前に予知
https://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12093852245.html
この記事の中に、こう書いてありました。
>どういうわけか狂ってしまった世界において、スピリチュアルな世界のリーダーシップとはどう目に映ると思いますか?
最初は、常識として目に映るのではないでしょうか?当然の話ですが。
「常識とは良心から生じるものである」とまでアリストテレスは考えていました。
>人類がかみそりの刃の上のような瀬戸際に立たされているこの時点で、国際政治の舞台で主要なプレーヤーを概観してみると、他の国際的リーダーが使っていない切り札をプーチンだけが行使しているように見えます。その切り札とはつまり、常識のことです。
よく見てみれば、プーチンはごく当たり前のことを言っているだけです。
しかも、平和的解決を目指す精神に根差しているように見受けられます。
それは彼が日本の武士道精神、武士道魂を持っているからだと思います。
彼は日本の武道に造詣が深いです。質実剛健の精神。
平和的に解決・・・それはかつて常識でした。
しかしいまは、戦争こそが解決策だと言っています。それは非常識なのではないですか?
何が原因ですか? 宗教上の信仰ですか? 預言者がそう言っていたからその通りにするのが一番?
経済の復興には需要が喚起できる戦争がなくてはならない? だから第三次大戦をした方がいい?
それも信仰の一種でしょう。非科学的、非論理的ですね。それは本来、非常識と言います。
それをまるで当然のように思うとは、どこかで狂ってしまっているわけです。
ではどうすればいいか。ふつうに常識に立ちかえればいいだけなのです。
しかし、その常識が様々な詭弁によって捻じ曲げられている昨今ですから、一段と積極的に踏み込んだ「良識の取り戻し」の努力が望まれているように思います。
強いリーダーシップのもとでこそ、それは果たせると思います。
-武士道は 正々堂々 巷なる 嘘偽りの 横道に非ねば-
-武士道は 耐えることとも 心得る 褒め称えたき 剣豪(賢王)の技-
-武士清し あきんど穢し 政道も いずれ就くかで 真価が問える-
昔の武士は、平時にあっては領民を助け守ることを本分にしていました。
戦さばかりしていたと誤解してはいけませんね。
こんなところにも、常識の歪みを見てしまいます。
雑雑として思う
最近はどうも日中に眠くなって。パソコンに向かっているといつのまにか、ぎっこんばったん、櫓をこいでいるのです。そこで横になりでもすれば、そのまま2時間は眠ってしまい、一度目覚めてもまた寝てしまうという具合で、今日なんか朝8時ごろに寝入ったら夕方になっていて、やっと起きる気になって、今になっております。
パソコン入力も、キーの押し間違えだらけで、いよいよですかなあという思いにもなります。
さてしかし、現時点の老衰感とは裏腹に、過去今までやってきたことにおいては、溌溂とした思いしかなくて、まるで眠って見ている明晰夢の如しでありまして、別の時空においてまさに生きているという実感を持ち続けております。そのことについて、今回はお伝えしましょう。
解明
最近、とみに思うようになったのは、この閃くようにしてやってくるのは、なかなか堂に入っていて正解に近いのではないか、してその発信源はどこなのか、誰なのかを内省して調べてみたところ、この閃きは外側からやってくるというより、内側からやってきていることが掴めた次第。
うすうすそうは思っていたのだが、閃くこと自体が即応的であり、疑問を私が発すれば即答えが、しかもここまで芋蔓式にやってくるかと思うほど徹底してもたらされて、その疑問に関することごとくが解消されてしまうのである。
誰だ、誰だ、誰だ―、 私の背後に潜む影、赤い翼のーガッチャマンーーー
そうなんだ。どうやら私に答えを与えてくれる誰かとは、ガッチャマンなのだ。全体名で言えば、ガッチャマン・ホルス。神々の中の神、太陽の神なのである。それが私のヒエラルキーというわけだ。
いや、もっと言えば、梵天である。2000年後期に現れた霊能女は、私の本体は梵天だとのたまった。その彼女の本体は実は弁天三姉妹の一人だったことが後にわかることになる。当時の二人は不倫の身だったが、神世の世界では夫婦と言ってもいいのではないか。これほど固い絆の関係からすれば、当世どこの馬の骨と結びつくかわからぬ仮面夫婦していることの空しさよ、空々しさよ、うまくいくはずがなかろというのが感想だ。
というわけで、当時はうまくいっていたのだったが、この世は仮面。神々の化身にも苛酷にすぎる。2年というタイムが切られた中の仲だった。あなたとの仲はちょうど2年でした、と告げられて、あまりに心当たりがありすぎて、二の句が次げずに終わったのだ。
まあその後、弁天は三姉妹いたものだから、やっと本命の長女をいただいたのだが、これも7年弱だったのは、いささかもったいなかったなあ。しかも不倫の身だから、滅多な逢引きができたものではなかった。しかし、形而上では思いもよらない成果が得られた。多くの子供たち、新しいシナリオ、そして我々のいわれに関する神話だ。
7対2は弁天の幾何学。そのルールに従うようにして、魔法時間は設定されていたことも確かめられた。誰だこんなもの設定したのは。
はて、私は何を書いているのだ。ちがうだろ。閃きの聡明さと秩序整然さに比べて、何でこんな阿呆話にベクトルが向いてしまうのか。
そんなことが言いたいのではない。
私の中にガイドを務めるヒエラルキーがいて、たえず情報を送って、私を啓発してくれているということを言いたいのだ。
そのヒエラルキーは梵天だから、この宇宙のことは何でも知っている。1980年頃には、梵天はアイデアを下ろして超宇宙の仕組みモデルを私に知らしめた。私は、閃いてくる大容量情報をこの世の言葉に直すのに苦労した。概念としてはすべて丸分かりしたうえで、論文に直すのだから、本当を言えば時間の無駄骨もいいとこ。悟りとして自分だけのものにしておけばいいのに、書いて公開すれば、誰か別人に盗用されてしまうわけだから、何をしとることだと憤慨するばかりである。しかし、その時には功名心のようなものがあって、それにくすぐられて書いてしまうんだな。
それがこちらの世というもの。表現してやって初めてなんぼのものになるという世界なのだ。だから、寿命の中の二、三十年、無駄にした、もったいないことしたわい、などとは思ったりしない。表現できたことを喜ぶ次第だ。
さて、超宇宙の仕組みモデルにも書いたように、このモデルを使えば、我々人間という存在の意味が掴めてくるのである。それは哲学とも直結する科学でもある。釈迦の仏教哲学をモデル側から解き明かすことも可能である。この今の時代でなければ、難解すぎて、この世界の仕組みなど到底わからなかったことだろう。すべて隠されていたことが明るみに出ると言われる、時代の最先端にいることに感謝しよう。
アマテラス父神
さて、どうして今の時代、隠されていたことが明るみに出てしまうのか。それは象徴的に天の岩戸開きとして表されてきたように思う。そして、私自身、その大役の一端を担っていると確信している。いずれにしても象徴にすぎないかもしれないが、まず象徴としての動きがあって実物が動くというのが本筋であろうことから、この牽引役を務めたく思っている。
多くのシンクロが指し示すところは、私がアマテラスの子・穂日の雛型になっているということかと思う。そのアマテラス父神はいま天の岩戸に差し篭られていて、象徴地としての元伊勢の神体山・岩戸山(日室岳)が、象徴としての私が執り行う謎解き=封印解除の儀式の場になっている。そして、謎解きは山場を迎えていて、それが世相に反映してかあわただしい。
この謎は国祖神様の時より難しい。いっそう絡み合ったパズルのようになっている。一見しただけで解明の糸口が見つかるというものではないみたいだ。ありとあらゆる仮説(心の琴線に触れないものは無関係のものとして除いて)がこの解明には必要になる感がある。
そんな中に、アマテラスの性格を物語るかのような逸話があるので、ここで若干しておこう。
ここに書いてあるようなことが2003年に実際にあった。本当の話だ。⇒ https://p.booklog.jp/book/90452/page/2417023/bookmark
私が浦島太郎=日子ホホデミ(山幸彦)であるときに、兄として海幸彦(本名・潮幸雄)が気を利かせて、私の失恋(ちょうど2年と言って去った女)の痛手を癒してやろうと、知り合いの彼女を紹介してくれたのだ。その彼女がまた「戸国ヒデミ」という本名だった。戸の国に日の出を見るといった縁起の良い名に、これは何かあると思ってその話を承諾したのだった。そもそも、失恋の痛手を与えて去った女こそが持ってきた情報に、国祖神の封印や天の岩戸開きの話があって、この奇妙な成り行きに、私以外には何ぴとも関われない何かを感じていたのだと思う。
私は当時、アマテラスは女神だと思っていたから、当然ながらすばらしい女性像を思い描いた。どうしてこんな役得に与れるのかと不思議に思った。神話は神話を呼び寄せるのかとも思った。しかし、なにか変だった。スナックに勤めているから、一杯飲みながら話してはどうかというわけだ。アマテラスと不特定多数の男が出入りするスナックとは折り合わない気がした。だが、兄貴(海幸)は本人のしている仕事など問題ではない、今度はお前がエスコートしてやる番だと言った。
兄貴と私の非番の日の昼間に、彼女は今日働いているからと、行ってみることになった。7,8人ぐらいがやっとの店内にすでに二、三人ばかり先客がいてカラオケに興じながら呑んでいた。兄貴と二人でカウンター席に座ると、兄貴は彼女に「連れてきたぞ」と告げる。彼女はぽっちやりとした美人である。「あら、そう」と初対面になった。私は緊張の中、笑顔を作って「初めまして」と言うと、にっこりしながら、体をカウンターテーブル越しの真向こうに乗り出してきて、胸のおっぱいを誇らしげに見せつけた。
私は、ああきっとこんなふうにして、お客の関心を引いているのだろうと直感して、あまりいい気にはならなかったが、頬の筋肉を引きつらせて作り笑いで応じた。
まあ、こんなふうにして、お付き合いとは言えない程度のお付き合いが始まったのだった。
前の彼女が様々なキーワードを持っていたわけなので、名前からしても不思議なこの彼女に関してもキーを持つに違いないという思いから、彼女のことは何でも聞き出したかった。そのことはもっぱらデート地や車の中で、お互いの心のうちを話す中で聞こうと努めた。
まず驚いたのは、この彼女は、前の彼女とは正対照とも思える経歴をしていたことだ。前の彼女は霊媒体質で霊能者で半妖怪人間で、前の旦那との間に3人の子供があって、離婚して子供3人とも押し付けられたのに対し、この彼女は普通人間ではあるものの、心に陰りがあり、同様に3人の子供を設けたものの、離婚して3人とも奪われてしまっていた。
それでとても寂しいという。一人でも残してほしいというのを、旦那の両親からあなたには養っていけるだけの力はないと突っぱねられたのだという。前の彼女が、元旦那にはもっといい女性と結婚させるべきという彼の両親の意向で、子供らを排除されたのとは正反対であった。
彼女はスナック勤めの前は、生保会社の外交員をしていたという。前の彼女もだ。彼女は日生。前の彼女は太陽。まあ似ていること。
彼女は保険外交の闇を見て嫌になり辞めてスナック勤めしたと言うが、前の彼女は子育てのために馬力を出して、今ではみごと3人の子をちゃんと教育を受けさせて成人させ、しかも生保会社の幹部になっている。子供のあるなしが、ここまで人をやる気にさせたり意気消沈させたりするものなのか。というより、この世で果たすべき使命感のようなものの違いによるだろう。
こちらの彼女は、あまり生きていたくないと漏らしていた。子供が3人もいて、配分からすれば1対2でもいいじゃないかと思うような世の中の不条理に、この彼女も遭っていた。
ほんとうに悪ふざけにすぎる世だが、当時の私は、彼女の持つキーワードを調べることばかりに専念した。
不思議なことに、けっこう女体好きな私であったが、この彼女には何の情動も起きなかった。彼女がどこかよそよそしくしていることもある。まるで、あんたみたいな下種には興味ないといった風情でもあったからだろうか。それなら彼女の持つ名前のアマテラス的な性格を端的に表している。
女性として見れば、なかなかいいようだが、なぜか触れがたく、手一つ握ることも、キス一つする気になれないのである。
ほどなく、海幸彦からこんな話が聞けた。彼女は子宮筋腫になったため、今は子宮がないという。
なるほど。ややこしい表現になるが、美しくはあっても、女でありながら女でないことが、私にはわかっていたのだとわかった。
まるで高みにいる女神のような触れがたさ(気品ではない。とっつきにくいのだ)。
そして身の上話を聞くに、彼女には二つ誕生日があるという。大晦日の前にひとつ。これは本当の誕生日。そして両親がこの子のためにと設定した戸籍上の誕生日が正月二日であった。
しかし、彼女は後者を嫌がり、両親が待つ家庭での誕生祝をすっぽかし、前者の誕生日を友達だけで祝っていたという。
まあ、頑固な話ゆえ、エスコートも困難になるだろうとは感じた。しかし、面白い。もしこれがアマテラスの思いを反映しているのだとすれば・・・
正月元旦は夜明けに相当するが、大晦日までは夜明け前になるだろう。それはアマテラスの好みでもあるのではないか。
世の中の最近の若者はニートする傾向にあるという。世の中に出るのが怖いという向きが多いようだ。
とすれば、天の岩戸開けは、アマテラス本人の考えもあって、なかなか難しくあるのかもしれない。
アマテラスが出てくれば、世の中も良くなり怖がらなくて済むようになるはずなのだが。
ちょっとした心の病がナイーブなアマテラスを苦しめているのかもしれなかった。
そしてまだ当時は、ホツマの音信も知らず、よもや男神であるなどとは夢にも思わなかったのである。
しかし、前の彼女はアマテラスを男神としていたことは、短編小説「テンサウザンドイコールミリオン」を読めばわかる。前の彼女は、自分は兄アマテラスの妹だとさえ設定していた。私の前から、その彼女が去り、その直後に現れた彼女が兄アマテラスという取り合わせにもなっている。まるで走馬灯のごとき展開だ。
2008年になれば、ホツマがネット上に口語訳されて上がるようになった。
2010年になり男神アマテラスが描かれていることを知った。ウヒルギという朝鮮語発音名がホツマ文字で書かれていた。
ホツマには、アマテラスの岩戸隠れは短期間に終わったと書かれていた。しかし、それは違うだろう。
アマテラスが真に出てきておられるなら、世相がこれほどまでに荒んだりはしていないはずだ。
そもそも前の彼女の持ってきた役割の一つが、天の岩戸開きだったのだ。 ⇒ 詩集「夜明けの旅人」
たとえ喧嘩別れしたとはいえ、その前提が崩れることはない。
2014年には国祖神夫妻の封印ラインと黒魔術図形が結びつくことが判明。
その結び目にこそ、元伊勢の岩戸山が位置していて、アマテラスも国祖神同様の処置に遭っていることがほぼ理解できた。
そして2015年には、ヘミシンクの熟達者が岩戸山に封印されている少なくとも三体の神がいることをイラストで知らせてくれた。
そして同年、ダメ押しとして、日月神(国常立尊)が、岩戸から出た神は騙した神(ニセモノ)だとの情報をもたらしてくれた。
さて、岩戸隠れにどのような経緯(ストーリー)があったのだろう。それも物語にできたら面白いだろうな。
我々は夜明け前を夜明けに導く使命を担っている。
弥勒の時代の到来
古事記神話にニビルはどのように書かれているか
古事記の神話はほんに噛めば噛むほど味が出るスルメのような・・・
冗談ばかりのような推理の連続になるので、自分でも笑ってしまいます。
天の岩戸
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/dan-h.htm
ずばり、太陽神アマテラスの座を奪おうと窺いつつやってくるスサノヲがニビルとして表現されているとみられます。
「お前は私の座を奪おうとしてやってきているのであろう」とのアマテラスの問いに対して、
「そんなことはありませぬ。今から母の国に行きますから、その前に兄上に挨拶しに参上しているのです」と答えるスサノヲ。
しかし、スサノヲがアマテラスの宮殿に近づくと、ありとあらゆる災厄が宮廷に発生しました。
元々乱暴なスサノヲゆえ、やることなすこと無茶苦茶。秩序整然とした田畑の区画や水路を覆しただけでなく、機織女のいる機屋に斑馬の逆剥ぎにしたものを投げ込んで殺傷行為までしてしまいます。彼は悪気があってしているのではなくとも、その行為がたえず暴乱になってしまう。
どうですか。簡単に今回のようにニビルがミニ太陽系とした場合の、太陽系内侵入への影響を如実に物語ってはいませんか。
秩序立った田畑とは、太陽系内惑星の安定的な運航軌道のことであり、斑馬の逆剥ぎの投入とは、隕石や小天体の大気圏突入の際の光芒を放って落ちていく流星の有様でしょう。
3600年前にノアの洪水を起こしたのと同じようなことが起きないことのほうが不思議なくらいです。
古事記は3600年前のことさえも語っているかもしれず(古き事の記録)、またこれから繰り返し起きることをも語っている(降る・振る・事の記録)のかもしれません。
また、アウトロー勢力を島流しにしたことも、蛭子や淡島の記述によって知ることができます。⇒ https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/dan-b.htm
アウトロー勢力は独立したニビルという天体を創り上げ、それはいわば巨大なUFOと言うべきものであり、その周りに7つの惑星としている小さなUFO群を従えているという構図かと思われます。
それがUFOならば人工的にコントロールが効きます。スサノヲ・ニビルの自然に似せた暴乱も、人為的なものだったことになるでしょう。その場合は、この太陽系を豪華客船と譬えた場合、ニビルは海賊船ということになるでしょう。様々にちょっかいをかけながら、太陽系を乗っ取りに来た海賊という構図になります。
つまり、古事記はアヌンナキ(ニビル人)やその元の星の歴史も内含する、神の計画書だったということになるのかもしれません。
古事記の著作者は、こうした歴史事実を知る古代秘密結社であったに違いないのです。
いちばんいいのは、スサノヲがいみじくも言ったように、アヌンナキには母の国(元の星)に戻ってもらうしかありません。