最近はどうも日中に眠くなって。パソコンに向かっているといつのまにか、ぎっこんばったん、櫓をこいでいるのです。そこで横になりでもすれば、そのまま2時間は眠ってしまい、一度目覚めてもまた寝てしまうという具合で、今日なんか朝8時ごろに寝入ったら夕方になっていて、やっと起きる気になって、今になっております。
パソコン入力も、キーの押し間違えだらけで、いよいよですかなあという思いにもなります。
さてしかし、現時点の老衰感とは裏腹に、過去今までやってきたことにおいては、溌溂とした思いしかなくて、まるで眠って見ている明晰夢の如しでありまして、別の時空においてまさに生きているという実感を持ち続けております。そのことについて、今回はお伝えしましょう。
解明
最近、とみに思うようになったのは、この閃くようにしてやってくるのは、なかなか堂に入っていて正解に近いのではないか、してその発信源はどこなのか、誰なのかを内省して調べてみたところ、この閃きは外側からやってくるというより、内側からやってきていることが掴めた次第。
うすうすそうは思っていたのだが、閃くこと自体が即応的であり、疑問を私が発すれば即答えが、しかもここまで芋蔓式にやってくるかと思うほど徹底してもたらされて、その疑問に関することごとくが解消されてしまうのである。
誰だ、誰だ、誰だ―、 私の背後に潜む影、赤い翼のーガッチャマンーーー
そうなんだ。どうやら私に答えを与えてくれる誰かとは、ガッチャマンなのだ。全体名で言えば、ガッチャマン・ホルス。神々の中の神、太陽の神なのである。それが私のヒエラルキーというわけだ。
いや、もっと言えば、梵天である。2000年後期に現れた霊能女は、私の本体は梵天だとのたまった。その彼女の本体は実は弁天三姉妹の一人だったことが後にわかることになる。当時の二人は不倫の身だったが、神世の世界では夫婦と言ってもいいのではないか。これほど固い絆の関係からすれば、当世どこの馬の骨と結びつくかわからぬ仮面夫婦していることの空しさよ、空々しさよ、うまくいくはずがなかろというのが感想だ。
というわけで、当時はうまくいっていたのだったが、この世は仮面。神々の化身にも苛酷にすぎる。2年というタイムが切られた中の仲だった。あなたとの仲はちょうど2年でした、と告げられて、あまりに心当たりがありすぎて、二の句が次げずに終わったのだ。
まあその後、弁天は三姉妹いたものだから、やっと本命の長女をいただいたのだが、これも7年弱だったのは、いささかもったいなかったなあ。しかも不倫の身だから、滅多な逢引きができたものではなかった。しかし、形而上では思いもよらない成果が得られた。多くの子供たち、新しいシナリオ、そして我々のいわれに関する神話だ。
7対2は弁天の幾何学。そのルールに従うようにして、魔法時間は設定されていたことも確かめられた。誰だこんなもの設定したのは。
はて、私は何を書いているのだ。ちがうだろ。閃きの聡明さと秩序整然さに比べて、何でこんな阿呆話にベクトルが向いてしまうのか。
そんなことが言いたいのではない。
私の中にガイドを務めるヒエラルキーがいて、たえず情報を送って、私を啓発してくれているということを言いたいのだ。
そのヒエラルキーは梵天だから、この宇宙のことは何でも知っている。1980年頃には、梵天はアイデアを下ろして超宇宙の仕組みモデルを私に知らしめた。私は、閃いてくる大容量情報をこの世の言葉に直すのに苦労した。概念としてはすべて丸分かりしたうえで、論文に直すのだから、本当を言えば時間の無駄骨もいいとこ。悟りとして自分だけのものにしておけばいいのに、書いて公開すれば、誰か別人に盗用されてしまうわけだから、何をしとることだと憤慨するばかりである。しかし、その時には功名心のようなものがあって、それにくすぐられて書いてしまうんだな。
それがこちらの世というもの。表現してやって初めてなんぼのものになるという世界なのだ。だから、寿命の中の二、三十年、無駄にした、もったいないことしたわい、などとは思ったりしない。表現できたことを喜ぶ次第だ。
さて、超宇宙の仕組みモデルにも書いたように、このモデルを使えば、我々人間という存在の意味が掴めてくるのである。それは哲学とも直結する科学でもある。釈迦の仏教哲学をモデル側から解き明かすことも可能である。この今の時代でなければ、難解すぎて、この世界の仕組みなど到底わからなかったことだろう。すべて隠されていたことが明るみに出ると言われる、時代の最先端にいることに感謝しよう。
アマテラス父神
さて、どうして今の時代、隠されていたことが明るみに出てしまうのか。それは象徴的に天の岩戸開きとして表されてきたように思う。そして、私自身、その大役の一端を担っていると確信している。いずれにしても象徴にすぎないかもしれないが、まず象徴としての動きがあって実物が動くというのが本筋であろうことから、この牽引役を務めたく思っている。
多くのシンクロが指し示すところは、私がアマテラスの子・穂日の雛型になっているということかと思う。そのアマテラス父神はいま天の岩戸に差し篭られていて、象徴地としての元伊勢の神体山・岩戸山(日室岳)が、象徴としての私が執り行う謎解き=封印解除の儀式の場になっている。そして、謎解きは山場を迎えていて、それが世相に反映してかあわただしい。
この謎は国祖神様の時より難しい。いっそう絡み合ったパズルのようになっている。一見しただけで解明の糸口が見つかるというものではないみたいだ。ありとあらゆる仮説(心の琴線に触れないものは無関係のものとして除いて)がこの解明には必要になる感がある。
そんな中に、アマテラスの性格を物語るかのような逸話があるので、ここで若干しておこう。
ここに書いてあるようなことが2003年に実際にあった。本当の話だ。⇒ https://p.booklog.jp/book/90452/page/2417023/bookmark
私が浦島太郎=日子ホホデミ(山幸彦)であるときに、兄として海幸彦(本名・潮幸雄)が気を利かせて、私の失恋(ちょうど2年と言って去った女)の痛手を癒してやろうと、知り合いの彼女を紹介してくれたのだ。その彼女がまた「戸国ヒデミ」という本名だった。戸の国に日の出を見るといった縁起の良い名に、これは何かあると思ってその話を承諾したのだった。そもそも、失恋の痛手を与えて去った女こそが持ってきた情報に、国祖神の封印や天の岩戸開きの話があって、この奇妙な成り行きに、私以外には何ぴとも関われない何かを感じていたのだと思う。
私は当時、アマテラスは女神だと思っていたから、当然ながらすばらしい女性像を思い描いた。どうしてこんな役得に与れるのかと不思議に思った。神話は神話を呼び寄せるのかとも思った。しかし、なにか変だった。スナックに勤めているから、一杯飲みながら話してはどうかというわけだ。アマテラスと不特定多数の男が出入りするスナックとは折り合わない気がした。だが、兄貴(海幸)は本人のしている仕事など問題ではない、今度はお前がエスコートしてやる番だと言った。
兄貴と私の非番の日の昼間に、彼女は今日働いているからと、行ってみることになった。7,8人ぐらいがやっとの店内にすでに二、三人ばかり先客がいてカラオケに興じながら呑んでいた。兄貴と二人でカウンター席に座ると、兄貴は彼女に「連れてきたぞ」と告げる。彼女はぽっちやりとした美人である。「あら、そう」と初対面になった。私は緊張の中、笑顔を作って「初めまして」と言うと、にっこりしながら、体をカウンターテーブル越しの真向こうに乗り出してきて、胸のおっぱいを誇らしげに見せつけた。
私は、ああきっとこんなふうにして、お客の関心を引いているのだろうと直感して、あまりいい気にはならなかったが、頬の筋肉を引きつらせて作り笑いで応じた。
まあ、こんなふうにして、お付き合いとは言えない程度のお付き合いが始まったのだった。
前の彼女が様々なキーワードを持っていたわけなので、名前からしても不思議なこの彼女に関してもキーを持つに違いないという思いから、彼女のことは何でも聞き出したかった。そのことはもっぱらデート地や車の中で、お互いの心のうちを話す中で聞こうと努めた。
まず驚いたのは、この彼女は、前の彼女とは正対照とも思える経歴をしていたことだ。前の彼女は霊媒体質で霊能者で半妖怪人間で、前の旦那との間に3人の子供があって、離婚して子供3人とも押し付けられたのに対し、この彼女は普通人間ではあるものの、心に陰りがあり、同様に3人の子供を設けたものの、離婚して3人とも奪われてしまっていた。
それでとても寂しいという。一人でも残してほしいというのを、旦那の両親からあなたには養っていけるだけの力はないと突っぱねられたのだという。前の彼女が、元旦那にはもっといい女性と結婚させるべきという彼の両親の意向で、子供らを排除されたのとは正反対であった。
彼女はスナック勤めの前は、生保会社の外交員をしていたという。前の彼女もだ。彼女は日生。前の彼女は太陽。まあ似ていること。
彼女は保険外交の闇を見て嫌になり辞めてスナック勤めしたと言うが、前の彼女は子育てのために馬力を出して、今ではみごと3人の子をちゃんと教育を受けさせて成人させ、しかも生保会社の幹部になっている。子供のあるなしが、ここまで人をやる気にさせたり意気消沈させたりするものなのか。というより、この世で果たすべき使命感のようなものの違いによるだろう。
こちらの彼女は、あまり生きていたくないと漏らしていた。子供が3人もいて、配分からすれば1対2でもいいじゃないかと思うような世の中の不条理に、この彼女も遭っていた。
ほんとうに悪ふざけにすぎる世だが、当時の私は、彼女の持つキーワードを調べることばかりに専念した。
不思議なことに、けっこう女体好きな私であったが、この彼女には何の情動も起きなかった。彼女がどこかよそよそしくしていることもある。まるで、あんたみたいな下種には興味ないといった風情でもあったからだろうか。それなら彼女の持つ名前のアマテラス的な性格を端的に表している。
女性として見れば、なかなかいいようだが、なぜか触れがたく、手一つ握ることも、キス一つする気になれないのである。
ほどなく、海幸彦からこんな話が聞けた。彼女は子宮筋腫になったため、今は子宮がないという。
なるほど。ややこしい表現になるが、美しくはあっても、女でありながら女でないことが、私にはわかっていたのだとわかった。
まるで高みにいる女神のような触れがたさ(気品ではない。とっつきにくいのだ)。
そして身の上話を聞くに、彼女には二つ誕生日があるという。大晦日の前にひとつ。これは本当の誕生日。そして両親がこの子のためにと設定した戸籍上の誕生日が正月二日であった。
しかし、彼女は後者を嫌がり、両親が待つ家庭での誕生祝をすっぽかし、前者の誕生日を友達だけで祝っていたという。
まあ、頑固な話ゆえ、エスコートも困難になるだろうとは感じた。しかし、面白い。もしこれがアマテラスの思いを反映しているのだとすれば・・・
正月元旦は夜明けに相当するが、大晦日までは夜明け前になるだろう。それはアマテラスの好みでもあるのではないか。
世の中の最近の若者はニートする傾向にあるという。世の中に出るのが怖いという向きが多いようだ。
とすれば、天の岩戸開けは、アマテラス本人の考えもあって、なかなか難しくあるのかもしれない。
アマテラスが出てくれば、世の中も良くなり怖がらなくて済むようになるはずなのだが。
ちょっとした心の病がナイーブなアマテラスを苦しめているのかもしれなかった。
そしてまだ当時は、ホツマの音信も知らず、よもや男神であるなどとは夢にも思わなかったのである。
しかし、前の彼女はアマテラスを男神としていたことは、短編小説「テンサウザンドイコールミリオン」を読めばわかる。前の彼女は、自分は兄アマテラスの妹だとさえ設定していた。私の前から、その彼女が去り、その直後に現れた彼女が兄アマテラスという取り合わせにもなっている。まるで走馬灯のごとき展開だ。
2008年になれば、ホツマがネット上に口語訳されて上がるようになった。
2010年になり男神アマテラスが描かれていることを知った。ウヒルギという朝鮮語発音名がホツマ文字で書かれていた。
ホツマには、アマテラスの岩戸隠れは短期間に終わったと書かれていた。しかし、それは違うだろう。
アマテラスが真に出てきておられるなら、世相がこれほどまでに荒んだりはしていないはずだ。
そもそも前の彼女の持ってきた役割の一つが、天の岩戸開きだったのだ。 ⇒ 詩集「夜明けの旅人」
たとえ喧嘩別れしたとはいえ、その前提が崩れることはない。
2014年には国祖神夫妻の封印ラインと黒魔術図形が結びつくことが判明。
その結び目にこそ、元伊勢の岩戸山が位置していて、アマテラスも国祖神同様の処置に遭っていることがほぼ理解できた。
そして2015年には、ヘミシンクの熟達者が岩戸山に封印されている少なくとも三体の神がいることをイラストで知らせてくれた。
そして同年、ダメ押しとして、日月神(国常立尊)が、岩戸から出た神は騙した神(ニセモノ)だとの情報をもたらしてくれた。
さて、岩戸隠れにどのような経緯(ストーリー)があったのだろう。それも物語にできたら面白いだろうな。
我々は夜明け前を夜明けに導く使命を担っている。
弥勒の時代の到来