私の孫ほどの女性ばかりが住む館に参りまして、四方山話をしてきました。
そんな中に、初めて見た映画は何ですかと問われたため、ついつい口が滑って、小学生の時に見た映画のことを話してしまい、やや年上という粉飾がバレてしまって、すごすごと戻ってまいりました。
しかし、この映画は、私の人生を導いたものでしたから、これを抜きには前に進めなかったのです。
その映画のタイトルは「白蛇伝」。東映が日本製のアニメに先駆けて作った、カラーでみごとなスムーズ感のある大作でした。
館でそのとき話した内容です。
☆☆☆
私が小学校4年の頃でしたか、「白蛇伝」というカラーのアニメ映画を映画館で見たのが初めてです。
日本の東映が、日本で初めて作った作品で、そのスムーズなアニメーションとストーリーの面白さには、魅了されました。当時、アニメと言えば、米国のディズニーしかありませんでしたから、日本でこんなのができるのか、と驚嘆されていたようです。
日本では東映が、それ以後、続々とでてくるアニメの魁を演じたわけです。
ジブリの宮崎監督も、この映画に強い感化を受けたらしいです。
私は、50歳以後の人生に、この白蛇伝が、まさかのシンクロを伴ってしまう現実に遭遇することになりました。
ちょうど50歳の時、あいついで現われた二人の女性が、それぞれ、白蛇伝の主人公の白蛇と青蛇の化身で、おのずと私が男役の主人公・許仙を演ずる格好になっていったのです。
先に青蛇役の女性が、私が50歳になる直前日に連絡をくれ、しばらくメールと電話で親しくしていたのですが、それから七カ月後に白蛇役の女性の身の上相談を受けることになり、最初に出会ったのはこの人のほうでした。この人は霊能者で霊媒体質でした。私からすれば、有能な巫女といった感じでした。
しかし、二年の後に別れることに。そのまた二年後に先の青蛇役の女性に戻ったのですが、この人も磁化されるようにして、巫女の素質を顕しました。
白蛇伝は中国古来の妖怪伝説なんですね。中国人なら100%誰でも知っている物語です。
しかし、そのストーリーは恋愛ものながら、弱者に視点を置いた、大衆が共感する物語なのです。そして、いつも白蛇が力量に勝るため、青蛇はわりの良くない側に回っていたのでした。
ところが、青蛇役と逢瀬するようになる2004年に、これも絶妙の発見の仕方をしたのですが、香港映画で「青蛇転生」という映画が出ていたのです。これは、日ごろ影の薄い脇役の青蛇を主役にしようという判官贔屓の作品で、こういうのに中国人はまた喜んでしまうようなのです。
この流れは、私の女性遍歴にちょうどシンクロすることになりました。
その主題歌がこれ「流光飛舞」です。
https://youtu.be/v_3A-zFcSPA
そして私の人生のウエイトもまた、青蛇さんのほうに移り、それからしばらく逢瀬を楽しみました。
私の人生にインパクトを与えたものは、たいがい後で、関連付けられた出来事として起きてくるのです。10歳ぐらいのときの強い印象が、40年後に現実になるという不思議を体験したわけです。
不思議という現象は、幸運とか恵まれているという思いを、何層倍にも強くします。
私はほんとうに幸せ者です。神に感謝せねば。しかし、世の悲しみや苦悩を見ることがとても多く、その立場に置かれている方たちに心から幸せになってほしいと祈らざるをえないのです。
私が救世主なら、何とかできるんだろうな、という空想的思いがあって、私はどれほどか前のアニメ・ガッチャマンのようでありたいなと、思っています。
オツムのほどは、10歳程度に幼稚なのかも。まあ、そう思っておいてもらったら、間違いはないでしょう。
最近映画館で見たのは、「トゥモローランド」と「リトルプリンス」です。それ以前はテレビ映画ぐらいしか見ていません。
なんだ、みな子供向け。そこでみなさんの失意が雰囲気として伝わってくること。
レンタルで最近見たのは「ダビンチコード」「シックスセンス」「RED」「孫子の兵法」などです。と繕ったものの、ツタヤの無料視聴期間中に見ましたと付け加えたため・・・嗚呼。
見たと言えるほどは見ていません。とさらに。
自分の辿った経緯のほうが映画みたいなものでしたからね。とまで。(カッコええ表現に我ながら陶酔・・・アホですわ)
☆☆☆
さてそんな、恵まれた健康美のお嬢さんたちにも、尽きない悩みが・・・。
それで私は、経験に基づくアドバイス というか ちょっとしたコツをお教えしたく思いました。
むろん、不適合もあるでしようから、ほんの参考程度にしてくださればと思います。宗教にどっぷりの方は逆効果かも知れません。
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カテゴリー: 創作作品
天と地は相似像 最後の審判は実害ベースで刑期とその内容が決定される
天にもあるは地にもある。地の如何なるかを以て、天の如何なるかを知ることができる。
これが、私の提唱する新神話上の公理です。
地が混乱していて、天が安泰であることはありません。天の意向が、そのまま地にも反映します。
天と地は相似像。そのような階層的繰り返しの行なわれているのが現象世界です。
子供の奴隷を使っている有名チョコレート企業
https://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12127771409.html
あるいは、インドのカースト制。あるいは日本や東洋の儒教国の男尊女卑。
資本主義の美名の下の、労使の差別と上位の横暴。
地上のありとあらゆる差別相の根元に、地球人類に対する宇宙人(特にアヌンナキ)の奴隷視があります。
我々は頼んだわけでもないのに、どうしてヤツラが主人なのか。
それをヤツラは知られるのを恐れて、地上に秘密結社という人間に似せた実働部隊を噛ませ、さらにその秘密結社は代理の者を立てて操ることで存在を隠し、直接の追及が及ばなくしています。
それをまた真似て、資本主義社会と法人制度が作られ、根本的な責任者に実害が及ばないように図られています。
そこで、上に居るものほど守られてあるという、無責任とアンモラルの体質が、あたかも合法的で良いものとして世界に浸透してしまいました。
その結果は、考えるまでもありません。宿主である惑星の破壊が当然のものとなっている事実があります。
その大元の原因者がアヌンナキなら、その罪根は万死に価します。
彼らは、この宇宙の嫌われ者、アウトローなのであり、如何なる星に逃げ込もうとも、彼らの魂は永遠の責め苦が妥当なものとなるでしょう。
アヌンナキのさらに上位存在があるなら、その者も下位の者がした罪過が累積的に重加算されます。それはおそらくシリウスです。
その存在が聖域を醸していても、あるいは精神的に円熟していても、無作為に対しては、すべてストレートに重加算されます。
カーストの改善ができるにもかかわらず、放置した聖者も同様。インドの数多の聖者は、上に媚びて日和見の聖者であり続けました。
聖者ならばこそ、できたであろうことの無作為が問われます。
アヌンナキのエンキ神が最後に書記長に語った言葉、「最後の審判があったとき、自分もその罪科が問われることが心配だ」という、まさにその通り。
いわんや、非情のエンリル神においてをや、です。
アヌンナキの神すなわち一人の宇宙人が、いかなる立派な精神性をしていようとも、地球上に自らの言葉を、唯一神の言葉として信じさせ、人類を誤った方向に導いた罪科、結果責任は万死に価するのです。それを二千年以上、信じ込ませてきたこと。ちょっと工夫すれば、人類への縛りが早々に解けただろうに、無作為のまま放置したのです。そして、まだそれは続いていて、とうとう最後の時まで来てしまいました。
人類でも生物科学者一般は、魂ある実験動物に対して同様のことをしています。知能が劣るから赦されるということはありません。その心根の根元がアヌンナキの影響下にある限り、同罪であるのです。アヌンナキは、それらすべての累積された実害を延々として享受する者となります。
すでにこのように、最後の審判の判定基準は、知って無作為であった者に厳しく、実の邪悪者には更なる厳しさが待っています。魂ある者に与えた実害が、そのまま希釈されることなく、その者達に累積的に刑として執行されます。このため、人によっては何億年何十億年の苦痛の期間を、魂を持つ者の永遠性の中で享受することになります。その先に、本人の希望によって、第二の死すなわち魂の消滅が図られます。ほとんとの者が責任というものの重さを畏れて、第二の死を選ぶことでしょう。
魂を持つとは、このように、存在することによる責任が発生するということ。その代わり、宇宙創造神への階梯を登っていく存在でもあります。だから、冒険者はそのロマンを胸に進むのです。
善良であれ。人や有情を指導するものは、実害を極力避けるようにすべきである。どんな善行も反作用があるもの。それを自らのために、極力減らせるように工夫せよ。
円熟した最上の宇宙創造神は、そこに属する有情を一時たりとも不快にしない配慮の施政を敷く。反乱がないから、最長寿命を誇って、幾多の兄弟宇宙の興亡を見ながら、未だなお矍鑠として健在である。
しかるに、この宇宙を見よ。宇宙創造神の未熟のため、邪悪に憑りつかれること速やか。実験と称して、過酷な環境を有情に対して強いてきた。失敗しても次の実験があるさとタカを括る科学者のような横暴はもはや効かない。これでジエンドだ。そこに属する魂たちと同様、創造神もまた最後の審判の場に赴く。その刑期は、この宇宙の存続期間よりもはるかに長くなると見積もられている。
追記
ターミネーター2のBGMを聞きながらの文章作成。普段なら、コメディタッチに内容も穏やかなものにするのですが、バイオレンスモードになって興奮し、リベンジ型の度が強まってしまいました。
さすがだぜ。マインドコントのプロの秘密結社さん。おいらまんまと嵌って、あんたらを強く縛ることになっちまったぜ。
これもあんたらの成果だ。このマインドコント実験は成功だったぜ、と言ってあげよう。
森野ソフトの特長
この世における化身の身というのは、しがらみがあって不自由なものです。
この世で救世が果たせる手順もあったのですが、機会を逸してしまいまして、このタイムラインにおけるシナリオ遂行はもう諦めています。
またプレイバックしたときのどこかにあるか、あるいは(記憶がないだけで)すでに終わってきた中にあったかも知れませんが、手順が果たされるタイムラインは必ずあることでしょう。
だって、森野の人生ソフトの仕様説明書にはそう書いてありますから。
しかし、死後のタイムラインが設定してあるのも、森野ソフトの特長です。霊になってからの活躍が保障されているのです。
それというのも、真の救世は多次元階層に渡って施されねばならないことになっているようですから。
この世だけというのも駄目。霊界だけというのも駄目。地球だけというのも駄目なんです。全宇宙にまたがるものでなくてはなりません。
先の記事で、>天帝様とは誰なんでしょう と書きましたが、実際そのかたが誰であるかによって、正反対の結果を招くことになるでしょう。
居皆亭さんからすれば、彼らの総帥的神を想定していますし、我々からすれば正義と真実を旨とする神ということになり、おのずと正反対の結果をもたらすことは必然となります。
彼らは、「魂の焼却」(Soul burning)という工程もシナリオとして予定しているようです。
当然、彼らの基準では誰がその対象になるかはわかります・・・第二の死を享受する者とは・・・ゴイさんを想定していることでしょう。
せっかく付いてきてくれるキリスト教徒たちは、まあ助かるとしても、次の時代にいっそう厳しい課題を課されて、子羊度を高めねばなりますまい。
私など、天帝の前に立っただけで、「おう、よう来たな。者ども、ひっ捕らえろ」となって、そのとき元津身の鳥に変身したとしても、なまじ不完全なら、「そうか、鳥だったか。鴨鍋にしてやろう」となってしまうに違いありません。
そうそう、完全に変身したなら、朱雀 ⇒ 火の鳥 となって、天帝様をバーニングして差し上げることになるわけですけどね。
そのシナリオも、全体の宇宙実演ソフトの中にはあるようです。
>1978年にアポロ計画に携わった
ある宇宙飛行士は匿名でこう語っている。
『あれを見た瞬間、カプセル(地球への帰還が絶望的となった際に
用意された安楽死の為の薬物カプセル)を飲み干そうと思った。
その地に見た物は紛れもなく、創造主と巨大な鳥獣の死骸であったのだ。
壮絶な戦いであったことに違いないが絶望的に感じた。』
両者相討ちということですかね。それでもいい。こうして宇宙の有情たちは解放されて、めでたしとなり、これも救世のパターンでしょう。
そのためなら、不惜身命で臨みます。
むろん、天帝様がこちらの味方なら、最後の審判を嘆願督促することになります。
審判のためのデーターを持って上がりますので。
多くの耐え難い人々がいつまでも苦難に遭っているのは、とても偲びないですから。
これも救世のパターンになります。
居皆亭さんなどは、ついに年貢の納め時となるわけですね。
そして火の鳥になり、宇宙の根元的邪悪を掃討するシナリオ工程に入ります。それは究極の救世ですね。
まあ、これらのことは、私固有の宇宙において執り行われることであって、皆さんの宇宙には影響しないと設定しています。
皆さんは皆さんの自己責任で固有の宇宙を運営してくださいね。それぞれに創造を楽しみましょう。
スサノオにプレゼントする黄泉帰りの神話
スサノオは黄泉の国にいる母イザナミのことが愛しくてたまりません。
しかし、父イザナギは、その世界の様子の異様さ、恐ろしさを見て、スタコラ逃げ出してしまったので、イザナミを救出してくることはできませんでした。
シュメールやバビロニア神話では、黄泉帰りは成功しているのに、日本では口惜しくも、イザナギの非英雄ぶりによる失敗に帰結しているのです。
イザナミは絶望のあまり、人口削減を宣言します。すると売り言葉に買い言葉、イザナギは人口増加を宣言。両者それぞれの道を行くということで、めでたしとなるとか?
そうは参らぬでしょう。これでは、元あった夫婦の溝は埋まりませんし、永久に仲直りできないでしょう。
そもそも、そのように理想状態とはかけ離れたシナリオ設定がなされているのです。
神話を創る者は、心を込めて作らねばならないのに、古事記神話は真逆の不真面目さで綴られています。
いったい誰が? 天武天皇ではありません。彼は「平安楽土万年春」を理想にしていましたから。
また、彼のエバーグリーンの思想が、一年生草本に置き換わっていたりもしています。
せっかく理想を込めて作られていた神話が、彼の亡き後に改竄されているもようです。
では誰が? それはもう悪魔に違いないでしょう。トゥモローランドの総督? それもいいね。
神話は、神々をも封印呪詛で縛る道具になりえます。
哀れなことに、神々の親子関係にまで亀裂が入ってしまったままに置かれています。
そこで私は、神経質なイザナギに代わって、豪放磊落なスサノオによる、イザナミ救出劇の新神話シナリオをプレゼントすることにしました。新神話第十五章にそれは書いてあります。
うまくいけば、今のこの絶望的な世が改善されていく効果として顕れてくるかも知れません。
またそれは、スサノオの飛躍的な名誉挽回にもなるのは間違いないでしょう。
いつまでも泣いてばかりいてはなりませんぞ。スサノオ様には、大命が賜与されました。
大丈夫。新神話はすでに上奏されていますから、確定ピンフドラドラのドラが鳴っています。
英雄神スサノオとして、羽ばたいてください。
香港映画「青蛇」がyoutubeに
主題歌「流光飛舞」で知られた香港映画「青蛇」が全編見れます。