天と地は相似像 最後の審判は実害ベースで刑期とその内容が決定される

天にもあるは地にもある。地の如何なるかを以て、天の如何なるかを知ることができる。
これが、私の提唱する新神話上の公理です。
地が混乱していて、天が安泰であることはありません。天の意向が、そのまま地にも反映します。
天と地は相似像。そのような階層的繰り返しの行なわれているのが現象世界です。
子供の奴隷を使っている有名チョコレート企業
https://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12127771409.html
あるいは、インドのカースト制。あるいは日本や東洋の儒教国の男尊女卑。
資本主義の美名の下の、労使の差別と上位の横暴。
地上のありとあらゆる差別相の根元に、地球人類に対する宇宙人(特にアヌンナキ)の奴隷視があります。
我々は頼んだわけでもないのに、どうしてヤツラが主人なのか。
それをヤツラは知られるのを恐れて、地上に秘密結社という人間に似せた実働部隊を噛ませ、さらにその秘密結社は代理の者を立てて操ることで存在を隠し、直接の追及が及ばなくしています。
それをまた真似て、資本主義社会と法人制度が作られ、根本的な責任者に実害が及ばないように図られています。
そこで、上に居るものほど守られてあるという、無責任とアンモラルの体質が、あたかも合法的で良いものとして世界に浸透してしまいました。
その結果は、考えるまでもありません。宿主である惑星の破壊が当然のものとなっている事実があります。
その大元の原因者がアヌンナキなら、その罪根は万死に価します。
彼らは、この宇宙の嫌われ者、アウトローなのであり、如何なる星に逃げ込もうとも、彼らの魂は永遠の責め苦が妥当なものとなるでしょう。
アヌンナキのさらに上位存在があるなら、その者も下位の者がした罪過が累積的に重加算されます。それはおそらくシリウスです。
その存在が聖域を醸していても、あるいは精神的に円熟していても、無作為に対しては、すべてストレートに重加算されます。
カーストの改善ができるにもかかわらず、放置した聖者も同様。インドの数多の聖者は、上に媚びて日和見の聖者であり続けました。
聖者ならばこそ、できたであろうことの無作為が問われます。
アヌンナキのエンキ神が最後に書記長に語った言葉、「最後の審判があったとき、自分もその罪科が問われることが心配だ」という、まさにその通り。
いわんや、非情のエンリル神においてをや、です。
アヌンナキの神すなわち一人の宇宙人が、いかなる立派な精神性をしていようとも、地球上に自らの言葉を、唯一神の言葉として信じさせ、人類を誤った方向に導いた罪科、結果責任は万死に価するのです。それを二千年以上、信じ込ませてきたこと。ちょっと工夫すれば、人類への縛りが早々に解けただろうに、無作為のまま放置したのです。そして、まだそれは続いていて、とうとう最後の時まで来てしまいました。
人類でも生物科学者一般は、魂ある実験動物に対して同様のことをしています。知能が劣るから赦されるということはありません。その心根の根元がアヌンナキの影響下にある限り、同罪であるのです。アヌンナキは、それらすべての累積された実害を延々として享受する者となります。
すでにこのように、最後の審判の判定基準は、知って無作為であった者に厳しく、実の邪悪者には更なる厳しさが待っています。魂ある者に与えた実害が、そのまま希釈されることなく、その者達に累積的に刑として執行されます。このため、人によっては何億年何十億年の苦痛の期間を、魂を持つ者の永遠性の中で享受することになります。その先に、本人の希望によって、第二の死すなわち魂の消滅が図られます。ほとんとの者が責任というものの重さを畏れて、第二の死を選ぶことでしょう。
魂を持つとは、このように、存在することによる責任が発生するということ。その代わり、宇宙創造神への階梯を登っていく存在でもあります。だから、冒険者はそのロマンを胸に進むのです。
善良であれ。人や有情を指導するものは、実害を極力避けるようにすべきである。どんな善行も反作用があるもの。それを自らのために、極力減らせるように工夫せよ。
円熟した最上の宇宙創造神は、そこに属する有情を一時たりとも不快にしない配慮の施政を敷く。反乱がないから、最長寿命を誇って、幾多の兄弟宇宙の興亡を見ながら、未だなお矍鑠として健在である。
しかるに、この宇宙を見よ。宇宙創造神の未熟のため、邪悪に憑りつかれること速やか。実験と称して、過酷な環境を有情に対して強いてきた。失敗しても次の実験があるさとタカを括る科学者のような横暴はもはや効かない。これでジエンドだ。そこに属する魂たちと同様、創造神もまた最後の審判の場に赴く。その刑期は、この宇宙の存続期間よりもはるかに長くなると見積もられている。
追記
ターミネーター2のBGMを聞きながらの文章作成。普段なら、コメディタッチに内容も穏やかなものにするのですが、バイオレンスモードになって興奮し、リベンジ型の度が強まってしまいました。
さすがだぜ。マインドコントのプロの秘密結社さん。おいらまんまと嵌って、あんたらを強く縛ることになっちまったぜ。
これもあんたらの成果だ。このマインドコント実験は成功だったぜ、と言ってあげよう。

森野ソフトの特長

この世における化身の身というのは、しがらみがあって不自由なものです。
この世で救世が果たせる手順もあったのですが、機会を逸してしまいまして、このタイムラインにおけるシナリオ遂行はもう諦めています。
またプレイバックしたときのどこかにあるか、あるいは(記憶がないだけで)すでに終わってきた中にあったかも知れませんが、手順が果たされるタイムラインは必ずあることでしょう。
だって、森野の人生ソフトの仕様説明書にはそう書いてありますから。
しかし、死後のタイムラインが設定してあるのも、森野ソフトの特長です。霊になってからの活躍が保障されているのです。
それというのも、真の救世は多次元階層に渡って施されねばならないことになっているようですから。
この世だけというのも駄目。霊界だけというのも駄目。地球だけというのも駄目なんです。全宇宙にまたがるものでなくてはなりません。
先の記事で、>天帝様とは誰なんでしょう と書きましたが、実際そのかたが誰であるかによって、正反対の結果を招くことになるでしょう。
居皆亭さんからすれば、彼らの総帥的神を想定していますし、我々からすれば正義と真実を旨とする神ということになり、おのずと正反対の結果をもたらすことは必然となります。
彼らは、「魂の焼却」(Soul burning)という工程もシナリオとして予定しているようです。
当然、彼らの基準では誰がその対象になるかはわかります・・・第二の死を享受する者とは・・・ゴイさんを想定していることでしょう。
せっかく付いてきてくれるキリスト教徒たちは、まあ助かるとしても、次の時代にいっそう厳しい課題を課されて、子羊度を高めねばなりますまい。
私など、天帝の前に立っただけで、「おう、よう来たな。者ども、ひっ捕らえろ」となって、そのとき元津身の鳥に変身したとしても、なまじ不完全なら、「そうか、鳥だったか。鴨鍋にしてやろう」となってしまうに違いありません。
そうそう、完全に変身したなら、朱雀 ⇒ 火の鳥 となって、天帝様をバーニングして差し上げることになるわけですけどね。
そのシナリオも、全体の宇宙実演ソフトの中にはあるようです。
>1978年にアポロ計画に携わった
ある宇宙飛行士は匿名でこう語っている。
『あれを見た瞬間、カプセル(地球への帰還が絶望的となった際に
用意された安楽死の為の薬物カプセル)を飲み干そうと思った。
その地に見た物は紛れもなく、創造主と巨大な鳥獣の死骸であったのだ。
壮絶な戦いであったことに違いないが絶望的に感じた。』
両者相討ちということですかね。それでもいい。こうして宇宙の有情たちは解放されて、めでたしとなり、これも救世のパターンでしょう。
そのためなら、不惜身命で臨みます。
むろん、天帝様がこちらの味方なら、最後の審判を嘆願督促することになります。
審判のためのデーターを持って上がりますので。
多くの耐え難い人々がいつまでも苦難に遭っているのは、とても偲びないですから。
これも救世のパターンになります。
居皆亭さんなどは、ついに年貢の納め時となるわけですね。
そして火の鳥になり、宇宙の根元的邪悪を掃討するシナリオ工程に入ります。それは究極の救世ですね。
まあ、これらのことは、私固有の宇宙において執り行われることであって、皆さんの宇宙には影響しないと設定しています。
皆さんは皆さんの自己責任で固有の宇宙を運営してくださいね。それぞれに創造を楽しみましょう。

サイババとのこと


サイババとともにいた頃

サイババの噂はいつ頃から入ってきていたのだろう。ドーリル版ヨガ、バトラー版魔法、ヨガナンダSRF版ヨガの、いずれもなまかじりの志の先にサイババのことを知り、サイババの事績を知ったのだった。
やはり夢中になった。神の化身として現れたとのことに、彼の教えを知りたかった。
奇跡を起こす、物質を掌から取り出す、そのようなことには興味なかった。奇術師でもそんなことはできる。
彼の著の日本版をいくつか手に入れた。若い頃からの彼の考え方がそこから伝わってきた。
最も衝撃的だったのは、1983年に著作していた拙「超宇宙の仕組みモデル」の前提条件を余すことなく伝えてくれていたことだった。その前提条件とは、事前に物事の歴史は細部に至るまで、心理活動すらも含めて、プログラムとして記述され存在しているという真実である。
つまり、事前に決められていたこと以外は起きないという意味にもなる。
我々はあたかも、試行錯誤的に次の行動を選び取っていると思いがちだが、そうではない。すべて我々の行動は、前もって予定されたレール上に乗っている既成事実なのだ。
その既成事実は、微細を穿ったプログラムとして存在しており、我々はプロセッサとして、任意のプログラムをシーケンシャルに実行するのみなのである。
要は我々は贅肉を落としてしまえば個々がパソコンと何ら変わらない。それがもしかしたら、我々の意識の実態だ。
ババはこのように言っておられる。それは人々への皮肉であるようにも見える。
https://www.mars.dti.ne.jp/~sairam/sathya.html
それでは、ババの詩を味わってみてほしい。
☆☆☆
  バガヴァン シュリ サティア サイババ
タイ タイ タイ タイ タイ タミイ・・・
あやつり人形の、「こっけいな」芝居をごらん。
ああ・・・人よ。過去と現在と未来、
すぎこしかたと、これからの先の長い長い話を聞きなさい。
 
彼は、始め牢獄のように、暗い母胎の、どろどろのぬかるみに動めいていた。
彼は、悲鳴をあげてこの世に生まれ出た。しかし・・・。
周囲には、ほほえむ顔と、さんざめく祝宴があった。
「何という悲劇よ。また生まれてしまった。」
彼は、それと知って声高く泣きつづける。
しかし・・・。人々は赤児をあやし、笑わそうとして、笑ってみせる。
彼は、汚物にまみれころげて、日を過ごす。
恥ずかしいとも、露おもわずに、赤児は、立っては転び、転んでは立ち、
日がないちにちをふざけまわる。
遊び仲間と、飛んだり跳ねたり・・・様々の技や商売を覚え、
胸厚く、丈高く、たくましく、年ごとにずんずんと、成長する。
相手を見つけ、愛をささやき。バラ色の虹が、かかる・・・
聞き慣れぬメロディを口ずさみ・・・。珍しい酒を、がぶ飲みする。
男と女の人形をこしらえたもの、
幾百万とない人形をこしらえたのも、それはブラフマン。 
しかし・・・人形は、そうとは知らず、人形遊びを喜んでいる。
   ティム、ティム、ティム、
  
このマーヤという人形は、聖牛のように、鼻の孔に鈍性の縄がついている。
肉欲と、怒りはさそりの無知・・・奴隷の背中をぴしり、ぴしりと叩く。
他の人形が、身をふるわせて彼の前に立ち止まると、
彼は喜んで、ニタニタ笑う。彼は他人に苦しみを与える。
だが、自分には、これっぽちの苦しみにも、耐えられない。    
彼は、誓い、叫び、手を振り。血ばしった目で苛立ち、いきまく。
なんともはや、見事な見物よ。怒りの悪魔に乗り移られて・・・  
彼は文字を綴り、書き、がり勉する。なぜそうするのかもわからずに、
狂気のように、走り回って知識をあつめる。いやおうでも、腹をふくらませる為に。
     
ああ・・・あなたは、おかしな小さい人形を見たか。
おなかにやたらと、本を詰め込んで、妬も深い目を向けるのだ。
学者人形に会う時には。
彼らは、誇らしく叩いて見せる。なにを。自分の背中を・・・。 
美とたくましい筋肉と活力を。だが・・・。ひとあしごとに、老いは忍びよる。
彼の顔には、しわがより、ヨタヨタ歩いて目をしばたく。
子供達は、叫ぶ。「おいぼれ。まぬけ。」「おいぼれ、まぬけ・・・。」
彼は、喘ぎ、歯ねけの口を歪める。骨もガタガタだわさ。
最後の時まで恐れおののく、擦り切れたぼろ布のような身体をして、
   ああ・・・。マネキン人形よ。喘いでも、嘆いても、無駄なこと。
   最後の日は何時か来る。
   ああ・・・鳥よ。羽を震わせて、皮膚と言う鳥籠から巣立っていく。
   からっぽで、硬くなり、うつろで、突っ張って。
   ああ・・・。速く退けてくれよ。ぶくぶくと腐臭がする。
   体は生みの親の五大に帰り。人形の望みは、灰と化す。
   なぜ、泣くのだ愚か者よ。人形の一人が、満員の舞台で倒れたとき。
   叔父さん。いとこ。叔母さん。友達。
   泣き泣き。行列をつくって戸口へ続く。マーヤー人形は、親、兄弟を忘れてしまう。
   神の御名、真実の「救い主」よ。
   ああ・・・人間よ。弱々しい、葦に寄りかかるのはよしなさい。
   くさめでもしようなら、うす皮のボートは、水に染み込み、
   あなたは、川の中で溺れてしまう。
   人形は泣き、眠り、目覚める。
   見えない御手が、糸を引くとき。手は神の御手・・・。影に立つ神の御手。
   しかし、彼は言うのだ。「わたし わたし わたし」と。
   ダルマ、カルマは、赤い糸。強く引いたり。緩めたりする。
   そうとも知らず。人形は、威張って歩く。舞台の上を縦横に。
   人形はこの世を永遠と思っている。愚かな 体ぶった人形よ。ピカリと光った。
   ああ・・・。神が幕を閉じたもう・・・。自慢しても もう、おしまい。
   ああ・・・。人間よ。あなたは、蟻と蛇と鳥の間を歩き回った。
   さあ、有余せず永遠の至福への道を求め見つけなさい。
   幸運のひとよ。いまやっと・・・。
   サイ、クリシュナに逢ったのだ。サイは来たのだ。サイと親しみなさい。
   自分がなにか。なぜか。どうしてか。を知るために、
   小ざかしく、耳ざわりのよい、幾百万のことば。
   「ことば」は、あなたの飢えた胃袋を満たしたか。
   「ことば」を捨て、魂に、「 燈 」をともしなさい。
   束縛から、まぬがれ、走り回りなさい。
   この歌は 人形を歌った歌。
   この歌は、彼を悲しませ、賢くさせる。知っているのだ、私は。
   だが、彼は さあ・・・。サティア サイ ナートの素晴らしい奇蹟を見なさい。
   そして・・・。自分自身を知りなさい。   
☆☆☆

あまりにも悲しい人間というものの実像。
学者人形とは私のことでもあった。
それがいま、「おいぼれ。まぬけ。」「おいぼれ。まぬけ。」と揶揄されて、墓場に向かいつつある。ピカリと光った。ああ・・・。神が幕を閉じたもう・・・。自慢しても もう、おしまい。
私はババのこの詩に絶望感を持ちはしなかった。むしろこれが実態であり、それであるからゆえに予見される、意識を持つことのすばらしさと、個々人が創造主であることの栄光を見て取ることができた。
サイババを救い主の神としての個人的付き合いは、彼への手紙で果たされた。
ババは、願い事をするために、わざわざ私に会いに来る必要はないと言っておられた。
「誰一人として、私に知られることなく、心ひとつ動かすことはできない」と仰っていたお方に、わざわざ困難を圧して会いに行くことはむしろ神サイババを試すことになってしまうのではないか。それは信心の強さや忠誠を示すためなのか。
ババは日本からやってきた信者たちを試すかのように、ご自身を矮小に見せて彼らの関心を反らして見せられたように思う。
私の知る「サイババ詣で」の人たちはほぼすべて、ババの神らしくない様子を帰ってきてから揶揄していた。
その頃のようにババの人気がすごい頃、私は困難な難問をいくつか連続的に抱えることになり、そのたびにプッタパルティのババに窮状を訴え、事なきを得させ給うよう手紙を書いて出した。
ババは、おそらく、私が困難を抱えて苦しむ時すでに察知され、私が救ってほしい旨手紙にすることを知っておられたに違いない。確か、三回それぞれの事態解決の用向きで出した内容のすべてにおいて、事なきを得ることができた。
私にとってのババは、どんな神の銅像よりも巨大だった。
むろん現地に渡った人たちの多くが生きるに際しての困難を抱えて、解決を求めに行ったことだろう。それだけの努力をしたのだから、きっといつの日か、ババは応えてくださることはわかる。待っていれば、必ず行動しただけの恩恵が授けられることだろう。揶揄した者でまだ満たされていない者も、待っているべきだ。必ず恩恵がある。ババはすでにこの世におられないが、必ず。
ババは、インドに行ってきたM君に、私へのお土産(プレゼント)を持たせて返してくれた。
むろん私宛てにと仰ったわけではない。だが、M君は「ババに会ったが思ったより小さくてがっかりしたよ」と言いながら、これをお土産にあげると、写真を二枚くれ、一枚はババが椅子に座った威厳ある風貌のもので、もう一枚がこれだった。真理を求めていた者への激励か、これはと驚いた。どんな本にも出ていなかった写真。
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この写真はババが信者たちに、「この宇宙の始まりから終わりまでを記述した”黄金の宇宙卵”」あるいは「この黄金の宇宙卵の中に、この宇宙の始まりから終わりまでが入っている」と掲げ示された、まさにその光景である。
それは同時に、拙「超宇宙の仕組みモデル」を土台から支持してくれる神からの贈り物にもなっている。
ご覧な。この宇宙の歴史のすべては、神の掌の上の、こんな小さなホログラムメモリの中に記載されたプログラム・ソフトなのだと示しておられるのだ。
私は1983年に公開した論文を自炊してホームページにしたものを増補して、ババからのプレゼントを拙論への激励として掲げている。ババ様。感謝感激に堪えません。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/uchuron3.htm

ババ様はちょっとしたライバルだった

それでも私が50歳になってから知り合った弁天様の化身たちとの恋仲を邪魔しに入られた感もあった。
出会った最初の、新神話名・イナンナとは、三宮の北のサイババ集会所に、同じく新神話名・シノから言づけられた寄付金を、集会のない日に共に運び込もうとしてビルの管理人に拒否され、その帰りにイナンナに悪霊が懸かり、例の移情閣に行けと命令して二度目に行ってから、我々の仲は急速に悪くなり、やがて別れることになった。(イナンナに懸かっていた白蛇は市寸嶋姫弁才天)
また、最初にメールをくれながら後になったカンナオビにおいては、彼女との初エッチが当時の我が家だったため、彼女は以後、意識を飛ばして会いに来るようになっていたのだが、最初の頃どうしても入れなかったと言う。
もしかするとと、私は学研ムーの付録としてついていたサイババのポスターを当時から私の部屋のドアに四隅を二、三センチに切ったセロテープで貼っていたのだが、それから7、8年もの間、一隅もはがれることなく、私を守るかのようだったものを、イナンナのときのこともあり、私の手ではがすことにした。
するとすぐ直後になろうか、2007年1月14日の未明の夢にカンナオビは雲龍(白龍)としてやってきて、私の胸に飛び込んできて合体した。(青蛇であり白龍のカンナオビは奥津嶋姫弁才天の化身)
どうやら、ババ様がフェイントに回られていたことがわかったような次第。
ブラフマーとしてのババ様なら。
同じ男であること、ライバルでもあることをそのとき感じた次第だった。
ババ様による長きに渡っての守りに感謝しつつ、新しい歴史を創らせていただくことにした。
以後、ババ様は自らの役割を終えられたかのように、私のタイムラインの主旋律から離れていかれた。その時のババは、ご自身に対して予告された聖者としての、神の化身としての天寿をも全うできないほどに疲れておられるようにも見えた。
仕方ないのだ。ババはババで、ご自身の主旋律を今なお全うされつつある。そのような世界が必ずあって、ババ様はそこをいま歩いておられる。それが拙「超宇宙の仕組みモデル」理論が語る世界の真実だ。
私もいずれ救世主を演ずるタイムラインに足を踏み入れることだろう。いやもう終わっているのかもしれない。ここからではわからないのが道理。
私が演ずべきタイムラインは、次の写真で見る線香花火の光跡のように、すべてが大昔から並行してプログラム空間という同一次元、アカシックレコードの中に存在している。
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出口さん関連の本をはじめて読みました

つい数日前、出口王仁三郎さん関連の本を初めて購入し久々に読書しまして、ある切り口から入ったときの彼の著述や口述の中身から、彼は邪神系崩壊の型を新神話風に設定されていたことがわかりました。
彼の著わした膨大な著作の一部たりとも読んだことがないため(目も頭も字についていかないから)、よほど興味したことから入るしかなかったので、今回購入した本はとても有効でした。
どうやら彼も新神話のようなものを、彼の脳裏の空間に書いておられたことを知ったような次第です。(霊界物語や大本神論や彼の発言録などをもとに縦断的に書いてくれたこの本ゆえ、とてもわかりよかった)
彼は大本弾圧事件が日本の辿る道になることを預言し、その通りになってきたようです。
彼は最終局面において、邪神系がこの型に嵌って崩壊するシナリオを設定しています。
それがいわゆる、神一厘の仕組みというもので、九分九厘もうだめだという段になって、グレンとひっくり返すシナリオになっているということのようです。
いっぽう私も似たようなことをしていて、独自の新神話によってシナリオ設定しています。
火の鳥という新顔の宇宙最強摂理を置いて、世界が混乱に見舞われるときを見計らって、いったん人類の霊のみならず、人の仮面をかぶった悪魔たちの霊も併せて焼却し、魂レベルのシャットダウン状態にし、正常に回復可能な魂のみ再起動し蘇生していくという、ちょうどパソコンのウイルス駆除と再立ち上げのようなイメージの回復処理を救済の型にしています。
私の超宇宙理論がコンピューターモデルによるため、このような方法も採れるわけです。
そして、この世は一種のソフトウェアプログラムであり、そのタイトルは私流に言うなら「黄泉の国の物語」とでも付けたいところです。古事記神話のシナリオからするとそうなるからです。
いっぽう出口さんはどうやらこの世はずばり「地獄」であると言い切っておられるようです。
邪神と正神をきっちりと分けておられて、邪神が圧倒的優位だから弱肉強食、優勝劣敗の摂理で強い者勝ち、悪い者勝ちがまかり通るのだとおっしゃいます。
しかしそれでも両者がせめぎ合いながら、この壮大な神劇は進行しているのだとされているようです。
黄泉の国(死体置き場の国)も地獄もそう変わりませんけど、黄泉の国のほうが定義しやすいのは、イザナミさんが死体であってなお生きて采配を奮っているということで、いわばゾンビがトップに居座るような常態を指すわけです。
死体が指示を出し始めたら、すぐに死ねとか殺せとかなるので、くわばらくわばらなわけですね。
地獄とはそもそも環境条件が普通ではない。弱肉強食と優勝劣敗の摂理が支配的で、それはもう弱者には辛い。トップにまともな人が立たない、悪霊憑きばかり立つという意味に出口さんは捉えていたようです。
そんな地獄あるいは黄泉の国からどうやって脱出するのか。
出口さんは、邪神系崩壊と世の建て直しによる、一種の次元上昇のようなことが起きて、良い世界になるということのようでした。
いっぽう黄泉の国は、すべての執着を捨てて、イザナギさんがやったように、ただひたすら脱出してイザナギ世界に入ることに専念することがひとつ。(これは古事記流)
もうひとつは黄泉の国の滅亡に際しての焼却&シャットダウンによる、一種のシステムダウン状態に置いてから、浄化し再立ち上げするという新神話に基づく、けっこう自然な成り行きになる工程によるもの。
さて私の新神話では、霊界次元で火の鳥による焼却処理は行われるため、現界への影響はさほど感じられないかも知れません。が、邪悪な霊がいなくなるということで、ひとりでに現界にも浄化の形で現れてきます。
それは霊的レベルで行われ、肉体レベルの経験はなるべくスムーズに繋がるように計らわれるということで、もしかするといつの間にシャットダウン&焼却が行なわれたやら、顕在意識的には把握がつかないかも知れません。
そのときは、ある日の朝突然、世界から邪悪な世相が消え去っているという不思議を経験するかも知れません。あるいはまったく夢の中の世界への移行になるかも知れませんが、きっといい夢になっているでしょう。
人々に取り憑いていた悪霊とその類がいなくなり、もしかすると邪悪だった人が気が付いたように改心したり、強欲者が慈善家に変貌したりするでしょう。
世界は邪神の手から解放されて、一気に分かち合いの精神でみなぎり、弱肉強食の摂理などどんどん解消されて、いたわりと慈しみの世相になることで、人と人が互いに信じ合うことができるようになるでしょう。人と生き物たちが互いに心で分かり合えるようになり、思いもよらない情報が彼らからもたらされて、感動するようなことも起きてきます。
法律などで人の行為を縛らなくとも、ひとりでに行為に尊厳と美徳が備わるようになります。
おかしなそそのかしをする悪霊的存在がいなくなるからです。それが人類に元あった資質だったと理解されるまでにそう時間はかからないでしょう。
世界はかつて黄泉の国の惨状を呈していたものが、一気にイザナギ世界へと変貌していることを確認するでしょう。
まるで長い悪夢から覚めたような感慨を持つ人もきっと多く出てきますよ。
ここも出口さんと共通するのですが、
その浄化のときは、大患難の最中にやってきます。私はこの世を去って天帝様にお目通りし、最後の審判を求めるための基礎資料を渡して督促し、朱雀に変じて火の鳥を起動しにまいり、地上が大患難の混乱の最中に焼却とシャットダウン処理が行なわれることになります。しばし忍耐していてください。
さてしかし残念なのは、出口さんのも私の新神話も、フィナーレに魂にとっていいシナリオを設定しながらも、まだこれからのことなのだということになります。未来のことゆえ、まだ見た人はいないのです。先の見えない希望の光だけ置くような宗教のようではいけないのですが、私も自分の死後でのことゆえ、みなさんと同じ立場で眺めることができないのが残念なところです。