MM3210さんにはとてもお世話になりました。 ともすれば、何の権利も主張しなければ、拙論の意趣は根こそぎ失われてしまうところ、MM3210さんに気付いていただき、最初の発見者として調査いただけたことで、拙論の独自性が維持できたと思っております。 ほんとうに感謝にたえません。 拙論の独自性は、古代日本に中東の謎の思想カバラが伝播してきていたことの証拠の発見に伴う、推理展開にありました。見ていただけたら分かると思いますが、多くの歴史的事実がこのような角度からの推論であっても、十分に説明がつくことにあります。それどころか、解明ができなかった古代為政者の行動原理も、これ以外にあるまいとさえ思っていただけるほどの論展開をしております。 太陽の道という番組が当時ありました。春分、秋分の日に必ず太陽が真東から上がり真西に沈む。その不思議さが古代人の心を魅了したという通説。いわゆる太陽神信仰によるという説が世間一般の定理のようになってしまったわけですが、それはあまりにも古代人の知見を低く見てしまうことでしかありません。 私はこの論説で、古代人はたいへんな知識保持者であったと論じ、その知識のことを「ひ」と呼んでいて、神話の随所に登場する知的文化に関する神名に盛り込まれていることを調べてきました。たとえば、辺津日はへつひと読みますが、昔から竈のことをへっついさんと呼び習ったように、地上世界における知識文化のことでした。これに中津日、奥津日というより深い世界での知識文化が古代人には想起されていたのです。 今では「辺津日」という物質文化以外は認めないという風潮ですが、それに比べると古代人はたとえその当時の今が、文化程度の低いものであっても、高次元にはあるいは深奥には、はるかに高度な知識文化の貯留所があると信じていました。だから、どんなものも、より深奥からの贈り物として、へつひと呼んで尊重していたのです。 昨今、天皇の譲位があり大嘗祭が執り行われました。一般には、意味不明な謎の儀式とされていますが、日嗣の儀式なのですから、知識遺産の相続手続きと、またそこに日の神の神霊が介在するという奥津日相続の奥義が執り行われていると見られます。しかも知識遺産は中東由来のものである可能性が今回の発見で予見できました。世界に誇れる古代日本のグローバルな知識文化とも言えるものになっています。 ところが、歴史学者の故意によるのか、古代人は知的レベルが低いはずだという偏見が支配しているため、ほとんどまともな学説は状況だと私は見ています。卑弥呼や邪馬台国を未だに中国官吏のした当て字のままに呼び、真にどのような意味であったか推理しようともしない学術態度は単なる時間の無駄と経費の無駄を生むものでしかないと思います。 未だ以て、拙論に日が当たることはありません。しかし、心ある方、 MM3210さんのような篤志家を発見できて、とてもよかったです。私も拙論も決して孤独ではありません。心から感謝申し上げます。そして、せっかくわざわざ作っていただいた記事ですから、こちらにコピーページを作らせていただきます。どうか、その旨ご了解くださいますようお願い申し上げます。 森野奥人 拝
MM3210様の「台地に描かれた五芒星の発見者」のページ
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大地に描かれた五芒星の発見者
衝撃的な上図は、内田一成氏が「LEYLINE HUNTING」で「浮かび上がる五芒星の謎」と題して紹介したことによって、多くの人の関心を引くようになりました。 しかし、この五芒星の発見者が、ペンネーム”北卓司”で、1995年、「古代日本にカバラが来ていた(鹿砦社)」を発表していることをご存知の方は殆どいな |
1995年に出版された北卓司(HN:森野奥人)氏の著書 | 「古代日本にカバラが来ていた」の表カバーイメージ |
なお、北卓司(HN:森野奥人)氏は、2000年、 今回、この五芒星がTwitterなどで話題 |
MM3210 様
よく、お問い合わせくださいました。 不思議なシンクロが起きていたものだとまず驚きました。 URLのご紹介がなかったので、あちこち調べまして、なんとか見つけました。おかげさまで、線がいっぱい入った図形も見てきました。あちこちでいろいろと研究がなされているようですね。 大国大東氏が2010/10/15に書かれているわけですが、 私もその近辺の日に富士山を含む五芒星図形をネット上で発見し、2010/10/27に盗用があったのではないかと、発見サイトと内田さんご本人に問い合わせをしているのです。 ここで最初に発見。http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-125.html#cm コメントに入れたのは私です。 >ご案内いただきました著作につきましては、まったく存じませんでした。 近畿の五芒星に関しましては、大本教や方位関係の研究者などがすでに案内して どこが、あるいは誰が最初の出典であるのか不明なため、出典に関しては情報を とのことでした。この中の、大本教や方位関係の研究者などがすでに案内しているものでもありというのが、私には掴めないわけで、これが大国大東さんの仰っているものなのかどうかもわからないでおります。 両名さまからいちおうの回答をいただき、それなら今後は防備だけは固めておこうということで、この著物の掲載を三箇所に増やして、断りをしっかり入れるように対処しております。 しかし、不思議ですね。それまで拙サイトは2000年当時から掲載して、通算アクセスは10万近くあるものの、問い合わせや転載申し込みの類がまったくなく、ごくまれに阿修羅に紹介してくれた方が二三あった程度なんです。 そんなとき、昨年10月に限りあわただしい動きがあったのは、神無月だったから?ってことだったんでしょうか。(笑) 40年前ですと、私は社会人になりたてで、会社に順応しようと必死だった頃ですから、巷の情報(新聞も含め)にはほとんど接しておらず、ただ独身寮と会社を行き来するだけでした。その後、割合暇になったときでさえ、そのような情報に接したことはありません。これは断言いたします。 それに、そんな発見がすでになされていたなら、もっと大々的な話題になっていたのではないでしょうか。 水谷さんのは伊勢の斎宮を通るラインとのことでした。だから、これが五芒星図形に関わることはないはずです。水谷さんによれば、太陽の動きを観測した古代人が、尊んだラインだとかいうことでした。 そして最初に白地図に引いたのが、こんな子供じみた図でした。(図2.10) これを自称して「出雲八重垣」。当時、古事記に何かあるぞと気づいたのです。神名が暗号になっているぞと。だから、破天荒な解釈でしたが、頑なに維持してきました。 不思議なことに神名がみんな手に取るように訳せたんです。難しいのもありますが、7,8割がたは解釈がついたのです。神社の神職の人なんかはわかってるはずなんですがね。当時はクラブ誌というと、まだガリ版印刷でしたから、かなり苦労して20部ほどメンバー分を作って渡したりしてたんです。 会社を辞めて直後に、そのまとめものを「古事記と超古代史」と名づけて、印刷会社で200部ほど作ってもらって、ライフワークのけじめがついたなあなどと自己満足してました。 だから、オリジンは出雲八重垣と称するものであり、まともな幾何学図形としては、拙著に書いておりますように、古事記に載る地名が作る直角二等辺三角形が最初なんです。 http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/qbl-1.html#11 畿内のほうに調査を移すときに参考になったのは、安本美典さんの「邪馬台国への道」でした。九州と畿内の地名と並びの類似の指摘が、それぞれの幾何学中心線を割り出すために役立ったのです。拙著で書いてますところの、天降ラインと南北ラインのことです。 これにより、九州を神話(上津巻)とすると、畿内は神武東征の中津巻との流れになり、時間的にも九州にあった皇室の勢力が畿内に移ったことがわかったわけです。 さらに驚いたのは、南北ラインは、ちょうど多賀-伊勢内宮の中点を通ったことでした。それで、この発見に間違いはないと確信したようなことでした。後は一気呵成。周囲の布石はどんどん見つかってしまうという興奮の連続でした。 当時、経緯度を与えて計算するのにNECのPC8201で、Basicでプログラムして、ピタゴラスの定理を使って、一辺を多分割して地球の丸みを補正しつつ距離を出し、そのシグマをとって長さを出すという、古代計算バージョンで割り出していたというしだいです。拙著は当時のその数値を用いています。 ここの図1.9をご覧ください。これはエジプトのピラミッドの側面幾何学に一致するんです。その他の図形群の大中小の平行四辺形に見えるものは、みな菱形であり、それぞれが黄金比率等倍されていたのです。 だから、古代信仰の跡だとか、太陽信仰の跡だとか、そんな話とは次元が異なるんです。一般向けではないんです。黄金比率採用の幾何学の秘儀にあったんですから。秘教組織なら、きっとこれを見れば沸き返るはずです。しかも、逆五芒星ですよ。(笑) だから、カバラのことを調べねばならなくなりましたし、古代陰謀幻想にもタッチしなくてはならなくなりました。ライフワークとして完成するには、そこまでしなくてはならなくなったんです。 そして、原稿をまとめて投稿した先が1989年度の学研ムーのミステリー大賞でした。ちょっとしたミスがあって、大賞を逃して優秀作品賞になりました。掲載は1990年8月でした。巻末特集として載りました。 現在 ⇒ https://redavian.club/souko3/ しかし、ワンランク下でしたから、全文掲載ならず、原稿の1/3にも満たないほどでした。そのとき五芒星図形も載ったわけです。 何万部も出てるそうですから、マニアックな人がたくさん見てると思います。むろん秘教組織も。(ムーがそもそもそうでしょう) その後、ムーの内部の書き手にも流用されてしまいましたから、五芒星に関しては、かなり伝播していると思います。 しかし優秀作品賞では、肝心の部分(ピラミッド幾何学図形のほうや、第二次大戦以降の日本の預言など)が削られた関係で、それから5年経った後で、今の著作にして出版したようなことだったのです。 その際、当時のムーは大森編集長で、こっちで出版していいかと問うたら、面倒見が悪くてすまんかったと謝られるようなことで、無事OKとなり、わずかな部数ながら、流通出版したといったことだったのです。それが1995年。阪神大震災をかいくぐって日の目を見たようなことでした。 ざっとこんな経過です。だから、どこかで見た図形だと言われれば、少しマニアックな人ならどこかで見ていることでしょうねとなるわけです。 やっとようやく、ありました。だから、ついくだらないことを長々と書いてしまいました。申し訳ありません。 |
森野奥人様
長文のご返事有難うございました。 私が初めて接した「近畿の五芒星」が、それと同じ事柄の発見者であることが確実な森野様 しかし、私は、五角形の1辺の長さ111 kmが、子午線1度の長さであることを発見した森野様に敬意を表さずにはおれません。なお、森野様と私に共通することは、二宮書店の「高等地図帳」に、野間崎と韓国岳を結ぶ直線を引いたことではないかと存じます。 この事実を知って、多くの方に伝えたい自分の発見が、すでに他の人によってなされていれ ところで、私の投稿に、 URLの記入がなかく、お手数をおかけしたようで、申し訳ありません。原稿の次のようなリンクが、投稿で消滅したわけです。今後気をつけます。 |
内田一成氏のブログ「LEYLINE HUNTING」の「浮かび上がる五芒星の謎」に接し、「大地 に描かれた五芒星の秘密」をUPしたのですが、それ以来、この五芒星の発見者は誰だろう かと気になっていました。 今回、貴HPの1章を拝読し、五芒星の |
近畿逆五芒星を知ったのは約 40年前で、グラビア目的で買った平凡パンチか、 プレイボーイに古代史の不思議というような特集で載っていたのを何故か憶えている。 (これは、何の証拠もない、大国大東氏のあいまいな記憶に過ぎない!!) それを解明する事になるとは思わなかった。 近畿逆五芒星の中の五角形の底辺部に飛鳥、 北の大和三山に囲まれた地に藤原京、 五角形の中心部に平城京、 五角形の頂部に平安京が、 各神社鎮座関係の事物と方位と方位線関係により明確な位置性がある。 |
貴HPのことを知らせてくださった、古東正舟さんへ のレスは、「明かり窓」にあります。お暇な ときにご瞥見頂ければ幸甚に存じます。 MM3210 拝 |
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地に描かれた五芒星の秘密 目 次
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