過去のビデオ映像からの再発掘画像である。
(2003.10.4 六甲山系の摩耶山を背景に)
このように”キュウリ”のような形の「信号機UFO」が時々
撮られているという。
それはこのような形で、しかも信号機でいう青と赤のどちらかを
ともしたような状態で飛んで、その場所に危険が生じている
なら赤、そうでないなら青をいう具合に飛び去るという・・。
吉凶はあざわらえる罠の如し・・といった妙な時代にもなった。
そのようなとき、生活安全の便宜を図ろうとして、
便利なUFOが登場してきたとでも言うのか。
まさか国土○○省の試作機??
あのフライングヒューマノイドの撮影された前後にも、
撮られているという信号機UFO。
現在、見逃されたそれらのシーンを再発掘中。
表にできない事情・・・尼崎脱線事故に思う
これはあくまでも仮説である。
一部事実に基づくも、仮説部分の多いことをお断りする。
知り合いから聞いた話。
彼は元JRの下請け的な会社で、車両運転士の資格をとっていたそうだ。
彼の場合外部団体なので、比較的楽に資格も取れたそうだが、JR社員には厳しいように思えたとの事。
彼の会社にJRから中年男性が出向させられてきた。その人にJRで何をしていたか聞いたら、表情を暗くして、「草むしり」をしていたと答えたそうだ。
JRでは技量的に満たない人や、社の意に沿わない人を、現業に就けず、懲罰的な仕事を負わせており、そうやって気分的にいじけさせて、自分から辞めていくように仕向けているのだとか。
それはもう昔のことらしいのだが、どうやら民営化前の国労時代の組合への弾圧の懲罰システムがそのまま持ち越されているらしいという。
運転士や車掌というれっきとした仕事と、草むしりの差はあまりにもありすぎで、夏場に草が生えてきたから自発的にする場合はともかくも上の命令でやらされる者にとっては、屈辱以外の何物でもないとの事である。
また、列車は少しでもオーバーランしたものを元に戻そうとするのに、ギヤを入れ替えてバックしようとするにも、車のように俊敏にはいかず、勾配などの具合によっては、動かすこともできないそうだ。
だから、あのT運転手の焦りはたいへんなものであっただろうと想像されるという。
ここからは想像上の物語となる。
伊丹駅以前に30秒の遅れを出していて、それを取り戻そうとしていた
そうだ。かなり取り戻せたと思った時点で、スピードが出すぎてオーバーラン。
それを取り戻そうとまた走る。過密ダイヤをごり押しされているような中で、耐えて耐えてしていたTだったろう。
みながみな運転士はそうだから、その体制には服従しなくてはならない。
しかしおそらく、前の駅辺りで、年寄りのわがままか何かで、余分に
停車せざるをえなくなり(一駅15秒で乗降させるらしい)、彼としては矛盾紛々たる怒りを抱きながら、発車していたのではなかろうか。
そこで問題のオーバーラン。
待つは懲罰。律儀な運転手といえども、少なからず破滅的思いが混じってはいなかっただろうか。
そして魔のカーブへのギャンブルを敢行。脱線を意識したとき、ブレーキをかけるも、おおきく傾きながら宙に浮いた。
そのとき、Tは重苦しいレールの敷かれた人生で、初めてレールを逸脱したのだった。そこにどんな想いがよぎったかは想像に難くない。
貧富の差。権力階級差。勝ち組負け組。
ヒーローやヒロインだけがもてはやされてやまない社会。
その有様を羨ましげにテレビや週刊誌で見つめる不満を抱えた門外漢たち。
忍耐のなさ。キレやすさ。多動性。原因は添加物だらけの食生活にあるとも指摘されているが、
世界を見渡せば、犯罪やテロの温床は貧困と人間としてのプライドにあると気付く。
人間はロボットにあらず。
心の反逆の時代の到来。
宇宙人求む(1)
さて、世の中、たいへんなことばかり報道されるようになってまいりました。
なんでこんな事件が起きるの? 確かに一昔前にもあるにはありました。
しかし、日常茶飯事的に起きるようにもなれば。
何かおかしいと気付かねばなりません。
人間の精神的な部分に、かなりのプレッシャーがかかってきています。
その不愉感をしだいに感じ取って、耐えられずに犯行をする者がでてきています。
それは窒息状態に等しいもので、もがくようにして犯行に及んでいます。
ただ愉快であることで、穴埋めしたがるかのように。
「気」のパワーが変質してきているとでもいいますか。
人は呼吸するときに、酸素のみを得ているのではなく、「気」を取り入れています。
「気」さえしっかりと取り込めたら、酸素はさほど必要なくなります。
ヨガ行者などは無呼吸までやれるとか。私もかつて一呼吸サイクルを1.5分で
まかなうところまでやりました。
今はもうまったくできません。
体調が良くないせいもありますが、「気」の恒常的不足を感じています。
それは周辺環境がストレスだらけになったことも一因しますが、
それ以外にもあるように思います。
黙示録の七人の天使の鉢から注がれるものとは何ぞやにも思い当たります。
それは見えない領域で起こされている陰謀かも知れません。
宇宙人がやっていると思われる向きもあるでしょう。
あるいは彼らとても傍観者であり、地球の成り行きを固唾を呑んで見ていると
いう話もあります。
いずれにしても、地球を概括的に知る宇宙人に、事の真相を聞くべきでしょう。
彼らはすぐそこまで来ているわけですから。
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リタイヤ
みんなよく集まってくれた
見渡せばそう多くはない
これが幾度もの舞台を共演した座員なのだ
最後の舞台は出し物は陳腐だが
私にとっては仕事納めの餞別の会
演劇半分挨拶半分
人の役が当たった者は
ただ挨拶のため面白くもない役柄をこなし
人の役が当たらぬ者は猫になって
私に挨拶に来てくれた
私はまもなく座を降りるよ
幾度も繰り返した舞台のつきおい
長いおつきあいだった
私はものの順番として
リタイアさせてもらう
あとはみんなでよしなにやってくれ
新しい者も入ってこよう
舞台とは芸とは何か教えてやってくれ
そしていい舞台をこなすんだ
もう会うことはない
これが見納めだ
だからといって二年も三年も顔つき合わすことはない
ほんの通りすがりの猫という挨拶だってある
私には分かっている
挨拶に来てくれたと
忘れるものか
十分友情を尽くしてくれた
舞台の友たちよ
さらばだ