身内さんの見た夢

四月四日の未明に身内さんの見た夢
いったいいつの時代のことだろう。前世のことなのか、夢見の世界でのことなのか、夢に出てくる時空は本人にとっても、時代背景が分かるすべのものではない。ただ、夢が指し示す重要な暗示と啓発がある。それが夢見る本人にとって、あるいはそれを知らされた縁者にとって、非常に重要な示唆をもたらすものとなることが多い。
このたびの身内さんの夢の内容は、本人のみならず私にとっても大事なものと思われたから、ここに記す。それは新神話を補完するものとなろう。
身内さんの見た夢の概略
夢の中の時代および背景についてはまったく分からない。身内さんはある妙齢の女性になりきっている。良家の子息が彼女に一目惚れしプロポーズ。ところが子息の側近が怪しんで彼女を捕らえ、四人の巫女に審査させることになる。周りはみな彼女のことを疑っていて、明らかに不利が読み取れた。審査で不審の結果が告げられれば、死刑にもされかねない。巫女たちは超能力者で、その能力で彼女の行動を封じることができる。そうやって、自由が利かない状態で連れて来られた良家の家は、門を入ると水晶の玉砂利が無数に敷かれ、その一つ一つさえも相当な宝のようだった。それを踏みしめながら、審問の場に引き出された。彼女の手の右左それぞれを巫女が一人ずつ握った。すると彼女の中に電気のような痺れが走った。ところが、二人の巫女もびくんと電気に打たれたようになり、それ以降、彼女のほうに巫女たちのパワーが流れ込んできた。明らかに巫女たちは、彼女の側に味方していた。そのように感じつつ夢から覚めた。
目が覚めると、いつもの朝とは異なり、全身にパワーがみなぎっていたという。
いい夢だ。身内さんがごくふつうの人からどんどん巫女の能力を獲得していることを暗示している。
また、夢の中でパワー(気)の源泉を見つけ出し、そこからパワーを取り込むことに成功した。夢見の達人になる重要な課程だ。
不利な立場からの逆転。それがすごくいい。おそらく夢がさらに進めば、巫女の四人ともが彼女に加勢することになることが暗示されている。夢の中で敗北の経験をしたなら、同じ夢の中に戻ってでも解決乃至は勝利してこねばならないのが巫女戦士である。その鉄則をみごと達成している。
しかし、良家の息子のプロポーズが叶ってしまうという筋はいただけない。それが彼女の魂にとっての宝を手に入れることが暗示されているならまったく申し分ないが。おいおい。(^^;;;
そこでひとつ、愚痴っておこう。
いかにも高貴と思われるその館の主に、どんな高貴さがあろう。人徳によりその境涯を達したとなら、目下を自らの作った掟で縛ったりはしない。不義でかつ権力を誇示して富を形成し、富の力で手下をして裁判の判事にし、その張本人自らはいっさい手を汚さぬ卑怯者こそがその館の主であり、後継者はさらなる二世愚者であるにすぎない。その後継愚者の思いつき横恋慕によって、どれほどの善人義者が苦しめられているか。唾棄されて然るべき愚者である。
そのような体制について、みなさんはどこかで聞き知ったことがあるだろう。インドのラージャなどがその好例だ。カーストのバラモンに次ぐ高位を占め、富と権力をほしいままにし、ラージャの地位を築いた者はともかくも、その後継門閥など、低位のカーストの者をさげすみ、己が判断でどうにでもできると考えている。その理由をバラモンなど神官層をして、前世因縁によると言わしめる。ところが、誰も前世因縁の記憶がないのだから、あてこすりであろうがなかろうが、現況を見るだけで、権力を以て何とでも言いたい放題なわけで、あきれた妄想話ということになる。インドをバラモンの国、聖者の国だとか、霊大国とか言っているが、詭弁もはなはだしい。その霊大国が、核兵器を開発し、その力を以てせねば優位が保てないというのだから、何が聖者の国かと笑ってしまう。最近になってあの国から聖者がいなくなったのではなく、もとより偽の聖者ぶった者たちが支配した国だっただけのことだ。一度として、聖者が不平等なカーストをなくそうと運動したことなどない。偽善者どもの集まった国に過ぎないのだ。もし、彼らの背後にいる神が、カーストをそそのかしたのなら、原因ははっきりする。そう。背後にいる神とは邪神に他ならない。聖者たちは、邪神に付き従う手下でしかなく、とならば、万民にとっての敵である。絶対に許すべきではない。邪神もろとも帰零される必要がある。そうすれば、バラモンや聖者など、地道に己が自己保身に終始し修行に明け暮れてきた今までの多大な転生も、まったく無意味だったと知ることになろう。そう。正神は彼らの良心がどこにあるかを見る。それが少しでもあるなら、どの時点かで改革のアクションを起こしているべきであり、それがないとならば、邪悪を知りながら、邪神を擁護し支持していたことになるわけだから、邪神もろともゼロになっても不合理はないということだ。今まで権力と階級にあぐらをかいた分、先がないと知るべきだ。
私にとっての喜びは、身内さんが夢見の中で勝利したことだ。不利な状況を、ものの見事に逆転してのけた。その経験は、たとえ夢幻のことだったとしても、本人にすごい自信と魔法力を与えることになっている。私は、全力を尽くしてそのような彼女を援助する。援助して、援助し甲斐のある長足の進歩を遂げているからである。私は、それが長老の集まる評議会、つまり言わば閻魔の前に居並ぶ評議衆による採決であるなら、評議衆の座に乱入し、閻魔もろとも評議衆を腰の大刀で叩き切る。正神である閻魔や評議衆なら切るわけにはいかない。が、それらは邪神の成り代わった偽者だから、世のためにならぬと叩き切るのである。
邪神側の手になる旧神話の訂正
国祖神たちの正義と平和に彩られた時代を終わらせたのは、宇宙外からやってきた邪悪な者たちだった。国祖神の執政下ではやっていけなくなりそうな心やましい側近たちを、このインベーダーはそそのかしてクーデターを起こさせたのだ。
そのとき国祖神側に居た妃や侍女たちの多くがその光景を記憶して宮廷を離れている。そして、転生して巫女となり、あるいは捲土重来を期して戦士となった。そのようなひとりが身内さんである。
彼女らは、成り代わった邪悪の神々の追っ手に追われる身となった。持子早子のいきさつも、でっち上げ話に他ならない。国祖神側に就けば、この境遇に甘んじねばならないと脅されているのだ。だから様々な転生の中で、苦難に遭遇したりもする。彼女が夢の中で囚われたのも、そのような過去の経験によったりしている。しかし、今や正神のほうが圧倒的優位に立ち、邪神側に就いていた者たちが、ようやくその愚に気づき、寝返っている。その末端における現場を身内さんは身を以て体験している。そう。身内さんに宿る真実のパワーが、ありとあらゆる邪悪と闇を駆逐していく。その現場を彼女は夢で経験したのだ。

夢の実現だけはしたいのう

天上人の宴」のストーリーを体現したく山篭りしたが、密林の中の庵ゆえ空の眺望がいまいちで、天上人を招きたくとも、もてなしのスペースがないといった状況に、プランの練り直しを迫られている。さしずめベランダの向こうに地続きにして6畳から12畳ほどの望観台を設けて、UFO撮影の環境にもしたく思うが、この地においてUFOの影をまだ一度も見たことがない。ほんとうにやってくるのだろうか。いっぽう山嵐の神はまったく意識的に現れて、私に嫌がらせする。私がベランダに立つと決まって、猛烈な風を送り込んで、防風シートをばたつかせるのだ。まずこの神を味方につけねばならない。空の神はその先にある。
ベランダはいっぷうアトリエ風になったと思うが、見ようによっては掘っ立て小屋の仮設住宅もしくは建築現場と見られかねない。要は自分がそこをどう捉えて活用していくかなのだろう。早々に豊富な発想を生む場となれば、早々にアトリエと言えるものになろう。いつまでもぐずついていれば、仮設の建築現場のまま推移してしまう。
こうなれば、かつて夢見で見た光景のように、早々にベレー帽を購入して被り、アトリエ気分でいようか。だがあの夢では、ベレー帽の私似の人が、四角い建物の屋上で植物を植えていたんだよな。もしかすると、望観台を野菜畑にしたりして・・・。それもまたいい。
この地を開墾して畑にできるかどうかは、原状を見れば、困難限りないことが推測できる。密林は伐採しても、木の切り株や根っこは残り、純粋な畑にはなかなかなりがたい。焼畑農法というのもあるようだが、ここはガチガチの防火地帯で、人をたぶん信用しない前提で取り決めを作っているのだろう、焚き火すらも許されていない。このため、逆に恐いほど枯木や枯葉の堆積があっても放置されている。度が過ぎるのも程度がありはしないだろうか。もしもの出火が恐いものだから、急いで火災保険に入ったような次第だ。先日の山嵐などがあれば、あっという間に全山山火事になり、あのカリフォルニア州大火災と比べられかねないだろう。みんなの善意と自己コントロールがかろうじて山を守っているように思う。
畑にする・・・ああ困難。腐葉土になる前の枯葉の資源はとても豊富だが、それが自然に土になるまで待っておれない。また農作物を盗っていく動物もいる。鹿は最初の頃に見た。人に慣れた鹿らしい。イノシシもいるらしい。近所のAさんの話では、作物を盗っていく代わりに、畑の耕作をしていってくれるとのことだ。アライグマもいるらしい。このあたりになると木登りもするから、並みのフェンス程度ではオーバーフェンスされてしまう。だから、パイプなどを使って、四角い6畳ないし12畳の建屋を作り望観台にして、そこで鉢植えやプランター植えをすることになる。けっか、夢の中の人物像を目指すことになろうか。
私の夢も、ミステリー作品や物語で作る夢と、睡眠中に見た夢があって、そのどちらもを現実の世界に実現しようというのだから、いっしゆ既知外か、途方もない馬鹿ヤロウということになろう。
望観台の上に小さなテーブルを置いて、地球人だけでなく地球外知性体(宇宙人)をももてなすことができたら、夢の大部分は実現したことになる。いや後者こそ、私がこれからの未来世界に必要な交流になると考えている。明治維新のとき、アメリカやエゲレスの特使を招いて会談したように、これからはどこそこ星人(複数種)を招いて、地球の行く末から宇宙文明との交流などについて語り合えたら申し分ない。むろん宇宙旅行もさせていただく。健康体にもしていただく。人並みはずれた健康体で、辛く困難なトレーニングを経て選抜を経て宇宙に行くような方法は前近代的なやり方だったと思える時がくるようにしたいものだ。
次は私が昨年10月に、たまたまUFOを撮影してやろうという気になって買い物がてらに出かけ、神戸市西区神出町の業務スーパーの駐車場でカメラを回し始めて20分後ほどで現れた。
Youtubeに上げて当初、ヘリコプターなどと揶揄するコメントが書き込まれたが、本質を覆い隠したがる邪系の組織が働いているからだと分かった。逆に賛同する書き込みがないのは、私のナレーションがいささか飛びすぎているから、その方向で疑われたのかと思う。映像には加工も音声の後付けもない。撮り卸をそのままアップしている。加工する技術もないし、そんな面倒なことなどできないほどに目ももうろくした。
そんな基地外だからできる功業もある。私がかつてレイラインの面白さに惹かれたのが30年前にもなろうか。当時、古事記は暗号化文献であるという発想から、一連の目の覚めるような解答を得かかっていたときに、宇宙人でなくてはできないような鳥瞰的立場から、推理の正しさを検証することができようとは思っても見なかったことだった。古事記の与える祭祀拠点と、古代からある大祭祀霊場を点とし線で結ぶとき、精妙な幾何学図形が浮かび上がってくる。それは西日本(九州)から中部(尾張)に至るまでを、エジプト神聖幾何学で結ぶ図柄として現れた。それを総称して、ヤタノカラスと名づけた。それは多面三角構図という意味である。三本足のカラスは太陽のカラスと言われ、古代祭祀の神聖シンボルであった。三角はそれにちなむ。
古事記上津巻を暗号化文献と考え、解釈して本にしたもの (1978年)
古代日本の見えざる地上絵と古事記解釈を通して得られた歴史読み物として本にしたもの (1995年)
古代日本のヤタノカラス
ヤタノカラスは、どうやら日本列島上空からの視座をも暗示している。当時に精巧な地図があったかどうかは、前著を見ていただけたら分かると思うが、実在したことは間違いない。とすれば、日本列島のそれもあって然るべきであり、少なくとも地図があっての祭祀霊場の布石があったと推測される。
宇宙人の干渉と知識移入があったとするなら、これほど分かりやすい話はない。宇宙人が神と称して原住民の前に現れ、農業の仕方から祭祀の仕方まで教えたその一環で、古代からの長きに渡って、今なお世界宗教の形で地球人の思考回路を牛耳ってしまったようなことだ。どんなに科学万能を歌い上げても、インベーダーの息のかかった宗教ひとつ、分析できないでいるのが地球人類の頭脳なのだ。これではなあ・・嗚呼と嘆くしかない。
ヤタ(八田)は多面体であることを表す。それを極限まで持っていけば円になり球体になる。ならば玉と言ってしまえばいいではないかと思うが、現れたものが楕円球体であったら、真円の球体の玉とは言い難い。それに加え、当時の知識階層は分析する科学者たちであった。だから、コンパスや定規を駆使するその技術者集団がつけた名前がヤタであってもおかしくはない。前著では古代中東の神官層が作った知識集団が古今、世界史と宗教史を彩ったとしている。その彼らは、古代にやってきた宇宙人を神としているのだ。つまり、インベーダーの手先なのである。
こうして、宇宙人の乗り物であるUFOは楕円球体なのがオーソドックスな形として、今なおやってきていると見られる。だが、当時の宇宙人は純粋に善でありはしない。それは歴史が必然性のもとにあったと見る私などからすれば、はっきりと断言できる。今の地球の文明の1タームは、まるごと彼らの実験場であったに過ぎなかったのだ。だから、1タームの終結点がもしまもなくなら、次のタームに関しては独尊の独立国的環境があらねばならないと思うわけで、是非現下の時点での宇宙人社会との交流開始がなされねばならないと思うわけである。それも、不平等条約のような結末でなく、対等の関係が構築されねばならない。
少なくとも、私が思念を宇宙に投げかけて現れた宇宙人の乗り物UFOは、善良に出現してくれた。友達にしてくれの問いには、即座に正体を見せて反応してくれた。夢の中にも現れた。UFOビデオ撮影友の会をひょんな人との出会いで立ち上げ、あれからいろんな種類のUFOを撮影した。三角形が形を変化させるものや、オバQのような霊体的UFOもあった。スカイフィッシュなどというUMA撮影にも関与した。そのようなシンパの宇宙人もしくは異界人とおつきあいすべきであり、ヘリコプターで未開の原住民の前にやってきて、国王として居座るような宇宙人の手合いとは決別し、放り出さねばならないことは当たり前である。ユダヤ/キリスト教の元になった聖書の神はこの手合いに他ならず、放逐すべき対象だ。
今はとにかく世相が極まってきている感があり、私のすべきこととしては、対等かつ友好な宇宙人との交流がまずあらねばならないというわけだ。人ができないなら、私がやる。根気強く、待ってみることにする。

前世の記憶

私が物心ついたのはいつか不明だが、まだ昭和20年代のことだろう、最初に認識した光景は、白黒テレビの置いてある食堂で、父に肩車されての視線がちょうどテレビの高さであって、放映されていた場面をまじまじと見ることができた。おりしも歌舞伎の番組をやっていて、奴さんが刀を抜いて息巻いた場面で、私は恐怖のあまり泣き出してしまった。食堂のお客が笑っていたのを憶えている。後から思うに、幼児というもの、経験もないのに、どうして怖い形相と抜刀に対して恐怖するのだろう。前世の記憶を残しているからなのだろうか。どんな前世かは知らないが、きっと戦乱の経験もあったに違いない。
その番組と別の番組の合間だろう、サクソフォーンの演奏で「遥かなる山の呼び声」(シェーンのテーマソング)が奏でられる中、テレビ画面には雁木車が三つ、ゆっくりと回転している様が映し出されていた。
山が呼んでる
あの白い峰が我を招く
風が過ぎし日の香を運びくるよ
また帰る日を恋いてさすらう
シュミセー我がふるさと
シュミセー我が来し道
ああ遠き夢の日々
また帰る日を恋いてさすらう
シュミセー我がふるさと
シュミセー我が来し道
ああすべて夢の日々
心に抱きて今日もさすらう
(以上は奥人の勝手につけた歌詞)
いちばん最初に知った映像つきの美しいメロディーだった。
そう。進駐軍が持ってきたものであり、占領体制が解けかかった頃のことだった。
前世はどこにいたかのほのかな心当たりは、あるメロディーへの憧憬に求められるかも知れない。私はブラームスのワルツを聞くとき、心が揺り動かされ、その当時の情景が浮かんできて涙することがある。
家族でそのワルツに乗って踊った幸せな時間のあったことを感じ取れるのだ。ドイツか。第二次大戦のさなか、私はナチスの将校だったような。家族と祖国を愛する、ひとりの凡々たる男だったような気がする。
戦争で私は、大腿部に銃弾を受けて死んだのではないだろうか。幼時期から、大腿部に銃痕のような痣を持っていて、それがずっと気になっていたものだ。
山奥の庵でラジオ短波を聴いていると、暗くなってから、懐かしいメロディーがメドレーで流された。名曲の続くその中に、ブラームスのワルツがあった。メランコリーな時間が夕闇の中を流れて、いつしか瞼がうるうるになったことは言うまでもない。

小六時代の神話

私は小五のときに盲腸炎で手術をした。一週間の入院ののち、一週間の自宅療養で学業に復帰した。が、それまで外で遊ぶのが常だったのが、まったくの引き篭り児童になってしまった。というのも、予後不良で腹痛が起きやすい虚弱体質になってしまったからでもある。
学校から帰ると、空想の世界にはまり込むようになった。様々な玩具とも言えないような品物を、人や乗り物に見立ててストーリーを組んだ。いちばん大事にしていたピストルの玩具はいちばん高貴で優秀。その弟や妹が玩具の数だけいくらもいて、高貴さは準じている。
彼らは、あるとき不思議な「玉」に出会う。その玉は何でも願いが叶う玉であり、彼らがそれを手に持って念じれば思いのものが目の前に現れ出る。玉はそれに念ずることで、同じ力を持つ玉を複製できたため、それぞれがひとつずつ持つようになった。そのうち、彼らは玉をそれぞれが飲み、手に持っていなくても、ただ想像するだけで、その通りのものが現れるようになった。それだけではない。玉の持つ不思議な力によって、彼らは不老不死かつ不死身となった。
彼らはその境涯を活かして、宇宙を旅する。思い通りだから、彼らは小さな多孔質の軽石の穴の中に小さくなって住み、隕石のように宇宙を旅する。玉から魔法の絵の具を作り出し、壁に描いたトンネルを通って、向こう側に別世界とストーリーを生み出した。
玉を使う長い時ののち、彼らはこの玉とはいったい何なのかを探る研究に入った。そのために、彼らは眠りに入り、玉の中の世界を夢見る。彼らは高貴にも眠りに就いているが、夢の顕現は別のキャラクターになり、粗野な冒険的経験をしていく。様々な経験を通して、玉の性質を明らかにしていくのである。
当初、この神話には妹も一枚噛んでくれた。しかし、やがて私ひとりの想像の世界となって発展していき、中二の頃ようやく体調が回復するときまで続くこととなった。今から思えば、不思議な神話創造の時代だったように思う。

天上人の宴も新神話に接続できるか

象の墓場は異界の入り口。
宇宙人との会見も異界の入り口で行なうべきこと。
1990年代に作っていたネアンの神話「天上人の宴」はいわば元祖ですが、どうやら新神話最新版(10章11章)とこの物語がシンクロしてまいりそうな気配。
もとより私の道楽から出たことであり、またそのようなことも可能になってきたかなという立場から、環境設定から考えてみました。
天上人の宴では、主人公ネアンの居住しようとしていた山深い場所にある住居の名前が「寧庵」という名前であったのですが、宇宙人社会は主人公の名前にしてしまいます。
それで次のような庵を設定しました。
-良寧庵-
すると早々と、私が宇宙人と目していたN氏(宇宙語を流暢に話します)が接触をとってこられました。
-どこか山おくんどかな-
彼からの暗号文です。
-宇宙技術で探し当てられては-
私からの返信です。
脈が大有りでしょう。
新神話では地球文明が危機に瀕するとき、宇宙から積極介入が図られ、地上の混乱を接収してしまいます。
誰かが勝海舟のようにして宇宙文明社会との窓口にならなくてはならないとき、同時並行的に誰か先見者が導入に力を注いでもいいのではないでしょうか。
旧神話でも、猿田彦が天神の降臨に先立って道案内を買って出ます。
猿田彦はいわゆる天狗さんです。鬼の形相をした大天狗です。鞍馬天狗でもあります。
贅沢ながら、猿田彦の雛形も手に入れたく思います。
こうして、二本角の鬼の顔を見立てた板に「良寧庵」と彫り込んで、看板といたしました。
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実はこれはアンティーク調椅子の背もたれ部なのです。二本の杭が鬼の牙のようで、なかなかいいでしょう。
さて、2/27は朝から雪の中。
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2/28は朝から晴れ渡り、
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下界は雲海の下に海没して、まるで仙郷の様相。
蓬莱山はかくなるものかとの思いもさることながら、密林が邪魔して台無しでありました。
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みなさんのお越しのときまでには、南から西の眺望は堪能できるようにしておきたいものです。
千客万来。地球人でもよし。宇宙人ならなおよし。
地球のオアシスとして経営していく所存です。
なお、UFOはむろん、宇宙人も写真に収めて、ここで公開できたらと思っております。