古事記神話の真解釈
古事記は要領よくまとめられた知識の書です。 元の伝承がどのようなものであったかは、ホツマツタエなどの歴史伝承などが参考にされ要約的に採録されたもののようですが、これ以外に、超古代文明から持ち越されたと思われるような科学知識が、言葉少なの古代において語り尽くされようとしていた感があります。 この解釈で前提となるのは超古代の存在です。その立場を容認願わねば、おそらくトンデモ解釈としか見ていただけないでしょう。 この解釈結果を得たのは、1980年代のことでした。それから10年余を経て更なる発見として、ヘブライの神秘思想カバラの伝播がありえた明確な形跡が見つかり、これはもしかするとカバラの知識体系が、当時開始された文字記録によってアウトプットされたものではなかったかという推理に至りました。 その論文はすでに「古代日本にカバラが来ていた」なる著書名で1995年に出版しており、ネット上においても「古代日本謎の中東思想渡来考(Web版)」として掲載し、すでに13年になっております。電子本はこちら ⇒ https://p.booklog.jp/book/99385/read 古代日本の為政者が知識の保全に力を尽くしていたことは、古事記の序文からも伺えることであり、その文字化されたアウトプットが古事記とするなら、カバラの知識のどれほどかが含まれていてもおかしくないと思われるわけです。 カバラは錬金術で有名です。古事記には、その元になるような科学知識が盛り込まれていることも事実です。 古代人のしたことと一笑に伏さない研究態度で臨めば、古事記は御伽噺の域を離れて、真に研究価値のある文献として識者の目には映ってくることと思います。 ↓
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古事記神話の物語構成一覧 | |||
段記号 | 段の見出し | 解釈できる事柄 | 歴史時間 |
A | 天地の初め | 超宇宙論 宇宙開闢論 | 宇宙および 地球の創生 |
B | 島々の生成(1) | 地球の創生 | |
C | 島々の生成(2) | 大陸の生成 各大陸の名称 | |
D | 神々の生成 | ある人類文明史(生成から衰退まで) | 前の時代の 歴史展開 |
E | 黄泉の国 | 人類文明史(衰退から終焉まで) | |
F | 身禊(みそぎ) | 水による地上の浄化 | 人類の 空白期 神々の時代 |
G | 誓約(うけひ) | 浄化後の始末(自然の暴乱と鎮静) | |
H | 天の岩戸 | 天変地異と回復処理 | |
I | 穀物の種 | 次の時代への種の保存 | 生存環境の 回復整備期 |
J | 八俣の大蛇 | 異変の爪痕・火山活動の鎮静処理 | |
K | 須佐之男命の系譜 | 治山 治水 灌漑事業 | |
L | 因幡の白兎 | 土地改良と農業基盤整備 | |
M | きさ貝姫とうむ貝姫 | 次代を引き継ぐ人類の試練、受難 | |
N | 根の堅州国 | 神から人類への地上管理権委譲 | 今の時代の 開始から 終了まで |
O | 大国主命の系譜 | 農耕、開墾関連の事物、風物描写 | |
P | 少那毘古那神 | 同時代の異星人との交流 | |
Q | 御諸の山の神 | 同上 | |
R | 大年の神の系譜 | 豊かな農耕文化と知恵による統治 | |
S | 天若日子 | 文明開化 新文化の先鋒の帰化 | |
T | 国譲り | 高度文明の侵略による国の譲渡 | |
U | 天孫降臨 | 賑々しい高度文明の移殖 | |
V | 猿女の君 | 高文明誘致者の滅亡 | |
W | 木の花のさくや姫 | 急燃焼、爆発的開花する天神系理念 | |
X | 海幸と山幸 | 海洋部族の人為的変災による衰退 | |
Y | 豊玉姫命 | 怪獣徘徊の様相の高文明 | |
Z | うがやふきあへずの命 | 次の時代への元の木阿弥的旅立ち |
天地のはじめ
角川文庫・古事記の段落分けに準拠する
古事記の伝える科学知識(宇宙論・前半)
「天地のはじめ」の前半は、現象の展開元たる神の次元の仕組みの話である。別天にあるため隠されていると書かれるように、観測できることのみを科学の対象にする現代科学では、扱われることはない。
古事記は、神の次元に「現世を司るプログラム」があると言っている。 それは、「命(みこと)」すなわち神の「御言葉」「言語」で表現され、神名が現象界を彩る主要なテーマのインデックスを示すようである。 それゆえ、神話上の神々の列挙は、神名の意味する事柄の順次展開(歴史)を物語るものであり、この歴史に関して「かつてあったこと」(古事)または「これから起こること」(降る事 預言)に分別されるのである。「ふることのふみ」とは、そういう意味である。 このプログラム全体の置き場をカミムスビ(隠身、隠れ結ぶ摂理)と言い、一方それは演算、励起されて初めて実体的現象と認識されるために、その演算のための機構をタカミムスビ(杲身、顕し結ぶ摂理)と言う。 手前みそだが、奇しくも同時並行的に、この世界の運行原理を探求していた筆者は、コンピューターをモデルにした超宇宙の仕組みのモデル概念を発表している。(1983年) 電子本 ⇒ https://p.booklog.jp/book/91316/read
この超宇宙概念は、神の次元(超次元)の、別天にある超コンピューターにより、世界の創造はなされているとするもので、そのCPUプロセッサーこそが、タカミムスビで表されており、この神のこちら側の世界にできた子供が「思い金の神」すなわちコンピューター・ハードウェアとされることで、拙モデル概念は古事記によっても支持されていると思っている次第である。
あと、水母なす漂えるとは、寒天状のホログラムのこと。
2001年頃、当時はサイババブームで、知り合いの何人かがインドに会いに行っている。そのとき、あるひとりが帰国してからお土産をくれた。それが次の写真である。
< サイババが掲げているのは「黄金の宇宙卵」というもので、この卵の中に「この宇宙の始まりから終わりまでの歴史」がすべて入っているのだという。神の化身とされた彼によって、拙宇宙論が支持されたと確信したのが、この写真をもらった瞬間だった。 サイババは幼児虐待などで信用を無くして、預言された日より早くに亡くなったとされているが、それも拙宇宙論からすれば容易に理解できる。 ぜひ ⇒ https://p.booklog.jp/book/91316/read その後、拙論の有望性を示す科学論調が、あちこちから示されるようになってきている。 古事記の伝える科学知識(宇宙論・後半)
「天地のはじめ」の後半は、物理宇宙の話題となるのだが、ここには驚くべき記述がある。 泥土の水中での浮き沈みの現象をイメージさせて、浮力と重力の対照を暗示し、杭(極)における「角」の堅牢な場合と「活」の活発な場合を対照させて、重く安定した陽子と軽く活発な電子の対照が(今の時代なら)思い浮かぶ仕掛けとなっている。 また「トノ」は字義的に「丸味ある具体」を表し、「ヂ(地)」は内地、「ベ(辺)」は外辺を示すので、回転体などにおける求心力、遠心力の対照を語るものとなる。それは物質の基本的な性質を、陰陽を対比し、譬えを使って巧みに表現しているのである。一まとめに関連づけると、質量、電荷、角運動量(スピン)という素粒子物理学上の基本三性質になる。 古事記は定常宇宙論的であり、今はやりのビッグバンを語ってはいないようだ。 だが、その概念が、古代になかったわけではない。 中国の「三五暦記」には、巨人盤古が混沌の固まりの宇宙卵を開いて、成長とともに天地を分離し、世界を開闢していったという神話がある。 日本にも、蘇我氏の神道弾圧の際に滅ぼされた大中臣家の末裔、九鬼家に伝わる「九鬼文献」の中に、原初の神「モトツワタラセ」が気と力が凝り固まった卵のような状態から世界を開闢したという記述がある。神名が、原初における物質と空間の拡散を表現している。
島々の生成
古事記の伝える科学知識(地質学)
時系列的にズームアップされ、「島々の生成」の段では、現象の展開の説明も地球レベルとなる。 前半は太陽系内における地球の生成の過程について語り、後半は地球上の陸地が地下の火によってひび割れして創られる、いわゆる「大陸移動説」を論じた上で、世界地理に言及している。 世界地理については大陸名がその特徴とともに語られるようなのだが、既に山田久延彦氏が先見的解釈を施されているので取り上げないことにする。
国生み・後半は取り上げない。
神々の生成
前段までで地上のすべての舞台設定が完了すれば、次はそこを舞台にして、歴史が展開されていく番である。この段で揚げられる神名によって、それがどのようなものであったかが分かる仕組みになっている。
失われた超文明の風俗と歴史の成行
それは一つの文明の風俗描写から始まった。大事業の推進とは、大土木工事のこと。石でできた家、館、神殿などが造られ、採光、送風など、建築物の主要な構成要素が挙げられている。 大宜都比賣は穀物生産の神であるが、ここでは工業生産に関係した表現となる。 しかし、これらのことは過去にあったことであり、決して今の世にそのような進展を保証するものではない。 「神々の生成」の段の前半部分が、港や水利設備に関して特別な記載をしているのは、偶然のこととは思えない。これらはアトランティス島の特徴である。 黄泉の国
イザナギ、イザナミの男女二神により神生みが続けられていたわけだが、火の神の系統をイザナミはミホトから産んで後は、やけどを負い病態となり、ついに神去りたもうた。イザナギは、まだすべてを遣り遂げていない時のパートナーとの離別に嘆き悲しむ。そして、亡き相方を追って黄泉の国へ、というメソポタミア神話にも共通する神話の段がこれとなる。
一つ前の時代の終焉、超古代核戦争へと
利益主導と競争原理により偉大な繁栄を築いた世界も、その度が過ぎて侵略、争奪競争の激化となって現われ、多くの破壊兵器の使用までが行われていた。 イザナミは擾乱の摂理を物語るものであるから、この段からは計画や抑制が介在する過程を欠いた文明とみる。それは利己主義、利益主義によって主導された盲目的な成り行きであった。 一方、イザナギは平衡の摂理であるから、イザナミと正反対の悟性、良識を主導原理とした文明の在り方のことだ。 だが、現実の歴史の成り行きに対し積極的な関与が遅れていた。 いよいよ文明がイザナミ主導で末期状態となったとき、良識の光を当てて、何が衰亡に導いたかがはっきりしたのであるが、時すでに遅しだったというわけだ。 黄泉に導いた兵器類
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超古代最終戦争の様相
この段に書かれる事柄の中に、聖書に出てくる将来への警告と同様のものが含まれていることに気付く。 まず大都市(バビロン)が危ないということ。地の王の軍が天の軍に滅ぼされ、特定の者が救い上げられるということ。ある時点を境に前の時空は過ぎ去り、新しい時空が用意されるということである。 だが、これらのことは、かつて起こったことと古事記は主張する。今後に約束されたものではない。 ここで桃の実を形の似るUFOと解釈させてもらった。古代人がUFOを見たときの鮮烈な印象が、世界神話になり、天の軍(ユダヤ)や聖衆(仏教)として後世に残されたものとみる。 この時のイザナギの桃の実に対する要請が、再び人類がかかる危機に直面したときのために用意されているというのが、古事記のこぼれ話だ。(⇒ネイティブアメリカン・ホピ族にも同様の見解のあることが後に分かった) 古事記は現文明が植物、特に穀類の一生と変わるものではないことを語っている。 また、古事記の「古」とは「降る」とも「振る」とも読み替えられる掛詞としての意義を孕んでいる。 つまり、時代はその中に人類の文明を揺籃して、幾度も繰り返すものなのかも知れない。いわば、人類史の転生輪廻である。 そして生物すべての一生(個体の歴史)が生・成・衰・滅を規定するDNAにコントロールされると同様、人類文明の歴史もどこからか一定の傾向を持たされているというのが自然界の相似像というものかも知れない。 とすれば、現代にもその作用は及び、その方向に世の成行がまるで同じ足跡を辿る如く進んでしまいがちになることは否めないであろう。
身禊(みそぎ)
汚土脱出のミソギの旅
イザナギとは、精神を凪の状態にする安心の節理を示す神である。いっぽうイザナミは精神的に擾乱の状態にする不安定性の節理を示す神である。歴史の展開には、そのいずれもが必要であり、その絶妙のコンビネーションによってこそ、理想世界の実現は可能となる。
だが、車の両輪のごとき二神の働きが失われ、さらにイザナギのユツツマグシ(観測の意識の目)すらも黄泉の国を照覧するようになった。このことは、意識の主眼がこのシナリオの上にあることを示す。 だが、意識は黄泉の国の惨状を見て、このままでは危ないと脱出を決意する。そう決意すれば、ルートは開かれ、ふつう冥界からは帰れないとされる節理も曲げられ、扉を開く。 だが、いったん汚土に居た限りは、その影響と余韻をすべて拭い去らねばならない。 こうして意識は、自らミソギの行程を踏むのである。
大変災・汚土脱出と大洪水
イザナギ神は黄泉国から脱出して、心身を清める身禊を行なうが、まず汚れ
ている身に着けていた道具、衣類、装飾品の類を投げ捨てる。 冥界に出入りする際に身の回りの物を脱着するのは、メソポタミアの神話にもみられ、その内容もほぼ等しい。 だが、日本神話には持ち物のイメージが類似する意味深長な何物かが象徴的に神名で挙げられている。 それは物心両面における遠隔地への逃避を表わす言葉ともなっている。 前段を引き継げば、地球外知性の助力によるイザナギ人類の汚土地球からの遠離という段階があり、生き残った人類と生物の種子は、いったん生存可能な別の場所(宇宙)に移されたようである。 ノアの方舟は、古代人にとって手の届く範囲で分かり易く解説された象徴話の感がある。 「身禊」の前半の神々
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「身禊」の中半
理念界と地上界の浄化がなされる 今一方、地上では、ヤツマガツヒ、オホマガツヒで示される放射能による超汚染がカムナホビから「上簡の男」までで示される浄化機構で清浄化された。その具体的な形や仕組みははっきりしないが、筒の男は海洋浄化のための円筒状の機構であることは言える。 このイザナギ神自身が身体を清めるべく、川の中ほどに降りて潜り、諸々の穢れを洗い流すという話。これは現在でも核兵器の放射能毒を洗浄する最も有効な方法と考えられている。 だが、それらは地球上という角度から見た解釈だ。実は、現界の悪しき現出は、理念界(プログラム)に端を発している。それが悪しきものであるなら、意識の目から見て、その向こうにある神界も曇って見えるものである。
身禊(後半)
新天地の登場と荒廃した地上世界 この節では、新しい時代の天地支配の構図を示している。アマテラスの支配する高天の原は既に述べたように超空間であり、地上世界の何事も鳥観できる五次
元的時空である。だが逆に地上の我々からは察知し得ないので、遠隔の太陽に擬態すると共に、ミクラタナ(棚の上の安定した世界)と古代人の間では認識していたようだ。また、「月読」は「尽く黄泉」と解せ、地上を中心にしたとき、高天原の正反対の位置に在るべき冥界をあらわすと共に、現在みる月が文明の終局に何らかの関わりがあったことを示している。後程述べる「天の斑駒」(水天体)と関係が深いと思われる。 スサノヲは海原の守護を命ぜられるが、これは表裏の関係にある大地の守護をおこなうことでもある。(これはギリシャ神話のゼウス、ヘーデース、ポセイドンの支配構図と一致している)だが、彼はそれを履行しないばかりか、かえって海陸を逆転するようなことをした。「その泣く様は・・・泣き乾しき」にあらわれている。これは海外にあるものと共通した洪水神話である。また、スサノヲが洪水を起した理由が、母イザナミの居る黄泉の国に往くことであるから前節のイザナギの水による地上の病んだ状態の浄化と同じことを示しているのではないかと考えられる。つまり同一事件を異なった観点で述べているのである。海外の洪水神話がいづれも洪水の原因を不敬な人類への神の怒りとその浄化に帰していることをみても頷けよう。
誓約(うけひ)
神の科学力と自然力の対照 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
科学力は自然の暴乱に勝る
「誓約」の段は、挿入的なものと解する。 好位置においてアマテラスの武具の象徴する神々しい高科学力と、スサノヲの武具の象徴する大自然の力を対比し、出所が異なることを示した上で、どちらが善で勝れているかを対照しようとしたようである。ここでは科学力が善として描かれる。
天の岩戸
天体の衝突が招いた太陽消失
「天の岩戸」の段では、かの一時代を終わらせた大変災の経緯の詳細と、死んだ地球を元の状態に回復するために執られた超科学的方法が語られる。
奇想天外な内容であるが、古代の黄泉帰り思想の底流を成す重要な記憶である。 ここで中核になる話は、「天の斑馬」に象徴される天体の落下と、それが引き起こした大異変である。 斑馬とは、死と再生、吉と凶の相反する状態を具有する禁忌の神馬と古代人の間では認識されていた。加えてこ れには、水と土の混ざり合ったものの意味合いが込められている。 その逆剥ぎとはまさに、尾を引き近づく天体(彗星)を形容したものなのである。今から一万四千年ほど前、海水面が百メートル以上も一気に上昇したというデーターがある。 そして現在は、かつてより百四十メートルも上がっているというのだ。 通説では、氷河期が終わりを告げたためとされているが、それほどの水位の上昇を引き起こすだろうか。 それよりも、天体の運んだ大量の水が水位を極度に押し上げ、衝突とあいまったアトランティス島の海没がメキシコ湾流の流路を開き、ヨーロッパの氷河期を終わらせたのではなかったか。
大異変は、天体の引力や衝突により巻き上げられた物質による大洪水や噴火といった直接的な作用があるに加え、いま一つ、落下した天体の規模によっては、地核やマントル層に及ぶ歪みの影響により、地磁場消失ということも有り得たかも知れない。 古事記では「身禊」からこの段までで、一大異変を多角的に説明している。
まず「身禊」では人類の再出発のためにひどい汚染状態を浄化しておかねばならないとして水を正当化し、次に幼いスサノヲの行状に譬えて、地上の守護精神の能力不足、抵抗力不足で異変が訪れたとし、最後にその事件が天体の衝突によったことと、その影響が長期間太陽を隠すほどの規模になったことを語っているのである。
死からの再生・世の建直し(地球蘇生)と時代の開始
地球を死から蘇らせる超科学技術
古事記「天の岩戸開き」の節は、生命体地球を、災疫に満ちた存在の状態から脱出させ、生命力を再生する超科学的手段とその実際を示している。それは、宇宙人の乗物UFOの飛行原理と同じ原理を用いた機構によって執り行われたとみられる。 UFOの構造、稼動原理
さて、この節の解釈はど原文対訳が忠実にできた個所はない。神名の意味は対訳と照合すれば意味が把めるはずである。だが、重要な留意事項を次に掲げておこう。
ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマは、たくさんに分極した曲玉が円筒ないし球内に収まった多極巴えの外観をしたもので、これがパワーを発生させる中心動力(エンジン)になっているという意味である。
ここまでで装置の部材からハードウェアまでを具体的にしているわけであるが、その次は運行に併うソフトウェア的な説明となる。「フトダマ」、「フトノリト」、「フトミテグラ」の「フト」とは、電子機械や電気そのものと解せ、それぞれ、機械船、メカ的司令手順、メカの充満した部屋(電子制御室)を示すと考えられる。 また、「アメノタヂカラヲの神…天の岩戸にうけふせて」の部分は、まさに空飛ぷ円盤の稼動状態を示すのであるが、何やら、アダムスキーが金星人から示されたという「アダムスキー文字」の説明をするかのように思えた。(図2・5参照)
眼型のまわりの種々の草文字は、「八百萬の神」として対訳中では宇宙人と訳したが、次元飛躍現象を生起するために用いられる物理法則と解した方が望ましいかも知れない。とにかく、図2・5、図2・6は宇宙機の動作原理を説明したものと捉えられる。
穀物の種
遺産を持ち越した者にまつわる伝承
俣大蛇(やまたのおろち) 火山活動を鎮静させた偉業と安定基盤造りの時代
お馴染みの話なので、物語の内容は詳しくしないが、指導的立場の神と恩恵を受けるべき人が地上にともに居た時代のことを語っているとみられる。 前段までの話のスケールからしても、これは決して出雲地方のタタラの民征服の歴史などを語っているのではない。 つまり、ここでは、かつての大変災の余波である地殻変動、火山活動激化が大蛇の乱暴で示され、それを守護精神をようやく発揮したスサノヲ神が、ある方法によって平らげた事績を語っているのである。
時折話題になる日本のピラミッドはこの一環で作られており、後の古墳なども多少の意趣を残しているのである。
地殻変動抑制システムを設置した時代の話
火山の猛威による良質の土地の減少 暴虐な行為を行った結果、天上界を追放されたスサノヲは地上圏に降りてくると、守護者の性格をあらわして大地の工作者となり、民族の英雄となる。彼はまず地上(出雲の国)に流れ込む理念(ひ)の河の上流に何事かがあることを知る。 河の流れが理念の天下る流路にみたてられている。流れてくる「箸」は「橋」でもあり、理念の原型が現実のものとなる前段階の兆候とか前兆という意味のことである。 スサノヲが上流に赴くと、そこには苦悩する人類の集合意識(泣く老夫老女およぴ童女)があった。わけをたずねると「八俣の大蛇」という怪物が来て毎年のように娘を喰っていき、今またその時が来たので悲しんでいるのだという。このため、彼は天から降りてきた者であることを明かして、怪物退治の一計を案じてやることになる。 「八俣の大蛇」とは、目が赤く輝き(赤輝地:あかかがち)、身一つに多くの山河を被り、腹からはたえず血が流れていた、と形容されるように、多くの火山を抱える火山帯の象徴である。(図2.9)
これに対し、娘の「櫛名田姫」は「奇し、稲田」(書紀)で、良質の耕作に適した土地のことである。 それまでに多くの娘が食われたというのは、火山活動の猛威により良質の土地が多く火山灰や溶岩土の下に埋没したことを示しているのである。無機質かつ酸性土である火山灰土では農地として不適であることは言うまでもない。 このような事態を哀れに思った守護者(ここでは天降した地球外知性であろう)が救助するのだがその方法は超現実的なものであった。信じ難いかも知れないが、この解釈により古代の遺物や宗教思想の謎が氷解してくるのである。
火山活動を鎮めるシステムの創り方 宇宙から釆た知識者は、ある種の火山活動を鎮静する具体的な方法を地上の人々に教えてやる。 それは、「汝等、ヤシホリの酒を・・・盛りて待たさね」に語られている。ヤシホリは「八締火離」と分解でき、(火山エネルギーを)多くの部分で仕切って火勢を和らげる方法。 この部分の意味は、「お前達、火山帯の活動を鎮めようと思うなら、垣根を張りめぐらし、その垣根にたくさんの門(かど(角こを設け、その門ごとに供物台を組み、その上に酒船(逆船)を置いて、ヤシホリの仕組みを仕掛けて待っていればよろしい」ということになる。 そこで足名椎たちはその通りにして待っていたら、確かにオロチはやって来て、酒船に頭をつっ込んで酒を飲み、酔っ払って寝てしまった。 この後、スサノヲが大蛇を切り殺し、体内からツムハの大刀をとり出すが、ここにも重要な意味がある。ツムハは「摘む歯」で去勢の意、この別名クサナギは「隠騒凪」で隠れた暴動の鎮圧の意、さらに別名ムラクモは、次のように火山鎮静の原理を如実に示す。 つまり、雲塊の群らがる様子のことなのであるが、古代の「雲」という言葉にはただならぬ意味がある。クモのモは、形をとる基になる要素のことで、今様に言えばエネルギーのこと、これに具体を意味する「ノ」がつくと物体(もの)を示すと同様に、潜在を意味する「ク」がつくと不可見のエネルギーを示すものとなる。(ちなみに古事記では、空中に水滴によってできる雲を「アメシルカルミヅ」と呼びその成因を明らかにして使い分けている) 古事記に影響を与えていると思われるゾロアスター教では、これをメーノーグ相にある不可見な物質状態として、形を併うゲーティーグ的なものとは区別している。これは非物質というのではないが、可見な物質状態よりもより繊細であるために不可見な、いわゆる霊質とか「気」を意味するという。
また、大蛇(火山活動)を切り殺す筋書は先程のヤシホリの説明を再びくり返している。このことから、スサノヲが造らせた仕組みそのものが大蛇退治を直接おこなうためのものと考えることができる。
まとめると、火山活動鎮静の原理は、「地エネルギーを細断して無形のエネルギーの群塊にして取り出す」ということになる。
その仕組みが具体的にどのようなものであるかは、言葉を丹念に見ていけば分る。加えて、実物が存在していれば分り易いことはない。 筆者は、これより前に日本列島上におびただしく存在する規則的な不可視のライン群を発見している。これは、古来より信仰を集めた神体山、神社、巨石モニュメント、古来から残る特別な地名、門前町的都市などを結んで得られるもので、特に出雲地方を中心に調べたためか、この辺りに密度が高いように思った。(図2・10)
このライン群に関する意義は後程述べることになるが、このライン群と前述の「垣根」とが同じものを意味するのではないかと思うのである。 「酒船」は「逆船」でありちょうど船を逆さにしたような秀麗な山のことであり、古来より信仰の篤かった神体山は汎そ「逆船型」である。 神体山には後世になって対置するように神社や仏閣が造られたが、もとはといえば「サズキ」たる神体山を介して高みにおわす神を祭るというものであった。それが形式化と「みたて」の後退によって、社殿式へと遷移したのである。だが基準となる法則は、余程後世のものでない限り、遵守されていると考えられる。 また「門」というのは、「角」であり、線描の交差点のことではないか。それも形の良い直角というのが本当であろう。つまり、「垣根」も「門」も、このライン群の外観を大局的にあらわしたものというわけだ。スサノヲが提示した火山鎮静システムの設計図面の特徴を身近な言葉に言い直したものと理解できるのである。
図2・10はそのうちのごく一部分にしろ言い表わせていると思われる。だが実物はもっと計算し尽くされた精致かつ細密なものであろうし、「出雲」自体西日本の地域にとどまらぬ世界のことを述べたものであるから、全貌を把むことなど途方もないことである。
このライン群に関する重大発見は、次の六点であるが、これを応用して引ける多数の平行なラインにもやはり重大な符合が見出せる。 一、大和の南北のライン山上には、名所旧跡が、ちょうど緯度十分の等間隔で並ぶ。 二、その地点から東西に引いたラインに太陽の道と言われた北緯342’を含む(6)から(14)がある。中でも(6)は出雲、大山、元伊勢など神体山や神社の集中したラインである。 三、九州斜断のライン(2)は(1)と類似パターンのうえ、地名が等間隔である。(図2・11参照)
四、ライン(2)および ニニギの命が筑紫の日向の高千穂の霊峰に降臨したときの言葉、「此地は韓国に向ひ笠紗の御前にま来通りて、朝日の直射す・・・」に韓国、日向、笠紗の三地点が示され、前後併せると筑紫(福岡)、高千穂もこのライン上の拠点となっている。そればかりか、筑紫-日向と日向-笠紗が日向で直交して等距離となっているのである。(図2・12参照) ここで「ま来通り」が直交を意味し、(「巻き」か「真切」か「曲ぎ」) 五、「ま来通り」を応用して、ライン(2)と志賀島で直交するライン(3)は穂志倭人伝の地名、恰土(伊都)、松浦(末廬)、そして、須佐の男系の祭社、宗像、出雲を通り、山陰の海岸線を奇麗になでて、東北方へは十和田湖南の環状列石付近にまで至っている。同時にこれは大和朝廷が征服を 六、ライン(2)上の志賀-高千穂の線分を7対6の比でとった日向神で(2)と直交する(4)は「神武天皇の東征」で示される地名を通り、同時にやや小さめの直角二等辺三角形を形成する。(図2・12参照)そこには、東征に関する「計画の高千穂」、「起点の日向(神)」、「筑紫」、そし これらは、決して偶然のものではなく、航空写真でも用意しなければ分らない程の地点の設定をやってのけているのである。通常の測量術でも、山岳の多いこの地方でこのスケールで距離を出そうとするのは無理と言ってもいい。ちなみに、7対6というのは、この緯度帯における緯度一度と経度一度の距離の比であり、ライン(2)の角度もこれに一致している。 その他のラインについても意義を揚げればきりがないはどに重要なものが多い。
ただ、等緯度帯のオリエント地方では、ライン(2)と一致する角度のラインがシユメールの古代都市の並びにはぼ一致している。これは、歴史的に旧い物を尊ぶ考え方が日本民族渡来の時の九州の地理確定に影響したとも考えられる。
大蛇退治の遺構、築山らしい山は西日本の各地にみられる 次に神体山のような山が人工築山なのかどうかという疑問がある。西日本地方は河川の侵食でできた隆起準平原であり、まろやかな山容がもとより在ったとするのが適切かも知れない。筆者が地元から兵庫県の中部を調べてみたところでは、この地方にピラミッド群がおぴただしく存在することが分っている。それだけに、神社の数も多く、過去に都が置かれたとしてもおかしくない風土である。(図2.13参照) 兵庫県氷上郡を中心にして、小高い山波が臨まれるが、この中に意図的に方錘型を目ざしたと思われる陵線の張り出しのある小山が多く含まれている。エジプトやアンデスのものと基本的に異なるのは、もとあった平担な山に手を加えて形を整えたとみられることである。 高さは二十m~二百mはどであり、最多は四十m級である。数は正確には把めないが、県内だけでも百体を下るまいと思われる。 形態は単独であるもの(最も少ない)、山並添いに東西または南北に連なるもの(多い)、大小順に階段状に連なるもの(最も多い)、山嶺をふもとでとりまく格好のもの、元の素材が長円型のためか二段階に構えたらしいものなどがある。(写真1図2・14参照)
ただこれらが本当にピラミッドと呼べるかどうかであるが、サンプリングして調べたところ、地面と陵線のなす角度は、三十五度がほとんどで、側面の表出しているものは、ほぼ東西または南北の方向に沿っていることが分かった。 また、そのうちの階段状の一例に登ってみたところ頂上に方位石とみられる岩の一角が見つかっている。現地の山は杉の植林か自然林で立入り難く、一例に滞まったが、その他のものについても同様であろうと思われる。 角度三十五度が本来のピラミッドの条件に適わないとされるむきもあろうが、エジプトの五十二度は測量の技法に車輪が使われたためとする説もあるわけで、方錘型が重要であるのみならより安定な三十五度の方が地震国日本にとっては、また砂山だけでも事足りる簡易さから言っても、本物であるような気がするのである。 ゆるやかな起伏に富み柔軟な砂岩質のこの地方の山岳は加工し易く目的の形にするには都合が良かったと思われる。この一帯では加工物と非加工物の差がはっきりと分かるので、多くの人が作為性を覚えていることと思う。そして、秀麗な山には多く、神社が対置するように設けられ、古来より神体山であったことを窺わせている。 また、氷上を中心とするマウンド群は既述の南北に引かれるべきラインに沿って帯状に広がっている。(ラインとは言っても厳密なものではなく、或る幅をもった帯域であることに注意) この真南には神戸市垂水区の雌岡山、雄岡山の夫婦マウンドがあり、この帯域への飛行艇の進入灯を思わせるような神体山である。しかもこの地には須佐の男の命が櫛名田姫と連れだって降臨し、土地の人々に農耕を教えたという伝説があり、(写真2)このラインが、より一層大蛇退治と結びつくことがお分かりになるだろう。
また、地名の類似性についてみると、氷上(ひかみ)は日向神(ひうかみ)に相当し、中(なか)は郡河川(福岡)、春日や三和は九州、奈良とも同じである。また、青垣は古事記で三輪山と結びつけられて、山に重点の置かれていたことが分るのである。
さてライン群の関係からすると、このマウンド群の存在は西日本、さらには日本全土に広がっていると思われる。車窓から気付いた個所として、琵琶湖南近江地方にそれらしさを見出している。
火山活動鎮静システムのその後 原文では、スサノヲの命は大蛇退治の後、めでたく櫛名田姫と結婚して出雲の須賀という所に出雲八重垣なる宮殿を造り、その景観を愛でて歌を詠む。 「八雲立つ 出雲八重垣 妻隠みに 八重垣作る その八重垣を」 古事記の歌謡の一番目にあるこの歌は、全文が易しい暗号で成り立っている。それは語られていることの重要さを繰り返し強調すると共に、古事記自体が一連の暗号化文献であることをほのめかしているのである。 「やくもたつ」は「たくさんの雲が立ち登る」の意で、単に枕詞ではない。(雲はもちろん空の雲ではない!) 「出雲八重垣」は、忠実に訳すと「雲を生成する多重の垣根」ということになり、先述の大蛇退治の垣根と無関係ではない。さらに「妻隠みに」が「妻を守るために」の意で、良質の農耕地(櫛名田姫)を保全する意味となるので、かつての垣根と出雲八重垣は同じものを示していることになる。 つまり、この物語は、筋書きを基にしつつも筋書きを超えて、出雲八重垣の存在により、大蛇のスタミナが奪われ八雲として立ち登り、そのおかげで妻が守られているという関係を二回以上繰り返して強調しているのである。 このような角度を少しづつ変えながらおこなう繰り返し強調法は、「身禊」~「天の岩戸」を通じて再生の過程を示したり、「神々の生成・後段」~「黄泉の国」で終末的世界の有様を示したりするのに用いられている。 さて、歌の解釈を通しておこなうと、「大量の不可視なエネルギーを立ち登らせているエネルギー涌出の八重垣は良質の土地を守るために幾重にも垣根をめぐらせて作ったのだ。どんなものだ、八重垣の威力は」となる。ちなみに歌末の「を」は、古典字引きに載らない「力」を示す接尾語である。 結論として、出雲八重垣とはマウンドを基調とした線描であり、客観的に垣根に見えるもののことである。これが地エネルギーを無作用なものに変える大域的なエネルギー変換綱を形成しているというわけである。 要所(門)に置かれた山やマウンドを個別にみれば、エネルギーを変換し、分散する極ということになるが、それは山の名前に顕著に表現されている。三輪山は、「倭青垣の東の山」とされる八重垣の重要拠点であり、別名、御諸山というが、「みわ」は充足するパワーのこと、「みもろ」は相を変転するの意があり、エネルギーコンバーターというわけである。 兵庫県の三室山も同義である。古代人は決して思いつきや勝手気ままでなく、機能するところに応じて適わしい名前を付けているのである。(みわ=満・力、みもろ=身・面・転) こうして、先述のライン群にも、「出雲八重垣」と命名できそうである。また、「出雲の国」とは、エネルギッシュな国ということになり、島根県にとどまらない不特定な大域を示していることがお分りになろう。 出雲八重垣は、大蛇退治をおこなうシステムであり、基盤になるマウンド群が破壊されない限り半永久的に動作し続けるはずのものである。 一つは神体山として祭り、禁忌の場としたことであり、いま一つはそれ自体墳墓化して慰霊の場とし、後世の人々の良識に委ねたのである。 だが現代ではそのようなことも忘れ去られて、かってのスサノヲがしたように、田や畔を壊し、溝を埋めるような行為を繰り返している。それを「より良いことをしているのだろう」と決め込んで黙認した結果、大異変が起こっていることも既に述べた。システムがどこまで持ちこたえるか、心配なことではないか。(写真3)
さて、八重垣システムの製作に関して、スサノヲは計画立案し、製作は主として足名椎手名椎たちにやらせている。だが彼等の関係は、為政者と民のそれではない。 なぜなら、この後にスサノヲは足名椎を召して宮殿の管理人(宮の首)に任命しているからである。つまり、スサノヲは、文明のれい明期に世界の各地に突然人々の前に現われて有用な知識を授けて後を託して立去った賢者に相当し、足名椎たちはそれ以降「みたて」に秀でることになった古代人なのである。 先述の雌岡山のスサノヲ降臨伝説ともこうして符合するわけである。 ところでいま一つ、スサノヲはもはや居ないのかどうかということにも、触れておこう。スサノヲは表向きの支配権を譲ったのであり、彼自身は櫛名田姫すなわち有用な大地と共に居て、システムの効果的な動作をみそなわしているはずなのである。 ずばり言うと、スサノヲは国神かつ地神であるが、ここでは天降した者すなわち宇宙人かも知れない。スサノヲの経歴からすると、かつて地球に居て、宇宙に往き、そして戻ってきたとするのが適切かも知れない。すると、かのイザナギの脱出の時に救済された人々が温情的に戻ってきて啓蒙活動をしたのかも知れないわけだ。
とにかく私達は私達人類だけで地球を牛耳っていると考えるのは大間違いである。私達は未だに大地の管理人(番人)の末えいであるにすぎないことに注意したいものである。
現在でも判別がつくスサノヲの企画、これはその遺構の存在と共に火山活動鎮静が今なお行なわれていることを示すものである。 このシステムの効果、実在牲は、一方で火山活動抑制の効果に加え、もう一方で涌出してくるエネルギーの作用の痕跡を調べることによって分かるだろう。 前者はスサノヲ以前のデーターが無いと比較できないし、後者も不可見であるというのでは手の施しようがないという感がある。だが、いささか気味の悪い話かも知れないが、前者は自然破壊が促進された結果として、近未来に効果の中断としてあらわれてくる可能性がある。 また後者も、従来の科学では説明できないようなところに現象が吐出している可能性がある。 しかし、近頃、山野は宅地造成や海岸埋立ての名目で乱開発を受け、古代智に基づく多くの有用なマウンドが破壊されている。これが原因となり地殻変動期が再来する可能性が増大しているはずである。最近、地震学者により日本の火山帯が活発期に入ったと報告されているのも、決して無関係ではあるまい。 数年前から、有珠、御岳と噴火し、つい一年前には兵庫県北部の神鍋山で地熱上昇による避難騒ぎがあったが、この辺りはシステムの心臓部なのであり、八重垣が衰えをみせている証拠と考えられないか。 次に、不可見なエネルギーによると考えられる現象を揚げると、第一にUFO現象がある。 例えば元伊勢の外宮には節分の夜毎に青白い光塊が立ち登るので、「龍燈の杉」と名けられた神木があり、ここから南の神戸市の丹生山には、瀬戸内海をゆく船が暗夜で航路を見失ったときに丹生明神に祈ると灯明をともすと言い伝える「灯明杉」なる神木があった。これらは、システムのラインに沿って起るエネルギー放出によるものだろう。それも地震の場合に似た周期性を伝承のうちに伺い知ることができる。地エネルギーとしての元の性質を端的にあらわしているのだ。 また、地震の予兆として起ることのある山の発光現象や稲光りなども同様の理由であろう。 地の歪エネルギー=システム変換エネルギー(無形)+地震・火山エネルギー このエネルギーは、最もオーソドックスな電磁エネルギーに変化し易いのである。 また、放出エネルギーは、ライヒのいうオルゴンやヨガでいうプラナと同じものかも知れない。 また、日本上空の雲の出来具合いが図2・10のラインに平行した格好になり易いことが「ひまわり」の高空写真を調べると分る。図2・15右は冬に多いパターンであり、季節風の吹き出しによるとされているが、天気図の等圧線との関係がほとんど無いから奇妙である。
また、オルゴンも、プラナも生命体に有用であり、特に意思力に反応してその実現を助ける役割をもつと言われている。これを肯定するように、垣根の節目には神社、霊峰、都市などがある。 神懸りのし易さ、超能力開発、精神修養のために有用な霊気が豊富であることから神社造営の地が選ばれ、修験者の行場となったのではないか。また、動植物の生育の良さや思考活動のし易さ、ひいては住み易さのゆえに人々が本能的に集まり、都市を形成するに至ったとも考えられる。 ところで、古代人はこれ程のエネルギーを利用しなかったであろうか。 巨石建造物は巨石の組合せにより、マウンド等から放出されるエネルギーを目的に応じて導き、流動せしめる機能を持つと考えられる。石土造のマウンドなどがシステムを担っている以上、同類の巨石碑も何らかの効果を持っていなくてはなるまい。 さて、人工であるか天然であるかは別として、先程(28)のラインに沿ってある恵那峡および上流の苗木城はメガリスである。このラインは、実は地元のUFO研究家によって、UFOの通り路と言われたはどの発光体の出没ラインなのである。 これは、かの三輪山に接続している。筆者の考えでは、これは線上の各拠点がちょうど真空管のカソード、グリッド、プレートのような機能を相補し合い、地表上でのエネルギー的均衡を保ち、この結果、地殻内部をなおも安定にしていると思われる。 それはあたかも針灸により表皮に刺激を与えて、内臓の具合いを良くする方法に似た効果なのではないか。これは、古代人の利用というよりは地球的規模の大目的利用であるが、似たような方法が農耕のために用意されていたようである。 西日本各地から大量に出土している銅鐸は、巨石と同様に補助的役割を果していたと考えられる。土地は外観的に同じでも場所によって耕作に適不適のあること(イヤシロチとケガレチ)は知られている。この原因はこのシステムのもたらす波状的なエネルギー過不足により、その局地的是正に用いられていたのが銅鐸、鋼剣などでありはしなかったか。 こうすれば銅器がなぜ土中に埋められる筋合いのものであったか、その謎の一半は解明できるものと思う。もしそうなら、銅鐸は掘り出したままにせず、元あった場所に埋めておくのが本当であろう。 まだまだ、我々の知らないエネルギー理論はあるに違いない。古代人は石土造建造物に感覚以上のものを見出していたことは確かであり、さもなくば世界各地に残されたマウンドやメガリスに対して情熱をかけた古代人の努力が何の意味もなさないばかりか、永久的に未知の扉に閉ざされてしまうだろう。 古代人は共通して「みたて」の民族であった。しかし、「みたて」の基になった知識あるいは超感覚は本物であったと思うのである。
無形なエネルギーは有形な資源へと変換されれば、地球が保証する無尽蔵なものとなりうるが、我々の科学がその域に達することはまだまだ難かしいと言わねばならない。
ところでその後このマウンド造営を物語る証拠が、NHK総合TVの「知られざる古代」という番組で放送された。主題は古代山域として採り上げられた西日本に散在するマウンドのことである。 それらはいづれも山の頂上付近に神籠石(こうごいし)なる摩かれた石材を列石に組み、その上に土を盛って、これを隠すという(図2・16)いわゆる版築という方法で土塁が築かれていて、山の名も、鬼の城(きのじょう)とか石城山(いわきさん)とか「キ」という音を含む特徴をもつとい またこれらの山は古来より信仰を集めた磐座を頂上にいただく神体山であったことも知られている。 また、山名に「キ」のつく理由は、「サズキ」が「捧げる城」(授城)を意味することからきているようである。 ところで、筆者は、この例として岡山県総社市にある「鬼ノ城」に行き、いま一つ異なった発見をした。 筆者の考えでは、「鬼ノ域」の構造は、土台をなす三メートル以上の巨石が土中深く塁々として築かれていて、その上に土砂が盛られ、なおも一メートル以下の小さな石が石組みとして山項をとりまくような格好で築かれ、なおもそれに砂がかぷせられたという感がした。つまり、時間とスケールを異として二世代のものが同居しているという具合いなのである。(図2・17)
これと良く似た例で、小岩の方が無いものを、中部地方、恵那峡上流にある苗木城(なえき)にみることができる。 ここも「キ」が付く名であるが、戦国時代に地の利を生かして山城として利用されていたという記録はあっても、古代山城が最初ではないようだ。 そもそも苗木域の場合の大岩は、直径四~五メートルもある巨岩であり、運搬できる筋合いのものではない。これこそ、スサノヲが為した功業というべきではなかろうか。 また、苗木城がもと神体山であったことは、この真北にある丸山神社が物語っている。境内には蛙や恐竜を型どった奇岩がみられる異様な辺つ磐座をかもしている。(ゾ教との関係もある⇒ このような、巨石組みの山は、日本の随所に存在すると思われる。これに対し、小岩組みは民族の伝搬に併う後世のものだから、西日本に限られると考えても良いだろう。 また、いま一つ、スサノヲの言葉は、小岩群にも生きているのである。巨石群でみた言葉の意味づけと小岩群のそれの関係は図2・18のように示せる。
これは一種の縮図化現象である。「垣」を石垣としたなら、「サズキ」に相当するものも現地に存在していて、山頂に向けて設置されている。「酒船」もかつてその上に置かれていたものかも知れない。 だがこれは後世のものであり、周りにはそれより以前のものが土台を形成しているのであり、時間的に大きく二段階にくびれさせて、相似形に縮図化されているのである。(それがなおも後世には神道で用いられる木で結った「サズキ」へと転進している) それはまるでギリシャ神話でいえば、チターン時代から現時代に移った同一思想のものをスケールを縮めて重ねているといった具合いである。我々の時代の古代は、より古代のスケールの巨大さに圧倒されて縮図化してしまっているのである。 ここに次表のような世代的変遷をみるのである。
地球的規模の大改造
事業 ブルース・キャシーによると、不可視なエネルギー綱がある種の数学式に従って地球上をとりまいているという。披は、ヨーロッパのメガリスや、バミューダの謎の海域の位置などがこの計算によって割出せるといい、UFOの出現が綱の交点に集中することから、UFOのエネルギー補給網の可能性を説いている。筆者はその計算式が未だによく分らないが、もしかしたら、例のライン群との一致が見出せるに違いないと思っている。そればかりでなく、八重垣の設計原図により近いものが期待できるだろう。 古事記に書かれる限りでは、出雲八重垣なるエネルギー網は、地殻のエネルギーを柔らげるべく、須佐の男に象徴される宇宙人乃至は賢者が企画し、足名椎手名椎という優れた造成プロジェクトチームを古代人の間で組織して、八耳なるたくさんのマウンドを築いたというのである。西日本各地に残る「鬼の塚造り」伝説は、この事実が素材になっているとみられる。 「八俣の大蛇」の段は、続く「須佐之男命の系譜」の段以降の、人類(大国主命)への大地の管理権の委譲へと繋がっていく。 そして、大国主命に示される農耕人類の時代となる。
須佐の男の命の系譜
須佐の男の命の系譜は原文、対訳ともに省略する。この節では須佐の男の大地の工作者としての後嗣を継いで、治山、潅漑、農耕に関した表現がおこなわれている。しかし、その表現は、意味不明なものが多く、他書を参考にすべきものもある。また分るものについては、スサノヲの系譜らしく、スケールの大きなものとなった。事業のジャンル別に次に解釈を施してみる。
(治山) (潅漑)
日河姫 川の水が干上っている様子を示す。 深淵のミヅヤレハナの神 深く水をたたえ、必要な時に放水する漕漑池すなわちダムである。 (農耕) 超古代の志を縮図化した銅器
鋼は古来より、物事を映す鏡と考えられた。銅鏡は、物の実像を映すものと、物の精神(理念)を映すものがあり、主として、後者の役割が大であった。
[大国主の命に関する物語]
前節のスサノヲの系譜のうち最後に登場する大国主の命に関する物語がここから始まる。大国主の命は、スサノヲの築いた偉業を引継ぎ農業を主軸として地上を支配していく新しい民族のことである。かつての大変災で人類は新規巻き直しをはからねばならなかった。今にいう旧石器時代をからくも演出していた人々の前に、かつてあった知識のいく分かをもたらす賢者があらわれ、風俗を正し、秩序を与え、農業の仕方を教えた。それを忠実に守ったのが後の大国主となる民族である。彼等は他部族との闘争や、当時活発であった火山活動に苦労してとても伸長できない状態であったが、賢者や宇宙の知性が援助に訪れ火山鎮静の方法を教え、出雲八重垣を作らせた。これにより安定した基盤が保証され、また戦闘手段も確立し、こうして他の民族を撃ち払い征服し、大地の支配者と言われるに至ったのである。それは実に長い期間存続した。その間に国家の存続が危くなるつど宇宙から援助がさしのべられたからである。
この歴史的事実は今から一万一千年前~四千年前の出来事であると考えられる。(縮図化は紀元前数世紀から紀元二世紀頃にかけての日本史上の弥生時代にみられる) (ホピや古事記の語る、人類のこの時代への出現から、世界への拡散、そして拠点した先々での国造り。その頃の清い志に感応して援助を差し伸べた賢者や宇宙の知性のいたことなどが語られる。その国の統治のあり方は霊的文明(奥つ火)と物質文明(辺つ火)の好バランスにより成り立ち、知恵の統治(ひしり、そほり)が行われていた。異界の科学(くまのくすび)を知り、生命科学の応用(いくつひこね)を果していた。それゆえ非常に長い期間の繁栄がありえたはずである。その歴史がなぜ出てこないか。理由は、何者かの命により、その優れた時代のあったことは、それ以後の時代に生きる者に、知らしめてはならないとして、隠蔽されたからなのだ。命に従い、過去の知識は神官層の秘匿するところとなり、彼らの系統をエージェントとする歴史支配は今なお続いている。名残は、ただわずかにエジプトやシュメールなどにおける遺物にそのよすがを見ることができるが、場違いな遺物(オーパーツ)と呼び、一顧だにしないのが今の文明人の作法になっている。だが、人はみなレベルを落とされて在りと知らなくてはならない)
因幡の白兎 農耕民族の台頭
この物語はおなじみであり、原文、対訳、語訳を省略する。大国主の命には兄神が多く居たが、みな土地を大国主に譲っている。これは、農耕を始めたのが特定の部族だけで、外辺部族は個別に共同体を営む狩猟民であったことを示す。そして、これらをやがて統一するのが農耕民族であったというわけである。
兄神たちは、大国主を従僕として扱うが、大人しい農耕部族であればそれも仕方がない。やがて時が進めば、今度は迫害に変わってくるのであるが、それは大国主の力が増大したからと言えよう。 兎は地質の象徴である。当初、土地(兎)は火山など(鰐)によって痛められていた。そこに海水の侵入等があってそれが去った後には岩塩が吹出したりしていた。それが八十神に欺された兎で示されている。そこで、大国主は「蒲の花紛を敷く」に語られる有機的な土質改良方法を施したという過程が示されている。 「いなば」は「稲場」であり水田地帯のことである。また、「八上姫」は、多くの部族の頭という意味で、多数の部族が支配権を争ったことを示している。そしてその頭の位を得たのは、最終的に大国主であった。
きさ貝姫とうむ貝姫
農業を主体にする民族は同じ土地に定着し、やがて都市をつくり繁栄する。これに対し、狩猟民は定地をもたず、強力な共同体を作り難く、勢力的に劣勢に立たされる。このようにして、農耕民族が文明の主導権を握っていったことが前節には語られていた。この節は、それを受けて農耕民族を襲った幾多の試練について語る。
---原文・・・きさ貝姫とうむ貝姫--- 農耕民族にふりかかった試練 「きさ貝」は「消・去・隠・火」、「うむ貝」は「生む陪火」で、農耕民族や農地の崩壊と再生窒息味している。民族は他民族〈八十神)との抗争で生滅をくり返し、また農地は火山の猛威に破壊され、再び築き直されたわけである。こうして幾度となく民族と土地の世代文替がなされたことを示す。
根の堅州国
農耕民族への八重垣システム運用法の伝授
八十神の大国主に対する迫害が繰り返されて、彼の死と再生が繰り返される。御祖の神は、終いには大国主が滅ばされてしまうことを按じて、大国主にスサノヲの許に行くよう勧める。彼はその通りにして行ってみると、スサノヲの娘・スセリ姫が応待し、スサノヲに報告する。スサノヲは彼を蛇の部屋やムカデの部屋に入れて彼を試練する。彼を慕うスセリ姫は試練を難なく済ますことができるように、蛇のひれやムカデのひれを授ける。彼は、蛇などが害しようとすればそれを振って追い払い、無事難関をパスする。
その後もスサノヲは彼を焼き撃ちにかけたり、頭に巣喰うムカデを取らせようとした。だが、ネズミが安全なほら穴を教えたので焼き打ちを免れ、スセリ姫の策でムカデ取りを赤土の色でごまかしてすっかりスサノヲを信用させることに成功した。寝入ったすきに、大国主はスサノヲの髪を部屋の柱や巨石にゆわえつけ、大神の所持する大刀弓矢などを奪って、スセリ姫と共に逃げていく。気がついたスサノヲは黄泉津比良坂(根の堅州国と現世の接点)まで追いかけるが、はるか遠くをすでに大国主は走っている。そこでかつてイザナギ、イザナミがやったように事戸を大声で大国主に言い渡す。その内容は、「大刀や弓矢で八十神を撃退し、大国主の神(国土の支配者)としてスセリ姫を正妻にし、自分にかわって宮殿を建てて国土経営をおこなうがいい」というものであった。(時代の接点を境にした理念の世代交替を示しているわけだが、ホピ族がマサウウから新しい土地の管理権を受け継いだ話とよく似ている) こうして、大国主は八十神を打ち払って国土経営を始める。先の八上姫は正妻スセリ姫に遠慮して、生んだ子を木の俣にはさんで帰ってしまった。この子を御井の神という。以上ここまでがこの物語のあら筋である。 この章は八重垣による治山効果が発揮されるようになってから、スサノヲから大国主へと国土の管理権と八重垣システムの効果的運用法の伝授がなされたことを示すだろう。ここでスセリビメとは火勢が収束する意味をもち、出来上った八重垣の一通りの効果が確かめられた頃あいを示していよう。大国主とは、地上の管理者としての権利を得た古代人であり、ギリシャ神話ではクロノスに相当する伝説上の農耕民族である。彼に授けられた運用法とは、「蛇のヒレ」、「ムカデのヒレ」で表現されるもので、「蛇」は既出の火山のこと、「ムカデ」とは火山の断面図のマグマの有様の形容であり、どちらも火山活動のことである。 この中で「ヒレ」とはひらひらする布のことであるが、まるで溶岩をも凍らせる妖怪の芭蕉扇のような働きではないか。おそらく既述した八重垣変換の極め技、エネルギーの発光現象のことではないか。これが盛んになることは、それだけ八重垣のエネルギー変換が能率良く進んでいることを示し、火山の動きも抑えられていることになる。また、マグマをみたてた赤土を用いる呪術的方法も大国主には伝えられたようである。後世の埴輪は赤土に霊力が宿るとして盛んに製作されている。さらに、スサノヲはいくつかの試練を与え、火山活動そのものに古代人が馴染むようにしむけ、引継ぎを果たすという筋書きとなっている。 さて、根の堅州国とは一体どこであろう。黄泉比良坂が出てくるので、黄泉の国と同じという説がある。古代人は確かに両者とも地底にあると考えていた。だがその原型は明らかに異なる。黄泉の国は死者のなおかつ生存する次元的に地下の世界であり、根の堅州国は神の隠れ住む世界である。つまり、根の堅州国こそ、真に地下の世界であり、「ネズミ(根住み)」すなわち地下に住む者が、窮地の大国主を洞窟に導いたことにも表わされているように、地底文明のことであると推測される。スサノヲの住居が、頭にムカデが巣喰うマグマの間にあることなども示されていることも、その理由だ。
マヤ族が一瞬に消えた世界、ラマ教の僧院から通じるという世界、それらは同じ場所ではあるまいか。そこには人類の成りゆきを温情的に見守る聖者の住むシヤンバラ伝説もある。(ホピの主神マサウウは今なお地底に住むとされ、ホピも地上に現れる以前は(前の時代の災禍から避難して)地下に住んでいたとされている。スサノヲと大国主の神話は、ホピの起源神話と酷似していることもある。ネズミが関わる大国主がスサノヲから受けた試練は、鳴り鏑の矢を持参せよというものだった。彼は野にある矢を取りにいったときに、スサノオの野焼きの計略に遭う。逃げ場を失ったときに、地下に住む者が「内はほらほら、外はすぶすぶ(入り口は狭いが中は広い)」と告げて誘い、火が収まった後に矢を取ってスサノヲのもとに持ち帰ったというわけだが、無用の矢羽はネズミの食するところとなったと、落ちさえ付けられているのが古事記。ホピやアメリカインディアンの祭祀に矢羽が用いられるのと関係があるのかも知れないと思ったりする)
大国主の神、大年の神の系譜
この物語については、原文および対訳を省く。「大国主の神の系譜」の後に「少名毘古那の神」、「御諸の山の神」の物語が続き、その後に「大年の神の系譜」が語られるのであるが、この両系譜は農耕文化全盛時代の風俗、技術、栽培作物(あるいは政治)などを示すものであるため一括してとりあげ、系譜で区分して諸神の解釈を施すことにする。
(大国主の命の系譜)
タギリビメ 田切り 耕地の細分 アヂスキタカヒコネ(賀茂) 他地鋤き高ひ捏ね 開拓、開墾 シタテルヒメ 仕立る 耕作の準備 ヵムヤタテヒメ 神屋建て 穀倉、祭社の建設 コトシロヌシ 事知ろ主 祭政宮 トリトリ、トリナルミ 取成る実 収穫 ヒナテリヌカタビチヲイコチニ 額田 水田 クニオシトミ 国推富 肥沃な土地の推進拡大 アシナダカ 葦菜高 潮沼 八河江姫 多くの河川 ツラミカのタケサハヤヂヌミ 達水 水路 ミカヌシヒコ 水主 水源池 ヒナラシヒメ 干平らし 平担地の造成 タヒリキシマミ 平りき島生み 平担地の造成 ヒヒラギのソノハナマヅミ 園花間摘み 園芸栽培(祭祀用草木の) イクタマサキタマ 活玉折き玉 継ぎ木、株分け ミロナミ 水・転・浪 送水の流れ シキヤマヌシ、アオヌマヌオシ 山間部の潅漑池の推進 ヌノオシトミトリナルミ 山野に渡る収穫 ワカヒルメ 昼の恩恵 ヒバラオホシナドミ 日原大品富 多品種の作物地帯 トホツマチネ 長い年月 トホツヤマザキタラシ 長い年月
(大年の神の系譜)
カムイクスビ 神生霊す日 生命に関する霊妙な科学
少名毘古那の神
大国主の時代に地球外知性が訪れ国造りの援助をして去っていったことを語る。
―――――原文 少名毘古那の神―――――
農耕文化時代の宇宙人との連携による国づくり
スサノヲより国造りの手ほどきを受けてから後も、他系世界から協力の手がさしのべられた。
御諸の山の神
この節では、少那毘古の去った後、また別の地球外知性が訪れ、八重垣システムの効果的利用法を再教育し、地上民族だけで独立して国土経営ができるように図らったことを物語るようである。
―――――原文 御諸の山の神――――― 「祭り事」の真義を教えた宇宙人 地球上は厳しい自然環境であるために、知識は容易に風化していくのであろう。再び国土経営に陰りがみえはじめ、宇宙からの援助を待望するようになった時、宇宙から再び使者が来た。それは、かつてスサノヲが築かせた八重垣システムを再認識させるための役割をもった宇宙人であったようである。 既に述べたように、不可見な八重垣エネルギーはUFOのエネルギー補給に伺いられるばかりか、自然界の多くの生命が利用している。その中でも最大のものは人類であり、彼等のもつ意思力によって有効な用いられ方をしなくてはならない。このエネルギーは意思力に感応して容易に異体的力をもつに至る。この宇宙人はそのことを教えるために、自ら御諸の山に鎮座し、システムの動作が祈り(祭ること)によって補完されることを示したのである。
人々が御諸の山に託して鎮護国家や豊穣を祈れば、エネルギーはその具体化を目指して働いていくという訳である。御諸の山は、奈良の三輪山とされているが、既に述べたように三輪山という特定した山ではない。それは津々浦々にある秀麗なマウンド(神体山〉のことである。 この時代は、次から次と宇宙から具体的な援助がもたらされ、良い知識が導入された。それも当時の古代人にとって適わしい農耕を主体にした素朴な知的介入であった。このような形で安定期を迎えた大国王の時代は人類の黄金時代と称されても不足は無いだろう。スサノヲによるマウンド造りが今から一万二千年前、引継いだ大国主の時代が一万二千年前~四千年前と考えられる。
古事記に示される神の恩寵・・・地球環境コントロールシステム
地球上に設置されている生命維持、環境制御のための機構はかなり多彩に登場した。それらははとんどが時代の入れ替え期に起きる地球上の大事変に対処するために用意されていると言っていい。
また、この八重垣エネルギーは理念界の新陳代謝を高める働きもする。このエネルギーは正しい用い方さえすれば、高次元の高みにまでの昇華力を持つ地中の蛇クンダリーニであるからだ。
また「八俣の大蛇」とは必ずしも火山活動や火山帯を示すものだけとは限らない。ちょうど人間が肉体部分と精神(霊)部分の複合体であるように、どのようなものにも精神がある。一説によると、人間をはじめ生物の出す破壊的想念が理念界の低所に「業」として蓄積し、それが地下に沈み火山エネルギーに転化しているという。そればかりか、人々の思考上に投影して破壊的、悪魔的な衝動にかりたてるという。 古来より卵をとりまく蛇のモチーフがあり、暗に世界を示すとされていた。蛇はどの神話でも良くないことをしでかすものに譬えられるが、これが地球をとりまくような格好で存在する業想念帯で、本来の理念が天降ってきてもそれを破壊的な方向に偏極し、生命系の潜在意識を通して破壊的衝動や錯乱、さらには戦争を起こさせ、実験炉のなりゆきを低質なものにしているのだ。とすれば実に問題があるだろう。 蛇は汎ゆるまとまりをみせようとする働きに逆らって、それを熱エントロピーに変化し消耗する摂理のようなものかも知れない。それは業想念帯という精神部分と、火山活動、戦争、破壊といった具体的部分の複合で成っている。そしてそれは、逆の良い方面の環理である生命的組織化の摂理とやはり重合する格好で世界の歴史を形成してきているわけである。 宇宙の法則から熱力学第二法則を外せというのが不可能なように、業的事象を取り去ることは不可能であろう。それでもこの働きを抑制して、バランスよく歴史が運行していくように地球には優れた設備が置かれているという考えができるだろう。 いま一説によると人類が光明化想念をもってすれば、宇宙にはそれを増幅して業想念を対消滅すべく作動する宇宙の知性の築いたシステムがあるという。二章三・(十六)節でも述べたように「威儀を正した祈り」の想念に感受して、具体化する。地球をとりまく物心両界のエネルギー循環系を考え、図3・9に示すことにする。その中で宇宙の知性がもたらした環境浄化システムがどのような働きをしているかを見てもらいたい。
こうしてみると、地球は一個の生命体である。そこには可見と不可見の領域に渡る循環系があり、さながら人体の仕組みを見る思いがする。その中で業的事象は一種の疲労物質であり、この除去のために肝腎に相当する環境浄化システムが日夜活躍しているというわけである。
このような対策が予じめ施してあるからこそ、今の時代の無謀な公害や汚染にも自然は未だ破壊し尽くされず残っていると言えるだろう。自然の浄化作用と我々が思っているものの多くは、実は地上を一つの実験系たらしめている知性の厚情の賜物によるものである。だがそれはどこまでも万全とは言えない。特に次の二つの面で心配されるものがある。 一つは、人類の横暴に基づく汚染の最大のもの。核戦争にでもなれば、決定的なオーバーワークをもたらすだろう。二つは、国つ神族の反乱とも言うべき、自然の猛威の復活である。火山の爆発は水爆に匹敵するはどの大気汚染をもたらす。これは八重垣システムが有効に働く限り大丈夫であろうが、山野の乱開発は明らかにシステムの破壊を引起し、活力を弱らせていないとは言えない。そればかりでなく、システムの機能が効果的に活用されねば地球生命も文明も早い老化をきたすことになるのは人体と同じである。だがこれも活用すべき人類の考え方の問題で効果的活用には程遠い。結局のところ、本当に心せねばならないのは人類なのであり、多くの人が真知に立ち帰り、知識者が一丸になっての大運動が今日下の急務なのである。 古代人は、これらの事実を、体験者、観てきた者、地球外知性などから聞いた伝えなどを着実に守って、彼ら自らその意義を理解していた。神道をはじめ、世界の民族の宗教はこぞって祭祀を教儀の中にとり入れ、自然的な浄化作用を賦活することに心がけてきた。祈れば理念界にその種を播くことになる原理を活用していた。鎮護国家、豊穣、世界の安定、よりよき理念の天降らされんこと等、実に様々な祈り方がありえただろう。それらは全て超科学力を駆使する神への従順と信頼により形成された方法であったことは間違いあるまい。 歴史の表層的流れは、しだいに単なる野望で動く者の手に渡り、価値の転倒が起こったが、過去の貧しくて豊かな人々は、今なお多くの人の中に見受けられる。これは人が本質的に霊であり、かつての記憶を持ち来たしているからと考えられる。このような人々の純粋な結束と新らしい動きこそが陰惨な破局を回避することに繋がると確心されるわけである。
大年の神の系譜がこの後つづくのだが、 すでに大国主命の系譜と並べて対訳して いるので省き、その次の段へと飛ぶ。
[天照らす大御紳と大国主の神]
ここからは宇宙からの介入も侵略的かつ組織的な色彩を帯びてくる。その介入の仕方も非常に巧妙になっているので最も注意を要するところである。原文は長文に及ぶので省き、筋書きの説明を詳細に施していくことにする。
この節から、突然天神系を主体にした歴史のなりゆきの説明になる。まず、天照らす大御神は実り豊かな農耕文化を築いている地上に最勝の全知識の体系を示す御子マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミを降そうとする。ところが、天の浮橋から地上の有様を眺めると、非常に騒がしかったので、降りるわけにはいかなかった。そこで、タカミムスビの神がアマテラスの意向を何とか実現
しようとして、八百萬の神に思ひ金(コンピューター)をまじえて協議して、地上の風俗を柔らげるためにまずアメノホヒの神を平定のために遣わすことにした。 アメノオシホミミとは、既に述べたように「全分野の最高の知識の体系」のことであり、古代世界共通の「知恵の木」でシンポライズされる神聖な知識体系のことである。天の浮橋は、理念の存在する超空間であり、単に宇宙から降りてくるというのではない。これは後程、ニニギの命のところで詳述する。ここまでで重要なのは、地上の生活が荒れていたために所期の最高学問の地上世界確立がすぐには実現できず準備期間が必要となったことを示していることである。 ところが、文明開花の意味をもつアメノホヒ(初火)は大国主の許で帰化してしまった。仕方なく、タカミムスビは再びコンピューターに議って今度ほ天と地の両方の事に精通した宇宙文明の中でも若輩のチーム(アマツタニタマの子アメワカヒコ)にミサイル(アメノハハヤ)などを含む強力な兵器を併わせて送り込むことを決定した。これは恐らくそれまでに地上が啓蒙されて相当な武力を持つに至っていたからであろう。だがこのチームは、大国主の娘シタテルヒメと結婚などをして、地上を自分のものにしようとして、やはり帰化してしまった。ここでシタテルヒメとは、お膳立ての準備段階を示している。 今度は、アマテラスがどうなっているのかを調べるために、やはりコンピューターに議って、キギシナナキメに注告の言葉をそえて送る。だが地上社会も体制が確立しており、様々な逆調査がなされた結果、宇宙文明の直轄支配の意図を察知し、地上政府はこれをミサイル攻撃した。これは、一大戦争の発端である。キギシナナキメの攻撃されたことを知った宇宙文明(タカギの神)は、アメワカヒコの地上勢力に報復攻撃をして禍根を絶ったのである。
懐柔策は裏切り(帰化)によって失敗
既に述べたように、インドの叙事詩ラーマヤーナにはラーマのシータ姫奪回の物語で核弾頭ミサイル使用の描写がある。伝説では、この武器は天空の住民から与えられたものとされている。
大義を生かすために小義を犠牲にする
物語ではこの後、死んだアメワカヒコのために同族の宇宙人達は組織を挙げて喪屋を営み長い間なげき悲しんだが、その葬儀の場に容姿がアメワカヒコに似たアヂシキタカヒコネ(前出のアヂスキタカヒコネとは、「鋤き」と「敷き」の違いのあることに注意。この場合、他・地・征伐を意味する)がやって来たので、家族はまだ彼が生きているものと錯覚する。これにアヂシキタカヒコネは非常に腹を立て、「汚れた死人と一緒にするな」と言って、オホバカリ(大量)という大刀で喪屋を切り伏せてしまった。
(この古事記の解釈の当時、私はまだ天神系理念を好ましいものと捉えていた。それは宇宙文明の移殖計画であり、地球にとって進化すべき階梯を上ることと考えたからだ。2007年(1990年でも)の時点なら、今こそ宇宙文明による強制的な国譲りがなされても良いと思われるのに、その気配もなく、むしろ地球自体が滅亡に瀕していることを見ると、いったい天神系とは何なのかを深く
考えさせてくれることとなった。その結果、得られた最も分かり易い時代が、現代史によって最良のものになると分かったことだった。いや、神話はものごとの定型パターンであって、どんな時間のスパンであっても適用できるのだ。だが、現在までの歴史をあてはめたとき、天神系理念とは、爆発的な文明開化を進行させる高度物質文明と、その利器の数々のこととなり、その理念が現代に降臨して、賑々しい諸相充足完備の世相を現出していると捉えられたのである。 別の角度からの発見もあり、この時代の歴史に神話を当てはめて推敲を重ねた結果として、「古代日本にカバラが来ていた」(著作品)および「古代日本謎の中東思想渡来考」(ホームページ)をアウトプットしたしだいである。 さらに推敲するなら、スサノヲ/スクナビコナ/御諸の山の神の系統が宇宙人なら、天神系の神々も宇宙人ではあるが、別系統ではないかと思ったりする。それほどに同じ系統とするには思想的な違いがあるからだ。良い宇宙人、悪い宇宙人という分類をする人もいるようだが、地球人類に対して純粋に好意的な側と、非好意的かつ策謀的な側という分け方を取りたい。後者は我々からすれば、警戒すべきものとしておかねばならないのに、どうも無頓着か、もしくは恐怖のあまりだろうか信仰までしてしまっている感がある。古代人はそれらすべてを神々として、その性質ともども神話に織り込んで、処すべき考え方の基本に置いていたのにである。 天神系の神々の影響は、現代文明を見れば一目瞭然だ。だが、それは人類をあるシナリオ(人の啓発のためかも知れないが、人類だけでなく地球の滅亡さえも容認する)に誘導している。かつて黎明のオオクニヌシの時代にあった宇宙的叡智はいっさい発揮されていない現代社会。宇宙人が双方の時点に関わるとするなら、その差はあきらかであろう。これを宇宙の一貫した計画の中の方針転換などという奇麗事にすることはとてもできるものではない。宇宙人と言わず、神としても良い。とならば、邪神と正神の少なくとも二つの勢力があると思ったほうが良い。そして実際、私は、縁に導かれるようにして、邪神大掃討作戦を誘起する残された人生を送ってきた。その詳細は世界救済の新神話に記している。多く想像による肉付けだが、啓発にかかる骨子の出来事は事実である)
国譲り
古事記がこの段以降ほど、古い事績の歴史と、降る事(預言)の歴史の両義性を表した段はない。
古い事績の記録と言う観点からすると、地球文明が宇宙からの干渉を受けて、その軍門に下り、以後宇宙文明のために使役される地球文明、それとともに革新的な宇宙的文物の移植流入による利益、こうしたことのあらましが書かれていると見ることができる。 また、降る事(預言)の歴史と見る方法を採って愕然としたのは、日本の現代史を物語るかのような内容になっていたからである。それは後述する。 古い事績・・・宇宙からの侵略を受けた時代のこと
過去の時代。それがどれほど前かは判然としない。だが、シュメールの粘土板には、人類とアヌンナキの神々の関係とその歴史過程が書かれていた。
それによると、人類は当初、地球在来の霊長類と、アヌンナキの遺伝子を掛け合わせて創造されたようである。その目的は、アヌンナキ人の住む星ニビルの大気を維持するために、金を豊富に必要としたことから、その採掘と蒐集のために現地に手下となる奴隷が必要だったというのである。 このために人類をこの地球に下ろしたというのであるが、国譲り神話は神々との戦争を物語るものであるから、人類を下ろす際、地球在来の神々との間で戦いがあったと見るべきだろう。
降る事績・・・日本国敗戦を予言した段
原文対訳は省く。 「国譲り」の段では、国つ神の領土に対する天つ神の征服計画とその実施方法について語られる。まず、神々の作戦会議の中で、イツノヲハバリ(威力ある凍結の意味)に示される糧道、補給路の凍結案が出される。だが、それよりも効果的として、タケミカヅチノヲに天の鳥船を副えて行かせることにした。 そこでタケミカヅチノヲは出雲国のイナサの浜辺で、十ツカの剣を剣先を上にして立てて、その切っ先にあぐらをかいて大国主命を威嚇し、国譲りを迫ったという。だが、この表現すらも異様な光景を想ってみたとき、何か連想するものが必ずあるはずだ。 それは、絶対に「キノコ雲の形状を表わすものである!」と断言できる。建(猛)・雷の示す、強烈な光をもよおす雷の意味合いと、天の鳥船(別名、鳥の石楠船〓空飛ぶ石楠のように堅い船〓飛行機)があいまって、まさに核爆発の光景をイメージさせるに足りている。 そのような歴史を、豊芦原の水穂の国である日本は、どこかで経験しなかっただろうか。半世紀前のこと、B29によって運ばれ、投下された原子爆弾は、十ツカの剣のごとく、上空はるかにキノコ雲を巻き上げ、その被害の甚大さによって日本は終戦を決意したのではなかったか。ならば、タケミカヅチノヲの前にいる大国主命とは皮肉にも天つ神の国を自負した日本ではなかったか。 抵抗に及んだタケミナカタ(猛・水・方)の話も、不沈艦隊を誇った海軍の顛末を語るようであるし、イツノヲハバリ(凍結)による塞き上げも、経済封鎖と石油を断つABCD包囲網や南西諸島の米軍蛙飛び作戦として具体化したとみられる。 国譲りをした? 客観的に見て、国については何も譲っていないではないかと言われる向きもあろう。確かにそう見える。だが、本当にそうなのだろうか。実は、このことさえも預言されているのである。 大国主命は国土を譲渡しはするが、天つ神と同等の宮の甍を賜り、大国主命の側に立つ者(八重事代主)による代理統治を認めるなら、数多ある神も逆らわず、国は丸く治まるだろうと安堵の条件を提示し、その代わりに今後、配下の料理役の神(水戸の神の孫の櫛八玉神)をして、海の珍味を机も撓むほど盛り沢山にして、その煮炊きの煙を天高く上げて料理して、天つ神のために立派な御馳走を献上しましょうと約束させているのである。 この場合、天つ神をアメリカを筆頭とする世界列強と捉えれば、確かに現在の日本の置かれている状況を予見していないだろうか。 その代わり、日本は世界の発展に寄与すべく世界の工場となり、公害や環境破壊、世界の悪評を率先して身に引き受け、優秀な工業製品を大量に世に送り出し、広く国民から収益を吸い上げて、莫大な国際貢献をも行なうに至ったのではなかったか。 八重事代主とは、幾重にも国事、民事を監理し統べる指導者という意味で、ここでは政官界のことに違いなく、水戸の神の孫という櫛八玉神は、櫛のように多分岐した先に付いた沢山の玉の意であるが、ここではトリー構造にまとめられる産業界、経済界を示していよう。また、二章で述べたように、水戸とは港であり、産業界が貿易によって発展することまで語られているとみてよい。 古事記の予見は、大味ではあるが、正確かつ包み隠すことのないストレートなものである。すると、ここでまた陰謀幻想を催してしまいそうになる。どうして対米外交が、言いなり追随になってしまうのか、不思議に思ったものだが、国譲りが暗黙のうちに出来上がっているからなのであろう。 ふりかえれば、日本政府は巧妙に国民を納得させ、この計画に従わせているようにみうけられる。豊かさという幻想が誘った経済成長、誘導された高地価、高物価、極端な内外価格差、その釣り上がった土壌から否応なく吸い上げる税収、その一方で、効果のチェック機能のない大盤振舞の無償援助や借款、知恵のない高借金国への貸付と被る為替差損等々の垂れ流し的状況、自然の成り行きとするには出来過ぎの感があり、貢ぎ物を献ずる政策の一環と捉えたほうが理解し易い。 日本の国家安全保障機能の欠如は、戦後占領軍のレール引きによることは紛れもない。議会政治自体、国民不在化制度だった印象を与えずにおかないし、外交下手、金権腐敗、次元の低い長期政治不在などの事態が、国民に政治への諦めを持たせるための演出だったかという観測を惹起しないわけにはいかない。 歴史上に、国譲りに伴う取引の経緯が出てこないなら、何らかの密約が存在するのか? いや、何の証拠もないのだ。そしてまた、預言とは歴史の止むを得ぬ流れを前以て語るものであるから、故意性がなくとも、そのように展開してしまうものなのだ。政治家も個々としては一生懸命だろうが、数が多ければ身動きとれぬことばかりに違いなく、結局衆愚政治となって、成り行きはつまるところ預言どおりに落ち着いてしまうというわけなのだろう。 さらに大きな未来展望の可能性
降る事の事績(預言)も、時代の大きなスパンに関わることになれば、もっとスケールの大きな展開となって現れるかもしれない。 それはまさに天津神の降臨として認識されるのではあるまいか。ガイドは先んじて出されるものであるからだ。 私は個人的に、この宇宙の外からの(三千世界からの)介入と解放を新神話として願いを籠めて書いている。それほど私にとっては、この宇宙は失望に値する。
天孫降臨
「国譲り」後の栄光の時代にはどのような事物が登場してきたものか、古事記には、どう預言されていたのであろう。続く「天降」の段で天降してくる神名、神器名を表に掲げるので、御覧頂きたい。
オモヒガネは山田久延彦氏の所説どおり、コンピューター(ハードウェア)のこと。それを つまり、古事記は紛れもなく現代日本を見透した神の計画書であったのだ。むろんこれらの事の起こる時代は、吉凶正反混淆かつ素晴らしく魅惑的な(完成状態「7」に至る)究極の成就の時代として、古事記全体の筋書きの中では、最高の賛辞を以て取り上げられているのである。
猿女の君
「天降」の段で、天降しようとした天つ神たちの行く手を阻んだ天と地の中間神がいた。サルタヒコ神である。彼は妨害しようとして出てきたのだったが、天つ神アメノウズメの器量に圧倒されて、道案内に来たのだと言い負けてしまう。こうして順調に天降が果たされた後、この段の話となる。 サルタは「去る・田」で、縄張りした土地(田)をなくす者という意味で、土地資源の所有を認めない社会共産主義国家、ソビエトであったと解される。日本は戦後、最初のうちにこの干渉を免れた。 そしてこの段では、サルタヒコは道案内のお役目終了ということで、ヒラブ貝(平ぶ〓選定)に手を食い合わされて海で溺れる形で死に、ウズメに葬送されることとなる。 ウズメは、ここでは天つ神の体制(資本主義、帝国主義)の強力な推進エネルギーの象徴であるが、これに圧倒される形で、ソ連はじめ社会主義体制は崩壊してしまった。
木の花の咲くや姫
この段のあらすじはこうだ。 ニニギの命は、「木の花の咲くや姫」に出会い、求婚 つまり、華美だけを取り、堅実を取らぬ発展は、長続きしないということを掛けて示しているのである。 さて、娶られた「木の花の咲くや姫」は、たった一晩で子供を妊み産気づいてしまった。それをニニギは、短時間に妊んだ子とは不義の子であり、天神の子ではないのではないかとの疑いを持ち、火をかけて燃焼下で産ませて真贋を占おうとする。 これも非常に暗示的な話であり、短時間に作ってしまえる子供とは、急発展する現代文明を示していると言える。 この時生まれた神々、ホデリ(火の勢い良い燃焼)、ホスセリ(火勢の衰え)、ホオリ(鎮火)の三神に掛けて何を表そうとしているか、現在の日本の状態を考えればおよそ見当がつかないだろうか。「火」は現文明の象徴であり、高度経済成長、科学技術の急速な進歩、華美な物質文化の謳歌、これらが勢いをなくし、ついに逼塞する時が来ると解釈されるのだ。 だから、今の高度物質文明社会に、あまり惚れ込まないことをお薦めしたい。鳥瞰すれば、今の人類の営みは、自然界のルールに則らない、自分たちだけでしているゲームの世界にすぎないと言える。 何かに突き動かされて、お金稼ぎに狂奔するあなた。昼も夜も満足に休めないあなた。わずかな所有のゆえに死ぬまで働き続けねばならぬあなた、黙示録も獣によって印を受けた偶像崇拝者たちは火と硫黄の燃える池で責め苛まれ、昼も夜も休みがないと言っている。
海幸と山幸
ここでは、文明逼塞の具体的な原因が示されているようである。 これは、今にいう過去の負債(対日貿易赤字など)を逆ネタに、株や通貨の相場(水位)操作、経済制裁が、指向性ある強大な資本力や、水を得た政治力によってなされ、海洋国日本が打撃を受けることを物語っていると解釈される。このことは現在進行中のことであり、一時「ホオリ」の状態にあったアメリカが逆転して力を取り戻しつつある。(記載は1994年以前の情報による。今では、激しい為替の変化による莫大な損失の後、ヘッジファンドを初めとする巨大マネーが指向性を強めて我が国を標的にしている) 彼らは既に世界の金融を手中にし、巨大な資本を自由に操り得るという。穀物と石油の生産流通機構を握り、食料とエネルギーをほぼ支配するらしい。また、強大な政治力、軍事力のアメリカを背景に、世界各国に異議を唱えさせない世界戦略を発動するという。結局、孤立を深めるのは政治、経済などの分野で彼らのスムーズな進出を拒む北朝鮮や日本のような頑なな国ばかりとなる。 いずれ情報も支配され、監理された情報が世界に提供されるようになれば、神話ではあたかも山幸の方が善玉のように語り継がれるが、それと同様、海幸日本はその巧みな情報戦略で衆議一致の悪玉となってしまいかねない。 そして、資金力に物を言わせた為替相場操作、スーパー301条などの経済制裁、米政府高官の発言シグナルなどは、大小こそあれすべて潮満つ潮干るの玉なのだ。このために、海幸は山幸に頭が上がらず、山幸の昼夜の守り人となってしまうというのが預言とすれば、実際の歴史はどのような展開をしていくのだろうか。 だが、もしこの手の「水位」操作が過激になされた場合には、緩徐な古事記の域を超えて、急激な黙示録にいう大いなる都市バビロン崩壊の序曲ともなりかねない。例えば、一日百兆円にも上る為替相場への投機資金にひとたび指向性が与えられたなら、各国の協調介入や高官発言ごときが寄ってたかったとしても、ひとたまりもない。危ない話はごまんとあるが、それを今は世界の良識がまだしも支え
豊玉姫の命
この段は、山幸の妻となった海神の娘、豊玉姫の出産話である。天つ神の子ゆえ海原で産むべきでないとして、渚に出てきて鵜の羽で産屋を作ろうとしたが、作り終えない間に産気づいてしまう。この時、夫神に、お産の時は元の姿になるので絶対に見ないで欲しいと言うのを、山幸は覗き見て、八尋鰐が這っている有様に驚いて逃げ出してしまい、それを痛く恥じた姫は海坂(海道と地上道の境界)を封じて海に帰ってしまう。 前半の話は、イザナギが黄泉の国のイザナミに国造りが未完成(〓産屋が未完成)なので戻るよう要請した経緯にどこか似ている。また、後半は、イザナミの制止にもかかわらず、どろどろの醜態を覗き見てイザナギが逃げ出す話に似ている。
鵜葺草葺合へずの命
前段で生まれたのが鵜葺草葺合へずの命であるが、この神と玉依姫との間に、五瀬の命、稲氷の命、御毛沼の命、若御毛沼の命(神武天皇)が生まれる。このうち、御毛沼の命が常夜の国(宇宙)、稲氷の命が海原、残る二神が陸上で、続く中つ巻に繋がっていくように設定されている。 ここで、陸、海、空に持ち分けての支配構図を示したともとれる形で終わっているわけだが、これもイザナギ神の身禊で生まれた三貴子の支配構図の説明によく似ている。つまり、次の新時代の初期状態を説明した形で、上つ巻は終結しているとみられるのである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この最後の二段の話は、ちょうど連続する「黄泉の国」から「身禊」にかけての話に似て、その簡略化(軽減)された筋書きの感がある。つまり、この位置に前話を繰り返し置きたかったのではないかと思われるふしがあり、もしそうならば(過去よりさほどひどくない)最終戦争があり、元の黙阿弥になった世界が、我々の歴史の先に預言されていることになろうか。つまり、大過去がそうであった
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