大輪の花を一輪ずつ咲かせましょう

31. 新時代には、誰でもがダイハードを経験することになる
中陰(バルド)の世界が消滅しつつあるという。この世で人が死んだら、霊界に旅立つ準備の摂理であるところの中陰という、この世の荷を下ろし霊界になじむための、ちょうど減圧室に入るような課程が設けられていたわけだが、新時代においてはまず、それがなくなることになる。
ではどうなるのか。人々はこの世を去ったら(死んだら)、いきなり霊界に転生することになる。何らかのショックが生じるのではないかと思われるかもしれないが、それはほとんどない。考慮しなくていい。
霊界は各自の思いの反映である。そこにこの世のような自由度の低い性質を認めればそのような世界として現出する。つまり、この世の延長として生きることも可能になるわけだ。
では、どのような転移の仕方をするのだろう。
新時代は正神による統治がなされるために、あらゆることがソフトにやさしくなされるのが特長だ。すなわち、黄金時代、黄金楽土となる所以はそこにある。
今でも人々は覚醒と眠りの日々を繰り返している。眠りの時間の多くで夢を見るようになっている。記憶に残りにくいのが夢の性質というのも、夢体験の記憶域と覚醒時の記憶域が異なるからだ。
夢の中で行われることは、けっこう殺伐としたことや、死に関するものや、感情の起伏の激しいものが多い。
それを心理学では、潜在意識は規律や倫理や法などの理性を超えて動くというふうに捉える。そうやって、覚醒時に理性で抑えているために果たされぬ願望を、夢の中で果たしてストレスの解消を図っているのであろうとしている。
そう。この摂理がこの世からあの世への移行のときに用いられるのだ。
とんでもない恐ろしい夢を見たものだ、と、ある人が寝汗をかきながら目を覚ましたとしよう。夢の中でその人は大津波に呑み込まれたのだった。必死で逃げていたのに追いつかれて呑まれたのだ。だから懸命に奮闘したのにだめだったという絶望感が強烈である。しかし、それが起きてみて夢だったと知ったとき、その人は、何だ、夢だったかと、ほっと安堵するだろう。
見ればちゃんと妻がいて、隣で寝ているではないか。家族も無事だったし、とんでもない夢だったということで、また眠りなおすかもしれない。しかし、夢の中で一緒に津波から逃げていた妻が、隣で寝ている妻とイコールであるという保証はない。
彼は夢の中で生きていた時空から、目を覚ましたほうの時空に転移したわけだ。彼の属する時空の連鎖、つまり彼のタイムラインが切り替わっている。なのに、彼は気づかない。
隣にいる妻は夢の中の妻よりよほど美人だとしても、彼の記憶はこちらのタイムライン上の記憶とつながっているため、何の矛盾もない。結婚記念日が異なっていても、こちらはこちらの記憶として残ったものを立場にしているのだから、違う現実を生きているのだ。なのにまったく気づかない。
明日の記憶という映画があった。それは昨日までの記憶を失っていく病気の主人公をテーマにしていた。過去の記憶がなければ、もし彼一人で孤独に置かれたなら、自分とは何者であるか、まったくわからないだろう。
同様に、過去の記憶がまったく別人のものになっていたとしよう。としても、彼は別人の記憶の延長を矛盾もなく生きて、まったく疑わないだろう。
これは極論した場合でもあったのだが、夢というのはこの極論のケースが多い。たいがいは別人の人生が、自分のものとして夢の中で演じられている。それがもしかすると、あなたの過去世であったとしたら・・・。
一笑に伏すことはできても、間違いだと断定することはできないのではないか。
覚醒時にすら、ちょっとした意識的選択でタイムラインはズレていく。パラレルワールドにそのつど分岐して、新たなタイムラインをたどっていくことになる。言い換えれば、どんなタイミングででも生まれ変わっているのだ。
小沢道雄は「日々これ誕生」と言ったが、もっとたくさん誕生あるいは脱皮(古いタイムラインを皮にたとえるなら)をして前進しているのが我々かも知れない。
新時代になって、正神はその摂理を使って、人々を大災害や大艱難のショックから立ち直らせることになろう。
中陰の摂理は、いきさつを振り返らせ、当人を反省させることに重きが置かれた。反省の度を採点して、再誕生先を決定することに使うためだった。しかし、そのような支配構図が解除されることから、中陰の界自体が廃止になる。
では反省のない者たちがそのまま霊界に乱入する事態になるかというと、そうはならない。彼の意識の慣性的方向にある新しいタイムラインにつながるからだ。この世と同じような環境にまずは入っていく。覚醒と眠りの生活を繰り返すうち、霊界もやがて階層構造が順次解消されていき、彼は標準的な新世界へと定着していくことだろう。
彼はその間、噂されるような病気にかかったり直ったりしながら生きていく。そして、もうそろそろ寿命だろうなと思うところまで生きるだろう。納得いく頃に彼は肉体を閉じる。彼は死を認識しながら逝く。しかし、それはすでに霊界であったところの特殊な場から、霊界の標準の場への移行にすぎない。霊としてのあらゆる自由度がそのとき回復されて、彼は何度もタイムラインを変えながらダイハードに生きてきた人生の全貌を知ることになるだろう。
もしかすると、あなたも、ほらあなたも、すでに霊界の状態のどこかに位置しているのかも知れません。
ほら、大津波に呑まれた夢を見た人。殺された夢を見た人。自分は予知夢したんだなどと思っていないで、すでにあの世にある可能性を吟味してご覧なさい。ひょっとしたら、あっという間に成仏できるかも知れませんよ。
なに? まだ成仏することなどできないって? まあ、いろいろ事情があるからね。好きになさい。
ケンシローいわく:「お前はすでに死んでいる」

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