幸せ者

https://native.way-nifty.com/native_heart/2005/10/08_3e79.html
ここには、ある予言だが、新しい時代への扉が用意されているという予感が書かれている。
私がしてやりたいのは、彼らに生活ができ、未来を築いていけるだけの土地を保全しておいてあげることだ。
そこが最初たとえ狭いものでも、やがて地球全体が使えるようになるに従い、広がっていけるように、根拠地を用意してあげることだ。
そこに住む者は、お互いを地球の家族と呼び合えばいい。
チェロキーのところには、世界のあらゆるところから志の高い人々が集まる。彼らから、長い抑圧の歴史によって失われてしまった、生きることの手懸りを教わるために。
ささやかな農耕の簡素な暮らしから始まる。
地球上のあらゆるところに、環境に応じた農耕の先達は居るものだ。人々は根拠地の拡大に応じた実りを得るようになる。
そこには、私のような持病もちの痴呆性老人でも、働ける環境がある。
たとえ自分の名前を忘れても、言葉などいらない。地球の家族は心で結ばれている。
無理に生き延びさせようとするストレスはどこにもない。相応しい時がきたら死に、気が向いたら生まれてくればいい。
すずめは実りの分け前に預かり、新しく耕作できる土地を示すバロメーターとなる。
新しい時代の到来を予感しながら、ほっとしながら死の床に就く者は幸せ者。

レビー小体型認知症?

たけしの「本当は怖い家庭の医学」を見た。
レビー小体型認知症というのがあるらしい。
初耳だ。
何でも、いるはずのない子供の姿が見えたりするという。ナニいぃ?
もしかすると・・私も
怖い夢を見ることはないが、ちょっと他人の夢よりは奇抜すぎる。神様や他人になってしまう夢がよくあるからだ。
もしかすると・・
他人とはかけ離れた発想をしてしまう。裏の裏が見えてしまうような感がある。
もしかすると・・
いや、これはかなり昔からだ。
えらいことになっているのかな。
ま、そういうわけで、もし記事に暴走があった場合は、ここはキ◎ガ●のたわごとと笑って許していただきたい。
医者?
ま、いいや。
こういう世界の認識の仕方ができるというのも、自然界の多様性のひとつのケースだ。
この奇妙な認識の仕方も、この際いいチャンス、大いに楽しもう。

地球への応援歌、山姥の歌

今日は朝から清々しくよく晴れて、日中気温も上がり、やっとのことでチョウが飛んできた。それもモンシロチョウだけではない。アゲハもその他の名も知らぬチョウもきた。
青虫禍を思い、眉をしかめながらの喜びだ。
ハチは依然見られないが、アブがそれに代わって菜の花やブルーベリーの花の受粉に一役買っていた。
すずめは2,3羽見たが、数がいない。カラスはまったくだ。
ツバメはやはりいない。働き者には酷な状況になっているのか。人間界の行く末を相似的に心配してみる。
昨日の心配記事「群崩壊症候群」が、今日は晴れたかのよう。
朝令暮改のような記事になってしまうが、これには深いわけがある。
昨晩の深夜(午前1時半)に浅い眠りから一度起きて、小用ののちに、直ちに寝付けず、そのとき最近忘れていた「地球の守護神になる」瞑想をしようと思った。
といっても、このような瞑想法が一般的にあるかどうかは知らない。
思いつくままの自己流であるが、寝床で布団に包まってでき、そのまま寝てしまってもいいものだ。
寝付きにくく、浅い眠りに終始するのも、気づかぬ不安や淋しさのせいかもしれない。その原因はいくつもある。
話は遡るが、少し以前のこれぐらいの時間に、幻覚を見たことがある。
頭までの修道服を着た修道女で、顔を泣き腫らしており、凝り固まったようになっていたのだが、もしかすると彼女の身に何事かあったかも知れないと心配になったことだった。というのも、彼女には意識を飛ばす能力があったからだ。私は布団に招き入れて添い寝し、我が体温で解凍してあげた。
読者は、おかしなサイトに入り込んだものだと思われるかもしれない。いや、そう思われても仕方ないと思っている。そこは超常趣味に免じていただきたい。
さてところが、彼女には何事もなかったことが、その後の連絡で判明した。
では、あれは誰だ?となったときに、ふと閃いたのは、地球の女神だという直感だった。
濃紺の深海を服としてまとい、病気かと思われるほどに衰弱した様子だった。誰なのか問うても、まったく答えなかったから、素性は不明だが、たぶんそうだったに違いなかった。
古事記で言えば、大地の神霊、岩長姫だ。「山姥の歌」の山姥さんのことだ。
このときは、それからしばらく毎晩のように、彼女を瞑想してさしあげた。元気そうになられたように思って、しばし彼女のことも、この瞑想のことも忘れていたのだ。
そんなときに、ジュセリーノ氏の話を「未来からの警告」から深く知ることとなり、よく見れば「地球に感謝しなさい」となっており、しかも、それ以外に事態を改善する道はないようなことまで書かれていた。
つまり、私にとっては、大きなシンクロだったわけだ。
だから、他の記事で、地球の守護神になる瞑想について書いたしだいだ。経験的に、絶対に有効だと思ってのことだった。
だが、そうは思いながら、またしばらくそのことを忘れてしまっていた。毎晩のように、空はビュービュー吹き荒れていたというのに。
昨晩は、自分の意識を、地球の女神の探索に振り向けた。
すると、すぐに見つかった。
ところが、修道服姿の彼女は、真っ暗な部屋の床に何も敷かずに横たわっていて、瀕死の状態にあった。いっそう固まって、丸い小さな身体になっていた。
私は彼女を抱えて連れ出し、私の寝床に入れて、かつてしたように、我が子を抱くように添い寝した。彼女の喜ぶ顔が目の前にあった。淋しかったに違いなかった。
やがて夢の中だろうか、地球と溶け合うような感覚になり、気がつけば明るい朝となっていた。
その今朝は、風もない穏やかな、清々しい晴天だった。
明らかに、地球それ自体が変わって見えた。そして、昼前ぐらいになって、チョウがあちこちから現れ、モンシロチョウなどはさっそくつがいを見つけていた。
--夢に胡蝶となる--
--夢に大地を守るウーラノスとなる--
私はまたしばらくの間、寝る間際からこの瞑想をやるつもりだ。

これが自然の妙か

komatsuna2.jpg

部屋の中で26鉢の小松菜を育てることとなり、
人工的に一種類の野菜の閉ざされた系(大げさかも知れないが)が
たまたまできあがっていた。
すると、どうだろう。
すべての株が同じように葉をつけていくのみかと思っていたが、
ただ一株だけが花を咲かせ種子を残そうとしていた。
その一株だけは気品よく高みまで伸び上がり、
まるでみなで相計って、この華麗な役目を託したかのようだ。
もの言わずともこれが自然の妙というものだろう。
誰知らずとも、彼らは彼らで相計って役割を分担し合い、
ほとんどは食されることに身を捧げても、ただ子孫だけは
残してくれと、目に見えるメッセージを送ってきているのだ。
そこでひとつ「オクトの森の物語」を。
この発想に間違いはなかった。

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地球の守護神になる魔法

みなさんに、地球の成行をよい方向に持っていく誰でもできる方法を教えよう。
それは弱小なあなたにもできる、たった一人で誰知られずにできる方法である。
それは同時に、あなたを地球の守護神に変えるだろう。
方法はいたって簡単だ。
目を閉じて、地球を目の前に思い浮かべてみよう。
イメージできたかな。
ならばそれを胸元に引き寄せ、まるでいとし子をあやすように、優しく抱いてみよう。
あなたはそのとき、まさに地球を守る神になったのだ。
その稀有な神としての自覚を体験してみたまえ。
地球は、あなたの愛と応援を得て、元気を取り戻していくように感じられることだろう。
瞑想を五分もすれば、そこに住まうあらゆる命に対しても、愛情を感じられるようになる。
あらゆる有情は、あなたと地球の愛と応援を得て、しだいに元気を取り戻す。そのように実感されるはずだ。
あるいは、地球を悠久の父親母親と見立てても良い。あるいは、今生でお世話になる生涯のパートナーと見立てても良い。守る気持ち。甘える気持ち。感謝の気持ち。愛情のありったけを、この生涯のパートナーに贈ろう。
空気のように、我々の意識の上に上らなかった立脚地である地球。
人は何かを求めて視線を虚空に彷徨わせたが、何か得られるものはあったのか?
もうそこそこ期待が裏切られたのなら、視線を転じて足元を見たまえ。
大地はいつも見えるものとして存在し続けた。
確固とした存在の安心感を与えてくれたのも地球だ。

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