この記事、あまり人気がない。いや、たぶんみなさん意識を遷移されたのかもしれない。消息確認のための黄色いハンカチやから、もしまだ生きているなら、合図してよ。
ご存知、たまちゃんと接触するようになって、いきなりいただいてしまったのが彼女のきつい皮膚病だった。
ほっぺに接触されたところが痒くなり、赤いマークが次第に茶変、そこから痒みは広がっていくような次第だった。(マグマの熱によるものかと思ったが、実は人類の出した有毒物質によるものだったとは)
さらには股間にも飛んで痒いのなんのって。(むかし病態の世相を自らの身に映した惟摩居士という人もいたとか。しかし痒いのは我慢ならんで)
そこでB.J先生に尋ねたら、これはたまちゃんの病気がうつったというわけで、何と処置してくれたのが、これからたまちゃんに施そうという手術の縮小版だったんだなこれが。
こうやって殺菌すればいいんだ、と熱湯の入った瓶を患部に押し付けた。(フィクションに付き良い子は信用しないでね)
ぎゃあーーっ。
何箇所かに飛んでひどい痒みを発していた病巣に、こんなことするんだから、終わったあとはさすがに痛んだが、このほうがよほど我慢できると、むしろ快感となった。
皮膚下1Cmまで結節を作ろうとしていたものも、普通の皮膚の厚みに変化し、皮膚表面は火傷で赤変していたが、治癒に向かっていると想像できた。
ところがだ。これで病菌は死滅したりはしていなかった。
それはもう、何度失敗しても懲りない拝金主義者のような菌だったから、すぐに体制を立て直してくるわけだ。
何度繰り返したことか。
ところがついに、病菌のほうが暴発を起こした。問題のなかったところに、勢いよく攻め込んできたんだ。耳全部が腫れだし、たいへんなことになりそうだった。
そこでついに、B.J先生一辺倒をやめて、毒舌でこき下ろすが、言うこと聞いていれば治ると噂のある医者へと向かった。年は90近くという。そんな年までできるのか?
初対面して、ふといきなり感じたのは、この先生、チャボの化身だということだ。
何となく親しみに変わり、むちゃくちゃこき下ろされつつも、顔の茶変したマークから、先生のリクエストに応えて、あそこの穴まで見せたよ。
すると老チャボ先生、「こんなことなるまで、よう放っといたな。わしの手で治せるかなあ。治せる自信全然ないわ」と大声で言い放つ。あのお、待合室には若い女性がいたんだが。聞こえてるよなあ。
しかし、噂ではそう脅しておいて、みごと治す名医とのこと。
「ここまで水脹れができてんのは、初めてや。何でこんなひどいことになるんやろ」と仰るので、熱湯殺菌をかけた経緯を話すと、「阿呆なことしてからに。治せるもんもよけい治せんようになるわ。火傷でずるずるやないか」との激しくもまた頼りがいのある叱責をいただく。
「一週間飲み薬飲んで、軟膏つけとき。痒みがなおっても、痒み止めがはいっとるだけやで、治ったと思わんと、薄うてええから引き伸ばして一日何回でも塗りな。しかし、治らんかったって、知らんからな。こんな患者見たん初めてや」と、まあここの患者なら誰しも通過したであろう、同様の洗礼を投げかけられて、帰ったわけだった。(同様?こんな変人おらへんわ)
さて、どうだったか。
ひとたび薬を飲み、塗っただけで、あっという間に痒みは引き、翌日には耳の腫れも結節も解消し、まるで魔法使いに治療してもらったかのようだった。市販薬の数々は何やったんや。あんなもん、よう売っとるわ。
来いと言われていた一週間後、喜び勇んで先生にお礼を言うと、椅子に腰掛ける前に、「軟膏がなくなったらまたおいで」と、わずか20秒ほどで診察終了と相成ったのであった。
軟膏はけっこうたくさんあって、半年以上持つかなというとき、今度はどうやら疥癬にかかったらしく、ぶつぶつができて痒くなった。
また先生のところに行こうかとしたとき、痒みだけでも軟膏でとったれと塗ったところが、またもぶつぶつからして治ってしまったのだ。
きっとこれは皮膚病の万能薬かも。
つらつら思うに、ほとんどの場合、まともに治せぬ薮医者ばかりのところ、トリ系だと思うような先生にかかると、みごと治してくれる。
決して評判がいいという先生でなくとも、的確に処方してくれるというのは、やはり相性の問題が大きいようだ。
ピロリを根絶してくれた以前の医師は、けだかい志の雷鳥だった。
思えば大過去に皮はがれ赤剥けの兎に、蒲の穂で治せと教えたオホナムチも龍蛇。
禽獣には禽獣相手の名医あり。
私はたまちゃんをB.J医師のもとから転院させて、老チャボ先生の、といっても人間次元ではスケールが違い対応がとれないので、老チャボ先生のハイラーキー、グランドパ老チャボ先生に頼むことにした。
きっと、身体への負担の軽い軟膏と飲み薬で治療してくれるのではないかな。とにかく人間が延長したようなのは、いくら評判が良くてもだめだと分かった。
こういうわけで、せっかくの数十箇所への温熱治療の予定は、取りやめになちった次第。
ドクトル・グランドパ老チャボ医院に連れて行ったので、ま、よろしく願いたい。
このドクトルもかなりの毒舌らしい。
たまちゃん、がまんしいよ。
勤勉すぎて無理した者ほど、きついこと言われるからな。
カテゴリー: 雑感1(2009年以前なのだ)
虫の報せをだいじに
漠然とした不安。何か良くないことが起きそうな予感。
こうした場合には、たいがいそのように事が成っていってしまうもの。そして感が当たったとか思いがち。
ここまでは誰にでもある虫の報せというものだ。
問題はそこからの対応にある。
動物なら、その予感されることから遠ざかる方法しか採ることはできない。そしてその方法でのみ、自らを助けている。
だが、人間の場合は思考能力があり、それが予感を封じてしまう弱点となったりもするわけだが、それ以上の積極的対応を採ることのできる可能性にこそ、人間の真価があるものと思われる。(自信がなければ逃避行動でいい)
それは、予感の漠然とした中味を分析して、ありうるパターンのすべてを模倣(シミュレーション)してしまうというやり方だ。こうすることで、漠然とした不安を具体的に浮き上がらせるだけでなく、予期しなかった隙や油断の箇所を見つけ出し、先手を打って、その不安の隙間を埋めてしまうことができるのである。
こうしてその人は、しだいに抱いた不安の予感が消え去っていくのを感じるだろう。真に予感の原点に辿り着いたなら、加えて対策が取れた暁には、不安が全く消えることになる。
それでまだなお不安が残るときにこそ、この恐怖には敵わぬものとしての撤退行動を採るという手順へと進むわけだ。
つまり、動物よりは、いっそう進化した行動を取れるのが人間というわけである。(自信がなければ逃避行動)
他の予知情報をあさるように読んで、不安に駆られるというのは、いただけたものではない。それは単に洗脳状態になっているだけ。虫の報せなどではない。
他の情報は、あくまでも参考程度のものでしかなく、ぴたっときた場合にのみ、内的なものが共感を返してくるだろう。それが虫の報せとなる場合がある。シンクロしたと思えるような感動を伴うこともある。
そして上述したような、先手先手の隙間解消法を実行することだ。
どこにも抜かりのない態勢を常に心がけておくことが、これからのサバイバルには欠かせないものとなるだろう。
ただし、態勢にがんじがらめになってもよくない。どうしてもというときには、百計あっても逃げる計に如かず、が原則であることは言うまでもない。ためらわず動物になるべき時はなる。そして感をフルに働かすこともだいじというわけだ。
滅びの時空に手向けん(タムケン?)
ジュセリーノ氏はじめ、予知能力者の話を総合してみると、どうやら我々は滅びが宿命付けられた世界にいるようだ。
そういえば、私など5,6才のときには、何でこんなところにいるんだろうと、四六時中しかめっ面していたように思う。私が撮られた写真はみな恨みがましい目つきをしていた。おそろしくこの人生が陰鬱なもののように思えていたことを思い出す。
モラル退廃の愉楽と欲に目の眩んだ化け物たちの拝金主義社会を経て、いずれ滅びに至るという暗雲が当時から予見できたかのようだった。
その暗雲とは、やがて神話が誘導したものであったことが分かってきた。西洋型の滅びを必然とする神話が、少しも希釈されずに適用される時空に、私はどういう理由でか、レコードの針を落としてしまったことを知った。
存続し発展する時空ではなく、滅びの時空もひとつの意識経験として捉えよという差配の神の命令があったかどうか知らないが(多分そうだろう)、どんな皮肉なことだろう、存続し発展する側の時空で、男として生まれていれば世界の盟主となる人物を皮肉にも母親に持って、滅びの時空で生み落とされた実に皮肉な存在が私だったのさ。
何ゆえここにいなくてはならなかったかについては、私がようよう晩年になってから、半分見えてきた。全貌は、推理するしかなかったが。
弁財天の加護を得て、この神の系統から助力者を得て、旧神話の跳梁を打破することを責務と考えるようになっていった。今はひととおりが終わり、見守りの体制へと転じている。自信の持てることではない。が、もうそれ以上に修築することもままならない。結果は、成行によって求まることとなったんだ。
そんな矢先に、ジュセリーノの噂を知ってしまった。いくつか手続きの選択肢がある中で、存続という最善と思えるルートは閉ざされたと思った。
ならば次のステージとして、滅亡の機に乗じて、一気に支配神の構図を元から刷新してしまう手続きが自動起動されることになる。
刷新後の世界については、創造神のもとですでにプランとして出来上がっていると、弁天様の使者たちからは聞かされている。だが、私は直接見たことがない。
それでいいのさ。私は所詮流れ者だからね。人呼んで夜明けの旅烏とは、あっしのことなんでい。
だがね。もうそろそろ身を落ち着けようと、このたびの七夕の日には、転輪王の前で、こんな願いをしちまった。
弁天様と結婚し、夫婦でひとつ小さな惑星を経営させて欲しいと。それが無理なら、意識は永久に要らんですと。
だって、あのイミテーション寺院でのプロポーズから、弁天様との関わりが始まったんだ。(笑わないでくれよ、Mさん)
もしかしたら、願いごとの仕方が分からなかったのは、あちきのほうだったかもしれないね。ちょっと短絡的だったかと思ってみたりする。
そういうわけで、もしかしたらみなさんとは、今生限りのお別れになるかもしれない。
ひととおり、仙人タイプの人たちには会ってきた。みんな最後の別離の挨拶だったかも知れないと思える。俗人とはほとんど関わりがなかったのも奇跡のようなことだ。
それでも、最後のときが来るまで、ここでおしゃべりができたらいいな。
ジュセリーノ氏も、orontoさん、イシスさんも、未来にたくさんハードルを用意してくれそうだ。それを人類がひとつ超えるごとに、引っかかってもクリアーしても、注解が書けたらと思うよ。よろしくね。
不食の話、ふたたび
またM総合研究所さんのところから話のネタを拝借と相成った。
実は以前にも「不食」の話題を、超古代的ココロを土台にして一席ぶったのだったが、
M総合研究所さんのところでは、人間誰しも有する「松果体」との連携による、未解明な
人間固有の能力について語っている点で、太陽礼拝をひとつの方法として揚げられている。
私は”岩窟に落ちた子供が、空腹を癒すために、たまたま同じ窟にいた亀がときおり口を
虚空に向けてぱくぱくやっていたので、同じことをして何ヶ月も生き続けることができた”
という話を聞き知っていたため、太陽射さぬ中でも「不食」は可能で、科学的な解釈として、
体内にみごとな生命循環のサイクルを築いた結果ではないかと考えてきたしだい。
つまり、腸内に光合成をも可能にするような細菌群が常在し、宿主である人体と絶妙の
コンビネーションによって互いが互いを生かしていくシステムが完備していて、およそ
生命体にとっての純粋理想状態が実現しているというふうに考えたわけである。
それは地球という生命体の中における生態系の絶妙のバランスにおいても言えることで、
地球と人体は、マクロコスモスとミクロコスモスの照応関係が成り立つとすれば、
何も不思議なことではないはずではないのか。
地球のバランスの維持を困難ならしめたのは、ひとえに人類の登場によってであり、
地球と同じ病気にかかって苦しんでいるのも人類という相似像が見て取れるように
思うのである。
つまり、どちらも天然からの乖離によって、不幸な状態になっているということ。
天然から乖離させたのは、果たしてどこかの神話に言うように、人間の過失だったのか。
そこが疑問だったのである。
世の中には多くのUFO研究家がいる。だが、えてして間違いに陥りがちなのは、
我々よりもはるかに進んだ乗り物を見せられて、直ちに善いものが来たと思い、
ついていってしまうことであるように思う。
ホピもそうだ。UFOをマサウウの再来と捉えてしまったりする。いやきっと
マサウウはUFOに乗って現れるのだろう。しかし、それが人類のためになる神かどうか。
地球にとって問題ない神なのかどうか、全く以て神話や伝承に頼るしかないというのも
不可解かつ心もとない話である。
そこは、地球に最初からいて、人類の興亡を幾度となく見てきた地祇の談話が欲しいところ。
「おい、妖怪よ。ちょっとこの辺のこと、コメントしてえな」
「なんの妖怪」
「いや、だから、いつもさばさばした解答をよこすやないの。それを一発ぶってほしいの」
「どこが怪異の」
「違う。痒いんじゃないよ。見てなかったの」
「分かってるよ。でもいま、たまちゃんの看病してるんだ。後回し」
というわけで、面倒なことは後回しとなったしだい。
しかし、私は思うに、「松果体」という、超能力の源泉とも言えそうな器官の存在によって、
人間が未知の能力を発揮し、その中に「不食」の実現も含みつつ、より高度な
超人への道を進む可能性はきっとあるだろう。
体内の生態系のバランスは崩れていても、そういう実現の方法もあろうかと思うのだ。
同様のことが地球においても相似的に起き得るなら、地球も再び理想状態に還る
のではないだろうか。
UFOと同じ節理が地球に備わっているのは、このためか。
病んだ地球を超能力的節理で蘇らせよう。
「そんなもん、邪道じゃ」
「こらこら」
癌治療の最新技術を地球に適用しようか?
誰も、自分たちが癌細胞化しているなどとは微塵にも思いはしない。
おそらく、人体に生じた癌細胞も、そう思っているのだろう。
私は世の中のためになっていますと思っている。
癌細胞は癌組織病変の中で独自の血流をいただいてぬくぬくと生きており、なおも毒物生産活動を続ける。そして、私は世(癌組織)のためになっていますと答える。
たとえ、先の未来に人体それ自体が死に至り、自らに栄養を供給してくれる源が断たれ、自らの死滅が予測できたとしても、考え方が簡単には改まらないのが癌というものかも知れない。
これを癌の、破局するまで止まらない暴走精神とでも形容できようか。
いや、癌患者の一例でも、放置して癌組織が改心して、いつのまにか正常化したという報告があるなら、次の例においてもまだ見込みがあるかも知れない。
地球を生命体の観点から見るとするなら、地上に花開いた絶妙なバランスの生態系は、地球の生み出したすばらしい作品、「生命体地球」と言えるだろう。
ところが、人類の登場によって、生命体地球に病変が生じたことになる。それは、最初は炎症や潰瘍を作ったりする程度のものだった。だが、しだいに浸潤性、増殖性、毒性のものへと変化した。すなわち癌化したのである。
そして地球の生態系に風穴を開け、死滅へと誘う組織となった。
だが、癌組織を支える癌細胞の個々はそれに気付かず、私は世の中のためになっていますと答えていたものだった。ところが、今の時点にきて、どうやら自分たちのしてきたことは、やみくもな暴走ではなかったかと気付き始めたようだ。
しかし、明日を生きるためには、組織の作り上げた太い血管の血流サービスが欠かせず、自らその組織から離脱する意志まではない。
周りを見回せば、そんな破局はありはしないと喧伝する者がある。しかし、このままではやばいぞという勢いも強い。それでもすでに離脱ができる域にはなく、このままではやばいぞと思いながらも、最後まで進むしかないと腹をくくるほどになる。
ちょうどネズミ講のようなものかも知れない。癌組織が作り上げた架空の成長神話に踊らされて、癌細胞は正常に戻る希望も断たれて、毒物生産にいそしむという構図。
およそ癌組織において、正常へと復帰した例はあっただろうか。いくらかでもあったなら、この地球が抱えた癌組織も正常に復帰する見込みがあろうかと思われる。
ジュセリーノ氏が、人類が意識を改めねばならない、と示唆したレベルのこととは何だろう。
節電する、節水する、資源をリサイクルし有効活用する、CO2を極力出さない努力をする、CO2削減条約を結ぶ。
果たして、そのようなレベルでいいのだろうか。
意識が変わることだけでいいというわけでもなかろう。
それで大丈夫というなら、それはもはや神やオカルト頼みでしかないのではないか。
科学者がその程度でいいと言い始めたなら、オカルト信者の科学者だ。
科学者は徹底しなくてはならない。そして、こう説明しなくては。
実は、ここまでやらなくてはならないんだ、と。
[ここまで とは 鉱・工業産業からの決別]
癌細胞的精神が、正常細胞的精神に戻ることが求められていることは確かだが、それは念頭に置くという程度のものでは困る。
正常細胞化した者から順番に、正常細胞なら作り出すであろう、ほんらいの生産物を作り、自分たちの糧にしていくことで、正常化したかどうかが測られるはずである。
癌のように血流の多い太い血管はいらない。血管は細くても、生態系全体に寄与する生産を行うようになれば本物だ。
この実行の域にまで達しなければ、彼は未だに癌組織の一員でしかない。その一員として彼が残る限り、癌はなおも増殖し続けることができるわけだから。
客観的にそうした域にある者を、意識が改まった者と言うわけにもいかないだろう。そこでやはり、2007年の大峠は「意識は改まらなかったレベル」として越えねばならないと思われる。
そこで次の段階へと進むことになる。
地球温暖化や騒動が、より一層促進されるという過程だ。
最新の医療情報に、「癌を温め死滅を狙う」というのがあり、それと組み合わせて、抗がん剤や放射線療法を行い、相乗効果で縮小、消失を図るという。
https://kk.kyodo.co.jp/iryo/news/1024heat.html
生命体地球には、全身を覆うほどの癌ができている。それを一気に死滅させ、正常細胞にはダメージ少なくしたいのだが、どこまでの療法で済むかは、やってみなくては分からない。
だが、もはやこの時点では、地球のことを心配する医師団は、人類には一部の正常化の望みは託すものの、死滅させるべき癌として認識している。
まず、温熱療法(ハイパーサーミア)。これにより、癌社会にはエントロピー増大の混乱が起きる。
異常高温、旱魃、水不足、竜巻、暴風雷雨、降雹、
暴動、戦争、経済崩壊。
ここで、癌細胞が気付いておおかた正常化を果すならOK。
人類に改心が見込まれた最後の機会になる。
それでだめなら、次は癌組織に効く毒物を仕込む抗がん剤投与と、音波振動による局部限定攻撃の波状的適用となる。ここからはもう死滅作戦となる。
人類にのみ作用する疫病の蔓延、大地震によるインフラ破壊。
そしてついに、放射線を用いる。つまり癌自体に保有する核を使用させて、癌が地球生態系もろとも絶滅しようと図る意図を、上手に癌組織を自滅させるだけに止めて、地球をなるべく損なわないように手術(オペ)するというわけである。
あとは地球をとりまく医師団にオペを任せるしかない。
権威があっても薮はあかんぞ。ここはB.J先生に頼んます。
いったい霊界というものがあるなら、転生システムはどんな破綻状態にあるのかといぶかったものだった。
時のお爺さんは、人口調節もせず、やみくもに子供らを船に乗せてしまう。こうして世界人口は60億を超えた。
すずめは姿を消しつつあるのに、まるでコウノトリだけは増殖して、世界に人口を配って飛び回っているかのようだ。
妙な霊界通信では、今まで転生したことのあるすべての魂が地上に呼び集められているともいう。誰だ?そんな阿呆なことをやっている神は。
何か目的があってのことなら、事情を聞いてやってもいいと思っていたが、意外と「癌」モデルが事態を言い当てているように思えてならない。
やみくもに増殖して毒を生産し、やがて宿主を絶命させるまでになるという「理念」を持ったのが今の人類とすれば、天も当て付けのようにしてやってくれる(協力してくれる)ものだと感心したりする。
そのような癌組織の中においては、正常な思いを持った者は、癌の中にできた癌に対抗する新種の癌細胞というべきかも知れない。元の癌を、内部から食い破り、いずれ正常細胞と手を取り合って建て直しをするとなら、癌が正常化するという奇跡にもあずかれようか。
癌細胞は、その中に元の正常な情報を宿しているのだが、周りが癌組織であるために、否が応でも組織のために働かざるを得ないのだ。十分な栄養を与えられて生産力も寿命も格段に上回る癌細胞。その境遇をありがたく思う者のほうが圧倒的だろう。それを幸せとか平和とか安定とか言っているのだ。
だが、どこか組織のやり方は変だと思う癌細胞もいる。正常化の兆した癌細胞。彼は周りからすれば奇人変人に映る行動を採ったりする。あるいは耐えられないと自滅するのもいる。だが、そんなのがたまにいたとしても、おかしな奴は放っておけと、癌細胞は癌細胞らしく、組織の生産に注意を集中する。
そうするうちに、癌組織の中にもニュースが流れるようになった。どうも、元の宿主がぶっ倒れそうになっているというのだ。未来に予測されるのは、癌組織自体のまるごとの死滅だという。それもようやく小出し小出しにされてきたニュースだ。
「おい、どう思うよ」
「そんなこと知ったことかよ。親方は有識者の集まりだ。無限増殖可能だといっているし、何なら外の宿主に感染していくウイルス化というのまでやるらしい。お上に任せておけよ。俺らの世代では無理だろうが、子供の世代くらいで実現できるんじゃないか」
「だが、ここの宿主がぶっ倒れるまでにあと○○日らしいぞ」
「そうか、それならガキどもには悪いが、自分らだけでも楽しくやっていくさ。さあ、仕事仕事。ガキどもは誰のお陰で食べていけてるか、少しは感謝しろというもんだ」
ま、大同小異このような有様だろう。
無責任な親と、愛を感じられなくなった子供。むろん、すばらしい親と子の葛藤のケースもあっただろう。だが、土台が癌組織の中だった。愛や美徳はうまく昇華されただろうか。
いずれにしても、子供は立派な癌細胞として独り立ちしていくのだったが。
「では、オペを開始する」
煌々とライトで照らし出される患者「たま(地球)ちゃん」。
手術台の周りは、B.J先生を中心に、抜群の布陣が敷かれていた。
「見ておきたまえ。私がこれから施術するのは、たとえ異物とはいえ生き物だ。この癌にも生きた歴史があったに違いないと思いを致しながら、クランケの命を助けるために、手加減せずに施術する」
伏せて伏せてしていた思いを、ついに書いてしもうた。
これで癌組織に睨まれるじゃろうのう。
ま、キ◎ガ●のたわごとと思うて、笑うてや。
せっかく書いたんやで、数日ぐらい持たせたいなあ。