新神話の読者である皆さん。
この世を去ったときの意識は霊魂と呼ばれるものになりますが、
その非凡な体は特質的に分霊をし、またその逆に霊的結合や重合を行います。
カテゴリー: 雑感1(2009年以前なのだ)
本日は晴天なり
今日は朗報と快活になる話が目白押しだった。
それを今回は記事にした。
1 朗報・・・ダイモンバッジが当たった
さて、このブログの右欄に表示している映画「ライラの冒険」の、カラスのダイモンバッジが抽選の結果、当たったので報告だ。USENから本日送られてきた。
カラスのダイモンが偶然割り当たったことだけでも、我ながら甚く喜ばしくまた光栄なことだった。ここで、バッジまで割り当たったわけで、いっそうこのダイモンがいとおしくなってくるのは、何も私ばかりではないだろう。これからの抱負としては、立派なカラスになって、精進に励み、ん?
2 朗報・・・花の赤ちゃん苗の独り立ち
さてもうひとつ朗報だ。花の赤ちゃん苗のポット上げを本日ようやく完了した。
花の苗も野菜の苗も、種まきが密集していれば、のきなみ絡み合うようにして伸びてくる。それをほどいて、できるだけ一々の赤ちゃんをたいせつにして独立させることのたいへんなこと。肩は凝る。頭痛はしてくる。そして、植え付ける場所が絶対的に足りない。
こうなれば、壁掛けハンギングで縦向きに数をこなすしかないなあ。どんなふうになっていくか、今後写真掲載していくことにしよう。
3 憑依霊の妙技をお見せしよう(されどノーコン)
今朝5時から6時にかけての明るくなってからの夢は、まさに憑依夢と言ってもいいようなものだった。
日本地図を見る用事があって、壁いっぱいに掛けられた日本列島の収まる地図(南北ではなくて、沖縄諸島から北海道の先までが縦に収まるような地図)を、私は下から上に沿って見ていったのだったが、なぜかたくさんの温泉マークの湯気を取り除いた半楕円が色鉛筆で書き込まれている。
何だこれ?と思いながら右を見ると、あのニラサワさんがいて、隣の壁にかかった地図に書き込んでいた。
彼が何か話してきたのだが、それについては夢から覚めると共に忘れてしまった。その後、彼は書斎の机に座って向こう向きながら、私に問うた。「何か(講演で披露できる)特技はあるの?」って言われたのだ。どう答えようか考えているうちに目が覚めてしまった。
どうも考えるに、その時の私は、彼の主催するクラブの誰かに憑依していたのではないだろうか。
以前、金正日の側近になっている夢を見たことが二度あるが、これも側近の誰かの眼になって、金を見ていたのである。
ジュセリーノ氏なら、憑依という形をとることなく、災難の現場を眺めることができるが、私は誰かの眼を利用しているに違いないし、加えてその人物の思考をコントロールして物を言わせている感もある。
これを憑依と言わずに何としよう。
しかし私は、Pさんのように、憑依する相手にターゲットを絞ることができない。しかし、無作為に偶発的に起きているというより、憑依先を、何か別の節理からあてがわれているかのようなのだ。というのも、北朝鮮の核問題盛んな時期に金の側近になった夢。今朝の場合は、一度4時に目が覚め、ジュセ予言Ⅱに目を通してから、また寝たときに見た夢なのである。必要な情報を収集しようという動機があるわけだ。私がよく忍者ものや工作員もので、コメントにおどけを示すのは、私の魂が根っからの忍びで工作員だからだ。魂がちょっと自由になれば、距離の遠近や壁の有無に関わらず、あちこち調査に出向いているのだ。身体を動かす必要はない。この場にいて、意識が飛び回っている。
さて、話をそらしてはいけない。問題は、あの地図のマークがいったい何だったのかである。目が覚めてから思いあぐねるのはそのことばかりだ。
多分そのマークは大型宇宙船のことであり、マークされた位置に配備されて、日本列島の守りの体制が出来上がるのではないかと思えたようなことである。マークの数は、日本列島を覆うような格好で、30くらい(いや、もっと多い。50くらい)あった。
もしかしたら、彼はニラサワ星人と言われているが、ほんとうに宇宙人なのか、それとも将来的に宇宙人との仲介役をするようになる人なのかもしれないと思えたようなことだ。
202X年に日本列島がM9.8で崩壊するとなっていた箇所を読んだ直後の夢なわけだ。これもニラサワさん。となれば宇宙人事も彼なのかと思えたようなことだった。
地球維新の開始
本日23時45分からの日本テレビ系列「未来創造堂」において、UFO宇宙人遭遇の話題が放映される予定です。
そこでは、たびたび当ブログで取り上げている武良氏の撮影したUFO映像が登場します。
いっぽうこの時期には、M総研さんがインパクトあるUFO目撃をされています。
どうやら彼にも特別な役割が生まれている予感。
取材ロケ現場に好んで出現する程度でしかなかったUFOも、ついに人選してまでアクセスしてこようとしているのかも知れません。
やはりUFOはプロパガンダに載ることを素直に喜ぶ性質を持つのでしょうか。
昨来には、国会でUFOの話題が取り上げられ、かたくなな会議場内をどっと沸かせて、巷に話題性をもたらしたことも確かです。
こうしたことをマスコミがもっと取り上げるようになれば、UFOはメキシコなど中南米レベルまでに、ひょうきんに出現してくるのではないかと思います。
そうすれば、UFO宇宙人との友好親善ムードも醸成され、次ステップとしての会見、そして他惑星留学、留学生が帰還して後の異文化の漸次移植といった未来展望も得られてくることでしょう。
もたもたしていてはいけません。
地球温暖化は確かに小休止の様相。ロシアではその話題については昔年の花火のように捉えているみたいです。なんせ寒いんだから。早期滅亡のシナリオは猶予されています。
その間に地球のことをもっと真剣に考え、無駄な浪費サイクルに突き進んだ今までの世界政策を猛省の上完全転換し、手元にあるものの有効利用を進めることが重要となります。
まず日本だけでもそうしなくては。
そして、高文明に至ることのできた宇宙人の知恵に学ぶという謙虚さを示すことができたなら、宇宙人も喜んで助力してくれるでしょう。
選ばれた人たちは、躊躇せず出て行くこと。そして、
変化が兆し、見込みの生まれた地球に、今度は援軍を連れて帰ってこねばなりません。
交流の魁となる勉強をしっかり頼みます。
不思議は続き・・・
生き物の不思議は続いた。
我が家ですごした生き物は、蝿、青虫、ゴキブリ、蛾であったが、
いずれも母が見つけ次第、仇敵のように退治した種族であった。
それを私は、もしかして母の視座を担う生き物ではないかと、大事にしてきた。
もしかすると、昔話によくあるように、生前危害した生き物に、ほんの一時期でも転生するのかもしれない。そこで追い詰められ叩かれ死ぬことで、罪を償うようなこともあるのかと。禊に徹した母ならではではないか。
しかし、私は理想郷を、どんなおぞましい生き物とも共存する世界と思っているため、たいがい話しかけて害することを避ける。すると不思議と和の雰囲気があたりに充満する。(蚊はあかんでー。なんで痒くなるこんな因果な加害機能を備えてるのか。悪しき世ゆえか。必ず他の方法を考えてやるからな)
蝿は私と一定の距離を置いて、親しげに飛び、そしてテーブルにとまりはするものの、祭壇の供物や食物という食物にはいっさいとまらなかった。
供物など時間がきたら捨ててしまうわけだから、どんどん食べなさいと言っても、とまることはなかった。人懐っこいから、もしかして手乗り蝿にでもできるかもと野心を持ったが、最後まで控えめにふるまい、しかも母の根拠した一階だけにとどまり、二階にまでついてくることはなかった。
ある日中、蝿は祭壇前に座る私の前をよぎっていくと、どこに行ったか不明になった。すると突然、着物掛けの桟のところから、床にぼとっと落ちたのが、一匹のゴキブリだった。
ゴキブリは、ゆっくりつつましやかに祭壇にやってきて、私の目の前50cmまで近づいた。私は、どんなことだったか忘れたが、ゴキブリに話しかけた。すると、祭壇の下の行き止まりのところに頭を突っ伏したまま、動かなくなった。
控えめな、それでいて、私から危害されないと知っているゴキブリ。
昼間から出現して、しかもゆっくり歩いてくるゴキブリなど、未だかつて見たことがない。私が注視して話しかけると、その場に止まる。何度か出てきたわけだが、これも供物によじ上るではなく、祭壇の裏にゆっくり歩いて入ったりという、まさに家族なみのふるまいをしたのだ。
もしかすると、叩き殺してやれば、霊魂も昇華されるのかもしれないが、それがもしや母かと思うとできはしない。
いや、もし他の化身でも、できたりはしない。
もし地球上の生き物のことごとくが死に絶えても、ゴキブリだけは生き延びて繁栄するとか。私がもし最後まで生き残ったなら、ゴキブリとはうまくやっていけそうな気がする。彼らに知恵を授けて、彼らの王になってもいいななどと思ったりしてにやつく。完璧な変態だな。
それは暖かい日差しが階下に射込む午後のこと。私は、日ごろ母が良質な浄化水を節約して溜めていた大型ポリ容器が、せっかくの水栓を使えなくしていたので、それを捨てる作業をした。そのとき蝿は、まるで私の進路を妨害するように床に止まったりした。
私は、作業を終え部屋に戻った。蝿がどこにいるか不明だったが、他の部屋のほうにでも行ったかと思い、気を許して何気なく窓を開けたとたんだった。蝿はすぐ傍に潜んでいたらしく、その隙間から外に飛び去ってしまった。
母が怒って出て行ってしまったような気がして、喪失感を催した。
そんな今朝、いつも早々に起きてしまうのだが、午前四時のこと。
階下に下りてみれば、部屋の入り口に例のゴキブリがいて、じっとしている。まさかまだ母がへたり込んでいるのでは。触覚を動かすが、その場を動かない。またしばらく一方通行な話をして、デジカメを二階に取りに戻り、そして撮影したのが次のものだ。
もしや、部屋の中のオーブが写るかもしれないと思い、写してみればなんとやら。二つも写り込んでいるではないか。これはいったい??
そういえば二枚目にも、小さなオーブらしきものが横にある。これはゴキブリの??
全戸緑化計画
近い将来、全人口が自給自足に陥り、飢饉に瀕するようなことが起きてくるに違いない。
そこで過去の名君に学んで欲しい。
上杉鷹山公は、藩内の領民のすべての家々に、食べられる実のつく木々による垣根を作らせた。少し敷地があれば、菜園も作らせたであろう。
当時の民は、蓄えするほどの余裕もなく、もしその年が不作であれば、たちまち飢饉に瀕した。そのようなときのためにと、代用食物の生産に力を入れさせたのだ。
それを現代に当てはめるなら、もっとアイデアは広がる。
ビルというビル、あるいは一戸建てという一戸建ての屋根、壁、小さい公園の敷地に、なるべく食用植物を這わせながら育てる工夫をする。
これによって、建物内部の温暖化が防がれ、省エネが促進される。
蔓性食用植物なら、かぼちゃやきゅうりが筆頭だ。
蔓性でなくとも、プラスチック成型した縦長型の水耕栽培装置を並べれば、建物を食用植物で覆うこともできる。
これからの産業は、なるべくなら工業であるべきではない。それは時代の流れに逆行となるだろう。
第一次産業かそのサポート産業への展開が必要になる。その方向を向いたリフォーム産業もいい。食料自給率を高めるのに、いつまでも沈滞した政府など頼るべきではない。先行きに目覚めた各自が取るべき避難行動として、まず自分の家、家族を自衛的に守ること。そして、余禄で地域を、国を守るという方向かと思う。
地域で一人始めたら、いいなと見ればみんなやり始める。ノウハウを出し惜しみするなかれ。そうして、いざというときに備えることがだいじなのだ。
20年ほど前は、まだ健康だった。その頃、意識して夢をコントロールして行きついた先の世界のことを話そう。
そこでは家がビルのような四角形だった。ところが、すべて植物もしくは土壌で覆われているのだ。屋根に人がいたので尋ねてみようとして驚いた。その人は私であって、画家のようなベレー帽をかぶって、植物を屋根に植えているのだ。
そこで、質問を変えた。「あなたはいつ頃からここにいるのですか」と。
するとその人物は、「ずいぶん前からここにいます」と笑顔で答えた。
そこで目が覚めた。
この人は、私なのか?もしそうなら、過去の?あるいは未来の?
空は夕方でもないのに、濃い群青色。小川に沿って赤い花が咲き、小川には月のような光がきらきら反射していた。
いったいどこの世界だったのだろう。
あのような平和そうなところ・・・未来であってほしい。