黒人歌手アネサ・フランクリンは魂の底からの振り絞る激情で愛国を歌い上げた。
米国民がこれほど誠実な思いで、希望ある新しい時代の到来を見つめたときがかつてあっただろうか。
一部の強欲が招いた非を戒め、素直に国難を認め、困難な嵐の時期をも団結で乗り越えて、米国を立ち直らせる意志と、正義と真実、国際協調の道に立ち返る意志を明確に演説に篭めた姿にはただ賞賛あるのみ。
バラク・オバマ大統領就任おめでとうございます。
アメリカの空の色はこの日変化しました。
世界の空も希望色に変化しますよう。
オバマ大統領就任演説要旨 (産経Webニュースより転載)
「われわれは危機のさなかにある。米国は、暴力と憎悪の根深いネットワークに対する戦争を遂行中だ。また、一部の者の欲望と無責任さの結果であると同時に、われわれ全体が厳しい決断を下し、国家を新たな時代に備えることに失敗したことにより、経済は激しく弱化している。さらには、米国も衰退は不可避であり、次の世代は視点を下げねばならないという、自信喪失もみられる。
私は本日、こういった挑戦は現実であり、簡単に短期間で解決できるものではないと言いたい。しかし、アメリカよ、これを知って欲しい。これら(の問題)は応えられるのだ」
「問題は、政府が大き過ぎるか小さ過ぎるかではなく、政府が機能するか否かだ。市場(経済)が善か悪かも問題ではない。米国経済の成功は、GDPの量ではなく、富の広がりに依存してきた。防衛に関しても、安全保障と理想のどちらかを選択するというのは虚偽だ。最も繁栄している首都から、私の父が生まれた小村まで、アメリカはどの国に対しても、どの男性、女性、子供に対しても友人であり、われわれがもう一度(世界を)リードする用意があることを知ってほしい」
「米国のパッチワークの伝統は強さであり、弱みではない。われわれはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、そして無神論者の国だ。そして、南北戦争や人種分離のつらい経験を経てきたからこそ、憎悪をいつの日か乗り越えられると信じている。 イスラム世界とは、相互の利益と相互の敬意に基づいた新たな道を見つける。貧しい国々の人たちには、農場が富み、浄水が流れるよう一緒に働くよう約束する。また、われわれと同じく富んでいる国には、国境外で苦しんでいる人々に無関心でいることはもうできないと言いたい」
「政府ができ、せねばならないことはあるが、究極ではこの国が頼るのは、米国の人々の誠実さと決意しかない。われわれが立ち向かう挑戦は新しいものかもしれないが、成功がかかっている価値観-勤勉、正直さ、勇気、フェアプレイ、忍耐、好奇心、忠誠と愛国心-は変わらない」
「われわれが現在、必要としているのは『責任』の新たな時代である」
カテゴリー: 雑感1(2009年以前なのだ)
忘八の終の棲家や雪の原
北海道は生きることを模索し創造する場。そんな思いで住居作りを計画しましたが、行政の壁は厚く、寒くなるに従い気も萎えてしまうものです。そんなとき手っ取り早く、ついふらふらと問い合わせた住居付き土地を見に行くこととなり、信州への旅となりました。
行ってみると、いろいろと符合する場所であることが分かってきました。
場所は信濃町黒姫高原。しかし現地に入ってみて、黒姫山よりも戸隠山の域内であるらしかった。
国道からそう遠くなく黒姫高原に入っていけました。旧民家の立ち並ぶ先に、別荘地的様子が現れてきて、その中にC.W.ニコルさんのログハウスもありました。
さらになだらかな坂道を上のほうに入っていくわけですが、もうあたりは牧場であり、浅く降雪を被って広がっていました。そして目的地へ。白樺がまばらに植わる土地に、古くなったトレーラーハウスがぽつんとひとつ置いてありました。
左手に広がるのは牧場です。100mくらい隔てたところに柵があって、その向こうに牛(ホルスタイン)が十頭ばかり、のどかに雪の間に漏れ出た牧草を食べていました。その向こうの山は何? 霊仙寺山? 黒姫山と戸隠山は大きく、見晴らせませんでした。
その地は、もし永住するなら、何ヶ月かは豪雪の中に閉ざされることになるでしょう。ハウスの高さほどの積雪もありえます。車はストップ。除雪車もよほどの要請でもしない限りないでしょう。
仙人としての生活にはとてもいいでしょう。少し下りればいくらも民家はありますが、目の前が牧場で施設がぽつんとあるだけとなら、森の奥に住む仙人としての立場に間違いはありません。少し先は行き止まりで、まさに誰よりも山の高みに陣取った感があります。
戸隠にはふたつの意味で縁があると思います。ふたつとも、かわいそうな話が元になっており、私にすれば供養の思いで臨むことになるはずです。つまり、ここに定住するとは、一日が供養に始まり供養に終わる生活をするという意味を持つかも。誰か居を共にしてくれるなら、僧侶の気持ちでどうぞ。ちょうど象が墓場を探して行き当たり、そこで骨を晒すべく覚悟して臨むようなことと思います。親戚も不要。未来も不要。忘八者に成り切ってそこにあるといった。
もう一つは北海道。これは先の未来を切り開くための場。縁者をみんな生き延びさせたいがための場。
信州はすべてを諦めた終の棲家としての場です。ふた冬ほど乗り切って骨になればいいの心です。
みんな魔法を使う時代
つまり、そういうことなんだよね。
どんどん世界を造形する能力が高まっているんです。
フォトンベルトのせいなのか、それとも体感しないタイプのアセンションでも起きているというのか。
いつも言っているように、個々に固有の時空が創造され観測されているという感じなんです。
私が理論を立てたのは20年も前の大昔でしたが、まさにそのとおりで、マトリックスに類しているものの、そのプログラムは自分で創っているか、原型プログラムから引っ張ってきているかといったことなんですね。
観測者にベースアドレスがあって、外界は観測者中心の天動説が成り立つんです。
昔は造形困難な外界と思っていました。かたくなで思うようになったためしがないという世界でした。
むろん、今もそんな部分は半分ありますが、およそ半分は魔法で造形できるという感覚なんですね。
いつからこうなったか、というより、何度か脱皮してきているような。もしかするとこの人生、何度か死んでいるんじゃないかとさえ思います。バルドの世界なら、意志による造形が可能ですからね。
日々これ誕生と言った小沢道男の悟りを兼ねた気持ちというのでなく、まさに死後の世界に何段階か遷移してきたような気分というわけです。
ほら、意識の力とその効果を感じることができているわけでしょ。これは昔になかったことです。しかし、よく考えてみれば、全部昔の動機が今に繋がっているんですね。
運命の標的がどこにあったか。私ばかりでなく、みなさんも気がつきかけているのではないですか。
私は、ともすればどこに漂流するや分からない自分の航路を、ストーリーを作ることでそこにある程度固定できるようになったように思います。すなわち、新神話という、自分の納得できる、勧善懲悪を中に含みつつ善と正義が盛り返していくストーリーです。
それは多くの人々の理想にもなっているんでしょう。それだから、追い風を得ていっそう実現能力を持ってしまったのかも知れません。
私からすれば、私の周りに、ある種の魔法的磁場を作り上げているという感じです。そういう固有の時空なんです。時空連続体にまで高まったエネルギー体といってもいいでしょう。
取り込んでいるエネルギー源は、「兆」「脈」「境」「見立」の連鎖で、いわばフォーサイクルの、まるで機関車のような状態なのだと思います。
みなさんからもたらされる有用情報が「兆」になり、それに繋がりの「脈」を見出すと、すでに構築された概念の結界「境」をリングロープにして、「見立」の技を繰り出せば、世界は私のパンチでどおっと倒れ込むという具合なのです。
火の玉ボーイならぬ、火の鳥ボーイとなって、ガッチャマンしますので、よろぴくね。
さて、むろんみなさんも、それぞれに魔法を駆使していくべき方々です。それぞれに運命の標的が見えてきているのではないでしょうか。それに向かって、自由で力ある魔法力を発揮しましょう。
まだもう少し感知できないわとおっしゃるなら、私の磁場に浴すれば、少しは磁化されるはずです。このブログに出入りするだけでたぶんオーケーです。
交信の精度が、私に関する質問については、シンプルで的確なものになっているように思います。 私もその理由が分からなかったのですが、新神話の時空の醸す磁場に磁化されたと考えれば、理解できました。
それは、交信相手の異界の神々も、私の時空の醸す磁場で磁化されているからなんでしょう。私は何も強制はしていませんが、たぶん提供したくなっているのでは。私ではなく、新神話の磁場と言い直してもいいです。つまり、雛形の磁場というわけです。
私のところには、必要な巫女さんが集まるし、巫女さんと思いもしない人が、巫女になってしまったりします。男性にもそんなところがたまにあります。女性は素直でもっと有能です。
もしよければ、新神話のパートナーになってください。そうすれば、ストーリーの中の魔法使いに即、抜擢されます。いやもう、そうなってしまっていないですか?特典としては、見届けの時空の中にあって、同じ空が眺められることがあります。
しかし、冒険と山あり谷あり、めまぐるしいサバイバル生活になってくるかも知れません。神界が激変するんですから、多少の変動があるのがこの世というものです。私は新神話の磁場によって、みなさんを守護するつもりです。新神話の正しい神々が即、みなさんの守護に回ることでしょう。
などと書いて、大丈夫だったかな。はて。
この考えはすごく納得できていい
あのジュセ本で著名なニラサワさんのたま出版HPにおける韮沢コラムに、魔界(異界)に関する解説が載っています。
この説明は非常に分かりやすく、みなさんに理解されるようお勧めします。
https://tamabook.com/scb/scb.cgi
これは我々が言っている異界のことです。
上は神界(新神話ではその上に仙界がある)から幽界や集合無意識層など、地上的観測にかからないところの、この被造宇宙の範疇にある世界と、私は定義したく思います。
それが神界それ自体が暗い夜明け前の状態なので、創造のエネルギーが行き場を失った混沌とした状態にあることがあたりまえのようになっています。それが魔界という所以です。
人間界の管理を任されている異界の住人たち(神々)は、それを利用するための指導原理を求めており、それを提供する役目を論理思考能力を与えられた人間が担っているという奇妙さなのです。シナリオが与えられると、神々はそれを演ずべき神話として上演するので、混沌とした霧の中に筋道が立ち、それが神々にとっても光明となるという具合です。
つまり魔界は、悪いという意味ではなく、パワフルなのに混沌として、実現すべきモデルを待っている状態にあるという意味です。 モデルを提示できるのは、論理的思考力を持った我々人間です。
新神話や旧神話はそうしたモデルなのであり、異界の神々は、造形のアイデア(神話)をもらって舞台の舞を舞う。 我々は五里霧中にある異界をクリアーにして、筋道を示してやるためにいるというわけです。
どうして人間という状態が必要なのか。それは魔界に筋道立った鮮明な道をつけるためにいるのであり、人間はただ単に地上界をアリンコのように開拓するだけでなく、想像を通して異界の創造行為にも加担していることになります。だから、神々は見込みある人物を守護しつつ、次のアイデアを待っているのです。
いつかきっとさんも交信ルールを確立しました。それをもとに異界は新たな筋道を見出し、彼らなりに方法を開拓しています。
これは我々と異界との共同事業とも言えます。彼らは未知と不可知の無視された存在であるに過ぎなかったとしても、このたびのことで生き甲斐を見出しているに違いなく、有能優秀な神になって利益してくれるでしょう。こちらも善行をしているわけですね。
北海道は道なんだ
昨今のテレビ報道でも盛んになされているように、温暖化の影響で縦に長い日本列島の季節が大いに北にずれてきているもようです。
土地土地の農作物にも気候変動の影響は現れて、かつて南でしかとれなかった作物が北でも十分にとれるようになり、また南では栽培できなくなってきているとのこと。
私もこの夏の酷暑のときに発生した病害で水耕トマトが立ち枯れてしまうという事態になりました。
順調に行ってこその実験でしたが、病気に関しては想定外。無農薬栽培には強みと思っていた水耕があっけなかったのにはびっくりしました。これも微細な羽虫の侵入を許したことによる病気の伝染かと思われます。
昨晩のテレビでも、日本列島南方の農業が困難になってくるとの予測がされてました。問題は病虫害の発生です。もう東北地方などでもカメムシが多く発生し、米粒を食害しているとか。
南方の魚類も、魚種によっては強い毒を含むため、市場にも出されていないとか。シガテラ毒といいます。
漁業関係者には暗黙の了解となっていて、およそ釣り人に釣られ食べられて発症。今後北のほうにどこまで広がってくるやら。
https://www.miyagi.kopas.co.jp/JSFS/JSFS-kids/minkan03.html
しかし、発想を変えれば、農作物はかつての作物の農耕地を北に移動して行けばいいわけで、単純に先を見越して北海道にでも移住しておけばいいではないかとなるわけです。漁も伝統漁を変化させて捕る魚種を換えたり、魚場を北に移動するとか。
しかし、誰が仕組んだか、国民はみな土地に定着しなくてはならなく強制され、それが美徳であるかのごとく人は牛馬のごとく働いて、猫の額ほどの土地を一生かけて手に入れるよう強要されてきました。
特に日本人は、その立場から動くことに強い抵抗感があります。糊がべっとりついているかのように。
現状維持を何事にも優先させてしまいます。まるで目の前に一本線を描かれて凝り固まった鶏のように。
発想の柔軟な子供たちは発想の転換をすればいいと思っても、大人に養ってもらっているので文句も言えず、言ったとしてもお前に何ができると、やがて諦めて社会人になり、また子供たちを酷するということのサイクルに入ります。またそれを日本の伝統とか美学とか呼び習わすわけです。それほど苦の民の歴史が愛しいのか。涙する美学に酔うというか。日本人は特にそうです。それをカルマのせいだとか言ってまた自分を慰めていたり。ありもしない糊を作って、催眠の接着力をいっそう強固にしています。
しかし、その因習から、心の底から抜け出そうとする動きが今目下出てきています。それが潮流となれば、地上世界のパラダイム転換が始まるわけですね。
地縁よりも同士どうしの結びつきが強くなります。そうでなくては目標に向かえなくなりますから。
否応なくやってくる温暖化や経済システムの崩壊などは、席を立つための促しとして、あるいはへばりついた糊をはがす役を担う意味で、吉凶混交の事象になるというのが私の観測です。
さて、私の好物は野菜と魚肉です。環境変化が今後あったとして、地産地肖のレベルでなくとも、家産家消ではありたいと思います。
ところが、そのような好条件下には今目下ありません。このため、今回私は北海道への転進を考えた次第です。
先の北海道旅行は、物見遊山や観光目的ではありません。条件を満たす良好な土地を探す旅でありました。実際それはありましたから、手に入れるつもりです。
いちおう、その合間にあわただしく撮影してきた写真(ビデオとデジカメの両方からの)を掲載しておきたく思います。
往路機内から羊蹄山/ホテルから支笏湖方面
支笏スカイロードと恵庭岳
有珠山と歩如
洞爺湖と弁天島
駒ケ岳と噴火湾
社台スタリオン
市街地にあるウトナイ湖
市街地横の原野の中に、こんな湖があるんだね。
時期がまだ早かったせいか、白鳥があまりいなかった。
北海道はでっかいどう。
道の広さと交通量の少なさは言うことなし。
いたるところ原野また原野で原初の様を思わせてくれる。
厳冬の時期は冬篭りのオプションと思えばいいか。
スローライフ。