https://native.way-nifty.com/native_heart/2005/10/08_3e79.html
ここには、ある予言だが、新しい時代への扉が用意されているという予感が書かれている。
私がしてやりたいのは、彼らに生活ができ、未来を築いていけるだけの土地を保全しておいてあげることだ。
そこが最初たとえ狭いものでも、やがて地球全体が使えるようになるに従い、広がっていけるように、根拠地を用意してあげることだ。
そこに住む者は、お互いを地球の家族と呼び合えばいい。
チェロキーのところには、世界のあらゆるところから志の高い人々が集まる。彼らから、長い抑圧の歴史によって失われてしまった、生きることの手懸りを教わるために。
ささやかな農耕の簡素な暮らしから始まる。
地球上のあらゆるところに、環境に応じた農耕の先達は居るものだ。人々は根拠地の拡大に応じた実りを得るようになる。
そこには、私のような持病もちの痴呆性老人でも、働ける環境がある。
たとえ自分の名前を忘れても、言葉などいらない。地球の家族は心で結ばれている。
無理に生き延びさせようとするストレスはどこにもない。相応しい時がきたら死に、気が向いたら生まれてくればいい。
すずめは実りの分け前に預かり、新しく耕作できる土地を示すバロメーターとなる。
新しい時代の到来を予感しながら、ほっとしながら死の床に就く者は幸せ者。