米国製映画を最近はよく見ています

どこかで米映画を見ておけば未来がわかるということを教えられ、最近私は米国製の洋画を見るようにしています。
どこかで? それについては、この記事の続きに推測を書いています。信じ難いかもしれませんが。
映画を見た最初のものは、トゥモローランドでした。人々の間でもファイナルカウントダウンが予告されているとのことだったので、かぶりつきでワンシーンも見逃すまいと、映画館の最前列から三番目ぐらいに陣取りました。ディズニーのSFなんかに執心するお人よしもいないのですが、その背後には世のシナリオライターも控えているという話もあり、私はボケ防止を図るにも好適かと思って勝手にやっています。
そして、確かにその刻限が示されていると思いました。他の人とは解釈が異なるかも知れないけど、終わりの始まりと終わりの終わりが示されているようでした。その始まりの刻限は、私の知っている人物のちょうど50歳の誕生日でした。その人物はいずれ頭角を現し、世の指導者になると予想される男です。理由は、アマテラスの神霊を受け入れて登場する、いわゆる岩戸開けを象徴する人物なのです。終わりの刻限までに、彼は未来を変えて、優れた未来に切り替えることができるのか。私はトゥモローランドのフランクは彼になるだろうと思っていますが、むろん私だけの希望的観測かもしれません。
未来人さんは、これからさき、ビッグイベントとしての第三次大戦がひとつの山場としてあり、それを乗り越えた先に未来は開けるという観方をされていました。私はその頃の指導者に、未だかつてない英雄が出てくるかどうか知りたかったことがあります。絶望的な未来を180度転換させるような指導者の出現はありやなしや。それもあって、ここにかぶりついているという次第です。
さて、その次に映画館に見に行ったのが、リトルプリンス(星の王子さま)だったのです。私は、サン・テグジュベリの「星の王子さま」の続編という趣だったので、冥土の土産にどうしても見ておきたかったのです。自分の星に帰って、小うるさい薔薇とは仲良くやっているのだろうか、とかね。アブリ・ボアゼ。絆を持ったものには責任を持つということを教えられた彼ですから。
ところが、見に行ってみると、その内容は異なった意趣のものに切り替わっていました。王子さまは過去のことを全部忘れて、ある星の金満家の創る都市で掃除夫として働かされていて、それに対して何も疑問に思わない(その星の社会全体の人々も同じだったけど)大人になっていたというお話。なんじゃらほい。
そして人々の星はみんな金満家に取り上げられて、星の金庫のようなところに集められ、空には星ひとつない。
夢もチボウもないといったことが表現され、ただ金満家のために働くロボット人類が、通勤して会社に行き、毎日同じことをしているというわけです。また、子供がどこにもいない。だから個性がない。アニメですから、ずいぶん手抜きした感のあるアニメ。ヒトラーが予知していた神人とロボット人類に分かれて暮らすという話をほうふつとさせますが、もうすでに日本もそうなっていることに気付きます。大企業優先で、個人などの権利は縮小されてしまう。まあそんなことを映画は示したかったようです。
そして、ここでもまた、救世主的存在が出てこなくては、えらいことになるよと言っていることに気付かされます。

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映画「ベティ・ブルー」のラストとのシンクロに驚き

最近、米映画を見るようになりました。
これからの未来のことがけっこうわかるからです。
しかし、今日見た映画「ベティ・ブルー」は、そのようなタイプの映画ではありませんでした。
個人趣味で創作作品を書いていた主人公ゾルグのところにひょっこりと現れたベティという奔放な生き方の女性との日々の本能剥き出しの生活と、二人の興味のすれ違い、そしてベティが何とか彼の文学才能を開花させようとして努力した結果、彼の作品は売れることになりました。
しかし、もう一つのベティの願いの、彼との間に子供を設けるという夢がはかなくも破れ、ベティは精神錯乱を起こしてしまい、二人の間に破局が訪れます。ゾルグは精神病院に強制収容された狂気の彼女の苦しみを取り除くために殺害してしまいます。
しかし、それは発覚が免れ、彼は作家としてのデビュー作を書き続ける日々を。
そんなとき、いつしか彼の家に居就いた白猫が、彼のしていることを覗きにやってきて、こんな質問を。
「書いているの?」
「構想中だ」
ベティは白猫になって彼のもとにやってきたのです。
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私はカンナオビとの楽しかった日々と、カンナオビの早い事故死のことを思い起こし、映画とダブらせてしまいました。
そして、この山奥に白猫としてやってきたウーが、知らないはずのカンナオビを正確に模写して添い寝などしてくれたことを思い起こしました。
そのウーも2013年10月に、とんでもない失態で失踪させてしまったわけでした。なんという不覚ばかり続く我が人生。
思い出すたびに、反省とともに詫びる気持ちがとめどなくあふれます。
そんなとき、ウーが産んだ子のメス猫シャン(別名・タキ)が、カンナオビやウーの後釜であるかのようにして、私に甘えるようになりました。
タキもまたウーに似て、巫女猫らしく、どうやらカンナオビとウーの魂が気丈なタキに合流した感がありまして、甲高い大声で私に食ってかかっているのか、それともそれが地声なのか、やや耳うるさい日々を送っています。
今は存命中の猫が三匹。黒猫ブー、白猫トン、白猫タキとなりました。
どの猫も、私にとっては大事な家族です。
見つかったウーの写真
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オデッセイを見ました

ツタヤでDVDを借りまして・・・
オデッセイを見ました。
なかなかいい映画です。
火星にひとり取り残された主人公。
キャンプ基地でじゃがいもを育てて食をつないだという話。
最後は救出されたわけですが、たいへんな苦労と頭脳の結集が要ったという話。
ひとつもわからなかった科学用語。
それでも、何か理解できたものがありました。
ここからが、ちょっと森野流の珍妙解釈と感想になるのですが・・・
私はこの物語に、アヌンナキの歴史を重ね合わせるしだいです。
なぜなら、彼らはモニュメントを歴史の随所に遺したがる種族だからです。
それが特に、米国とその歴史を作ってきた秘密結社に表れていると見ます。
私は古今の秘密組織はアヌンナキの代理店と想定しているため、このような解釈になるのですが、
エンタメという方法を使って、ハリウッド映画というプロパガンダを使って、観測者である人類に、彼らの成果を知らせたいのだと思います。
しかし、彼らは秘密主義であり、その存在を隠しておきたい種族であるため、アヌンナキや秘密部分は表に出さずに、人類の成果という輝かしい側面を強調して、知る者だけに彼らが主導してきた歴史に間違いはなかったことを主張するのです。
アヌンナキは科学者の星であり、地球人の支配層のおおかたの考え方と同じであり、霊的なものは認めない、見えないから無視する、あると分かれば封印するという手段に出ます。
封印すれば、もう見えなくなるわけなので、エクソシストだとさえ自分たちのことを思っていることでしょう。
今回の映画の火星という舞台の設定は、もともと何も生命のなかった荒涼とした砂漠であり、そこに初めて主人公が植物を持ち込むという設定でした。
実際には、火星にはたくさんの生命の痕跡のあることがわかってきています。
つまり、先住民がどんな形であるにせよ、存在しているのです。
しかし、元々そのようなものはいないんだとしてしまえば。気が付かなかったことにしてしまえば。
もし先住民が自分たちより劣っていれば、認めない、見えないものの範疇に入れてしまうことでしょう。
これが米国や人類のトップ層、そして上にいるアヌンナキの科学者たちの思想だということを知っておきたいものです。
映画では、主人公をして、火星のどんなところへも一歩踏み入れたとたんに、ここは自分と自国の植民地になったと、言わしめています。
そのようなところに、米国の反真理性が見えてくると同時に、米国の開拓者精神の本質が見えてきます。
自然界は人類に立ち向かう邪魔者であり、人類はそれを科学と数学によって克服し統御していくことが大事だと伝えているのです。
隊員の命を支えたじゃがいもも、生存と克服のための手段にすぎず、かすかに主人公の個人的なじゃがいもへの感謝を通して、見えないものへの畏敬を示すという程度です。
人の個々は、どんな思いを持とうとも個人的に自由。
しかし、統率する支配層側は、一定の冷酷なルールで個々人に服従することを求めます。
いかにも、アヌンナキとその傘下の秘密連中の考えていそうなことです。
主人公・マーク・ワトニーはもしかすると、アヌンナキ人のアラルがモデルなのではないかと思います。
もちろん今では、地球人がたくさん火星に移住しているとはいいます。
しかし、開拓者時代というものがあった頃のアヌンナキ、すなわち「人類の祖先」の歴史が、ここに描かれているな、という思いで見ていました。
米国は今、かつてのアヌンナキの歴史を再現しています。
主人公・マークが言っていたように、火星は海事法の適用域。
そこにすでに存在した機材を使えば、海賊行為になる。
あるいはそこに初めて歩を記せば、そこを植民地にできる。
宇宙文明世界にも、宇宙海事法のようなものがあるのでしょう。
それが加入文明星相互の法律として機能していて、アヌンナキもそれに従ってきたが、抵触もしたりして、いざこざも多くあった。
海賊行為の結果として、手に入れた植民地。その先取特権を盾に、他の文明星の介入を許さない。
まさに欧米のやり方であるとともに、アヌンナキの歴史でもあったのです。
文明を持った知的人類だけで取り決めたルールが宇宙にも存在していることがおよそわかります。
ルールも歴史によって曲げられることも多々あって、それを後の約束事、条約によって認めたりしてきたのでしょう。
人類のしてきたことと、ほとんど変わらぬ宇宙文明の実態があるように思います。
それにしてもアヌンナキという不思議な種族が生まれたものです。
多くを望まず安寧の中にゆっくりと歩みを示すおおかたの堅実な種族に対して、アウトローで進取の気性を持つ命がけの冒険を好む種族が生まれました。
アウトローゆえに島流しに遭ったというべきかもしれません。
こんなのがなかったら、まるで面白くもくそもないといったふうにして、こんな種族が生まれていることを前提に考えておかねばなりません。
それでも映画を見ていて、彼らを心の中で応援している私がいました。
私もどっちつかずなのかなあ。
私はそんな種族につき従うのは御免こうむりたいですが、この映画を見て、彼らの歴史に一定の理解がしてやれる気がしました。
このような映画を通して、アヌンナキは、地球人類から彼らに参加する者を募っているのかもしれません。
人類はこれから二つの道に別れていくといいます。
たくさんの新人がいま地球上に育っているような気がします。
アヌンナキに加わっていく人たち。
科学文明の発達と宇宙への進出を並立させながらテクノ都市を築いていく人々。
この宇宙は、そのような方向性も許容するものだったようです。
だけど、私はそんな方向に行く気はありません。
自然の中で環境と調和していくことを望みます。
しかし、アヌンナキの不正義、無責任を非難するトーンは和らぎました。
そういう種族もこの宇宙は必要としたのでしょう。
最後の審判では、譲歩が必要となるでしょう。
主人公のモデルになったアヌンナキのひとりの神(宇宙人)のことを最後にしておきましょう。
アヌンナキのアラルはアヌンナキにおいても反逆者だったようです。
彼は核兵器船を奪ってお尋ね者となり火星に漂着。
しかし、彼は火星が利用できる星であるという情報を本国にもたらして、いちやくアヌンナキの英雄になりました。
しかし、彼を救出に行ったとき、彼はすでに死んでおり、そこには生存のための耕作などの努力の痕跡があったそうです。
映画オデッセイは、ギリシャ神話のオデュッセウスの冒険物語を偲ばせながら、オリンポス(アヌンナキ)の英雄の苦闘の歴史を暗示するという、巧みな演出がなされていると見ました。
火星はアヌンナキの植民地になりましたが、アラルの功業はいま、火星の巨大な人面岩として彼の似姿が記念碑となって遺されているとされます。
いかにもモニュメント好きな彼ら。
すぐに銅像を建てて誇りたい人類の支配層にそっくりです。
地球もかつて植民地化されて、火星とはまた違った歴史過程が刻まれました。
その歴史は、アヌンナキの神々の時代から、人類の時代へと相似形に展開していることになります。
古事記の神話部分には、それらの要素(必須エレメント)が、細大漏らさず書かれています。
葦船にいれて流された存在がいたこと
天津神の天降と人類の歴史への引き継ぎ
こうしたことが暗号化されているのが古事記です。
そして古事記も、古代におけるエンタメ文書であったこと。ただし、知る者のみに示すタイプの文書だったことでしょう。
どこかに功業を忍ばせておきたい彼らなりの工夫が見て取れる気がします。

三本目は三枚目

三本目の「アベンジャーズ・・・ウルトロン」はしごくつまらない映画だと思いました。私などの年寄りには向かないです。目がついていかない。わけがわからない。ただ、ごちゃごちゃしているだけ。
ただ教唆する何かがあるとすれば、やはり未来において、機械文明化し、人工知能が世界を支配するだろうなということです。
それは、この地球に侵略してきたアヌンナキ(ハイブリッドの人類も同じ穴の狢なんだけど)の目的が、彼らの役に立つ形にしたかっただけというのが、根底にあると思います。
はじめは暫定的に、その星を乗っ取るために、ハイブリッドをその星におろし、同和させ、いずれハイブリッドに星を支配させる。←これが今の地球の有様です。
しかし、「アバター」では、地球人とのハイブリッドの主人公ジェイクがその星のすばらしさと先住民ナディの心に触れ、その星の救世主として立ち上がるという筋書きでした。
そう、それはハイブリッドゆえにできること。ジェイクが元々地球人であり、彼がアバターとして下りたパンドラ星の習俗に慣れて、その場所と人々を理解したがゆえにできることなんです。そうでなければ、先住民などゴキブリの群れにしか見えないでしょう。
「アバター」では地球人によるパンドラ星の侵略だったけど、この地球ではアヌンナキ(ニビル星人)によって侵略されているという現実があります。
この地球には、アヌンナキにいた頃の魂の記憶を持つ人がたくさんいます。それをスピ系の解釈者は、ワンダラーとかスターシードとか表現していますが、実際はアヌンナキから下りたアバターであったりします。
彼らが過去世の記憶を持ち、アヌンナキのしようとしていることにブレーキをかける役目に殉じているのです。いわば、それぞれがジェイクとその同士なんです。
アヌンナキの政策はその現実を見て、魂の介入の要らない機械人間(ロボット)の社会に作り変えることにしたのです。機械人間と人工知能による新文明への指向がそれ。
最初からそうできればよかったのに、先住民とその神々のことが理解できず、まずは偵察部隊投入から始めたのです。これがハイブリッド人類の登場でした。
彼らは元の人類を滅ぼし、ホモサピエンスとして入れ替わりました。
その目的意識には、アヌンナキへの奉仕が刷り込まれています。
地球支配は、按じたよりも生むがやすかった。一気呵成に、地球を人類が支配したのは、その表れでした。過去の遺物は、ぜんぶ封印してしまった。先住民の魂などはぜんぶ幽閉してしまいました。
しかし、先住民の心に触れ、半分は先住民の意志とDNAを遺す彼らは、これではいかんと思い始めた。それをスピ系の言葉で、「目覚めた」と言っているのです。
先住民だけでは、侵略者の意図がわかるはずはありません。侵略者側の立場を持つと同時に、先住民側を擁護しようという者でなければ、事態の調整ができないのです。
そこで、先住民に対して警告しながら、彼らの意志を整え結束する、まとめ役としての救世主が出てくることになるのです。
しかし、そんな救世主や同士たちはアヌンナキからすれば、寝返った連中ということになり、先住民もろとも、あの大佐の言葉で「ゴキブリどもを焼き殺してしまえ」という扱いになります。
しかし、アヌンナキの中にも、最高司令官のすることに疑問を持ち、正そうとする者もいます。そのような勢力の支援を受けながら、地球のワンダラーたちは闘っているのかもしれません。
地球を救うトルーク・マクトは現れるのか。彼は「アバター」によれば、赤い巨大な翼竜に乗ってやってくるという。これも新神話にリンクします。
メキシコ・ユカタン半島の伝説の救世主ケツアルコアトルも鳥の神。
いろんなところに、鳥神伝説がありえています。
不肖私もアヌンナキにいた記録を持ち、朱雀として火の鳥を使います。しかし、アバターのままにある間は、シナリオは描けても、使いこなせるわけではありません。
元の身体に戻ったとき、思う存分の働きを。そのためのシナリオをここでアバターの身で書いています。
アヌンナキが、いずれ魂を滅した地球にしてしまったほうがいいという意図があるなら、火の鳥はアヌンナキを滅ぼすことでしょう。元の故郷星シリウスもただでは済みません。
魂に軽重はない。軽んじるなら、同等に軽んじてやろう。
どうするアヌンナキ。ここ地球を捨てて去るか、それとも火の鳥と一戦交えるか。

昨晩はツタヤで借りた「アバター」を見ました

いやあ、映画って、いいもんですね。こんばんわ、水野春男です、じゃなかった。
ツタヤのレンタルもなかなかいいもんですね。「アイズワイドシャット」と「アバター」と「アベンジャーズ何とかウルトロン」の三本借りて、500円ワンコインとはまたいいです。
昨晩は「アバター」を見ました。
パソコン画面で見るので、DVDプレーヤーのようには簡単にいかないみたいなのですが、なんとか見ることができました。しかし、要領がわかりにくく、日本語ナレーションがついているのに、字幕で見てしまいました。
最近、ハリウッド映画を見ていこうとしているのは、秘密系からの啓発やメッセージが籠められているからというのが理由です。彼らは普通の人からはかけ離れた知識者であり、世のことはけっこう何でも知っていると考えられるからです。
最近では映画館で「トゥモローランド」「リトルプリンス・星の王子さま」で、これらはブログで解釈を書いたりもしましたが、先々のことをよく知っているなと思えたことでした。
それから見れば、巷の予言者や評論家などは子供もいいとこかな。
昨晩見た「アバター」は実に含蓄の多い作品だったように思います。
ひとつは、アバターが我々人間の霊魂と肉体の関係のようである現実を表しているようなこと。
またひとつは、インディオたち先住民を滅ぼした欧米人の足跡を物語りつつ、秘密系の出所たるアヌンナキの地球侵略を物語っているようであること。つまり、アヌンナキ宇宙人の代弁者でもあるらしいこと。これにより、彼らの縦の歴史にまで思いをいたせそうな気がしました。
アバター(Wiki)
>地球のエネルギー問題の解決の鍵となる希少鉱物を採掘するため人類はパンドラに進出するが、しかしパンドラにはナヴィという先住民族が住んでいた。RDA社(資源開発公社)は資源の採掘を願い出るも、ナヴィ達は地球側の提示する条件にまったく関心を示さなかった。資源開発の目的を果たすべく、RDA社は地球人とナヴィそれぞれのDNAを掛け合わせた人造生命体を作り、神経を接続する操作員の意識を憑依させたアバターとしてナヴィとの接触を図る「アバター計画」をスタートさせる。
アヌンナキも金の採掘のために自分たちの遺伝子と原住民の遺伝子のハイブリッドになる新人類を地球におろしたとなっています。(シュメールの粘土板)
このとき旧人類は滅び、新人類に入れ替わってしまったようです。
どうやら、アバターではそのことを物語る一方で、旧人類がガイアの神々の加護を受けて立ち上がれば、アヌンナキにお引き取り願えたことも暗喩してあるように思いました。
しかし、旧人類もガイアの神々も大人しかったんです。それでいいわけないんだけど、それでも仕方ないね。
歴史に学ぶなら、アヌンナキは我々が組していていい文明ではない。何もかも金属に作り変えてしまうだろうし、人類の奴隷状態は続くことだろうと思います。
むろん、あの大佐のような性格の魂にはいい環境かも知れませんが、反吐が出そうになりました。
こんなのが、地球上にはいっぱいいるんですね。
私にとっては、魑魅魍魎の世界。皆さんにとっては、お友達だったりして。(笑)
この映画にも、救世主観が示されていました。簡単に言えば、地球人側から惑星パンドラの住民として潜入し、その住民としての暮らしの中にパンドラのことを理解し、その星とそこの生態系と人々のすばらしさに、侵略の考えを転向する者が現れて、パンドラの救世主になるというストーリーでした。先住民は侵略者の悪辣さを知らない。そこに両方の側を知る者が、先住民の側に就くことにより、事態の解決法が見いだせるようになるわけです。
日本神話にもあります。アマテラスの次男とされた天の穂日は国津神・大国主命のもとに下って帰化してしまったという話。真に相手方の実情がわかるのは、相手方のもとで暮らしたればこそです。
あるいは日子ホホデミ(山幸彦)は国津神である海神のもとに下り、海神の娘・豊玉姫の支援を受け、そののち結婚したという話。これも相手方への大きな理解を生みます。親のニニギノミコトがコノハナノサクヤヒメの産んだ子に不信感を持ち、産屋を焼いたという高飛車的態度とはまったく異なるのです。
私は穂日とホホデミのキャラクターを新神話の中で帯びました。アヌンナキにいた記憶もあります。とすれば、いちおう地球の救世主としての資格はあるかもしれません。
びっくりしたのは、ジェイクのアバターが乗りこなした巨大な翼竜トルークが赤い色だったこと。これは朱雀(鳳)・火の鳥ではないのか。なんと、この映画も新神話をシンクロ支援してくれているのです。トルーク・マクトにならんかと。
しかし、私は臆病で怖がり屋で体力がない。アバターの主人公・ジェイクのような度胸もやる気もない。このタイムライン上には、救世主になる手順は見込めないのです。
地球と生態系と人類を救うことまではできないが、神々の封印を解いて差し上げられるのは、謎解きが得手であるゆえ、その方面で貢献させてもらえればと思います。
アバターに出てくる星の人びとは、「美しき緑の星」の人のようであり、魂の故郷はこちら側に違いないと思ったことでしょうか。
星の名をパンドラとしていましたが、きっとアヌンナキにとっては、禍の箱なんだろうと思います。
こんなものを開けられたらたいへんだと。しかし、我々には、どっちをとるのか問われているような気がします。
私は、この先に設定されている未来都市世界などは絶対に御免こうむりたい。
それを強要されるぐらいなら、魂の途絶を聞き届けてもらいます。卒業できんぞと言われても、退学でけっこうと開き直ります。最終自由意志を行使して。
冒険者の皆さんは、どんどん先に進まれてはいかがでしょうか。マリオのゲームには難しいバージョンもあるみたいなので。
大丈夫。アバターを投入するから、元の身体が傷つくことはありません。
しかし、魂の心は傷だらけになるだろうな。事前にしっかりとガイダンスを受けて理解したうえで臨んでください。
「アバター」の映像美はすばらしかった。ふわふわクラゲのように浮いている木の精は、ケサラン・パサランという精霊ではないのですか。私も元伊勢の日室岳の裏側でたくさん見て、この手にも触れました。木の精と触れ合えてよかった。ジェイクと同じことができました。
ツタヤで借りた中で、一昨日に見た「アイズワイドシャット」では秘密系の儀式が垣間見えました。そこに出てきたエジプト起源らしき12美妃は占星学上の星座の象徴であり、日本のホツマも採用しています。
そしてこれは裸のシーンが多いせいか、映倫審査でR18指定されてましたね。映画のラストも”ファック”と言うニコール・キッドマンの発言で終わっていました。コメディーかよ。
しかし、この地球の物語は、私の新神話における裁定ではR100です。つまり、おおかたにとっての有害図書という判断です。ソフトなら発禁処分もの、焚書ものです。
きんはひゃくさいひゃくさい。ぎんもひゃくさいさゃくさい。長いこと、ご苦労様でした。
渡辺兼子さんも百歳で座したまま天寿を終えられたとのこと。たいへんな人生でしたね。ご苦労様でした。