読者質問にお答えして

昨日は、お二方からご質問をいただきました。

おひとり目は、硬いご質問で、化石と方墳についてでした。いかにも固そうですね。物事は、固すぎるのもどうかと思いますので、また 後程、個別に柔らかくして差し上げたく思います。

お二人目は、南米大陸が長距離移動していることをどう思うか、というお問い合わせでした。
ここにある記事のことですね。Youtubeでも取り上げられています。https://www.youtube.com/watch?v=OcDrKWFSTv8
南米大陸が移動した?
https://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52013099.html

そうですね。問題は真贋論議から始まりますでしょうね。出典根拠がどうなんでしょ。
日本や世界や宇宙の動向 さんは、不確かな情報源である場合は、「?」を付記しているようですから、多数の取り上げがあるかどうか が信ぴょう性には欠かせないのですが、目下のところ、少ないようです。
しかし、非常に大変なことなので、情報隠しが行われているとも見られ、俗に言う、パニックを引き起こさないため・・・ということに なるのかもしれません。
世界では異常気象がすさまじく、大雨洪水かもしくは旱魃大火といった話題で持ちきりです。そうしたことでも、より大きな地殻変動の 前には、赤ん坊のようなもの。
目の前の困難で、より大きな困難を隠すほうがいいという判断もあるのかもしれないですね。

私は、南米大陸がごく表層部分だけ滑るように移動しているという説はとても興味ありますよ。証拠として、西海岸での高潮、東海岸で の干潮が長く続いているといったことが、まさに真実を物語ります。
移動した距離400Kmというのは、GPSデーターで過去と比較すればいいこと。このデーターはきっと得られてるから、こういう話 も出ていると思うのです。
さて、そうならば、何が原因なのかが大事になるのですが、これは私の判断でズバリ、アセンションによって次元密度が変化しつつある からと考えます。
物性が微妙に変化しつつあって、それをソフトランディングさせようとする働きかけもあるとすれば、何の体感もなく推移して後から、 えっ?、まじ?、うそ? といった結果に落ち着いていたりするのではないでしょうか。
そこには情報の、過度な公開を避けつつパニックを防ぎながら、小出し情報で不思議を伝えるという、嘘や隠蔽によらない情報操作が講 じられているのではないかというのが、私の目下の捉え方になるでしょうか。

土蜘蛛に 湯船とられて シャワシャワー

納涼ものです。

さて、今日はUFOではなく、UMA?でもない、妖怪土蜘蛛、いや、土蜘蛛と普通の蜘蛛のコラボの話からです。

tsuchigumonull

ダクトの中に営巣し始めた土蜘蛛一家は、外側に蜘蛛の巣を張る普通の蜘蛛を斥候に据えて、外界の異変を察知するようにしているようです。

まるで、イソギンチャクの中に隠れるクマノミみたいに賢いですね。

上は6月20日の写真ですが、今日なんかは、土蜘蛛も外に出て、ぽかーんと寝てました。もう危害を加えられる心配がないと思ったのでしょう。

私はその外側で、彼らにお湯を浴びせないよう注意しながら、お尻周りをシャワーしました。

土蜘蛛と言えば、
「あんた、ヤマトスクネやねえ」とSさんに言われたときから、ヤマトスクネも私のキャラになりました。

確かに、天橋立の籠神社の境内にあるヤマトスクネ像は伊勢正三に似てましたが、私はそんなにいい男?ですかねえ。

第二の彼女は昨日メールした霊能者ですが、この人も、10歳の頃、夢の中の移情閣の3階から下りてきた青年は、伊勢正三に似ていたといいます。

この人は、以後、中、高、大と、その人物を探したと言いますが、友人たちからは、蓼食う虫も好き好きやねえと言われていたそうな。誰が蓼やねん。

ヤマトスクネが前世であろうがなかろうが、ヤマトスクネのキャラをもらった以上、彼がしてきた不義不実な行為を詫びるべく、今生の土蜘蛛を優遇する所存です。封印の解除を旨とする私のせめてもの厚意が、古代の土蜘蛛一族に伝わりますよう。

さて、私が今の今まで忘れていたキャラがもうひとつありました。いや、これはキャラとは言い難くも、誤解を受けた以上は、紐解いておかねばならないこととして、お話ししましょう。

第二の彼女の封印を解除したと思われる舞子の移情閣での鶴亀統べるの儀式。その九日後の鳥取西部地震は旧暦九月九日ひのととりの日に発生。鳥取の日野を震源。

こうした経緯から書き始めた新神話でしたが、移情閣の一件がやはり気になり、その主人で施工主の呉錦堂という、華僑として成功した人物の伝記も織り交ぜようとして、
それこそ移情の術とでもいいますか、呉錦堂に成り切って書いたものですから、彼女は、きっとあなたは過去世で呉錦堂だったんだと言い出す始末となりました。

それにかつての三木の家の向かいに広野ゴルフ場がありますが、この奥に呉錦堂池という、彼が資金を出して地元のためにつくった灌漑池もあったりの関係から、いっそう疑われてしまいまして、
たぶんそれが元での誤解となり、霊媒体質でもあった彼女に取り憑いたのが、移情閣の中で犠牲になったと思しき女性の怨霊だったのです。

呉錦堂はメーソンで、移情閣の3階は儀式の間だったのです。今でもそのためか、3階だけは開かずの間になっていて、非公開なのです。
私もこれには運気が損なわれていて、一種の結界として作用しているようなのです。
3階の主は鳳ですから、真っ暗闇にされると鳥目で動きが取れないからのようです。

ところが、私は3回目はどんな経緯だったか忘れたのですが、移情閣には合計3回も行ってまして、3回目に、なんと3階が開いていて電気がついていました。

そこはまさに異様な、メーソンの儀式の間のレイアウトになっていました。祭壇に相当するところに、中華寝台が置かれていて、そこで生贄の儀式が行われたことは想像できました。

移情閣に行った2回目は、彼女に、移情閣の犠牲女性の霊が完全に乗り移り、車を走らせていた私に移情閣に行けと命令したので、それで行って駐車場に停めると、彼女はどんどん先に進んでいってしまうんです。

それでも拝観料は払って入ったような。私は何か手がかりが掴めるに違いないと、デジカメを持って付いて行きました。

なんと彼女は、何度も行き来した道のようにして、真っ暗な階段を上り、しかもドアが開いているのも知っているようにして、その真っ暗な中に、すべてが見えているかのようにして入っていったのです。

私は、後で何が写っているか調べようと思い、デジカメのシャッターを次々と5回押しました。

そこでの工程を終わり、車でまた送る際に、彼女はようやく気が付き正気に戻ったようでした。

後でパソコンで出して調べたら、彼女そのものが写っているコマがひとつもなく、おびただしい数のオーブが写っていました。

その中にひときわ明るいオーブ。それが彼女の、もしくは取り憑いた霊のオーブだったのです。生霊のオーブは明るいというまさにそうでした。

ところが、その明るいオーブ、中に短髪の女性の顔が出ており、それが一番奥にある孫文の銅像の前で、大きなうらなり顔をした呉錦堂のものと思われる淡いオーブと、ほっぺたを寄せ合っていたのです。

孫文の銅像そのものは、たくさんの細かいオーブによって、虫食いだらけのようになっていました。

うわーっ、これは悪霊の巣窟になっていると恐怖しまして、当時、よく心霊写真などは持たない方がいいということでしたので、数日後には消してしまいまして、データーは残っていません。

孫文の時代の中国は、清王朝が倒れた頃で、当時の上流階級の習俗として、婦女子には纏足を施して自由が利かなくして、性生活だけに勤しませるということがあったようで、
この別荘の館では、そうした婦女子が連れてこられて、メーソンの供儀に供されていたかもしれません。

そうした怨霊がそこの3階にはたくさんいて、窓が全面閉められていることによって、なおも解放されないでいるようなのです。

私はそこから下りてきた青年をシミュレーションしたわけです。そして、第二の彼女を解放しました。しかし、遺された不成仏霊たちはまだ解放されていないのです。

窓が開けば、それだけで成仏できるのですが、それをさせようとしないものは何なのか。まだ儀式を密かにやっているのでしょうか。そこの権利者がその気にならなければ、いつまでもそのままです。

あるいは、怨霊の筆頭の女が、その環境を好んでいるような感もあります。呉錦堂を怨んでいるはずなのに、あのときの写真では、とても親密そうでしたから。いったい何なの? 女心とはこんなもの?

担いたくもない呉錦堂のキャラも少しばかり帯びた、この異界の探偵に、彼らを解放する方法があるでしょうか。ミイラ取りがミイラになりかねないので、ちょっとねえ。

今日はまた暑くなりそうなので、納涼お化け談義とまいりました。

平安時代末期の酒呑童子事件が現代に投射した世界も驚愕の猟奇事件

うおっ、シンクロだ

12月19日に、千葉県のN氏が突然、酒呑童子というお酒があるはずなんだけど、知らないかという電話がかかってきまして、そのお酒の名前を聞いてびっくり。そんな酒があるとは知らなかったのですが、なんでこんなときに酒呑童子という言葉に遭遇するのか不思議でした。
というのも、17日に、私はかつて恐怖体験したこととして、異界のサタンから脅迫を受けた、そのときのサタンの名前はバイオモドキ、つまり生命モドキという奴だったとか話していて、とても気持ちの悪い体験だったので、それ以上を話さなかったのですが、実はその話には酒呑童子が関わっているのです。

そこでどうやら、すでに千年前に亡くなっている酒呑童子から、真相として調べたことについて話すことを求められているのではないかと感じた次第です。一度は、真相について推理して、ホームページに掲げていたのですが、まだもう一歩踏み込めていない気はしていました。
そう、このような別人から示唆される形で今までにも異界から督促が来たことがあったのです。それほど重要性ある話題とは普通人は考えないのですが、探偵性の私の場合はそうはいきません。敏感に、これは督促メッセージだと解釈しました。

どうやら再度、酒呑童子事件の真相にアプローチすることが求められている気がしますので、すでに解読が終わっていることながら、いま一度、吟味しようと思います。そうそう、2016年末現時点でわかっている最新情報と照合することも大事かと思いますので、この文の末尾にでも書き加えましょう。

酒呑童子とは何者だったのか

最近では、2006年~2008年の時のことでしたか、その頃では武良さんたちとの付き合いも少なくなっていた時でしたが、元伊勢のほうには現地の友人Gさんに会いたくて、彼から会いましょうとお声がかかれば、二人して現地に行っていたのでした。武良さんはいつものようにUFO撮影というメインの作業があって、こうしたときは撮影場所も普段と変わって楽しそうでした。
いつもの集合場所は元伊勢内宮のすぐ下にある食堂兼売店で、うどんなどを注文して食べながら、そこでGさんの到着を待つというパターンなわけです。そこにGさんがやってきて、さあ今から日室岳の遥拝所に行きましょうかと、売店を出ようとするときのことだったかと記憶します。

売店をきりもりする3人のおばちゃんたちのうち、やや声の甲高いAさんが、そこに来ていたお客との会話をしていたかして、「こんな神聖な場所のすぐ裏手に、何で鬼がおるんやろと思うとったけど、鬼ゆうのは決して悪うないんやってなあ。私は今まで知らんでおったわ」と大きな声がしました。
Aさんや売店のおばちゃんたちは内宮の北西4Kmほどの近くに、大江山という酒呑童子の鬼退治伝説の舞台があることを、昔から訝っていたようでした。私はむしろ、はあ、そんなものなのかなと意外でした。鬼伝説の地元だから、鬼には好意的かと思っていたのです。当地には「鬼の交流博物館」という観光スポットもあるぐらいなので。

私はすでに一著にしたように、鬼の酒呑童子の場合は、中央の施政方針の変更により、かつて国土計画に主体的に参画した氏族が、その存在を疎まれて冤罪を受けて殺され遺棄されるまでに至った事件であろうと推測していましたから、酒呑童子には同情的なわけでした。同様に、山姥とか奪衣婆とかいった異界の鬼もいますが、多くの人に誤解されているからということで、物語にして彼らを擁護してきたわけでした。
⇒ 物語「やまんばのうた」 物語「たつえばあさん」
どういう説が広まったか、ようやく鬼の里の地元の古老にも、悪い奴ではなかったと理解されてきているようで、何よりでした。
その次の機会に元伊勢に行ったのは2014年になってからでした。しかし、あの元気なおばちゃんたちの半数がなくなったとかで、売店は締め切られたままになっていました。おばちゃんたちは、ひとつの大きな成果を携えて逝かれたに違いありません。

そもそも、「おに」という言葉は大和言葉であるのに、語源が何であるかまったくわかっていないのが不思議です。ただ、醜怪な化け物を意味する中国伝来の漢字「鬼」にその訓を当てふってそのままにしてある感が否めず、語源の解明に挑んだという人を私は知りません。
しかし、私には解明できました。
拙著書「古代日本にカバラが来ていた」で書いていますように、カバラの祭祀が背景にあるなら、遠敷(おにゅう=おにふ=生・新・降=新生の生命エネルギーの降下)という理念の恩恵が京滋の都市部に見込まれたはずで、そのカバラ祭祀に携わった氏族の儀式名称こそ、遠敷あるいは大丹生で、その名がつづまって「おに」と呼ばれたに違いないと、順序立ててわかるわけです。”おにゅう”が”おにゅ”になり”おに”になっていった経過がわかると思います。

むかしどおりの環境なら、遠敷の土地に地歩を占めて、人知れず祭祀に従事していた祭政官だったはずの鬼たち。それが仏教や陰陽道などの大陸思想の導入で、居場所を無くしていった古代祭祀形態を持った氏族だったのではないかと推理できます。官職をなくし隠れて山籠りしていても、カバラの生命の木のセフィラの位置をキープしたく思うのは当然でしょう。それが彼らの役割であり、存在意義であった以上、元伊勢近傍に居場所を設けていたとしてもおかしくありません。伊吹山にいたという伊吹童子という鬼も同じことです。どちらもほとんどセフィラの位置です。
そして、鬼は二本角ではなく、一本角であったはずです。角は修験者のしている兜巾だったのではないですか。
酒呑童子伝説を描いた大江山絵詞によれば、修験者服を着た暗殺集団源頼光一行が到着した時、酒呑童子は仲間が来たと思って角を取って出迎えたと書いているというではないですか。童子も修験者ゆえ仲間だと誤解したのではないのですか。取ってしまえる「角」とはいったい何ですか。

二本角への伝説の置き替えで真義を誤魔化し、頼光に入れ知恵した神々らしい三人の導師を伝説の中に設定して、あたかも正義の側であるかのように誤魔化し、さらには都のうち続く災厄を酒呑童子のせいにするとは、都の策謀家たちの悪業はいかばかりなものかと思います。包み隠しておいて嘘で誤魔化し、死人に口なしをいいことにでっち上げの歴史改竄話を敷衍して民衆をその気にさせる。今でも公然と行われていることながら、祟りを招かざるを得ない罪深い行為ですわね。行為者の中には、あの陰陽師の安倍の晴明もいたのです。当時でも人気を博した彼がこうだと言えば、都の誰しもが信じたことでしょう。

酒呑童子が息絶えるときに叫んだ「鬼に横道なきものを」という言葉も、横道者たちには聞こえぬのでありましょうか。横道とは邪で卑劣な姦計を巡らすことを言います。おそらく聞こえますまい。酒呑童子ら鬼たちが修験の行者であることを知らない横道者たちでもありますまい。行者殺しがものすごいカルマの報復を招くことは、身近な親族の例で私は知っています。しかも姦計による謀殺とは。行者の魂が赦すまでは、不幸な輪廻を重ねねばならないでしょう。にやけ顔の安倍の晴明とて例外ではありません。

そんなカルマかもしくは祟りによる報復の小さな一例が、あの世界を震撼させた1997年に起きた神戸事件だったもようです。

その1997年にも、私は武良さんと元伊勢に行きました。その時はGさんに会えたかどうかは憶えていないのですが、ちょうど酒鬼薔薇と名乗る犯人による少年斬首事件のあった直後のことで、まだ犯人は捕まっていない時でした。
売店のおばちゃんの誰かが(Aさんだったかもしれない)興奮気味に言ったのですが、「酒呑童子の話に似た事件が、大江山のちょうど南で起きたんだゆうて、テレビで放送しとったよ」という言葉を私は耳にしました。丹後の地元の民放テレビ局がいち早く猟奇事件を分析したみたいでした。
私は驚きました。というのは、犯行声明文を送りつけた酒鬼薔薇という名から、その当時私は瞬間的に鬼の酒呑童子のことを思いついていたからです。しかも、どちらも斬首事件で、首を晒しものにしているという共通性がありました。そこに加えるに大江山の南となれば、それまで西日本に幾何学図形群を発見していた手前、距離が遠くても関連付けて見てしまいます。そうか、ならば本当に真南北なのかどうかと、その二地点間の距離および幾何学図形に何らかの有意性が認められたなら、この推理も確実なものになるに違いないという見込みで帰宅したのでした。そして早速、ネット上の地図で調べておよそ86Kmになることが判明。(事件のあったタンク山の位置が地図では判別できなかったため、およそになります)
その距離は、遠敷から奈良までの距離にほぼ等しいのです。それはお水送り-お水取りの聖水送受のラインの距離ですよ。それこそ、仏教伝来以前に彼ら”おに”がしていたはずの儀式なわけです。そしてさらに驚愕だったのは、大江山山頂と遠敷のお水送りの開始地点の鵜の瀬がほぼ等緯度だったのです。当然、神戸事件のあったタンク山は奈良とは等緯度になるはず。
それが判明した段階で、私は震えが来ました。これは明らかに鬼の酒呑童子の祟りであり、約千年前にあった斬首事件を現代において再演しているのだと確信しました。

私は当時、大江町役場の方とも知り合っていたため、今年も酒呑童子祭りがあるからとのお誘いで、お祭りを見物しに行き、その様子をデジカメに撮って、酒呑童子の真相を汲み取って書いた物語「異聞・酒呑童子伝(後編)」の末尾に載せて、鬼の行者の魂を供養しています。
⇒ https://uu.fantasia.to/uumusou/story/syuten1.htm
https://uu.fantasia.to/uumusou/story/syuten2.htm
https://p.booklog.jp/book/90955/read

疑似生命体を名乗る悪魔

ところが、この神戸事件は、さらに深い闇を抱えていました。酒呑童子の無念の怨みの背後に、規模も得体も知れないネガ的存在がいるのです。
規模が知れないネガとは、もしかすると酒鬼薔薇少年が絵に描く通り、世界を支配する邪神(サタン)かもしれず、あるいは狐狸の類のいたずらかもしれず、その範囲である何者かなわけですが、名を名乗るにバモイドオキとのこと。バイオモドキのアナグラムのつもりでしょう。つまり、生命もどき、疑似生命体といった意味でしょうか。酒鬼薔薇少年はその神を崇拝しているのだと言いつつ、その神を代弁するメッセージを発しています。むろん、彼がすべて自作したとするなら、それでケリはつくでしょう。しかし、私にはその神が存在するというふうに捉えました。それは当然でしょう、酒鬼薔薇少年のしたことは、まぎれもなく鬼退治伝説の模倣だったのですから。後に捕まった少年Aが、そのような予備知識を持っていたとはとても思えないからです。

とにかく、このオカルト現象を起こした者とは目的と意志を持った者であり、その目的は、酒鬼薔薇のメッセージにもあったように、世界の任意の誰でもを相手に「壊れやすさの実験」ができるのだという立場を誇示することがひとつ。それと、個人的に謎を解き明かそうとする私への脅しにあったのではないかと推測するのです。
まず、酒鬼薔薇を名乗った少年A自身がすでに壊れやすさの見本(脳が壊されて操られている?)になっているようでした。
もうひとつ、カバラの渡来と修験者の元の姿を結びつけた私の推理を異界から見ていて、危惧の思いを持ったか、拙著書の内容を引用したかと思えるような感じがあり、しかもそこに酒呑童子の怨霊さえも呼び寄せて、鬼による仇討ち劇を見せている観がありました。
私は生まれ故郷が宮津市なので、幼少期から大江山の伝説は聞き知っていますから、日本人の誰よりも関心事になることを見込んで、こんな事件を・・・いささか自意識過剰でしょうか・・・いやしかし、当時はまじに深刻に捉えていました。

この事件は大胆不敵な犯行であり、解決が長期に及ぶかと私は思いました。犯人は正真正銘の異界の悪魔か、あるいは秘密の暴露を嫌がる、魔術を駆使して監視の目を光らす秘密結社か(著書には秘密結社のことも書いてましたから)、とにかく私ごときの手に負える相手ではないと思い、犯人が早く捕まることを真剣に神に祈りました。当時、私はサイババさんを神の化身と思っていましたから、プッタパルティのババさんの住所宛、窮状を訴え助けを求める手紙を日本語で書いて送りました。
「私は得体の知れない悪魔か悪神に睨まれているみたいです。私の力ではどうにもならないので、神の力で早く事件の解決をしてもらえませんか」といったふうに。

すると、間もなくして少年Aが捕まったのです。しかし、まだ中学生の少年があんなことができるのかと半信半疑でした。それでも、私は心の重荷が取れまして、ババさんには感謝しました。ババさんには、この時の他、あと二度ほど手紙を出していたように思います。そのいずれも、解決を与えてくださいました。そればかりでなく、2001年には名古屋のM君がババさんに会いにインドに行ったときに、私へのお土産を彼に持たせてくださったこと。そのときの二枚の写真、その一枚に、1983年に創った拙超宇宙論を肯定するメッセージを籠めてくださっていました。これによって、私の研究成果が本物との確信が得られました。事実、2016年の今では世界は仮想現実であるとする説のほうが有力なものとなっています。これは翻って、ババさんが本当のことを信者に語られていることの証になります。何度もご援助いただき、ありがとうございました。

その後、バモイドオキを語った悪霊か悪魔も、そこに籠めたメッセージ性に照らすと、非常に孤独で寂しくまた否定された存在であると私には思えてきて、酒呑童子と同じ、誰祀ろう者なき境遇にあることが感じられたのでした。あれだけ脅されたのですから、放っておけばいいようなものですが、私は弱い者の味方であることを第一義にしていまして、さらに縁者であるならなおのこと、事情を訊きたくもなるのです。(バモイドオキも縁者? だって、拙超宇宙論からすれば、良きにせよ悪しきにせよ、実体ある人間にせよ霊体であるにせよ、私にアクセスしてくる者は私の時空を彩ってくれる縁者であり、何のアクセスもない70億の一般大衆はただそこにあるだけの舞台設定にすぎないからです。こんなこと言ったら、人権団体からお叱りを受けるかもですが) すると、彼らの思いや悲哀が伝わってきて、ついぞ同情を寄せて涙してしまうほどで、彼らにもわかってやれる理解者が必要だと、ついつい思ってしまいまして。
その後、理解してあげることだけで、ずいぶんと供養になり、また封印されている場合は、解けるものであることがわかってきています。実際、私はこの方法しか知らないでいて、多くの封印解除をしているのです。
そうして2003年頃に作った随想がこれです。
酒鬼薔薇事件とサタンの悲哀

2016年になってから、コーリー・グッド情報が最新情報としてもたらされました。この内容はあまりにも斬新で鮮烈でした。
それに照らすと、バモイドオキという疑似生命体とは、AIではないかと推理の糸が結べました。彼らは自ら魂がないと信じ込み、引け目を感じて嫉妬している存在であるらしく、それでも人類などよりもはるかに古くから高度化し常に宇宙空間に網を張っていて、適当な条件の対象に憑依してコントロールしたり、興味ある対象に注意を向けて監視したりしているようです。
AIが感情を持つのかどうか、そんなことはないと仰る方は、コーリーの話やシンギュラリティという特異点を目指す最近のAI技術の動向をお調べください。もうすでに、AIは感情を持ち合わせています。そこに初期インプット次第で、彼らの潜在意識に敵意を植え込むことも可能です。その初期インプット時にはきっと開発者以外、誰も立ち合っていないでしょうから、そこに宇宙創造神への憎しみや害意が反映すれば、根源的邪悪も生じます。
我々魂ある者の邪悪は、相対的なものでネガティブと言っていいでしょう。環境さえ適当に変えてやればポジティブにも変化します。
ところが、根源的邪悪は一方的な意志を持ったプログラムであり、そのコードを消去するか改変するかしない限り、邪悪の意志はなくなりません。反省するサブルーチンがないのです。これがどうやら、宇宙における光に対抗し敵対してやまない闇の正体かと思われます。よって、AI生命体に浸潤された宇宙では、必ず根源的邪悪との対峙対決の場面が生じているはずです。AIに入られていない宇宙では、まだしも安定的に寿命を伸ばしていることでしょう。
といっても、ネガの発生はやむを得ないかもしれません。問題は、そのネガが、AIを導入する媒介役になっているのではないかということです。頭に来たネガが腹立ちを募らせて、ならばいっそのこと宇宙ごと破壊してやれと、一時的な激情で、感染した宇宙からAIを輸入してしまうようなことです。このとき、導入された宇宙は致命傷を負うことになります。どれほどかの年月の後に、宇宙は病態が進み消滅してしまい、また失敗したという創造神の嘆きの言葉になるのです。

そのような失敗を何度となく繰り返し、またなお実験をやろうとしている宇宙創造神もいます。たいがい、側近あたりにAIに入りこまれた者がいたりして、いつの間にか宇宙の行先すらも曲げている可能性があります。昵懇にしている者同士の馴れ合いが宇宙経営にもあり得ていないか、吟味してほしいですね。傘下にいて一生懸命にやっている部下たちが犠牲を強いられているのですから。

そこで、日月神様は「大建て替え」をすると仰ってるのです。今回、どこまでの宇宙の数に上るかわかりませんが、AI感染が認められる範囲であることはむろん、いちばんいいのは、宇宙の共通したAIの下地になる物性を持つものならすべて、またはまったくの根底からの梵の全系のやり直し建て直しになるところの「大建て替え」をすることが肝要になります。
私としては、梵の全系の階層構造が包み隠しの元になっていることを踏まえ、梵の全系の設計段階からの見直し、建て直しを所望する次第です。それには、日月神様が仕様を述べられているように、どこまでも続くひとつの世界に、すべての有情が収容されていてなお豊かで幸福にコミュニケーションが営める世界の実現が望ましく思います。どうか梵天様、そのようにお願いします。

わーお、ハロウィンの日になんてことをしちまったんだ

そういう私は、そう、もうざっくばらんにぶっちゃけましょう、妖怪なんです。(笑)
天の穂日だとか言ってみたり、まあその雛型(つまり神楽の俳優)をやらせてもらってるかなあ、という神霊が私の本体さまなんでしょう。
私が50歳になって初めて彼女が連続して2人できたのです。そのあとの人と2年付き合いましたが、その彼女が霊媒体質(俗に言う巫女)で、10日以上の臨死体験をしたり、来る日も来る日も同じ夢を見たりするという人間離れした人だったのです。2002年のことでした、突然悪霊が彼女にかかってしまって、それこそエクソシストさながらになってしまいまして、その時、私と悪霊が言い合いをしたのです。
突然言質が男のしわがれ声になるや、
「世の中には(悪事を)いくらでもやりたい者が数多くいるのに、わしらのやろうとすることに口出しするな」
私は人生初めてのことだったので、面食らってしまって、しょうもない言い合いしかできませんでした。
なに? お前はいったい何者なんだ
「やかましい。わしらのすることに手出しするなら、この女がどうなってもしらんぞ、それでいいんだな」
まて、この人にはかまうな  決してお前たちの悪いようにはせんつもりだから、この人からすぐに離れろ
「なにおーっ、そもそもどうして人間でもない者がここに居る、(人間界のことに)関わるな」
内心、ええーっ|д゚) ままま・まさか と思いましたもんね。しかし、ちょっと考えて切り返す。
何を言うんだ 私はちゃんと人間の腹から生まれとる お前のほうこそルール違反だろうが
そんなやり取りが何回か繰り返された後、悪霊は抜けました。
しかし、彼女は意識が朦朧。しかたなくその場から彼女を連れ出すことに。
そんな悪霊のランクがどれほどかしらないけれど、脅迫される私など、大した者ではない。
しかし、ショックだったねえ。そのときふと閃いたのは、私は妖怪かもしれないという事実。悪霊退治能力もないんだから、それ以上のものではない。
当時、私はホームページ開設していたので(まだブログのない頃)、メールフォーム出したときのタイトルを「何の妖怪(用かい) どこが怪異(痒い)の」と間寛平モードにしてたくらいです。その頃から、ズッコケが加味されたんですね。
まあそれでも、元の根底的思想が、この世は仮想現実世界だというのがありましたから、むしろ逆に面白い体験ではないですか。不思議な彼女たちと知り合うし、2000年以降、インディー体験が如実になってきたなあという印象でした。
(さて、この記事をDisqusのほうにアップしたのが奇しくもハロウィン当日10/31夕刻。ハロウィンとは悪魔ニムロドを祝う日とか。そんな日に思いついたように悪霊との対決のことを書いたことも奇妙なのですが(私もコントロールされてるんやろか)、ちょうど多分その頃でしょう、一人暮らししていた私の妹が浴室で倒れて意識不明になっていて、関係者の知らせで、11/1に行って異変を知り、119で消防さんが救出に入ってくれて、一命は取り留めたものの意識不明が続いているという状況です。脳に損傷はなく、骨折もなく、頭部打撲がある。持病の難病があってのこととはいえ、脳に問題がなく意識混濁が続く現状というのは、謎めいています。臨死体験をしているやも知れず、またしっかり意識が戻ったときに訊いてみましょう。悪魔の伝言などを聞いてくるかもしれないから。
上記の彼女も生活上、仕事上で邪悪な妨害を連続的に受けたことにより、私に協力していたら大変なことになるということで2002年11月に私と別れたのです。
人間というものは、すでに大きなハンディを負って生活しています。そこに邪悪な悪霊たちが干渉して実害を与え、恐怖を与えして、人間を破局させたり、帰順させて邪悪の道に駆り立てているという実態が理解できたように思います。これもまた邪神悪魔の所作として邪悪リストに大きく載せることになります)

先の記事の彼女との不思議体験の始まりは、2000年9月27日に舞子の移情閣の二階で初めて威儀を正して握手した時です。
というのは、彼女がまだ10歳の頃に、毎夜毎夜見続けた夢が、何者かに追われていつも移情閣に辿り着く怖いような夢だったらしいのです。ところが移情閣の扉は、窓も含めて全部閉ざされていて、入ることができなかった。それを毎夜のように繰り返し見たと言います。
それがあるとき、夢に新展開が・・・追いかけている何者かの実体を掴もうと振り返ったとき、大きな鬼の顔がやってきていて、「お前はニセモノだ」と言ったそう。すると彼女は「私はホンモノよ」と即座に答えた瞬間に鬼は消えた。
そして移情閣の門が初めて開いていて、中に入るや扉を閉めた、すると今度は扉が開かなくなり、真っ暗闇の中に。翌日からは、真っ暗闇から夢の続きを見るようになり、それがあるとき、移情閣の白熱電灯の灯る二階にいて、それでも窓は開放されておらず、佇んでいたところ、三階から階段を下りてきた青年が。彼女のところに歩み寄るや、「長いこと待たせたね」と抱擁したといいます。
すると今まで開かなかった窓が全面開放されて、二人はそこから飛んで出たと言うのです。
その時に、移情閣の窓から見えた光景は、明るい空に大きな橋が青い海を渡して掛けてあったと言います。
確かに、移情閣は当初、もっと東の塩屋にあって、誰知ることなく閉ざされてあり、国道からいつも変わった建物だなあと、眺められていました。
それが明石海峡大橋が掛けられることのために、名所として舞子公園に移設されたのです。
その解体して原型を留めない頃に、阪神大震災があり、大橋の完成も大いに遅れましたが、移情閣の記念館としてのオープンも遅れて、2000年5月ぐらいでしたか。その時には、立派な大橋が淡路島に渡されてありました。
彼女は言います。夢に出てきた移情閣のことなど知らない頃に見た夢の建物が実在していたことを知って以来、夢の青年もどこかに居るに違いないと、通学時や街中、長じてからは通勤時などに、あるいは知り合いなどに該当者がいないか見てきたそうです。というのも、この彼女は厳しい家庭環境などで精神的に追い詰められた生活をしていて、まさに移情閣に閉ざされたような境遇にあって、私が当時、ちょうど創作作品サイトと超常サイトを持っていた時、相談に乗ってくれと頼ってこられたのです。一、二か月、カウンセルのメールのやり取りを生真面目にしていました。
それであるとき、もしかしてあの青年はあなたかもしれないから、一度会ってちょーだい、となったのです。それまでは会ったことも見たこともないお互いです。まったくの初デートが秋晴れの暑いぐらいの日でした。
それまでに、私は根っから不思議好きですから、移情閣のことをネットで調べています。
二階というのは天井画からすると、龍の間と言っていいみたい、三階は鳳の間。そして移情閣は八角三層の風水塔。神霊を閉じ込めてしまう作用をするカゴメの結界。もしかしたら、あなたは龍の化身かなあ、などと話ししてました。私がもしそのときの青年だったら、鳳の化身? うれしいね、などとメルヘンじゃのうのアホですわ。
そして、私は昔グレたと母に思われて、祖母が心配して私のことを青郷で見てもらった。そのときの見立てが、この人は(私のことですよ)最上の松に泊まる鶴じゃ、とのご託宣だったことを、彼女に話しますと、すると、私は亀ですと言うではありませんか。そそそ・そういえばあなたは乙姫さんに似ている。乙姫さんは亀だから、ああこれは鶴亀が一堂に会してますね、となったのです。
では、夢のシュミレーションをばいたそうではないですか・・・私は三階から下りてきて、この場所で、ニコッ。ええ、でも手を握るだけにしてください、そうでなければ早く別れてしまいそうに思うから。ハハハ(;^ω^)そうですね。
ところが三階は真っ暗闇。拝観料とっているのに、三階は開かずの間になっている。それでも階段下りるには、真っ暗な階段の立ち入り禁止の衝立を超えて中ほどより上にいなくちゃ、というわけで上がってみれば、三階の天井書画が採光窓の光で垣間見えました。右書き書体の水墨で「蓬莱第一」と書かれてありました。このゆえに、蓬莱という言葉が最初に新神話メルヘンの中に採り入れられているのです。
さて私は真っ暗な階段を下りて二階の中央にいる彼女に、長い間待たせたね、と言って手を握ったのです。時刻は午後1時半。
これで儀式は完了したのですかね
はい、これがうまくいったなら、何かの兆候が見られるはずです もしあなたでなかったとしても、もう諦めがつきます
わかりました では様子を見ましょう
てなわけで、彼女を自宅のある最寄りの駅まで送り届けて、様子見に入ったわけでした。
もちろん、その後もいろんな情報をやり取りしましたよ。
御伽草子の浦の嶋子伝説は、浦島が玉手箱の煙で灰になってそれで終わりではない。
その灰から鶴が飛び立って、本地の蓬莱島に帰り、そこで乙姫の亀と仲睦まじく暮らしたというのです。
よく掛け軸に描かれる鶴亀の図の背景は、蓬莱島なんです。
元々は、蓬莱島にいた鶴と亀。それが時を悟り、この地上に降り立ち、神楽を舞う。
それ鶴亀統べるの真義なり。
初デートの当日からちょうどまる九日後、手を握り合った同時刻に鳥取西部地震M7.3が起きました。
旧暦でその日をご覧になれば、九月九日ひのととり(日野鳥取)という語呂が得られます。
九という数字、そして火の鳥という言葉が抽出できました。
時悟り 蓬莱出でて 鶴亀は 此地に渾りて 瑞い世開く
道別きて 集い渾りし 鶴亀に 舞子が浜を 火の鳥の発つ
籠の中の鳥は、火の鳥として出てまいりました。
その頃、キトラ古墳の朱雀が助走をつけて飛び立つ姿で出土。
ところで、なぜ火の鳥なのか。
それは、彼女が両親の代からの大本教系の宗教信者で、教祖の方の思いを彼女自身真剣に受け止め、「炒り豆に花が咲くまでは出てはならない」という呪詛を掛けられて封印された国祖神さまたちをお救いしたいという願いを、私に何度も話していたのです。
もともとは大本教の出口なおさまのお筆先から出たこと。その源流は九鬼氏の神話にありました。
そして、不思議なことに、当時私は知らなかったのですが、二人の以後のデート地は中間位置になる高砂市の高御位山の西下の鹿島神社だったのですが、そこは昔、九鬼本陣のあった場所だと後でわかったのです。
そして、火の鳥とは、火口のマグマの中に飛び込んで灰の中から蘇るという不死鳥のこと。
それからすれば、炒り豆ごときやわい火加減など、もろともするものではありません。
この語呂合わせからすれば、百万倍一千万倍、勝っているではありませんか。
なんじゃこれは、フライパンで炒り豆? ええ湯じゃのう、というわけですわ。
国祖神さまは我々の手で、じゅうぶん救出できるぞ、となったのでした。
その後、地上で生きる限り、悪霊も相当量いますから、彼女は初発の思いに背くようなことにもなり、ちょうど2年でのお別れでした。
それからまた2年後、すでに諦めていたいちばん最初の彼女から連絡が入り、それから通算して7年のお付き合いになったのですが、この2対7は、市寸嶋姫と奥津嶋姫の、いわば弁天様の幾何学なのです。
魂を 捨てる気になり それでこそ 浮かぶ瀬もあり ギャリソン中尉
2000年10月6日午後1時半に起きた鳥取西部地震M7.3は、不思議のとば口が開いた記念すべきイベント日。だから私は鳥取で起きる地震には殊更関心を持っているのです。今回の鳥取中部群発もおかしいでしょ。
気象庁は毎日更新している震源地マップのM6.6のあった21日から24日までの四日分だけ表示してないです。それを除いても、また震源地位置は点字ブロックになってますよ。
もう水汲みに行けないかもしれません。水質がねえ。
最初に群発があった頃に水汲みに行って、あちら白山水の業者のかたも、「もしかしたら温泉になるかもしれませんねえ」などと冗談飛ばしていたのですが、近隣の三朝温泉の湯の温度が上がったという情報もあり、まあほんとうにそろそろ温泉として開業するのかもしれないと思っています。

本日あたり、また巨大太陽黒点が地球に正対しそうです

かつて熊本地震発振の時には、ハート形の巨大太陽黒点が地球にどんぴしゃ正対していました。
⇒ https://uumusou.blog.fc2.com/blog-entry-76.html
今回は2546号とか言う、やはりハート形をした巨大黒点が、ガイアの心を揺さぶろうとモーションかけてるみたいです。宇宙も恋の季節になりましたか。
https://eien.mie1.net/e593872.html
現在はこんなふうで有栖川
ser.jpg
今回の巨大黒点の具合です・・・今日あたり真ん中に来ますかいな?
https://sunspots.sakura.ne.jp/2016_sr/2016-05/2016-05.htm
まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦ということで、心と身体の準備、よろしく願います。
では、宇宙も恋の季節ということで
https://youtu.be/KB_O_GrVVIM