ミケの子供の父親はブーだった!!

もう過去のこととなってしまいましたが、写真はミケの産んだ赤子のうち一日だけ生き残ったほうの子猫です。

ミケに代わり、たった一日とはいえ、私も育児に関わったため、愛しさには大きなものがあります。

生まれた赤子は二匹とも、かつての”たまろ”と同じ黒毛で、ミケは三毛猫なので、父親はたぶん黒猫だろうと推測されました。

その父親は、どうやらブーだったようです。
というのも、ミケが食事しにやってくる頃に、よくブーも相前後しながら食事しにやってきていましたが、たまに鉢合わせしても、お互いが関係なさそうに振舞っていましたし、A家には黒猫は4,5匹いますから、誰の種を受けたかなどわからないことでした。

しかし、今朝、5時半頃、私がまだ寝ているときに、台所のほうでバタンバタン、猫が飛び上がったり降りたりしている音がしているのです。で、隣室の餌場を見ると、ミケがウェットフードの置き餌を懸命に食べています。音はその向こうの台所からしています。

ミケが餌を食べ終わり、出て行きますと、私は上体を起こして隣室のほうを見ますと、ブーがこちらを向いて、ニャーと一声。「おお、お前、きとったのか」と言うと、私の寝室にブーはニャーと言いながらやってきて、私の愛撫を受けるのでありました。

それから食事をとらせました。「おみゃー、ミケといい仲なんじゃな。もうおみゃーら、ここにいっしょに住んでいいんだぞ。ただし、喧嘩は絶対にあかんけどな」

ブーはいつものように、食べ終わると何も言わずにプイと出て行きます。そのうち半分ぐらいで、私に見えるようにして、おしっこを壁になるものに向けてスプレーしていくのですが、今回はそのまま出て行きました。

その後、ミケはまだ物足りずに居残っていましたから、レバーを温めてやりますと、どうしても口に捉えられないつるっとした部分だけ残して、ほとんど平らげます。歯がないお婆さん猫のため、それが常のことなのです。

ここからは、不思議話になるので、現実話だけでいいと思う方は、読まないでください。
ブログタイトルに不思議な物語としていますように、私の主眼、力点はここからなのですがね・・・。

私の母が亡くなって少し経った頃には(2007年)、よく母の夢を見たものです。その夢のほとんどが何らかのシンクロ事象だったのですが、そのひとつに、当時住んでいた自宅とは、間取りの異なる家の中にいる夢を見たというものがあります。

三つ部屋が連なっていて、そのうち左側のふたつの部屋に沿って廊下があるのですが、私は廊下にいて、左二つの部屋を見る位置にあって、左側の部屋には、祖母(母よりも前に亡くなっている)がコタツに座って目の前のテレビを見ている。そしてその右側の部屋には、父(母や祖母よりも前に亡くなっている)が、同じようにコタツに座って、やはりテレビを見ているのです。そして、母の声が上空からしたという具合。(何を言っていたか忘れましたが)

母は、そこらへんにいるものの、姿は見えませんでした。見えたのは祖母と父。

縁者が出てくる夢というのは、けっこうリアルに憶えているものです。ほとんどの夢は、目が覚めるや忘れていたりするのですが。

しかし、そのような部屋の間取りをした家はどこにあるのだと、当時は思っていたのですが、いま住んでいる家がそのような造りなのです。何も、そのような間取りの家を目指して買ったわけではなく、安い家を探していて、突然に降ってきたようにしてニュースがもたらされ、飛びついた物件がここだったのです。

ただし、廊下のように思えたのは、ベランダ通路でした。いま私が寝室兼書斎にしている部屋に祖母がいたことになるのです。

その祖母が、いまの家とどう関わっているというの? さあ、それなんです。

つづく・・・

赤ん坊猫永眠

今朝8時20分頃、動かなくなりました。
経緯は、昨晩にミケが戻ってきて、赤ん坊を見せると、寄り添ってくれたので、これはいっそう見込みがでてきたと思ったのですが、やはり授乳ができなかったとみえ、また私も赤子の鳴き声がしなくなったので、うまく落ち着いたのだろうと判断した甘さがありました。
そして先の記事を打ち込んでいたようなことでしたが、このときにでも様子をしっかり見届けていれば。
発見したときは7時半にもなっていて、箱の中にはもうミケはおらず、備え付けていたレバー食も食べずに去っておりました。赤子はほとんど動かずの状態。これでは鳴き声のあげようもありません。ミケはきっと、自分の手には負えないと、あきらめて去ったのでしょう。
さてそれから、ストーブに火をつけ、赤子の暖めをしますと、足を動かしもがくようになり、声も細いながらあげるようになったのですが、ミルクを口に含ませても、口が開いたままで閉じられず、すべて流れ出てしまいます。口はぱくぱくさせるのですが、閉じられないのです。
暖めて、布にくるんで休ませて15分ほど。あけてみてみると、もう動かなくなっておりました。

年功を経たるおばば猫出産する

4月23日、台所の回廊棚にあるダンボール箱の中で、A家のミケが二匹の赤ん坊を産みました。箱の中には何を入れていたかまったく記憶しておらず、後で見てみると、常備薬として置いていたキャッツクローの入ったプラスチック袋でした。猫がキャッツクローを知って入ったわけではないでしょうが、それを包んでいたクッション梱包用のエアービニールシートがちょうど赤子の保温には適していることを、ミケは見て取ったようです。
(この不思議な取り合わせに、私はシンクロを見てしまうのですが、おそらく流行が兆す鳥インフルエンザにキャッツクローが効くことを猫が知らせたとも思えました。ずいぶん以前にB型にかかったとき、これを服用し、ふつう完治に10日ほどかかるところを3日でこなしたことがありましたし)
思えば、ミケは高齢猫で、歯がないため、硬いドライフードが食べられず、うちで出すウエットフードをよく盗み食いしていたのですが、そのうち、去年の春にうちの猫たちがみな猫風邪にかかったときから出すようになったところの、鶏レバーを狙うようになりました。そして、出産前の二ヶ月前あたりから、日に朝晩二度、室内の外の通廊にちんと座って、鶏レバーばかりを請求するようになっていたのです。そして分量的に満足できるまで居座って帰ろうとしなかった。
これはミケがレバーの栄養価を見通して、妊娠を悟ってからというもの、うちでだけ出すこれを徹底的にマークしたに違いなく、A家で最高齢とも聞くこのミケの知恵を知るような話でしょう。
私は、レバーのうちの突端の固い部分を、うちの猫はあまり食べずに、よく残していたので、その部分をミケにやるようにしていました。といっても、4,5センチほどあるその部位をキッチンハサミでいくつかに切り分けておかないと、歯がないために噛み切れないので、その手間はかけねばならず、しかも冷凍もののゆえ解凍と、食べ頃の温度にまで電子レンジでしておいてやって、ほぼ生食のようにして与えてやるのです。
するとミケは、切り分けられた最突端の部位だけ、どうしても飲み込めないためか食べ残して、あとは全部食するのが毎度のことでした。
それが、回廊棚で、このダンボール箱の上でバタバタ蓋を開け閉めするパフォーマンスをしていたため、まだ意趣を悟れぬ私は、この馬鹿な行為を咎めて、「おまえ、何しとるだー、そっから下りろ、このあつかまし猫め」となじっていたのですが、その翌日に赤子の声がその中からして、はじめて私は今までの経緯の意趣を悟ったのでした。
私はAさんに電話して、いつも来るミケが、うちでお産したと知らせて来てもらいました。回廊棚から箱をおろすわけにはいかず、下から箱の蓋がはたはた揺れるさまと赤子の声を聞いてもらいますと、Aさんは連れて帰ろうかと言います。こんなことは、たびたびあって、高齢ゆえにたいがい育てられずにいるとのこと。
ミケが授乳のためにレバーを食べていたことを勘案すると、ここで子育てさせたほうがいいでしょうと、うちである程度大きくなるまで預かろうと提案しました。というのも、このミケは、かつて石松(オス)とともに、夢の中で移籍させてくれと申し出てきたことがあり、その日の朝から、いきなり馴れ馴れしく振舞うようになったことがあって、年功を経た猫のすごさを見ていたこともあるからです。
二三匹いるような赤子の声はしていました。実際には二匹でした。それを見たのは26日になってからで、ミケが一時間ほど、赤子を寝かせて外出したときです。ミケはA家に帰っていたのでしょう。そのとき、箱をそっとおろして蓋を開けて見れば、すでに一匹は痩せた姿で死んでおり、その上にかぶさるように、もう一匹がうずくまっていたのですが、やはり小さく、授乳が満足でないようでした。
私はホームセンターに行って、猫用ミルクを買い、いざのときのサポート体制をとることにしました。問題はどうやって授乳するかです。市販の子猫用哺乳瓶は口が大きすぎて、赤子には無理。そこで、綿棒の先に染ませて口に入れてやることを思いつきます。
さて、案じたとおり、赤子の声は日増しに衰え、27日についにミケが箱から出てしまい、傍にはいても、中に入っていこうとしなくなりました。私はなじる。「あんたしか、赤子の面倒は見れんのやで。責任を放棄してどうするんじゃ」いや、ミケは私の言葉がわかっているようです。それでもミケはよう入らず、傍から見ているだけ。私はついにキレて、「とっとと出て行け、このヤロウ。二度とうちの敷居をまたぐな」と追い出したもので、ミケは急いで逃げ出してしまいました。私は直感的に、もうやってこれんだろうと思いましたね。
私は箱を棚から下ろし、中を見ると、内臓が食い破られた前に死んだ一匹の上にへばりついたもう一匹がいて、それを取り出して、粘液でべたべたする赤子をチリ紙などでふいてやりました。ミケはよう粘液をなめ取ってやれなかったようです。
さあ、サポートが本格化しなくてはならなくなりました。が、以前に”たまろ”のときがそうであったように、授乳経路が異なることに対して赤子は敏感で、拒絶します。しかも、かなり衰えてしまっている。ミルクを体温ほどに温めて、綿棒のさきにつけて、何とか銜えさせ、そこからすするようにさせました。いくぶんか飲んだかも知れません。その日は、赤子を柔らかいスレート布で包んで夜をすごさせましたが、すでに声は小さく、死ぬに違いないと思いました。
赤子に言って聞かせます。「この世に生きることは辛いことばかりだ。むしろ、元いたところに戻って、幸せにしていたほうがいい。おまえがもしそれでも生きてみてやろうというなら、そうしてもいい。私はそのための援助は惜しまないから」と。翌日にはもう一匹の腐乱死体とともに、火葬にしてやろうと予定していました。
翌朝、さあ火葬してやろうと、それを動かすと、中から赤子は鳴いて答えました。「おお、生きておったか。よし、それならおっぱいやろう」こうして、授乳作戦は継続となったわけです。
綿棒をいちいち口に出し入れしているのでは、赤子にもせわしない。綿棒の先に、丸箸にミルクをつけてその先から補充するようにしたら、これがわりあいうまくいきました。こうして、まあまあの量がこなせたようです。赤子は眠りから覚めるつど、身体をよく動かし、声を張り上げて鳴くようになりました。
さらに私は、小型哺乳瓶の代わりになるものとして、猫用点耳薬のプラスチック瓶の中身を捨てて洗い、それにミルクを吸い取って与えるようにしました。これもまたなかなかいい。そしてまたさらに、スポイトが見つかったので、それも用いました。
赤子はまるで恐竜への先祖帰りのような姿です。ふき取ったつもりでも、赤子の首周りはいつも粘液がへばりついて、死臭を放っていたので、29日に産湯につからせて洗ってやり、丹念にふきあげてやると、ようやくねちゃつきは取れました。
その午後になって、鳴き声を聞きつけたか、ミケが戻ってきたのです。ミケに赤子を見せてやると、自分の子とわかったらしく、赤子を二度ばかりなめました。そしてレバーを請求したのです。そうか、それならと、私はレバーを与え、食べさせている最中に、赤子を寝かせていた猫用ベッドを、前と同サイズのダンボール箱に収容し、ミケにそれを示すと、ミケは悟ってその中に入り、赤子の横に寄り添いました。赤子の鳴き声のよさに、ミケはゴロゴロ言って、喜んでいるふうでした。
なかなか赤子は鳴きやみませんでしたが、夜半にはすっかり静かになって、母子はともに眠ったようでした。私もトイレ起きもなかなかせずに、けっこう長時間眠りました。そして、先ほど起きて、この記事を打ち込んでいるところです。

昨日、A家の猫ミケが出産

うちで毎日のように、鶏レバーを食べていたミケがどうやら妊娠中だったようで、我が家のキッチンぐるりの回廊棚のダンボール箱の中で、赤ちゃんが少なくとも2匹、お生まれでござる。
Aさんにも来てもらい、箱をおろしてまで見ることはできないものの、確認してもらいました。
ここはしばらく、赤ちゃんが外に出るようになるまで、こちらで育てるようにすることにしました。
どんな赤子やら、まだ見ぬながら、お乳が離れたときの声がピーピーしていることで、ああ生きとるなあと安堵しているようなことです。
いまもっか、そうそう、チンもあれから帰ってきまして、ブー、ウー、チン、トン、シャン と、ミケとその子たちといった布陣になったことになりましょうか。
写真撮るには撮るのですが、写真アップするのが面倒で面倒で、また後で、記事に貼り付けていくつもりですので、まあ今後ともご贔屓に願います。

チンがまる二日帰還せず

チンは8日に私が外出したときから帰らずとなりました。今まで三日間の不帰還ということがありましたが、気がかりなことです。
またブーが最近は家の中に住み着きたがるのですが、みんなとのトラブルが懸念されるため、食事後は出てもらっているわけです。しかし、昨晩には鳴いて鳴いてして、私が寝床から起きなかったため、そこにあったドライフード(置きえさ)を少し食べて、辛そうに鳴きながら出て行きました。朝になってやってくるかと思って待っていたのですが、やってきません。お腹がすいてるだろうにと、いささか心配です。
家にいるのは、ウー(母猫)、トン、シャンの三匹です。この三匹はいずれも去勢しているから、家猫しています。
おりしも、どこかのミサイルが日本を向いているとか。去勢していないブーとチンは、とても鋭敏なため、もしかしたら察知して逃げているのかも知れません。
この”ちゃん”と五猫(大五郎)は、ひとついのちと想定していたのですが、むろん生き延びて次代を継いでくれるなら、それでじゅうぶん嬉しく思います。