活躍の場を異界交信掲示板に代えて・・・2012年7月記載分(3)

2012/07/07 (Sat) 08:56:50
久々に更新しておられました。月はホログラム。
https://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/33777612.html
マトリックスの故障か? ということは、プログラムのバグ(ミス)だったのか? 
神が創造した世界は、たとえプログラムといえども、ミスのないように記述されているものです。というのも、干渉縞による自動プログラミングですから、ぴったり数式で間違いなく記されている。
もし、バグだったとするなら、それはプログラム改変者がしたことであり、何か歴史の改変の作業後に、訂正しておくことを忘れてしまったのかも知れません。あるいは軽微なしわができた程度なので、放置したのかも。
タイムマシンで過去に戻り、歴史を作り変えてしまうことはよくあることです。宇宙人ならよく使う手段ですね。特にドラコニアはよくやっているとか。アンドロメダ系も、タイムマシンで1964年にやってきたらしい。そして、事前に種まきのようなことをしているんですね。私もホーイチされました。
しかし、ある場合は、歴史現場に行かずとも、異次元からプログラムに直接、手を加えたこともあるのでしょう。それをしたのは誰? 何の目的で?
我々は、作られた仮想現実の世界を生きている、というのがほんとうかと思います。誰でもが、個々にひとつずつ世界を営んでいて、誰と同じということもない。プログラムが提供する性質ですから、誰のそれとも似たものになるだけ。同じ認識回路ゆえ、見たものに差異はさほどない。しかし、同じであるはずはないのです。
アレックスさんの宇宙も仮想現実です。銀河さんのそれも同じでしょう。我々の個々の宇宙も同じです。アレックスさんも言っているように、我々は日々、創造しているのです。新しい現実を。
彼はその手順を各自でみつけたらいいと言ってましたね。それによって、ふらふらしなくてもよくなるんでしょう。私は新神話によって、世界をこう展開すると規定しましたから、あまりふらついたりはしません。
ただ、マトリックス的現実といっても、映画「マトリックス」のように、邪悪な意図でのみ作られているのではない。何かの目的があって、好き嫌いにかかわらず、我々は直面させられているということなんです。
アレックスさんは言っています。次元の高い世界への移行は、当面する現実に対して、責任が持てたかどうかによると。そうならば、この世界は教育プログラムだったのかも知れません。
リアリティそのものの仮想現実を生きて、ともすれば逃げ腰になるのを抑えて、たとえ小さくとも当面する責任を果たすことに命を使うことが、高く評価される。
そして、評価するのは、他ならぬ自分だと。自己評価だから甘くできるというものでもない。一々の行動に、背後にいて首を縦に振ったり横に振ったりしている自分がいることは、誰でも気づくことでしょう。きっと、評価しているんだなと思えます。そのたびにね。
そして、私ゃどうしたらいいんだと、ついぞ泣いてしまうことも往々にあります。難しいね、このカリキュラムは。簡単なようで、まったくそうじゃない。歯が立たなくはないが、そうとう勇気がいる。事なかれ主義でやってきた私には大変なこと。できるかできないか、わからん。
相手が仮想現実と頭ではわかっていても、それに対してすらおじけている自分がいたりする。あー、やだやだ。それぐらいなら、世界が終わってくれたほうがまし、なんて思ったことが多かったなあ。
キリスト教徒を無責任者と揶揄しておきながら、自分はといえば、おんなじようなものなんだ。彼らはグローバルな無責任者だが、私は当面することに無責任。その大小にはまったく差はない。
要は、最善を尽くそうと決意することしかない。当たって砕けてもいい覚悟を持つことだ。他人にとっては、取るに足らないちいさな窪みも、私には高いハードルだったりする。しかし、逃げてばかりはいられない。はい、そういうことです。
2012/07/07 (Sat) 13:54:51
不思議にも、よその情報は字がおおきくても、意識が上滑りするのに、この情報には釘付けになったんです。ビビッときたんですね。
説明は下手でかつ簡単にしかできませんが、いいですか。
宇宙には、地球人類に友好的な種族と、そうでない種族があるということは、すでに知られたことでしょう。みなさんのそれと彼の話が整合が取れるかどうかはわかりませんが、前者には、進化の度合いの順に、アンドロメダ、プレアデス、シリウスAがあり、後者にはドラコニス(爬虫類型)、オリオン、グレイがあって、後者にも慈善的グループがいたりする。
アセンションということも、宇宙的な流れとしてある。地球は3次元から、4,5次元に移行する段階に今あるらしい。
ドラコニアたち後者は科学が地球よりも数千年進んでいるものの、魂的に3次元を超えていくことができない。機械的にもまだできていない。
それが地球に手を出してきたのは、それまで多くの星でやってきた侵略の一環。最も凶悪なのがドラコニアで、食人する。このために、地球人類を家畜奴隷化してきた。いずれ、世界は王族と労働者被支配階級にわかれることになるが、そこまでを人間にやらせておいて、それができたとき、支配のために、大挙してドラコニアとオリオンがやってくる。グレイはその片棒を担ぐ。
(新神話の筋書きとよく似ているんです。表現は違うけど。反作用を蓄積し集めてパワーにして、反動で、梵天の宇宙とは別のところ(対極)にガチの暗黒帝国を作る。彼によると、全体が上昇していくいっぽう、沈降していく側もあり、ドラコニアたちはそうで、ブラックホールを通って別宇宙を作っていくという)
3次元に残されたら、その中に組み込まれる可能性が大きい。あとは彼らへのサービスだけの生活が待っている。4,5次元にまで彼らは追ってこれないから、人類の目標はまずアセンションすること。
しかし、それを阻止しようと彼らの手下や代理人たちが、人々を惑わせる。人々の持つ偉大性、主体性を損なわせるように仕向ける。宗教やプロパガンダや政治体制を使って。
慈善的な前者は、地球の置かれた3次元的環境に来たくはない。が、この宇宙的イベントに宇宙全体の未来が関係するため、次元上昇を手助けしようという動きにある。
このために介入が始まったのは1980年代からだが、前もってタイムとラベルして1964年に種を撒きに来た。このとき、アレックスだけでなく、たくさんの人とのコンタクトがなされた。
彼らがやってきて、気がついたのは、唖然とするような事実だった。地球がここまでになっているにもかかわらず、ほとんどの人が事態に無責任どころか、無関心でいたことだ。次元上昇を目前にしているのに、責任を感じている者がいない。(いてもごく少数) そのように地球人の意識レベルが表示されている。これでは、上位次元への条件を満たせない。
それもそのはず、3次元での生活能力に長けたドラコニア他が、周到に手配してしまっているのです。
マスゴミを使い、抑圧政治を使い、お金という別の価値観を最上位のものとして持たされ、宗教で受身がよいことのように吹き込まれてしまっている。
その星に生まれて、その星に対して持つべきはずの責任感がない。あれば、ここまで邪悪のしたい放題にはならなかったはず。生まれた星に対して、どうなろうといいという無責任な者たちを、わざわざ引っ張り上げることなどできないというのが本音にあるということ。
しかし、彼らは教育プランをわざわざ持ってきて、心ある者に働きかけて、最後は百匹目の猿現象を引き起こそうとしているらしい。だから、気づく者が一人でも多く増えることが大事。
ドラコニアは、別宇宙を目指すとき、必要なだけの人間を連れていく。残る地球は破壊していくことだろう。そうさせず、次元を切り替えた地球として再誕生させることを前者は願っている。
また、宇宙での戦争はかつて大規模なものがあり(オリオン大戦とか。新神話でもリゲルとベテルギウスの間で戦争があったと書く。源平合戦に縮図化されている)、その後、前者と後者の戦いは避けられている。だから、宇宙人の間で戦争してまで危難排除するということはない。すべて、打開していくのは、当事者である地球人だということ。
我々が、毅然とした態度で、ノーが言えたらいいらしい。たとえ喉元に剣を突きつけられて、こっちに就かねば死ぬぞと脅されても、ノー。しかし、ほとんどの人は、その脅しとちょっとしたお金を掴まされて、転んでしまう。弱い考える葦でしかなくなっている。
全宇宙が、これから起こる地球でのイベントを固唾を呑んで見守ってる。ちょうど、世界がフクシマをどう日本人が扱えるか、を見守るように。日本は宇宙の縮図でもある。
2012/07/07 (Sat) 19:54:23
ドイツ人は世界でいちばん優秀じゃないかと思います。責任を明確に理解しており、倫理観が各自において確立していますでしょ。
日本人は倫理観がないのではなくて、各自の中に確立できていないんです。主体性がないから、他人本位に自分を評価するんです。人が見て、どう思うかばかり気にする。
自分の考えに自信がもてない。だから、よそに頼れるものを探していきがちになり、よく吟味もせずに飛びつく。そして、他人に操られるだけの人にいつしかなっている。横並びにしか動けない。責任感はその中で希釈されていくばかり。
宗教に入れば、そこはたいがい自民の票田。心とは裏腹に、うまい具合に原発推進させられてるというしだい。ヤツラは手順と方法論がしっかりしてるから、日本人ほど操りやすいものはないと思ってるでしょう。そこは国ではなく、サル山だと思ってるとか。
つまり日本人は、まだ子供というよりも、サルに極めて近い種族だということなんです。進化がしっかりできていないのに、人間の皮をかぶってしまったんですね。だから、日本人がアセンションテストのボーダーラインになっているというのも、頷ける話で、なるべく地球丸ごと助けたいという意志が働いていると見ることができます。ありがたいことですね。
2012/07/08 (Sun) 07:11:06
アレックスは興味深いことを話していたね。グレイは種族を残そうと、地球人との交雑種を作るんだが、生まれても魂が移植できないという。そのため、寿命が長くは維持できないと。(だからクローンを繰り返さざるを得ない)目下のところ、グレイはその問題を抱えているという。
(が、勝田末吉の場合は違っていたなあ。あ、それも彼が幸運者だったからか。https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/saisentan1.htm)
魂のない種族については、ここでも取り上げたことがあるが、無生物といえどもちゃんと魂を持つのがほんとうなんだ。ピノキオは、人が必要とした時点から魂を持った。車やものも、人がそれに愛情をかけた瞬間に魂が入る。神社を新造して、そこにだれそれの神を人が祭った時点で神魂が入る。それを勧請と言ったりする。魂が入るとは、意識の主座が置かれるということだ。そこにどんな性格をした者がやってくるかはわからないにしても。
グレイのようにクローンを繰り返した種族は、もともとが魂なしで永久化できることをもくろんだ種族だから、彼らの意図で魂を勧請できなくなったのだ。地球人というのは、そういうところに偉大さがある。だから、嫉妬の対象にもなって、さまざまな妨害を受ける原因にもなっている。
新神話でも、魂を持たない杖の眷属という存在を設定している。この宇宙の最高主神(邪仙)に寵愛されても、魂を持てないでいる。しかし、超能力は邪仙なみに持っていて、神々の封印に用いられている。だから、そこに慈悲の心はない。
魂のない種族の存在は、梵の全系に対する重大な反則行為であり、生産した者を含めて抹消するか、全系を離れるかの選択しかない。彼らは目下、全系を離れる行動に出ている。すなわち、別の宇宙を彼らで創っていくことになる。(以上は新神話の筋書き。しかし、アレックスの言うようなことになっている)
アレックスによると、人型宇宙人の故郷は、ライラ(リラ)の方向にあるという。そこから宇宙全体に拡散していったとのこと。いっぽう、ドラコニアは、アレックスによると、前にいた宇宙から別宇宙へと転進する中で、この宇宙にやってきたらしい。つまり、この宇宙で生まれた種族ではないということ。そして、別宇宙への脱出を、彼らの先祖は経験しているから、今回もそうしようとしているようだ。
それからすると、彼らは別宇宙を新造するというより、どこかにあった既成の宇宙にワームホール経由で転進していることになる。いわばウイルスが宿主から別の宿主へと伝染しているような形態になっているわけだ。邪悪は宇宙の間を伝染していくのだ。
新神話では、邪悪の根を残すと、いずれまた清浄宇宙に侵入してくることを前提にしていて、このために彼らが転進してしまう前に、火の鳥で焼却滅菌してしまう過程を置いている。それがウイルス感染した宇宙のとるべき責任ある態度であり、アレックス情報からしても、この処置は正鵠を得ていることになるだろう。

愛猫ブーが示した大河の噴出口

ほんとうにわかりやすかったですね。このアセンションの解説は。
https://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2012/05/post_3647.html
我々じじばばには、これを仏教的に言えばわかりやすかろうと思います。今は銀河の中心から、大乗の波動が押し寄せている。これに乗っかるチャンスが来ているのだと。それまでは自己修行に明け暮れて小乗の達成を成し遂げて聖人となったものが、比較的簡単に達成できる可能性があるというわけです。私も20年前に拙著で、こう予言してました。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/qbl-5.html#15
>これは一般人にとっては戸惑いのある迷惑な話かも知れないが、ある者にとっては福音となろう。カバラは人の超人化に寄与する難しい修業体系を持つが、その下で修業することと比べれば、直接に神との会見を図ることは、その長く地味な行程を短縮するものと考えないではいられないだろうからだ。つまりその時点に生き合わせることの特権である。
しかもただ、アセンションを希望すればいいとまでされているではないですか。私だって、今のこの地獄状態にとどまっている気はありません。災難や戦争などでお尻を槍で突かれれば、思い余って希望することでしょう。しかし、アセンションとはどういうことなのか、その定義がほしかったのです。
が、知ったのは、アセンションが次元上昇によるものであって、元の次元とは、時空的に隔絶されてしまうということらしい。
古事記の神話にもこのことは書かれています。黄泉津比良坂をどんどん登っていって、その峠を越えた先に、塞えます黄泉戸の大岩を据えて、両方の時空を断絶するとなっているんです。坂を登ることが次元上昇的でしょう。元の黄泉世界は、どんどん人口を減らしていくが、越えた先の世界は、人口が増えていくとまで書かれている。だからこれは、この歴史のオリジナルパターンとしてそうなっているんだろうなと、わかるわけです。
しかし、私の理想とする世界ではないことに気がつきます。理想とする未来を記述する新神話を編んでますが、その最終形は、すべての帳が下ろされて、隔絶とか断絶といったことが、どこにもなくなり、そのことによって風通し、光の流通が盛んになり、三千世界に隠れ(闇)なしという状況が作られる。このこと以外に、理想はないし、それこそを黄金楽土と呼ぶと自分で定義していました。
たとえばアセンション信徒のかたにお伺いしますが、私がいま飼っている猫たちはアセンションの恩恵に預かれるんでしょうか。彼らは、アセンションの定義も知らないから、希望することもないでしょう。生き物全部にそれは言えます。人間だけの特権なら、どこかいびつだなと思わざるを得ないのです。
次元上昇と隔絶がアセンションなら、私はそれをもっといいものに変えたいわけで、私の理想のほうがおそらくまともだと思いますが、いかがなものでしょう。と、素人衆にお尋ねしてもわからんでしょうし、それなら別に選ばなくてもいいんだよと言われてしまいかねないですから、あえて申しませんが。(もう申してるがな(笑))
つまり、定義がトップダウン的にもたらされていて、それ以外には選択肢(選択の余地)はないんだという落ち着き方になるわけでしょう、これが違和感の元になっていて、なおさら、私の理想とするものではないと確信されてくるのです。
緊急的一時避難先としてアセンションするなら別ですよ。ただし、その体制に組み込まれる気にはなれません。それがたとえシリウスの方針だとしても。
だって、大昔の先祖は、アヌンナキを信仰して、人類史の初期設定をしてこの歴史を営んできたんでしょう。アヌンナキに、エンリル派とエンキ派があり、邪と正を闘わせている。統括するのは大計(おおばかり)というマッチポンプ計画といってもいいようなことらしい。それが宇宙の寿命を延ばすというシステムで、要はゲーム世界を自動創造させているわけです。こんなふうに思うから、私は自分の理想を確固として持ち続けるにしくはなしと思うのです。
・・・といったことを、つらつら思いふけっていたここ二三日でした。そんなときに、愛息のブーが5/12頃から咳やくしゃみをしだし、5/13にはいっそう悪化させて、食事だけ食べにやってきていました。しかもたびたびの雨で、身体をずぶ濡れにしながら。たぶん12日未明の寒さのぶり返しに、野宿生活の身がやられたようでした。
いわゆる猫風邪。これは伝染性で、猫にとっては致命傷になることが多いとされています。ブーは家の中に休憩する場はないか探していたようですが、みんなとの折り合いがふだんからよくないため、結局外にまた出て行きました。13日の午前中までは確認しているのですが、以後現れませんでした。
日曜日だったので、医院は休院。14日朝にでも現れたら、身柄を確保して医院に連れて行こうと思うのですが、14日の午前2時頃に目覚めたときに、今頃虫の息になっているのではなかろうかと、それまでの彼との経過を思い返して、約束のひとつも果たしてやれなかったことを悔いながら、愛念を送っていたのです。
すると未明の夢に、彼は出てきまして、思いもよらないところに案内してくれたのです。次に書くこと、天地神明に誓って、ほんとうのことですから。
それはあのゴリラのココが言っていた、心地よい(苦労のない)ホール(穴)のようなもののところでした。
手話できるゴリラのココの話
https://d.hatena.ne.jp/saruya_akira/20110418/1303147998
それは、前に突然閃いて半自動書記した記事のように(https://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8110300)、大河と直結したものであるらしく、
>滔々と流れる大河。我々はそこからちょっと遠慮がちに引き込んで、水道の蛇口をひねっていたようなことでしょうか。そしてそれを愛と感じておりました。表現は幾つにも異なっておりましたが、みんな共通する大河から取水していたもようです。
大河は無尽蔵で公平です。ここにミミズがいままさに土くれを頬張ろうとしているときの観測エネルギーは、創造神が目の前にする全宇宙創造のエネルギーと等量です。有情はこのように偉大。みんな形は異なれど生きています。そしていつかは形を滅し、心地よい大河の流れに合流するのです。
ものすごい愛のエネルギーが湧出して、ちょうど巨大な噴水のようになっておりまして、その先端にたくさんの生き物たちが心地よさそうに顔だけのぞかせているのです。そのエネルギーは私の愛念と同じ質のものでしたが、はるかにパワフルでした。私も夢の中でしたが、そこで改めてチャージしたほど。
その噴水の中にブーのまん丸目をした顔も。チンの顔もあったような。待てよ、まだチンは死んでいないだろうに。その他ネズミなどもいました。それらがみんな温泉に漬かったように、喜びと安堵の表情をしているのです。
捕食の争いなどどこにもない。それぞれが、そう、お疲れさんを言い合っているようでした。やがて彼らは、穴に入り、大河の流れの中に戻っていくと直感できました。なんだ、すでに黄金楽土はここにあるじゃないですか。死の先にあるとは言うものの、人間が通過するバルド(中陰)というものでもない。だって、生き物の生き方に閻魔が裁きを与えるなんてことがありますかね。彼らはただあるがままに生きているのですから。
そのすごい噴出穴を見て、現実界の残酷さは、一過性の演出にすぎないと思いました。現に起きて床を見れば、トンがネズミを食い散らしていて、二匹分の尻尾と臓物の一部が転がっていました。しかし、ネズミはネズミでこれでよしとしていると思えました。私はたえず持ち続けていた、すまないという思いが消えましたから。つまり、現世に起きることは、さほど意に介さなくなったのです。
ブーはきっと死んだのでしょう。縁ある生き物は、たいがい報告して死んでいきますが、ブーは悔い悩む私に、行き先を見せることで、報告に代えたのだと思えました。
ブーは初期の夢見では神様のひとりだった。ウー(現存)と夫婦をあちらでは営んでいる。豊富な過去世ゆえに神ともなれたのか。なのになぜ、生き物の帰るべき共通の穴のほうにいたのか。起きてから思いました。そこで、突然に気づいた(閃いた)のです。
神と仏とは異なるかも知れませんが、仏とはあらゆる所有観念をなくした境地でしょう。神もほぼそうなのでしょう。彼らには、所有すべきものがない。つまり、過去世すらもないのだと。というより、あったとしても放棄している。すべて大河の流れに帰すべきものとして返してしまっている。
人間だけなんです。所有観念を持っているのは。アクがあるのは、人間だけ。そう閃いたのです。
そういえば、こんな物語もインスピレーションして書いておりましたね。この最後の”方士Comment”をどうぞ。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/yamannba2.htm
きっと人間は、人という特殊な生き物形態を持つことを、どこかで約束してきているんでしょう。以後、過去世がまず所有の対象となり、その経歴が彼の所有財産となった。その必要から、記憶機能や知能が生まれた。あとは所有のバラエティを増やしていくばかりとなり、その極限が、ついに偶像(金銀銅石木でできた貨幣)集めとなって、それが皮肉られての宿命的帰結としての世界滅亡、人類滅亡へと結びついてしまっているのだと。そして個々に卒業するかどうかとか問われたりしているのだとすれば。・・・あまりにも滑稽ではないですか。
人間であるみなさんは、自らの勲章とも言える過去世を捨てられますか。おそらく聖者といえども捨てられはしません。むしろ、その一々を首飾りにしておられるくらいでしょう。それが根源的な、生類と人間の違いと思えたことか。
おそらく生類のほうが神仏に近い。それを下等に見ているのは、人間の経験知の豊富さと、それを支える知能の優秀さの故です。知能が秀でたのは、所有を手放したくない、増やしたいという願望の現われです。が、それが彼らの優秀さとして意識され、神仏の境地との乖離がどんどん促進されてしまったのです。つまり、記憶とは所有欲が生んだ、欲望を死守するための必要条件だったのです。記念碑やメモリアムも然りです。
だから、あたかも賽の河原の赤子の贖罪行為のように、積み上げては鬼に崩され、また積み上げては崩されるということを、連綿として繰り返しているのです。それが転生システムの縁起だと瞬間的にわかったしだいです。
ココやブーは、大河に帰れば、何もこだわっていないです。むしろ私のこだわりによって、心乱されないためにも、私を大河の噴出する穴に連れて行ってくれたのでしょう。彼は先読みできる賢い猫でしたから。もともとは神ですから。最後に、大きな啓発を残し置いてくれました。
生き物で、人間と付き合うために生まれてきた命は、その意味でたいへんです。きっと、人間の発する想いに引き込まれて、人間に転生するようなケースもあるでしょう。しかし、それは進化というものではない。苦労の始まりであるのみ。私は彼らをそんなつまらぬ賽の河原に導くより、むしろさらっと、そっちで幸せにしてなさいよと、心の中でと、仏壇で言ってやれたらと思います。
ブーはそもそも、新神話の作成過程で、白虎の募集に応募してきたフーの父兄であり、人間界へは物見遊山に来ただけといった風情だったのです。それが、神にあってもコントロールが利かなくなるのがこの世。紆余曲折の苦労の一生を送ることになろうとは、の思いではなかったでしょうか。人間になりたくてやってきた? 冗談じゃないやい、と聞こえてくるようです。
人間の所有欲は過去世へのこだわりに発する。そこには怨みや因縁も引き継がれる。もっともっとと言うようになり、それが極限まで行ったのを強欲といい、制裁の対象とされるまでになってしまう。しかし、根底にどうしても所有欲は残ります。それゆえ、解脱ということは、人間にはきわめて難しいのでしょう。釈迦も世は三界からなると言いました。欲界、色界、無色界。解脱とは無色界に至ることですから。
あの大河のエネルギーは、このマトリックスゲーム世界を賦活する根源エネルギーなのです。そこに浴する有情たちには、何の不幸もないことを知ったようなことでした。彼らは、その気になれば、解脱しているのです。人間もそう。が、所有欲がぬぐいきれず、記憶の連鎖の中で輪廻しているのです。
大道すたれて仁義あり。仁義とは、筋道、規則、こうあらねばと思う心です。そこには、来世を引き寄せる磁場(アク)が生じて、幾度も幾度もそれを満たそうと試みることになる。大道は大河のこと。そこにはすべてが流れている。全成就と言ってもいい流れのこと。
ここでIn Deepさんの薀蓄話をひとつ。共通するものをお感じになれば幸いです。
https://oka-jp.seesaa.net/article/269648608.html
追記 
5/15午前0時半(深夜)に、ブーは帰ってまいりました。いっそう身体を痩せさせ、咳も依然としてひどいありさまです。食事をしっかりとらせますと、また出て行ってしまいました。とにかく医者に連れて行かねばなりません。
追記2 5/18 8時
16日に医者に連れて行き、点滴、抗生剤、インターフェロン等打ってもらいましたが、ほとんど効き目なし。いっそう鼻水、咳、涙目、そして激ヤセして子猫のようになってます。さらにシャンにも伝染したもようですが、両名とも目下外出して帰らずのありさまです。
追記3
猫風邪がうつったシャンが、21日昼過ぎから帰らなくなりました。21日に医者に連れて行くべくすったもんだしているうちに逃げてしまったもので、あの時点で足元がふらふらしていましたから、22日の今現在、どこかで死んでいることでしょう。
それまでの経緯はここに。
https://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8145684

イザナギ人類に栄えあれ

旧世界に残る人と新時代に移行する人については、古事記にも書かれるところです。
黄泉の国のイザナミ黄泉神に属する側と、脱出するイザナギに属する側としてです。
今はまだその分離がはっきりしていませんが、どうもそれらしい兆しのような現象には遭遇します。
たとえば、これは個人的なことではありますが、私は食をさほど必要としていないようなのです。
ここ一二ヶ月くらいのことですが、あるとき飽食して翌日におなかがどっと前面に突き出て、いわゆるメタボ腹になったのです。
これではしんどいからと、食を細くしたのです。すると収まりかけたものの、一日三食の規律を守るとやはりメタボ腹になってしまいます。
夕食にでんぷん類を控えても、水分だけでおなかはでているみたいです。
食欲はさほどないのに、食べる癖をつけていることが問題なようです。
水分補給は私には必要なことなので、取り去ることはできなくても、食はしなくても済むのではないか。
たしかに、食べなくてもそれほど体調に変化はない。
どうも、そのような事態が時間の催しとして進行してきている気がします。
黄泉を脱出したイザナギは、川に出て禊ぎをします。
そのときに持ち物すべてを投げ捨てるのですが、冠を投げ捨てたとき、”飽咋のうし(あきぐひのうし)”の神が生じます。
この神名は「飽食の消失」という意味で、衣を投げ捨てたときに生まれる”煩ひのうし”の神の意味する「煩いごとの消失」とともに、イザナギ側に赴く者の特徴であるような気がします。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/dan-f.htm
食べなくてはいけないと思っているのは、もしかすると惰性による思い込みなのかも知れない。
煩いがなくてはいけないと思っているのは、もしかすると惰性による思い込みではなかったのか。
今までの延長上でなくなっているなら、別の展開がなくてはなりませんが、こんなところにちょっこっと芽を出しているのかも知れません。
以前に「不食」について仮説したことがありましたが(2001年頃だったか)、その頃すでに先達している人がいたゆえに、取り上げたのではなかったでしょうか。
おりしも、日本を取り巻く海は放射能汚染が進行中。海産物を利用した料亭やレストランは大打撃でしょう。
大金を湯水のごとく使って料亭に出入りしていたかたがたは行き場を失いますわね。これも飽食(あきぐい)のうし状態と言います。
誰もが海で捕れるものには警戒しますから、スーパーの鮮魚コーナーなどは売れ行きが減っていることでしょう。
この傾向が野菜などの生鮮食料品にまで広がってくることは避けられないこと。
それと同時並行的に、食べなくても問題ないことがわかってきているとすれば・・・。
原発事故も、時代の変化点を示唆する道しるべ(舞台設定)だったことになりはしないでしょうか。
食事をするために仕事をしなくてはならなかった。それをいいことに、資本家や企業家はお金儲けもできたんです。しかし、従業員がすべて、この現象に気づいたなら、もしその会社があこぎな金儲けだけに奔走していたところなら、「何でこんなとこであくせく働かなあかんの」とさっさと逃げてしまうでしょう。
残るのは、世のため人のため、あるいは芸術性創造性ある人にとっての有意義な仕事をしている会社だけ。そうなっていくことでしょう。
漁業は早くから姿を消していたが、農業生産もやがて要らなくなる。
世の中から、”業”とつくものがなくなってしまう。”業”につきもののお金も不要になってしまう。”業”を回そうとしていた、くだらない”金貸し”も消失してしまう。
義務的にする仕事の必要がなくなれば、その土地に縛りついている必要もなくなり、どこへでも出かけられる。
我々がするのは、趣味でする”釣り”ぐらいになり、これも殺生だからと、この趣味も衰退するでしょう。農業ではない”農”をするようになります。そこでは花や木を主体とした鑑賞のための、野良仕事とは異なる光景が生まれてくることでしょう。
イザナギが船頭(先導)を務める新世界の船は、すべての過去の思い込みや惰性を洗い流した先の大海原を航海していきます。

ニビル・ザ・デススター・・・立ち向かうはフェニックス・ファイアーバード

いよいよ近づいてきましたね。
ニビル・ザ・デススター。
それは不可視化が随時にできるクリスタルでできた都市星と形容されるアヌンナキの御座所。
そこには新神話にいう天仙邪神が立て篭もる原始天尊の宮殿があります。
nibilthedeathstar.jpg
どのようにでも重力を捻じ曲げ、いつでも太陽のように光熱を発することのできる科学力を備えた、宇宙では敵対する者のない絶大な帝国の力を見せ付けてきた存在。(むろんこれもマトリックスRPGゲームの中での設定ですが)
これに対し、地球からは火の鳥がこれの殲滅に向かった。
神一厘の仕組みを顕すために。
firebird.jpg
メルヒェンでおじゃる。
さて、私(朱雀)が未だ逝かないのに、どうして火の鳥が発進したか。
いついつ出やるの「五月五月」の法則性に殉じたのはブーが身代わりになったという設定でした。
が、ブーは朱雀たりえないので、次に私の番がくるまでの時間つなぎのような設定にしていたのでした。
ところが、ブーは我が家に戻ってきました。家を出て三日後くらいでしたか。
しかし、設定として彼を別天に去ったことにしていたのです。
かくして、法則性による今年三月は、まだ誰も殉ずることなく、もうまもなく過ぎ去ろうとしているわけです。
設定さえすれば何事も可能なのが新神話だということも判ってきたため、私はスーパーな設定をすることにしました。
それは、まだ飛行技術も未熟な私が何も行かなくとも、私の直上のハイラーキーが行ってくれることに設定したのです。
すでにイナンナとカンナオビの見た夢の中の私のハイラーキーは、私似なるももっとりりしいお方で、イナンナが言うには梵天だというのです。それで私のことさえ梵様と彼女は呼んでおりました。
カンナオビも太陽のような光の存在に逝かされたと言っておりました。そのときは裸にならねば暑いほどとなり、足が一本になり、まるでクジラになったかのようだったと言っておりました。
正神軍を率いる梵天ならば、私のようなノーコンなことはないでしょう。
私は白龍のカンナオビに逢えないですが、ハイラーキーに任せたほうがうまくいくでしょう。
だが、まだわかりませんよ。
あと数日、三月が去るまではありますから。31日の23時59分59秒までわからないのです。が、私には5匹の扶養家族がいますから、まだもう少しは生きていなくてはならないから、クリアーしてしまうでしょう。
こう設定してから、ハイラーキーが動いてくれた証拠が、上の火の鳥発進の写真としてもたらされたと思っています。
彼にお任せしておけば、すべてうまくやってくれるでしょう。私がやればたいがいノーコンで直情的でオーバーランなどのヘマやらかすでしょうから、これでいいのです。
しかし、弁天様と結婚したかったのになあ。
できないなら、魂の途絶を願い出ればいいんです。割り切りましょう。
さて、新時代がやってこようとするとき、どうしても旧時代へのこだわりが邪魔をするものです。
新時代がなにものかわからない以上、旧世界のほうの安定性を希い、もとに戻ろうとするのが誰しもです。
そこで邪神たちが最後のひと暴れして、人々の既成概念や既成構造物を打ち壊すわけです。
それを利用するのが今度は正神であったりします。
今回の福島原発事故はそのようなものの最たるものであったかも知れません。
あるいはまだ、プラネットXとして地球市民を脅かしてくるかも知れません。
固着したゴム糊をはがすとき、バリバリッと音を立ててはがれるように、荒いこともあるのかも知れません。
私は、日本に引導を渡す手段を持っています。
それこそ魔法的ですが。
それをいちど引っ込めたことがあるのです。
もし引っ込めなければ、ノストラダムスの言ったように、1999年7の月頃にはその可能性があったと思っています。
日本の危機と同時に、旧神話が起動して、UFOが大挙して、次の時代を継ぐべき人々の救出にやってくることになっていたと思っています。
しかし、阪神の悲惨さを見て、効果を見て、おじけづいたのです。
やり直せば、同じ効果が得られるとは思います。
しかし、旧神話は、人の好悪によらず、半ば強制的な摂理然としてやってきますから、我々としてはふがいない話ではありませんか。
この十有年は、たぶんイナンナやカンナオビなどの協力者とともに、我々の納得のいく新神話への改稿を果たそうとするものだったように思います。
この世に現実に生きる者にとっての望ましい神話が我々を誘導してくれなくては、我々はいつまでも真の幸せから離されていなくてはなりませんから。
どこかのわけのわからぬ上位者が捺し着せた歴史に、俳優としてでも乗らねばならないなら、独裁者の圧政を甘んじて受けているようなものですから。
新時代は、みずがめ座とともにやってきているようです。
せっかくの機会なので、うお座の旧時代へのこだわりから、脱せねばなりません。
いっぽう旧時代の産物は我々に粘着してこようとします。
両者の牽引力で、もとの時代に簡単に戻してしまいますから、いっそうの脱出力が要るようなことにもなり、そこで強い破壊力が採用されたりするのです。
大地震、大津波、原発事故はたとえ悪意ある人為であっても、正神の利用するところでもあるのです。
その観点に立てば、私があのときおじけて取りやめたことも、この際好悪を問わずやるべきときかと思います。
旧時代のこだわり、築いた資産、所有地、土地のしきたり、宗教、旧思想、旧態科学、旧来のイデオロギー、資本主義、経済システム、国、境界線、隠蔽主義など、美徳とされたことも悪弊とされたこともみんな放棄して、きのみきのままの裸になって新時代に移行していきましょう。
それはもしかすると、死に似ていると思います。
その思いに立ち至ったとき、こんなことになってまいりました。

星の子UFO群が積極介入し始めたようです。
彼らはクロップサークルを一瞬のうちに大地に展開する能力者です。
建設(正義)は破壊(邪悪)よりはるかに労多く困難だからアンフェアーだと嘆いたことを解消する、ほんらいあったはずの拮抗する摂理であるのです。
魔法のように見えるが、ほんらい存在して、在ることが隠蔽されてきた力なのです。
隠蔽に賭したうお座は直ちに終了しなさい。
すべてをあからさまにするみずがめ座の前に道を開けなさい。

人類の模範的こころの民を襲った災難・・・救援のお願い

「東北関東大地震」は東北の三陸沖を震源とするM9.0の大地震で、スマトラ沖大地震のように大津波を伴った災害で、さらによくないことに、原子力発電所災害をも併発してしまいました。
日本の東北地方というと、古代アラハバキの居留した土地です。
そこは最も色濃く、イスラエルの失われた十支族の名残をとどめています。
海外のメディアも賞賛するように、そこに住まう人たちは、前途絶望的な中にあってなお、公共性、協調性、モラルを維持し、忍耐強く、古代から伝えられた真に平和を愛好する性質をそのDNAに刻んでいること、これは疑いようのないことです。
どんな苛酷な環境を天が与えようとも、謙虚にその立場に甘んじることを、何の宗教観もなくとも古くから維持しているのです。
毎年大雪に閉ざされる厳しい自然の中で、地道にひたむきに生きている人たちで、海外でも有名な映画「おしん」の主人公・田倉しんの生まれ故郷もこの東北です。
原子力発電所というと、非常に最先端的ではなやかに思えますが、日本が第二次大戦後、工業国を目指して経済優先の政策をとったために、人口の少ない日本の僻地を選んで建設していったものでした。
それが今、大津波の災難を受けて壊滅状態にあるときに、彼らをさらに苛酷な環境に晒そうとしています。
大自然の苛酷さにはなんとか耐えられても、有毒物の侵襲にまで耐えうることなどできないのが人の身というものでしょう。
どうか世界各国の有識者のみなさん、この東北地方に起きた災難を治める手段をお持ちなら、手助けしていただきたく、こころより切望しております。