シャーマンは現実を意識のコントロール下に置く

巫女資質ある人はすでにある程度先天的に技量を身につけています。
しかし、現状がその資質を活用できないのでは、時間経過に埋没していくばかりです。
特質を伸ばすというのでなくとも、整理だけはしておくべきです。
何が自分の能力のもとなのか。何が起きているのか。など。
超科学的解釈は、それを究明中のシャーマンにさせてくださればいいでしょう。
巫女さんたちは、自らの能力を能動的に活用し、あるいはコントロールする術を獲得すべきです。
ひとつそのとば口になると考えられる手法の練習を、メイさんにしてもらいました。
というのは、メイさんは夢見が頻繁で、その方面のエネルギーが出口を失うほどになっていると思ったからで、では早い段階で、夢見のコントロールができるようになるべきと考えたからです。
これはもちろん、いつかきっとさんでも眠りを享受しながらできることであり、ただ、夢を自分の意図どおりにしてみようという、ちょっとした意気込みだけでできることです。
睡眠不足になるどころか、かえってパワフルになるところのものです。
普通人は誰もこんなこと考えたりしません。夢というものは勝手に見てしまうものと思い込んでいるから、憶えておこうとも思いません。だから、夢に重要なメッセージが篭められていても、意味を成さないわけで、それが重なれば、その方面の直感能力も失われてしまいます。
人はみな潜在意識を持っているといいます。しかし、その機能や役割が解明されているわけではありません。ただ、嫌な記憶の貯蔵庫であるのみなら、気味の悪い負債のボックスを抱えていることになります。そうではなく、優れた情報網のアンテナとして機能する部分もあるはずと見たとき、みなさんの直感的行動、特に生命に関わる選択のところなどに、比較的衝動的でありながら、強い援助がもたらされているのではないでしょうか。
夢は潜在意識の様子を垣間見せるときです。潜在意識はさらに外側の集合無意識や宇宙意識に溶け込むように繋がっているとすれば、潜在意識から現実に受ける影響が大きいならば、その玄関を清めておこうと考えるのは当然のことでしょう。
しかし清い玄関も、外が暴風雨なら、開けた途端に泥水などに飛び込まれてしまうわけで、予知夢としてとんでもない災難の夢を見て、それで日々恐怖している方もおいでです。ジュセ氏くらいになれば、それを生業として、やってくる情報の公開の流路となるケースもあるでしょう。
しかし、それでは真のシャーマンとは言えません。
受け取るだけでは、単なる霊能者です。その境遇に甘んじたのでは、進歩もない。
シャーマンたる者は、玄関から逆に暖かい風を送って、暴風雨を止ませてしまう力を発揮するものです。その力の獲得のための、きっかけになる訓練をみなさんにもお願いします。
毎晩就寝前、あるいは昼寝前に、「夢で自らの両手のひら(掌)を見る」と自分の意識に言い聞かせてください。両手のひらが夢に出てきたら、今度はそれをじっと見つめます。そして、すぐに周囲の光景に視線を移動し、じっと見つめます。そしてまた自分の手のひらに視線を移してじっと見る。
この視線移動を何度も繰り返してください。
それだけで、夢の中身が原色に近く鮮やかになり、夢の持続ができるようになり、夢を憶えておけるようになり、自分が今まさに夢の中にあることまでが実感できるようになります。
どんな景色を見たかなどには、こだわらないように。シャーマンの目指すところは別のところにあります。
次の夢見のときはもっと持続させていく工夫をそれぞれにしていきます。
気功法やヨガなどは、夢見の身体のパワーアップに役立ちます。起きている間から、イメージトレーニングしてください。

新人シャーマンに送るいくつかの留意点

私のバイブルは、カスタネダのドン・ファンシリーズです。といっても、もうその何冊かあった本はありません。ただ、呪師(シャーマン 魔法使い)が原理とするところは、理解できた気がしています。
それによると、人は誰でも起きてくるさまざまな事象に意味づけすることで、自分の意識下に置き、安心しようとする性質があり、長じてくるに従い、意味づけの一覧表のようなものを自分の中に作りあげているといいます。
それは一種の暗示であり、意識あるものが大なり小なり行使する魔法的作用を持っていて、彼はそう思い込むことによって、彼自身の安全地帯に逃げ込んでいるというのです。
人類はそうしてできた集合的な一覧表の砦の中に安住してしまっているわけです。その外には、未知の世界、さらに不可知な世界があるのですが、それをあえて見ないように(無視)することで、今を安心して生きている不思議な生き物だというのです。
周りを、あるいは日本人一般を、あるいは世界の人々を見たら、みんなその状況下にあるようです。
創り上げられた人為的システムが、いかに自然のリズムと乖離していても、人はみな精神的安住の域にいたいために、そのシステムから離脱することに少なからず抵抗を見せます。
だから、UFOなどないと主張する人のことも理解しなくてはなりません。世界経済の破綻などないという人も同様です。彼らは無知なのではなく、眼前に展開する不可知の事象から必死で身を守ろうとしているのです。
そのような場合、不思議な芸当を彼らは演じることがあります。
UFOを見ても、風船や鳥に見たり、あるいはすぐに忘れ去ったりします。それはかつて私の研究したことでもありました。
あるいはアルツハイマーなどの痴呆症を発症したりしますが、こうやって精神(魂)の崩壊を防いでいる場合があるようなのです。一覧表と著しく乖離するような、どうしても見たくない現実を、観測と認識機能を閉ざすことで対処してしまうのです。これらの現代病はけっこう自衛的に起きているということです。自殺などもそう。
しかし、ことシャーマンを目指す者にとっては、「一覧表」は単なる結界にすぎません。といっても、結界は利用しなくてはなりません。シャーマンは一夜にしてできるわけではなく、ちょうどまだ羽根の力が弱い若鳥が、山の高みに飛ぼうとするのに、何度も止まり木を利用しなくてはならないように、結界の止まり木で体を休めねばならないわけです。
いつかきっとさんも、異界との交信で異界の神と連携を作ろうとしています。その繰り返しの中で、異界も役割を得て、やがて太く強いパイプが出来るかもしれません。それが彼女流のシャーマン道の進歩に寄与することでしよう。
しかし、ここで重要なのは、回答のことごとくを自らの結界にしてしまいかねない矛盾です。彼女はシャーマン目指して飛ぼうとしているときに、行く手を阻むラインをわざと引こうとしている感がありました。
質問への回答が良好なのに気をよくして、どんどん細密な質問に発展させていますが、それをもし彼女がどんどん鵜呑みにしたなら、どうなるでしょう。彼女の選択肢は極めて限られたものになってしまいます。創造性は質問を重ねるごとに限られることになってしまいます。
「一覧表」を作るために、あるいは強固にするために質問をしてはいけないと思いました。少なくとも、自分にだけは、さらなる一覧表を課してはいけません。
アセンションとは、こうした結界、一覧表から、まずは脱却することと考えます。先入観、偏見、こだわり、思い込み、信仰、こうしたものは旧態依然とした結界です。自分のモットーとすべきことは確立しておく必要はありますが、それについても臨機応変、柔軟自在であってこそです。
かごめ歌は、すべての有情に言えること。
かごめの中の鳥は、かごめの強固な結界を破って出てこなくてはなりません。
鳥が孵化するとき、鳥は卵の殻という結界の殻を破って出てこなくてはなりません。
それまでは、安住の栄養豊かな母の海にいて、母の体温で温められていました。
しかし、鳥として一人前になるには、結界をあえて破り、寒風に身をさらさねばならないのです。
よって、アセンションは、大きなショックと大転換を心の中に惹起させるはずです。
価値観の大転倒。ゴム糊を体からはがすような不快感。断崖に飛び込むような恐怖などを伴うかも知れません。
生きても死んでも、新時代への転換は、否応なくやってきます。
シャーマンは、その模範を先んじて示さねばならないのです。
止まり木として利用できる結界は張ってよし。頭上を遮る不要な結界は作る必要なしです。
異界は誠実です。質問への回答はいつも用意してくれます。はぐらかしで対処するのは、くどいからという理由もあるかもしれません。
よく見極めて、参考すべきは参考にし、深追いせず、適度に切り上げては如何。
選択の自由は個々人にあるわけですから。

UFO乗りのみなさんへ

やはりみなさん。UFO乗りになって、UFOテクノロジーを理解し、その背後にある創造の原理に触れていただきたい。
あるいは新しい時代に、どうあっても(生きても、死んでも)至ってほしく思います。
そうでなければ、創造とはどういうものかが分からないままです。
ここを↓ごらん願いたい。かつて奇妙なUFOクラフトが映像を賑わしましたが、その製作に関与した人物の話が載っています。
https://longtailworld.blogspot.com/2007/07/explanation-of-recent-strange-craft.html
UFOは異界(異次元)との間をつなぐテクノロジーを体現したものであり、創造の原理が自在に応用されているようです。
それを生で学び、高次の世界の創造の仕組みを知ることにより、我々の世界がどういうものであったかを振り返ってみることができるでしょう。
地球に関わる神界や宇宙文明の取り組みと未来展望を、ビジュアル化して表現してくれているのがマシュー君でしょう。
右・同好リンクに加えておりますので、随時ご覧になって、現在世界に起きている諸相を捉えて、希望の火を絶やさないようにしておいてください。

古代日本謎の中東思想渡来考のこと

アクセス解析で判明したリンク画像で、畿内の五芒星形が人気を博しているようだ。もしかすると、これは古代日本の謎に取り組む際の関門になると思われているからだろうか。参照先はおよそここである。私の説を引用される例はそれほどないから、きっと独自の解釈を練っておられるのだろう。
この五芒星の魔方陣は洋の東西のさまざまな思想的下地を形成しているシンボルであるらしく、私の親しい旧知さんは中国の陰陽五行説が元になっているとされていた。私は同説に造詣がないのでコメントできないが、もしまったく同じ図形が得られているようなら、これもまた洋の東西の学問のシンクロとして、根源同一といった展開も得られるかと思ったような次第だ。しかもこの時期、すべての隠された秘儀が明るみに出るというこの時期であるから、その意義は大きいと思われる。
ただ、日本の畿内の場合は、シンボルだけで終わっていない。これの形成する正五角形は、一辺が111Kmすなわち、同緯度帯域の1緯度長になっており、その他の発見図形とも総合すると、地球の諸元を織り込んだものとなっていることが明白で、古代オリエント文明の知識の応用の可能性が色濃く残っているわけである。
しかし、あまり秘儀に関わることはしてはならないのかもしれない。インディー・ジョーンズが古代文字の謎解きをして鍵の照合をすれば、大地が崩壊するといったのもあった。それだけ、驚天動地のことがあると思って懸からねばならないのだろう。
その図形を表紙に使った著書を1995年に出版したわけであるが、おりしも阪神大震災がその第2校直後くらいにあって出版社は全壊し、版は危ういところで救出されるといういわく付きのものとなった。その全部掲載HP版がこれである。
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私はその内容に神の領域を震撼させるほどのものがあったことを感じ取り、出版社にそのままGOさせるとしても、販売の自粛の意向をほのめかしていた。ところが出版社は、私の知らぬ間に全部流通に出してしまい、私の手元には見本の一冊もない事態となった。このとき私の制御できる手元を離れたようで、非常に心もとなかった。
これはまずい。出だしが阪神大震災。そしてオウム事件と続いていた。私の仕事場の眼前は瓦礫と更地ばかりの神戸市内。いたるところが終戦直後の焼け野原の有様のようであった。このままでは、日本が崩壊するとまで思い込むに足るほどに、この年の出版を取り巻く環境は深刻に推移していたのだ。
確かに、ここでも記したように、秘儀を表ざたにするときは、秘儀が終わりを告げるとき以外にないという法則の顕現を見た気がしたが、まさか土台まで振動しようとは思ってもみなかったことであった。私は、この本の一次流通で売れなかった返本をすべて回収するよう強行に出版社に申し入れて、3割5分が回収されて手元に戻った。
それは全部売り切れば、日本が10割崩壊するとの思いからそうしたわけであったが、実際、バブル崩壊などの経過を含めて、日本の資産の6割5分ほどが失われていなかっただろうか。
最近、ここのコメンテーターP氏から、般若心経は非常に啓発に満ちたありがたい経文ではあるが、その最後の偈の文句に死者の霊魂をこの世に呪縛する力ありとのご教唆があった。私は、母の菩提を弔うために毎朝昼晩これを唱えていたが、確かに母はすぐ隣の世界にいるかと思うほど、夢を見れば簡単に現れてくれた。ここの記事にも、死後の世界はすぐ隣にあるとまで書いたこともある。家の中から母の去った気配もなく、たえず身近に居るような思いがあった。
ところが、この指摘があって以降、唱えなくなり、そのとたんに母の夢を見なくなってしまった。家の中における気配もなくなった。それはもう、とても淋しいもので、一人住まいの寂寥感には激しいものがあった。
なぜこんなすごい経文の最後に、謎の呪縛の偈を置いたのか。それは作者であるクマラジュウが、虐げられた生い立ちをしたために、経文のすばらしさとは裏腹に、呪いの呪文を置いたものだという。その効果を自分の体験で確かめたために、その説を私も信じるほどとなっている。
実は、それと同様のことが拙著にも言えている。
私は非常に不遇だった。学校時代から社会人になってからも、ずっと幸せであったという感覚がない。それもこれも、日本という国、日本人というものの冷酷無残さに帰因すると思っていた。欺瞞だらけで人を縛り付けて、徒に競争を激化させストレスばかり多大にして、狭い心の島国根性丸出しにして苦しめる。だから、この本が神々を戦慄させるほどにすごいもので、また秘儀の功績を明るみにしたゆえに、これが世に流通したその割合だけ、秘儀組織の邪な計画で成り立った日本が崩壊してしまうに違いないという確信を篭めたのだった。
かくて、まさにそのような経過となった。このため、私は逆にびびってしまったわけである。
もはや手元にある本を一部として売るわけにはいかない。売れば、日本はまた崩壊し始めるだろう。だから、今は神への捧げものとなるよう、廃却処分と書いた段ボールに入れてある。売ってはだめ。寄贈してもだめなのだ。ただひたすら保存するのみなのだが、まあいいやと親しい人には贈呈している。
ただし、私はこの本を出すことに関し、至高の神々の印璽を受けていると信じている。唯一無二の役目でこのようなことをしているのだと信じている。至高神と縁を持った直後の作品だったからだ。だから、自分では書いてあることに嘘偽りのないものと信じている。ただし、ものすごい魔力を持つものになっているとは思う。できることなら、その適用は私の固有の時空の中だけで十分だ。
それゆえ、発見図形を誰や彼やが流用しようとして、それ以上の深みに立ち入らせて魔弾のレバーを引かせないために、私は発見図形のオリジナル性と著作権を主張するように心がけている。
そのためには、本の中身をホームページに掲載してしまえばいいと踏んだ。その効果は、本で公開するのと変わらないではないかという向きもあろうが、これが日本に何かを起こしている形跡はまったくなかった。神々の世界では未だにネット情報というものに重きを置かない旧い体質なのかも知れない。その理由も分かる気がする。
ならばこのままでいこう。そういう次第で現在も掲載しているようなことだ。
この作品をご覧になった出版企画会社の方や篤志家の方が、本としての出版を薦めてこられたこともある。しかし、経緯が以上のようなわけなので、理由を詳しくはしていないが、申し訳なくもお断りしている。
童話や物語、古事記解釈などのその他の作品ならば、いつでもOKして差し上げられるのだが、そちらはあまり魅力がないようだ。このミスマッチ、難しいものだ。

プログラム時空仮説から導ける・・・プレイバック

ホピの長老の言葉にこんな話があったのを見た気がする。
今の時代には、新しい時代の種も育っていると。
みなさんはニューエイジ運動の高まりのことと捉えたかもしれないが、私はもっと現実的なものと捉えた次第だ。
どういうことかというと、この世のあらゆる歴史は再入再試行可能型のプログラムであるから、シーケンシャルに歴史を辿る古い時代のオーソドックスなタイプの人がいるとしても、新しい時代から随時に、選択的に来ているタイプの人もあると考えられるわけだ。古い時代からの人というのは、旧態的な輪廻転生システムの中で、カルマの消尽を図りながら進化している魂の人であり、新しい時代の人というのは、改革後の世界運行システムの下からやってきた魂の人である。
表面的に前者と後者を特徴付けすることはできない。というのも、新も旧もプログラムに規定された中に埋没していて、顕在意識のレベルには上ってこないと推測されるからだ。しかし、新が旧に対して改革の促進などの働きかけをしようとすれば、いつの時点でか新人は目を覚ますようにして旧の改革を進めようとするものだ。その人がどこから来たかをほのかに知るすべはその時点になる。
こうしていつしか改革の同士が時計仕掛けのようにして発芽し、新人類の間で仲間が組織され、そこに感化された旧人類が加わって、同時並行的な努力によって、時代が変革されていくという具合になる。
しかし、新も旧もどちらも等しく魂である。一歩や二歩損した得したといった程度のことでしかない。
この時空プログラムは応用すればとても面白い。
もしかしたら、みなさんも私もすでにその利用法を採っているのかもしれないが、
我々は、一意に自分の運命のライン、すなわち世界線を辿っているかのように見えている。ところが、ほんとうは随時に、ミスをした時点まで遡って、リトライしているかもしれないのだ。
すでに個々人に固有の時空があり、固有の世界線を辿っていると言ってきたが、
あるPCがあって、それがプログラム稼動中にOSに支障するほどの異常に陥ったとしよう。
再起動を試みても動かないとき、システム復元を行ったりするだろう。つまり、昔日のチェックポイントを設けたときの状態に戻し、その環境下で再試行して、動く状態にするはずである。
これと同じことが、我々の識域下において随時行われているというのが拙仮説である。
顕在意識は前の記憶に続く記憶の積み重ねによって、時間は破断なく進行していると思い込んでいる。ところが、遠い昔にいつのまにか返っていたとしても、その時点における前の記憶を元にするしかないゆえに、彼は元に戻ったことに気づかず、先の未来で済ませてしまったことに関しても気がつかないままに、彼はリトライとなる人生をそこから歩み出すことになる。
いや、ときおり気がつくときがある。デジャビューというやつだ。魂の深層の記憶は先の未来も知っているわけだから、それと照合の取れるような場面に遭遇すれば、あれ?どこかでこのシーンは見たことがある、となるわけだ。あるいは魂の記憶は知っているから、その問題の時点でミスしないように顕在意識を誘導することだろう。
この傾向はシステムの恩恵を熟知する新人類に多かろうと思われる。知っていれば、それを利用するのが常だからだ。特に困難な時代を演出するシナリオ下においては、何度でも試行錯誤しなくてはならなくもなろう。古いタイプでは人生をいくら繰り返してもゴールは見えないものも、新しいタイプなら、大いに「待った」をかけてトライし直し、このゲームの局面をゴールインさせることが可能だ。そして、何が自分の指し手のまずかった理由かも理解するはずだ。
こうして、新人類の可能性ある者ほど超常現象に遭遇する傾向も出てくることが推測される。つまり、イレギュラー処理が人生の過程で頻繁になるということは、それだけ時空の裏側を垣間見る機会が増えることになるからだ。このシステムは、まったく完璧というものではない。完璧は神の所作かも知れないが、このマトリックスシステムの構築者はやはり科学者にすぎないからである。