武良さんから大国主命の写真をいただきました

グッドな映像だと思います。
これは出雲大社本殿前の像を撮影したもので、生きているようでしょう。
実は、生きているんです。
復活しています。
武良
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このようなときにタイミングよく大国主命の写真をいただこうとは思いもよりませんでした。
国津神がどんどん自由度を獲得し、縦横無尽に飛び回る様が写されているとき、国津神の頭領の力強い写真をありがたく拝受。
武良さん、ありがとうございます。

行く年をふりかえり・・・2.この年、弥勒が誕生した

新神話の筆者が、この時代劇の舞台もオオトリを迎えようとしていると、以下の記事を書いたわけですが、
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-551.html
同時シンクロ的に、身内さんが弥勒降臨のメッセージと証拠写真をもたらしてくれました。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-552.html
新神話では、神界で正神軍と邪神軍の衝突があるときに、火の鳥が白龍に伴われ、邪神掃討に参加し、邪神とその配下の神々を徹底的に焼却消尽してしまうわけですが、そのとき地上では弥勒が降臨し、正義をかざす草の根運動として台頭することにしています。火の鳥登場は神話の舞台のオオトリでなされるわけですが、対応する地上界のオオトリは弥勒降臨なのです。神界の成り行きの結果が直ちに地上界にあらわれるわけではなく、また何らかの納得のいくシナリオが付与されてあらわれるため、時間的に遅れがでるわけですが、そのシナリオが弥勒降臨という課程なのです。
弥勒は既成の価値観や思想、概念を覆す働きをするため、人々の慣性的な平和や幸福とは相容れない場合があります。政情不安や戦争など不吉な出来事を伴って現われるとされる未来神であり、それがとうとう兆候として現れてきたというわけです。
現実とどうシンクロするかは、今目下みなさんが感受している金融危機にはじまる世界全体の没落と惹起されざるをえない新しい大域戦争の足音としてあらわれつつあり、同時に旧来の支配体制の不正義の暴露と急衰退、そして事情を知った市民の正義の運動の激化としてあらわれてくるはずのものです。
この動きを封じようと、為政者たちは騙し懐柔し、あるいは暴力的に鎮圧し、いよいよそれでもとなれば偽装テロによる外患作りで国民の怒りの矛先を外国に転ずるといったこともしだします。とにかくすべての国の国家経営が破綻しますからボロが出てこざるをえなくなり、それがいっそう単純に国民運動を過激にしていきます。
その前に大国は核戦争までして人類を地獄の道連れにしようとします。しかし、そこであらゆる神話に言われていることは、このとき地球外知性の圧倒的科学力による介入がなされ、地上の邪悪な軍事行動は封じられ、水爆戦争による甚大かつ全滅的な被害には至らないで済むということです。
しかし、その土壇場まで人々は死の恐怖の中におかれる。そのときに生きようと心から願った人は生存の道を、諦めても死後また地球に関わる道をたどることになります。
そのとき、オバマが弥勒なのかという質問がありました。
弥勒は特定の人物として現れてくることもあるでしょうが、本来は正義の草の根運動として出てくると私は捉えています。つまり、その指導者が弥勒の代表という言い方はできるかも知れない。が、それはたった一人ということはないということです。
オバマがそうかどうか。その可能性はあります。彼への政権移譲時にあまりにも多大な問題が押し付けられています。それも邪悪なブッシユ一味によってです。きっと米国を助けようとするなら、世界にものすごいツケを回すことになり、それがもとで第三次大戦が起きるかもしれません。弥勒降臨は戦乱を伴いますから、どうしようもないです。しかし、その結果として、新しい時代がやってくるのです。
そのとき、もはや為政者たちの都合で隠蔽されたものはどこにもなくなります。真実がいきわたり、それが新しい時代の基礎となる英知になります。さらに宇宙の知性が入ってくるので、科学は飛躍的に進歩するでしょう。寿命も延びます。また誰しもが、UFOをひとつあてがわれ、それが自家用車のようになるでしょう。結果的にそこまで行くようなきっかけを作る動きが弥勒運動なのです。
すでに弥勒は生まれたという空海のお告げがあり、それとともに亀甲紋が鶴の絵の上に出たことにより、「鶴と亀がすべる」という事象が満たされ、「後ろの正面」にいよいよ北東に座する弥勒菩薩がおでましになるということになります。来年はその現われが具体的に出てくることになります。

星の子UFO

   星の子      作/奥人 (1997年頃の作)
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/stellarchild.htm
  ★       ★       ★
星の世界にともだちを持ったことがあるかい。
星たちは、すいすいと夜空を泳ぎまわる。
まるで、みずすましのように、じっとした星の間をぬって、
ぶつからないように泳ぐんだ。

え?星がすいすい泳いだりしないって?
そんなことないよ。
ぼくは呼びかけてみた。
「君たちはだれなのか」と。
すると答えてくれた。
「星さ」と。
ぼくはふしぎに思って、もういちど呼びかけた。
「でも、星なら同じところにじっとしてるじゃない。
UFOさんじゃないの」と。
すると答えてくれた。
「そう言ってくれてもいいよ。でもほんとうは星さ。
星がじっとしてなければならない理由がどこにあるの」と。
それを聞いて、ぼくは、「へーえ」と思ったよ。
よく考えてみれば、ぼくらが空に星がある、あれは何万光年
はなれていて、大きさは直径何百万キロだよと言われても、
実感がわくかい?
だれかが見つけて、ああだこうだと計算して、こうなった
んだと、人が唱えて本に書いたものをみんな学んだ。
そう。学んだだけなんだ。
そこに行ってきたよ。その結果こうだったと
説明する人がいたのかね。
それとも君が確かめてきたのかい。
そう。けっきょく遠いところから推測するに過ぎないのさ。
だけど、ちがうよ。
星たちはちゃんと生きていたんだ。
生きて話しもするし、あちこち旅行して楽しんでいるんだ。
すいすい、すいすいと、自分の意志で、
あっち行ったり、こっち行ったりしているよ。
え?どうしてそんな考え方をするようになったのかって?
君はぼくが人のうけ売りでものを言っていると思っているんだね。
ならそれにあわせて、言ってあげよう。
それはね、だれだったか、著名な科学者が言ったらしいこと。
「公理を疑え」ってね。
そのけっか、逆にその人の唱えたことが公理になったとか。
だから、ぼくたちも公理を疑えば、公理をしのぐことが
できるかもしれないじゃない。
あ、笑ったな。そうさ、これは冗談さ。
今の公理はこおり砂糖のようにしっかりものだもんね。
でも、星が夜空を泳ぐというのはほんとうだ。
あれは二十年も前のことだった。
ぼくは、ある人たちとキャンプした。目的はなんだと思う?
夜空の天体観測?ちがうよ。UFO観測だったんだ。
その人たちは、UFOがこの世にいると信じていて、
中にはなんども目撃した人もいたし、撮影した人もいた。
ぼくなんかは、新米もいいとこだった。
「ほんとうに出てくるの」と首傾げながら言っていたんだから。
その夜も、みんな夜空を見上げて待っていた。
一眼レフカメラをつけた三脚立てたり、双眼鏡を持って。
こんなので写るのかな。見えるのかなって思ってた。
みんなねばり強く待ってたよ。
みんな想いを夜空に向けて集中していたみたいだった。
なにしろ、ようやく集まれたせっかくの機会なんだから、
見ずにはおくものかという感じだった。
はじめてから、2時間もたっただろうか。東のまっくらな空に、
オレンジ色の光が、しゅっ、しゅっと飛ぶようになった。
みんな、ああ来た来たと歓声を上げていた。
だけど、僕はまだ疑問で、流星じゃないの、って思ってた。
でもね、みんながあまり熱心なので、
じっくり見てやろうという気になったんだ。
頭を上げて無理な姿勢を続けても集中できないので、
持ってきていたネブクロに入って、
仰向けになって、星の大空と対峙するようにした。
体も暖かくなってここちよかったし、
大きな空は満面の星をたたえて、
ぼくを迎えてくれているかのようだった。
そのうち、ぼくは大宇宙に投げ出されているように思った。
ぼくは宇宙空間に浮かんでいるんだ。
あたり一面にある星ぼしとぼくは、
何ら変わらない存在のように思えた。それは錯覚じゃあない。
だけど、そう長くもおれなかった。みんながまた向こうの空に
飛んだよ、といった歓声を上げていたから、
ぼくの注意もそれたんだ。
それでぼくは、みんなの言うUFOがほんとうなら、
ともだちになってくれるよう祈ってみることにした。
みんな、UFOは精神的にすぐれた人々の乗る宇宙船だから、
宇宙人とは友好的にすべきだと考えていたからね。
それでぼくも、ほんとうのことにちがいないと思って、
テレパシーを送ってみたんだ。
だって、こんなにすがすがしく透き通る宇宙を飛びまわって
いるなんて、精神的にものすごく高尚にちがいないもんね。
心の中から、「ここに来ているUFOさん。
ぼくはまだいたらないところが多いけど、直すようにするから、
ともだちになってくれませんか」と、
星空に向かって思いを込めて語りかけたんだ。
すると、たったの2,3秒後だ。
ぼくの視野のど真ん中、つまり夜空のど真ん中に、
大きな三日月の形をしたオレンジ色の何かが横ぎった。
それは次の瞬間、同じ位置で
あの流星のような飛び方をして見せたんだ。
つまり、超低空飛行してきて、急上昇して去ったという感じだった。
あーあー。とうとう出ちゃったよ。
みんながさわいでいる様子はない。そりゃそうか。
みんなたくさん見えた東のほうを向いているんだから。
真上だよ、真上。
ま、いいさ。これはぼくのためだけに出てくれたんだから。
ぼくはそのまま宇宙に見入ることにした。
そして神秘の宇宙遊泳にひたることにした。
その後どうだったかって?どこで眠ったか忘れたよ。
ただ憶えていること。
翌朝家に帰るのに、車を見たらガス欠寸前だった。
オーマイゴーッド。それでも帰らなくてはならない。
こんなボンゴ車、だれかに牽引してくれとも言えないし。
こんなありさま内緒にするしかなく、やがて現地解散になったんだ。
おりしも日曜日、その頃はオイルショックの直後で、
スタンドが日曜営業してなかったんだ。
(第二次オイルショックのころ。1979年のこと。この話は、夢の中の神戸の実家で宇宙人と会見した話とはまた別の実話です)
一級国道を通るから、どこか開いてるだろうと思ったけれど、
どこも静まりかえって、ロープが引いてある。
家まで100キロはあったから、絶望的だった。
<UFOさん、何とかして、頼みます>となんども祈ったよ。
一生懸命オイルセーブの努力をして走らせた。
すると、家までたどり着いてしまった。まさに奇跡だと思ったよ。
それから一月ほどした頃だった。
夢の中に満天の星空と、
その間をぶつからないようにすいすい
スラロームを描きながら泳ぐ白いUFOが3機編隊で出てきたんだ。
その後も、忘れかけた頃に出てきたよ。数はいつも複数だった。
でも、ぼくは彼らが星の子だとは知らなかった。
あるとき、UFOって何なのだろうと、
あれこれ考えていた矢先の夢に、いつもとちがう夜空が出てきた。
星数はまばら。そのとき右上のほうから、
すうーっと直線的に白い星が真ん中へんにやってくると、
そこにあった星にぶつかった。そのとたん、「ポッ」と音を出すと、
すうーっと右下方向に跳ねかえって行ってしまったんだ。
それは質量保存則の実験を思わせたね。
でも、よく考えてみたら、それはむかしあったテニスの
テレビゲームみたいじゃないか。 (知ってるかな?)
それで悟ったよ。UFOは映像の一種なんだって。
それはあのキャンプ場のときも、もしかしたらそうだった
かもしれない。なぜなら、なんの音もしなかったから。
でも、そんな映像を夜空に作ってみせるだれかがいることは
まちがいないことだ。
いや、夜空でなくとも、控え目に見て、
ぼくの網膜に写っただけとしよう。
--だって、夢の中にまでやってくるんだから。
とすれば、 視神経に作用したかも知れないわけだ。--
それでもすごいこととは思わないかい?
少なくとも、高度な科学技術であることはまちがいないだろう。
そうしただれかがきっといるにちがいない。
ところが、とうとう第三種接近遭遇をしてしまったのさ。
そう。とうとう出くわしちまったんだ。
それも、はちあわせだ。はちあわせ。
そのときの様子はこうだ。
ぼくはある晩、眠ろうとしていた。あおむけになって。
だけど眠れない。何もすることがなくて、
早寝しようとしていたものだから。
(実際には、園芸店で買ってきた90Cm支柱4本をピラミッドに組み立て、ゴム粘土で角を止めたものを東西南北に合わせて設置し、その中に頭だけ入れて横たわり、八拍呼吸法による瞑想をしていました)
そんなときにあれこれ考えても、よけいに眠れないだろ。
だから、ただまぶたの裏をじっと見て横たわっていたんだ。
何も考えずに。
うす明かりがまぶたを通してきて、ピンク色のような色。
ただそれだけだった。
どれほどたったか。ふしぎなささやきが聞こえてきた。
おやっ、と思って目を開けようとしたけれど、
いやまてよ、と思いとどまってそのまま声のしている向きを
確かめようとした。
(実際には何の声もしていません)
すると、その声は外から聞こえているんじゃなく、
ぼく自身の中からしていたんだ。
何を言ってたかって?
それは会話だった。少なくとも二人いた。
そのうちの一人はぼくだった。こんなこと、びっくりだ。
一人の声が、「ちょうどいい機会です。
私について知ってもらいましょう」と言った。
するとぼくが、「よろしくお願いします」と言っているんだ。
(実際に会話はしていません)
そのとき、ぼくにはその会話の光景が見えてきた。
一人というのは、あのUFOなんだ。
背景は何だったか忘れたけど、白く輝く光の玉が浮かんでるんだ。
そしてもう一人、ぼくというのは、ぼくだから、当然見えやしない。
そのUFOが次にこんなことを言うんだ。
「私はあなたの目の中に入りますから、
しっかり見ていてください」と。
すると、ぼくがこんなこと言い返しているんだ。
「あなたは映像だから、大丈夫ですね」って。
どういうことだと思う?
それはこの次に起きたことでわかる。
いきなり、その光は、ぼくの閉じてるはずの
まぶたの中に飛び込んできたんだ。
「じゃあ、見せてあげるよー」ってね。
(そのときUFOは映像だから、体の中にさえ入ってこれると不意に思っただけのことでしたが、突然白球UFOが現れて、さーっと、意識を集中していた眉間に飛び込んできたのです。これは夢の中での話ではなく、顕在意識で経験したことです)
そのしゅんかん、視野の真ん中から白くまぶしい光が
放射状に広がって、視野全体が光で包まれてしまったんだ。  (太陽光のようでした)
ぼくは仰天して、
心の底から、「うわー」って叫んでたよ。
そして気持ちはパニックさ。そして思いっきり、目を開けた。
だけど、目を開けても視界がぜんぶ白い光だったもんだから、
ぼくはてっきり自分の気が狂ったと思って、
頭は振るわ、目はパチクリさせるわ、
正気を取り戻そうとてんやわんやだった。
するとやがて、おおっていた光が
ちぎれちぎれの雲のようになって消えていって、
元のうす暗い部屋の景色に戻ってしまったんだ。
(この一連の描写は実際のものです)
それはいったい何だったのって?
それはぼくが聞きたいくらいだけど、きっとよく言う、
UFOとの第三種接近遭遇というやつじゃなかったのかな。
だけど、それは星の子だったんだ。
それがわかるまでには、ぼくはまだ何も知らなさすぎたのさ。
え?おかしな遭遇のしかただって?
そうだ。普通だったら、僕がUFOの中に
連れ込まれるわけだ。それが逆なんだからね。
ただし、ぼくが連れ込んだんじゃなく、
ぼくの中に勝手に入り込んできたんだ。おかしな具合だよ。
だけど、あんなにいやがったから、きっと気を悪くしただろう。
それ以来、ほんとうにたまにしか、
夢の中に出てこなくなったから。
でもしかたない。あんなに突発的だったから。
だれだって、アポを取ってからにしてもらいたいよ。
そうすれば、たとえ前代未聞のことでも、
少しはましな対処ができたかもしれない。
いやまてよ、あのときは別のぼくがOKを出してたんだ。
あのぼくって、いったいだれだったの?
後からわかったんだけど、
あれは夢の中で意識するぼくだったんだ。
それが現実の世界にまで橋かけしてくるなんて、
思っても見なかったことさ。
え?きもち悪いだって?
そんなことないでしょ。だれだってそうじゃない。
夢を見ているとき、君は現実のことが意識できるかい?
現実問題を夢の中に持ち越すことができるかい?むりでしょ?
つまり、ちがった意識が少なくとも二つはあるのに、
みんなごちゃまぜにしているのさ。
さて、とにかくUFOを、かなりがっかりさせたらしくて、
それ以後めったに、すいすいUFOプラス星空の夢は見なくなった。
でも、彼らはぼくときずなを作っていてくれた。
そしていつでも、ぼくが必要とするときに彼らが援助
するだろうことも、なんとなくわかるんだ。
きっともう一つの意識が知っているんだろうね。
あのときひょっとしたら、ぼくはだめだったけど、
もう一つのぼくは受け入れていたかもしれない。
(蛇の道は蛇といいますか、この後1994年に武良氏と出会い、以後UFOビデオ撮影友の会を作ってUFO撮影に興じました)
ぼくとのきずなとは何かって?
それは、記念的な表象としてぼくが記憶しているものだ。
たとえば、あのUFOの形、色、動き方、
そして奇妙な考えのひらめき、そのシンクロ。こうしたものだ。
それがついに、現実世界にやってきたんだよ。
最近のテレビでUFOミステリーものをやっていたけど、
そのとき、イギリスでよく発生するミステリーサークルにUFOが
関与しているしゅんかんの実写ビデオが放映されていたろ?
なに、見ていない?なーんだ。
そうしたものを見ずに、UFOはいるかいないかわからない、
などと言っていたらはじまんないよ。もう。
(坂本氏の白昼の満天の星のような出現を撮影したビデオを如実に見て、夢の中だけの話ではない、やはりいたんだと思ったことでした)
実はこのときの白い発行体こそが、
ぼくの夢になんども出てきたものなんだ。
形、色、すいすい泳ぐような飛び方も同じだった。
そして彼らが描いた幾何学模様の中に、
ぼくが研究していた模様がそっくりそのまま
あったからおどろきだった。これは、ぼくと彼らの間で
心のパイプがつながっている証拠と思ったね。
でも、彼らはUFOではなく、星の子だったんだ。
それがわかったのは、さらに後になってからだった。
さっきの話の後、またいくつかのことがあったけど、
それはもういいにして、最後の結論の話しをしよう。
なぜ星の子だったかってこともわかるよ。
その後、ぼくは、比較的短い一生を閉じたんだ。
ぼくは、自分の体を抜け出して、大気圏を通り越して、宇宙へ出た。
青い地球が、一望のもとだった。うすい雲を通して、
ぼくが生きた国がうすい海岸線のりんかくを現わしていた。
ああ、この国どうなるんだろ。ああ、この星どうなるんだろ、
と思いにふけっていたときだ。
ふしぎな声が聞こえてきた。
それは心の中で行われているあのときの会話のようだった。
「成るようにしか成らないのさ。もっと気楽に、気楽に」
そのとき、ぼくがまた答えているんだ。
「そうだね。気楽にやるよ」って。
なんだこれは、ぼくが生きていたとき、
どうにもならない成り行きにあせり憤慨するたびに、
思いついて気を静めた言葉じゃないか。
ぼくは、その声のありかを心の中にたどるうち、
むこうのぼくの会話が聞こえる扉をみつけて、そっと開けたんだ。
そのとき、むこうのぼくが会話の声といっしよに、いっきに流れ込んできて
ぼくと結合したのさ。それと同時に、ぼくの心に
たくさんの情報が流れ込んできた。
すると、いままであったことはむろん、自分がいったい何者で、
どこに向かっていこうとしているのかも、悟ることができた。
ぼくは星の子だったんだ。
見上げれば、さっき会話していた仲間たちが、
みんな同じ光の体をして、ぐんじょう色の宇宙空間に浮かんでいた。
そして、みんなすいすいすいすい自由に泳ぎながら、
手を伸ばし、結びあって、一つの大きなネットワークを作っていた。
見えないその先はさらに高次元へと伸びていた。
そして高次元のはてには、創造主がおられることも
ひとりでにわかっていた。
ぼくは、あらゆることを知ることができた。
それによる充足感は、たとえようもないものだった。
この情報ネットワークにあるものすべてが、この恩恵を共有していた。
そう。だれでもみな同じ、星の子だったのさ。
☆  ☆  ☆
キリスト教嫌いだからといって、クリスマスにちなんだ話がないのでは、話題のないオッサンでしかありません。といっても、この話は童話として作ったものなので、オッサンとも言い難いものがありましよう。
が、この話をクリスマスだから出したというのではなく、今日までのいつかきっとさんとの水面下での話がきっかけになっているという、偶然のものなのです。
いつかきっとさんは本日、私のUFO体験と似た体験をしている半田広宣氏のことを教えてくれました。
体験には、いくつもの相違点はあるのですが、
半田氏は白球UFOに眉間に飛び込まれてから、宇宙人オコットと交信するようになったといいます。
私も、学生時代にすでに宇宙人と会見していた可能性があり、UFOには宿縁の深いものがありますし、同行撮影家の武良氏などはチャネラーで、長い間、たった二人でクラブ活動をしていた経緯があり、2003年に坂本夫妻が現れるまで、他の誰も入会しておらず、HPのカウンターは回っているのに、こんなにハケのよくないクラブも珍しいことでした。
半田氏はUFOに素直に入られたから?発展されている模様です。私は拒否したから?壁が厚かったのか?というより、学のない私では、理論的発展はできなかったのだろうなと思います。彼の理論についてにわかかじりで見ても、さっぱりですから。
しかし、半田氏の「人類が神を見る日」の解説サイト↓にこんな記事がありました。
https://www.h2.a.ne.jp/~apo.2012/daiyogen35.html
「古代の多くの哲学が語るように、人間は神自身を映し出す鏡であり、人間を通してのみ神は己自身を自省することができる。人間を創造したものが神であるとするならば、神を創造するのも人間でなければならない。いずれ読者はこの物語の先に、神に対して受動的ではなく、能動的にも振る舞える人間の姿を発見するだろう。人間と神の間にあるこの「鏡の論理」を看破する知恵こそ神聖な叡知と呼べるものであり、あらゆる学問が究極の目的とするものなのだ。そして、それはとりもなおさず人間が最終的に到達する生の目的でもある。神の眼は人間の眼差しによってこそ開かれる。そして、この眼差しに照明された人間の営みこそが第一知性(ヌース)と呼べるものなのだ。」
ここに預言されたように、私は新神話という魔法を引っ提げて、「神に対して能動的に振舞える人間」になろうとしているのではないかと思います。であるなら、白球UFOが触媒になったのかも知れません。
いつかきっとさんに依頼したUFO関係の質問と回答、その解釈編を次にしておきましょう。そこにはくだけた話がいくつも出てきます。
12・21>Q 来年森野さんは宇宙人と会見できますか?  
  A 原案 歳出最大
なかなか有望な結果ですね。 これなら来年は勝海舟のような働きが開始できそうです。
すでに計画下にあったのでしょう。岡山はあの物語の背景そっくりのところなのです。
>Q 宇宙人は森野さんに対し、どういう思いを持っていますか?
  A 「一回だけではない」
私が若い頃に関わった宇宙人がまたやってきているのでしよう。クラリオン星人は、あのときの紳士に似ています。
家の中から必要なものがよく消えてしまうんです。 この家は神隠しするとんでもない家だと思ってましたが、種を明かせばこんなことか。 そのたびに記憶を消すものだから、健忘症の後遺症が出ています。 これでは不平等もいいとこ。記憶を消さないように強硬に主張することにします。
>Q 会見できるなら、宇宙人はどういうタイプの人種ですか?
  A 要望切実
何か切実な要望を持ってくるということでしようか。むしろこちらのほうから要望はたくさんあるのですが。なかなか難航しているといったことなのか。それとも新神話に何か要望があるんでしょうか。
⇒ きっと、新神話が神々や宇宙文明に高圧的に作用しているのかも知れません。邪神は粛清し尽くすとか、協力しなければ宇宙を廃止するとか。
>UFOと覚醒的に会うと、正常な生活が壊れると思いますが、いかがでしょう。変人奇人のレッテルが貼られることに耐えられるでしょうか?
あなたの解釈どおりになると思います。他人から見た目よりも、顕在意識では処理できずに発狂する可能性があるということでしょうね。
12・22 >Q [ a 「一回だけではない」]
  →もう何回も会っているということ?今後何回も会うということ?物が消えるのはそれ?  
 A 意見書相次ぐ 「共存の制度を」
(新神話では)宇宙文明のほうが科学は発達しているものの、宇宙存亡の鍵はこちらが握っているので、共存できる制度を整えたいとの意味かも知れませんね。
ということは、未だに宇宙文明は邪神側の司令のもとにあるのでしょう。邪神も宇宙人を介して交渉のテーブルを設けたいのかも知れません。 では、遭えるのは直接邪神か?
>Q 今後、森野さんとの会見では、記憶を消さないようにお願いします
 A 不安の声
上に書いたようなことがまずありうるわけですが、もしかすると次の回答と関連することなのかも知れません。
>Q [a 要望切実]→どういう要望ですか? 
A 光 
彼らとの会見は、肉体では無理なのかも知れません。つまり、顕在意識では不可能なのかと。
夢見の体という波動レベルの違う域でならOKなため、催眠術にかけられるというより、会見自体が夢の中で行われていて、夢をいかに思い出せるかにかかっているのかも知れません。ならばこちらの問題になり、夢見の達人になっておく必要があります。しかしそれも、地球の次元上昇で彼らの領域に近づくため、容易になっていくと考えられます。
それから「光」ということから思うのですが、これのことかな。
次元の隔たりをクリアーするステップだったのかも知れないことが、もう20年以上前にありました。ピラミッド瞑想中に、発光する白球UFOに眉間(第三の目)に飛び込まれたのです。そのとき視界全体が白光の海になり、私は発狂したと思ってその状態から必死で逃れようとしたので、すぐに正常に戻ったわけですが、その状態というのは、ラーマクリシュナがカーリー女神に会見したときに似ていることが、あとで彼の自伝で読んで知ったようなことです。
つまり、宇宙人は高次元の者というわけで、私はそれを受け入れていないのです。
きっと「切実要望」はもういちど光を受け入れろという意味ではないか。あの光をもういちど受け入れることができたら、私も幽肉の構造が変化して肉体で会見できるのかも知れません。あのときは予備知識がなかったので逃げてしまいました。エジプトのファラオも太陽神(星UFO)を身に帯びるために、ピラミッドの王の間の棺桶に横たわっているのですが、神的な宇宙人との会見には必要なことだったのでしょう。吉村作治氏のピラミッドの中でファラオが行っていた儀式の映像は衝撃的でした。
さらに言うなら、これがカバラの流れを汲む皇室やフリーメイソンやスカルアンドボーンズなどの秘密儀式の原型になっているわけです。が、彼らのやっていることは形骸にすぎません。太陽神を真に受け入れなくては、為政者(リーダー)になってはならないというのがほんとうではなかったでしょうか。だから、古今の皇室にも、秘密組織にも世の指導能力はないと言えます。
私もいまいちど、ピラミッドを作って、UFOの訪問に応じてみたいです。
>Q 森野さんとはどのように会う予定ですか?
  夢で?直接会っても忘れさせる?        
A 運営すべて手作り
手作りバージョンで会ってくれるということですよ。
イリュージョンであることは何においてもそうですが、私に合ったやり方を工夫してくれるのでしょう。
実はね、23日夜から24日朝まで激しい腹痛で眠れなかったのです。何度もトイレに行って出すんだけど、下痢ではないんです。朝方になってようやく痛みが引いてきてわかったのは、心臓に原因があるということだったのです。何時間にも及ぶ狭心症ないしは心筋梗塞だったみたいで、最後には左上腹部痛だけ残りましたから。つまり、臨死しなければまともに会見できないということだったかも知れません。
しかし、そんな危険なことをされても困ります。間違えれば、火の鳥に変身して新神話を敢然実行してしまいます。いちばんいいのは、心臓を治し、夢見がしっかりできるよう促進してから会う、それも早くというのがほんとうでしょう。
いつかさんが気がつかれて次の質問をされているように、私の関わる宇宙人は異次元(しかもあの世の次元)の存在であり、特別の手作り仕様の場(臨死つまり中陰の場)を用意しようとしたのでしょう。しかし危ないなあ。
あちらの技術では直接会見は無理なのか。それとも私の相手が特別なのか。クラリオン星人ではないのですね。
>26日
>Q UFOで来ている宇宙人は、異次元の存在ですか?   
  A 源 (「財源」から抽出)
創造の源あるいは拠って来たる源(霊界次元)からUFOで来ているということか。
まさに想像する星の子UFOそのものです。
古代中東では、高い山の向こうから大挙してやってくる星の子を先祖霊(ウルバン)の帰還と信じて盂蘭盆会を催しました。これが仏教とともに日本に伝来したのです。
>Q その宇宙人と森野が顕在意識で直接会うと危険ですか? 
  A 問題 提供 複数回
  (表見出し━「期限切れ野菜提供 ラベルはがし複数回」
   →総合的に、問題ありということか)
どうしても地上への顕われは遅れが出ます。神界でまず事が済んでも、地上には遅れて出てきますから、情報が陳腐化するということなのか。時代はどんどん流動化しているのに、期限切れ情報がもたらされても混乱するだけです。ジュセリーノの予知夢でも流動化の波に吞まれて変更され、混乱の元となっているのに、宇宙人との直接会見ならいっそう時間がずれるということなのか。
そして依然、ラベルはがし(記憶消去)を慣習にしているふうです。発狂の不安があるという理由ですが、はがしがあると何にもなりません。それだけで、こちらではさらに記憶を思い出すまで時間がかかり、情報は陳腐化してしまいます。
いずれにしても、問題があると言っているようです。では旧態依然としたチャネリングしか方法がないというのでしょうか。それでは普通の人を納得させることは到底できないのです。ほんとうに、箸にも棒にもかからぬ、まどろっこしい三次元密度世界です。
ん? もしかして異次元の宇宙人とは、天上人の宴に出てくるロアーなのかな??
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/tenjobito8.htm

開運牛のツノちゃん

猫の駅長「たま」ちゃんは今年の開運猫だったそうですが、来年の干支である黒い顔の額に白いはあとマークの紋がある「開運牛のツノちゃん」が早くも大もてになっています。
飼育員さんが結婚されて子供が生まれたとか、いろいろいいことがあったそうです。
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それではもう一頭、体がはあとでおおわれた開運牛の「はあとちゃん」を紹介(再掲)いたしましょう。こちらはわずか2,3分で描かれた線描画です。
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表情がどっちも似てますね。

古事記は真のバイブルだったのに・・・求められる真のシャーマン像

バイブルというのは聖書のことを言うらしい。だがこれは救済の書ではない。
人類を神と聖別し、獣の領域に置こうとするものだ。
事前にこれからの未来を示し、人類がその鎖から解き放たれることがないことを示すものである。
そして、土台にある地球を穢れたものとし、いつくるか分からぬ未来の楽園だけを夢見させる。
そこから人々は、おそらく大麻の幻想のような快感を得るのだろう。
つまり、絶望を左手に、天国への扉を右手に置いて、人類に臨んでいるのが聖書の神なのだ。
それを救済に結びつく書というには、ほど遠いものがある。
いっぽう、日本の古事記は違っていた。これは、人類がおよそ立ち入りかねない、物質文明隆盛という事態に対して、兆候を見て知恵をもって、立ち入ろうとする道を聖別せよと教える教訓の預言書だったのだ。
用い方次第では世界を良導し、歴史を閉ざしてしまいかねない愚行を未然に防ぐこともできたはずのものである。
用いるべき立場の為政者が自らのものとして長い間手元に置いていたはずの古事記。彼らがそれをまともに有効的に使うことは一度としてなかった。
古事記の神々を扱う神職が知らないでいるはずはなかった。あるいは、知らぬふりを決め込んだのかもしれない。その神職たちのトップに立つ天皇とて同じだ。天皇こそが積極的に活用せずして何になろうか。そのような暇がなかったにしては、あまりにも家系だけは続きすぎていないか。
古事記を編纂した天武天皇は少なくとも知っていた。中身が何であるかをよく知って、編纂したのだ。それ以前に古事記の原型である本辞が成立していたのなら、成立当時の天皇も知っていただろう。
あまりの先の未来に、まだ意趣が知れるのは先で良いとでも思ったのだろうか。残念ながら、子孫たちは単なる先祖の手になる宝のコレクションに加えただけだった。その意趣を紐解く立場の神職がそれを活用した形跡もない。こうして、古事記の神名は意味が知れることなく、神棚に祭り上げられただけとなった。
聖別にもいろんなものがあるが、神名の真意を知らず、誤って聖別してしまうプロもなかろうに。腹を切ってもらいたい。
神々は、人類が定義した範囲において神として顕れる存在であり、我々が神話を作ってこそ活躍できる超自然的有意識的パワーのことである。神々のそれぞれに属性を与えるのは我々であり、人間の側の発想が貧困であればその程度の顕現しかできないのも神なのである。
その道のプロたちの罪は測り知れない。
そして教訓は生かされることなく、人類は神に及ばないことが当然であるかのように、古事記に立ち至るなと戒められた「黄泉の国」のステージの、しかも今や末期に至ってしまった。
大道廃れて仁義ありとは老子の言葉だが、元津神話の意趣が廃れて、新神話の日月神示などが現れたのだ。末世の様相を示し、人々に希望の火を絶やさぬように世の建て直しを示すこととなったのだ。元津神話が生かされていれば、このような新神話は無用のものだった。
ホピは原初の頃の神話をそのまま持ち伝えていた。時間の流れの中に立ち顕れてくる兆候を見る目を持つようにいつも心がけてきたのは、彼らの指導者であるシャーマンであった。
彼らの神話には、人類が選択を余儀なくされる二つの道が予め示されていたという。それは「存続の道」と「滅亡の道」であり、前者はさらに世界線が続いていくように描かれるが、後者は途切れている。
しかし、それらを概括して鳥瞰的に見ることができるのも人間である。人間の掌中に神話も存在しているのだ。ただ、伝統を守り何もしないことが態度というのはおかしなことであり、その保守に固執する勢力がどうしても残存するなら、新神話によって旧神話を駆逐することも必要不可欠なこととなるのだ。
ホピの長老たちの広宣努力には敬意を持つが、人間にしかできない発展の努力をとらない以上、滅びの流れに彼らも乗るしかない。ホピの長老たちは、日本の神職よりは雲泥の差ほどにはるかにましだ。知らぬ顔をしているのでもないし、多大な努力をしている。
しかしそれでも、そこから新しいシャーマンが改革の火の手を揚げることが期待されるのである。