台風10号の奇妙な動き

この記事は未来人2062掲示板に書いた内容です
台風10号の 進路予測がでております
30日に 本州直撃 しかも よく知られた
糸魚川-静岡断層帯に 沿うようにして 描いてあります 
非常に大型なので、強風及び河川の氾濫にお気を付けください
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ちょっと気がかりなのは 今回の連続台風 
大地震にスロー地震をぶつけるために 発生した感じが
ありまして 三陸沖M5以上が頻発した箇所や 根室を通り
10号がこんな変なとこ 通るでしょ 
https://bit.ly/2bzgLQ4
台風が地震をやっつける話は 日本神話にも書かれてるんですが
うまく訳せた人がいないのですよ
日本が神々に守られていることは 間違いないので あとはお任せ
のココロです
確か 2009年のときのものですが
神様の画像を貼り付けますね ( ^)o(^ )
台湾の方が 感動してたみたいです
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千と千尋の物語を異界から読み解く

この記事は未来人2062掲示板にも書き込んだ内容です
「千と千尋」は映画館で2回 テレビで2回ほど見ましたか。
アニメ雑学ということで こんな話が出ていました。

これを見て、果たして宮崎監督の真意がすべて示されているのかどうかと思ったもので
ここにちょっと書かせてもらいます。
宮崎監督はこの作品で 日本古来の神話の意趣を汲みながら 
現代のプロパ主の秘密組織さんにも配慮しているように見受けられます。
だから、広範囲な評価を博しているように思うのです。
まず米国映画のような 現代や未来を暗示する何かがあり 日本映画風ではないという印象があり
向こうで言う救世主像を 千尋に求めている感があります。
最後はマトリックスのネオのように この世の主催者に対して 多少のインパクトを
与えたかな というところで終わっているところが 似ています。
湯ばんばは この世の主催者といった感があり 契約書を交わす人とは まるでこの世での
輪廻契約をして臨もうとする 霊魂の姿のようでもあります。
契約書 その内容にちゃんと目を通して 契約できているのかどうか いささか心配。
湯ばんばの里の入り口で 満載の食事を食べて 豚になってしまった両親。
これなど、ダウンロードしたら契約成立といった 安直なケースに似ていませんかね。
豚になってしまえば 元の記憶などないので もう元に戻れません。
古事記神話にも 黄泉の食べ物を食べて 元の世界に帰れなくなったイザナミがいました。
湯ばんばの里は どうやら 黄泉の国(死者の国)をモチーフにしていることがわかります。  
千尋はまずそこでは食べていませんから 元の世界に戻る条件をクリアーしています。
性悪な湯ばんばは フクロウの化身でした フクロウは 秘密結社のシンボル。
監督は この辺も 押さえていたかもしれません。 世界が絶賛する要素を容れています。
この世は地獄と 王仁三郎さんは言ってましたが 秘密結社さんたちは 獄卒(鬼)の役目を
担っているとすれば、なるほど納得の感があります。
いまその秘密結社さんたちの 自己表現が盛んになってきています。 秘密が秘密じゃなくなる
ということは、湯ばんばの里も そろそろお開きになる という前触れかもしれません。
新しい時代が すぐそこまで来ているのでしょう。

米国製映画を最近はよく見ています

どこかで米映画を見ておけば未来がわかるということを教えられ、最近私は米国製の洋画を見るようにしています。
どこかで? それについては、この記事の続きに推測を書いています。信じ難いかもしれませんが。
映画を見た最初のものは、トゥモローランドでした。人々の間でもファイナルカウントダウンが予告されているとのことだったので、かぶりつきでワンシーンも見逃すまいと、映画館の最前列から三番目ぐらいに陣取りました。ディズニーのSFなんかに執心するお人よしもいないのですが、その背後には世のシナリオライターも控えているという話もあり、私はボケ防止を図るにも好適かと思って勝手にやっています。
そして、確かにその刻限が示されていると思いました。他の人とは解釈が異なるかも知れないけど、終わりの始まりと終わりの終わりが示されているようでした。その始まりの刻限は、私の知っている人物のちょうど50歳の誕生日でした。その人物はいずれ頭角を現し、世の指導者になると予想される男です。理由は、アマテラスの神霊を受け入れて登場する、いわゆる岩戸開けを象徴する人物なのです。終わりの刻限までに、彼は未来を変えて、優れた未来に切り替えることができるのか。私はトゥモローランドのフランクは彼になるだろうと思っていますが、むろん私だけの希望的観測かもしれません。
未来人さんは、これからさき、ビッグイベントとしての第三次大戦がひとつの山場としてあり、それを乗り越えた先に未来は開けるという観方をされていました。私はその頃の指導者に、未だかつてない英雄が出てくるかどうか知りたかったことがあります。絶望的な未来を180度転換させるような指導者の出現はありやなしや。それもあって、ここにかぶりついているという次第です。
さて、その次に映画館に見に行ったのが、リトルプリンス(星の王子さま)だったのです。私は、サン・テグジュベリの「星の王子さま」の続編という趣だったので、冥土の土産にどうしても見ておきたかったのです。自分の星に帰って、小うるさい薔薇とは仲良くやっているのだろうか、とかね。アブリ・ボアゼ。絆を持ったものには責任を持つということを教えられた彼ですから。
ところが、見に行ってみると、その内容は異なった意趣のものに切り替わっていました。王子さまは過去のことを全部忘れて、ある星の金満家の創る都市で掃除夫として働かされていて、それに対して何も疑問に思わない(その星の社会全体の人々も同じだったけど)大人になっていたというお話。なんじゃらほい。
そして人々の星はみんな金満家に取り上げられて、星の金庫のようなところに集められ、空には星ひとつない。
夢もチボウもないといったことが表現され、ただ金満家のために働くロボット人類が、通勤して会社に行き、毎日同じことをしているというわけです。また、子供がどこにもいない。だから個性がない。アニメですから、ずいぶん手抜きした感のあるアニメ。ヒトラーが予知していた神人とロボット人類に分かれて暮らすという話をほうふつとさせますが、もうすでに日本もそうなっていることに気付きます。大企業優先で、個人などの権利は縮小されてしまう。まあそんなことを映画は示したかったようです。
そして、ここでもまた、救世主的存在が出てこなくては、えらいことになるよと言っていることに気付かされます。

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順当に繋がる電脳内仮想世界と、落ちこぼれた実近似世界での発掘

未来人サイトに集う人たちは、おおよそが順当に繋がっていく未来世界の方向に向かうようです。
お喜び申し上げたく思います。
ある程度の思想と知識を与えられ、それなりの幸福を享受する人々。ヒトラーが幻視した2040年以後の世界で、人類の大半がそのような境涯に入っていくようです。それを私は、電脳が創る仮想世界であると見切りました。
ごく少数の神人は電脳のサーバー側にいて、人類全体をクライアントにして管理し監視しているという次第になるでしょう。
むろん、人類の見ている世界は、仮想現実であり、ストーリーはしっかりしていますが、ホンモノではありません。
人工知能が創りあげたストーリーの世界をシミュレーションしていくわけです。
それが、篩い落とされなかった優秀な人たちの行く未来です。
いっぽう、篩い落とされた側というのは、淘汰されるべき人々、劣等人種と見做されることになるのかもしれませんが、むしろ実現実に近い位置にいます。
というのは、いずれにしても仮想現実の虜であるに変わらないなら、その辺に違いはないのですが、段階的に第一仮想、これからの未来世界は第二仮想とでもすれば、区別しやすいでしょう。第一仮想は、実現実にまだしも近いため、真実の歴史を遺しているのです。落ちこぼれた人々は、第一仮想に居残ると思えばいいでしょう。
私はあえて、第一仮想に居残ります。というのは、私の使命、役割は、私が満50歳になってから後天的に付与され、同時にそのための時空とタイムラインが割り当てられたからです。
本当ならば、私は満50歳になったあたりで命終し、もう二度と再誕生してこなくなっていたのです。輪廻の理由になる魂が消滅するゆえに。そのように、私にこのような世界を観測させるようにした存在・もうひとりの自分との約束事だったのです。
ところが、私は二つ条件をつけていたため、もうひとりの自分は、その条件を満たしてしまえば、私をさらに先まで確保できると思ったようです。そして、その条件の二つとも実現させて、実現させてくれた神々の期待に応えることが、私の次なる使命になったのです。
神々は、その昔、太陽系の外からやってきた邪悪な宇宙人的神々の策略に嵌り、非常にひどい仕打ちを受けて、さらに地下に封印されてしまったのでした。外から来た神々は、地球のことなど一顧だにしません。滅んでしまえば、打ち捨てていく。それが当たり前のようになっている世界にしてしまっているのでした。
人類も、その宇宙人たちの被造物で、一部を地球生態系から採っているため、地球の神々はよう手出しできないのです。その弱点を衝きながら、邪悪な宇宙人たちは、したい放題のシナリオを地球に設定して、何度も興亡させてきたのです。
そして、神々を封印してきた経過やその歴史を、表世界から消し去って、やがてそのようなものなど初めからなかったことのようにしてしまおうとしていました。
電脳世界における未来シナリオには、過去の封印の歴史などどこにも出てきません。まあ、元々乖離してしまっている世界が二つあって、それぞれが独立して歩んでいると言ってしまえば簡単です。そのように、電脳内の歴史は平準化された、凸凹の少ない展開になっていて、どこにも過去の邪悪性など感じられなくなっているのです。
しかし、第一仮想の世界では、2000年初頭には第三次大戦があり、文明の滅亡がありました。そこで助かったとしても、2038年には再度滅亡しているのです。その他の機会にも、まるで歴史の平坦路に重爆撃をうけたような破壊跡をいくらでも残していて、調べようと思えば、簡単に歴史を吟味しなおすことが可能なのです。第二仮想では、破壊跡などことごとく舗装しなおされ、どこにそんな痕跡があるかなど、ほとんどわからなくなっていることでしょう。
私は、不幸な神々の封印を解き、当時の神や人をその残酷な処置の中から救出せねばならないのです。だから、その破壊跡が顕著な方がいい。
そのような使命を受けてこの余生を送っているのです。だから、わざとでも、篩い落とされた側にいなくてはならないのです。
私の協力を獲得した神々は、何も面白く無くて絶望していた私を拾ってくれたことになります。
しかも、魂も消滅してくれと叫んでいた、命要らずのギャリソン・ゴリラだった。
そりゃあ、使い勝手がいいでしょう。しかも、操の提供だけで命を賭けて忠誠を誓う、ホンモノゴリラだった。
その忠誠心には、今でも偽りはありません。
必ずや、やり遂げてみせますとも。

映画「ベティ・ブルー」のラストとのシンクロに驚き

最近、米映画を見るようになりました。
これからの未来のことがけっこうわかるからです。
しかし、今日見た映画「ベティ・ブルー」は、そのようなタイプの映画ではありませんでした。
個人趣味で創作作品を書いていた主人公ゾルグのところにひょっこりと現れたベティという奔放な生き方の女性との日々の本能剥き出しの生活と、二人の興味のすれ違い、そしてベティが何とか彼の文学才能を開花させようとして努力した結果、彼の作品は売れることになりました。
しかし、もう一つのベティの願いの、彼との間に子供を設けるという夢がはかなくも破れ、ベティは精神錯乱を起こしてしまい、二人の間に破局が訪れます。ゾルグは精神病院に強制収容された狂気の彼女の苦しみを取り除くために殺害してしまいます。
しかし、それは発覚が免れ、彼は作家としてのデビュー作を書き続ける日々を。
そんなとき、いつしか彼の家に居就いた白猫が、彼のしていることを覗きにやってきて、こんな質問を。
「書いているの?」
「構想中だ」
ベティは白猫になって彼のもとにやってきたのです。
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私はカンナオビとの楽しかった日々と、カンナオビの早い事故死のことを思い起こし、映画とダブらせてしまいました。
そして、この山奥に白猫としてやってきたウーが、知らないはずのカンナオビを正確に模写して添い寝などしてくれたことを思い起こしました。
そのウーも2013年10月に、とんでもない失態で失踪させてしまったわけでした。なんという不覚ばかり続く我が人生。
思い出すたびに、反省とともに詫びる気持ちがとめどなくあふれます。
そんなとき、ウーが産んだ子のメス猫シャン(別名・タキ)が、カンナオビやウーの後釜であるかのようにして、私に甘えるようになりました。
タキもまたウーに似て、巫女猫らしく、どうやらカンナオビとウーの魂が気丈なタキに合流した感がありまして、甲高い大声で私に食ってかかっているのか、それともそれが地声なのか、やや耳うるさい日々を送っています。
今は存命中の猫が三匹。黒猫ブー、白猫トン、白猫タキとなりました。
どの猫も、私にとっては大事な家族です。
見つかったウーの写真
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