明るいはだかに良心宿る??

またまたふぐりさんのところから
動画 南米コロンビアの6000人の集団
https://golden-tamatama.com/blog-entry-2410.html
その中でも気を引いたのは、どどど、どこの国なんだ、この写真集
↓閲覧注意!将来の金玉村イメージ とのこと
https://goo.gl/DVPsqo 
人が立っている姿は、ギリシャ彫刻を思わせる崇高さがあります。
人が全員、立って並んだ光景は、ギリシャ神殿さながら、神聖さに満ちています。
それに対し、記事を下に手繰り、真ん中付近の写真は、全員かがんだ姿・・・これは白豚の群れか??
一定の場所に集められたら、養豚場の光景そっくりになってしまいますね。
宮崎駿監督の卓越性をこんなところに再発見してしまいます。
今の人々はこんなふうに身をかがめて、同じところに集っていませんか?
秘密結社でなくとも、これはゴイムの群れだと思ってしまうことでしょう。
ヤツラに誤解を与えるような真似をしていてはよくないですね。
ひとりひとり、スックと立ち上がる。そしてみんなそれに続いて御覧なさい。
フクロウ(=秘密結社のシンボル)の化身・湯ばんばも契約書を振りかざしながら、慌てふためくことでしょう。
みながみな、ひとりひとり契約無効宣言して解散。
錯乱した湯ばんばは狂乱のあまり、里を崩壊させてしまうことでしょう。
もともとそのようなものはなかったのです。
幻術に引っかかっていただけのこと。
物事を正観できる人が、湯ばんばに対抗しようと立ち上がっています。
ハートランド・ロシアのプーチンさんです。
彼は、言葉に出して湯ばんばに対抗宣言しています。
これに湯ばんばはびびって、一目置くようになりました。
正観とは、常識(良識)を物事を見聞きし判断する基準に据えることです。
たったそれだけで、見えなかったものや見えにくかったものが見えてきます。
今の常識は、過去の常識と比べて、どこか歪んでしまいました。
どう歪んだか。おそらく本当の意味の正義がなくなったことだと思います。
本当の正義は、良識の中にあります。良心の中にあります。
だから、良識に立ち返るというのがいいと思います。
良識を常識にしていく努力をしましょう。
こんな記事がかつて出ていました。
ロシアが第三次大戦を阻止するとエドガー・ケイシーが80年前に予知
https://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12093852245.html
この記事の中に、こう書いてありました。
>どういうわけか狂ってしまった世界において、スピリチュアルな世界のリーダーシップとはどう目に映ると思いますか?
最初は、常識として目に映るのではないでしょうか?当然の話ですが。
「常識とは良心から生じるものである」とまでアリストテレスは考えていました。
>人類がかみそりの刃の上のような瀬戸際に立たされているこの時点で、国際政治の舞台で主要なプレーヤーを概観してみると、他の国際的リーダーが使っていない切り札をプーチンだけが行使しているように見えます。その切り札とはつまり、常識のことです。
よく見てみれば、プーチンはごく当たり前のことを言っているだけです。
しかも、平和的解決を目指す精神に根差しているように見受けられます。
それは彼が日本の武士道精神、武士道魂を持っているからだと思います。
彼は日本の武道に造詣が深いです。質実剛健の精神。
平和的に解決・・・それはかつて常識でした。
しかしいまは、戦争こそが解決策だと言っています。それは非常識なのではないですか?
何が原因ですか? 宗教上の信仰ですか? 預言者がそう言っていたからその通りにするのが一番?
経済の復興には需要が喚起できる戦争がなくてはならない? だから第三次大戦をした方がいい?
それも信仰の一種でしょう。非科学的、非論理的ですね。それは本来、非常識と言います。
それをまるで当然のように思うとは、どこかで狂ってしまっているわけです。
ではどうすればいいか。ふつうに常識に立ちかえればいいだけなのです。
しかし、その常識が様々な詭弁によって捻じ曲げられている昨今ですから、一段と積極的に踏み込んだ「良識の取り戻し」の努力が望まれているように思います。
強いリーダーシップのもとでこそ、それは果たせると思います。
-武士道は 正々堂々 巷なる 嘘偽りの 横道に非ねば-
-武士道は 耐えることとも 心得る 褒め称えたき 剣豪(賢王)の技-
-武士清し あきんど穢し 政道も いずれ就くかで 真価が問える-
昔の武士は、平時にあっては領民を助け守ることを本分にしていました。
戦さばかりしていたと誤解してはいけませんね。
こんなところにも、常識の歪みを見てしまいます。

事の本質を見よう

海水を輸血に・・・ルネ・カントンRene Quinton1866-1925 の功績(次の記事の後半)
https://www.あほうどりのひとりごと.com/article/438555198.html

陸の生き物は海から上がったことを証明するような話です。
医療に生かせなかったのは残念でした。
生かさず殺さず、カネで動く社会の維持のために人類を飼う社会に、ホンモノはありえないでしょう。
生命は本源から乖離するばかりです。
それがユートピアだというなら、誰のためのものか、よく考えてみたらいいでしょう。
八つぁん 「そらあんた、宇宙人のためのものでしょうに」
落ちがついたところで、この漫談は終わりです。
次は本質的な話です。
いま多くの人が気絶したり亡くなったりしているようですが、原因はご存知か?
その主たる原因は、個々人レベルでのタイムラインシフトなのです。広義には、あの世へのタイムラインシフトもそれに含みますが、そればかりではありません。この世におけるタイムラインシフトが大かたを占めているのです。
突然死したように見える人たちのほとんどは、彼ら個々に備わっている別の可能性のタイムラインにシフトして、そちらのほうで意識活動を継続しています。
この世と言われる側にも、すべての人はパラレルワールドとしての可能性のタイムラインを非常にたくさん持っていて、随時にシフトしているのです。
突然死したように見える人たちは、こちらで死んだはずのその時間以後も、延長上の経験世界を営んでいて、彼らのタイムラインに、我々が記載されている限り、生前の我々と今まで通り友人として、あるいは家族として暮らしています。
それは霊が迷っているとかいうのではなくて、彼らは現実として生存しています。たとえば、東日本大震災の津波で亡くなった方の多くは、そのような変災に遭わずに生きているタイムラインで、今まで通りの生活をしていたりするのです。
ただし、こちらの我々の属する世界とは異なる並行世界に移行しているわけなので、この先、再びタイムラインが交わらない限り、出会うことはないわけです。むろん、ごくまれにタイムラインが交わることもあります。そんなときは、それぞれが辿った経路を語り合うのもまたオツなものですね。そのようなケースはあるのか? 報告されても無視されているだけなのです。X-FILEやアウターリミッツなどのファイルを調べてみてください。いくらか出てくると思います。
なお、夢見では、別のタイムラインにシフトして生きている、こちらで死んだはずの人に出会ったりします。 ⇒ 生きている母や祖母の話  早逝したはずの彼女が女優歌手デビューしている話
それだけ夢見の身体が自在なわけですが、この別の身体にこそタイムラインシフトさせる機能が備わっているのです。日頃見る夢の世界も、実在するタイムラインのひとつだということ、知っておくべきでしょう。
この世という側に、選択肢がなければ、今度はあの世というパラレルワールドにシフトしていきます。
このようにして、意識活動を継続することが我々の個々に備わったプロセッサーの役割になっています。
ちょうど、ネットサーバーが決してダウンしてはならないように。

これから日本は、いや私は個人的にプーチン氏と付き合いたいな


さすがだね、プーチンさん。これこそ正義の人です。ありがとうございます。
2014年12月6日未明の夢で、両手でがっちりと鶴亀統べる強い握手をした人。
いつも鶴亀統べる兆候として九日後に現れたのは、人の死なない地震だったけど、九日後の12月15日には地震は起きずに、
最高の兆候が現れました。
それは、私が満65歳になり、年金が満額もらえるようになったことです。
地震なんかより、よほどありがたいじゃないですか。
生活が潤うようになりました。
プーチンさんとは、きっと私はうまくやっていけるし、彼の正義と義侠心を支えていけると思います。
鶴のパワーを差し上げましょう。
その実、2015年からプーチンさんは世界的に大活躍されるようになりました。
世界最強であるべきなのは、正しい人です。
原爆のシーンを見ながら、十字を切ってくれたプーチンさんに、再度ありがとうございます。
私は先ほど死にかけました。
突然眠くなって、何かしている間に、いつしか眠っているのです。
そしてものをたくさん食べていた胃の中身が逆流して肺に入り、気管を封鎖して苦しいむせ方をしました。
しばらく、空気が通らず、死ぬ思いをしました。
きっとこんな死に方をするのではないかと思ったりします。
関東では、そこらじゅうで見られる光景のようですが、これに老いが重なると、逆流性の異物による肺炎が簡単に起きてしまいます。https://t.co/ouCVK03Mml
私はそれで今しがた死ぬところでした。
死んでもいいです。この鶴のパワーがプーチンさんに受け継がれるのなら。
正しい人に継いでもらえるなら、本望です。
何かを彼に期待するつもりはありません。
ただ、正しくあってほしいとだけ願います。

カマどんからお題をいただきました・・・七支刀・考 そして逸脱

昨日、このようなメールをいただきまして、そこに盛られることのいくつかに興味を持ちましたので、ここにちょっと書くことにいたしました。
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【かみらせのひとりごと】
天理の石上に7世紀前後に献納された「七支刀」に注目したのは昨年の上半期だった。この「七」というのも言霊の上でも気になるところがあった一つの剣である。というのも、簡単に思えば七の数霊を考えさせるとしている。歴史上の剣ともなれば、確かに聖剣と言える。ところが、この剣を石上ノ宮に献上するには貴族階級とその必要に応じて大王いわく天皇に献上する物になる。
則ち、紀元に数千年の歴史を終えたか、或いは今後の大和朝廷にとって想念を取り除く必要があったものと一推測される。過去の歴史思念を除き新たな時代の始まりといった意味込めた1本の剣があったんではないかと想いは自由に浮かぶ。
とにかく、この聖剣は一般の庶民に殆ど関わりがないものである。つまり儀礼として石上に必要としたものと考えたい。その理由としてはハッキリ断言されるモノザネではないが、一つ言葉にいろんな意味で含んだ場合、
この剣とは、大和に交差する皇ラインが紀伊であって琵琶湖の島を経由しての鬼の豪族とするや、かつて献上する以前に西と東とに国分に強いられたエゼキの更に古代の未完の文明が神通を境に戦があった、スメルの文明とでも言うのか。いわゆるカルマの輪廻を省みる。大和の剣に秘める思念には過去の怨念をも絡み、決して七として完成期の人なる意識を持てよと内宇宙観で省みたいのである。
人は、そう特別な過去が記すものを意味して特別な世界を考えさせるものはないとするが、わたし個人からすれば、ラインという世界観にスカイロッドというものも剣としての「象徴」を想いしている。過去の時代の事だから何事も象徴性で捉えるのが七支刀の謎解く一歩だと考えている
1本の刀に左側に3の突、右側に3の突起、これはスカイフュッシュに何となく似てはいないか。羽を広げたような状態がフィッシュであったり広げない状態を光のライン、もしくは37度線に価しないとしても35度線をも注目したい。結論は難しいながらも人間の想像力を持たせる古代剣は楽しい。解けなくとも楽しい。(蒲田)文責=
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七支刀
七支刀 -世界60秒巡り- -世界遺産巡り より
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スカイロッド
スカイフィッシュとは – はてなキーワード より
614.jpg
古代人(弥生時代)が壺に描いたスカイフィッシュ(龍)
実践的[スカイフィッシュ]研究 より
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カマどんのこの興味深いメールから、いろんなことが読み解けました。(むろん拙仮説です)
弥生人の文化を併合した新民族渡来人は、習合の心も持ち合わせながらも、古い時代からの脱皮のために、より古代の文化、先住民の文化を終了させる必要があり、これを祭りを通して行ったようですね。
弥生人には、龍の姿が見えていたのでしょう。
同じ人種なのに見えたり見えなかったりするのかという意見もあろうかと思いますが、ふだん観測をしている対象の主体がなんであるかによって、見えたり見えなかったりするのが当たり前ではないでしょうか。文化の違いによって、見える物の対象を区切ってしまうことのほうが多いはずです。たえず識域に置いているものに観測の主体は移っていき、やがては近視眼的にその範囲に固定されてしまうのです。
現代人でも、都会に住む人と田舎に住む人では、見える対象も異なれば、識域に捉える対象も全く異なり、そのために、同じ視点では物事を捉えられなくなっています。都会人には、森や虫や生き物などいてもいなくてもいい。むしろあったほうが気持ち悪いくらいで、無視します。しかし、田舎人には、それらは必要不可欠なものであり、むしろ都会のビルやアスファルト世界のほうが異常なものとして映るのです。
そこでもし都会人のほうが勢力を持ったら、そして田舎人と戦争をしたらどうなるか。都会人は武器に物言わせて勝つことでしょう。その結果、田舎の森を切り払いアスファルト道路を引き、それを根拠にしてさらに森を伐採して都会の領域を広げることでしょう。
CO2が温暖化どうのこうのは、都会のエアコン技術が解消するから問題ない。世界各地で異常気象が吹き荒れようが、頑丈なビルには蚊が止まった程度でしかない。なんだこんなもの、どうってことないじゃないか。
そんな風にして、推進する文化を盾にして、新しい概念を持った人々は、過去の概念とともに古い文化を駆逐していったのです。
古代においても同じです。
しかし、現代と違い、古代はまだ「祟り」というものを怖がりました。今はもう、科学万能を謳うために、科学者が問題ないと言えば、やっちまえとなっていて、祟りなどあるものかと科学者が言えば、ないに等しくなっているわけです。しかし、その科学者も、お金や名誉を与える上位には媚び諂っていて、たとえCO2はやばいんだがなあと考えていても、ああ、大丈夫、我々の世代では何ともありませんと高笑いして、高い給金をいただくことにしているわけですね。次の世代はどうなるんだよ。知りまシェーン。
死後体験した木内鶴彦さんの言ってる、霊体で見てきた未来の話、聞いてみてください。CO2は地球温暖化などよりも、CO2が地上付近に滞留しやすいために、標高の低いところほど酸素不足になり、生き物は窒息していくというのです。とても楽な死に方になるらしいですが、意識を失いバタッと倒れて自然死ですってよ。いま、そんな方は増えていませんか? 放射能が原因と言ってる人もいますが、むしろ放射能騒ぎなどはカモフラージュかもしれません。
それに酸素不足は脳細胞を破壊しますから、幸福なバカを製造してくれます。今の時代、そんな域に達していませんか。
ノストラダムスさんが言っていた
魂のない肉体は、もう犠牲(いけにえ)にされることはない
死の日は本来の自然のなかにとけこみ
み心は幸福な魂をつくるだろう
み言葉を永遠のものとして仰ぎみながら

というようなことになるのではないですか。
大アマゾンはすでに森林部がおおかたなくなっているそうです。これには日本が間接的に尽力しているようで。道路ができれば次々と・・・肺炎球菌に冒された肺のようになっています。そして異常乾燥とやらで、世界のあちこちで山火事が連鎖し、どれだけ森林が失われたやら。
標高の低いところとは、おおかた海浜部で、おおかたは都会ですがな。文化の違いが、見るべき物を見えなくして、それが滅びに繋がるという、まことにお粗末なことになっていないか、ということを感じますね。
さて、話を元に戻して、ここは古代の新民族がやってきたころの話です。
七支刀は、先住民文化の中にあった信仰の対象・龍のシンボルだったかもしれません。
それを七と言うカバラにいう完成数によって封じ込めているということなのかと思います。
先住民も相当に強い呪術性を持っていたようですから、それを凌駕する最新の封印技術で抑え込むことを考えたのではないでしょうか。それが古代の最先端科学であるカバラの応用技術としての、デザイン性豊かな造形美をもたらしたのではありますまいか。
しかし、こんな習合の精神を掲げたのは日本だけだったでしょう。
大陸、ユーラシアでも同じことが行われましたが、強い神による先住文化の神々の抹殺と痕跡の消去を徹底していたように思います。
祟りを恐れたゆえに、先住民の主神で太陽神であるルシファーを金星にまず引退させ、さらには悪魔にまでしてしまったキリスト教のやり口は筆舌を尽くしがたいものがあります。ここにも徹底的に排撃の意志を感じさせます。
しかし、日本も状況が似ていると思うのは私ばかりでしょうか。
国常立尊を引退させ、ついには艮の方角に封印し、鬼の扱いにしてしまった平安貴族たち。
安倍晴明は、国常立尊を巨旦大王の化身にみなして、ウシトラノコンシンと言う鬼神の総大将にして封印呪詛を執り行っていたといいます。彼も朝廷の命令で動いていた一シャーマンにすぎません。地位と名誉とお金が彼を動かしていたのでしょう。
野村萬斎さんのような柔和なお顔だったかどうかは、私は存じておりません。(笑)
まあ、当時の彼らは、地球がよもや、世界がよもやこんな結末を迎えるとは夢にも思っていなかったでしょう。
しかし、彼らのバックには天津神(宇宙人)がいることはわかっていたとは思います。
だからお任せしていればいいと思ったかもしれませんね。
が、残念ながら、その宇宙人とは、あの無責任な、宇宙のアウトロー海賊・アヌンナキだったのです。
カバラの本源も元をたどればアヌンナキだった。
嗚呼なんと、呪わしきこの世だったか。
そんな連中にやられてしまった地球創世の神・国常立尊。
草葉の陰で、この痛ましい地球の惨状を眺めておられるのかも。
いやいや、間もなくこの地上にお出ましでっせ。
大魔神怒る
https://youtu.be/umaMIgeXeQ4
もちょっと長いの
https://youtu.be/05vnZ_lc9JY
全体は300円で購入して見てね・・・天草四郎の話がアレンジされてるみたい
https://www.youtube.com/watch?v=xoT5MlcSesQ
京橋はええとこだっせ、グランシャトーがおまっせ。(^^♪

新世界が稼働中なのは当たり前だのクラッカー

3次元平面に生きる我々が感得できる範囲はとても狭い。
一歩この世界を離れたら、どこにいるやわからない、どこへ行くかわからない。
行ってみて初めて分かる現実なのだろう。
しかし、別の立場から書かれた大局観ある神話・古事記からは、ちゃんとそれがわかるようになっている。
何度もここで取り上げているが、現代は古事記神話「黄泉の国」の段の実演が、この世と言う舞台で行われているところである。
この舞台には、あちこちに雪隠タンクや野壺が置かれていて、しかも中身が観客席からも丸見えと言う、実に不愉快な設定がなされている。
それがまたリアルなんだ。
2014年8月10日未明の夢に、我が家らしいところの台所の下に隠し板がはずれて、ぼっとんトイレのうんこ溜まりがモロ見えという光景が出てきたの。しかもそれが台所に流れ込んできそうなほど溜まってるんだよね。その日は後日、台湾の盂蘭盆にいう鬼月の中日だということがわかったんだ。死者の世界? それとも過去から蓄積したカルマの海? そこに黒っぽい生き物がいて、開いた口からこっちを窺ってるんだよ。それよりキモイのは、
溜まり切った汚物溜めの表面は、モロうんこがふやけて膨張し、何とかパイの表面みたいになっているの。
夢が覚めてから、これは我が家ではないと、何度も心で否定したもんね。
しかし、我が家=この世ということの象徴かもしれないね。そうしておこう。多少、気楽になった。
観客の皆さん、単なる舞台設定なんだろうと近づいて、手でそれを掬い取ってご覧な。
ぷ~んと、あれのにおいがするんだから、おいおい、これは本物かよと、劇場トイレに駆け込んで、石鹸でしばらく手を洗うこと請け合いだよ。
席に戻ってみれば、もう役者さんたちが舞台で演劇やってるじゃないか。
しかし、こんなぷんぷんたる臭いの中、役者も何やってるだか。観客も、もうどうでもいいと、観客席の後方部で立ち見している有様。
まあなにか、遠くから見れば、役者なのか蛆虫なのかわからない、台本に載っているのか載ってないのかわからないような、蠢き方をしているんだわなあ。
これが「黄泉の国」という演目なんだと、後になってからでないと思い出せないほどの気持ち悪さなんだよ。
やってる役者は大真面目。見ている観客どっちらけ。パパンガパン、パパンガパン、誰が殺したクックロビン・・・(^^♪
まあ、内容は、ここを見てください。⇒ 黄泉の国
不思議の国でも鏡の国でもありません。黄泉の国。
迷い込んだら百年目。
そこの魅力に取り憑かれて、もうしばらくいたいという心になるそうだけど、私はごめんだね。
さてそんなわけで、ここで書いたように、ここにはおれんと、マジの世界に行きたがる人々が増えるという傾向、これは致し方ないですね。
では新世界と言われるイザナギの渡せる世界というのは本当にあるのかどうか。
なかったら、行き場を失ってしまうもんね。
大丈夫と思いますよ。
なぜなら、神話・黄泉の国が実際にここにこうして実演されてるじゃありませんか。イザナミの黄泉の国は確かにここにある。
ならば、イザナギの渡った世界もすでにあるにきまってるでしょ。神話の保証がついています。
イザナギの世界がないのなら、当然、イザナミの黄泉の国もないことになる。
ところが、現実に目の前にあって、みなさん役者さんしてるじゃないですか。
もっと野壺にしっかり漬かってください。身体がふやけるまで、まだ少し時間がかかりますよ。
なに? 嫌だ? そんな役者は懲役300年だ。
黄泉軍(よもついくさ)に捕まったらさあたいへん。黄泉の国の栄養を注入されて、あなたもバタリアン。
だから、すたこらさっさと、イザナギは遁走したのです。
そして、身に着けているものすべてを投げ捨てて、川に飛び込んだ。
そして、手についた汚物やら何から何までみんな洗い流しました。
それを禊と言います。
一般の生き物たちは、すぐにきれいになります。
しかし、人間だけはアクが強くてねえ。
針の孔を大金抱えて通ろうとして失敗するんだよね。
だから、それを駱駝が針の穴を通るよりも難しいと表現したのです。
失敗したら、黄泉の国に舞い戻り。いつまでもうんこの海を我がものにしてください。住めば都、野壺も一定住処ぞかし。
うんこは黄金色。
へっへっへっ、お代官様。きなこをたっぷり入れたお餅を持参しましたから、どうぞよしなに。
ふっはっはは。越後屋、そちもなかなかのワルよのう。例の油の許認可、してつかわそう。
お代官様も、なかなかのもので、私など足元にも。ありがとうございます。
まあ、ここで言いたいのは、イザナギの世界はすでにあるということ。
見えないから、あるのかないのかわからないという恐怖。仕方ないものはあります。
しかし、神話は現実をしっかりと誘導しています。
イザナミの世界が目の前に如実に存在するのに、どうしてイザナギの世界がないと言えましょう。
2013年12月11日未明の夢で、デス体験しました。といっても、臨死と言うのではなく、肺から息がすべて抜けきっていく体験の後、ただちに透明の身体になって空を飛んでいました。千の風とはこのことか。しかし、コントロールの効く滑空でした。
その前夜、私はイザナギの精神を実行してみたんです。この世のものすべての喜捨の心。するとその翌朝、さような夢を見ることになりました。
実際の死は、もっとどたばたしたことになるでしょう。そんな心を催している閑などないかもしれません。でもね、心の訓練というか、練習はしておいたらいいんじゃないかと思います。地上の欲が減ることは請け合いです。
しかし、この舞台、悪臭がひどいねえ。
まあ、なるべくなら、生きるところまで生きて、死ぬるときは喜び勇んで参ったらよろしいかと思います。