心の具合を調べる装置

私は神出という地の極近に呼ばれるようにして晩年を暮らしたことをとても光栄に思っている。そこは神話に著名な須佐の男神と櫛名田姫が降臨された土地であり、御業績をたどれば想像の神話空間に居ながらにして到達できるからである。
またいまひとつ光栄なこととして、世にも希有にして優秀な魂をした母の子として生まれたことがある。母はもし男として生まれたなら位人身を極めると、時を分けて複数の修験者に預言された人であった。女と生まれ預言を成就できなかったが、あの伝説上の鵺に出会い、自らの名として意味付けられたとおり奉仕と精進の人生を送った。日本の伝説に言う鵺とは、エジプトのスフィンクスの同類であることが母の言からは伺える。スフィンクスは王の脇持もしくは王すら半身を獣身に描く例があるくらい、王者に近い扱いを受けた神獣であった。平安時代には皇居に出没して頼政に討ち取られたという。たえず王者に懸想するのは何ゆえか。未だ何も分かっていないのも、架空の想像上の生き物でしかないと断定されてしまっているからだ。古代エジプトにおけるスフィンクスの位置づけは何だったのか。絵文字から解答は得られているのか。荒唐無稽な神話でもいいから解答を得たいと思っている。
世の中には故意にしろ偶然にしろ埋没してしまった真実が多くある。
私はスフィンクスの謎掛けにはまった一人かもしれない。普通人では見向かない異界の謎をいつしか解こうとするようになり、とうとうライフワークとなってしまった。今となれば、偉大な母に対してしてあげられる、わずかながらの恩返しとなればの想いだ。
だが、そうした期間もそう長くないと思われる。自らの病気のせいもあるが、まるで比例するかのように世界も病態を呈しているからだ。あとどれほど残されているだろう。
世界最古の民族を自負するホピは、この時代の初めに主催神から人のたどる二つの道について知らされたという。それは物質偏重主義の至る滅亡の道と、自然との調和と質朴謙虚さが醸す生命の道であるという。
この二つの道に、もし明確な分岐点があるとすれば、それは未来にあるというより、過去にあった可能性を示唆したい。
それは第二次世界大戦である。日独の精神性の高さは、独においはワイマール憲法をうましめた倫理の高邁さ、日においては質実剛健を重んずる武士道精神があった。当時の日独の残虐性のゆえに軍配が米英に上がったという異界通信もあるようだ。日独軍がまだしも寛容なら神風も吹いたかもしれないが、あのときの日独が核を先制使用したなら、米が寛容にもしてくれたような寸止めが効かなかったかもしれない。
このころの日独伊同盟の性向は強烈な民族主義により、そぐわぬ人々を民族ごと抹消するぐらいはやっていたかもしれず、だから世の主催神はまだしも人類の成り行きに希望を託しているのかもしれないという淡い期待を心の隅に置いておくことにしよう。(というのも、主催神の人事はおおかた悪魔的人物を人の上に立たせてきた傾向があり、人類が必然的に滅亡の方向に舵を切るように仕向けられている感があるからだ。それをすべて人のせいにしたがる宗教もあるが、私はそのような背景から主催神を邪神ではないかと見ている)
しかしながら、せっかく第二次大戦後、統一の機運を見せた世界も、東西両陣営が互いの主義を掲げて諸国を傘下に収める鍔ぜり合いへと進み、その互いの弊害が撒き散らされるに止まった。結果、今までに至っても諸国は分立し、貨幣経済のグローバリズムのルールによって経済的に繋がっているにすぎない。経済強国の競争発展の論理がまかり通り、弱小国は簡単に経済破綻に追い込まれ、貧困の度合いは増すばかりである。かつての武力による植民地拡大主義が形を変えて登場しているだけ。国に対する資金援助という美辞も、国を構成する人々にとっては多大な負担になっていく場合がほとんどだ。高率インフレ、収穫からの税的簒奪、その結果国民は無教育、飢餓に陥っていたりする。
人々を富によって勝ち負け強弱のレッテル付けし隷従させるためのシステム。それが現今の資本主義経済である。
複雑化し混迷する世相。コンピューターの登場によってオートメーション化が図られた理想形としての、人類の機械化された暁の労働からの解放という念願はいっこうに訪れる気配はない。私はアトムの時代の理想を心にコンピューター業界から仕事を開始したのだった。三十有余年前のことである。能力を要求され多大な苦労を伴う仕事であった。以後、作業内容に進展はあったか。いいや、その当時していたような仕事は現在もより激しさを増して行われている。人がコンピューターに使役され、いっこうに労働環境の改善のない様子である。
鬱、過労死、自殺。ロボットはどんどん登場してきているが、人間の価値が貨幣以上のものにランクされない限り、アトムの時代は儚い夢にすぎない。
もしも日独伊が戦勝していたら、あのホピが救世主として目していた太陽、鍵十字、クロスのシンボルを持つ三国が彼らの喜びの儀式と共に浮上していただろう。
少なくとも日独は協力して大東亜共栄圏を世界にグローバル化した政府作りの構想を持っていた。世界大戦を契機にした武力に依らない世界統一政府の実現。それはもし初期的な民族主義や選民主義さえ解消されれば、世界の隅々にまで人類発展計画が展開され、今頃は優れた国土計画のもとに見事に分化され、まるで公園のような世界が広がっていたかも知れない。
日独伊ともに形而上のことに目を向けていた。科学技術の第一番として、真っ先に「人の心の状態を読み取る機械」が開発されたかも知れない。人は心で何を考えているか読めんからと、ヒトラーだったら考え付きそうな計画だからだ。
人の言っていることは真実か虚偽か。司法の場がキルリアン写真を発達させたような観測機構で公平な判断基準を手にすることができればいいとすれば。その暁には世の中から簡単に邪悪は一掃されてしまうかも知れない。
不安定に変わる心の状態に対しては、当面は粛清のようなこともありえようが、いずれ修養機関や治療機関が用意されるだろう。こうして人は心身の健康が保証されることだろう。
いやいや、このときにも為政者の問題がある。悪魔的人物が立てば、いつまでも粛清の基準を置く材料になりかねない。そこは主催神がどうなさるか・・しかない。
だが現今は、人の心というものは物質以下に貶められている。不安定で、感情に流されやすいといった理由で定量化されたこともない。それで、ないに等しいと決め付けられて、人々は作業ロボットでありさえすればいいという企業の発想に利用されてしまっている。
心は不安定化要因でしかなく、これが如何に調御されているかが最低限の要件となり、人々は学力や能力といった定量化しやすいものによって量られるという次第だ。
心の働きは平静を装う世間に埋没して、ときおり凶悪犯罪として噴出して世間を驚かす。いいや、これに驚く者は世間知らずというものだ。みんな理由を知っている。凶悪犯罪や自殺や鬱になる理由を。知っていて次には誰がと固唾を飲んでいるだけである。彼らは次なる犠牲者が出ることで溜飲を下ろしているに過ぎない。
今後ますます、心の闇を原因とした犯罪が、表面的にまともな人々によって行われるだろう。それを知りたく思っても、表に出ることは稀だろう。心の中を探るのは、学者や推理小説家といった暇人のすることで、司法機関は多発する犯罪処理の流れ作業に、いちいち分析などしておれないだろうから。
こんなことで心が市民権を回復する日は、くるだろうか。
今の歴史の延長線上には、もはやないのかも知れない。
いつの時点かで分岐し去ったパラレルワールド幻想の一席であった。

「心の具合を調べる装置」への2件のフィードバック

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    理想郷(ゆめ)は理想郷(ゆめ)だからこそ美しいというか。
    世界は劇薬による急速な変化より副作用の少ない漸次的な変化を望んだというか。
    まあどっちにしろ夢見物語にすぎないのが、悲しいところなのですが。

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