「長期に渡る情報の連環とシンクロ」について書く意味

前記事を書く意図は、我が人生の不思議さをみなさんに披露したいということも確かにあるが、もっと大きな意図は、もしあなたが学究肌の方なら、問いを発した答には解答が与えられるという「人生からの導き」のようなものが必ずあるということを教えたく思ってのことなのです。
その解答は、人それぞれに異なることだろう。
どうしてもその解答を見つけたくて本屋や図書館に行って調べて見つけたなら、それがあなたへの解答であることもあるだろう。
私の場合は、人の意見は参考にはするも、自分の人生で偶然遭遇するような事態から教えられたケースがとても多かったので、いつしか「向うからいずれ解答はやってくるさ」という気楽さで待つようになったのです。
本屋や図書館、最近はもっと手広く「ネット」からどんな情報も手に入れることができるようになった。だがそこには、既存の著名な科学者や医学者などの仮説が載せられているだけで、ホンモノに出会っているわけではないことに注意が要る。
だが、個人の自由です。そこまでで納得したなら、それはそれでひとつの解答であり、ひとつの問いヘの決着を見たとしてもいい。しかし私は、科学も医学もまだホンモノを見つけていないと思うので、私はそれらを参考意見にとどめるだけなのです。
今の科学や医学の到達点を見れば簡単にその辺がわかる。科学者と称する人々の学説という、いわばホンモノともニセモノともつかぬ御説(仮説)の林立の中の、これがいちばん妥当だというものの人気投票のようなことであり、時としては、いやほとんどがそうだろうが、斯界の権威という者の恣意によって決められてしまっている。もしそこに、別のもっと権威ある者(この世の主導者など)の故意が入れば、たちまちホンモノから一気に遠く乖離してしまうということもあろう。
この世の主導者というモノはモノノケであるかも知れず、それが人類には本当のことを与えてはならないと決めたなら、世界のどこにもホンモノはないことになろう。
私はモノノケが支配していると思うから、何事も参考にとどめるのが私流になっている。
宗教も新思潮も同じくだ。ホンモノはどこにもない。
しかし、偶然が私の前にポーンと提示してくる瞬間がある。それが求めていた解答である場合は、にべもなくそれを採る。それを私流にいう「シンクロ」と言っている。むろんそれも、ある種の意図によって、そうされているのかもしれないとは思う。しかし、私にとっての特別の恩寵のように思えたときは、にべもなく採用する。そして私における真理にし、我が真理体系に組み入れる。
そもそも昔の人はみなそうだった。自分で環境の中に学ぶしかなかった。だから本当のことを知っていた。今の学校出に、身に付かない知識しかないのも無理はない。学説という嘘ばかり吹き込まれているのだから。その学説とやらは、風向きが変われば、すぐに消滅していく。人気が陰った歌手のように。そして、若者たちは、あれよあれよと、次の人気歌手についていってしまう。
自分で自分の内(人生)に学ぶこと。それが自分独自の真理になる。
しかし、参考意見にとどめたものとはいえ、それは自分の考え方を整えたり、誰か別人に伝えるための基礎知識になり、自分で見つけた真理の翻訳のための知識になる。それがメリットだ。だから嘘と知りつつ勉強すればいいのだ。いつかはホンモノを見つけて凌駕してやるぞの気構えを持って。
こんな今回の記事も、今朝、とりとめもないが何か筋書きを持った夢を見ていた直後に、タキが来て「ニャア」と言ったから目が覚めて、鈍重な頭のままに時刻を見れば、午前6時過ぎで、けっこうタキも私に配慮してくれているんだなあと感心しつつ、ふと頭の中にいつもと違った低めの電磁音がして、いつもの高音の電磁音よりも顕著だったため、このことは我が真理に照らして解説しておかなくてはと、書き始めようとして、もっと前提的な話になってしまったわけです。
みんなが日々無視する電磁音の正体
よく昔からマンガの絵の中に疑似音表現で「シーン」や「ジーン」という比較的大文字で書かれていたのを、昔の人なら見たことでしょう。それによって、私もみんなも同じような音を聞いているのだなあと納得していたのですが、なんと医学者はそれを「耳の中の耳石」がたえず動いている、それを音として感じ取っているのだと言う。
ところが、頭に衝撃か加わろうが、逆立ちしようが音程が変わらないのだから、そのようなものではないことは明らかである。物理的要因の現象ではないのです。
ところが、ヨガにはその「シーン」音に集中し瞑想するものがあって、しばらくすると、その高音がしだいに低音へと移行し、ある時突然、「バリバリバリ・・・」という爆音に変わることがある。まるでヘリコプターの傍にいるようなすさまじい音が頭の中に鳴り響く。そうして気が付けば「金縛り」と巷に言う状態になっている。
インドのヨガ学者によれば、それは宇宙原動機の音だと言う。面白い表現だ。人間と宇宙の繋がりを思わせてくれる。医学者よりはよほどいい。医学者はなるべく人間を低質な有機体にしておきたいヤカラだから、信用するに足らないと思っているので。
私はあの恒常的である脳内の電磁音に、変化がある現象に遭遇したから真実を追う目ができた。
そしてその音程は、目覚めのコンディションによっても変わる、いくつも複在することもわかった。
何なのだこれは。さすがヨガは人間の謎解きの登竜門の入り口に立たせてくれる。
ひとつは、我々はロボットなのかもしれない。有機生命体そのものが、この世にロボットとして登場しているのかな。ともかく、意識すればこんなに大きな音の海に居る我々が、たまに鳥のさえずりや人の声を聴いて、そちらの音だけが真実と思い込んでいるおかしな世界かここであり、そのようなところに存在しているのが我々なのだということ。
私の超宇宙論を持ち出す気はない。この音の意味はそれだけでは掴めないからだ。マトリックスに閉じ込められていることを示す音だなどと言えば、興醒めしてしまうだろう。
ただそのようにして「ある」のであり、この世の科学や医学は、未知なるものに蓋をするだけの存在になっていることを念頭に置くことをお薦めするのである。

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