午前9時過ぎにようやく収まって、あれこれ思い返しています

昨日の昼間は、早朝に最愛の彼女が夢に出てきてくれたことにより、ずっと幸福感に満たされていました。

ところが暗くなって深夜頃から、腹が痛くなってきまして、その部位が小腸らしかったので、もしかしたら夕食で食べたシシャモが冷凍されていたものの長期間たっていて、しかも焼き方が不十分だったことを思い、食中毒を疑ったわけです。

当然、吐き気もしてきて、大便もしたくなりますわね。ところが今日の朝までに大便は二回とまあいつもより多いわけですが、下痢などはしていないのです。朝食は軽くパンでしたが、朝に飲む薬のための下地のようなものなので仕方ないわけですが、それさえも吐きそうになってくる。

そこで気がつくんです。これはもしかしたら心筋梗塞の第二波なのかもしれないと。私の母はまさに食中毒のような腹部の痛みでしかも未だかつてない痛みだったとのことで、私ももしかすると、本格的な心筋梗塞なのかと思うも、立ち上がるのもやっとという有様だったので、朝の薬と共に常備していた抗生剤(レボクイン)を呑んで、これなら食中毒菌も抑えられるかもと、また入浴は心不全にはいいらしいという話もあったので、吐いても問題ない場所でもあることから入浴したのです。

しばらく湯船に漬かっておりました。すると多少は楽になったものの、痛みと吐き気はそう変わらない。そこで思ったのは、水分が不足している可能性です。それで、すでに買い置いていたグレープジュース100%の200mlを飲みましたら、すうっと痛みが軽くなって、やがて消えていきました。
どうやら、心筋梗塞の第二弾だったようです。何とか血が通ったんでしょう。

病院? 行きませんよ。猫に頼られてる存在ですし、もう心臓をいらわれたくないので、行き着くところまで行こうと思います。といっても、薬はやめるわけにはいかないので、7月になったらまたもらいにいきますけどね。どうせ血液検査するでしょうから、その結果判断ですが、もうオペは御免ですから、そう申しますよ。

死の間際には予兆があるのかも

しかし、不思議ですねえ。死ぬる間際の前日というのは、最高の幸福感で満たされるものなんですね。
私の母もそうだった。
2007年8月30日に、いったんお腹の痛みに襲われて、母はこれを食中毒によるものと誤解して、その晩は絶食して終えて、これでいったんは回復したんです。
そして8月31日の昼間にテレビを見ていた母が、私のほうを振り向いて、にっこり笑って「私は利ちゃんのお蔭で幸せやったよ」と言ったその姿が、まるで天使のように輝いて見えたのです。
今までそのようなことは、はっきりと言ってくれたことはないけど、わかってることだったし、私はテレくさくて何もしてあげてないのに、なに他人行儀なことを言ってるんだといった応対だったですね。

ところが翌9月1日の午後に突然再び激しいお腹の痛みに襲われた母は、病院に連れて行ってほしいとせがんだほどに、尋常の痛みではなかったのです。
そして、その日は土曜日で大病院も休診ながらも、中継した中規模病院の緊急要請で、大病院の循環器担当医がみんな出てきてくれて、深夜に手術になったのでした。
そして命を取り止めたかと思われたのでしたが、6日に突然、心機能が停止し、還らぬ人となりました。

私もそのようなコースを辿ることになっていたのかもしれません。とにかく昨日は、夢に故き彼女が出てきて、笑顔を見せてくれて、私はいろんな不忠を許してくれていることを感じ取って、感謝の思いが一杯のとても幸せな気分だったのです。

今日は心筋梗塞の再発だったと思われますが、まだ死んでいない。これはちょっと死神さんも誤算だったかな。うん、まだやるべきことがあるから、ハイアーセルフが針をレコード盤から引き上げていない。だから、まだ生きているとも言えるかと。
あるいは、まだお呼びの時間じゃないかもしれない。まあ、いいようにしてやってください。しかし、痛いとか苦しいとかは真っ平御免なんで。死ぬことがわかった状態ですっと逝けたらいい。そうすれば、自分の立ち位置がわかるから、ある程度その先を制御できるでしょうから。

思えば、白猫のフーちゃんもそうでした。白虎の役柄で来てくれた神猫だっただけに、失踪する二日前の夢に、顔面を損傷した姿を見せて、死期を知らせ、失踪した日の朝には、私が起床したとき、私の足の辺りで添い寝しているフーちゃんがいて眠っており、そんなことは初めてだったのでびっくりしたのですが、その眠る姿が白く輝いたようになってまるで天使の寝姿のように見えたのです。
そして、やがて彼も起きてきて、私の掌に乗せたドライフードを幾分かかじって、いつものようにキッチン側の窓から出動していきました。そして、再び帰ってくることはありませんでした。

今から思えば、あの程度の食事だけで我慢させていたことが悔やまれます。あのころは、まだ猫の食事量の適量というのがよくわからず、個体差もあることから、あの程度にしてしまっていたのですが、彼ら三匹が幼猫として我が家にやってきた一週間後ぐらいに、白虎とボーリングピンのような二体の、それぞれ三つの目を持つ神獣である旨報せるべく、私の夢に出てきて、よろしく頼みますといった感じでにこっと目で笑い、特に白虎(フーちゃん)は、夢の中でどんぶり鉢に顔を突っ込んでがっつく大飯食いのように振舞っていたので、まったくそのようにしてやれていなかったと思います。
それでも、育ての親には精一杯忠義を尽くしてくれたのでした。彼のお蔭で、四神獣が揃うという奇跡的なことが達成できたのです。そして他の二匹ももう少し生き延びて、それぞれに不思議かつ大きい貢献をしてくれています。

不思議ですね。猫は死ぬる前になると、育ての親に添い寝してくるんです。いや、神獣猫ならばこその忠義の示し方なのかもしれません。黒猫のブーちゃんも、尿の垂れ流しの病気になってしまって、それでなお一晩の間、ずっと私のお腹辺りに添い寝してきて寝床を濡らしたりして叱り付けたりもしたのですが、あれも最後の忠義立てをするつもりだったかのかと、もっと大目に見てやればよかったのにと悔やまれます。その数日後、2018年4月14日に彼は我が家を後にし、再び帰ってくることはありませんでした。

ブーは我が家を出て行く際に、上の車道まで出る家の通路は北東方向を向いているのですが、その途中の石段でしばらく何かに祈るように瞑想して、去って行ったことを監視カメラの映像で確認しています。
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北東方向はウシトラの方角ですから、彼はウシトラノコンシンが応援に派遣してくれた神獣だったのだなあとわかってくるのです。ブーとフーとウーの最初の三匹がそうだったのです。三神獣ですね。

ブーはその後、2018年10月3日未明と翌4日未明の夢に出てきて、忠義ぶりをまざまざと見せてくれました。
尿漏らしで私の手を煩わせたことの償いにというわけか、私は夢の中で大便を失禁してしまい、大便を床に落としたとたんに、両足の間からブーが後頭部を覗かせて、落ちた大便を懸命に口で食べてきれいにしようとしているのです。それを上から見て私はブーよ、やめろやめろと叫んでいるところで夢から覚めました。
私は、ブーの思いに感動して、自分の心の狭量さを思い知り、彼の尿失禁を咎めたことを悔やみました。
すると4日未明にもブーは夢に現われ、ひょうきんな顔をして対面してくれました。こうしたことから、彼は元の世界に帰ったことが確認できたのです。

母猫のウーちゃんは私が怯弱なため、2013年10月に失踪させてしまい、申し訳ない限りなのですが、おそらくもう生きてはいないでしょう。しかし、あまりにも悲観絶望させてしまったからでしょう、夢に見せてくれるようなことまだないです。
ウーちゃんは、昨日見た夢の最愛の彼女の形態模写をする猫で、おそらくは彼女がウーちゃんを依代にして来てくれていたように思うのです。ウーちゃんは女ですから、巫女の素質があったのです。目を三つ持った神獣だからこそ、この三匹に関しては多くの不思議があったのですね。

いまはこのウーちゃんが生んだ子のうち二匹が生きていますが、シャンなんかよく添い寝してくることがあるため、お前まさか死ぬつもりじゃないだろうなと釘を刺すようにしているような次第です。その甲斐あってか、危ないときを何度か経ても、まだ元気です。

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