1月27日午前4時頃から見た最初の夢は荒唐無稽で、憶えておれるようなものではなかったのですが、雑踏の中を歩いていて、ふと変わった形相の着物姿の女の子を見ると、前の職場で事務員をしていたKさんなんですね。ところが、両目共に包帯をしているといいますか、眼帯ならわかるのですが、包帯が目の前に積み上がっているために、まるで目に渦巻きができたように奇妙なのです。
しかし、夢の中だから、別に違和感とかはなく、ただKさんだなというしだいで、顔を見合わせたところまでで目が覚めました。ちょうどブーが早朝未明の食事にやってきて起こされたようです。
食事を与えて20分後くらいにまた寝入りました。
すると、夢の中がとても明るいのです。どこか近未来都市のような建物の中を歩いていて、変わった波形のタイル張りの道とゆるい階段を軽快に歩いて行った先に、Kさんが今度はなんと、ローズピンクのパジャマのようなものを着て、私の前にいるのですが、髪形はやや金髪がかっておかっぱ、目がブルーになってるんですね。そして、当時のままの音程と言葉遣いで、「生命保険なんか、何の役にもたたへん」と言ったのです。
そういえば、Kさんが居たのはどこかの大病院のようでもありました。とにかく明るい。暗色系の色がどこにもなかったのです。この彼女は、元々天使のような天真爛漫さがあったため、相応しい環境にいるのかもしれないと思ったことでした。
私が夢に見る人物は、けっこう亡くなった方が多いのですが、もしかすると、まだ若いKさん(30歳代)ではあっても、病院らしいところの夢だったこともあり、霊界に帰ったのかと思ったりも。
去年の5月27日未明の夢では母が登場する前に、前の職場の同僚のNさんと語り合っていたのですが、その時のNさんの顔は10代くらいの皴ひとつない若い顔でしたし、このたびのKさんは、リメイクして和服姿とパジャマ姿を連続2本立てで見せてくれたような感があります。
さて、この明晰夢はいかなる意図で見ることになったのか。明晰夢はたいていハイアーセルフが誘導して見せるものと思いますが、いったい何だったんですかねえ。
在職当時、Kさんとは割合いい仲だったんです。彼女はすごく太っていて、朝の出勤時にスキー靴のような重たいものを履いて、1キロほどの道のりを歩いてやってきていましたから、脚はことさら太かったのです。
彼女のほうが先に辞めて、数か月後には私と海幸彦の兄い(私は山幸彦ですから)のコンビでタクシーしながら運転代行業の看板を上げて、そのときどうしてもアルバイトがひとり必要になり、彼女に連絡すると、いいよの返事。さっそく来てもらったときの彼女たるや、べ・べ・べ・別人?と驚くほどの別品さんになっていたのです。
まるでAKBに出てくるようなキュートな女の子になっていて、別の会社に入社して受付係をしているとのことでした。
運転代行業ですから、私がお客さんの車を運転し、彼女が私の車を運転する。そして客先に届けた帰りは、二人で一緒に帰るというわけで、いろいろと話もしましたが、30以上の歳の差、彼女は決して嫌がりはしなかったでしょうが、せ・せ・せ・せっぷぅんぐらいはしたかったなあと、思ったりして悔やんでいます。(アホデスワ)
こんなこと打ち込んでいたら、いまシャンがしょげた様子でやってきたもので、好物のチータラを細かくしてやりますと、元気回復。ゲンキンなものです。
先日向こうに帰ったときに、職場仲間のOさん(刈り込み作業を手伝ってくれた)と、ほんの一瞬だけど海幸彦の兄いに会いましたが、10年以上前の当時の風貌のままに若さを保っていたのには仰天しました。
白髪がなくて、当時のままにはつらつとタクシーに乗ってましたよ。私など、吉本新喜劇の井上の辰じいみたいでおまんにやわ、なのにですね。ちなみに兄いは私より3つ4つ年上です。
1月30日はやや暖かかったため、キッチンの窓側に簡易式の薪ストーブを取り着けました。
日本も気候の寒冷化が顕著になってきているため、石油ストーブとの2本立てができたらと思っております。
早朝のマイナス気温がこんなに続くとは。本日もマイナス2度でした。
欧米のマイナス30度というのとはケタ違いで比べ物になりませんがね。
欧米の極度の寒冷化は、何年か前のBPがしでかした原油流出事故で、メキシコ湾での滞留だけでなく北大西洋に昇る温暖な海流が遡上できなくなり、起きているようだとの説が有力視されているようです。