この記事は記録として遺すためのものです。
あれはたしか私が27歳頃のこと、名古屋にいて、精神世界系の友人K氏やH氏らと行動を共にしていた時だった。
中でもK氏は同好クラブに積極的に関わっていくタイプの人だったから、私は彼に従う形で、そのようなクラブとも付き合うようになった。
そんなクラブに、CFC(宇宙友の会)という、愛知県春日井市に会長のお宅があるクラブにたまに行くようになった。
そこは、地球にやってくる宇宙人はみな友好的であるという信念を持っていて、私も面白いなと思っていたのだった。
そんなとき、CFCは夜間UFO観測会を開くということで、名古屋からそう離れてはいない三重県の御在所岳山麓の朝明キャンプ場に連休を利用して現地一泊の形で集まり、観測体制をとることになった。
クラブの人たち男女10数名と小学生一人、そしてそのときは私一人が参加したかして、始まったのだった。みんな双眼鏡や望遠鏡、あるいは高感度カメラなどを用意したりもしていて、まさに真剣な面持ちなのだった。
私はいずれ休まねばならないからと、寝袋を片手に持っただけ。
夜も9時を過ぎる頃、「あ、出ましたね」という会長の声。その後、次々とその他のメンバーから報告が上がる。私も東の空を見ていて、時折、ヒュッ、ヒュッと赤い流星のような光跡が見えるようになった。
そのときはまだ、流れ星ではないのかという疑念があった。しかし、何度か飛ぶそれは常に赤だった。むろんまだ、流星すらも見たことはなかったので、流れ星はみんな赤いのかなとも思ったりしていた。
やがて空を斜めに見る首の辛さもあり、私だけであったが、寝袋に入って、夜空の中天を眺めることにした。
ややすると、不思議なことに、夜空の星々が立体感(遠近感)をもって感じられるようになった。
こうして見れば、まるでプールの中にいる海ボタルを見ているような錯覚になる。夜空が深い奥行を持つように感じられるのだ。これを立体視というのだろう。
そんなときに、このクラブの会長の考え方「宇宙人は友達としてやってきている」を実践してみようと思った。
そして、いま空にやってきているはずのUFOに向かって、「私の友達になってくれますか」とテレパシーで問うてみたのである。
するとすぐ直後の1,2秒後に、視野のど真ん中に三日月形(ブーメラン型)をした朱橙色のUFOがデデーンと捉えられ、すぐ直後に高空に飛び上ったらしく、もう一度、その中天の範囲内で、あの赤い流星のように飛んで存在を示してくれたのだった。
翌日は日曜日で、当時はオイルショックの頃で、ガソリンスタンドがすべて閉まっており、燃料ゲージはすでにエンプティ。これは帰路途中でエンコするかもしれないと走ったわけだったが、無事家まで辿り着いた。それも奇跡だったろうか。
さてそれから、数日後に夢の中に、満天の星空と、その端っこから、すいすいすいすい、みずすましのようにして飛ぶ白球UFOが現れ、目が覚めると、確かにUFOが友好の印に出てきてくれているという感触を得たのだった。
そうした夢が何度か間をおいてあった後、ある夜の夢に、当時よく流行っていたピンポンを模したテレビゲームのような星空が現れ、画面の端から直線的にすすーっと白球UFOがやってくると、真ん中辺にあった大き目の星にぶつかって、「ポン」と音がして白球は跳ね返って行ったのだった。
そこで目が覚めて、ああいまのは、白球UFOと見えていたものは、映像であるということを示そうとしていたのだなと、悟ったのだった。つまり、彼ら(宇宙人)は、我々の脳に映像を結ばせることも可能とする技術を持っているというわけである。それもコンタクトと言っていいだろう。
それを悟ってからというもの、UFOの夢はまったく見なくなった。
ところが、その悟りを活用する時がやってきたのだ。
私が31,2歳の頃、思いついたようにしてピラミッド瞑想をしたことがあった。90cm園芸支柱を四本とゴム粘土でピラミッドを創り、その中に座布団を枕にして置いてそこに仰向けに寝て、8拍呼吸法をしながら眉間に意識を集中していくのである。
やがてまどろむ頃、私は突然何を思ったか、白球UFOの臨在を感じ取り、「UFOは映像だから、目の中に飛び込んでこれる」と思ったのだった。
すると付近にいた白球UFOが、それこそ赤熱しながら、私の眉間から頭の中に突入してきて、視界の中天から無数の光の筋がシャワーのように降り注いだ。
「ウワーッ」
それまで目を瞑っていて、その白球UFOのいきおいよく飛んでくる一部始終を見ていたのだが、そのとき初めて目を開けた。
すると視野全体が真っ白けになっていた。白光の中に私は居た。
私は気が狂ったかと思い、頭を強く振って、元に戻そうとしたため、光の光景はちょうど雲がちぎれていく如く、雲霧消散して、元の部屋の薄暗い光景に戻ったのだった。
私はその体験をして、夢に出てきた白球UFOを太陽の子供、星の子と呼ぶようにした。
が、まだその当時は、白球UFOがほんとうに存在するとは思っていなかった。というのも、実物の撮影されたものをビデオ映像などで見るのは、はるかに後だったからだ。
しかし、当初赤い三日月形で出たUFOが、友達のようにして夢に現れてみれば白球だったのはどうしてなんだろう。紅組が白組に変わったように思えたことだった。