フーとブー、寒いベランダの山小屋で夜を明かす

だいじょうぶです。願いは叶えられます。
神様(創造主)が、みなさんを自然の時間経過のうちに、あの局面に連れて行ってくださいます。
あの局面?
ほら、あれですよ。
黙示録に描かれるこの世の終末です。
それを今の今まで、長きに渡って、そう、何千年という人もいるでしょう、待っていた局面がしっかりと体験できるのです。
それを見届けるという願いが果たされるまでは、死んだりしません。
あなたが、意識原理の保有者ならば。
ダミーはだめですよ、単なる舞台設定でしかないですから、周りでばったばったと倒れていくことでしょう。それをものの数とは言いません。
そういう存在ではないあなたは、本懐を遂げるまで、リタイアできません。
たとえ、もういやだー、と叫んだとしても。
いや、その激しい心の変化によって、変化後の願いが突発的に叶うかも知れません。
しかし、それでは後で悔いることになりかねませんよ。
最後まで、当初願ったとおりのことをフルバージョンで堪能してください。
願いが叶うわけは、前記事をご覧ください。
鳩山という名の総理が立ったなら、日本という国は消滅するという予言が明治時代になされていたと言います。
いや、もう予言というのはほぼ当てにならないというよりも、くだらないと言えます。
それより、現在の菅総理は、日本を終わらせそうですね。
だって、彼は弥勒菩薩のように、額にいぼ黒子を持っているでしょ。
弥勒は吉凶併せ持つ有力神ですから、きっとやってくれるでしょう。
私はステイタス信仰なのです。
日本が終わらなければ、世界も後に続かない。
西のユダヤが押し込められて中東大戦争を起こし、東の十支族が押し込められて世界を奈落に引き落とす。
これでやっと、みなさんが待ちに待った局面がやってきます。
某教徒のみなさん、心待ちにしたことがまもなくです。
私は、その某教徒が断末魔の悲鳴を上げるのを見届けたいという願望があるため、彼らよりもう少し先までダイハードであるでしょう。
ウーが子供たちをキッチンにしつらえた回廊に移動した際、そこで先に寝ていたブーとフーを、猫パンチで叩いて追い出してしまいました。
それだけ、真剣に生きてるんだと、態度で主張しているかのようでした。
ブーとフーが棚の上で、眠い目をしばたたかせながら、しばし呆然と見ていること。哀れです。
もちろん私も彼ら同様、呆然と見ておりましたが、まだ決まった寝床があります。
いつしか、ブーとフー、寒風吹くベランダの、むかしに神棚をこしらえていた場所に、小さな段ボール小屋を作って置いていたのですが、その中に、おかしな二人よろしく、同居しておりました。

ウー、夜中に錯乱する

本日から、韓国と中国のディザスタームービーが上映されるとの事です。といっても、映画の宣伝をするつもりはまったくありません。これを今回の叩き台にしようとしてのことです。
「ツナミ(韓国)VS台風(中国)災害映画2本が9.25に激突! 」
韓国は「TUNAMI-ツナミ-」で、中国は「超強台風」。いずれもその国が、被害甚大なために来てもらっては困る自然現象です。
その裏でHAARPがどうのこうのの話があったとしても、今回それはあっちに置いときます。
それを見た観客の反応はどうなるでしょう。
こんなのがやってきたら、家は壊されるし、死んでしまう、怖いなー。
それは顕在意識での反応です。むろん、潜在意識にも恐怖を教え込むことになるかも知れませんが、それは意外と小さい。
前の記事で原理を話しましたように、むしろ人が心の奥底に見たがっていた願望があって、それゆえにここまで時空を辿ってきているわけで、ツナミや超大型台風、あるいは戦争などによって、都市や国が崩壊していく様を見たいという魂が、時空を選択して、はるばるここまでやってきているのです。
だから、ホンモノを見ることなく、仮想空間において、つまり映画などによって代替手続きを取ってしまうと、それで彼の心は満たされることが多くなり、彼は現実にその体験をしなくなるというわけです。
ホンモノとはいっても、これも魂にとっては映画に他ならないからで、これによって、この人の未来に、悲惨な手続きが免除されることになるのです。つまり、ツナミにも超強台風にも、あるいは破壊を伴う自然現象に遭わないで済む可能性が大きくなると。
ならば、良かったな、という話に落ち着くと思いますか?
いえいえ、そんな風になるかどうかは、まだこの先に話があります。
見たい=経験したい=当該悲惨体験に直結する時空に自らを誘導する。
こうして、彼の性質あるいは願望(いずれもカルマ)が、矯正あるいは果たされることになります。
ところが、単に映画を見ただけだったと魂が悟れば、何もまだ経験できてないではないかと悔やむようになり、カルマは消えずに次の機会を覗うようになります。
もしかすると、それは次の時代の終わりまで持ち越されるかもしれない。
その間、閑をもてあまして、何度も転生してくる。
そしてまた、この世という映画に射幸心をくすぐられて、別のカルマ(歪んだ願望)を作る。
このようにして、この世という映画を嘗め尽くすように見る(転生)ようになります。
なるほど、クリスタルチャイドルの話していた、この世に生まれ出たい人が列を作って順番を待っているというのも頷けます。
それは、ああ、あそこ(パ○○コ屋)、で開店30分前から並ぶ人たちに、どこか似ていませんかね。
つまり映画は、この世にいつまでも魂あるものを捕り篭めておきたい、連中の仕組んだ罠だということなんです。この世という映画も、仮想現実の映画も、ご同様。この世は、湯ばんばが仕組んだ映画。ツナミと超強台風は銭いばが作った映画。
といったところで、落ちがつきました。
むろん映画鑑賞好きな人には、どっぷり浸っていてもらいたいとは思いますが、他にやることないの?という節理によって、いくばくか先に、彼は強制的に連行されていくでしょう。
やはり最後は、「もうこれ以上御免だという気持ちになってこの世を去ることがたいせつになる」というお話でした。
昨夜午前二時頃のことです。
子猫たち(チントンシャン)がもうすべての開け放たれた部屋を歩き回るようになり、それを監督しきれなくなった母猫ウーがとつぜん、一匹ずつ口にくわえて、キッチンの上にしつらえた回廊に移していくのです。
そこはある程度スペースがありますが、適度に狭くて、行き止まりになっています。そこに三匹を押し込んで、なにやら「グルグル・・・」言い含めておりました。
監視の目が届かないところに行くなとか、おじいちゃんの出す変なものを食べるな、とか。(空耳か)
しかし、これはウーがおそらく、授乳の継続を図ろうとするものでしょう。
私からの、食事の差し入れが極めて困難になりました。
実は、三四日前から、ようやく遅ればせながら、普通食を子猫たちは口にするようになっていました。
それも変則なことに、市販子猫用ミルクや離乳食をまったく食べずに、いきなりウェットフードを食べるようになったのです。ウーがいかに育児に熱心で、授乳でカバーしようとしていたか。そこはとても感心なことなのですが・・・。
そこでウーの避妊手術へも段取りがついたと考え、昨日、獣医さんに二度目の予約を入れた矢先のこと。
また、振り出しに?
オーノー、ノー。

フー、千尋の谷に落ちる

今回また武山さんの記事を参考にさせていただきます。
https://takeyama-y.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-1d6b.html
ハワイの問題解決の秘法にオホノボノとかいうのがあるらしいですね。それは何でも、
>この手法は、まず最初に、すべての問題が生じた責任は自分自身にある、と見定めて問題解決【の元である記憶=情報】の浄化(消去)の手法を取ります。
というものらしいです。
しかし、顕在意識レベルで暮らしている人には、いくらそんなこと言ったって理解しませんし、できません。
清き一票と言う嘘を手にさせられて、手足もがれて、いつまでも権力者の言いなりになるだけで、何にもできない者にどんな責任があるんだと言いたくもなるはずの人間です。
表向きの現実はそうにしか見えないです。
理解に至るには、従来の科学観を以てする虚構の堆積した砦の柵を超えなくてはなりません。
武山さんがどのような基礎に立たれているかは、彼の説明を聞くしかありませんが、相当破天荒な、天と地がひっくり返るような理論なくしては、語れないでしょう。
手前味噌ながら、私が1980年代に構築した”超宇宙を考えるためのモデル概念“(右リンクに掲げてます)は、統一場理論などではありませんが、おやっ?という発想で、この宇宙だけでなく、それを含む超次元多次元世界のすべてを平易に概念化することのできる新理論です。
それからすれば、人は誰でも(ダミーは除く)創造主なのであって、自分の趣向に合わせた時空の造り主ということになります。そこにはダミーがどれほどか。あたかも人口多数でバラエティー豊かなように演出されていますが、ほんらいはたったひとりかも知れないところの創造主であり、天上天下唯我独尊と言うべき存在なのです。
現出する世界は、あなたの想いを叶えてくれるのものになっています。
最近、その流れについて簡単に示した掲示板があります。ご覧願えたら幸甚。
https://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6734691
その中で、天使と堕天使について言い及んだ箇所。
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マーヤのゲームです。
ゲームは面白くするために善悪混交のストーリーを展開します。
天使はそれを自分に属さない映画として鑑賞します。
ところが、自分に属することとして意識し始めたとき、善悪を鋳型に刻み始めるのです。これが崩れだすきっかけです。
彼はやがて、善悪の要素を駆使すればこんな世界もありうるだろうという世界を鋳型によって、データーベースから検索して引っ張り出してきて、自分の鑑賞する映画として見始めます。そして、さらに映画に自己同化して、新たな善悪の種を鋳型に刻み込むことをします。鑑賞する世界はやがて、ありとあらゆる善悪の種が組み合わさった複雑怪奇なストーリーになっていくことでしょう。天使崩れ(堕天使)は、自らそのようなストーリー世界に至ったものでかつ、映画と自己同化してやまない状態を言います。
現在の諸相の複雑さは、からみあった糸のようになっていて、単純な解決法を見出すことが困難です。それは平和とは異なる状態です。戦争の反対語ではなく、ですね。
それから、天使と堕天使以外は、プログラム上のダミーキャラクターということになります。
コメントの上のほうの
>いわゆる邪な、自己中心の極まった想いを固定化して頑張っている人を「邪神」というのでしょう。
善悪、邪と正義、いずれの方向にも想いを固定化(自己同化)してがんばってる人を堕天使といい、邪悪の極にある邪神はストーリーが設定しているダミーキャラですね。
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は、なかなか秀逸と我ながらホレボレ。
つまり、外界(あなたを取り巻く世界、あるいは環境)は、あなたの願いに適うようにローディングされてきたプログラムの、演算実行された結果の観測データーというわけです。
邪神や配下のイルミやメーソンなどは、あなたの興趣を満たすために動くようプログラムされた舞台設定なんです。だから、ストーリーが設定するダミーキャラ(魂の無い人形)というわけで、彼らをどう動かすかはあなたが決めているから、責任があるというわけです。
私は知らないオホノボノよりも、アブリボアゼのほうがよほど意味深でいいように思いました。
私には、生まれたこの星の将来について、ごく自然に責任があるんだということです。
今日はさきほど他所猫の侵入を阻止するために、移動可能な橋を取り外していたのですが、フーが過って足を踏み外してしまい、5m下の切り株やらいろいろある地面に落ちてしまいました。もし、生命が危険な状態なら、お約束どおりこのブログを閉鎖します。
と、こう書いていたら、なんとフーが濡れ鼠になって帰ってきました。なんと、無傷で私の掌からドライフーズをいっぱい食べること。
またひと周り大きく大人になって帰ってきたようです。獅子の子は千尋の谷に突き落とされて、なおあがってくる。
このブログ、もう少し続けます。

他所猫の定着で・・・うちで生きた狛犬(獅子)たちがしのぎを削ってます

狛犬(獅子)は聖地を守護するために、参道の両側に座って、通過しようとする者の資質を確かめる役目をします。そしてそれは、つがいの夫婦(オスとメス)であるとされています。オスが「阿」、メスが「吽」。
ところで、うちの家はどうやら神社のようになってきているようで、すでに白虎の両親が夫婦として猫(ブーとウー)に化身して来てくれていました。夢に出てきたその姿は、ボーリングピンのずんぐり型。どてらかちゃんちゃんこを着て、耳はフードに覆われていたためか、無いように見えました。ただ、目が三つあり、神通力ある生物の感を醸してはおりました。
狛犬に三つ目のある例はないようなので、そのままそうだとは言えないのですが、寺院を背景に出てきていたわけですから、いちおうここは狛犬獅子としておきましょう。
あるいは沖縄のシーサーなら、様々な変化形があるわけなので、もし上記のようなシーサーをどこかで見かけたぞとお気づきなら、どうかお教え願えたらと存知ます。
さて、そのような鳴り物入りの猫たちながら、幼猫だった三匹を、他所猫軍団がよくいじめていたものでした。それで私は一計を案じて、出没してやまない他所猫を捕獲しようとしたわけでした。捕獲してしまえば、少し手荒く扱って、噛んで言い聞かせることもできるからというわけでしたが、ところがその仕掛けに見事かかったと思ったのは、夢の中でのことだったという次第。しかも、捕らえた二匹の他所猫がマンガチックにひょこひょこ私のもとにやってきて、帰順してしまうというストーリーだったようなわけで、これには私もいっぽん参ったわけでした。
現実にいったいどんな展開を見せるかと思っていたら、ほんとうに帰順の意を表してきて、人懐っこくやってくるようになってしまったのです。私の見る新鮮な夢は、ほとんどが現実とシンクロしているのです。(また特集しましょう)
そして、この二匹の猫はもう年齢もそうとういっているようではありながらも、お互いを気遣い合う、枯れススキ夫婦猫のようでした。
ただオスのほうは積極果敢に、私に泣き付きのトライをしてくるタイプで、メスのほうは警戒心が強く、すぐに逃げてしまい、遠目から眺めているタイプというわけで、いいコンビではないかと思ったようなこと。
エサを一日二回出してやるうち、オス猫は道路からの通路の入り口のど真ん中に居座るようになり、これでは道路を通る人らが変に思うから、彼に注意して、門前を避けて侍っていなさいと言いつけておいたところ、通路階段の少し下ったあたりの横脇に侍るようになったのです。なんとそこは、この庵への通路に作る予定の山門のすぐ間際ではないですか。すでに去年のうちに大きな穴が両側に掘ってあるのです。また、通路はこの庵のちょうど鬼門の方角にあり、荒魂エネルギーのクッション役としての神聖獣は欠かせないのです。
そこで私は、このペアーを山門の脇に佇む仁王像のごとく、生きた狛犬として採用しようと思った次第です。現在、オス猫の居場所だけは確保。あとメス猫が通路(参道)を挟んだ対称位置に居付くかどうか分かりませんが、そこにも居場所をもひとつ確保する予定でおります。

この成り行きに猛然と反発しているのは、ブーフーウーです。三匹ともまだ幼猫の部類で、力も薄弱ときていますから、ベテラン猫たちに敵うわけもなく、フーはなんであんな奴らをあそこに置いとくんだと目を吊り上げ気味。フーは表鬼門の守りに就くつもりだったかも知れませんが、今は裏鬼門側の空きプランターに寝そべっている有様。ブーとウーは夫婦で観光のつもりがウーに子供ができてしまい、がっぷりこの世と取り組まねばならなくなり、いささか予想が外れて、ブーなどはがっかり気味、ウーは子供たちに危険が及ばないか戦々恐々としているようなことです。
しかし、予定が狂ってしまうのがこの世の慣わしのようなこと。まあ、私だってそうですから、みんなで力合わせて打開していこうというわけです。彼らも本腰が入るようになれば、食事の好き嫌いなどの我侭もなくなり、力もついて他所猫ペアーをしのぐようにもなるでしょう。
近々、山門を設けます。それは以前からの予定していたことで、その表札には「蓬莱山」と書くことになります。
さて、他所猫のオス猫のほう、名前を門の石松としております。通路の入り口にいたからです。森の石松にすると、私の親族のようになりますから、避けております。森のがつくのは、ブーフーウーとチントンシャンだけです。
メス猫のほうは、まだはっきりとうちに定着するとは決まっていないので、名づけるには及ばないのですが、もしつけるとすると、長尾ミケにしようかと思います。
もちろん、彼らが誰でも夢で異議を申し立ててきたら、改訂しようとは思いますが、今現在はこのような次第です。

ボンベイのブー

猫でもボンベイという種類のブーはフーやウーと違って、目はほぼまん丸で、じっと見つめる癖もあるため、まさに注目の的になっていると錯覚を催すほどです。他所猫に追いかけられているときでさえ、目を皿のようにして走ってるんですから。
飼い主に可愛がられるため寝転がる愛嬌を小さいときから今に至るまで持ち続けていて、飼い主を見つけると足元にまとわりつくように寄ってきて、見上げて相手にしてもらおうとするので、家猫にするにはもってこいの種類でしょう。ただちょっと、毎度うっとおしいのがありがた迷惑なところ。
フーが育児に関心がないぶん、ブーがてて親がわりを務めています。子猫たちを噛んでみたり転がしてみたり、人間で言えばキャッチボールでもする感じでしょうか。よちよち歩きからぴょんぴょん飛び跳ねるようになる頃に積極的に関わってくれるようになりました。その意味でも家猫だなと思えます。
というより、あちらの世界ではブーとウーが夫婦でフーが息子という関係なんでしょう。親としてやるべきことを知っているのはブーであり、フーはまだどうやって子育てに関わっていいか分からない独身者(僧)なんでしょう。まさにあの夢の通りの具現と言えましょうか。
ウーには貴重な体験をさせましたから、もう避妊させるつもりですが、ブーはただいまウーといい仲を醸成しています。