最近、巷ではおたまじゃくしが空から降っているそうな。
いったいどういうことなのか、竜巻か、サギの嘔吐か、それともUFOかと物議を醸している。
そんなことを、もしもこの星の住人が聞いたら、どんなに憤慨するか目に見える気がする。蛙権蹂躙問題どころか、星間連邦政府に上訴されて原因追及されることだろう。その星とは爺絶倒星。
私が若きネアン時代に、ひょんな成り行きから宇宙を旅したとき、爺絶倒星(ジーゼット星)に短期間逗留したことがあって、その星の文明の様子が、ちょうどこの地球の新時代に予定されていることのように思えたもので、ここに掲載する次第だ。
近未来において地球は、宇宙文明の仲間入りをすることになる。そのときは、爺絶倒星が属している星間連邦に加入すれば、最も穏やかでいいのではないかと思う。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/g-kenbun.htm
以下は上サイトの記事の転載である。
爺絶倒星見聞録
迎賓館を出ると、 道路は全て琥珀色
の大理石様のものでできていて、
歩行者が通行するのみで、
乗物らしいものはひとつもなかった。
ところが、その歩行者を見て驚いた。
ある者は2本足でちゃんと歩いているが、
ある者は10センチほど浮き上がって、
滑るように移動しているのだ。
その場合の速度はせいぜい2,30キロ/Hといったところか。
ティシュ達には格別驚いた様子はない。
私:「ティシュ。みんな浮き上がって滑っているけど、
どういうことなんだろう」
ティシュ:「道路に仕掛けがあって、
電磁気を帯びる生物との間に斥力と推進力が発生するの。
今、私だって出来るけど、哺乳類のあなたじゃ
速くなりすぎてひっくり返るから、やめときなさいよ」
私:「あっ、はい」
スケートはやったことないから、敢えてやろうとは思わないが、
ティシュは、嫁さんの演技が板に付いた感がある。
私:「ケロピー大臣。遠いところに行くときや、
早く行くべき時にはどうするんでしょうか」
すると接待大臣は、上空を指さした。
よく見ると、赤紫の空の色に溶け込むようにして、
行き交うたくさんの乗り物があるではないか。
スピードの速いものもあれば、遅いものもある。
よくぶつからないでいると思うほどに密度は高く、
また円滑であった。
私:「よくぶつかりませんね。腕がいいのか」
接待大臣:「あれはみな、ルートが空中に予約されていて、
そこを乗り物がくぐり抜けているんだよ。
くぐり終われば、ルートは消滅する。
だから、ぶつかる心配はないんだ。
予約は目的地と帰着地を指定すれば、
即座に計算してとってくれるようになっている」
乗り物の動力は、地球の科学では未だ知られていない
力場を利用したもので、化学的な派生物質のない、
無公害のものであるという。
建物は、全く変わっていた。
にょきっと垂直に伸びている円柱、
--それはエレベーターホール用というのだが--、
それに対して円形や花弁型のフロアーが、
下からの何の支えもなく幾つもくっついているのである。
上空先端のほうでは、球体が5,6個くっついていて、
五輪塔みたいであった。
そうした建物が形を多少変えながらも、
軒を接するかと思うくらいに接近して、
幾つも並んでいるのである。
まず私たちが入ったのは、
物品展示場という一番手前の建物だった。
エレベーターでひとつ上のフロアーに出ると、
そこは博物館のようになっていた。
この星の大きな星球儀があり、
その前で接待大臣は解説を始めた。
接待大臣:「この星は、恒星イアソンの周りを回る第4惑星で、
自転をしており、星の上は大きく水域、動植物域、
工場地域、生活域に分かれているんだ」
手短に言おう。
ジーゼット星の質量は地球の2分の1ほど。
イアソンの周りを約8年で公転し、約30時間で自転する。
大気組成に地球とは若干違いがあり、
ダイナミックな気象の変化が少なくなっている。
生物の棲み分けがはっきりしており、
治世する側が分限を守るように努めている。
この星の人の食料は、食用ミミズと聞いていた。
ところが、実際そうではなく、全ての食料は、
動植物域に咲く植物の果実から精製されていた。
果実は約300種類、多くが地球では見られないほど巨大で、
オートメーション式に収穫されて精製工場に移送され、
チューブに入った食べ物となって出荷される。
その最終加工品を称して、人々はミミズと呼んでいるのだ。
その種類も堅さや味付けによって、2000種類もあるという。
それら全てが、建物の上階の展示場に並べられ、
それ以外にも工具や家電品、乗り物までもが
用途別別にフロアーを異として置かれ、
人は必要なだけ持ち帰って良いらしい。
比較的小物に関しては、人はそれを持って、
カーブを描く外辺部に着くと、
そこに停めてある二人乗りカーゴに積み込み、
そこから予約道路を通って家に帰るという。
購買ではなく、自由に持ち帰るのである。
つまり、地球とは社会システムが全く異なっており、
市場経済というもの自体、ないに等しいのである。
全てが需要あっての供給で成り立ち、
それもオートメーション的に必要量がまかなわれていた。
社会主義や共産主義というものでもない。
人の多くは働いていないのだ。
みな、めいめいの望むところのことを創造的にこなして、
自らの時間を消化する。
いわば生き甲斐創造に人々の意志は振り向けられていた。
芸術あり、研究あり、製作あり、
あらゆる創造性がそこにはあった。
では、いかつい軍隊はどうかというと、
それをしたい者が集まって防衛軍を形成するという具合で、
まるで創作活動の一環として何事もあるかのようだ。
だが、先述の通り、征服欲のある者や好戦家は居ない。
とすれば、もっぱら宇宙からの脅威に対する防備
ということになるが、それも連邦が肩代わりしており、
よほどのことがなければ戦闘に参加することもないという。
むしろ、自衛隊のように災害救助活動に
当たることを主業務としていたのかも知れない。
また政治家や大臣も、実を言うと
それをしたい者が、ボランティア的にやっているという。
私の質問に対して、接待大臣は次のように答えた。
接待大臣:「私は、他に誰もする者がいないから、
かって出たんだよ。私の趣味は、元は建築だった。
私が設計して、たくさんの有志に手伝ってもらって、
あの館を建てた。それが誰のよりも立派になったので、
建築の次は、いろんな星の話を聞きながら、
いろんな星の料理を口に出来る渉外の仕事を
させてもらおうと思って申し出たんだ。
そうしたら、他に候補がいなかったので私がなったというわけだ。
そりゃ、誰も候補などいるはずはない。
その職制は、私が言い出しっぺなんだから」
私:「それじゃあ、それまでお客の接待なんかは・・」
接待大臣:「そりゃ、気の利いたことは出来なかっただろうさ。
それまでのお客はみんな日帰りだった。
それではまるで無愛想じゃないかと提案したら、
良かろうということになったんだ」
私:「提案して簡単にやらせて
もらえるんだったら、いいですねえ」
接待大臣:「総理大臣だって同じだ。
ただ前回の場合は候補が3人居たんで、
政策討論会を開いて、そこで優劣を競い合い、
これは譲った方がいいなと思った者が降りる形をとった。
しかし新任の総理大臣は、候補者の政策の良いと思う
部分を認めて、補佐役としてその仕事に当たらせている。
つまり、他に支障さえないなら、
やりたい仕事にみんな就かせるというのが、
ここのやり方なんだ」
議会もあるが、議員は全て、有識者であり
かつ、我こそはと思う者が集まって出来ているという。
数の制限もなければ、選挙などというものもない。
つまり、政治のお役に立つべく、
知識提供しようという場だというのである。
そして時として難題を抱えたようなときには、
その分野の知識者を募集するくらいであるという。
それでは、貪欲さ剥き出しの競争や、
人数あわせの遊戯などはありもしないわけだ。
ちなみに、ジーゼット星の人口は、600万人。
星の上には、たった一国しかない
ということも理由にあるのかも知れない。
接待大臣:「そりゃそうだろう。
食糧さえ完璧に自給できたら、我々にとって
天災以外に恐れるものはないじゃないか。
それが最小で最大のベースになるんだ」
それはここほどに、その他様々な不確定要因が
クリアーになっていれば、そうも言えるのかも知れない。
その最大のものは、人の心だ。欲望がよりよく昇華でき、
恐怖が根拠を失うほどになれば、それも。
地球でも、コンピューター社会となり、
物や食料の生産が全てオートメ化されて、
人はみな、ただでいてその恩恵に浴するという理想が、
当初の頃言われていた。
しかし、社会は機械によって人を酷使し疎外するという、
逆の現象を生んでしまった。
何が違ったのか? やはり、心ではないのか。
私たちは、展示場塔から1キロほど離れた建物に至った。
建物はやはり円柱を基本にして、
円や木の葉状のフロアがたくさん設けられていた。
そこにあわただしく出入りする黄色い制服姿の
カエルさん達がいて、いろんな機材を運び込んでいた。
接待大臣:「ここで、明日から5日間、
お祭りがあるんだよ。
たぶんベンザさん達の星と似たようなお祭りのはずだ」
ベンザ:「私たちの星では、4日間です」
接待大臣:「うん。それに1日、
独立建国記念日が加わっているんだよ」
ベンザ:「あら、それなら
私なんかへの風当たりも強いのかしら」
そこにベンザの婚約者が割って入った。
ベンザの婚約者:「いや、ご心配なく。その日への命名が、
明日から変わることになっているんです。
国民総意で、建国並びに友好交流樹立記念日、
となることにね」
接待大臣も、にこやかに頷いた。
ベンザ:「それは素敵だわ」
私:「お祭りはみんな好きなんですか?」
接待大臣:「そりゃ、もちろんさ。
明日には、向こうにある建物がみんな寄せ集められて、
この近辺はジャングルみたいになる。
そこで、みんな原始の姿になって、つまり裸になって、
あっちへ飛び移ったり、こっちに飛び移ったりして、
いろんなイベントに参加して回るんだ」
ベンザの婚約者:「そうです。
この星挙げて、この5日間をお祭りで過ごします。
お祭りのための建物だけで、
地上にある全建物の半分はありますからね。
その他のお祭りもあり、年間通して何十回もあるんです」
接待大臣:「お祭りが終わった後も、
しばらくジャングルのまま解放される。
その間にいろんな恋も育まれるというわけだ。ははは」
ところが、お祭りの中身は、単なる遊興事でもなかった。
創造主や時空主宰神への感謝祭がメインイベントなのだという。
その内容を知るには、タイミングが良くなかったようだが。
しかし、彼らは彼らなりに、そこにある恩恵に対し
少なからず感謝の想いを抱いているようだった。
ところで、地上には、フロアだらけの建物はあっても、
住居らしいものがなかった。
地上が公益的な建物群でなるに対し、
彼らの住居は地下にあった。
私たちは、地上に所々突き出ている電話ボックスを
大きくしたような所から、地下に入った。
すると直径50Mほどの円形空間のまん中に出た。
そこから四方に幅10Mほどの穏やかな光を
発する通路が延々と延びていた。
通路に面して、いくつものドアの並びが確認できた。
接待大臣が、適当に近くのドアホンを押すと、
ドアが開いて、中からカエルさんが顔を覗かせた。
接待大臣:「やあ、ちょっとお邪魔したいんだが」
家人:「おや、ケロピーさんじゃないか。おや?
後ろの人たちは、サテュロス星のお嫁さん達だね。
こりゃどうも、初めまして」
どうやら、お輿入れの話は衆知のことのようだ。
こうして中に入らせてもらったのだが、
そこにはいきなり大きなアトリエがあった。
家族の人らしいカエルさん達が、
向こうのほうで彫像を作っている。
出てきた家人は、すぐ手前で絵画作りの最中であったようだ。
家人:「見てくれ賜えよ。
この平面の中に、壮大な宇宙を巧みに鏤めているだろ」
接待大臣:「ああ、こりゃいい出来だ。
星間展示会に出しても悪くない」
家人:「いいや、星間展示会には別のもっと良いのがある。
これはヒーリング絵画としてハンテス星に提供するつもりだ」
接待大臣:「それは良い。皆さんに申し上げるが、
まだ連邦の中には恵まれない星もある。
環境が良くないために、精神を病みがちな星もあるんだ。
そうしたところに、彼らは貢献しようとしている」
家人:「うちの嫁さんと新米の息子が取り組んでいるのが、
3次元多様体の陶像だ。
今度はクラインの壺の変化形に取り組んでいる」
接待大臣:「形によっては、精神エネルギー
ジェネレーターになるんだよ。
ネアン君。君なんかには、良いんじゃないかな」
私:「僕は確かに気弱だけど・・」
話によると、ジーゼット星の輸出品の大勢を
占めているのが、こうした芸術品であるという。
彼らが時折、宇宙を旅するのも、
現場に即した納入サービスがあってのゆえで、
物見遊山はその途上でしてくるらしい。
また、こうした星間貿易は、連邦が仲介して行われ、
星ごとの公益点数としてカウントされるが、
権利も義務も生ずるものではないという。
つまり、連邦それ自体が、公益的システムを支援し
保証しているのである。
さて、この家には他にも6,7部屋があって、
ちょうどマンションのようなイメージであるが、
そこに水路が血管のように築かれ、
ちょうど細胞のように居住空間と接していた。
なぜ水路なのかというと、
それも居住空間の延長だったのである。
彼らは、両生類の性質をそのまま残しており、
子供の頃はオタマジャクシであって、
水路から広大な淡水域を生活域としていた。
学校は水域の出口に設けられており、普段陸上では
スーツ姿のカエルの先生が裸で授業しにやってくるのだという。
家人の息子さんは、先頃卒業したところとのことだった。
私はそうした様子を見聞きして、接待大臣に、
実は地球のカエルという種族は、
皆さんと発育過程の特長が同じだと話すと、
彼は「カエルについて詳しく話してくれんかね」と
話をせびった。
私たちは、翌日の帰還が決まっていたから、その日の内に
大ざっぱにお見せしようという接待大臣の意向で、
6人乗りの空の道を行く車に乗って、
まず水域を上空から見学した。
巨大な都市部に隣接する比較的小さめの紫色の水域は
淡水域であった。内陸部の湖といった感じで、
そこは彼らの子供達の遊び場であるとともに、
大人しい魚介類の生息域であるという。
また、都市部と湖を取り囲むように動植物域があり、
そのさらに外側に暗紫色の広大な海水域があった。
遙かに多彩な種類の魚類や甲殻類が生息し、
海上、海底基地、製塩施設などが置かれるという。
次に動植物域を上空から見学した。
そこはまるでジャングルであり、
赤紫の空に対してくっきりと黄緑から深緑、
ときおりの橙や黄、さらには茶黒の斑を呈していた。
付近にはちらほらと白雲が漂っていた。
接待大臣:「この下に無数の果実が自生しており、
それをほらあそこだ。オートメーション的に採取して、
あそこにある工場で第一次処理をするのさ。
このジャングルには、機械が入って
選別し採取してくるとともに、植生の状況を調べて
メンテナンスを施すようになっている」
私:「動物もいるんですか?」
接待大臣:「ああ。たくさんの生き物がいて、
生存状態も良好だ。
我々も、この中に時々入って探索したりする。
若干危険だがね。だが、人によっては、
いつものようでは物足りないからと入る者もいるし、
死期を悟って入る者もいる」
私:「死期を悟ってとは?
ここでは死ぬことは希なのでは」
接待大臣:「いいや、けっこういるよ。
まだ生きたいという希望があれば、
いくらでもここで生き続けることは出来る。
だが、もう十分やったというなら、
またはもっと派手なことをしたいというなら、
ここに居る必要はない。
そういう者たちは、自ら別の未来を選ぶんだ」
地球と比べて、物足りない気はするが、
何と平和な世界かと思われた。
願ってもそうした平和が得られない私たちに対して、
そうした平和に飽きて去るものもいる。
その生命というものの不思議さには、
ただ謎が深まるばかりであった。
接待大臣:「だが、この私みたいに、
もっと幅広い物の見方をすれば、
飽きることも少なくなるんだがね。
私は自分でわざわざ出向いてまで経験せずとも、
ここに居ながらに、よそのことを経験できる方法を工夫した。
それが接待役さ。ミミズ料理ばかりじゃ、つまらんからな。
次は連邦に掛け合って、シミュレーション装置を
エーオース星あたりから調達してもらって、
いろんな星の生き物の生活を、
ここに居ながらにして楽しむさ。
何でも、すごい迫力らしいからな」
私:「僕は一度経験しましたが、
それはもう、そのものに成り切っちゃいましたよ」
接待大臣:「何に成りきったのかね?」
私:「か。蚊、です」
接待大臣:「カ?」
本当にかいつまんでしか話せていない。
もっと驚異的なこともあったが、
それはまた別の機会にでもしよう。
その星における昼過ぎから見学に出て、
夕刻に迎賓館に戻ったのだが、
地球時間にすれば6時間ほどの見聞だったろうか。
カテゴリー: 新時代への希望なのだ
次元上昇への憧れ
霊界を高次元世界の模範例とするなら、そこを流れる音楽の精髄とも言えるBGMがあって、ルネッサンス期から泉が噴出すように巨匠にインスピレーションされてきたクラッシック音楽は、その旋律を多く湛えているとされています。
現代人に高次元上昇の趣向があるとするなら、クラッシック音楽への志向があってもおかしくはなく、その中の旋律によって魂がゆすぶられて感動する心地よさを求める動きにもなるわけです。
最近、オリジナルの美声によってクラッシックを歌詞化して歌いこむ手法が、大衆を魅了しています。
ポップオペラというジャンルを開いた藤澤ノリマサ。すごい感動を巻き起こしてます。歌詞も次元上昇を志向し、みなさんにとって啓発に満ちたものになっています。私も最愛の人に向けて叫びたくなる歌。↓
[歌詞]
もしも今 すべてのものが
簡単に うしなわれても
けっして消えることなく残る それは愛
この世界が滅びて 最後のロンド 踊る日が来ても
あなたへの愛は幾千の 時をかさねて ここに刻まれる
消えることなく永遠に
未来など誰も知らない
真実は過ぎた日々だけ
ただ今は願い祈ること しあわせを
この愛は育ってく やがて広がる 大きな炎へ
苦しみや悲しみを超えて 燃え続けてく 暗闇の中を
光がさす場所まで
静寂と闇の中で 心とぎすませば
聴こえるよ 愛の歌が
愛は消えることのない炎
命をかけて 守りたい者は
君だけ
藤澤ノリマサ オフィシャルサイト
https://www.fujisawanorimasa.net/
かつてのビートルズもクラッシック調の原曲をベースにしていて、世俗的歌詞であっても、どこか懐かしさのある共感を呼び起こし、ヒットしたものです。曲の良さとは、いかに魂を鼓舞する、魂の故郷を思い出させる旋律を含んでいるかにかかっており、ロングセラーとなるのはそのような歌や音楽に限られています。
だから、誰しもクラッシックをもっと歌詞化して歌えばいいのです。そうすれば、美声の持ち主が注目を集めることは間違いないでしょう。それが多くの人々の魂の回帰し志向するところとなっているからです。
彼の声は、悩めるこの次元と透き通った向こうの次元の二通りあって、それを旋律に応じて使い分けているところに驚きがあるのです。まさに、これこそ人のようではないかと。
夢の実現
造作中の物見台ですが、6/7の晴れた空の下、養生シートを張りました。(お蔭様で顔は真っ黒けです)
そこにシルバーグレーのUVシートをかけ、ベランダの下の作業場で植えていたトマト、ピーマン、ししとうを持って上がりました。
すると、20年以上前に見た夢の人物の、四角い建物の屋上で植え込み作業していた環境に近似してきました。建物の色はちょうどグレーで、四角い建物の角や稜が丸みを持っていたことまで近似しています。あのベレー帽を被った私似の人物とは、私だったということになりましょうか。ベレー帽を買ってこなくてはなりません。
さらにそればかりか、今年の初頭に見た母の出てきた夢の環境も、ほぼ次の写真のようだったと記憶しております。(なんと、当時の記事では「網戸の網一枚を隔てた程度の」などと、この家がまだ見つかっていない頃なのに、網の張ってあることまで言い当てていたんですなあ。写真には防虫網越しの景色が写っておるのです)
夢の中の母は、外が暗い中、ちょうどトマトのあるあたりに、ジョウロか何かで水遣りをしていたんです。背景には花束が5,6束浮かんでいるといった光景でした。(このときはメイさんが花束をもらった人の話をコメントされてましたね) 花束の浮かんでいた空間は、昼間はこのように森林なのですが。
なおこの家は、一昨年前のこのときに見た夢のミニチュア版と言ってもいい間取りでして、今この家ではそれぞれの部屋に、夢に出てきた人物の位牌を祭っております。
こうして、読者には不気味に映るかも知れませんが、私なりに夢の実現を順次果たしているところです。
ナヌ? それは夢は夢でも、希望のことではなく、ほんものの夢かいな? 唖然!!というのが正直な感想かと思われます。
まあいいではありませんか。新神話が空想上の夢。夢見した夢も寝床の中の夢。こうしたことを実現したいというのは、希望という夢ではありませんか。すべてはシナリオとして決まっていたというわけなんでしょう。
夢の実現だけはしたいのう
「天上人の宴」のストーリーを体現したく山篭りしたが、密林の中の庵ゆえ空の眺望がいまいちで、天上人を招きたくとも、もてなしのスペースがないといった状況に、プランの練り直しを迫られている。さしずめベランダの向こうに地続きにして6畳から12畳ほどの望観台を設けて、UFO撮影の環境にもしたく思うが、この地においてUFOの影をまだ一度も見たことがない。ほんとうにやってくるのだろうか。いっぽう山嵐の神はまったく意識的に現れて、私に嫌がらせする。私がベランダに立つと決まって、猛烈な風を送り込んで、防風シートをばたつかせるのだ。まずこの神を味方につけねばならない。空の神はその先にある。
ベランダはいっぷうアトリエ風になったと思うが、見ようによっては掘っ立て小屋の仮設住宅もしくは建築現場と見られかねない。要は自分がそこをどう捉えて活用していくかなのだろう。早々に豊富な発想を生む場となれば、早々にアトリエと言えるものになろう。いつまでもぐずついていれば、仮設の建築現場のまま推移してしまう。
こうなれば、かつて夢見で見た光景のように、早々にベレー帽を購入して被り、アトリエ気分でいようか。だがあの夢では、ベレー帽の私似の人が、四角い建物の屋上で植物を植えていたんだよな。もしかすると、望観台を野菜畑にしたりして・・・。それもまたいい。
この地を開墾して畑にできるかどうかは、原状を見れば、困難限りないことが推測できる。密林は伐採しても、木の切り株や根っこは残り、純粋な畑にはなかなかなりがたい。焼畑農法というのもあるようだが、ここはガチガチの防火地帯で、人をたぶん信用しない前提で取り決めを作っているのだろう、焚き火すらも許されていない。このため、逆に恐いほど枯木や枯葉の堆積があっても放置されている。度が過ぎるのも程度がありはしないだろうか。もしもの出火が恐いものだから、急いで火災保険に入ったような次第だ。先日の山嵐などがあれば、あっという間に全山山火事になり、あのカリフォルニア州大火災と比べられかねないだろう。みんなの善意と自己コントロールがかろうじて山を守っているように思う。
畑にする・・・ああ困難。腐葉土になる前の枯葉の資源はとても豊富だが、それが自然に土になるまで待っておれない。また農作物を盗っていく動物もいる。鹿は最初の頃に見た。人に慣れた鹿らしい。イノシシもいるらしい。近所のAさんの話では、作物を盗っていく代わりに、畑の耕作をしていってくれるとのことだ。アライグマもいるらしい。このあたりになると木登りもするから、並みのフェンス程度ではオーバーフェンスされてしまう。だから、パイプなどを使って、四角い6畳ないし12畳の建屋を作り望観台にして、そこで鉢植えやプランター植えをすることになる。けっか、夢の中の人物像を目指すことになろうか。
私の夢も、ミステリー作品や物語で作る夢と、睡眠中に見た夢があって、そのどちらもを現実の世界に実現しようというのだから、いっしゆ既知外か、途方もない馬鹿ヤロウということになろう。
望観台の上に小さなテーブルを置いて、地球人だけでなく地球外知性体(宇宙人)をももてなすことができたら、夢の大部分は実現したことになる。いや後者こそ、私がこれからの未来世界に必要な交流になると考えている。明治維新のとき、アメリカやエゲレスの特使を招いて会談したように、これからはどこそこ星人(複数種)を招いて、地球の行く末から宇宙文明との交流などについて語り合えたら申し分ない。むろん宇宙旅行もさせていただく。健康体にもしていただく。人並みはずれた健康体で、辛く困難なトレーニングを経て選抜を経て宇宙に行くような方法は前近代的なやり方だったと思える時がくるようにしたいものだ。
次は私が昨年10月に、たまたまUFOを撮影してやろうという気になって買い物がてらに出かけ、神戸市西区神出町の業務スーパーの駐車場でカメラを回し始めて20分後ほどで現れた。
Youtubeに上げて当初、ヘリコプターなどと揶揄するコメントが書き込まれたが、本質を覆い隠したがる邪系の組織が働いているからだと分かった。逆に賛同する書き込みがないのは、私のナレーションがいささか飛びすぎているから、その方向で疑われたのかと思う。映像には加工も音声の後付けもない。撮り卸をそのままアップしている。加工する技術もないし、そんな面倒なことなどできないほどに目ももうろくした。
そんな基地外だからできる功業もある。私がかつてレイラインの面白さに惹かれたのが30年前にもなろうか。当時、古事記は暗号化文献であるという発想から、一連の目の覚めるような解答を得かかっていたときに、宇宙人でなくてはできないような鳥瞰的立場から、推理の正しさを検証することができようとは思っても見なかったことだった。古事記の与える祭祀拠点と、古代からある大祭祀霊場を点とし線で結ぶとき、精妙な幾何学図形が浮かび上がってくる。それは西日本(九州)から中部(尾張)に至るまでを、エジプト神聖幾何学で結ぶ図柄として現れた。それを総称して、ヤタノカラスと名づけた。それは多面三角構図という意味である。三本足のカラスは太陽のカラスと言われ、古代祭祀の神聖シンボルであった。三角はそれにちなむ。
古事記上津巻を暗号化文献と考え、解釈して本にしたもの (1978年)
古代日本の見えざる地上絵と古事記解釈を通して得られた歴史読み物として本にしたもの (1995年)
古代日本のヤタノカラス
ヤタノカラスは、どうやら日本列島上空からの視座をも暗示している。当時に精巧な地図があったかどうかは、前著を見ていただけたら分かると思うが、実在したことは間違いない。とすれば、日本列島のそれもあって然るべきであり、少なくとも地図があっての祭祀霊場の布石があったと推測される。
宇宙人の干渉と知識移入があったとするなら、これほど分かりやすい話はない。宇宙人が神と称して原住民の前に現れ、農業の仕方から祭祀の仕方まで教えたその一環で、古代からの長きに渡って、今なお世界宗教の形で地球人の思考回路を牛耳ってしまったようなことだ。どんなに科学万能を歌い上げても、インベーダーの息のかかった宗教ひとつ、分析できないでいるのが地球人類の頭脳なのだ。これではなあ・・嗚呼と嘆くしかない。
ヤタ(八田)は多面体であることを表す。それを極限まで持っていけば円になり球体になる。ならば玉と言ってしまえばいいではないかと思うが、現れたものが楕円球体であったら、真円の球体の玉とは言い難い。それに加え、当時の知識階層は分析する科学者たちであった。だから、コンパスや定規を駆使するその技術者集団がつけた名前がヤタであってもおかしくはない。前著では古代中東の神官層が作った知識集団が古今、世界史と宗教史を彩ったとしている。その彼らは、古代にやってきた宇宙人を神としているのだ。つまり、インベーダーの手先なのである。
こうして、宇宙人の乗り物であるUFOは楕円球体なのがオーソドックスな形として、今なおやってきていると見られる。だが、当時の宇宙人は純粋に善でありはしない。それは歴史が必然性のもとにあったと見る私などからすれば、はっきりと断言できる。今の地球の文明の1タームは、まるごと彼らの実験場であったに過ぎなかったのだ。だから、1タームの終結点がもしまもなくなら、次のタームに関しては独尊の独立国的環境があらねばならないと思うわけで、是非現下の時点での宇宙人社会との交流開始がなされねばならないと思うわけである。それも、不平等条約のような結末でなく、対等の関係が構築されねばならない。
少なくとも、私が思念を宇宙に投げかけて現れた宇宙人の乗り物UFOは、善良に出現してくれた。友達にしてくれの問いには、即座に正体を見せて反応してくれた。夢の中にも現れた。UFOビデオ撮影友の会をひょんな人との出会いで立ち上げ、あれからいろんな種類のUFOを撮影した。三角形が形を変化させるものや、オバQのような霊体的UFOもあった。スカイフィッシュなどというUMA撮影にも関与した。そのようなシンパの宇宙人もしくは異界人とおつきあいすべきであり、ヘリコプターで未開の原住民の前にやってきて、国王として居座るような宇宙人の手合いとは決別し、放り出さねばならないことは当たり前である。ユダヤ/キリスト教の元になった聖書の神はこの手合いに他ならず、放逐すべき対象だ。
今はとにかく世相が極まってきている感があり、私のすべきこととしては、対等かつ友好な宇宙人との交流がまずあらねばならないというわけだ。人ができないなら、私がやる。根気強く、待ってみることにする。
前世の記憶
私が物心ついたのはいつか不明だが、まだ昭和20年代のことだろう、最初に認識した光景は、白黒テレビの置いてある食堂で、父に肩車されての視線がちょうどテレビの高さであって、放映されていた場面をまじまじと見ることができた。おりしも歌舞伎の番組をやっていて、奴さんが刀を抜いて息巻いた場面で、私は恐怖のあまり泣き出してしまった。食堂のお客が笑っていたのを憶えている。後から思うに、幼児というもの、経験もないのに、どうして怖い形相と抜刀に対して恐怖するのだろう。前世の記憶を残しているからなのだろうか。どんな前世かは知らないが、きっと戦乱の経験もあったに違いない。
その番組と別の番組の合間だろう、サクソフォーンの演奏で「遥かなる山の呼び声」(シェーンのテーマソング)が奏でられる中、テレビ画面には雁木車が三つ、ゆっくりと回転している様が映し出されていた。
山が呼んでる
あの白い峰が我を招く
風が過ぎし日の香を運びくるよ
また帰る日を恋いてさすらう
シュミセー我がふるさと
シュミセー我が来し道
ああ遠き夢の日々
また帰る日を恋いてさすらう
シュミセー我がふるさと
シュミセー我が来し道
ああすべて夢の日々
心に抱きて今日もさすらう
(以上は奥人の勝手につけた歌詞)
いちばん最初に知った映像つきの美しいメロディーだった。
そう。進駐軍が持ってきたものであり、占領体制が解けかかった頃のことだった。
前世はどこにいたかのほのかな心当たりは、あるメロディーへの憧憬に求められるかも知れない。私はブラームスのワルツを聞くとき、心が揺り動かされ、その当時の情景が浮かんできて涙することがある。
家族でそのワルツに乗って踊った幸せな時間のあったことを感じ取れるのだ。ドイツか。第二次大戦のさなか、私はナチスの将校だったような。家族と祖国を愛する、ひとりの凡々たる男だったような気がする。
戦争で私は、大腿部に銃弾を受けて死んだのではないだろうか。幼時期から、大腿部に銃痕のような痣を持っていて、それがずっと気になっていたものだ。
山奥の庵でラジオ短波を聴いていると、暗くなってから、懐かしいメロディーがメドレーで流された。名曲の続くその中に、ブラームスのワルツがあった。メランコリーな時間が夕闇の中を流れて、いつしか瞼がうるうるになったことは言うまでもない。