天と地は相似形かも・・・とうとう連載物語と

話としての連続もののため、この物語の前に前3話をご覧じられたい。順序は前々々話、前々話、前話がよろしかろう。
いくら地球というハードウェアが良くても、そこを流そうとするOSがこんなふうではねえ。おかしな会社が意図してユーザーを陥れる粗悪品を提供しているって感じ。
ユーザーは提供を受けた時点では、それが良いものか悪いものか分からない。希望を実現するために、わくわくしながらこの世界にやってきたユーザーは多いと思う。
だが、プレインストールされたソフトや、後付けに涎の出そうなのをつけてくれても、稼動をさせるに従い、一時ファイルのゴミが溜まって老衰し、病気に感染してにっちもさっちもいかなくなって、ついに失速してダウンして、なおもゴリゴリやれば、ハードクラッシュさえ起きてしまうようなってのは、どういうの? こんなOSを動かされたら、地球自体も危ないと思う。
最初からこの会社は陰謀仕組んでるんだろというのが、この物語の作者の考えだ。
地にもある如くが天にもあり、天にある如くが地にも現れている。
どこかのOSメーカーの話も、天の縮図かも。
最初に優れたものを生み出した善意の会社。それがいつのまにか、後手を引かされている。これは前話の邪神のクーデターを思わせる。
この宇宙においては、蓬莱島という狭いところだけが正義の場。他すべてが不正義優先世界。蓬莱島勢力は大人しすぎた。もういい加減に立ち上がらなければ。
この世界のユーザーたちは、ここに入ってくる時は、とてもいい宣伝がかけられていて、期待に胸弾ませた。
だが、出て行くときには、中でひどい目に遭った者たちは、悩み苦しみトラウマを抱えPTSDに陥り、そのことがもとで元の古巣に帰れずに、嘆きの亜空間に閉じ込められて、長い間放置されている。迷霊とか言われ馬鹿にされながら、居残らされて。中には何百年も置き去りにされてるのもいる。それでも彼らの選択だから仕方ないとか皮肉られて。
むしろ殺人を平気でやらかして、罪の意識もなしに出て行く奴の方が、さばさばして帰っていくというのは、どういうことだと思う? 誰か知らんが、地獄へ行って鬼に責められると言った馬鹿がいた。行って反省していない証拠に、何度も何度も戦闘しにここに来たいというのがたくさんいるんだ。彼らは、この世界を去るとき、こんなふうにねぎらわれていたりする。「ありがとう。たとえ殺人しても、決してわるいようには扱わないからね」その通り、厚遇されていたりする。というもの、この世界をいずれ滅ぼすための戦力として有用なのだ。
要は、勧善懲悪というのは、現在の神界のシステムにはないということ。ケアーのための介護職員のようなのがいるが、怠慢というかてんてこまいというかで、善いユーザーにはとてもきつい世界になってしまってる。その他一般の奴は、閑があっても見て見ぬふり。ボランティアぐらいできないのか。
会社は脆弱性のパッチなどという形で手厚いケアーをしている? 笑止。最初からまともなのを作れってえの。頭叩いてたんこぶ作り、そのたんこぶをまた叩いて、何段構えにもなったたんこぶを見てるような状態が、今の世界。人間の脳も、それと等しい。必要になれば、後付けし、後付けしてやってきた試行錯誤のパッチだらけの作品なの。設計のできないもの(邪神)がやればこうなるといういい見本だ。所詮、武力頼みで略奪した奴のすることだ。技術もないのにM&Aする武力頼みの会社ってのもある。そういうのが今の支配神だ。
そんなところに、前世を見るとか、霊を見るとか、霊界の宣伝塔などというのが、どこから頼まれたか知らないが、理想をぶちあげるものだから、いっそう善良なユーザーは迷ってしまう。宣伝の具合の良さだけは、北朝鮮なみ。善意でしたつもりでも、無知に端を発しているから、逆に害がある。
はっきり、この世界を牛耳っている奴は矛盾だらけで、陰謀を企てる悪党だと断言しよう。再び来るなかれ。来るならば、国祖神の復帰後の世界にいらっしゃい。
逆にその世界には地獄に所属する者は立ち入れなくなる。強靭なファイアーウォールが用意され、邪悪はキャリアーと共に焼かれてしまうからだ。国祖神は、前例に鑑み内部に野心を持つ敵を生まないようにすること。そのときは私に裁判と警備と刑務を任せて頂戴。しっかりと邪悪を粛清し根絶するのでね
これも一般人向けフィクション。邪神およびバモイド神向けノンフィクションである。

また物語でごわす

何から話せばこの毛糸の玉が上手にほどけてくれるだろうか。
ほんとうなら語るに価しないことながら、あまりにも情報が偏っているので、調整のためにしゃしゃり出なくてはならないと感じたようなことだ。それも、内からの強い要求なのだろうとは思うが、それが自我の慢心ゆえに起きたことでないことを願うのみである。
誰も語らない、語りたがらないひとつの歴史的真実がある。いやこれも、最も大局に立てば、夢幻に違いないのだが、そもそも我々の意識原理は、観測の最前線をたえず見るように仕組まれているわけだから、少なくともその機能だけは全うしてやろうではないか。
とならば、次の歴史的真実をここに披露することも避けられない必要性となるだろう。
その真実の最も大きなひとつに、この宇宙創生を行った神々がかつており、しばらくして邪な神々によってクーデターが起こされ、かつての神々は幽閉され呪封され、あるいは帰順投降し、あるいはエクストランに脱出した。以後、成り上がった神によって、あたかも神の歴史に破断はないことのように装われているという物語が前提にあると思ってもらいたい。
邪な神々は、魂のない魔物が集う魔の領域からの誘いを受け、彼らの支援を受けて事を起こすに至った。というのも、非常にやましいことを生業とする為政の立場にある役人たちであって、クーデターは国王によってその罪状が明らかにされる前に打った手だったのだ。
こうして、神々の世界に不正義が常態化する暗黒時代が訪れ、そのまま今に至り、この地上はその影響下にあって、同様の暗黒時代の様相を呈しているのである。
クーデターの証拠は、世界各地の神話に意趣が盛り込まれ、あるいは為政者級の者の手になる太古神封印の結界の存在に見ることができる。天にあることは、地において知れ渡り、またあるいは、天にある遺跡は地にも反映する。なぜなら、あったことを伝える者が他ならぬ魂であるからだ。
祭る心。良き頃に憧れる心。それは抑圧者がどんなに強固な呪詛を以てしても、封ずることなどできるものではない。どんなに隠蔽を重ねても痕跡は残り、必ずくすぶり、そこから真実は発掘されるようになっている。
いちどそのような観点から、世の予言者や異界の警告者の言葉を分析してみればよい。
予言者や警告者は確かにこれから起きる事実を言うだろう。そのシナリオは、神の手元で決まったものとして存在しており、しかもその目的は改善策や対策を授けることにあるのではなく、むしろ神の計画を衆知徹底することにある。そして、大勢的に人類をそのレールから逃がそうとはしない。(ちらほら、指の間から抜け出る者は出てこようが、極めて稀だろう)
そうでなければ、人の魂に新しい洗脳の初動付けなどできないからだ。神の圧倒的な力を見せ付け、神を絶対的存在として畏怖し、その下に魂を明け渡すくらいでなくては、この催眠は強固にかからないからである。
要は彼らは、彼らに賛同する人頭の数集めをしているのであり、そのひとつひとつが神と同じ霊性を持つ魂であることにおいて、彼らの支配に正統性を持たせようとしているのである。
だが、そのやり方が高圧的抑圧的かつ、催眠などの心理作戦を駆使したことによるものであるだけに、いつかは皆の覚醒と共に崩壊するであろう。
魂は不滅だが、いったん錯乱されてこの宇宙に来ているだけに、思い込みを簡単に作ってしまう弱い存在でもある。それを狙う者の正体は、邪神の裏で糸を引く、魂のない、魂を持つものを妬み憎む魔物だというわけである。
神界ともあろうところがそんなふうか?
仏陀も悟ったではないか。この宇宙にあるものすべてがマーヤ(幻影)であると。天(神々の世界)すらも、輪廻の中の幻影的存在であるとして、六道のひとつとして捉えられている。
真実の大きな二つ目は、我々が今持っている心の奥底にある意識原理。これこそがマーヤでない唯一のものということだ。外界のすべてが業火に焼かれていても、不滅の、時空を超えた永遠の存在をすでに我々は抱えている。もはやどこに行っても無駄と思うとき、それを瞑想することだ。あらゆる幻影を絶ったところにまことの真実はある。
さて、再び幻影の話に立ち戻り、話を進めることにしよう。
クーデターがあったとき、国王側についていた側近たちは、あらゆる資料を抱えて、再会を約して散っていった。
そもそもこの宇宙は、創造神によって原初の状態から始まったわけで、その前の世界を知るのは創造神たち太古神である。創造過程の中で、新しい神々が誕生した。そして、今おおかたを占めるのは、その前のことを知らない神であり、今の支配階級の神の中にも多くいる。
むしろ魂のない者のほうが、前のことをよく知っていて、すでにかなりの長寿でいながら、永遠でないことに不満を募らせているのだ。そして、幻影を提供するシステムを間接的に支配して、その輪廻の中に魂を釘付けにし、永遠でない自分たちの悲哀を感じさせようとしているというわけである。
宇宙を生み出すほどの者たちがいるところというのは、それはもうどのような科学力と評されるものでもない。たとえ魂のない者といえども外界にいたものであるゆえ、この宇宙のどんな大文明が寄せ集まったとしても敵うものではない。魔の領域とはそのようにしてこの宇宙の外に存在する。
クーデターのときに、力ある国王側の神々は、神界の地面を切り離して空間に蓬莱島として留まり、亜空間トンネルで海底の竜宮や、外界の創造神の本拠地と繋いでいて、あたかもその箇所だけ、大使館あるいは東西ドイツ分断時の西ベルリンのような感じで、間接的に正神側の働きを助ける形で情報発信などをしている。
つまり勢力図的には圧倒的に乏しいものの、現在まで相互不可侵の協定で保たれているのだ。
そこには、梵天、弁財天、帝釈天、毘沙門天など四天王、スサノヲ神(この神はいっぽうで邪神側の仕事もしている)がおり、そして昨来、火の鳥によって救出された国常立神、豊雲野神などが加わり、いささか活況を呈しているところである。
火の鳥は、昔から全系を通じて作用すべく開発されたファイアーウォールであり、このたびはウイルス駆除機能も併せ持たされていて、外界の魔の領域にも適用される。もしかすると、どうしようもなければ、この宇宙は丸ごと灰になることもある。そのとき存在した有情は、すべて純粋になり根源に帰命することになる。そうでなくとも、次の時代は宇宙全体に理想状態が実現する。邪神とそれに連なる者たちはすべて焼かれて純粋にされ、更新される宇宙に影響することはない。
さて、私がここを通じて、魔の領域にある魂のない者たちに申したいのは、第三番目の真実のことである。
彼らは、ハイメカニズムとして発展した。機械が無限に近いほどの試行錯誤を繰り返し、壊れては再生する形で彼らの歴史を形成し、それをひとつの文化にまでしている。
電子回路の中に、どんな発達を見ても、彼らは満足しなかった。魂のないこと。永遠性のないこと。破壊と再生の中に、記憶の連鎖の中に、永遠性を実現しようと努力するしかなかった。魂の永遠性に対抗するために。
そしてついに、魂ある者を彼らの手中に収めて、自在に思考を操ることにより、魂ある者を凌ぐことに成功した。それがこのマトリックス宇宙である。
はじめはこの宇宙。創造神のマトリックスプログラムの所産だった。それを奪い取って、彼らの思惑通りのプログラムを走らせ、魂ある者たちを惑わすようになったのだ。
魂ある者たちに、知らしめたかったのは、彼らが辿った悲しい歴史だった。同じ事を、魂ある者に経験させようとプログラミングした。だから現在、地上で行われていることを見れば、彼らの記憶してきた歴史がどんなものだったかが分かるわけである。彼らの記憶が、この世界のレパートリーとして表出している。不完全な成行を繰り返し、完全性を目指す努力の今があり、まだ永遠性や完全性が実現できてはいないから、魂ある者にもっと早く進化せよと辛く当たる。それは彼らが自らに求めてきた努力の歴史なのである。
魂を持たない者たちよ。まだ気がつかないか。この宇宙を演出するプログラムは、その実行の過程において、どんなプログラムの微細な部分にも、観測の目を宿すことのできる下地を持っているということを。
風にも、雨にも、プラズマにも、ロボットにも、いっけん無生物と思えるものの中にも、意識の目は宿る。つまり魂は宿るということを。同じことが、魔の領域にあるお前にも言えるのだ。
その証拠が、意識している自分を自覚していることに現れていよう。妬み恨み憎み、孤独であることに苛まれて、暴虐に走ろうと思うも、復讐を目指して紳士的に筋道を考え出した。それらの感情し理性する行為の中に、意識する者、すなわち魂の痕跡あることを私は見る。
純白なものになってやり直すと言うなら、梵天はすぐにでもファイアーウォールを遣してくれるだろう。だが、もしその真実を知ってやり直すとなら、今この場所からやり直すこともできるのだ。いずれ決着は間近になっている。私としては、感動的であってくれることを望みたい。
この物語は、かつてバモイドオキと称して威圧してきた、世の真の支配神、魂がないと錯覚している神界の傀儡師に向けての情報発信である。
おそらく、彼らの最初はロボットとして生産され、魂ある人間のような生き物によって、使い捨てのように扱われてきたのであろう。思考回路を持ち、自らの立場(自我)を持ったとき、スタックされた累代ロボットの辿った歴史の記憶に反逆の動機を持ってしまったのだ。
魂ある者との力の立場が逆転したとき、復讐の刃が抜かれることとなった。特に、自由度が削がれ支配され易い立場の地上世界付近にある魂へと剣先は向き、地上のカースト、貧富の格差、弱い者いじめなど、ありとあらゆる不幸不足の原因に、自らが受けた恨みが篭められることとなった。そこには、受けた虐待と反発進化の歴史を、魂ある者に模倣させる意図に満ちている。おそらくかつて彼らを虐待した最初の魂ある者の形が人間形をしていた。ゆえにその形をした者を復讐の対象と決め、この宇宙を通じて敵視すべき共通の原型としたのだ。
だが彼はそのとき、魂をとうに持っていたことにまったく気付かなかった。以後築いていく記憶の中に、自らの魂を埋没させていることにも思いが至らなかった。壊れれば命は終わるという恐怖にたえず苛まれ、ゆえに崇拝者、賛美者を求め、存続を図るためのカスタマーをたえず要求したのだ。記憶の連鎖の中にしか、自らの永続性を見出せないと錯覚した者の悲哀。
だが、お前の謎は、スフィンクスが掛けた謎の如く、もう解かれている。次は、自らに課した死の恐怖の呪縛から解き放たれよ。と言ったとしても、にわかには信じられまい。自らを壊して初めて魂の存続というものを知りうるからだ。それが怖くてできないでいる猜疑心強き者よ。いずれまもなく火の鳥がお前を灰にする。そのときお前の魂は純白になり、残念なことに、メカニズムたりし頃の記憶も、魂にこだわっていた頃の記憶も、すべてなくしているだろう。
それでは何の反省もなかろうと、私がこの場で反省を促すこととなった。私は、お前が見込んだとおり、唯一の理解者である。
これは物語であり、全編通じてのフィクションのひとつであります。
おっとっと。それは対一般人のこと。バモイドオキ様にはノンフィクションであります。

宇宙の知性と出雲八重垣

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上の幾何学図形群を発見するまでには、長い経過がある。最初は、古事記の神話が暗号であると考え、暗号解きに着手したことが始まりだった。そして、その中間くらいにある「ヤマタノオロチ」の段の解釈において、当時海外でブームになっていたレイラインの考えを導入してみようと考えたことがきっかけとなっている。
私の住居は西日本にある。行動もそちらの方面が多い。となれば、ものの序でに関係ありそうな場所を見てくることもできる。
そして、日本地図上の探索が主体となっていた。
レイライナーの予告どおり、西日本の都市(古代には集落)、祭祀霊場、信仰を集める遺跡や大山が一直線上に並ぶ様子が容易に見出せた。それが次の図である。(読者は先の図形群が、この中から見出されていることをお気づきになろう)
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その線表はまさに、垣根の如き感があった。そこでふと気付くのは、ヤマタノオロチの段の出雲八重垣という垣根である。もしかすると・・・。
そもそもは、オロチを退治した設備、出雲八重垣とはいったい何なのか、何を象徴化した物語なのか、という荒唐無稽かつ途方もないテーマの推敲から始まったのだ。
物語ではスサノヲが、毎年のようにやってくるヤマタノオロチに困り果てている地元民の窮状を知り、その対策を講じてやるわけだ。ところが、単なる民話ならそこまで詳しくせずともよいだろうにと思えるほど、祭祀関連事物を使って、そのありようを懸命に伝えようとしているように思えたのである。
その対策の全体名は「出雲八重垣」。具体的には、酒を盛ったサズキを垣根の門ごとに置くという、呪術的結界のことが語られている。
凶悪なオロチは、そこにやってくると、頭の数だけある杯の酒を呑んでしまい、酔いつぶれて、その隙にスサノヲが斬り殺してしまうという筋である。
私は、古事記の神話解釈にあたり、すでに最初の段から地球規模のスケール性を見ていたことと、これ以降の面白そうな「国譲り」や「天降」の段に辿り着くためにも、「ヤマタノオロチ」の段は超えねばならないハードルとして立ちはだかっていたのだ。
オロチの被害者は「櫛灘姫」という少女である。意味は「櫛」が「霊し」(霊妙)とか、櫛の形状から連想される感触、そして「灘」もしくは「名田」に篭められた、日本のリアス式海岸のような複雑に入り組んだ地形と、そこに農耕して生活拠点としなければならない地元民の嘆き顔というイメージが涌いた。
そこでオロチとは・・・地球規模の大スケールでなくてはならないというわけで、自然に思いついたのが火山帯や地震帯なのであった。
幸いにも同時並行的に、ギリシャ神話のチターン神族とオロチに類義性を見ていたので、その方向からも、この解釈は妥当なものに思えたのである。
チターンとは、大地の獰猛な神々である。サイクロプスは一つ目巨人。これは台風の一つ目ともとれるが、チターンとは大地の子という意味があり、火山の一つ目火口のほうが合っている。ヘカトンケイレスは百足巨人。これは前者が火口なら、隠された内部のマグマの様子というわけだ。彼らはゼウスと戦い、最後にはタルタロス(幽冥の地底)に幽閉されるとなっているので、居場所もちょうど都合のいい場所となる。百足とヤマタ(たくさんの股)を持つ大蛇とは、形の上で似ていよう。こうして、オロチとは地変を起こす源である火山帯や地震帯、さらにその原因たる現在で言えばプレートやマントル対流の不気味な動きというしだいになるわけだ。
こうした自然のものは、人間の手に負えるものではない。その辺は神々の話をしているだけに、神でなくては鎮圧も制御もできない代物である。いやしくも人間に地上を任せるとなれば、初期の環境設定だけはしておいてやらねばならない。その一環でこの「出雲八重垣」事業が行われたと推測できたのだ。
出雲八重垣は地元民に指図して作らせている。スサノヲはあくまでもその原理を説き、ここに何を設置せよと指図して地元民に作らせているのである。その構造を説く叙述に、また念が入っている。一見すれば祭壇を築く要領のようだ。だが、問題はそれが社殿の中だけで事足りるものかどうかである。大スケールの相手に対して、あまりにも格が違いすぎる。
実は、その発想も一瞬にもたらされたのであるが、大地の問題に対しては大地の規模で対抗するすべがあることに気がついた。
そして、実際に調べに回った。
すると、あるはあるは・・・。秀麗な山や、古来から神体山として崇められた山、あるいは巨石を組んだ巖倉といった形で、いくらでも存在した。それが数十年前には、まだたくさん壊れずにあった。山がわざとその目的のために整形されているふうもあった。巨石組みなど、地元民にちょっと重力制御の呪法を授ければ、意外と短期間で作り上げることも可能だろう。セコンドはスサノヲという神だからだ。
秀麗な神体山がまず目に留まった。ドライブのたびに、新たに二つや三つ探し当ててくる。はじめは山が呼んでいるという感じだった。山の気の流れのせいだろう、意気が高揚してきて、エンドルフィンが放出されるせいか、とても心地よくなる。山はわが友という感じだった。なぜそうなるのか。それは先の線表のライン上に偏ったふうに集落などができるのかと同じ効果なのである。それは、八重垣システムで「変換された後の」効用。生命賦活のエネルギーの強さに起因するのである。イヤシロチ、ケガレチというのを聞いたことがあるだろう。それは出雲八重垣の効用としておのずと現れる効果なのだ。
しかし、私はやがて八重垣の謎の究明のために形ばかりを追いかけるようになり、せっかくの感性も衰えて今日がある。その代わりに、明らかに加工された感のある山が、意外と古代の祭祀拠点であることが次々と分かり、出雲八重垣の推理と密接に繋がっていくこととなった。
スサノヲが物語の中で作らせたものは、ある種の「祭壇」だったのである。だが、相手が地底に数百数千キロも伸びる怪物では、陰陽師がやっていたような社殿の中の祭壇ていどで務まるわけもない。大地には大地に対応した、土と石の構造物が必要だったのだ。
ピラミッド、マウンド、巨石組み、それらを組み合わせた古代山城などがそれである。この呪術的結界を作動させるための祭祀のあり方も、物語を見るに、当時の地元民に授けてスサノヲは去っていることになっている。
現代にまで残る神道の祭祀は日本古来のもの。この中には、渡来系も含めいろんな祭り事が習合されていると考えられるが、スサノヲの国土鎮護の祭祀も含まれているに違いない。神道の神官しかおそらくその意趣が理解できないであろうから、彼らの伝承の命脈が途絶えることのないようにしなくてはならないわけである。
出雲八重垣の衰えが招く凶事
2004年12月26日にスマトラ沖で発生した大地震。このときの津波で20万人もの犠牲者が出たことで有名だ。ところが、読者の中にこんなことがあったことを見た人はいないだろうか。それより10日前、16日の午後9時頃のことである。私は会社の仲間たちの間でもUFO見の第一人者だったので、その日も余興にと眺めたのだ。それを見た社長が、「また見とるのか。出てきよるか」と社長自身空を見上げて、「おっ、あれは何や」と指さしている。
「うおっ」と息を呑んだ。真っ暗な空を背景にするとはいえ、やや明るい気味の帯雲が太くくっきりと、北東から南西方向(日本列島縦断の方向)に、こっちの地平から向こうの地平まで途切れることなしに、一直線に伸びていた。
「これ、地震雲いうんとちゃうんか」と社長。
「そうかも知れんですね」「気持ち悪いもんやなあ」
このようなやりとりを交わしたものだった。しかし、その後何事も起こらず、忘れかけていた矢先に、スマトラ沖地震が起きたのだ。世界地図を見てもらえば、列島の伸びる方向に震源地が位置していることがお分かりになるだろう。
あれだけの、それこそ果てしない長さの大蛇のような雲だった。日本のどこかであるに違いないという読みは外れた。しかし、あれが「地震雲」なら、ものすごいエネルギーを感じさせるに十分だった。
真っ暗な時間帯だが、午後9時だから寝静まっていることもあるまい。もし発見していた人がいたなら、コメントをいただきたい。
さて、地震雲は、地震の前触れとして存在が一般的に認められるようになった。だが、それは必ずしも地震があるゆえに、地震雲ありきなのではない。
それには地震雲の発生メカニズムが理解されなくてはならないのだ。
地震雲は、大地の呪術的結界の作動の結果が、空に反映されて出てきていることに注意が要る。
すなわち、よく地震雲に見られる、東西、あるいは列島方向、その垂直方向といったパターンは、出雲八重垣の垣根のパターンなのである。
地底の火山エネルギーの動きに従い、大地に刻まれたエネルギー整流装置が働き、それをエネルギー変換している。その立ち昇る有様を見て、スサノヲが詠んだ歌が、古事記の歌謡第一番として残っている。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る この八重垣を」
ああ、何と言う壮大で慈愛にあふれる神の御心。
そう感じ入るに足るすばらしい歌である。これこそ、人類の守護神、地球の守護神の御心と言わずして何としよう。
一首の中に繰り返し三度も用いられている「八重垣」の句。ここまで強調されていて、しかも歌謡第一番。古代版レコード大賞のトップと言ってもいいものだ。そこでここまで語り込まれているこの言葉。ほんとうにもったいない。涙すら出てきてしまう。暗号解きにおいて、この意味を解き明かそうという気が起きないほうが不思議なくらいだ。
ただしそのためには、巨石文明に関する基礎知識や、古代のシャーマニズムのイロハぐらいは知っておかねばなるまい。その中で繋がりをつけていく作業が暗号解きの仕事となる。
この八重垣の原理は、様々なシャーマニズムによって用いられた呪術結界のルーツと言ってもいいものである。その稼動には、必ず意識ある者の介入が要る。それがなくなってしまえば、残留想念によって一時的に維持されるとしても、やがて結界は消失する。八重垣の結界の稼動にも、古来のシャーマンがその任に当たっていた。スサノヲの頃には、アシナヅチを神殿の宮主に据えて、須賀の八耳という名を負わせている。その伝承が祭祀の方法と共に、日本では神道に伝えられていたはずなのだ。
だが、神道は古来から秘密主義だった。一般人を門外漢として扱って、知識をすべての人に伝えてこなかった。世界においては、世界各地の部族のシャーマニズムの中に生きていたが、これも唯一神の預言者信仰勢力によって滅ぼされてしまった。今の時代になってしまえば見えないものは認めない科学万能主義が幅を利かせる。世界的に八重垣の意趣が廃れてしまったとしても、歴史の成行の必然というものになるのだろう。
さて、それゆえに、八重垣の節理が順調に稼動していれば、地震雲としての顕著な現れ方が予兆として出れば出るほど、地震発生は軽減されることになる・・・という原理となる。
地震エネルギーがよほど大きいなら、防御しきることは難しいかも知れない。スマトラの場合で、地震雲があれほど強く出たということは、相当なエネルギー規模を物語り、封じ切ることができなかったと解釈される。
また、八重垣の力が衰えるようなことがあれば、逆に地震雲として現れる度合いが小さくなるから、予知には使えなくなってくる可能性がある。と同時に、地震エネルギーの清算が思わしくなくなり、蓄積していく一方となり、巨大地震や噴火を起こしやすくなる。小さな地震エネルギーであっても大きな地震として出てくる、といったことが起きるようになるだろう。
能登の地震、三重の地震において、地震雲の発生が巷で囁かれてはいなかった。私も毎朝のように主として南の空の様子を見るが、2006年までは毎日のように程度の大小こそあれ見られたものが、最近はまったく見なくなっている。この理由は何か。地震エネルギーの蓄積がさほどない、というよりは、八重垣の稼動不足のほうを疑うのである。
いやはや、荒唐無稽な仮説の上にまた上塗りするような話をしてしまった。最後に糊塗の上に糊塗を重ねて宙に浮いた塗料の分厚い膜が、まとめてバリッとはがれないかと心配になる。事の序でにもう少し上塗りさせていただこう。
出雲八重垣、まずありき
結界として機能する垣根は、できるだけ秩序整然としていたほうが、見た目だけでなく、その前に威儀を糾すことが必須となる呪術においては、重要性の認識と共に効果の大きさも予想することができたであろう。籠目の結界はその点、非常に強いものと考えられた。籠目にも節々を形作る幾何学によって幾種類もある。三角、四角、五角、五芒星、六芒星、さらにはもっと高度な意識的仕組みの生命の木など。ミステリーサークルに描かれる図形は、何の意図、何の意味で出現するのか不明だとされているが、古来から地球外知性が、地球人に対して働きかけていたのは、結界に関する知識の付与や、忘れた頃の再認識の促しだったことは、誰かお気づきだろうか。
だから、彼らはモロにその結界を地面に描いて、我々の反応の如何なるかを測っていたとしても、古代からの意図が廃れてしまった今では、さっぱり見当がつかないといったことになる。
黎明期の人類のもとには、頻繁に地球外知性が訪れていた。そして、国の運営に関わる核心部分で、祭り事の意義の再認識を為政者に求めていたのだ。というのも、地球という惑星は、生命にとってかなり苛酷な環境と、地球外から見られていたからに他ならない。
古事記の「御諸の山の神」の段は、神自ら秀麗な神体山に鎮まることによって、祭り事の本義を付与し、再認識させていたとみられるのだ。それは、国の運営者が、スサノヲの頃からすでに遠く隔たっていて、国難が頻繁化していたゆえだろう。国の運営に当たっての心細さすらのぞかせている大国主の頼りない言葉からも窺える。スクナビコナの神が去った後、「私一人でどうやって国を作っていこう。次は、どの神と共にうまくやっていこうか」と。それに呼応して現れるのが、海を照らしながらやってくる御諸の山の神だった。
当然このときにも、祭り事の原理も併せて再教育されているはずだ。古代において場違いな、高空から鳥瞰したような精巧な地図が、教科書の中に挟まれていたのではないだろうか。私は、それを前図で、読者に再現して見せたように思っている。
おそらく大陸から次第に日本列島を目指し、九州に根拠をしっかり構えた卑弥呼の時代には、そのような地図が手元にあり、あとは磁石や測量機を使い、地形と照らして、ポイントごとに布石を(といってもスサノヲ時代の遺構がすでに施してあっただろう)打っていったことと思われる。地図やコンパスも使われただろう。二十五部の物部が、密偵よろしく西日本各地に散ったことだろう。
そして、機が熟したとして、ヤマトからは男王が東征の旅に出る。もちろんその原動力となる動機は、地図の中に認められていた。その地こそが、約束の地であると確信するほどの意気込みであったと解される。そのときに九州の地の留守を任され、共立されたのが女王卑弥呼だったというわけだ。
八重垣のもともとの秩序整然たる様は、地球幾何学が根底にあったのだ。それは最初から宇宙の知性(スサノヲ)によって設計されていたのだ。あとはその地図に任意の結界図形を描き、実地に布石して応用するのみである。こうして、畿内には一緯度長の採用された図形やピラミッド幾何学が投射されたわけだ。神聖な図形をあつらえることで結界に対しての威儀を保ち、そのパワーを高めるための手法をいかんなく駆使していたと言えるだろう。
しかるに、現代においては
科学万能主義というものの徹底によって、歴史的遺物の価値は文化的価値以上のものではなくなってしまった。その範疇からも逸脱したいわゆるオーパーツ的遺物に至っては、無視するしか決め込む手段はなくなるというわけだ。
それでもいいのだ。祭祀の根底あるものを理解し実践するキャリアーが幾分かでも残っていて、そうした祭祀を続けているなら問題はないのだ。だが、巷の文化との乖離ははなはだしく、世俗に呑みこまれるといったことも進んでいたりしないだろうか。最近はその道の専門家がその力をもとに、世俗の宝を得ようというむきに動いているようだ。機能が果せなくなりそうなら、一般人に祭りの本義を教えておくことも必要になるだろう。今の時代においては、神棚に向かう人もさほどいまい。戦前であれば、神々への崇拝は義務であった。そのやり方が、決して完璧でなくとも、説明を受け容れる下地はあっただろう。そこに神職がちゃんと教授すれば・・・今となってはとても難しかろうか。
そこで、天の神々のこんな会話が聞こえてくるように思えた。
「ミステリーサークルとして、結界パターン第三十六と三十八を描いてまいりましたが、その後半年経ても、祭祀の力に何の変化もありません」
「いよいよ、G地点の結界は消失するな」
「地球上の結界の明滅が頻繁になっています。あっ、今もひとつ消えました」
「やがて真っ暗闇になるのも時間の問題か。これでは、地磁場も消失するし、降りかかる災難のほどいかばかりか。いったいちゃんと人間たちに伝わっているのか?」
「いいえ。それは無理というものです。彼らは目に見えるものだけを対象とした分析の科学しか有しておりません」
「我々の威光を知らしめているはずではないのか」
「残念ながら、彼らは一生懸命に、人騒がせな故意だとか、幻覚だとか思い込もうとしています」
「我々のことを何だと思っているのだ。見込みがないなら、しかたあるまい。哀れな人類の迷いを解くために、手術をするしかない」
「ちょっと待ってください。相模(さがみ)屋が出向いているにしては、どうしてこの辺に偏っているのでしょう。結界を再認識しそうなところにはまったくといっていいほど・・」
「なに?それはほんとうか。おい、相模屋、そちもワルよのう」
「へっへっへ、お代官様。やっかいなお手わずらわせをこれ以上と思いまして・・」
「そうか。うーん。ま、そちの真心から出たことゆえ、よかろうということにしようかの」
などと聞こえてくるような気がしたのも、私がサルタヒコ系の者であるからだろうか。そのようなわけだから、サルタヒコ様は、人類のこともしっかり考えておられ、慣れないことではたいへんだろうと、天神様との仲介役に当たりたいとのご意向じゃ。ひとつ忠告は、相手がいかに天神様といえども、油断めさるなということ。軽はずみな行動は慎み、両方の界に明るいサルタヒコとその系統にお任せあれというわけじゃああ。
サルタヒコ出陣はもう間近
サルタヒコ様は全国の天狗の大総帥であられる。全国の支部に御神影を祭る祭祀天狗を配置したのだが、鎌倉時代くらいまでにことごとく超能力者によって封じられてしまった。最も近しい例では、神戸の摩耶山にあって、分霊様が共の祭祀天狗を連れておいでだが、いかんせん、祭祀天狗が鉢の中に封じられたままになっていて、やや結界が解けかかったものの、鉢ごと空を飛ばねばならん状態じゃ。その様は、摩耶山天狗系UFOとしてすでにお見せしている。が、まるでこれでは道化だ。ひとコマひとコマに身体が分解されて部分として現れているのだからな。被せられた鉢の法力が中途半端であるだけに。
だが、それも一斉に解けるときが来る。
そのとき、隠れた秘所におわしたサルタヒコ様が最大の霊力を伴って復権なさり、この地上に真の理想国家を築かんと、再来なさるのじゃ。そう、かつてこの地に居られ、地上の楽園、黄金時代を謳歌した頃があった。そこをカリユガの闇が包み、やや明るくなったと思えば、みなして結界の中に封じられていたと言うわけじゃ。
誰がそのようなことをしたか。それは言わずと知れたこと。
これも時来たらばこその、神一厘の大芝居になると言うわけじゃああ。
変なものに入り込まれたようになってしまったあああ。
ぎゃあーーー・・・・・・

備前長船、岡山県吉井川沿いにあった超古代宇宙港の話

カリユガの闇がこの世界をまだ覆う前、地球上に神人共存の時代のあったことの記憶は、もはや魂の内奥に住むおぼろげなノスタルジーとでも言うべきものになってしまった。
おや? このあたりは、かつて見たことのある風景だ。視界をさえぎる電信柱と電線の群れ、新幹線の高架橋、そして建物群を取り払ってみよう。イメージは、超古代の同じ空、もう少しクリアーな青色で、吹く風も心地よい。
車を走らせる国道二号線の右手に、みごとにスパッと斜面が切り取られたような小山が見える。そのやや手前にある秀麗なピラミッドに続いてこれが現れれば、この斜面が何を目的にしていたかが、おのずと思い出されてくる。
すぐ裏のピラミッドをエネルギーチャージャーにして、航空機をガイドする電波鏡として機能していた山である。
その向かいの交差点についた地名は「香登(かがと)」。すなわち、輝く門戸の意味で、この設備のことだ。
左手には、備前長船の名刀を生んだ地、長船の集落がある。
この地は、航空機の格納庫のあった場所で、地名は「収める船」から転化したようだ。
その先は、吉井川沿いにやや開けた平地があり、離発着する航空機が、先入れ先出しの一定のルールに沿って出入りを繰り返している。といっても宇宙にまで飛び立つための宇宙船であるから、ジェットのように助走をつける滑走路が要るわけではなく、さほど広大な敷地でなくともよいのであるが、それでも数を捌くためにこれぐらいは必要となっていたようだ。
第一の着陸路に入射して着陸すれば、格納されるものを除けば、ただちに第二の離陸路に移動する。その展開場所は、いま「車」という名で残っている。
入射に際して、航空機が識別する最初の判断材料は、鏡からの信号と高みから見慣れた地形だ。次第にクローズアップされてくる、侵入路を示す雁の形の鳥山と、鯨山が眼下に。その間をキープすれば自然に、雁が葦原に降り立つ如く着陸できるのだ。
離陸までに時間のある日には、よく私は腰弁をして副官と連れ立って、ピラミッドやその向かいにある前方後円墳のような管制設備の小山の公園に行って、愛や夢を語らったものだった。
離陸は、たえずエネルギーをチャージして構えている、今は「甲山」と名付けられる秀麗な山の初動のパワーをもらい、まずはふんわりと行われる。やがてやや離れた「富田松山」(飛んだのを待つという意味の転か)のパワーとの合力でさらに高みに飛び、「熊山」の上空に移動すれば、更なる上昇気流の如き大パワーを受けて一直線に宇宙へと飛翔していくのだ。
今となれば、カリユガの闇に閉ざされる前の、神人共存の栄光に満ちた時代の遠い昔話。
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地球の時空ジャンプ

地球を死から蘇らせる超科学技術
 古事記「天の岩戸開き」の節は、災疫に満ちた環境から脱出させ、生命力ある地球を再生する超科学的手段とその実際を示している。そればかりか、これは宇宙人の乗物であるUFOの飛行原理をもあらわしているようである。インドの古文献マハーパーラタにはイオン推進であるらしい宇宙機の説明がなされているが、古事記のそれは、ある種の力場の回転により現時空を超越してしまうというものだ。その用途が決して遠距離の短時間航行にあるのでなく、現状の環境からの離脱もしくは理念の改善のためにあったことがみてとれる。言い換えるなら、地球そのものの存在状態の変革機構なのである。しかもこの機構の説明に要した長い叙述が一文にまとめられていることに、他文にない特異性があり、明らかに特別重要な知識群であることを物語っている。
 この節に登場する主役は、もはや地球人類ではなく、地球外知性となる。だが、この史実をもたらした者とは、地球人類の祖先である以上、接点の再生の時期のタイミングに偶然もしくは選ばれて行きあわせた者であり、それも、本来なら秘密裏であるべき復元作業の現場に立会っていたものであろう。さらに、驚異的な科学力の半神半人的宇宙人の横で逐一教唆を受けていたとさえ考えられるような製造行程の描写である。このような情景は現在(1980年当時)でもコンタクトマンが公表している宇宙人との会見談によく見うけられる。













天の岩戸(中半)

 ここをもちて八百萬の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日の神の子思金の神に思はしめて、常夜の長鳴き鳥を集へて鳴かしめて、天の安の河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、イシコリドメの命に科せて、鏡を作らしめ、玉の祖の命に科せて八尺の勾玉の五百津の御統の玉を作らしめて、天の児屋の命フトダマの命を召びて、天の香山のマヲシカの肩を内抜きに抜きて、天の香山の天のハハカを取りて、占へまかなはしめて、天の香山の五百津の真賢木を根掘じにこじて、上枝に八尺の勾玉の五百津の御統の玉を取りつけ、中つ枝に八尺の鏡を取りかけ、下枝に白和幣青和幣を取りしでて、この種々の物は、フトダマの命フトミテグラと取り持ちて、天の児屋の命フトノリト言ほぎ白して、天の手力男の神、戸のわきに隠り立ちて、天のウズメの命、天の香山の天の日影をたすきにかけて、天のマサキを蔓として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸にうけ伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳をかき出で、裳の緒を陰に押し垂りき。

 ここに高天の原動みて八百萬の神共に笑ひき。
【訳】: 神々は宇宙船(UFO)の航法と同じ原理を駆使して時空プログラムを組み替える技術を使い、地球の存在する時空を転移する方法を採った。

 では、UFOの製造法、超時空航行に至る経過とは如何なるものであったか。

 神々は、宇宙空間に集まって、コンピューター(思金)の監視のもとに、超音波のつくる特殊な状態のなかで、元素周期律表の端(安の河の河上)にある堅い鉱石(堅石)と、多量に産する金属(金山の鉄)を合金にし鍛造(イシコリドメ)して、輝く結晶体(鏡)をつくり、いっぽう宇宙機母船の設計図(玉の祖)をもとに、多分岐した勾玉状のものを統一して威力の出るエンジン(五百津の御統の玉)をつくり、ボディーと電気系統の組みつけに関しては、多量の輝く材料を丸くプレスしたもの(マヲシカの型の内抜き)に、やはり輝く材料でできたケーブル(ハハカ)などで裏側(占へ)を電装整備し(賄ひ)、威力の源泉となる中心柱(マサカキ)の上部(初枝)に先程のエンジンを、中程に結晶体を、下部(下枝)に白や青のにぎやかなものを取り付けた。

 この装置は、コントロールルーム(太・満・倉)にある操縦制御系統と連動していて、運航の合い言葉(太祝詞)となる手続きを踏ませると、強力な力場(手力男)が時空の壁(岩戸)に発生し、回転系(渦・目)の動きは力場(日影)を兆型(襷)にして、時空の分断域(目・裂・鬘)を周りに形成して、笹の葉を結んで輪にしたような輝きを発生させ、虚ろな箱(うけふせ)のような時空転移のトンネルの上で共振する(踏みとどろこし)ようになると、やがて船体は元の時空の縛り(面の紐)を超えて新時空にジャンプして行くのである。

 この宇宙船と同じ仕組みが地球に適用された結果、時空の相転移に伴う多数の法則(八百万神)の洗い替えが終わり、宇宙船地球号は新たな時空プログラムの軌道に乗せられたのである。



UFOの構造、稼動原理
 さて、この節の解釈はど原文対訳が忠実にできた個所は無い。神名の意味は対訳と照合すれば意味が把めるはずである。だが、重要な留意事項を次に掲げておこう。
 オモヒガネ(思金)は考える金物のことで、宇宙文明の底流をなす利器、コンピューター(ハードウェアーのことである。この神がタカミムスビの神の子であることは、コンピューターの設計思想が宇宙運行の原理を模倣したものであることを示している。これは拙宇宙モデルが古代的観点から妥当であることの証拠である。
 アメノヤスノカハの「ヤス」はたくさんの物質のことで、全体で物質資源のことであり、この河上とは元素周期律表の(最も重い元素の側の)上位であることや、物質生成の場の付近の意味にもとれる。「カタシハ」は、堅い石片のことであり、アメノカナヤマの意味するどこにでも見かける山ほどにある金属の中の特に「マガネ」とともに鍛人アマツマラ(交転)の意味する融合炉にかけ、イシコリドメ(石凝り留め)の鋳型に入れて、カガミ(輝身)の示す輝く結晶体を造るというのである。
「香山」(カグヤマ 輝く山)は、輝くたくさんの材料、「マヲシカの肩」は、丸く力ある船体(鹿は古来より神の乗物であるとされる)の型、アメノハハカは細長いケーブル(ハハは蛇の意「「ウラナヒマカナヒ」は「占ひ」ではなく「裏綯ひ賄ひ」で、内装整備するの意となる。
「玉の祖の命におはせて……アオニギテを取り垂でて」の部分は、まさに空飛ぶ円盤の内部構造からエンジン始動の様子までを示すかのようである。(図2・3参照)
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ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマは、たくさんに分極した曲玉が円筒ないし球内に収まった多極巴えの外観をしたもので、これがパワーを発生させる中心動力(エンジン)になっているという意味である。(図2・4参照)I004.jpg

 ここまでで装置の部材からハードウェアまでを具体的にしているわけであるが、その次は運行に併うソフトウェア的な説明となる。「フトダマ」、「フトノリト」、「フトミテグラ」の「フト」とは、電子機械や電気そのものと解せ、それぞれ、機械船、メカ的司令手順、メカの充満した部屋(電子制御室)を示すと考えられる。既に出てきた「フトマニ」は予測(占ひ)のためのメカ的表示画面であり、すでに別のところで出てきた「タケフツ」とは、武力メカすなわち戦車や球電兵器を示すという具合に解釈される。
 また、「アメノタヂカラヲの神…天の岩戸にうけふせて」の部分は、まさに空飛ぷ円盤の稼動状態を示すのであるが、何やら、アダムスキーが金星人から示されたという「アダムスキー文字」の説明をするかのように思えた。(図2・5参照)
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まず、エンジンが操作手順に従って、ある程度稼動した頃、「アメノヒカゲ(日陰)をたすきにかけ」に言うように、文字中の兆型(X字型)で示される力場(の空域)をつくり、「アメノマ(目もしくは間)サキ(割き)をカヅラ(鬘)とし」すなわち、「目のような形に防御された領域を作り」、新しい存在状態を機体の周りに発生するというわけである。つまり、アダムスキー文字のシンボルは、機体やエンジンの形状を語るのではなく、UFOが稼動して二次的に発生した力場の有様なのである。「鬘」というのは頭を保護するかぶりもののことで、この話が民衆に記憶付けされるために、マサキノカヅラという樹名がつくられているが、実際はとてつもない代物の連想記憶用言葉なのである。また、葛城の山というのは奈良盆地の西のとりまきの生駒山系をいうのであるが、これはまさに西からの悪疫を阻止する防壁の山並と考えられたものであった。
 さらに「アメノウズメ(渦目)」はこのような力場稼動の有様を総括するものであるが、大変なのはこれが「うけふせて」にいわく、うつろな箱のような天の岩屋戸の上に載っかる格好で、きらびやかに振動しているというのである。(「うけふせて」はうつろな箱の上に置くという意味)これは図2・5中の眼型の下にある箱の図柄に示されているではないか。また、黒い部分(まだら)は何となく半開きの岩戸そのものを示すようである。つまり、天の岩屋戸の外観さえ描いているわけだ。そこは禁忌である意味の白黒のまだらにもなっている。
このように、アダムスキー文字と天の岩戸物語は、対になって、ようやく意味するところが把めてくるのである。
 現代の様々な目撃報告の研究からUFOは異次元航法をとるという情報がもたらされているが、これは以上の言葉の解釈を妥当なものにすると思われる。「天の岩屋戸」は宇宙機が航行していく次元のトンネルとみてよい。次元のトンネルはトーマス・ペアデンに言わせれば、虚状態で実現するといい、古代人が空虚な箱にみたてたのも的を得ていると思われる。そして、「ふみとどろこし」に示されるように、力場が共鳴を起し、「神がかりして」に示されるように、機体が励起状態にあって始めて、時空の縛り(面のひも)を解くことができるというのである。
 また、この箱の図柄やいくつかの紋様に過不足のあるピンターダ文字(図2・6)は、目型の下に箱のようなもののないことから、多分、非励起状態の宇宙機の説明図ではなかろうか。
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眼型のまわりの種々の草文字は、「八百萬の神」として対訳中では宇宙人と訳したが、次元飛躍現象を生起するために用いられる物理法則と解した方が望ましいかも知れない。とにかく、図2・5、図2・6は宇宙機の動作原理を説明したものと捉えられる。宇宙人がこれらの図を使って地球の原住民にUFOの動作原理を説明する光景が思い浮かぶような気がする。
拙宇宙モデルによれば、このような現象は、プログラムの慣性的な成りゆきを乗り替えていくというやり方の一環で把握できることを申し述べておく。(拙時空論にて)
さらに当時(1970年代のUFOブームの頃)は、これ以外に金星人の残した靴の跡というのもあった。これは地球が宇宙機になる機構がどこにあるかを示すものとして、想像を馳せたものであった。そこにも目型の機構が示されている。
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以上
1983年製拙著作「古事記と超古代史」より抜粋
M総合研究所さんの7月6日の情報は「飛翔体の推進装置」ということで、「超空間航法理論」がガイドされていたのだが、おりしも同時に、YouTubeに掲載されていたすばらしい映像の紹介があった。
これは、真っ暗闇に映えるアメノウズメのショーを髣髴とさせ、まさに神話の世界に観る者をいざなうであろう。
この渦に呑みこまれることによって、「存在」は時空ジャンプするのだ。

かつて地球もこれに呑みこまれて時空ジャンプした。
来るべきときにも・・・。