バモイドオキに見る世の監視者の正体

酒鬼薔薇少年が綴ったこのアナグラムはバイオモドキ。すなわち生命モドキ、生命体のように見えてそうではない存在ということになる。
彼がどこかの類書から引いた可能性はあるが、その残忍な手口は異界からのものでしかなく、このアナグラムもバモイドオキの象徴画も、異界にある真犯人の自己誇示ゼスチャーとみられるわけである。
かつてある霊能者から重大なメッセージを得ていた。
彼は夢見の中で、この世界の裏側を覗いてきたという。
そこは機械的な暗いばかりのテクノポリスで、そこに我々の世界を監視する者たちがいた。
彼らはみな一様に疲れきった表情をしており、何よりも彼らには「魂」がないのだという。
このため、永続性ある「魂」を持つ者に対して非常な妬みと恨みを抱くようになり、彼らの科学力で裏側からコントロールするようになったという。
彼らは「魂」ある者を一定のルールの元に置き、様々な惨劇を演じさせて実験しているという。
まさに映画マトリックスを髣髴とさせる。
映画にはマトリックス設計者なる者が出てきた。物語の作者は「神」を意図したに違いなく、最後には救世主との和解という経過に落ち着かせたが、果たしてこの「神」が何物かによっては、和解という方法が最善とは限らない。
バモイドオキの絵は仏の頭部から枝分かれする触手の伸びる姿として描かれた。触手の先には、ハートや血の滴りがある。これは人の魂や心や努力、犠牲、労働など人々が精魂傾けてきた幾多の行為を指すだろう。
バモイドオキはこれらを掌握捕捉しながら、昼と夜の空間(つまり世界)を支配しているという構図を、世の中に知らしめる目的で酒鬼薔薇少年を使役したのではないかと思われる。
バモイドオキは神というには誤弊がある。ただし、この世を支配している。
そして過去の歴史から未来まで、すべて掌握している。彼のプログラムに従って、我々は動かされているに過ぎない。みな抗えないがため、彼のことを神と呼んで敵意のないことを示すにしくはなしを決め込んでいる。
だが、真相を知ろうとする者に対しては、その者にしか分からない方法で挑発を仕掛けてくる。
私は、大江山の酒呑童子が、遠敷でお水送りお水取りのさらに古儀である古代祭祀の重要な役割を担っていた家の末裔であり、仏教全盛となった時代にあっては蟄居していたに違いないと仮説していたが、なんと真南北であるお水送り-お水取りのラインの距離が86Kmであるときに、首を討たれ惨殺された酒呑童子の大江山-タンク山が真南北で86Kmなものだから、おったまげた記憶がある。
バモイドオキは、私以外の誰も分からぬ方法で、監視していることを示そうとしたと思えた。あまり深入りするなといった警告だったのだろう。しかし、私は自然に究明してしまう性向があり、これが生きている目的であると思っているから、そうはいかない。
バモイドオキは、そのような存在をある一面喜んでいるような節もある。その存在を理解できる者がいるということは、淋しがり屋の彼にとっては重宝なのであろう。だから、それ以外の秘密も次々と打ち明けてくれたりする。私はこんなやつの宣伝塔になどなりたくもないが、性向がどうしようもなくそそのかす。
霊能者はこうも言った。
彼らは四角錐のピラミッド型に眼がついた姿をした監視員を亜空間に置いて、人々の世界を常時監視しているという。
その監視の目は、やはり魂のない者の淋しさゆえに見張る性質を持つため、ある経験的アイデアとして、監視の目を捕まえてきて二つ向かい合わせにしてしまえば、お互いの目を見詰め合ったまま動かなくなるという。
弱点もそれなりにある機械人間というのが彼らの本姿なのだろうか。
どこか他の星で高度に発達した文明が、知性を持った機械によって占領されてしまい、生み出されるロボットがこの地球にも触手を伸ばしてきたのかも知れない。まさにSFだが、物質文明が高度化すれば、生命全般を脅かすことにもなりかねないのは、我々の文明とて変わりはない。

オーパーツ的日ユ同祖論

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上の図は古代祭祀霊場を点と線で結んで得られたもので、私が1980年代に発見したものである。一緯度長を基本にしたほぼ精巧な五角形(ペンタゴン)。畿内の広域にわたって描かれた五角形の真ん中にくるように古代都市は設営されていたことが判明した。
それ以外に見つかった幾つかの図形から、畿内に長きに渡って根拠した古代民族の出自がおぼろげながら浮上してきた。それは、紀元前1020年~722年に存在したイスラエル王国と~586年のユダ王国のそれではなかったかというものだ。
明治時代以降、失われた十支族の消息が日本にまで確かめられようとした動きがあった。これはそれをオーパーツ的な側面から証拠立てるものである。
詳細記事はこちら
この記事は1995年に「古代日本にカバラが来ていた」なる著書として市販された。amazon.comでは、中古本として未だに流通しているので、もしよければ買ってみられたらよい。
そこでは
○ 失われた十支族を追って
○ 渡来したカバラ神秘思想
○ 古代政道に影響した思想
○ 卑弥呼の鬼道とはカバラ
○ 旧約聖書に匹敵の古事記
以上ようなことを記している。
さて、それからすれば、鬼とは遠敷にあった大域的カバラ祭祀の神官であり、主として畿内護持の祭祀を執り行うことを職務としていた家柄であった。遠敷から遠く中央都市に向けて回春のエネルギーを送出していた儀式の佛教化した名残を、現在のお水送りお水取りに見る思いがする。
鬼道祭祀は常盤木の上枝、中枝、下枝にそれぞれ三種の神器の一々を取り掛ける行程をとる皇室の祭祀であった。枝数が十に及ぶ時は十種の神宝をそれぞれに取り掛けたことが推測されるが、その場合はむしろ原型に近く、この十とは、カバラの生命の木(セフィロト)の十の局(セフィラ)にちなんでいると推測される。
古代日本史は、物部の神道から蘇我の仏教へと変遷した程度の浅薄なものではなく、よりルーツを辿ればより原型からの派生的変化が認められるはずである。
それは古代思想の塗り替えの歴史であり、それは革命とも言えるものであった。最も新しい部類の革命が、蘇我の台頭と大化の改新であり、文字に記されなかった歴史はより深く沈潜していよう。
その中で、皇室は一系性を保ちつつ、それぞれの栄枯盛衰を眺める立場にあったと推察される。

マトリックスと預言

この世を陰で動かしているのが、映画マトリックスにいうよう、一種のプログラムであり、マトリックスプログラムは高次元ホログラムに書かれていると、ずっと以前からモデル化していたのが、拙時空論である。
宇宙の始まりから終わりまでの歴史が網羅されており、しかもその中は階層構造的に微細を記述したプログラムがサブルーチンとして無数に存在している。それは宇宙生成の前に予め創られ、その数はそれ以前以後において計り知れない、と。
発想のヒントになったのが、古事記や創世記といった神話であった。たとえば、両神話には世界創生の当初に、あたかもホログラムを思わせる記述がある。また、世界の神話は、けっこう共通して、世界は神の言語表現により発生したとしている。それらを置きなおせば、予め記述されたプログラムがあって、それが自然に展開していることとなる。
預言者がよくする予言。これとても、先の未来を透視したというより、プログラムを先読みしたと言い換えられる。
ノストラダムスのようにプログラムの微細を穿って理解し意味深長な詩に書いた者もいるが、大雑把にはシャーマンの資質を備えた者は、ある種のおぼろげなビジョンとして把握できるものと思われる。(資質にも程度があり、能力はかばかしくない私などは胸騒ぎのような形でしか把握できないかも知れないが)
そうしたビジョンは大昔から神話として伝えられていたのだ。
言語に書き記されるようになってから、現代にその内容が知られるようになったが、原型は言語化される以前のさらに古いときから存在したのであろう。
古事記にいわく
国若く浮かべる脂のごとくして水母なす漂へるときに
ホログラムの管理のされ方と捉えても良い
創世記にいわく
はじめに神天地を創りたまへり 
地は形なく空しくして闇淵の面にあり神の霊水の面を覆ひたりき
カバラにいわく
創造主による言語表現により、宇宙は形成された
神が言われた聖なる言語の物質化によって、すべての創造行為は成し遂げられた
現在のホログラムは、参照光とデーター光によって記録が行われ、データーの取り出しは参照光により行う仕組みだが、この高次元的な仕組みとして、宇宙の歴史生成がなされているというわけである。
むろんそのような仕組みは推測されるのみで、我々の観測受容器にはかからないから、直接証明する手立てはない。
そしてそれが作動したときの有様について
古事記は
葦黴のごとく燃え上がるものによりてなりませる・・ウマシアシカビヒコヂ(生成の)
その後、天の常立(宇宙空間)などの諸相が登場したとする
創世記は
神光あれと言ひたまひければ光ありき
カバラは
覆い隠された最高の神秘的な力は限界のない裂目のなかにあった。それはあたかも空虚な裂目が存在しているようであり、天上の神秘的な点から前方を輝かしていた雷撃の力によって照らしだされるまで総ては不可知のままに止まっていた。その天上なる点を超えればそこはもはや不可知の領域である。そこでその一点は原始点と呼ばれ、この一点より総ては始まり創造された。(光輝の書)
原始点とはレーザー参照光のまさに照射点のことである。創造は高次元超高性能コンピューターのプログラム参照と演算において行われているのだ。その中で、マルチタスクマルチプログラミング処理が執り行われている。
カバラにいたっては、装置の作動の現場に立ち会ったかのような言い回しになっているのがまたすごい。その辺は、シャーマンの能力というべきかも知れない。
「神話は神々にまつわる話」として誰しも理解しているが、その中に宇宙生成にまつわるビジョンを収めていたりするくらいだから、その中に人類の未来のシナリオが織り込まれていたとしてもおかしくはない。神話がなぜ語り継がれたか。それは信仰のためのみとするのはあまりに短絡的である。シャーマンによって後世に残し置くことがたいせつと考えられたからに他ならない。その意義は、もっぱら預言にあったと考えられる。
たとえば、ノストラダムスや聖書の預言者たちのように、ストレートには伝えてはならないものを(プログラム照見許可者(神や天使)の意向もしくは命令を受けて)婉曲的に表現する必要性に迫られて、神々の名前に置き換える手法を用いたと考えるのである。あるいはビジョンがそのようであったから、そのとおりに伝えたのかも知れない。祖形プログラムを瞥見したときのビジョンは、彼の観測受容器の認識能力に耐えられるような形に(つまり予備知識や信条に応じて)アレンジされるからだ。(UFOなど不可知なものを見たときの観測者のアレンジの仕方は過去に述べた)
そして実際、古事記の神話部分の多くは、預言で占められているのである。
しかし、祖形プログラムは、昨日明日といった微細を穿ったものではなく、歴史のパターンとして窺い知れる形で存在しているようである。ちょうど情報ピラミッドの頂点にある祖形プログラムが、無数の階層構造のプログラムを率いている如くとなっている。微細は、以下のルーチンに任せればいい。と同時に、この祖形は干渉縞のパターンを以下のプログラムに投げかけて、あらゆる事象にその影響を及ぼしている。つまり、上位の設計思想に下位も従うというわけだ。
古事記の神話を解釈した概略表
この表を見てもらえば分かるように、簡潔に言えば、この宇宙では適用される思想が、「生・成・衰・滅」のパターンをしているということである。万物を見れば当たり前のことであるが、また古来より求道者の落ち着き先はこの諦観でもあるが、これはこの宇宙に適用された法則だったというわけだ。
だからこのパターンは、ありとあらゆる局面に適用される。不老不死はありえないし、ドリアン・グレイもいないのである。
だが、果たしてそうなのか?
古代のエデンの楽園を伝えているのは何なのか。
実は、現時点、我々が観測しているこの時代において祖形プログラムがこのようになっていることを確認しているだけなのである。
プログラムはいろんなところで分岐をしていて、それは累々と積み重ねられてきたことである。つまり、パラレルワールドへの分岐点をすでに我々はいくつも経験済みなのだ。今この時点において、あらゆる情報がこのワールドの特質をはじき出し、今の時点がどこにあるかの道標となっているのである。
選択可能だった別のパラレルワールドにあれば祖形も異なり、「生・成・繁・栄」を感得していたかも知れない。だが、それは極論。この世に生まれて後はこのパターンに宿命づけられたと考えてもいいだろう。
パラレルワールドは生まれてこの方、無限に分岐している。そこでシャーマンは、上位の祖形近傍なら、パターンとしておぼろげにはなっているものの、かなり正確に兆候として見出すことができる。ただし、正確な時間は分からない、といったこととなる。
シャーマンが微細を調べようとすると、往々にして間違う。というのも、パラレルワールドへの分岐が推し量れていないからである。これは物理学の不確定性とも関係する。Aという方向に分岐していく可能性は、確率的にしか捉えられないからだ。しかもそれは無限通りときている。
だから、いくらマクロ現象といえども、近日中に起きることは比較的わかっても、少し先の未来はもう不明瞭となったりする。だから、優秀なシャーマンはある程度の段階で読み解く作業を妥協させねばならない。まじめで優秀なシャーマンは、正確な時間を言い切ることはないし(言い切れない)、あえてぼかした表現をする(それしかしようがないから)。もっと優秀なシャーマンは、何も言わないか、最も信頼性ある祖形プログラムのパターンについて語るかであろう。少なくとも、現時点でこの祖形が適用されていることを示すことは、老世代が子々孫々に喩えを示して語り継ぐ教訓のひとつでもあったことである。古代人はそれを繰り返し子孫のためにやっていたのだ。
たとえば、古事記の神話(上つ巻)の「国譲り」の段には、次のような光景が叙述されている。それをビジョン化すれば図のようになる。
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これは核兵器のキノコ雲の様ではないのか。
タケミカヅチノヲの示す「強力な雷」のイメージとも重なる。
古事記はフルコトノフミであり、「古い事の記録」という意味に捉えれば、より古い歴史上に、つまり超古代核戦争があったとして、超古代研究家の興味を引くものとなろう。
しかし、これを「振る事の記録」と捉えれば、未来における歴史パターンに必ず登場してくるであろう象徴的事象と捉えられていたことになろう。「フル」とは、古の意と共に振る(繰り返す)ことが掛けられていることがあるのだ。それはそうだろう。万象万物にかかるのがこのパターンであり、波動的干渉縞をあらゆるプログラムにパターンを焼き付けるからだ。とすれば、過去にも未来にも、マクロにもミクロにも、こうしたことはありえるはずである。
ラーマヤーナに語られるような超古代核戦争はあったのだろう。その記憶を古事記は留めているのである。
また、60年前には第二次大戦の終わりに原爆が使われた。日本神話だから最も日本について描かれていて当然とすれば、このときの光景としてもいいだろう。そうなれば、国譲りした敗者側のオオクニヌシとは日本のことになる。天つ神はこの際アメリカをはじめとする連合国側だ。アメリカなどは、マサカアカツカチハヤヒの名に恥じない常勝国である。
おやまて。国を譲ったら、植民地になっていてもおかしくないが、そうではないではないか。
実はそれにも神話には落ちがつけられていて、配下の国つ百八十神を帰順納得させるために、天つ神と同等に扱うよう取り決めがされることまで語られているのだ。追随外交の軟弱姿勢をなじってはいけないのかも知れない。
また、挿絵の光景を今後の未来の預言と捉えるなら、第三次大戦か対宇宙戦争ぐらいが考えられようか。つまり、聖書に言うハルマゲドン戦争のようなことを経て、天神(神か宇宙人か)が(間接的に)支配するような幕となるのかもしれない。そのときの天神の口実は、地上(豊芦原の瑞穂の国)はひどく騒がしくまともに治め切れていない(いたくさやぎてありなり)という理由であり、実際今現在の世界の有様をみれば、誰しもこの口実には納得することだろう。地上を蹂躙支配した迷妄の霧はしだいに晴れ渡り、宇宙文明が徐々に導入されてくることになろう。そうすれば、「天孫降臨」に言うよう、科学の進歩もおびただしいものになるに違いない。
その後、誰しも幸せであり続けてくれるなら何も言うことないのだが。

一夫多妻事件から考察

一夫多妻事件。(羨ましい ポッ)
かつての千石イエス事件を彷彿とさせたが、結婚離婚を繰り返すという
付加があった。
そこから考察しておきたいことが生じた。
次はその仮説である。
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世界がある側面においてマトリックス(デジタル)的存在であるならば、
もうひとつの側面においてエネルギー(アナログ)的存在でもある。
光子などの素粒子が粒子性と波動性を有するように。
この二面性がこの世界の魅力なのであり、マトリックスであるのみならば
その規定された手続き(宿命)に辟易させられてしまうも、
エネルギー性により生命力のダイナミズムがそこにいる者によって
魅力的に感得されるのである。
マトリックスが宿命として辿るべき「道」であるとするなら、
このエネルギーは「タオ」と呼ぶべきであろう。
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著名な気功術師が、遠隔にいる猛獣を気の力でまたたくまに眠らせてしまうのは、
この世の底流を成すタオからくる根源的エネルギーを術師の意図で加工して
猛獣に送り込むためであり、その意図には、安らぎ、癒し、愛といった
生き物全般にとって有用な成分が含まれているからである。
観葉植物に丈夫に育ちなさいと愛情を注いでいる場合は、何もないより
生育が良くなるのも、生き物がこの意図されたエネルギーに浴するからである。
人間関係においても、これは成り立つ。
デジタル的に推移するのみの関係では、相手に催させる情緒には
ただ義務的な手続き的な流れしか生じない。
だが、エネルギー的に推移する関係では、相手に愉快さを催させたり
あるいは逆に不愉快にさせたりする。
意図の中に、癒しや愛の成分があるなら、相手は安らぎや快感を覚えるし、
逆に敵意や殺意などがあるなら、言動に出さずとも、相手にはそれとなく
危機感を与えることになろう。(古来、殺気と呼ばれるものはこういう次第)
そこで、今回の一夫多妻という破廉恥事件を考察してみるに、
この男には多分に相手を安心させ癒す「気」を発散させる能力を持っていた
と仮定できる。
安らぎなどは、ストレスを抱える現代人が求めてやまないものである。
このデジタル的に推移する世界。周囲の環境を評して東京砂漠などと
形容した歌もあった。
この男の元に集まった女性たちは、あたかも樹瘤から染み出す樹液のオアシスに
群がり集う昆虫の如くであったと解釈できる。少なくとも当初は。
それが次第に男の脅迫が加わったことは、男に当初の意図が欠落しだし、
その不思議な効果が得られなくなって及んだ焦りと解され、
そこに逆に敵意を感じ取った女性によって告発が始まり、やがて
破廉恥事件として摘発されるに至ったのではあるまいか。
催眠術を駆使していた可能性であるが、そもそも催眠術それ自体、
まず相手に気によって安らぎを与え、相手の信頼を勝ち取って後に
意識の内部に踏み込んでいくわけであり、最初にエネルギーの発動と
受け渡しが伴っていなくては成り立たないものである。
よく懸かる人と懸からない人の別は、ひとえに信頼が醸成できたか否かによる。
信頼が安心を呼び、全身を委ねても良いという状態に至るとき、
被験者は術師の誘導で整流された内部状態へと導かれる。
大脳はこの整流された状態において、原初の脳力をフルに発揮するきっかけ
を得ると考えられる。
そこに術師の言葉が与えられれば、その言葉をキーにして既成概念の中から
イメージを創り上げ、その中を擬似体験するほどとなる。
それは、マトリックス的に言えば、索引してきたプログラムをローディングし、
そのプログラムの醸す経験世界を被験者は体験するという具合である。
こうして強烈なワサビを甘いバナナとして感受したり、手渡された蛇を
猫として愛撫したりするのである。
周囲から見れば、錯覚していると評価するだろうが、当の本人は確かな
経験時空を営んでいるのだ。
被験者の脳が整流された状態、すなわち観測装置としてしっかり機能する
状態ならば、過去世のプログラムを検索してきたり、地球の裏側の事情を
プログラムとして透視したり、あるいは瞬間的に世界を組み立てる(テレポート)
ことも可能であると解される。
残念ながら、現代人の脳はそこまで活性化されていない。
覚醒時でも数パーセントしか働いていないというのは、整流されていない
からである。
今回の事件は、そこまでのことはなくとも、男の醸す癒しの波動に引かれ
自然に人々が集まったと考えるのであるが、いかがなものだろう。
確かにモテる感じの男ではない。蓼食う虫があまりに多すぎる感もある。
しかし、男気に惚れて男が集まれば、企業や組織が生まれる。
そういう現象は津々浦々どこにでも起きていることである。
そこは、法律に触れているか否かが犯罪としてあげつろわれている
所以であろうと解釈される。
事件の深層に関する更なる歪曲されぬ報道を待ちたい。

魂の謎

よくいろんな宗教思想で言われるのに、人は永遠不滅、生き通しの魂を持っているというのがある。
その引き合いに出されるのが、あなたは過去世にどこに生まれこんなことをしていたあんなことをしていたという透視能力者や占い師の言だ。
だが、プログラム仮説からすれば、的外れな限りの話となる。
様々な人が過去に生きた記録は、どんなものもプログラムとして残されている。
そこから、まこと本人のものであろうがなかろうが適宜みつくろってくれば話が済んでしまうのだ。
記録は歴史事実を留めているから、現実にその人物が実在したことが証明されたからといって、霊能者の力の第一歩を確認したに過ぎない。
むろん識別力ある能力者なら、その人のパターンをキーにして索引して、その人本人の辿ったものを引っ張ってくることがあるかもしれない。
しかし、それはそれでまた不十分なのである。
拙プログラム時空仮説からすれば、魂は単一ではなく、重合していることがほとんどであると解釈できる。
様々な過去を持った魂が、ひとつの世界線の経験を共有しようと、予め重合してやってきたり、後天的に重合もしくは付属しようとして集まっているのである。
検証の仕方・・・退行催眠により、その人の複数の過去世経験を導き出し、その中に年代的に重複するケースを検出すればよい
人は多重人格なのがおおかたであり、一本気に見えても主体的人格がいくらかリードしているにすぎない。
プログラム的に見れば、主役を演ずるメインプログラムが脇役的なプログラムに制御を渡したり奪ったりして、複数の魂の相互の調整を図っているというわけである。
相互にトレンドへの賛意の元に協力し合っている場合は、上昇運が形成され易いといえる。
しかし、非協力的もしくは別のトレンド志向の構成員がいれば、内部矛盾をかかえて、足の引き合いとなったりして運気は下がる。
自分の中に敵がいると思った人も多かろう。どうしてこれほど判断ミスが多いのかと。
それを憑依霊のせいにするも、あるいは成員のせいとするも、プログラム的には等価である。
そのような相場の展開のような流れの中で、人の世界線は形作られる。
幸運な人生、不運な人生、内部葛藤の末、当初の目的や理想とは乖離した、でたらめな方向に行ってしまうことのほうが多い。
しかし、そう見えるだけで、本質的には大きなプログラムに則った定められた動きをしているにすぎないことも事実とするのが、拙時空論だ。
孫悟空が釈迦の掌から逃れられなかったように、そこから寸分たりとも逸脱できないというのが、拙プログラム時空仮説だ。
プログラムには自己改革して違った展開を生む働きの自己変革型プログラムもありえようが、それはマトリックスで言うなれば、救世主ということになろう。
映画では、マトリックス設計者は、その存在も容認していたようだ。
その存在によって設計者も方針転換するという終わり方だった。
そして設計者をして最後にこうも言わしめた。
マトリックスに閉じ込められている者を解放することにしよう、と。
このストーリーの作者は卓越している。
だが、マトリックスの中にあることを喜ぶ者が多数いることも、また事実である。
その辺をどう調整するのだろうか。