https://oka-jp.seesaa.net/article/404921257.html
このIn Deepさんの記事の終わりのほうに、怪しいアメリカの地震予測サイトの100%発生予測が載せられていました。
見れば、100%表記はロサンゼルスらしいです。
私がなぜこの記事が気になったか。
それは昔見た夢にあります。
私は夢で、異界の催事に向かうときに、どこかの野球場から空に向かって上昇するのですが、
その球場の一塁側スタンドの観客席に、おびただしい数の太めの白い十字架が、整然と列をなして並んでいたのです。
私が天に上がった後で、同様に上がっていくもののようでした。
しかし、私は上昇途中で用事を思い出し、まだ行く時ではないからと、目を覚ましたのでした。
その私の夢の話を聞いた人が突然言うには、ある精神修養道場で同席した米人のベティさんという人が、
ロサンゼルスのスタジアムの横を通過した時、球場からたくさんの十字架が空に上がっていくのを見た(幻視)と話していたそうなのです。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/souko1/newmyth_b.html#121
まあ、たいていありえないでしょうが、
M7などといった大地震なら、ロサンゼルスは壊滅でしょう。
美国の黄昏を象徴するようなことになるかも知れません。
黄昏 = たそかれ
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ — 『万葉集』
訳としては
誰だあなたはと私に問わないでください。九月の露に濡れながら、あなた様を待つ身の私なのですから。
もうひとつ、
たそがれて(歳をとって)なお、まだあなた様をお慕いしているのですよ、という意味が掛けて示されているのですね。
これが大和言葉の妙というものでしょう。
追記
ロサンゼルス地震は、目下のところ大丈夫ですよ。
なぜなら、私がまだ生きてるから。
私の夢は正夢になることが多いとすれば、上の夢の順序からすれば、
私が先に逝くか、先導するって感じでしょう。
私が生きている限り、大丈夫ということです。
もしそれでも起きたなら、私がもうこの世にいないときかもね。
私の心臓は時刻指定のない時限爆弾ですから。
十字架の人たちはきっと、主よ、もうこれ以上待てませんという篤信者さんたちでしょう。
私もぼちぼち耐えていけなくなっています。
カテゴリー: 日々の推論、仮説
マメ鳥は地球を愛してる
https://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51934013.html
息子には息子の考え方がある。
彼は太陽の寿命の延長をはかろうとしている。
お蔭で、太陽の容態はとてもよくなった。
地球にもいい影響があるのじゃないかな。
マメ鳥は、小さな身体でこんなこともやれるようになったか。
だが、宇宙大に広がる私のようになるのは、まだまだ先。
私は邪悪に染まったこんな地球、脆弱な宇宙ごと焼き尽くそうかと思ったのに。
息子には息子の考え方がある。
押しかけ女房にまた押しかけかと、下界の茶番を笑っていたが、
マメ鳥なら歓迎するんだろうな。
息子には息子の考え方がある。
がんばれ息子。
鳥の親子と蛇が現れたんだって
https://oka-jp.seesaa.net/article/403329081.html
2014年になってから、
強風と砂嵐によって新たに出現したナスカの地上絵 だということです。
これを見ると、マメ鳥と飛行訓練してた頃が懐かしい。
私は朱雀で、やっと助走つけて飛べる段階だったなあ。
マメ鳥もよく頑張って、ついてきてくれたものだった。
あれえ、この丘って、アインシュタイン博士と異界交信
チームが、我々の飛行を眺めていた場所にそっくりだぞ。
そうか。こんなふうに描き残しておいてくれたんだ。
異界が時空を超えてナスカに投影してるよ。ありがとう。
こっちは蛇らしいけど、蛇と言えば身内さんを思い出す。
彼女は青蛇で、やがて白蛇が付け加わって、青龍と玄武を受け持つことになった。
そこに子猫でやってきた白虎のフーが加わって、キトラの四神獣が揃ったんだよ。
その後まもなしに、
飛鳥資料館でのキトラ四神獣壁画の特別展示があり、次々と別天に赴任してしまった。
それがいま、2014年になって再出現のときを迎えてるのかなあ。
2013年の出雲大社式年遷宮の翌朝に、出雲大社の社殿で目を覚ました夢を見た。
そこには大国主命と、身内さんそっくりの平安調スタイルの奥様の奥津嶋姫がいた。
私はさしずめ、客人の天の菩日だったろう。
天の菩日の息子は建比良鳥(またの名、天の雛鳥)という。
ひな鳥とはマメ鳥じゃないのか。
異界交信結果も、「ひな出荷」と出て、マメさん喜んでた。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/n-myth/nmyth12yet2.html#56
出雲大社遷宮の日の明けに見た夢の解釈
さて、このときの夢はとても印象的でした。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-1155.html
夢に出てきたみずらの人物は、決して大きな男ではない、どちらかというと小男で、髭がはねた八の字をしていたのです。しかも、ここまで⇒https://baobabtree.img.jugem.jp/20080926_535372.gif正装に凝ってはいない、簡素な服装でした。が、出雲大社の大国主命の銅像の姿に似ていなくもないです。そもそも私が、古代人の姿を夢で見ることそれ自体、今までなかったこと。平安朝の宮廷女官のような女性を見たのも、たぶん初めてではなかったでしょうか。
私はどうしてこのような夢を見たのか。理由は、私が大国主命の縁者であるからに他ならないでしょう。あるいは、その縁者になぜか訳あって、視座を持ってしまったのです。異界の探偵ですから、そのようなことも、わがハイラーキーの指示でやってしまいます。金正日の側近の視座にも二度なりました。わがハイラーキーが大国主命の縁者なのは、十分な可能性があります。梵天だから。あるいは梵天Jrとでもいいますか、その姿は夢で見たこともありますが、なかなかいい男です。
新神話では、全世界の盟主が梵天で、この世界を最初に創ったのがギリシャ神話にいうクロノス、すなわち、日本神話に言う大国主命としています。彼が創ったはずの世界が、いまどんなふうになってしまったか、思い遣ってみれば、彼の悔しさのほどがわかるはずです。梵天はさらに世界全体の盟主ですから、当然のこととして、この世界の初期状態を創り上げた彼を応援し、それを簒奪して無責任にも悪虐と破壊の限りを尽くそうとしているヤカラに対しては、厳罰を以て臨もうとすることでしょう。
新神話では、最期の結末までを描き切ります。それは神代と地上世界の両歴史を誘導するためのものです。それがいちおうのレールになります。様々な不確定因子によって何度も脱線するかも知れないけれど、そのたびに修復され、列車は再び軌道に乗るのです。聖書や黙示録が歴史誘導に強固な力を持っているなら、新神話はそのパワーを利用して、相手を投げ飛ばすところの合気道的な働きをします。だから、少しも無理なく、歴史は新神話のレールに乗っかることになるのです。
さて、私の視座になった大国主命の縁者とは誰なのか。推測しますに、アメノホヒノ命ではないかと思います。
いちおう、天津神のひとりとされ、オシホミミノ命の弟に位置づけられていますが、伝承では国津神側に寝返った裏切り者になっています。天津神ゆえ、大国主命の館では独立した部屋があてがわれ、快適な環境というのも頷けます。そして、国津神たちとは仲がよくとも、コミニュケーションはそれほどない。ただ、大国主命の執政を補佐することが、逗留の目的になっている様子です。そして性格的には、とてもおおらかで、いつも安心立命の中にいる。夢を見た限りの印象では、こんなところでしょうか。
そして大国主命の妻になるのが奥津嶋姫で、記紀では異伝があるものの、ホツマツタエによればそうなっています。夢の中に出てきた平安調の衣装を着たお歯黒の女性がそうではないかと思います。奥津嶋姫さまについては、私が今まで経験してきた不思議現象の中に、それらしい兆候が多々あるのです。
奥津嶋姫の化身と目される身内さんが、思いついたようにして行かれた金剛峰寺で、六角オーブを撮影したことを皮切りに、出雲方面にこれまた思いついたように巡行されたとき、出雲系の御神紋であるところのものでもある六角オーブをいっぱい撮影してこられたことがありました。そして亡くなる前日に、ご本人の六角オーブの御神紋を、初めて横たわらせた状態で撮影し、ネット上に展示されてから逝かれたこと。このときの六角オーブには六角の中に花模様があり、御神紋鑑定して奥津嶋姫さまと特定できたのでした。
あちら(神代)ではご夫妻神でも、こちら(地上界)においては、そのときの関係を解消して、私との恋のアバンチュールにも応じられる。それがこの世というゲーム世界の面白さというものかも知れません。このろくでもない、魅力ある世界。それが地球なのかも知れませんね。
ではなぜ私のような徳薄垢重の者に、このような高貴なお方が懸想なされたのでしょうか。それはきっと、私が何かこの世界の打開の鍵を握っていると思われたからかも知れません。つまり白羽の矢を立てられたように思うのです。
びんびんたる推理力、洞察力は、はるか古代から神代までを照らし出し、あますことなく語りつくすと自画自賛。異界の探偵ですから、必要なところに視座を構えたりもします。そして見てきたようにして推理する。あれもこれも自画自賛かもしれませんが。
最初に懸想されたのは、奥津嶋姫さまでしたが、奪い取るようにして先に一線を越えられたのは、一寸嶋姫さまでした。このころのありさまは、まるで白蛇伝の許仙に対する青蛇と白蛇のようでもあり、新神話にも恋路のありさまが詳細に書いてあります。私にいろいろな神々の諸力が付加されていった頃ですから、どんな奇跡もありえたのです。新神話に関係性をしたためれば、それだけで神々との関係を作り出すことができ、また連綿たるシンクロ事象にも、これでいいのかと思うほど遭遇し、あらゆる事象が、新神話の中で繋がっていくという経験ができました。それは魔法使いにとっての連環の強固な輪となり、歴史誘導に大きな力になったと推察しています。
奥津嶋姫さまや一寸嶋姫さまがどうして私などに白羽の矢を立てられたかの直因は、きっと御母君の冤罪を晴らすためではなかったかと思います。また、いっぽうアメノホヒさまも母君が冤罪に遭っているのです。そして当然ながら、子息子女である彼らもまた評判を悪くされてしまっているとすれば。だから、相互に利害が一致したということではないでしょうか。直因はそうだとしても、新神話は稀有壮大にも、万民万有情の解放と黄金楽土の実現を果たすという大目的のもとに作られています。
では、その冤罪とはどんなものだったか。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-533.html
↑
ここに書いているように、神界で政変劇(国常立神、天照天皇の暗殺幽閉事件)のあった直後に、アメノホヒは、国常立神、天照天皇側の腹心たちとともに、神世から脱出下野しています。次代を継ぐはずの嫡男であったから、そのまま居残っていたら、曽祖父や父と同じ運命となったはずですから、当然のことでしょう。
そのことが古事記では、天照大神の勅命で国津神のいる葦原の中津国に、帰順の説得する任務を持って派遣されたが、敵方に帰順してしまったと書かれているのです。たぶん邪神側の神人がこう伝えるように、地上に指示してきた筋書きどおりに、古代シャーマンは記憶したのでしょう。こうして地上では、神話レベルで、アメノホヒは、天若日子とともに裏切り者に仕立てられてしまっているのです。
ちょうどエジプト神話の、オシリスとイシスの子のホルスを彷彿とさせます。ホルスは「通常は隼の頭を持ち太陽と月の両目を持つ男性として表現される」と表現されるように、猛禽鳥がそのシンボルですが、アメノホヒには、彼の子に、アメノヒナドリ(日本書紀 天日照とも書かれ正統の日嗣の皇子らしさをかもしている)あるいはタケヒラトリ(古事記 その名からは猛禽らしさが窺え、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる)がいて、まずは天空の鳥がアメノホヒ系のシンボルであったことが窺い知れるわけで、ホルスとの共通性が十分にあるのです。つまり、この神の神話伝承と、エジプト起源のカバラの伝承とが、セットになって入ってきているのです。(アメノヒナドリか。こっちの世界でも、マメドリの育成に情熱していたときがありましたなあ。マメさん、どうしてるかな)
アメノホヒらは出雲の大国主命のもとに居場所を定めて、再興の時を待っていたのかも知れないと思ったりします。出雲神社の祭祀を受け継いだ千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』に拠るというのも、頷ける話ではないでしょうか。
ホツマツタエの伝承によると、アメノホヒは天照天皇の逆賊である持子の子で、奥津島姫ら三姉妹は早子の子となっています。持子はここで説明しましたように、北局の妃にあって、すべての妃に先立って最初に子を設けています。つまり、アメノホヒは正統な長男の後継者であるにもかかわらず、政変後にその座をセオリツヒメの長男オシホミミに奪われているのです。そして、古事記では次男にされてしまっています。
アメノホヒのホヒの意味は、初日(子)であり、天照天皇の最初の嫡男であることを示します。いっぽう、オシホミミの意味は、圧してホ(初)に収まった身となります。つまり制圧者側の長男なのです。
ホツマツタエはその部分をまず、日本神話創作当時に知られていた中華の中宮制度を採り入れ、セオリツヒメを中宮に据えたことで、北局に対して優先できると原理付けしました。これが改竄第一号であり、たぶん全篇通して「あや」と段落振りしなくてはならなくなった原因にもなっているように思います。「あや」は「過ち、誤り、怪しい」と語源を一にする禁忌用語なのです。それを知りながらあえて用いたということは何を意味するか。
それからは、改竄と隠蔽と虚構の組み立てに労し、しかしながらどうしてもヒントだけは留めておかなくては、よほどの罪になると思ったか、それとも徹底するほどの労力もかけられなかったかして、記紀では、女神アマテラスとして、矛盾含みながらもデビューさせてしまったことのようです。それは男神キリストがいないため、女神ミグダルのマリアに兼務させた構図だとわかっています。それはキリスト再臨を待つ体制と言えるかも知れません。が、再臨がないままでは、暗黒時代にもなる道理でしょう。
さて、この隠蔽のために大変なことが行われました。持子早子は冤罪を受けて、悲惨な最期を遂げました。当然ありえた風評は、持子早子の追い落としを仕掛けるための作り話であり、それが神代世界に流行したに違いないのです。
こんなことが許されていいはずがないでしょう。勝てば官軍。でっちあげ、隠蔽、虚構の流布。それを止めようとする者への迫害。それが清廉潔白であるべき、神代で起きてしまっていること。この事実が大事なのです。
そのせいで、神代のアンモラル性がすべて地上界に投影してしまったのです。今はその、貯めに貯めまくったアンモラル行為とその結果が、地上世界の黄泉津腐敗ぶりにそのまま反映してしまっており、あとはどうなるかが占われているといった按配なのです。
どうなるかについて、二つの仮説があります。一つ目の仮説は、ダムとして溜まった汚泥が、ダムの許容を超えていつ決壊するか。もうひとつは、ダムに貯め切ってそのまま熟成させれば、立派な肥やしになるのではないかという説です。
後者になれば、これは立派な成功実験として評価されるでしょう。しかしそのためには、貯留量がコントロールされなくてはなりません。それができているかどうかが、鍵でしょう。それを見る指標は地上世界にもあります。世界の随所にステイタスが上がっています。
たとえば、福島原発事故が適正にコントロールされているかどうか。これを見る限り、無責任放置の感が否めません。お蔭で海はいずれ超汚染されて生き物の棲めないエリアになることでしょう。それでは肥やしにはなりません。そのいい加減さ、無責任さが、汚泥の貯留に関係しているのです。その結果は、ダムの決壊であり、現象としてみなさんの観測には、みなさんが実体験している世界線の突然の破断断絶となって現れることでしょう。
この世界が神界も含めいったん破断してしまうとすれば。以後の成り行きはどうなるか? それはわかりません。個々別々に異なるのかどうかもわかりません。邪悪に徹した者は、神であれ人であれ、この場合はただひとつしかなく、唯物論者の死のままとなることは確実です。それ以外の者のことは、わからないということです。
ホツマツタエは、綾事(誤り、過ち、妖かし)を記載したものですが、神代の故事をいかにしてでっちあげようとしたかの経緯をも如実に晒しており、逆に非常に大事な古文書とも言えるのです。
そこからわかりますことは、まずひとつに、中東のキリスト伝承、占星術概念などの伝播があり、日本神話構築の際に採用がみられるということ。二つ目として、キリストの故事によって、忌まわしい古代神代の政変劇を、正当な出来事として置き換えを図ろうとしたらしいことです。
このために、ずいぶんと断腸の思いで犠牲になった神々もおられたことと推察されます。それをどうやってなだめ祭ってきたのか。おそらく神職の方々は、そのことに古代から苦心してこざるを得なかっただろうと推測されますが、いかがでしょう。
大祓祝詞の意図する咎・禍事を(その場で解消するのでなく)下流の黄泉に流し去ることと、伊勢の遁走タイプの遷宮は、同じ思想的発想でしかないのではないですか。同じ思想とは、邪悪な出来事をすべて包み隠しておこう、後で何とかなるという考えのことです。そんなものは、悠久の時の流れから見れば、一時しのぎにしかならないというのに。
もうどうでしょうね、すべてを包み隠すことなく晒して、すべてを清算する過程に就かれてはいかがかと思うのですが。そうすれば、国津神すべてが惜しみなく全力で応援して、地上は黄金楽土と変貌することでしょう。
いや、私・奥人は、ルシファーやアメノホヒ系神に視座を置くことができて、とても光栄です。これもみな、異界の探偵ゆえに許可されている役柄なんでしょう。だって、すべてにわたって公平でなくてはいかんですから、官書の語り口のみに妥協していてはならないのです。つまり、公儀隠密渡り鳥という役柄なわけで、そこでまた、かの名曲をお贈りしましょう。ああ、光栄やなあ(しみじみ)。
https://www.youtube.com/watch?v=Ts4Nel1xQZo&feature=player_detailpage
さて、この地上世界におけるすべての綾(妖かし、過ち)は、神代における邪神によるクーデターに端を発しているということ。異界の探偵はそのように理解しております。
この意味において、綾事から解き放たれるべき地上世界の刷新と復興は、神代の刷新復興とワンセットでなくてはならないと観ずるしだいです。そのむね、この公儀隠密は元津世界に戻り上奏いたします。
新神話の主眼
新神話は有情の魂を解放することに主眼がある
神話は世界の始まりから記載される体裁をとる。
新神話もそのように構成しなくてはならず、小説のような技巧を排除して読み物としての魅力を落としながらも、メルヘン調に仕上げている。
読み手はたくさんでなくていい。神界にうまく伝われば、神々の読み手が集合し、それを神楽として舞ってくれるのである。神楽とは神界での神々の上演されている舞台を模したものなのだ。
この場合、巫女資質の人が読むことが最も効果的となるのも、神々に伝えやすいからだ。
今回は巫女さんたちをもっぱらの読者とし、巫女でもある奥津嶋姫弁才天の化身が読んでくれたため、好意する神々の間で広まり、旧神話を凌駕するほどにまで発展したのであり、この巫女さんたちや化身さんは新神話工作員としても果敢に活躍し、同時に宣伝もこなしてくれるという獅子奮迅の働きをしてくれたことになる。
化身さんは、本体(ハイラーキー)が弁天様であることがわかっている。しかし、新神話中ではさまざまな神々を併せ演じていて、中でも海神の娘、乙姫(豊玉姫)の性格は強く出ていて、顕現は龍であるとともに亀である。
大過去において封神されたときに、国津神の中でもきつい(呪詛が解けにくい)部類の”かごめ”の中に魂が封じられていて、彼女のオーブ(魂の形)はもとより六角形だ。
スサノヲ、大国主系の神々はみなそうで、出雲系神社のご神紋が縦長の六角なのは、彼らの魂の形だからである。
これは天神に逆らえないように、結界に封ずる処置が施されていたのだ。
その効果は、三次元的行動が比較的自由なるも、精神的に閉ざされた環境に置かれることとして現れる。それが彼女の現世に反映して、人から見れば羨望されるほどであっても、精神的には孤立感、空虚感の中に置かれることが常だった。それは池や湖の中に孤立して佇む弁天様の精神環境と同様である。
私は1997年頃、思いもよらず、弁天様に恋してしまった。あろうことか、求婚までしてしまった。
このことが機縁になったとしか思いようがない。それまでに天に対してしていた、人並みのこともできないこんな面白くない人生、50年で終わらせてくれ、そして金輪際再びこんな世界に生まれさせないでくれ、という一方的契約を、弁天様の化身が満50になる直前日に関わることによって、契約自体が無効になってしまったことになる。
天はいとも簡単に、契約を笑い飛ばしてしまったのだ。
当の弁天様からすれば、彼女の願いを叶えるべき人間を見つけたことになるのかも知れない。ちょうど、かぐや姫が四人の求婚者に難題を与えてみごとクリアーすれば結婚を叶えるといった話に似て、私は弁天様の不遇ばかりか、国津神たち、さらにはこの局限宇宙に閉じ込められた全有情の不合理な状態の解決を図る使命を与えられたように思われる。
私が50歳以降にもらった命は、唯一このためだけに捧げられなくてはならない。
うまくいけば、私は果報者になる。が、うまくいかなければ・・・またぞろ、こんなくだらない世界にやってこねばならぬのだろうか。いいや、そのときは魂を消し去ってもらうことを改めて私は希望する。かつてしたように何度でも一方的契約を取り付けるだけだ。
魂からの解放が新神話の主眼
新神話のことをしばしば話題に出すが、その効果によって世界が平和裏に回復していくことを想像されている向きには失望となろう。
新神話の目的は、全有情をこの宇宙から解放することにある。この宇宙は高々ゲーム空間に過ぎない。ゲームに凝っている人々は多くいるが、もともとゲームの世界なのにさらにまたゲームに興じようという、夢のまた夢に遊んでいるに等しい。
いや、突き詰めれば、私以外はみなダミーなのだから、私だけ解放されて全有情の解放が併せて行える。私がゲーム空間に関わらなければ、もとよりこの世界および有情はないに等しいのだから、という原理的帰結となる。それが通用するのが、この怪しげなる世界の実像なのだ。
別の視点からすれば、有情はこのゲーム空間に関わるために、魂という殻をかぶってこの世のどこかに視座を移しにやってくる。
魂があるから、この世界の観測ができる。ゲーム空間に遊ぶ参加資格を得ているのだ。逆に言えば、魂を返上すればゲーム空間とは縁が切れる。だから、誰でも嫌になれば、本心から一方的にでいいから解約すればいい。重ねて言うが、本心からでなくてはならない。ここの胴元にはそれを拒否する権限はない。
ところが不思議なことに、特に人間は永遠の命を希ってやまない。何十回目かに、うまくすれば、思い通りの人生が営めるとでも思っているようだ。だから、魂が永遠不滅と聞いて喜ぶ。魂がすべての苦悩の源泉であることを理解できていないのも、本能的に生き続けることを願うように作られているからであり、死に際しては激しい苦痛という関門を通過しなくてはならないことがあり、死という事象以降の話が隠されているから不安と恐怖を催すからであり、また生存を自然で最善の選択であるかのように説諭する先達がたくさん居るからである。
ところが、真相は霧中の中に隠蔽されているにすぎない。また、真相をあえて隠そうとするのが、ゲームサーバー側だ。ゲームサーバーは、何とかこの世界から有情を抜け出せないように仕組んでいる。さまざまな真新しいソフトを提示して、射幸心をあおる。その麻薬が切れ始めたら、今度は負債を負わせて支払いが済むまで引き伸ばそうとする。
新神話では、そのような捕り篭められ、洗脳された有情たちが、このゲーム世界存続のためのいわば「人間の盾」として使われていると規定している。
また新神話では、魂の良さを吹聴する者たちの多くが邪神に操られているとしている。聖者たちがそれをいいもののように説いているわけだが、彼らほど嘘をまことしやかに話す者はいない。この宇宙は今目下、邪神の支配下にあるから、日和見の聖者たちは邪神の利益のために話しているのである。加えて、ピラミッドの上位は居心地がいい。下位でどんなに苦悩していようが半ば放置していることが邪神の意向に沿うことゆえ、あえて何も講じようとはしない。
そこはカーストの仕組みでできている。新参者は底辺から一歩一歩上に上がっていくことを要求される。日和見殿たちは、上から見下ろして、ただ教訓を垂れていればいいのだ。それで本領安堵されるのだから、現今の資本主義社会の搾取構造となんら変わるものではない。地にもある如くが天にも、また途中にも然りの相似像となっている。
また、カルマの制度を作ったのは邪神であり、ゲームを面白くするために功過の点数制度を作ったのだ。負債があれば、それを清算するまでゲームから抜け出せないというルールが、有情をゲーム世界に閉じ込めることに使われる。ちょうど、賭け事にのめりこんだ顧客が、なんだかんだいちゃもんつけられて、賭場から出られなくされているに等しい。
もとよりそのようなルール作りは違法(梵の全系の法則に違反)なのだから、どんなに負債があろうが、「もう終わる」の一言で事足りるのだが、まじめな有情たちはルールを何とか守ろうとする。犯罪者心理のようなものが有情には植えつけられているのだ。それが原罪意識というものだ。
こうして、ほんとうにゲーム好きな者と、嫌々ながらも負債の清算のために居残っている者で、この世界はひしめき合っているというのが真相である。
今回の新神話は、このようなさまざまな立場の者(有情)を強制的にも梵の全系に復帰せしめて、自らの故郷を確認させることに主眼がある。そのためにはこの宇宙が元の創造者によって接収されなくてはならない。このために、邪神の駆除の工程が必要となり、さらに害毒の除去までがなされることとなる。
邪神による病態の再発を招かないためには廃絶がなされるべきである。だが、教育上の観点から博物化されて随時体験の要求に応ずることもありうるわけだ。
ゲーム空間の廃止あるいは監督強化に伴って、有情の中に利害のもつれが生ずるに違いない。この流れを食い止めようと、かつては悪霊が戦いを挑んできたこともあったし、今でもすでに妨害の手はいくつも私の身辺に伸びてきている。人間の身に生まれては、現実問題に時間を割かれねばならないが、邪神はその隙を突いてくる。
それによって死が私の任務遂行を妨害するとき、邪神による陰謀死として認識され、最大の怒りを以て最終処理の課程に入ることができる。私はこの一身に代えて、容赦なくこのゲーム世界のクリーニング焼却を行う。それが新神話シナリオの最終仕上げ工程となる。過度に働けば、ゲーム世界どころか、ハードまで焼ききってしまうだろう。すると梵の見た夢も終了することになる。
現在、新神話は有効に機能している
新神話の働きで、新時代がすでにやってきている。神界がまず正神の執政下に置かれ、やや遅れて下界に新時代の波が押し寄せる。ただし、黄金楽土となるのは、当初はこの宇宙においてではない。
いまは、上下の差別や権威に拘泥しない純粋な心の神霊や精霊たちから順次、魂の殻を解消して、梵の全系に復帰しつつある。そこが元々あった黄金郷である。
しかしこれは、邪神どもにとっては、痛い誤算だ。ゲームを支える要員が数を減らすことで、人質も少なくなる勘定だからだ。
自然界の神々や精霊が下界からしだいにいなくなることにより、自然界の守りが薄くなり、ひとりでに天変地異が多発し、生態系は滅びに瀕するようになり、いっそう有情の撤退は加速する。ホピのいうコヤニスカッチの事態が鮮明になり、大規模な天変地異で、地球上は荒廃することになろう。
その前に、人類は互いに絶滅させあうことだろう。なぜなら、人類すなわち人間は、邪神の計画によって送り込まれた生態系破壊因子だからである。これによって邪神の思惑どおりとなるわけだが、ところが、それは邪神ら自らの滅びを意味していることでもある。それににうすうす感づいて、今頃パッチ作業をしているようなことだ。しかし、たいした延命策とはならない。
しかし邪神たちが焼却処分になるときには、苦しみを与えた分の苦しみを受けて悶絶することになるだけであって、彼らの魂は消去され、梵の全系は意識原理を回収することだろう。それは強制されてする解脱である。私も自らの願いとしてそうなることを望む。
昨年には化身さんが魂を解消して、ゲーム空間を去られた。梵の全系へと復帰されたのだ。それを希われての解脱という。そこから次にどのような行動をされるかは、梵天様と相計ってのことになろう。私のもとには、女郎蜘蛛として視察に来られたことはすでに述べたことである。
私も適当な時期に行かねばならない。まず肉体を去り、神界で邪神焼却作戦を遂行する。それが終わって後、わが身を焼却する。そして魂を解消し、金輪際、ゲーム世界とまみえることはない。