In Deepさんとこから
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どうしても人類に電気が欠かせないなら、こんな方法があったんだね。
それは「美しき緑の星」の宇宙人が教えてくれたかと思われるような方法です。
どうしてこの方向に科学は進めなかったんだろう。進化の過程の中で、道を踏み誤ったみたいね。
ときおり、世相を皮肉りたくなるのがこの私。また今回も一発ぶちましょう。
邪神(悪魔)が主導するといいことはない。滅びの道にしか誘えないんだ。そのくせ悪魔は生き残りにかけては抜群の才を発揮する。
そしてまた生き残った者の中に悪魔の萌芽がいて、すぐに芽吹いて次の時代も取り仕切ろうとする。そして最初にするのが、神話の改竄だ。
彼らは必ずこう書く。「前の時代は、人類の愚かさもしくは驕り高ぶりによって、神によって滅ぼされた」と。
その話の中には、神と人間は出てきても「悪魔(が主導したことにより)」という言葉が抜け落ちている。
こうして、悪魔の存在は知られることなく、次の時代にも根を張ることになる。
彼らは史実改竄にかけてはプロフェッショナルだ。人類はまた無知から始まるから、コロッと騙されることだろう。(いっぽう人類の積み重ねて獲得した叡智は悪魔だけのものとして受け継がれる)
彼らは臆病だから、自分たちの悪評の立つのを恐れて、指向的に封印して回る癖がある。隠蔽は彼らに憑き物の常套手段だ。
だから、臭い物がどこにあるか調べるのに、造作はない。蓋がしてあるところを開けてみればいいだけ。
だけど鈍重な人類の側で蓋に気づくのは相当後になってからになる。発掘者が現れた頃には、社会はとうに邪悪に染め上げられていることだろう。
そんな歴史の繰り返しが今まで何度も積み重ねられてきたんだ。またふりだしだ。面白くもない同類のゲームにいつまでうつつを抜かすんだ、人類という名のパチンカーたちよ。
ほらまた、玉はいちばん下に吸い込まれてるぞ。打ち方を変えて、天釘の二番目に当てるんだ。
そのコツを知ることを魂の進化と言う。熟練しか知る手はない。もっと輪廻して学べ。
閑を持て余した霊魂たちの遊び。永遠の命など、糞くらえもいいとこだ。
人が最後に悪魔になりたがるのも無理はない。魂の抹消をやってもらえるという音信を聞いて集まるのさ。それって、間違いってことないか。悪魔は最後まで嘘をつくから、気を付けろ。
おっと、おいらもその一人だったりして。かつてルシファーを襲名させてもらったこともあるし、なあー。
頭目がそう言ってるんだ。ちっとは信用して騙されてくれ。
カテゴリー: 雑感なのだ
時間の経つのが遅い24,25日と電磁音の世界
どうしてなのかなど考える必要もないことかも知れませんが、昨日今日はとても長い時間を過ごしています。
若い頃はこうだったような。年取ってからは飛ぶように時間が過ぎたのですが。
今こう対比してみると、数日前とは明らかに違う時間の流れがここにあります。
まるで、じっくり観察しておくべきだと言わんばかりにですが、ならばそれまでも同じでしょうに。
この意味は何なのか。
それでも依然、電磁音がしているのは、子供のころからずっとで、最近は特にうるさく感じます。
外の鳥のさえずりなんかが、けっこう大きいのですが、それをはるかに凌駕して電磁音。
難聴になりつつあるのですかね。
やはり、マトリックスの中にあるからでしょう。しかし、どうして消音できなかったのかなあ。このシステムには、手落ちのある感が否めません。それとも、いつでも自己認識可能なようにしてあるのでしょうか。自己認識? そう、私はサイボーグだということ。(笑)
死んだら、このうるさい電磁音がなくなるならいいのですが。しかし、なくならんやろな。いつまでもどこまでもマトリックスなんでしょうから。それは死後、確かめてみましょう。
ああ、うるさい電磁音のしない世界に行きたい。
ところで、私は死後、しなくてはならないことがいくつかあるようなのです。
その前に、私の見る明晰夢の的確性について納得できる話をしておきましょう。
すでに40歳頃に、幽体離脱後の夢で不思議な世界に行ったのですが、そこで見た光景が今の私の暮らしている姿をそのまま表していた(予告していた)のには、びっくりでした。つまり、見る夢が象徴的とはいえ、的確なのです。
むかし見た夢(3)・・・幽体離脱後の予知夢
https://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/151/
とうとう現れました・・・予知夢に見た私の視座になる人物か?・・・が、オバサンだった!?
https://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/160/
今朝はオバサンにベレー帽姿を見られてしまい・・・予知夢が完成 !!
https://mysterycats.darumasangakoronda.com/Entry/179/
同様に、30歳頃に見た夢なのですが、天帝様にお会いする予定の夢でして、お会いすることは未遂に終わっているのです。というのも、途中でとりやめたからでした。
何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口でパンフレットをいただくのです。
手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きな野球場のグランド。ええっ?
そこが夢の荒唐無稽さ、と言いますか。(笑)
その真ん中に行くとき、右側一塁側観客席に、陽光を浴びて白銀に輝く、けっこう太目の十字架がたくさん重なり合うように、観客席を埋め尽くしていました。
野球場をプレーヤー側から見るといった感じで、私はグランドの真ん中まで行くと、どういうわけでそうなるのか、私は右手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルといったいでたちでしたから、まるでセーラームーンのマンガのようでありますが、その当時あのマンガはまだなかった頃でしょう。
私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は広げたパラソルを浮力 にして、上空へと揚がっていき ます。空からは微妙なコーラスらしき音もしています。
と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出して、上昇を止めました。そのとたんに、目が覚めてしまったのでした。
さあそれから最近になって、といっても2001年のことですが、その夢の話をさせてもらった女性から、折り返すように衝撃発言が・・・。
あ る精神修養の道場(断食道場)で以前同席したという、アメリカのベティさんという女性が、かつてロサンゼルスの野球場の外を通行していたとき、スタジアム の中からたくさんの十字架が空に向かって揚がっていく様を目撃(幻視)した話をしてくれた、というのです。
ベティさんという方は霊視能力者だったのでしょう。
その道場というのは、兵庫県高砂の高御位山の下麓に今もあり、どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話を蒸し返しにいくわけにもいかず、その程度で終わっているわけです。
武良さんがつい先ごろ、UFO撮影されていた場所の近くのようです。
「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。そして一塁側観客席の白光した十字架群。
天帝様とは誰なんでしょう。
十字架群というのは、たぶんキリスト教徒で、これから天帝様に会いに行くために待機しておられたのではないでしょうか。
あのときの夢では、私と十字架群は別行動するようでしたから、どこかでルートが異なるのでしょうが、ただ言えそうなのは、私の方が先に行くのだろうと思います。
その関連性からすると、黙示録に言う最後の審判の督促のような用向きになるのではないかと思
うのです。「神様、いつまでお待たせになるのですか」というわけですからね。
きっと天帝様は、地上のすさみ具合のデーターを待っておられるのでしょう。私はいま、そのデーターを蒐集中ですから。それを終えた時点で、持参することになっているのです。
昨今、サンアンドレアス断層の崩壊が間近だと囁かれていますが、ロス地震が起きるときには、私の方がすでに先に逝ってることになるのかもしれませんね。つまり、私が逝った直後ぐらいに地震が起きるのかも知れないと。
あるいは、大陸の一部にしろ海に落ちるのですから、大津波は必至。とすれば、日本の太平洋側も無事では済まされません。大都市が呑まれた際、私も呑まれて死ぬのかも知れないです。というのは、私も津波のすぐそこまでやって来るのを、とうとう来たかと、不動の姿勢で待っている夢を見たことがあるからです。
さあ、どんなゲーム展開になるのでしょうね。ゆっくりと鑑賞いたしましょう。
なお、これは私固有の世界においてのみ鑑賞されることでして、皆様の世界とは異なりますから、特にお気になさらないよう願います。
みんなこの9月に集約
マヤ暦の改訂された最終日・・・9月3日
イシス神殿の神々がいなくなる日・・・9月23日
トゥモローランド・第一カウントゼロ・・・9月23日
ユダヤ シュミ─タ最後の日・・・9月13日
Gさんの50歳誕生日・・・9月23日
昨年12月6日には夢で露巨頭と鶴亀った・・・8月6日
何も起きないほうが奇跡かも知れません。
なおこの前に、7月7日にUFO大量飛来で地球接収となれば、災いはすべて避けられましょう。
どうなりますでしょう。
ここのところ、切断と接続のテーマであったような
人類は、知らず知らずのうちに、チャネリングしています。
チャネルとは接続のためのチャネル装置もしくはチューニング装置のことであり、チャネリングとはそれを介して行う、時空(プログラム)とのアクセスおよび情報伝達のことです。人はそれによって、独自の宇宙を組み立てているのです。
独自の宇宙に居る人は、他の宇宙に居る人を理解していません。他の存在を知ったことによる、理解しようという努力があるだけです。同じものを見ている、同じように感じていると錯覚しているだけなのです。
同様に、人が接続する、もしくはアクセスする時空もそれぞれに異なっています。しかし、大同小異という範囲において理解が及ぼし合えているという思いに浸ることで、人類が生まれています。すなわち、寂しがり屋の人の群類的集合が人類なのです。
そのアクセスする方向が間違っていなければ、間違ったことにはなりにくいです。しかしどうやら、今の人類は間違ってしまったようです。滅亡までのカウントダウンの途上にあるようですから。
我々の前には道標が時折示されます。前以て渡されていた地図と見比べることができるように。しかし、事前の地図もすでに間違った方向に入ってから渡されたものであったりします。間違った地図をもとにしていては、先が思い遣られますね。
我々は、生れ落ちたときから、すでに間違った方向の中に生れたことに思い当たらないでしょうか。
すでにチューニング先には時空が与えられていたのです。生まれてすぐにその質の優劣を知ることなどできません。やがてしばらくして、その質の程度を知ることになります。
時空のディスパッチャーとは誰でしょう。確かにそれは存在していて、おそらくたくさんあって、それぞれに電波を発信していて、チューニングしてくるあなたを待っていたのです。
「おめでとう。よく来ましたね。歓迎です。この世界を楽しんでね」
「ふはははは、取り込んでやったぞ。今日からお前は奴隷だ。うまくいったな。では次の餌を仕掛けよう」
いろんな挨拶をされると思います。
ピンからキリまである中で、この世界はどうでしたか。
率直な感想を聞かせていただきたいですね。
しかし、我々には方法が与えられています。それが「切断」です。有意志的にそれを行なうことが必要ですが、なかなかできるものではありません。一定の信念と勇気がなくては。
「美しき緑の星」では「切断」が重視されていました。いつも見ている対象を直覚視すると、今までと異なって見えることがあります。キャベツの葉一枚であっても直覚視すると、今まで見えなかった真実が見えたりします。トルテックのナワリズムでは、これを特別に「見る」という言葉で表していました。今までの「ものの見方」を「切断」して得られる新しい「ものの観方」による知見です。それに習熟すれば、新しいアクセス方向が定まり、人はその方向に向かうようになります。トルテックの勇士の誕生です。
「切断」の一例をはっきり見せてくれたのが、13歳のバーネット師でした。
「学んではいけない。考えるんだ」「習ったことはみんな忘れろ。自分で考えるんだ」
「その分野の生徒になるんじゃない。自分が分野になるんだ」
「学ぶ」とは、既存の世界のことを追認することになります。それが嘘であってもなくても、まず自分に与えられた時間と手間が失われます。また既存の世界という木の良否を知るには、その果実を見れば一目瞭然です。滅亡への道が必然化しているなら、その木は病木か毒木でしょう。それに追随する愚は、賢者であるなら採らないでしょう。自分で「考える」ことはとても大切な「切断」術になります。
予め与えられた地図は往々にして間違っていたりします。
「なんだこれは。神のご計画は、アルマゲドンを以て人類滅亡とは。なんてこった。ゴールは決まっている」
人々はその地図を頼りに、ゴールに向けて絶望しながら、それでいて、その先にあるという神の世界を希望にして歩みます。それは確かにこの時空の真実でしょう。しかし、あなたはそれに納得し了解を与えるのですか? 子供の頃は、納得しないし、いっぱい夢と希望を持っていたでしょう。それが教会で毎日曜に繰り返し繰り返し学ばされて、とうとう大人になってからは、思うようにならない世の中にも絶望して、神のご計画に委ねることにしたのではなかったですか?
その頃には、もう一人前の絶望した枯れた人格が居るだけです。
「トゥモローランド」のアテナは、夢と希望を諦めず困難にもめげずに進む勇士に、トゥモローランドに入るバッヂを与えました。
私は、いま武良さんに、バッヂが与えられたように思います。彼と知り合い同行するようになったのが1994年。彼はそれより十年以上前から、まだビデオ機材のなかった頃から、UFOの姿を追っていたのです。この今、老人となった夢多き少年に、バッヂはもたらされました。彼は生徒にならずに、今や「分野」になったのです。
しかし、アテナの示したトゥモローランドは、悪魔の支配下にありました。選民のみを受け入れ、地球の歴史を操っていました。そして、地球滅亡まであと58日といった時から始まる、一見何事もない世界が映画の始まりです。まるで、今の世界がそのようなこととして、映画にダブります。(デジタル表示が居皆亭的に今の世界のカウントダウンの暗号になっているのですが)
救世主は17歳の少女ケーシーと老年のフランク、そしてアンドロイドのアテネ。
少年の頃のフランクはそれこそ、バーネット師を彷彿とさせる「自分で考える」少年で、不完全ながらも人間ロケットの発明をします。
未来を諦めないケーシー、諦めず「考える」フランク、そこに異界のスカウター・アテネ。
彼らの活躍で、せっかくの未来都市トゥモローランドはいったん邪悪な者とともに破壊されますが、そこからの再建が新世界のトゥモローランドで開始されるというエンディングです。
たくさんの人々がそこでは必要になります。絶望しない人でなくては務まらないのです。
夢と希望と存続の方向にチャネルさえ調節すれば、誰でもバッヂを手に入れて、トゥモローランド再建に協力できることになっています。
古事記にも、黄泉の国を脱したイザナギの新世界として描かれています。なにもかもかなぐり捨てて、すっぽんぽんになってゼロからスタートするという設定になっています。
黄泉の国とは、今のこの世界そのものです。⇒ 「黄泉の国」解釈
そのように、古事記の神話は、知恵の預言書として機能してきました。しかし、誰も教訓として用いることはしませんでした。そもそも、折々の為政者は何が書かれているかさえ知らなかったのでしょう。
では、何に使われていたか。それは預言であり、神のご計画としての書としてであり、それに忠実に歴史は従わねばならないとする、歴史のコントローラーのための指令書として機能したと解釈します。知る者は必ず居て、彼らだけの秘伝であったのです。
要はメルヘンこそを重用するのがコントローラーであり、作られたメルヘンをいかにいいものにしておくかが、問われているのです。それに瑕疵がなければ、歴史はまったく問題ないようにもできたはずなのです。
西洋では旧約聖書がその役割を果たしました。ルター以降はそれがあからさまになり、万民がそれを読んで、神の威光にひれ伏しましたが、日本ではコントローラーだけのものに据え置かれたのです。
トゥモローランドも、救世主により破壊されるまでは魔の支配下にあって、エッフェル塔からは歴史誘導電波が地球上に発信され、人々はそれにチャネルを合わせて、まるでレミングの如く川へと向かいました。暴動、核戦争、人口削減。みんなその足音に気付いているのに、渡された地図がそうなっているので、諦観で臨みました。絶望は滅亡に至るということを映画は示しています。
いっぽうトゥモローランドでは、選民だけの裕福で超文明的暮らしが行なわれている。その両者を支配し監視する魔の総督。
まさにアヌンナキ的かつ居皆亭的だなあと思いますよ。
こちらでもそろそろ救世主が必要になっている昨今ではないでしょうか。
ジェイコブ・バーネット師は13歳
かのIn Deepさんが、とうとう師匠を見つけられたようです。
https://oka-jp.seesaa.net/article/420843488.html
しかし、天才的な彼は、かつて自閉症児であって、13歳にして学問に関する哲学を熱く語る人物になられているのです。
「学ぶことはするな。考えろ」 (学ぶこととは、面白くもない他人の考えを憶え込むことであり、どうせそんなものはいずれ嘘だったとわかることになるはずの、無駄骨でもあるもんね。それぐらいなら、1000年の時を経てもなお不磨の考えを自分で打ち立てた方がいい)
「その分野の学生になるのでなく、分野そのものになりなさい」 (他人の考えが納得いくならいいが、およそ付和雷同的に頷いているだけ。そんな時間があるなら、もっと独創的なことに使ったほうがよほどいい。人それぞれが自分の世界を持ち、それを日々創造しているのだからね)
()内は私の思いです。ジェイコブ師の思いであるかどうかはわかりません。
武良さんも、分野そのものになられましたね。
及ばずながら私も、謎解きマンとしての独創的人生を歩ませていただいており、すべての有効情報が連環の輪を形成してきているので、非常に充実しておりますですよ。