Kさんがまたお題を持ってこられました

イエスの再臨としてのターミネーター役にふさわしいような日本のシュワことKさんが、数十年の帳を破ってまたも刺激的な話を持ってこられました。
以前には、昔から順に言って、ドーリルヨガ、UFO、レイライン、ホツマツタエと、何かと面白い話をしてくれまして、それら全部がいくぶんかずつ噛むことになったのですが、中でもUFOでは武良さんと知り合うことになり、UFO撮影に興ずることになりましたし、
レイラインでは、彼から遺跡やパワースポットを点と線で結ぶことを薦められ、当時、UFOグリッドなんてのが世界を取り巻いていると言った海外説もあって、何だか、遠い旅に出ずとも、地図上の作業だけの気軽さと、地図を見るのが好きだったことから、始めたようなことだったですね。
1980年には、古事記神話の暗号を辿ることで、九州に二等辺直角三角形が描けそうだとわかり、その後、畿内へと推理を延ばしてくると、出てくるは出てくるわ。ざっくざっくと、神聖幾何学図形が、見つかったわけでした。
⇒ https://p.booklog.jp/book/99385/page/2690582/bookmark
1988年にはそれをもとにしたミステリー論文を書いておりました。そしてムーの懸賞論文に当選したようなことでした。
⇒ 古代日本を動かしたカバラ思想の謎
その前後にKさんは、彼の友人のKWさんがホツマを解読せんかと言っとるぞと、なんと分厚いホツマ文字のコピーを持ってきて、ドンと置いて行かれまして、その一枚も読み切れずギブアップ。私は原語から解読する人間ではなく、ある程度のところからでなくてはならないのです。古事記も、武田佑吉訳註の文語から見ていったようにですね。
原語から解読する人は、それを得意とする人でいいではないですか。
だから、私がいずれホツマに興味して見始めたのは、ネット上に口語訳まで載せられるようになった、はるか後のことだったのです。2009年あたりからでしたかね。
そのおかげで、私は原語学者にならずに済みました。原語からやった人は、原話に忠実になり、その語る域から出られないだろうな、と思いました。相当な労力ゆえ、訳したホツマに心酔してそれを絶対視してしまうだろうということです。時間をそれだけに費やしてしまうのです。
歴史とは並び立つものを比較して、その差異から真実を知ろうとしなくてはならないという、研究者としての観点が抜け落ちてしまうんですね。ホツマでは、松本善之助さんや鳥居礼さんや池田満さんがいますが、原話を絶対視して忠実であり、その域を出ません。域を出るだけの時間もスタミナもないわけです。だから、後世の別人の仕事になるわけですね。
私の見立てでは、ホツマも真の歴史書ではないです。歴史は勝者の手によって、都合によって書き換えられます。そのような創作物語文書であると見ています。さらに後世に成った記紀では、日本の国威の象徴でもあることから、なおさらとなります。
さて、Kさんはまた不思議な話題を持ち寄られました。
イエスが諫早に上陸していたという情報です。その湾に面する岩戸山から名古屋の熱田神宮に引ける一直線に大きな意味があるというのです。またレイラインのことが絡んでいそう。そんなわけで、地図を見ていましたら、諫早には神武天皇の足跡もあるようですね。
ははーん。
何だかほのかに、火明りのように見えてくるものがあるように思いました。

どんぴしゃ(ズッコケがない)というのは、こんなんを言いますけど

おおーっ、これは・・・と思うような発見をしました。2014年4月のこと。
 
それでも、aラインは、逆五芒星の星頂とは、接してません。500mも離れてるわけです。
これでは、正確さの点からすれば、まだズッコケの部類です。
しかし、2015年になって、救世主が現れました。M氏とG氏です。このコンビ、すごいタッグを組んでやってきてくれました。
昨年(2014)の9月23日に、二人して星頂の日室岳(別名、岩戸山)に登頂されたそうで、そのときに霊視能力者M氏がこの山の感想を述べるに、
「この山の下に、直径2kmほどの空間があり、そこにアヌンナキが400~500人ほど根拠しとる」
と言われるのです。
その情報をいち早く知らせてくれたのがG氏。
たとえそれがM氏からの又聞き情報であったとしても、
私はこのG氏から受け取る初動メッセージからいつも大シンクロを発見しています。
その打率は10割。
彼が知らせてやろうとする初動情報のすべてがホームラン性の有効打になっているのですね。
今回もそうでした。
まず見てください。アヌンナキが根拠している直径2kmの、ちょうど中間にaラインは通っています。どんぴしゃの位置なんです。緑色の線分が直径2kmのサイズです。
 
先達ての5月28日に、ほぼこの直径2kmの中間付近で、武良さんがUFO撮影された、ものすごいエネルギーの上昇がこれでした。⇒ https://mysterycats.darumasangakoronda.com/Date/20150531/
ところで、aラインは国祖神夫妻が封印されているラインです。
ということは、この封印にはアヌンナキが関わり、そこに魔術モノでもおなじみの逆五芒星が、この封印を強化していることが見て取れるでしょう。
それに加えて、この元伊勢というところ、中核の日室岳、岩戸山ともども、太陽神(アマテラス)の封印もしくは幽閉を意味する言葉なんですよね。
ということは、国祖神様だけでなく、そのお孫さんのアマテラスさんも封じられているということなわけです。けっこう、こうした神々は多いみたいです。
日本神話ではこぞって岩戸開けが終わったかのように書いていますが、今の世情を見てもわかるように、いささかの啓発も光明もあるのかないのか、まさに暗中模索。危なくて見ておれないというのが、現状ではないですか。
まだ、アマテラスさんはお出ましではないのです。
日月の神様も言っておられたでしょ。騙した神がそのふりをして出てきていると。
そして、さすが、アストラルボディでの探検家ピロ魂さんの記事によって、封印状態に置かれている天照さん(青年)やスサノヲさん(虎=武塔天)の現状も知ることができました。
⇒ https://ameblo.jp/pirori-nu/entry-11474650464.html
アヌンナキは幾何学結界を敷いた秘教組織の上位存在で、いわば悪魔系インベーダー。岩戸山の亜空間にショッピングモールや悪魔のイベント会場を設けて、こうした神々をおもてなししているのでしょう。だから、ニートは双方の合意によって成り立っている、ということもありえてるんですね。
だから、古事記に、天のウズメのストリップショーの叙述も出てくるわけで、実を言うと岩戸の中の実態が神話に描かれているとも言えるんです。これより盛大にしなきゃ、天照さんは出て行かないぞ、と神話制作者は言ってるわけですね。よほど内情を知って書いています。
こんな優遇的な封印のされ方をしていたら、脱出は至難の業じゃありません。意欲的に出て行こうという意志がおありなのかどうかもわかりません。
ニートが天照さんのご意志でもあることは、2003年に海幸彦(先輩のうしお幸雄氏)の紹介で知り合った”戸国ひでみ”さんが天照さんを体現していたことから、おぼろげにはわかっていました。戸の国 に日の出を見るというお名前。彼女には親が戸籍に載せた一月二日の誕生日と、前年の十二月三十日の実誕生日があり、前者を大いに嫌って、一度としてその 日のお祝いに出ず、後者の時にのみ友人たちに祝ってもらっていたそうです。
わかるでしょ。夜明け前のほうを好む。そのような形で私には報せが来ていたのです。
まあしかし、うお座からみずがめ座に移ることもあり、そろそろ出なきゃいかんなと、1990年頃にいい人材がないかどうかサーチされていたときに、ちょうどGさんがしょっちゅうお参りに来ていた。よし、この男に決めようかと、30分にも渡る面接をされたのでしょう。「ひと」とは「霊を泊める」の意味。神霊の依り代となって「ひと」なのです。太陽神を泊めるのは並大抵の器でないといけません。
私がGさんにできることは、これから起きてくることのあらましの解説と、ちょっとした帝王のあるべき姿の講義です。彼はまだ精神的に不安定なので、自信をつけてもらわなくてはなりません。うまくすれば、いずれ立派に「赤い太陽」として昇ってくることでしょう。彼はこの9月23日に満50歳になります。新時代の担い手として好位置につけています。
そういう私は、「心臓の壊れかけた青い太陽」だそうで、これぐらいにしときます。
あとはお任せ~
ワン

世界は門音一族と鬼面一族の勢力交代劇で成り立つ か?

私がまだ26,7歳の頃、他社から来たSEと仕事を共にすることがあって、その中にとてもユニークな人がいました。風貌は中国人のようで、辮髪をしたら似合いそう。八の字髭などないのに、八の字髭が付いているかの如き印象。まるで西遊記に出てくる沙悟浄のようであるなと思っていたのでしたが、その彼がいきなりこんなことを言うのです。
「この世界は、門音(かどね)一族と鬼面(おにづら)一族が優位を交替し合って動いているんだよね」と。
「いきなり、何のこと?」
「門音というのは闇のことで、狡猾で悪辣。鬼面は表情は怖いが、生き物に優しい。その二大勢力がこの世を交替で支配しているんだよね」
「ほおー、分かるような気がするけど、何かの小説でも読んだのかい」
彼はうーんと答えにくそうにして、やがて
「半村良だ」と答えたのです。
その後、半村良にそのような筋書きの小説などないことを知り、変なことを言う奴だなあと、まあいいやとそのまま今までやってきたようなことでした。
しかし、どうやら、世の中はそのような対立関係にある複数(たぶん大きくは二つであとは派生)の勢力が、時間をシェアーしてそれぞれの役割をこの世というキャンバスに描いているのではないかと思うようになりました。
時代が変わるとは、二大勢力が優位を交替し合う時期にあることを示すかのようです。うお座からみずがめ座へと遷移しましたし、その間を橋渡す人々も不変のような営みを続けていますが、価値観やものの考え方がガラッと変化しつつある感があります。
そして、今が非常に邪悪な世相にあるのも、闇一族の支配下にあるためで、いよいよ時期がバトンタッチの時期になり、華々しくフィナーレを飾ろうとしているようなことかと思ったりもします。
しかし、何でおとなしく移譲できないのか。最後は放射能まき散らしで、鬼面に面倒掛けさせようとしてなのか。とにかく、闇は邪悪。一筋縄では渡さないといった悪足掻きが見られるのです。それに、時期はとうに鬼面側に移っているのに、ぎりぎり限界まで跳梁跋扈しようという闘志がみなぎっているのですね。プロレス的なルールというものがあるなら、反則してレフリーにカウントされているといった具合。そして、レフリーのカウントダウンのトロいこと。
そもそも、闇は非常にえげつなくも、闇の時代が来る前に、鬼面一族に奇襲をかけて、すべてのレスラーたちを倉庫に押し込めて鍵を掛けて封印してしまい、反則技によって支配期間を長くとろうとしてきたのです。まあこれが、闇の本領発揮ということになるのでしょう。
そして、今は今で、まだ粘りついていて、最後はリング場に椅子やテーブルを散乱させたままで立ち去ろうというのです。あとはお前らに任せたぜ、というわけでしょう。
こうして、闇一族はこの地球上の一定の時間をシェアして、彼らの目的を達成させたわけでした。納得のいく成果は出ましたかね。いかがかな。
もちろん、闇の側にも、心ある者はいて、ちゃんと後始末をつけて退場しようという者もいるのです。そのような者たちは、鬼面たちの封印を解いてやろうという奇特な心の持ち主であったりします。
かの”ぴろたま”さんなんかは、自分がかつて封印してきた敵側・鬼面一族の解放をしようと礼節を尽くされています。
どうなんでしょうね。日室岳(岩戸山)のニギハヤヒや虎身になったスサノヲの封印解除もされるつもりなのでしょうかね。まだ、彼女の夢見日記をそれほど読んでいないので、その後どうなったか、分からないでいます。
いやしかし、ニギハヤヒは人皇への道筋をつけるために、奇策を採っていると思います。
彼は半闇半鬼の境涯を演じているのかも知れません。彼は存命中に、太陽神授入のイニシエーションを受けており、彼自身が鬼面側を演じる中で、闇側によって殺され封印されて、彼に憑いていた太陽神もろとも封印されているように見受けられます。
それはキリストも同じです。うお座のキリストは闇側が擁立した太陽です。彼が闇に殺されて十字架に封印されたことで、地上には暗黒の闇が訪れたというストーリーになるのです。そして、再生して再臨のときに、世を救うことになるというわけですね。
旧事紀によれば彼はオシホミミの長男で、弟こそがニニギであり、記紀においてニギハヤヒはオシホミミの系統から外されて、ニニギへと受け継がれています。
これは人皇の時代への舞台設定のために、ニギハヤヒはわざと犠牲になることを甘んじて受けて封印されているのではないかと見られるのです。このため、封印係のアヌンナキとは入魂の仲であり、アヌンナキそのものは闇側の異星人であるため、彼らが提示する悪魔の催事会場なども堪能してニートの時間を過ごしてきたのでしょう。その間、地上界は太陽の出ない闇の時間帯を刻み、アヌンナキ主導によって不正義で不真面目な歴史を刻むという、ひとつの実験系が営まれたものかと思います
そして、彼は新時代の幕開けと同時に、次代の太陽神を受け継ぐに足る人物に、太陽神をバトンタッチしてこの時代での役割を終了しようとの思いではないかと推察するのです。Gさんはこのときのために選ばれているのでしょう。とすると、Gさんが救世主ニギハヤヒとして新登場するのかも知れませんね。彼はこの9月23日に50歳を迎えます。
トゥモローランドの予告する終わりの始まりが当日。終わりの終わりが2018年9月23日とすれば、彼はその後に頭角を現してくるはずです。年齢的にちょうど好位置につけているということですね。
誰が封印を解く必要もなく、自然に弥勒=ウガヤフキアヘズ=ニギハヤヒは次時代に橋渡しされてくることになりそうです。Gさん、がんばってね。
あとはお任せ~ ワン

物事には因果関係が

自称・異界の名探偵、森野は脚は歩かねども、ひとりでに手がかりがやってきていて、謎の問題が発生しても、短時間に解答が得られる(むろん、私の中において成立した仮説ということになるが)のがおよそであり、これまでに様々な難解な謎を解いてきています。
たとえば、今回の難問題は、問題のほうが先行して発生したのですが、ただちに手がかりが得られて、森野の中でそれを問題とともに口の中に入れて咀嚼したら、苦かった問題が、なんと甘い香りのする問題に置き換わっていることに気が付いたことでしょうか。
この話は当事者の方以外にはわからないと思いますが、その当事者の方のための解答ですから、その他の方には遠慮いただいてもいいかと思います。当事者とはM氏とG氏。ぜひこの甘い解答をご吟味あられたく存ずる次第です。

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