むかし見た夢

心臓が苦しいと言うのではないのですが、喘息のような症状が日々起きていて、これは心臓性というもののようで、そもそもレントゲン映像においては肺の半分以上を占めるに至った心臓および気管あたりに写る大きな丸いもの(動脈瘤だろう)について医師から説明がないのです。
そして、後から撮ったCTの映像を順次見ながら、きれいですよ、と言われてしまえば、肺には異常はなくとも、咳の理由説明になっていなくて、この医者はもしかすると告知しない医者なのかと思ったり。
まあ、もちろんもう心臓の限界も近いので、心を煩わせまいとする医師の思いやりかも知れないとも思ったり。ややこしいことですね。
ある人は別の医療機関に見てもらったらというのですが、どうせ費用ばかりかかり、薬害のほうでやられることを思えば、いらないと。そもそも山奥の生き物たちは、そんなものあてにせず、生きるべき期間をちゃんと生きれば、あとは死期がくればそれに従うというのが山の鉄則。私も山に入った以上、それをよしとするものです。
山の生き物は、死ぬるとき、自分の墓をどうしたいとか、菩提を弔ってもらいたいとか思ったりしません。ただ、身体を土に返すだけ。何も持たない。誰悲しむとてもない。その代り、後始末も何もせんでいくわけです。昔から命とはそういうものだった。
そう思うと、何かとても気楽で身軽な気分になるのです。
ちなみに、昨年の12月11日の未明、64の誕生日の四日前に、死ぬ時の夢を見まして、呼気がすべて抜け切ると、頭頂部からすうっと脱け出る感覚がして、その次の瞬間には、空を飛んでいました。
何かのビルの上空をすうっと滑空していて、ビルを行き過ぎたとき、いきなり高さが感じられますね。そのとき、私の背後から女性の声(複数の声で、うわーって言ってる。きっといきなりの落差なので怖かったのか)がして、私は、大丈夫、まかしときなどと応えているのです。
しかし、自分の姿も、背後にいる声の主の姿もないというか、透明なんですね、
その場所は、何かのリゾート地のようで、浜辺があってソテツがまばらに植わり、遊園地のような感じのとこで、みんな、あそこに下りよかと言いつつ、降下しようとして、目が覚めたのでした。
後から思えば、ああこれぞ、千の風になってという意味かなと思ったようなこと。
しかし、風ならどこ行くか風任せになるのでしょうが、ちゃんと滑空して目的の場所に向かうわけで、単に風ではない。これはそうですね、千のガラス板になってというなら、ぴったりするかと思ったようなことでしたね。歌詞を変えてもらわねば。
しかし、あんなに軽く空を飛んだ夢を見たのは、後にも先にも、あれ一回きりです。
それまでに空を飛んだ夢は、飛行訓練のときに、羽根をばたつかせて飛び上がったというのと、だいぶ昔に、補助機材を使って、ゆっくり持ち上がるようにして空に上がるというのがありました。(これはちょっと意味深な夢なんです。また次の記事にでも)
軽く飛ぶ飛ばないは、夢見た当時の、その時々の心の軽重がかなり影響しているように思いますね。
心を軽くするには、世のことや生前の所有に執着しないということに尽きます。ちょうどイザナギノミコトの黄泉国脱出のときの潔さについて考察していたからでしょうか。そんなときに見た夢でした。

ロサンゼルス危うし??


https://oka-jp.seesaa.net/article/404921257.html

このIn Deepさんの記事の終わりのほうに、怪しいアメリカの地震予測サイトの100%発生予測が載せられていました。
見れば、100%表記はロサンゼルスらしいです。

私がなぜこの記事が気になったか。
それは昔見た夢にあります。
私は夢で、異界の催事に向かうときに、どこかの野球場から空に向かって上昇するのですが、
その球場の一塁側スタンドの観客席に、おびただしい数の太めの白い十字架が、整然と列をなして並んでいたのです。
私が天に上がった後で、同様に上がっていくもののようでした。
しかし、私は上昇途中で用事を思い出し、まだ行く時ではないからと、目を覚ましたのでした。
その私の夢の話を聞いた人が突然言うには、ある精神修養道場で同席した米人のベティさんという人が、
ロサンゼルスのスタジアムの横を通過した時、球場からたくさんの十字架が空に上がっていくのを見た(幻視)と話していたそうなのです。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/souko1/newmyth_b.html#121
まあ、たいていありえないでしょうが、
M7などといった大地震なら、ロサンゼルスは壊滅でしょう。
美国の黄昏を象徴するようなことになるかも知れません。
黄昏 = たそかれ
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ  — 『万葉集』
訳としては
誰だあなたはと私に問わないでください。九月の露に濡れながら、あなた様を待つ身の私なのですから。
もうひとつ、
たそがれて(歳をとって)なお、まだあなた様をお慕いしているのですよ、という意味が掛けて示されているのですね。
これが大和言葉の妙というものでしょう。
追記
ロサンゼルス地震は、目下のところ大丈夫ですよ。
なぜなら、私がまだ生きてるから。
私の夢は正夢になることが多いとすれば、上の夢の順序からすれば、
私が先に逝くか、先導するって感じでしょう。
私が生きている限り、大丈夫ということです。
もしそれでも起きたなら、私がもうこの世にいないときかもね。
私の心臓は時刻指定のない時限爆弾ですから。
十字架の人たちはきっと、主よ、もうこれ以上待てませんという篤信者さんたちでしょう。
私もぼちぼち耐えていけなくなっています。

意識の自在性は夢に現れる

興味深い読者投稿がありました。
色彩豊かで記憶に残る夢。明晰夢というものでしょう。
さらにもう一歩、夢見る自分を意識するようになれば、
夢のコントロールを行うようにもなるというところです。
では、メール文面を紹介いたします。

奥人様
お風邪の具合はいかがでしょうか?
9月は季節も行ったり来たり
揺れる危うい時期でもあります。
オムニバス的な夢を見ました。
『時のポイント』を見つける任務を担っていて
依頼者の過去にさかのぼり分岐点まで同行し
成し遂げることのできなかった道を開く役でした。
時を遡るのでずっと場面が流れています。
馬で駆けていたり、ひたすら走っていたり
「早く、早く!」と常に言っています。
少年と荒地を駆けていて
「このあたりだよ」と少年が発した途端
みるみる緑が一面に広がりニョキニョキ育ち
背丈を越す鬱蒼とした・・・ひまわり畑が現れたのです。
遠くから少年を呼ぶ女性の声が聞こえて
「あ、お母さんだ!」と、少年は声のする方へ駆け去って行きました。
これはある少年に向けて私のやりたがっていることかも知れない。
わたしの役目はすぐ変わり
塔の上からロングドレスの裾を縛った女性が飛び降りようとしています。
「ここから抜け出したいの」
わたしは白い馬で塔の真下に待機して、
「そのままゆっくり壁を蹴るように飛び出しなさい」
そう叫び、風を孕んだ彼女のスカートが
バルーンのようになり急降下を抑え
わたしの腕の中で女性を受け止めました。
これもある夫人に向けて私がやらねばならないと思っていることのよう。
次の夢ではわたしは巫女でした。
目と口が不自由で耳だけは誰よりもよく聞き分ける能力があります。
必要な情報は信頼できる神官の見た世界を感応して知り
話せないので頷くか頭を横に振るかの動作で過ごしています。
人の声の微妙なトーンまでわかるので
真実を話しているか聞き分けることができました。
かつて神官であった者の見る世界を聞き分けて夢に見る巫女だったね。
神官と巫女はひとつとして動いたことがあったのだ。

夢のお告げとして感受しました。

というものです。
奥人流儀で、
第一話を解釈しますに、
>『時のポイント』を見つける任務を担っていて
依頼者の過去にさかのぼり分岐点まで同行し
成し遂げることのできなかった道を開く役でした。
この役目を意識して行っていたこと。
実際にこのような役目を異界で担うことがあるということを
坂本政道氏の話の中に窺うことができます。
一見そうとは思えないようなビジョンストーリーで、
その役割を果たしているというものです。
魂の体外旅行ともいえる夢見体験です。
しかも、異界では救出にあたる優れ役です。
第二話も救出にあたる救命士としての役割です。
こうして、魂は人助けの経験を夢見によって行うことができ、
その功績は実際のものとして認識されるのです。
現界で何もしていないようでも、異界でとてつもない偉業を
成し遂げている場合があるということ。これが、人が
複合した身体を持つ特色であるわけです。
第三話は、過去世の仕事を反映しているようです。
五感のひとつを失うことで、六感以上を獲得していった経験が
あるのでしょう。それが過去世の仕事と結びついたと。
それは今生において、ふとしたことの選択にも直感的に、
よりベターを選び取るように働いているようです。
夢見状態を意識できるようになれば、複合した身体の
連携が生まれるため、現界と異界の両経験をつないだ
有機的な活動ができるようになります。
いずれ新時代は、この間の相違がなくなる。というのが
新神話のシナリオです。

久々に母の夢を見た

今日の未明の四時半頃の夢に母が出てきた。裏でホースで水撒きする音がしたので、隣の水撒きかと窓から外を眺めれば、外は夜中で暗いながらも、私の部屋の電気に照らされて暗がりの階下にほんのり浮かび上がったのは、菊のような花が花束のようになって六、七束ほど咲く中で、丹念に水遣りしている母の姿だった。階下といっても今いる二階からでの光景ではない。一段下がった場所で、こちらの方を向いているのだが、花を見ているために伏目で、ただ黙々と水遣りをしているふうだった。
「母ちゃん」と呼びかけたとき、目が覚めてしまった。ありゃ、夢だったよ。と、一瞬自分の居場所が分からなくなったほどだ。
そういえば昨日はいつかきっとさんが母心というものを見せてくれた。その名残として母を見てしまったのかも知れない。
それにしても、夢から覚めた間際というのは、すでに亡き人とはいえその世界は、網戸の網一枚を隔てた程度のすぐ間近にあるような気分に浸ることができる。
なんだ、すぐ裏にあるじゃないかといったふうに存在している余韻に、布団に中でしばらく浸っていた。死は怖いどころか、先に往った人と逢える優れた摂理のように思えたようなことだった。
二日前に淺川嘉富氏のサイトの新記事を読んでいた。
そこには、今現在、霊界が消滅しつつあるという劇的情報が書かれていた。
霊界がなくなればどうなるのか。輪廻転生するための待機場がなくなるだろうという。
地球上というリアルな次元は、同記事の中ほどに図示されているように次元のボトムにあって、意識のフォーカスがそこに合わされた者たちのうごめく世界となっているらしい。
我々はチルチルの帽子を持っていて、そこについているダイヤルを回すと、異なった次元の光景が見られる。エレベーターに乗って別の階に行けば、そこは大草原だったり、テクノポリスだったりする。ただ、帽子のダイヤルは眠って意識の自由度を回復させるまでは回せないというわけだ。
地球をボトムとして見下ろす上層部には、宇宙人がUFOを揃えて待機していたりする。彼らはまもなく地球上で起きるイベントに出演するためにいるのだろう。
地球上での死者はまず次元をややアップさせて中陰に入る。さらに上部に行くかどうかが裁定されたりするということなのだろう。自由意志でその先は決められても、しばらくしたら召集がかかり、またもや地球に関わりに待機場にやってこなくてはならないような仕組みがあったようだ。
そもそも、輪廻転生させて強制的に学習させるとか、懲らしめのために強制転生させるとかいった驕りに満ちたシステムを作っていたのは誰か。支配権の存続を図り、観客となって喜ぶ邪神に他ならない。として、新神話では彼らの駆逐を進めていた経緯がある。
霊界が消滅するという初耳のような話は、それが本当なら、新神話の効果としてもシンクロ的に顕われていると思うのであるが。
霊界がなくなればどうなるか。生者と死者が互いに認識できるようになる。生きていても死んでも同じだということだ。遮る境界もなくなる。国もなくなる。所有するという概念もなくなる。隠蔽されるものもなくなる。
やがてそこは、この宇宙というテーマパークという姿もなくなって、元あった故郷の光景が広がることになるだろう。
もし地球をもういちど体験したければ、博物館に行ってAV閲覧してきなさい、ということになるだろう。
いや、もうすでに今いるあなた。AV閲覧してここにやってきているのかも知れないですね。それを新時代からやってきた新人類と、私は定義しています。

初夢らしく龍の夢

弱小かつ病態なるものでも、夢見の世界においては広大活発な経験をするものである。
それは知られざる世界における栄光であり、いかなる立場にあるかを垣間見せてくれているような気がする。(僭越やなあ。でも明日をも知れん病人やで許してなー)
本日、2007年1月14日未明、午前四時台の夢である。
私は小さな四角形をした家の二階のまん中に居て、北と南の開放された窓から、うろこ雲漂う昼間の明るい空を眺望できる状態にあった。
南の空を見ていると、どこからか降りてきた雲が長くたなびき、消えることなく、我が家の上空を反時計回りに旋回し始めた。
見れば、龍のようであった。雲によってできた龍。雲竜とでも言うのか。一周目のときはまだそうとは気付かなかったが、二周目となって、これは龍だと気付いた。
我が家の北側に回ったとき、それはありありと馬のような面構えをしており、夕日を浴びたか心なし赤みがかり、後ろが長く流れて、ところどころうろこ雲のように切れつつも、尻尾らしく従っているのを見た。雲が龍の形を形成して飛んでいるのだ。
方向を変え、南側に回ろうとしたとき、私には龍の顔が正対して見えた。眼光もありなかなかの面構えだが、どこか優しい感じがする。
屋根の上すれすれに南に回ろうとして、尻尾が屋根に触れた瞬間に、じゅぼっと水がかかったような音がした。どんどん接近してきている。もしかして、私を探しているのか?
龍はまた南から北上を開始。再び北面から南を窺おうとして正対する格好となったとき、もう龍は目標を捉えたらしく、北面の窓めがけて飛んできていた。
そして、閉められた窓をひげでぴょこっと開けると、もろに部屋に入ってきて、私の身体めがけて飛び込んだのだ。
うわーっ!! 私の中に入っちゃったよ。合体したようだ。
この光景は近所の人も見たようで、家の中に入ってきたおばさんや少年らが、私のほうをすごいといった表情で見つめている。そこで私は拳法のように腕をぐるっと回して英雄ウルトラマンのポーズをとった。どんなものだと。そのとたん、夢から醒めたのだった。何だ。夢だったか。
久しぶりに見た夢。腕の痛みや不整脈でさほど眠れたものではなかったときに、ようやく見た正月らしい夢だった。
もしや奇跡が起きているかもしれないと、腕の痛みや心臓の不調が治っているかどうか調べてみた。だが、そうは問屋が卸さなかった。
雲でできた龍。色からすれば白龍というのか。
ネバーエンディングストーリーに出てくるような。
千と千尋の神隠しのハクみたいな。
どうかいい年になりますよう。

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