今日の未明の四時半頃の夢に母が出てきた。裏でホースで水撒きする音がしたので、隣の水撒きかと窓から外を眺めれば、外は夜中で暗いながらも、私の部屋の電気に照らされて暗がりの階下にほんのり浮かび上がったのは、菊のような花が花束のようになって六、七束ほど咲く中で、丹念に水遣りしている母の姿だった。階下といっても今いる二階からでの光景ではない。一段下がった場所で、こちらの方を向いているのだが、花を見ているために伏目で、ただ黙々と水遣りをしているふうだった。
「母ちゃん」と呼びかけたとき、目が覚めてしまった。ありゃ、夢だったよ。と、一瞬自分の居場所が分からなくなったほどだ。
そういえば昨日はいつかきっとさんが母心というものを見せてくれた。その名残として母を見てしまったのかも知れない。
それにしても、夢から覚めた間際というのは、すでに亡き人とはいえその世界は、網戸の網一枚を隔てた程度のすぐ間近にあるような気分に浸ることができる。
なんだ、すぐ裏にあるじゃないかといったふうに存在している余韻に、布団に中でしばらく浸っていた。死は怖いどころか、先に往った人と逢える優れた摂理のように思えたようなことだった。
二日前に淺川嘉富氏のサイトの新記事を読んでいた。
そこには、今現在、霊界が消滅しつつあるという劇的情報が書かれていた。
霊界がなくなればどうなるのか。輪廻転生するための待機場がなくなるだろうという。
地球上というリアルな次元は、同記事の中ほどに図示されているように次元のボトムにあって、意識のフォーカスがそこに合わされた者たちのうごめく世界となっているらしい。
我々はチルチルの帽子を持っていて、そこについているダイヤルを回すと、異なった次元の光景が見られる。エレベーターに乗って別の階に行けば、そこは大草原だったり、テクノポリスだったりする。ただ、帽子のダイヤルは眠って意識の自由度を回復させるまでは回せないというわけだ。
地球をボトムとして見下ろす上層部には、宇宙人がUFOを揃えて待機していたりする。彼らはまもなく地球上で起きるイベントに出演するためにいるのだろう。
地球上での死者はまず次元をややアップさせて中陰に入る。さらに上部に行くかどうかが裁定されたりするということなのだろう。自由意志でその先は決められても、しばらくしたら召集がかかり、またもや地球に関わりに待機場にやってこなくてはならないような仕組みがあったようだ。
そもそも、輪廻転生させて強制的に学習させるとか、懲らしめのために強制転生させるとかいった驕りに満ちたシステムを作っていたのは誰か。支配権の存続を図り、観客となって喜ぶ邪神に他ならない。として、新神話では彼らの駆逐を進めていた経緯がある。
霊界が消滅するという初耳のような話は、それが本当なら、新神話の効果としてもシンクロ的に顕われていると思うのであるが。
霊界がなくなればどうなるか。生者と死者が互いに認識できるようになる。生きていても死んでも同じだということだ。遮る境界もなくなる。国もなくなる。所有するという概念もなくなる。隠蔽されるものもなくなる。
やがてそこは、この宇宙というテーマパークという姿もなくなって、元あった故郷の光景が広がることになるだろう。
もし地球をもういちど体験したければ、博物館に行ってAV閲覧してきなさい、ということになるだろう。
いや、もうすでに今いるあなた。AV閲覧してここにやってきているのかも知れないですね。それを新時代からやってきた新人類と、私は定義しています。