異界版ギャリソン中尉はかく誕生せり

ちょっとお家の近況から

7歳になるメス猫シャンが、ここのところ味覚障害なのかそれとも口内に怪我でもしているのか、数日前から食事が進まず、水ばかり飲んでいる有様になっています。
普段は、ギャル曽根猫と言えるほどの大食漢なのに、太ることができないという、不思議体質。それが食べなくなったら、どうなりますか。

去年もちょうどこの頃にいきなりやせ衰えて、10月末には危篤状態になった(その頃、妹も倒れて入院騒ぎに)のですが、たぶん見立てではありますが、
慢性腎不全らしくあったため、今まで腎機能を補う薬などを使って、ここまでやってきておりまして、もしかしたら奇跡的に回復したかとさえ思っていたのですが、
再発というのか、あるいは季節柄、キノコがあちこちに生えていて、おおかたは毒キノコなので、そんなものを食したかもしれず、まあまたひと試練になるかもしれません。

そんなときに、私事ながら、元の家の周りの雑草のおびただしい生い茂りを何とか始末せねばならない状況で、アクションをとらねばならない時が来ています。
シャンのちゃんとした看病ができるかどうかは、微妙です。まあ、シャンも一生懸命に頑張ったのですから、もう楽になってもらってもいいんかなとも思います。
よう尽くしてくれたんです。娘として、嫁として。(;^ω^)

ありゃー、こう書いたとたんに、シャンが帰ってきて、私の隣で食事をねだり始めました。
そこで、これぞという食事を少しずつ出してやれば、小さい一缶ながら、ほとんど食べてしまいました。
元気回復か。でもまあ不安定ですから、様子を見ていこうと思います。

5月27日未明の夢に、亡き母が出てきて、「利明、一緒に家を出るんやで」とのいきなりの言葉に、いよいよこの世からの旅立ち時が来たかと、
うれしいやら哀しいやら、と思っていたのでした。
というのも、母と一緒にどこかにフェリーに乗って旅する夢も2007年10月に見ていて、すごく若返った母の太ももを偶然にも拝見しておるわけでして、
まあ亡き人というのはみんないちばんいい頃の年齢に戻って暮らしてるんだなあ、とてもいいじゃないかの思いもあるわけです。
祖母も赤子の肌をしていましたからね。

まあ、そんな風に覚悟しながら待っていた矢先に、市役所から雑草の刈り取りをしてくれとの通知が来て、もしかすると、母ちゃんはまだこっちの世界にいて、
家の管理をしているつもりなのかと、おいおい成仏のほうは大丈夫かいなという、がっかりした気持ちになったわけでした。
私が刈り込みをしなければ、律義な母でしたから、容赦できずにいたのかなとも思いまして、遅くても11月末までには完了したいと思います。
母の「家を出よう」という意志ゆえ、何だったら年内までには、よそ様に名義変更できたらと思っております。

母がようやくこの世に未練せず行くとなるなら、私は同行を願い出ようと思っております。
母に一緒に行こうと言われて、断れますかいな。
一緒に家を出るんやで、の「家」とは仏教観で言えば、この世のこと。
その場合の「家(あるいは館)」とは、須弥山の南方に広がる大陸・南閻浮提のことです。
この銀河系宇宙のことと私は解釈しています。
しかし、どうやら、元の住所のことだったかと、落ちが只今、ついてしまっています。
何段階も格段に、ガクっとです。まるで階段から転げ落ちたような。

しかし、2007年10月のときの夢の中に出てきたフェリーは、ネットで調べてみましたが、琵琶湖のオーミフェリーかもしれないと思います。
夢の中の意識では、フェリーを二段乗り継いで目的地に行くという感があったので、まずは沖島にいたり、頂上の蓬莱嶽から神仙蓬莱島行きの神世のフェリーに乗って参ろうかと、そのように洒落こめれば幸甚と参りたく存じます。

ここから本題

さて、今回の記事の本題になります。
前回の記事の中の
>なぜ私が命要らず、魂要らずのギャリソン中尉になったのかは、また次回にでもご説明しましょう。
と申し上げていたことの説明をさせていただこうと思います。

ギャリソンゴリラになったのは、私のけっこういい加減でかつ真剣味を帯びた決意がどうやら発端でして、その決意のほどを、神世の神々に見染められ、
あの映画のストーリーの如く抜擢されて戦場に駆り出されたものかもしれないと思っております。

どんな決意をしたかって。( ;∀;)

当時の覚書から抜き出して書かせていただきましょう。

新神話を賦活した二人の弁才天 より
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私の人生を買い取り、満50歳の壁を突破 させたのは奥津嶋姫弁才天だった

考えてみれば、私ほど傲慢な者はいないでしょう。
普通の人は、自分の人生の吉凶禍福の展開に責任を持つものです。ところが、私は吉事や福事のときはこれで普通と思い、感謝も満足にせず、
凶事や禍事のときには自分の過失は棚上げにして天の責任にしていたのです。
そして、先行きの見通しも険難悪路ばかりかと判断できた頃、四十歳代の時でしたが、天に向かって「昔の人曰く、人生五十年というとおり、
私の寿命も五十年で終わらせてほしい。次の転生の予定があっても、金輪際拒否します。何なら輪廻の因たる魂を消去してほしい」と何度も請願したのです。

たまたまその頃、心房細動を発症し、薬でいったん直ったものの、肝機能が悪化したため医者に行かなくなり再発。
とうとう、投薬では元通り治らないことがわかった頃でもありました。
また、結婚していなかったことも、人生をつまらなくしていたのかもしれません。

ところが、変人もいいとこながら、四十六歳頃、たまたまある寺院(淡路島の世界平和観音像)に行ったときに偶然見つけた、
ふくよかなる金塗りの弁才天像に線香を上げながら、「もしよければ結婚してください」と手を合わせたのでした。
すっかり天に請願したことなど忘れて。(おいおい、本当に変人も いいとこだな)

ところが、不思議なことが起きました。

私がまさに満50歳を迎えるという直前日(1999年12月14日)に、新神話の最も大事なパートナーになるところの女性が、
初めて メール連絡してきてくれたのでした。しかもその日に2通も。私が1997年頃から開設していた物語創作サイトのホームページを読まれてのことでした。
そのとき、私は天に請願した経緯は微塵も頭に上らず、漫然と50の境を過ごしていて、しかもこの経緯を話したために、
彼女から初めてのメール日を知らされる有様だったのです。それも2004年になってからのことでした。

新暦ではありますが、私は12月14日に討ち入りされて、首が挙げられたことになります。
まさか天が本気にされているなどとは、思ってもみなかったことだったのです。

しかも、この女性は弁才天ゆかりの人であることが、お付き合いするうちにわかってきました。
弁天三姉妹のうちの”奥津嶋姫”様の化身だったのです。
ただし、下界的な結婚は無理な状況でした。そこで新神話の中でのみ魂の婚儀を二人の合意で執り行いました。
ただ、これも不思議なシンデレラタイムのようなものでした。限られた期間(七年)が割り当てられていたようです。
その期間、私にとっては不思議づくめのインディーな世界になったのでした。

その後、2000年7月には、別の女性が同じく開設していたホームページの超常系サイトのほうを見てやってこられ、
9月27日の移情閣でのシミュレーション儀式へとなっていきました。この女性は市寸嶋姫の化身で二年の限られた期間でした。
つまり、私は弁天三姉妹のうち二人と、あわや結婚劇寸前まで行くところだったと言ったら、僭越にすぎますでしょうね。
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つまり、神世のお方様がたの依頼によって、私の50歳以降の人生があると思っていただいてけっこうかと思います。
もひとつ増上慢なことを言わせてもらうなら、私のおかしな決意のお蔭で、別の新たな時空が増設されたとでも申しましょうか。
これも救世の一つだった??とか。何でもいいように(都合の良いように)解釈するのが私の特技なもので、すみません。

しかし、本当なら、50歳になった時点で、命を落としていたはずだった理由もちゃんとあるのですよ。

1999年12月末から2000年1月に切り替わる時点で、世界のコンピューターが誤作動して、金融市場崩壊、軍事兵器の暴発などで、
少なくとも2000年には世界は立ち行かなくなり、滅んでいたはずなのです。

2036年から来た未来人ジョン・タイターも言っていました。自分が生い立ち育って通過した2000年には、
2000年問題が勃発して滅亡に瀕していたのに、過去に遡ってから体験した2000年は、何事もなく推移していたと。
だから、彼は何度も、どうして2000年問題がクリアーされたかわかっているかと、掲示板の読者に対して問いかけていました。
しかし、読者は他のことばかり気にしていたと言ってましたね。

その彼は、今度起きるはずの2038年問題をクリアーするために、過去に遡ってIBM5100を手に入れに行っていたとのこと。
つまり彼は、しばらく2000年前後の時代に逗留して、2000年問題を、未来人の誰かがクリアーしようとして、
歴史に加工を加えていたことを、実地体験を通して 確認したのです。そういう任務もあったんですね。

それによって彼は、彼の持ち帰った機材によって、2038年問題もクリアーされると確信したに違いないです。
2000年が成功しているのなら、2038年も成功するといった具合ですね。

このように、歴史はどんどん書き換えられているのです。
みなさんに不都合が起こらないようになのか、それともより安定的に暮らせるようにという、未来人の思いからかもしれません。

そんな一生懸命なところに、仮想現実論やプログラムソフト論などを持ちこみたくないですね。
ほどほどにしなくては。
しかし、多くの人の希望や願いや未来人の善意によって歴史が改稿できるのも、ソフトウェアだからということを、
頭の片隅にでも、ぜひ置いといてください。

トイレを新調後、愛猫シャンのうんこが・・・1月5日に出ました (祝)

旧年中のシャンの闘病日記はこちらです ⇒ こちら

1月2日、猫砂トイレ周りが非常に汚れていたので、思い切ってすでに用意していた従前のものよりいくぶん大きめのトイレに切り替えました。
以前のトイレで問題なく使える猫砂をベランダ通路側の大きなトイレに移し替えて、使えなくなった砂とともに旧トイレを破壊し廃棄処分にしました。
シャンはとても愛着をそれに対して持っていたらしく、新しいトイレを長らく回避していました。
これではいかんと、シャンを戒め、シャンがこきたくなる雰囲気づくりに、彼女の糞をその中に置いておくことに。
1月2日夜間にようやくおしっこをしておりました。
良い傾向と思い待つことになりました。

1月3日、さらにおしっこをその中にしておりました。おしっこのほうは何とかなりましたが、まだうんこのほうが出ていないようです。
1月3日の日中にフェロビタに重ね合わせてラキサトーン緩下剤を投与。
食事量は相変わらずすさまじく食べまくっていましたが、夜になって突然食事をしなくなりました。うんこが溜まりすぎているのか。
また、19時頃に近所のKさんから電話で、近隣地区で山火事が起きているとの通報。私は必要物資を集めて袋に入れ車に積むという、猫たちも総動員の大騒ぎになりました。シャンもトンも外出に湧き、楽しそう。ところが、シャンは夜間に一度だけ食事をした後は、食欲がばったり止まりました。腎不全ゆえ、運動しすぎは血中の毒素が増えてよくありません。
1月3日の23時15分にトイレ内でうんこを出すしぐさをしましたが不発になりました。これは便秘も重症とみて、23時20分にヨーピス液5滴をサバ汁にまぜて与えると、4/5を飲みました。と同時にフェロビタ+ラキサトーンを投与。これで様子見することになりました。前例だと、これで翌朝にはうんこが出たのですが。
強情なくせに雰囲気が変わると適応がなかなかできないシャンです。

1月4日もまだシャンのうんこがでたふうがありません。しかし、外出をしょっちゅうしていて、その間にこいているのかもしれませんが、把握ができないでいます。夜間は外出しないので、そのときに期待するしかないのですが、食事もうまくなさそうで、食べないことがまさっているため、20時ごろ再び緩下剤ヨーピスを4滴、サバ汁に混ぜて投与。夜間にでもこいてくれることを期待ですが、どうなるかわかりません。

元旦のシャン
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1月2日のシャン
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1月3日のシャン
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1月4日のシャン
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1月5日追記

1月5日朝にシャンは大量のうんこをこきました。それも二度に渡ってです。最初は家の中の新調トイレに。早朝にほのかなうんこの匂いがしていましたから、未明ぐらいにまず一弾を。次に明るくなってから、外のベランダ通路の大トイレにこいているのを私は目撃。

ご褒美にチャオささみ・かつおミックス味を一本とかつ節・かつおミックス味を一本あげました。

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1月7日追記

1月6日未明に、あまりいいとは思えない夢を見ました。明晰夢の部類です。シャンと一緒にトラック(ジーゼルエンジンのです)に乗ってるんです。坂道を上るのに若干ノッキング気味で上った先で、二股に道が分かれてるのですが、シャンは少し細い左の道のほうに、車を下りて行ってしまいました。私はトラックですから、右の道を行きます。いずれ道は出会うことはわかっているので、シャンとはまた合流するだろうと、そのままにしたところで目が覚めるという、さほど長くもない夢でした。

これまでシャンは何度か尿毒症のような症状で危なくなりました。そのたびにいろんな手を講じて回復させてきたように思っています。そして、今はシャンしか私の身辺に常駐している猫はいません。トンは家の周りを専らとし、ブーは家族のいるA家のほうが活動の主体です。もしかするとシャンは、これからどの時点かで、別のルート(タイムライン)に行ってしまうのではないかと、やや心配ながらも、思ってしまいます。慢性腎不全なら、いつかはそうなるものとはいえ。ゴッド・ハンドの効き目は、良好と思っているのですが、こればかりはねえ。

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慢性腎不全の闘病猫シャンのその後

私が第二の命を生きた50歳以降、
いつも私の傍には女性がいたことは紛れもありません。
それは不思議なほどの幸運だったことになるでしょう。
新神話名のカンナオビ
その次はイナンナで2年
それからシノで1年
そしてカンナオビに戻り、通算して7年
2010年からはメス猫のウーで3年半
2014年からメス猫のシャンで現在まで
私は同時に二人を愛することにはなっていません。
必ずといっていいほど、一人の彼女であったことは、私が鶴の性分だからのように思います。
それにしては、いずれの女性にも不遇を与えてしまって今日になっています。
いま、シャンは今年の後半から健康上の不調を訴え、どうやら慢性腎不全のようです。
私は彼女を失えば、もう誰の支えもありません。
彼女の命が危機に陥ったとき、私は全力挙げて救助しようと思いました。
現実的対処として、次に闘病日記をつけています。
https://bit.ly/2fZfTHQ
しかし、それ以外に、私は形而上的療法を試みました。
私はこれまでに、自分が何らかの神かもしれないとの思いを得ました。
それで、それが本当なら、神ならば超自然的なこともできるはずとの観点から、
シャンに按手療法をするとき、ゴッドハンド治療と銘打って、私がもし神なら、
シャンよお前を治癒できると、約束を与えることにしたのです。
慢性腎不全は不治の病で、回復したとすれば奇跡です。しかし、神ならば奇跡も可能なはず。
それは一種の試験です。私が本当に神であるかどうかの試験になっています。
また、私はシャンに、お前の苦しい病気の半分を引き受けると約束しました。
一言いえば一言返ってくる。調子の良い時のシャンとは、言い合いのラリーが続くのです。
まるで夫婦喧嘩かのような、お互いが一歩も譲らぬ応酬になります。
シャンは不思議なことに順調さを取り戻し、本当に治りつつあるかと思うほどです。
吐くことを繰り返していたシャンが、ほとんど吐かなくなって、けっこう長い日数が維持できるようになりました。
一方、私は12月25日あたりから、尿が出なくなり、左側の腎臓が腫れて痛み出す、腎盂膀胱炎の症状が出だし、シャンの病気が腎盂膀胱炎由来であることを知りました。
私は寝ているか座っているかしかできなくなり、立ち仕事すると心悸亢進の事態になり、10分も立っておれなくなりました。
私は医者にも行ける立場ゆえ、何らかの対処が取れるわけで、昔に余っていたレボクインを服用し、様子見しています。
シャンは症状が軽くなった分、よけい快活になったようです。
食べる食べる。外が寒いので、家の中で上がったり下がったり。身体も一回り大きく。
しかし、調子に乗りすぎて運動しすぎると、反動がやってきてか、また吐いてしまいます。
いつ何時、調子を崩してしまうやわからない日々を送っています。
ゴッドハンドが効きますように。本復すれば私は神だと証明できるのですが、まだわかりません。

 

愛猫シャンが慢性腎不全に?

シャンの様子がどうもおかしいと思い始めたのは、この10月になってからです。
嘔吐がひんぱんにあり、そのたびにスタミナロスして、憔悴しきっているのです。
暴飲暴食気味だったので、お腹に収まり切れずに吐いているのかと思っていたのですが、大量に水を飲むもので、異変が起きていると知りました。

ここに書いているのは、シャンの闘病日記とも言えるものです。
https://bit.ly/2fZfTHQ

おりしも、私の妹も10月末に浴室でこけて意識不明になり、翌日に救急搬送されるというシンクロぶり。
妹とシャンは性格的に似たところがあるので、以前から分身同士ではないかとさえ思っていたほどでして、今回の双方の相次ぐ危急の事態に、いっそうその感を深めることになりました。

性格が似るとは、どちらも勝ち気で、頑固一徹。いちど言いだしたら曲げません。そして、病気のほうも、妹がパーキンソンで、脳の海馬の細胞が減殺するのに対して、シャンのは腎臓の糸球体細胞の減殺によるもので、どちらも回復できないとされているのです。よく似たもの同士なので、このようなシンクロも起きるもののようです。

猫世界の楽園追放劇

以前にも書いたことがあるかもしれません。
これは本当に私の今いる場所であったことで、推理部分を除いてほぼノンフィクションであることを宣言します。
猫世界の楽園追放劇が、私が今住んでいる山奥でありました。
猫たちがそこではたくさん飼われていて、猫好きの飼い主の愛情とケアーで幸せに暮らしていたそうです。
その家の屋号は「桃源郷」。ほんとうにその屋号を未だに看板に掲げています。いわゆる中国版エデンの園です。
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ところがその飼い主さんが病気で、突然亡くなり、相続人がさっそく売りに出してしまったのです。
そのとき、猫たちが邪魔ですから、みんな追い出して、家に入れなくしてしまいました。
そして、次の持ち主になりましたが、その人も猫には関心がなかったのです。
さてその頃すでに20匹近くいたという猫たちはどうしたか。
手分けして新しい飼い主もしくは餌場を探さなくてはなりません。
漂泊の猫民がこうして生まれたのでした。
彼らは知恵者の長老格の猫の采配に従い、四散して活路を見つけに行きました。
元の居場所から300mほど南東に果樹園を営んでいた老夫婦がいました。
次から次へとやってくる猫に心を痛めて餌をやるようにしてみれば、とうとう20匹近く集まってしまいました。
それ以来、老夫婦は月3万円ほどの出費をしながら、今まで20年近く飼っているとのこと。
私が移り住む10年以上前から、そんな暮らしをされていたそうです。
不思議なことに、数は20匹程度で、ほぼ一定しているとか。死ぬ頭数と生まれるのとがつりあっているのだとか。
そして、不思議なことに、この猫たちの中の年功を経た長老格猫は、したたかな策士であり、妖術を使うのです。
比較的若い猫でも、いざりのふりをして、驚くような高くて狭いところに、飛びあがったかして、じっと座っていたり。
まるで忍者の草ではないのか。
それは私の経験したことであり、当の果樹園の老夫婦はまったく与り知らないことだったのも不思議。
そして忍者軍団のようになって、私のところで飼い始めていた猫たちを波状的に襲撃してきたのです。
ここは猫を愛好すると見た彼らは、こちらの猫を追い出してでも、テリトリーを増やそうとしたのかと思います。
まだ幼猫だったうちの最初の三匹は、脅されて大変な目に遭いました。
それに頭を痛め、幼猫たちを防衛して、彼らを懲らしめようと一室に閉じ込めてしまうような仕掛けをして、やってきたと見て紐を引っ張ってみれば、なんといつも襲撃しにきていた2匹が、ひょこひょこと挨拶しにくるではないですか。帰順の意を表しますって感じ。
ところが、はっと目が覚めて、夢だったことに気付き、残念がったわけでしたが、ななななんと。
その朝、私が起きてごそごそしていると、外から「カーカー」とあの二匹のうちのオス猫の鳴き声がします。
窓を開けてみると、階段の下に例の二匹がこっちを見上げて「カーカー」言っているのです。
それまでは私の姿を見ただけで一目散に逃げていた猫が、おりてきてくれーっ、と呼んでいるのです。
エエーッ!! 
それで餌を持ちながら外へ出れば、今まで一目散していたのが、足にまとわりついて「カーカー」。
つまり、さっきがた、夢の中にしろ帰順の意を表しましたでしょ、ということのようなんです。
私はまだうちの猫らにしたことを赦してないのに。あつかましいなと思ったけど、その術達者には驚いた次第。
人の夢までコントロールしやがるのです。
朝のシーンは映像に撮ってあり、Youtubeに揚げてあります。

その後、毎日親し気にやってきて、しばらく居ついていたりしまして、仕方なく、外回りの北面の警護に配属。
うちの猫はやはり脅えて家の中に閉じ籠もってましたね。そのうち、うちのオスの一匹はその猫軍団の仲間入りをして、向こうの手先に使われたりもしていました。その代わり、メス猫には不自由しなかったみたいです。うちの子もなかなかやります。
私はその頃はまだ、果樹園の老夫婦のもとに多数の猫が居就く経緯を知らずに、迷惑がっていただけでしたが、うちの前をたまに通る、すでに長年この地にいる人に猫のことを聞いたところ、飼い主の死去によって放り出された不幸な猫だったことを、初めて知ったのでした。
そこで気付きました。これは私への大きな啓発だと。ここに来て、こんなことでもなければわからなかった一大啓発。
もしかしたら、この地球人類の中のユダヤの民というのは、飼い主つまり神の死を知らずに、神の怒りに触れてとか神に裏切られて、とかの形で楽園を追い出されたのだと誤解していないだろうか。 
神への愛が、神への憎しみに変わり、神の被造物すべてへの八つ当たりとして現れるような歴史にしてしまっているのではないかと、私は推理したのです。
旧約には、知恵の木の実ですか、意味不明な話が載っているだけですが、彼らには本当の真相が未だにわかっていないわけでしょう。
このことをユダヤ人が知れば、人類無視、人類憎悪の横暴さもなくなるのではないかと、私は真面目に思っているのです。
頭のいい民族なのに、もっと合理的に物事を考えられないのかと、言いたくなります。むろん、私の推測も間違っているかもしれませんが。
その後、その二匹のうちのオス猫が、命を張って懸命に我が家に忍び込み、家の中に居就いてしまおうとしたのを、叩きまくって撃退し、
もう一匹のメス猫も居就こうとしたのを、追い回し追い詰めておいて、彼らが味わった残酷な楽園追放の真相をじっくりと、目と目を見合わせながら、説いて聞かせてやりました。 
どうやらその話を理解して、果樹園の猫たちに持ち帰ったらしく、以後、猫軍団はまったくこなくなり、襲撃はピタっと収まったのです。
あとで果樹園の老夫婦に聞けば、あの二匹の猫は全体の最長老になる夫婦猫だったそうで、その後間もなしに、オス猫のほうが亡くなり、そのあとを追うようにして、メス猫が亡くなったとのことです。 
よほど一族の命の存続に対して責任感を持っていたのだろうと思います。まるであの民ですよ。
オス猫の名は石松、メス猫の名はミケでした。(仏壇で唱名して日々弔っています)
今年4月に、果樹園の老夫婦のうち、奥様が亡くなられました。
猫を飼ってやることを決意したのは奥様でしたが、旦那様は奥様の厚志を継いで、20匹もの猫たちの世話をされています。
話せばわかるのは猫のほうで、人間のほうは話しても、無理でしょうか。
第三次大戦がやはり始まるのでしょうかねえ。