「天上人の宴」のストーリーを体現したく山篭りしたが、密林の中の庵ゆえ空の眺望がいまいちで、天上人を招きたくとも、もてなしのスペースがないといった状況に、プランの練り直しを迫られている。さしずめベランダの向こうに地続きにして6畳から12畳ほどの望観台を設けて、UFO撮影の環境にもしたく思うが、この地においてUFOの影をまだ一度も見たことがない。ほんとうにやってくるのだろうか。いっぽう山嵐の神はまったく意識的に現れて、私に嫌がらせする。私がベランダに立つと決まって、猛烈な風を送り込んで、防風シートをばたつかせるのだ。まずこの神を味方につけねばならない。空の神はその先にある。
ベランダはいっぷうアトリエ風になったと思うが、見ようによっては掘っ立て小屋の仮設住宅もしくは建築現場と見られかねない。要は自分がそこをどう捉えて活用していくかなのだろう。早々に豊富な発想を生む場となれば、早々にアトリエと言えるものになろう。いつまでもぐずついていれば、仮設の建築現場のまま推移してしまう。
こうなれば、かつて夢見で見た光景のように、早々にベレー帽を購入して被り、アトリエ気分でいようか。だがあの夢では、ベレー帽の私似の人が、四角い建物の屋上で植物を植えていたんだよな。もしかすると、望観台を野菜畑にしたりして・・・。それもまたいい。
この地を開墾して畑にできるかどうかは、原状を見れば、困難限りないことが推測できる。密林は伐採しても、木の切り株や根っこは残り、純粋な畑にはなかなかなりがたい。焼畑農法というのもあるようだが、ここはガチガチの防火地帯で、人をたぶん信用しない前提で取り決めを作っているのだろう、焚き火すらも許されていない。このため、逆に恐いほど枯木や枯葉の堆積があっても放置されている。度が過ぎるのも程度がありはしないだろうか。もしもの出火が恐いものだから、急いで火災保険に入ったような次第だ。先日の山嵐などがあれば、あっという間に全山山火事になり、あのカリフォルニア州大火災と比べられかねないだろう。みんなの善意と自己コントロールがかろうじて山を守っているように思う。
畑にする・・・ああ困難。腐葉土になる前の枯葉の資源はとても豊富だが、それが自然に土になるまで待っておれない。また農作物を盗っていく動物もいる。鹿は最初の頃に見た。人に慣れた鹿らしい。イノシシもいるらしい。近所のAさんの話では、作物を盗っていく代わりに、畑の耕作をしていってくれるとのことだ。アライグマもいるらしい。このあたりになると木登りもするから、並みのフェンス程度ではオーバーフェンスされてしまう。だから、パイプなどを使って、四角い6畳ないし12畳の建屋を作り望観台にして、そこで鉢植えやプランター植えをすることになる。けっか、夢の中の人物像を目指すことになろうか。
私の夢も、ミステリー作品や物語で作る夢と、睡眠中に見た夢があって、そのどちらもを現実の世界に実現しようというのだから、いっしゆ既知外か、途方もない馬鹿ヤロウということになろう。
望観台の上に小さなテーブルを置いて、地球人だけでなく地球外知性体(宇宙人)をももてなすことができたら、夢の大部分は実現したことになる。いや後者こそ、私がこれからの未来世界に必要な交流になると考えている。明治維新のとき、アメリカやエゲレスの特使を招いて会談したように、これからはどこそこ星人(複数種)を招いて、地球の行く末から宇宙文明との交流などについて語り合えたら申し分ない。むろん宇宙旅行もさせていただく。健康体にもしていただく。人並みはずれた健康体で、辛く困難なトレーニングを経て選抜を経て宇宙に行くような方法は前近代的なやり方だったと思える時がくるようにしたいものだ。
次は私が昨年10月に、たまたまUFOを撮影してやろうという気になって買い物がてらに出かけ、神戸市西区神出町の業務スーパーの駐車場でカメラを回し始めて20分後ほどで現れた。
Youtubeに上げて当初、ヘリコプターなどと揶揄するコメントが書き込まれたが、本質を覆い隠したがる邪系の組織が働いているからだと分かった。逆に賛同する書き込みがないのは、私のナレーションがいささか飛びすぎているから、その方向で疑われたのかと思う。映像には加工も音声の後付けもない。撮り卸をそのままアップしている。加工する技術もないし、そんな面倒なことなどできないほどに目ももうろくした。
そんな基地外だからできる功業もある。私がかつてレイラインの面白さに惹かれたのが30年前にもなろうか。当時、古事記は暗号化文献であるという発想から、一連の目の覚めるような解答を得かかっていたときに、宇宙人でなくてはできないような鳥瞰的立場から、推理の正しさを検証することができようとは思っても見なかったことだった。古事記の与える祭祀拠点と、古代からある大祭祀霊場を点とし線で結ぶとき、精妙な幾何学図形が浮かび上がってくる。それは西日本(九州)から中部(尾張)に至るまでを、エジプト神聖幾何学で結ぶ図柄として現れた。それを総称して、ヤタノカラスと名づけた。それは多面三角構図という意味である。三本足のカラスは太陽のカラスと言われ、古代祭祀の神聖シンボルであった。三角はそれにちなむ。
古事記上津巻を暗号化文献と考え、解釈して本にしたもの (1978年)
古代日本の見えざる地上絵と古事記解釈を通して得られた歴史読み物として本にしたもの (1995年)
古代日本のヤタノカラス
ヤタノカラスは、どうやら日本列島上空からの視座をも暗示している。当時に精巧な地図があったかどうかは、前著を見ていただけたら分かると思うが、実在したことは間違いない。とすれば、日本列島のそれもあって然るべきであり、少なくとも地図があっての祭祀霊場の布石があったと推測される。
宇宙人の干渉と知識移入があったとするなら、これほど分かりやすい話はない。宇宙人が神と称して原住民の前に現れ、農業の仕方から祭祀の仕方まで教えたその一環で、古代からの長きに渡って、今なお世界宗教の形で地球人の思考回路を牛耳ってしまったようなことだ。どんなに科学万能を歌い上げても、インベーダーの息のかかった宗教ひとつ、分析できないでいるのが地球人類の頭脳なのだ。これではなあ・・嗚呼と嘆くしかない。
ヤタ(八田)は多面体であることを表す。それを極限まで持っていけば円になり球体になる。ならば玉と言ってしまえばいいではないかと思うが、現れたものが楕円球体であったら、真円の球体の玉とは言い難い。それに加え、当時の知識階層は分析する科学者たちであった。だから、コンパスや定規を駆使するその技術者集団がつけた名前がヤタであってもおかしくはない。前著では古代中東の神官層が作った知識集団が古今、世界史と宗教史を彩ったとしている。その彼らは、古代にやってきた宇宙人を神としているのだ。つまり、インベーダーの手先なのである。
こうして、宇宙人の乗り物であるUFOは楕円球体なのがオーソドックスな形として、今なおやってきていると見られる。だが、当時の宇宙人は純粋に善でありはしない。それは歴史が必然性のもとにあったと見る私などからすれば、はっきりと断言できる。今の地球の文明の1タームは、まるごと彼らの実験場であったに過ぎなかったのだ。だから、1タームの終結点がもしまもなくなら、次のタームに関しては独尊の独立国的環境があらねばならないと思うわけで、是非現下の時点での宇宙人社会との交流開始がなされねばならないと思うわけである。それも、不平等条約のような結末でなく、対等の関係が構築されねばならない。
少なくとも、私が思念を宇宙に投げかけて現れた宇宙人の乗り物UFOは、善良に出現してくれた。友達にしてくれの問いには、即座に正体を見せて反応してくれた。夢の中にも現れた。UFOビデオ撮影友の会をひょんな人との出会いで立ち上げ、あれからいろんな種類のUFOを撮影した。三角形が形を変化させるものや、オバQのような霊体的UFOもあった。スカイフィッシュなどというUMA撮影にも関与した。そのようなシンパの宇宙人もしくは異界人とおつきあいすべきであり、ヘリコプターで未開の原住民の前にやってきて、国王として居座るような宇宙人の手合いとは決別し、放り出さねばならないことは当たり前である。ユダヤ/キリスト教の元になった聖書の神はこの手合いに他ならず、放逐すべき対象だ。
今はとにかく世相が極まってきている感があり、私のすべきこととしては、対等かつ友好な宇宙人との交流がまずあらねばならないというわけだ。人ができないなら、私がやる。根気強く、待ってみることにする。
カテゴリー: 創作作品
前世の記憶
私が物心ついたのはいつか不明だが、まだ昭和20年代のことだろう、最初に認識した光景は、白黒テレビの置いてある食堂で、父に肩車されての視線がちょうどテレビの高さであって、放映されていた場面をまじまじと見ることができた。おりしも歌舞伎の番組をやっていて、奴さんが刀を抜いて息巻いた場面で、私は恐怖のあまり泣き出してしまった。食堂のお客が笑っていたのを憶えている。後から思うに、幼児というもの、経験もないのに、どうして怖い形相と抜刀に対して恐怖するのだろう。前世の記憶を残しているからなのだろうか。どんな前世かは知らないが、きっと戦乱の経験もあったに違いない。
その番組と別の番組の合間だろう、サクソフォーンの演奏で「遥かなる山の呼び声」(シェーンのテーマソング)が奏でられる中、テレビ画面には雁木車が三つ、ゆっくりと回転している様が映し出されていた。
山が呼んでる
あの白い峰が我を招く
風が過ぎし日の香を運びくるよ
また帰る日を恋いてさすらう
シュミセー我がふるさと
シュミセー我が来し道
ああ遠き夢の日々
また帰る日を恋いてさすらう
シュミセー我がふるさと
シュミセー我が来し道
ああすべて夢の日々
心に抱きて今日もさすらう
(以上は奥人の勝手につけた歌詞)
いちばん最初に知った映像つきの美しいメロディーだった。
そう。進駐軍が持ってきたものであり、占領体制が解けかかった頃のことだった。
前世はどこにいたかのほのかな心当たりは、あるメロディーへの憧憬に求められるかも知れない。私はブラームスのワルツを聞くとき、心が揺り動かされ、その当時の情景が浮かんできて涙することがある。
家族でそのワルツに乗って踊った幸せな時間のあったことを感じ取れるのだ。ドイツか。第二次大戦のさなか、私はナチスの将校だったような。家族と祖国を愛する、ひとりの凡々たる男だったような気がする。
戦争で私は、大腿部に銃弾を受けて死んだのではないだろうか。幼時期から、大腿部に銃痕のような痣を持っていて、それがずっと気になっていたものだ。
山奥の庵でラジオ短波を聴いていると、暗くなってから、懐かしいメロディーがメドレーで流された。名曲の続くその中に、ブラームスのワルツがあった。メランコリーな時間が夕闇の中を流れて、いつしか瞼がうるうるになったことは言うまでもない。
小六時代の神話
私は小五のときに盲腸炎で手術をした。一週間の入院ののち、一週間の自宅療養で学業に復帰した。が、それまで外で遊ぶのが常だったのが、まったくの引き篭り児童になってしまった。というのも、予後不良で腹痛が起きやすい虚弱体質になってしまったからでもある。
学校から帰ると、空想の世界にはまり込むようになった。様々な玩具とも言えないような品物を、人や乗り物に見立ててストーリーを組んだ。いちばん大事にしていたピストルの玩具はいちばん高貴で優秀。その弟や妹が玩具の数だけいくらもいて、高貴さは準じている。
彼らは、あるとき不思議な「玉」に出会う。その玉は何でも願いが叶う玉であり、彼らがそれを手に持って念じれば思いのものが目の前に現れ出る。玉はそれに念ずることで、同じ力を持つ玉を複製できたため、それぞれがひとつずつ持つようになった。そのうち、彼らは玉をそれぞれが飲み、手に持っていなくても、ただ想像するだけで、その通りのものが現れるようになった。それだけではない。玉の持つ不思議な力によって、彼らは不老不死かつ不死身となった。
彼らはその境涯を活かして、宇宙を旅する。思い通りだから、彼らは小さな多孔質の軽石の穴の中に小さくなって住み、隕石のように宇宙を旅する。玉から魔法の絵の具を作り出し、壁に描いたトンネルを通って、向こう側に別世界とストーリーを生み出した。
玉を使う長い時ののち、彼らはこの玉とはいったい何なのかを探る研究に入った。そのために、彼らは眠りに入り、玉の中の世界を夢見る。彼らは高貴にも眠りに就いているが、夢の顕現は別のキャラクターになり、粗野な冒険的経験をしていく。様々な経験を通して、玉の性質を明らかにしていくのである。
当初、この神話には妹も一枚噛んでくれた。しかし、やがて私ひとりの想像の世界となって発展していき、中二の頃ようやく体調が回復するときまで続くこととなった。今から思えば、不思議な神話創造の時代だったように思う。
天上人の宴も新神話に接続できるか
象の墓場は異界の入り口。
宇宙人との会見も異界の入り口で行なうべきこと。
1990年代に作っていたネアンの神話「天上人の宴」はいわば元祖ですが、どうやら新神話最新版(10章11章)とこの物語がシンクロしてまいりそうな気配。
もとより私の道楽から出たことであり、またそのようなことも可能になってきたかなという立場から、環境設定から考えてみました。
天上人の宴では、主人公ネアンの居住しようとしていた山深い場所にある住居の名前が「寧庵」という名前であったのですが、宇宙人社会は主人公の名前にしてしまいます。
それで次のような庵を設定しました。
-良寧庵-
すると早々と、私が宇宙人と目していたN氏(宇宙語を流暢に話します)が接触をとってこられました。
-どこか山おくんどかな-
彼からの暗号文です。
-宇宙技術で探し当てられては-
私からの返信です。
脈が大有りでしょう。
新神話では地球文明が危機に瀕するとき、宇宙から積極介入が図られ、地上の混乱を接収してしまいます。
誰かが勝海舟のようにして宇宙文明社会との窓口にならなくてはならないとき、同時並行的に誰か先見者が導入に力を注いでもいいのではないでしょうか。
旧神話でも、猿田彦が天神の降臨に先立って道案内を買って出ます。
猿田彦はいわゆる天狗さんです。鬼の形相をした大天狗です。鞍馬天狗でもあります。
贅沢ながら、猿田彦の雛形も手に入れたく思います。
こうして、二本角の鬼の顔を見立てた板に「良寧庵」と彫り込んで、看板といたしました。
実はこれはアンティーク調椅子の背もたれ部なのです。二本の杭が鬼の牙のようで、なかなかいいでしょう。
さて、2/27は朝から雪の中。
2/28は朝から晴れ渡り、
下界は雲海の下に海没して、まるで仙郷の様相。
蓬莱山はかくなるものかとの思いもさることながら、密林が邪魔して台無しでありました。
みなさんのお越しのときまでには、南から西の眺望は堪能できるようにしておきたいものです。
千客万来。地球人でもよし。宇宙人ならなおよし。
地球のオアシスとして経営していく所存です。
なお、UFOはむろん、宇宙人も写真に収めて、ここで公開できたらと思っております。
50年後の未来
私が小学4年のとき、担任の出口先生は図工の時限に、今から50年後の未来の様子を描いてくださいと課題を出された。あれは宿題になったものだったか時限内だったか、色鉛筆画だったか水彩画だったか忘れたが、内容は自分で描いたものゆえ、細部まで憶えている。
地上には高層ビルが建ち並び、道路が十字に通っているほか、ビルとビルの間の空間を曲がりくねった道路が宙に浮いて通っている。地下もあり、これがまた地上以上に工夫されていて、地下4,5階は描いただろうか。その様子を見せたいがために、破断線で地上を切り取って、その地下を見せている。
一番下の階は道路だ。それも車線がたくさんあって、地上の道路も地下の道路も自動車がいくつも走っている。地下道路の上の階からマーケット、博物館、シアターなどがあり、人がたくさん歩いている。博物館は地下2階分の空間を取って、背の高い恐竜の模型が展示してある。つまり地下での吹き抜け空間があったりする。
地上を歩く人は描かなかったが、何人もが頭に二枚羽根の回転翼をつけて飛んでいるように描いた。ドラエモンの竹コプターそのものなのである。これがあれば自動車は要らないんだけどといった矛盾を抱きながら描いていたように思う。
三丁目の夕陽の時代からちょうど50年。私も年内には還暦を迎えることとなった。で、未来の様子はどうなっているだろうか。もしかすると東京都心あたりに、そのような光景が広がっていないだろうか。
竹コプターを除いて、ほぼ実現したように思えるのだが。