面会者もこういう場合は処置なしである。
下界の状況もよく調べずに、ただ逢いたさ見たさでやってくる神々だ。
下界はこのとおり、あちらと違い幾重にもレベルダウンした貧困世界。
ゲームの趣旨がそのようだからといえばそれまでだが、神の中には下準備なしにあわただしくやってくるものもいる。
神々によっては、うまいもの目当てで、まるでどこかの一流ホテルのサービスを楽しもうというのもいる。
ブーは先代白虎のオス、フーは先代白虎のメス、ウーがその子で現代白虎のオスである。
それが、私への面会のために全員メス猫としてやってきた。
ただその点のクリアーだけに力をかけたようだ。
しかし、問題は下界の食事にあった。
ブーは食事の気移りが早く、えさを見ただけで地面を掻いてパスしてしまう。
えさを一見するだけでパスすることばかりとなり(後でやむなく食べているが)、ついに行き詰っている。
子猫ミルク⇒サバ缶⇒鶏肉⇒牛肉、豚肉ときて、今がある。あと、何があるかは知らない。
ドライフードには見向きもしない。
こうしてブーは、おなかばかりぼてっとして、鈍足で怪我するに至っている。
フーは生肉、やむなくドライフードの順で食べて、よく育ち体力はいちばんある。
ウーは生肉、ドライフードのどちらも少量ずつ食べて、きゃしゃだがいちばん瞬発力がある。
ブーはベッドから落ちて、右足を脱臼し、その後良くなってみなに追随できるまでになり、
屋外ではいちばんパイオニア的であったのに、
また遊んでいるうちに脱臼してしまい、未だ長く回復しておらず、病気見学組になってしまった。
駆け込み的出会いには猫がいいとは思うものの、猫というものの持つ知恵に現界というものがある。
あちらでは食の必要がないためか、食べることが重要なことに思い至らなかったのかもしれない。
それとも、神ゆえに、いい食事を出してもらえると思い違いしたのかもしれない。
ここは高級ホテルではない。
山奥のあばら家だ。
芋とかゆをすすって生きている山人のところへ、ようこそ。
カテゴリー: 創作作品
マシュー君のメッセージ
>シンクロニシティ(共時性)という現象をたぶんこのブログの読者のみなさんはいたるところで経験なさっていることでしょう。どうみても偶然とは思えない出来事がつぎつぎと起きていませんか。たぶん、時間が加速するというのはこのことかもしれません。
森田 玄さんの解説ではじまるマシュー君からのメッセージ(25)の出だしです。
うん、まさに今はそうだと、久しぶりに拝見したら、まあまたびしっと明解が書かれておりました。
長いですが、ぜひ読んでみてください。新神話と同期が取れてますよ。
https://moritagen.blogspot.com/2009/09/blog-post_27.html
鳥居からかごめ歌、弥勒下生まで
以下は奥人仮説です。
鳥居考
鳥居はドルメンが原型です。ドルメンはそこが聖地であることを示す表象です。その場所でシャーマンが祈りを捧げていました。
鳥居はその名のとおり、鳥がそこに起動されずに眠っていることを示します。
鳥居は奈良時代から作られるようになり、神社建築に伴う付属祭器のようになりましたが、その地が聖地とされる証の表象でもあります。しかも、鳥がその聖地に眠るとされていたのです。
それは平安京にも受け継がれました。その神社建築の伝統が日本全国に広がったと見られます。が、もともとは畿内の聖地だけが対象になっていたわけでしょう。
古代の為政者側のシャーマンは、この聖地の上にカバラによるカゴメ結界を築き、鳥の活動を封じてきました。それとともに、太古神も封じてあるのです。太古神は、縄文時代などの先史時代を育んでいた神で、いわゆる生命系(有情)の黄金時代を築く神でありました。
その大地に、何波にも渡って邪神の侵略がありました。そして最終段階をエージェントたる日本の古代為政者が作り、以後を統治しました。
太古神らを封じておかなくては、彼らの意図する展開ができなかったのです。歴史時代とは、彼らの意図する歴史展開を見届ける証人を立ててきた時代なのです。このために口に出す言葉や、書き記す文字が編み出され、証人によって刻み付けられてきました。こうして、歴史は残されるようになったのです。
いっぽう黄金時代には、立てるべき証人は要らず、言葉というものも大容量転送でなるテレパシー通信でしたから、大地に刻まれるようなこともありませんでした。このため、黄金時代の音信は噂の中にしか存在しなくなりました。
すべてがレベルダウンさせられた密度の状態で歴史時代は開始されていると言ってもいいでしょう。それはいま言われている次元上昇とは逆巻きの節理だったと言ってもいいかも知れません。が、それに伴って、邪悪な意図が移入されたのです。
彼らは何かと言うと「大量(おおはかり)」という言葉を使います。つまり、大きな意志の計画だと言うのです。それであるなら、今や大量によって、彼らが駆逐され、太古神が復活するときがきていてもおかしくはなく、それが正当な手順となります。それを表わした歌が、かごめ歌だったのです。
日本に来た為政者階層は、習合という美徳を持っていました。それは先住民を懐柔するのに役立ち、無益な殺生を避ける手段として評価できます。このため、遺物や伝統の中に、太古の意趣を宿していたりして、民間伝承にも名残っているのです。
弥勒降臨
ではどのような鳥だったのか。鶏のように、少なくとも頭が赤い鳥です。朱雀から丹頂、鶏にいたるまでの。
釈迦が未来佛として預言した弥勒菩薩の登場する場所があります。そこを鶏頭城といい、その日まで鶏足山で待機しているのが釈迦の弟子、摩訶迦葉という構図があります。
摩訶迦葉とは、釈迦の一番弟子で、「釈迦没後に行われた「結集」から20年。彼は鶏足山と云う山の頂に立っていた。彼は世の無常を厭うているのだが、釈迦は臨終の遺言で自分の教えを守り立てることと、とある袈裟を弥勒菩薩が現れるまで保管しておくことを命じられていた」という人物で、未だに鶏足山で禅定して生きているとされており、日本では、同じく入定信仰の共通性から、空海がこれに比定されてきたわけです。
彼は「将来、弥勒が竜華三会(りゅうげさんね)を終えて合図を送ると、彼は山から出てきて釈迦の袈裟と言伝を弥勒に伝える。そして空中に飛翔すると火定(かじょう)に入って滅度するのである。弥勒の説法に会ってさえも仏教を信じようとしない者達も、さすがに生きたタイムカプセルを目の当たりにして帰依するそうである」とのこと。そして、どうやらその神話は空海を指名することになったもようで、空海もこの日ようやく晴れて、滅度することになるというわけですね。どうしてそうわかるかは、もう少しあとに載せています。
そこで、空海が異界の鶏足山たる高野山に入定するなら、異界の鶏頭城とはどこなのか、というわけです。高野山を足置き場とするなら、頭は構図的にその上方にあるはずで、鶏頭の音から、京都ではないかとか噂されているわけです。
生命の木の図は、現界の国体と並行して走る異界の国体に存在する、いわば、みたての五臓六腑図です。古来、神道や仏教はこの異界の国体護持のために活躍していたのです。これがひいては、現界の国体の健康を維持するだろうと。しかし、元の意趣が廃れれば、このシャーマニズムの原点が支えられずに、元からして崩壊します。いちおう神道だけが、秘密裏に守り抜いているようですが、もう元の意趣はほとんど残されていないでしょう。
異界の国体に鶏が描かれている。その位置的関係として、現界のどこになるか。鶏はカゴメに閉じ込められている。生命の木の図柄がほとんど現界のメジャー祭祀霊場に照応しているとならば、閉じ込められて見えなくさせられている場がひとつ確かにあって、ダアトとされているわけです。
そこが確かに鞍馬(暗い間、見えない間)と名づけられ、重大な神が祀られています。
サナート・クマラ、大魔神、金星王、金色大使、毘沙門天、ウシトラノ金神、そして弥勒となる布陣です。弥勒は金剛界曼荼羅の大日如来の北東に位置する神ですから、ウシトラノコンシンの一形態と言えるのです。
これらは異界における構図です。現界の鞍馬が弥勒登場の地というわけではありません。表象として鞍馬があるということです。しかし、信仰は表象を対象になされるので、これでいいのです。
日本の黎明期黄金時代の国土は太古神の意志を受けて、鳥が守護していました。
太古神復活とともに、封じられていた鳥が、再び出てくることを、かごめ歌は表わしています。
鶴亀すべり鳥を出す
「鶴と亀がすべった」の「すべる」とは、「統べる」「渾る」の意味であり、統一される、渾然として一体となることを言います。このため、掛け軸などには、鶴と亀の図柄を渾然として描いたわけです。一幅の絵画の中に並存すること、それが吉祥と考えられたゆえにです。それは、来るべき日のシミュレーション的な行為と言っていいでしょう。同様に、鶴と亀のシンボルを持つ者のカップリングもこれを招来するシミュレーションでありました。特に、神話の雛形として役柄を得た者同士は、それ相当の影響力を持っています。
新神話は、その力の発現時点が、この鶴亀すべることにあったと言えます。お互いが偶然とも見える必然性に導かれるようにして出会ったのです。一人は御伽草子の浦の嶋子、もう一人は乙姫として出会い、それぞれが鶴と亀を担いました。こうして、新神話に大きな牽引力を与えることができたのです。
そして昨年(2008年)、この協力から生まれた子神の中から、弥勒が誕生しました。高野山において、亀の雛形たる撮影者のカメラに、鶴の絵のすぐ上に亀甲紋型オーブが写り、亀の雛形の夢の中に空海らしき僧が金るの袈裟らしき光りものを持って現れ、「まもなくお生まれになる」との言葉を授けられたとのこと。その一連の事象の解読において、弥勒下生なるとの解釈が成り立ちました。
この年、アオウミガメの産卵が過去最多となったのも、絆の強さの成果の現界的現われとみられます。国津神としての子等がたくさん生まれて、六角オーブとしてカメラに収まり続けるという現象も起きています。これは国津神の続々たる復活であり新生であります。次代の地球は彼らによって支えられることでしょう。黄金時代のプランを彼らに教えておかねば、と気をもむのは、親馬鹿というものでしようか。
弥勒は太古の神々の復活の一角として下生します。彼は神ですから、ただ一人物だけに顕現するわけではありません。もしかすると世界人口の何割にも渡るかも知れません。その判別法は、地球のこと、環境のことを考えて行動しているかどうかです。該当者はみな弥勒の眷属です。それゆえ、弥勒思潮として大衆運動を伴うかもしれません。新神話では、弥勒は草の根運動を伴うとしています。またその総体を言うとしています。
そして、鳥は最強の守護神獣として、魑魅魍魎に化そうとする邪神とその配下および構築物のことごとくを駆逐殲滅することになります。
地球は太古にあった姿をさらにレベルアップして現れ出てくることでしょう。黄金時代がやってきます。
太古、金は人体のメンテナンスに必須の道具だった
この物理世界(マシュー君は3次元密度世界と呼んでいるが)が今なぜ我々の主たる観測対象となり、ホームポジション化してしまっているか・・・は、この物理世界の開拓時代にまで遡って根拠を求める必要がある。
すでに何度か話してきたことだが、我々の祖先はもとあったところから竪穴を築いて、この世界にやってきた。当初は研究が目的であり、後には開発して、生命が生命たる所以の発展へと推し進める目的が加わった。その当時の開拓要員たちの子孫が我々であるという認識は決して間違っていない。
その後、様々な歴史が開拓史に付け加わって今に至っている。そのあらましは新神話で取り上げているので、そちらを参照願いたい。
今回は掲題の「金」が我々にどのように関わった金属であったかという話だ。
我々はよく潜水服(あるいは宇宙服)を着て、この世界にやってきているという表現をする。この世界で最も進化した生命体を土台にして、人工生命体(潜水ロボット)を作ったのが、我々の個々を特徴付ける人体というものである。我々はそこに自身を乗り組ませ、ロボットの意識と同化してこれをコントロールしている。
ロボットには、それを動かすエネルギー源や栄養源が必要であるだけでなく、メンテナンスの時間や道具が必要になる。必須栄養素などは、従来の生命体が摂取していた環境から手に入った。メンテナンスの時間は、ロボットが休眠している時間で半自動的にまかなわれた。(眠りに就かねばならない生命体は、すべて後発的な人工生命体である)
特筆すべきは、メンテナンスの道具の中に、掲題の「金」や貴金属や特定の鉱物があったことだ。
我々の構造は簡単に言うと、ロボットである人工生命体・人体、それと霊質である我々自身、その二者を糊のごとく結びつける幽質・幽体で成り立っている。メンテナンス道具は、この幽質部分に働きかけ、ロボット起床後の円滑な動きを保全する働きをする。人工生命体を作る際、この世界で最も化学的に安定的な金をリンクさせて長期に渡る使用に耐えるようにしてあるのである。
このため、開発要員として送り込まれた者のすべてに、一定量の金や貴金属、鉱物類が受け渡されていた。それをメンテナンス時間に決められた用法で装着することによって、長期間の稼動が保証されるものとなっていたのである。この人体ロボットは、決められた使用法に従えば、数百地球年の耐用が効くとされていた。ところが、今では正確な使用法が記憶から失われ、ロボットの耐用年数は著しく劣悪なものとなっている。そうなるまでにどういう経緯があったかは、新神話を読まれたら良い。ロボットとして送り込まれることそれ自体が、懲役刑受刑の用途となってしまっていることが、何があったかをおぼろげにでも推測させることだろう。
しかし、今やチェーンヒート(囚人暴動)の時代となり、あらゆる秘密が暴露される過程にあって、新神話もそのような時代に即応するようにして登場しているわけである。
さて、ここで最も身近に手に入る「金」についてである。これは今や、富や地位の偏りによって、極端に配分が偏ったものとなっている。食料など環境から容易に手に入るはずの栄養源ですら、このような偏りの中にあって、真の効用からは程遠いものとなっているわけだから、いかにこの世界が退廃してしまったかを物語っていよう。
かの、地球上で最も霊的に啓発されたとされているインドですら、金は富裕層の独占物となっており、この国のいかに偽善的存在であるかを如実に物語っている。これが世界の霊的リーダーというのだから、世界を推して知るべしである。聖者のあまた居る国とは、真っ赤な嘘であり、いずれくる印パ核戦争によって、かの国に存在した、ラーマヤーナなどの神話の真相が露呈するであろう。所詮は、邪神はびこる霊大国として歴史に刻まれることになるはずだ。邪神は、この世界に不均衡、不平等、偏向、強欲などの諸悪を持ち込んだ。秘密や階層構造的支配は彼らの跳梁跋扈の証である。かの霊大国は、これらの諸悪をいろいろと論理的こじつけをして重用する超悪大国なのである。
その国で「金は魔よけ」とされてきた伝統がある。というのも、金を身に着けることによって、幽体を構成する幽質の霊的流体の流れを、金波動によって安定させ、円滑にすることができるからである。
人体というロボットに対して、幽体側からのコントロールが経絡を通して行われるとき、霊的流体が円滑に流れていなければ、その滞った箇所の組織が電気的異常によって凝りはじめ、血流異常を起こしだす。血流異常は細胞内の化学的組成を変えてしまい、組織に病変が生じてくるようになる。
こうして、癌などの変性部分が出来上がる。癌は、元あった細胞が、外部環境の悪化に対抗して、自らの存続を賭けて、独自に生き延びるべく進化したものである。外部環境を元に戻せば、場合によっては元のものに戻る可能性もあるが、外部環境の安定が信じられない以上は、独自の暴走を止めることはない。それはテロ組織について見ればわかることだ。
そうなる前に、人体ロボットへのメンテナンスをしっかり行うことが必要になるわけだが、それは人体の主である個々人の知識や考え方、さらには性格まで深く関与するというわけである。
健康への配慮のない人はもとより論外だ。配慮があっても、知識や手段を誤用している人もいかに多いことか。
そして、「金」は利殖のために置いておくのでも、インフレ対策のためのものでもない。タンスや貸金庫に眠らせたり、持っていることで階層的上位のステイタスとしようなどという向きは、無用のものとして、剥奪されて然るべきである。
ただ身に着けて、自らの人体を好調に保つことのために、それは存在したのであり、パソコンの基盤の中に用いることですら、果たして好ましいものと言えるかどうか疑わしいほどだ。
さて、いつでもどんな場所でも試してみたら即座に分かると思うが、金をじかに身体の凝った箇所に当てると、数秒も経たずに凝りが解消される。
首筋の凝りから来る頭痛なども、凝りの解消後やがて緩解し治癒する。
私は就寝中の心臓の動悸の発作を止めるのに使っている。その効果は、数秒の後に現れるほどだ。だから、裸で寝ているその下に密着するように敷いているわけで、快眠の基になっている。
高価な費用をかけてする針灸。これらはわざわざ出かけてしかも痛い目や熱い目をするが、金は最初のひやっと感だけで、すぐに肌になじむ。針灸などよりも遥かに効きがいいだろう。
新時代には、これを万民に一定量ずつ配布して、二度と貨幣の代わりなどにしないシステムにしなくてはならない。邪神は金の(人体ロボットに対する)必要性を太古から知っていて、わざと蛇口を狭くして、人類をコントロールしていたのである。気に入った者にのみ授けるような格好にして、その実、効用法を教えたりはせず、無駄だらけにしてしまっていたというわけだ。資本主義は邪神が作らせ認可した最も邪悪なシステムなのである。そして邪神は、人類全体の真の敵であったことが明らかとなるのである。
I’ll pray for you
終わらない旅はどこまでも続いてゆく
君の幸せを誰よりもずっとここで祈っているよ
強く強く願うよ
いつかまた会えるその日を信じて
僕は笑顔を忘れない
遠く遠く離れていてもずっと近くに感じられるよ
想い出は消えない
この空はどこまでも繋がってるから
ひとりじゃないよ ずっと