ちょっと気になった小鳥のさえずり

ついさっき、11時ごろのこと。屋根での作業の残りを午後にすることにして、部屋で休んでいたら、外でけっこうけたたましく、小鳥らしい声がしていました。何言ってるのか。
「にげちゃってにげちゃって。にげちゃってにげちゃって・・・・・」
どう聞いても、「逃げちゃって」と聞こえます。
そういえば、私の指には小鳥がわざわざ停まりに来るようなことがありましたから、
もしや、私に何か警告を発していたのでしょうか。
それとも、たまたまこういう発声をする小鳥が来ていたのでしょうか。
珍しい鳴き声のように思いました。
そういえば、熊本地震のあと、連動して南海トラフとか中央構造線が動くといった情報が飛び交ってましたね。
またそういえば、5月11日が三日後ではないですか。
ほらほら、2015年正月版エコノミストの表紙絵に、アリスの足元に”5.11″という矢が立ってましたがね。
まさか。
そして、2013年5月11日といえば、今からまる三年前になるのですが、私の未明の夢が出雲大社で起床した夢だったんですね。
つまり、こちらで夢に入ったとき、あちらで目覚めたと。
かつて荘子が、夢に胡蝶となる・・・といった詩を残しましたが、こちらで寝たらあちらで目覚めたという意味の夢ですね。
彼の場合は、蝶々になったというのですが、私の場合は出雲のお客人かもしくは何らかの神? という意味になるかと思います。
たぶん、人間の死というものもよく似ていて、何も不自然に思わず、次の世界にいる(夢を見ている)のではないかと思うのですね。
まあ、もし5月11日に大地震(南海トラフ)があって、私が突然死ぬようなことがあったとしても、また次の何らかの光景を見ているのだろうと思うのです。なにぶん私の場合はここでダメでも別のタイムラインにリエントリーして、何も不思議にも思わず生きている可能性のほうが大なのです・・・ああ、今もまた「にげてにげて・・・」と言いに来てるよ。こんどは「にげちゃって」じゃないぞ。ウワーッ。
どうやらホンモノの感がしてきました。
はて、地震が来るのかどうかはわかりません。二度目には言葉尻を変えてでもさえずっていたとすれば、何かありそう。
しかし、私は逃げ出すわけにはいかない。もう歳だからね。それに、猫三匹に誰が食べさせてやるの。
猫たちには確かに、たびたび言い聞かせてるんです。
私が死んだら、お前たちで生きていかねばならん。生きていきたかったら、野ネズミでもトカゲでも狩りをしていかねばならんぞと。
むろん、無理は言わん。ダメだったら私に殉じなさい、と。
最近、タキが離れで暮らすようになったのは、自立心の表れのようです。
トンが私に対してよそよそしくなったのも、自立心でしょう。
ブーは食事するとAさん家へ行ってしまいます。向こうに妻子がいるからね。
私は大地震が来たならここで死んで、なるべく裸体を晒して、猫たちの食事のたしにしてもらうべく、横たわります。
死体をすぐには片づけるなと遺書しときましょう。(お釈迦さんの捨身飼虎のココロ)
鍋島藩の猫騒動のようなことがあっても知らないこととします。
我が魂魄はわき目も振らずただちに次の工程に入ります。
さて、そんな懸念もあって、新神話などの資料をホームページから公開しようと思います。
ただし、一般の方はご遠慮願います。見ても読んでもわからないでしょうし、かつては協力者の巫女さんが読んで、そのことによって、神世の宮廷女官が受け取っていた資料です。そうした前身的資料のおかげで神世は浄化されています。残りは私が神世に持っていき、神々に配布し説明する予定でいます。
しかし、地上界でも説明され理解されれば、地上界の浄化もまた果たせる、とは神世の係官から聞いた話です。
地上の浄化はあるべき姿かもしれませんが、成否は問いません。代わりに最後の審判があるから、それで十分だろうというのが私の推測です。
そこで、お見せするのは、やはり協力者の方といたします。
この記事の「続き」に資料への入り口のアドレスを近々書くつもりですので、よろしければ注意して見ておいてください。
また、資料がご覧になれたとしても、非常に長文です。無理に読もうとしないでください。公開できただけで本意は達されます。

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