母の日からタイムマシンまで

巷では今日は母の日といい、カーネーションを贈る慣わしらしいが、拙宅では種から蒔いたカーネーションが、まだ葉も七八枚の幼苗でしかなく、いったいこの日に合わせて売られているものとは?と首をかしげているようなことだ。
同様に、私にとっての母はまぎれもなく純粋な母であり、同時に伝説多き母であるものの、拙宅のカーネーションのごとく、花をいつ咲かせるやわからぬ、いやこのまま咲かなくてもいいのかもしれない存在となってしまった。
私はその伝説の側に影響を大いに受けて、今があるような気がしている。私が真理探究と超常趣味にはまり込んだのも、その影響と言える。
それは何度もしてきているように、母の出生前夜、あるいはその直後の伝説である。
私はそれを見てきたわけではない。祖母および祖母の話を伝え聞いた母から、あるいは母本人の体験談として聞いたわけだから、伝説ということになろうか。よもや話を膨らますような性格をした人たちではないから、いっそうインパクトがあるわけである。
ひとつは、”毘沙門さんの二十日に子が生まれる”という祖母への夢のお告げと、もし男として生まれていたなら、位人身を極めるはずだったと修験者二人から告げられていた伝説。
もうひとつ、幼少期に弟と共に”ぬえ”と長時間対峙していたという伝説。
母は誰教えることもなく、路傍の地蔵さんや道祖神を見つけると、行って手を合わせていたというから、前世は仏教の篤信家であったことは確かだろう。祖母も篤信家だから、場を選んでやってきたとも言えるだろう。そして、毘沙門天の加護を受けての誕生だったに違いない。ところが、赤子として生まれた当初、後頭部に大きなできものがあって、当時の医療技術で以て手術したそうである。
母は、自分が利発でないのは、このできもののせいかも知れんとこぼしていた。
しかし、霊的な聡明さは今でも驚くほどだ。母が残していった無駄と思える品々が、今私の農作業に欠かせないものとなっている。たとえば、15Lほど入る給水塔。これなど、十年以上前からあるが、今は水耕肥料を入れておくのに重宝している。農業用ビニールの束や、園芸支柱、ブロックなども豊富にある。100Lサイズの大型バケツも、場をとるので重ね合わせているが、7,8個はある。いざのときの水の保存に十分ではなかろうか。
その他、私が決して不自由をしないように、いろんなところに工夫が施されているのを見ている。
そこで思うのは、もし母が男であったなら、亡き後も、国民(いや世界市民だろう)に国家百年の大計と末永い恩恵を与えていただろうと想像するのである。その恩恵をいま、私一人が独り占めしているようで心もとない。
私はそこでひとつの仮説を提唱したい。こうしないと、私も辛い気があるからだが、それは
歴史にはいくつものケースがありえているのであり、しかもそれは後の祭りなどではなく、今もなおパラレルワールドとして実在し稼動している、というものだ。
ジョン・タイターが未来世界からこの世界にやってきた経緯として、時間を遡り世界線を遡り、ある地点からこちらの世界線に入って、未来へと辿って目的のアイテムを見つけに現れたという話があった。彼は、それを元来た道を辿り、自分の世界に持ち帰って、世界の助けにするという。
ちょうど私も、真理探究の過程で、プログラム時空仮説を考えていた。タイターの話はほんの最近に知ったこと。(マトリックスのほうがまだ早いくらいだ)そこには、拙仮説を支持する話が盛られていたのにびっくり。タイムマシンがもし真にあるのなら、このように運用されなくてはならない。
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タイムマシンはUFOが時空連続体(プログラムの塊)上の空間軸を移動するのに用いる原理を時間軸側に適用しただけのもの。とうぜん、UFOには両軸に移動するものがあっても不思議ではなく、要は現象の元にあるのがプログラムであるという性質を見れば、その性質を逸脱しない限りどんなマシンでも可能になる道理だ。
またこのマシンは、なにも物理次元の金属物体で構成される必要はない。異次元の物質(霊質)で構成されるものであっても良い。霊魂、霊体とは、このマシンのことである。
そんなとき、マッチョマンさんたちが紹介してくれたこのサイトを見た。
どうだろう。霊魂は過去に遡って、時空を体験しうるという話があるではないか。プログラムはリエントラント(再入再試行可能)なことは、誰しも知っていよう。(もっと面白い迫真の仮説を思いついたので、次の記事にしよう。横道はここまで)
話を元に戻して、
母も同様に、ほんらい向こうの世界に生きるはずだったのだが、こちらの世界にどうしてもあちらの世界にとって必要なアイテムがあって、それを手に入れに来たのではあるまいか。そのアイテムも、なにも金属物体である必要はない。母はよくニュースを見ながら怒り、そして黙するのが常だったが、為政の失敗例など、テレビで把握できるものだけで、露骨にたくさんある。
母はきっとたくさんのアイテムを手に入れたのだと思う。
私が呪縛の偈を含む般若心経を朝昼晩唱えていたために、なかなか向こうに戻れなかったようだ。
それをやめて水とお茶と簡単な挨拶に代えてからは、母の夢見もなくなった。
適時にPさんを通じていろんなことが教えられたこと。これはやはり、そのプロジェクトからの神々の要請であったと思う。
世界をあらゆる局面において救おうという試みが、どんなパラレルワールドにおいても行われているとするなら、こんな心強いことはない。その救われた者たちが、今度は別の絶望的な世界を救おうとやってくることもあるだろう。彼らはタイムマシンとUFOを合体させたようなマシンに乗ってやってくる。それが真の博愛というものである。
歴史の進化した段階でしか現れないタイムマシンやUFOは、それぞれの世界における未来への希望を繋ぐための有用なマシンとして、フル活用されて然るべきものとなる。
ハラー・ブルザティー。盂蘭盆会。古代人が山のかなたからときおりやってくる祖霊たちの祭りを欠かさなかったのも、自分たちが一種の漂流状態にあることを思ってのことであり、安全無事な国からの救助を請う祭りであったのかも知れないと、お釣り的思いに浸る。

「母の日からタイムマシンまで」への2件のフィードバック

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    奥人様 皆様 おはようございます
     [色:FF0000]<タイムマシンはUFOが空間を移動するのに用いる原理を時間側に適用しただけのもの。とうぜん、UFOには両軸に移動するものがあっても不思議ではない。要は、現象の元にあるのがプログラムであるという性質を見れば、その性質を逸脱しない限りどんなマシンでも可能になる>[/色]私もそう思っています。プログラミングという表現も実に適した感じがします。人間の心・自由な意識作用自体がプログラミングともいえますかね。
     法則を逸脱しない限り、まー逸脱できないのが法則ですが、何でも自由にして良い世界で遊んでいるようなもんですね。 ただ、この地球ではどうも「重たいという感覚」を学ぶのがカリキュラムの中心になっていたようです。そのカリキュラムも、この時空圏にやってくる存在達が勝手に作り上げてきたのでしょうね。しかし昨今の情勢は、それも飽和状態になったようであり、必然的に1段軽くなるような移行があるのでしょう。別にこれも自然な流れです。巷ではアセンションだ・破滅だ・あるいは限界だ・・と騒いでいますが、電子の軌道ジャンプのように、飽和した形態は必然的に次の層に移行するわけでして、その新しい層(レイヤ)の特性に合わせるかどうか、今までどおりの自己意識作用:プログラミングであれば、同じような層を、別の存在時空で体験するか、の違いではないかと思います。意識的な層ジャンプでもあるため、やはり同じような近隣宇宙の意識存在達の、いわばケアー部隊が地球時空の周りに駆けつけているようなものでもあると思います。[絵文字:v-453]

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    マッチョマンさん
    まさにおっしゃるとおりの思いを私も持っております。
    重たいというのも実感できますし、その中から浮き上がってこいというのも強引な話です。
    というわけでこのカリキュラムには、個人的に同意できないところがたくさんあります。しかし、まるでこちらから受験を志願してきたかのような扱いを受けているのも不本意というもの。大学側に撤回を求め・・あれ?話がおかしくなりましたか。
    ケアー部隊が駆けつけているというのも、その通りと思います。もしかしたら、救出のための工作部隊かも知れません。などと、つい気の荒いところが出てしまい申し訳ありません。[絵文字:v-435]

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