掲題についてお話する前に、まずこんな話をしておきましょう。
いやあ、彼の予言を見て、ここまでストレートに出してくることが可能になったのだという驚きの印象でした。
一昔前までは、憚られるので時期は話せないとか、あちらの命令なので明らかにできないとか、誰でもちょっと過去の予言を紐解けばできるわといった具合の茫漠とした話しかなかったのですが。ノスさんにしてもそう。
それがもうストレートに時期まで明示して出現している。
これはもう・・・。
私のような時空論者には垂涎の情報であると同時に、いよいよ来るところに至ったかの感を抱かせるものとなっているのです。
ジュセリーノ氏が言っている「地球の温暖化」については、私の研究では、「古事記」がとうの昔から予言していることとして捉えていました。
そこには、人類の文明の発展過程が語られていて、燃焼原理によって黄泉の国に赴くことになると記されている。つまり腐乱した死に体の世界ということであります。先の見込みのなくなったどん詰まりの文明というわけ。
黄泉に導く燃焼関連の事物で最も顕著なのは、戦争兵器の記述。むろん石油関連表現も出てくる。それに付随して、需給で成り立つ市場流通経済の発展なども出てくる。堅牢な鳥のような船(飛行機)も出てくる。
これは解釈した当時から、えらいことだと思っていましたが、解釈の現場から世に訴えることができるわけではありません。
それはそうでしょう。世は高度経済成長に移行してさらに真っ只中へと進む。自分の目先の暮らしを考えていくのに精一杯の中にあって、私もおのずとそれに埋没していったからです。
そして、心の中で「賢者はだまって世の行く末を見届けるもの」と自分で納得を決め込んでいました。
最近になってホピ族の神話に触れることとなり、古事記とは同じ考えながら、より具体的に語られていることに驚いたものです。
ああ、これは古事記の言っている警告そのものだよと、心震わせながら読んだものです。
何よりもすごいと思ったのは、ホピ長老が伝統を破って、部族の予言を携えて国連に訴え出たこと。
何もできずにいた自分と比べたことは言うまでもありません。
これでは宝の持ち腐れもいいとこです。
ホピには識者がいたから、伝統の中で連綿と語り継いでこれた。ところが、古事記をサポートする識者はいなかった。結局、何世紀にも渡って文献だけが取り残されていたというわけです。
むろん、先駆者本居宣長は果敢に手がけましたが、よもやそこに語られる未来知識のことなど及びもつかなかったはずです。これは仕方ないこと。彼の偉大な功績は、翻訳書を書いたことにあります。
ところが、後世の文学者は意味を読み解けなかったのです。民話の集成と位置づけたので、振り向く人もいなかったのです。
何十年か前に、ようやく山田久延彦という人が現れ、超古代やら宇宙やらと結びつけた考えをもたらしました。その当時に私も別解釈ながら、古事記の解釈をやっていたわけです。
ガリ切りして、当時のクラブメンバーに随時、成果を配布したりしていました。トナー式のコピーが出回るのはまだまだ先のことで、苦労したことといったらなかったです。しかし、成果のアピールは楽しかった。
さて、私にできることは・・・今さら後の祭りの気もするわけですが、ならば古事記にも書かれている、たぶん唯一の救済節理になるであろうことについて、伝えていけたらという思いでいます。
その内容はかなり脱常識、破天荒なものです。SFもはなはだしいかも知れません。しかし、この先のレールの破断が確定的とお思いになる方のために、伝えていこうかと思っております。
不思議なことに、餅は餅屋。古事記だけでなく、そのSF話に類したことばかり趣味でやっていた経緯があり、その時点に予想される出来事から、対処法に至るまで詳説できるのではないかと思っています。
なお、それは生身のままで世の終焉を乗り切る方法です。魂として過ごすおつもりなら、さほどあがくことはありません。成り行くままになさったらよろしいかと思います。
問題はその方法論の信憑性、前提となる諸論の信憑性についてですが、たぶんに私の推敲の所産によるため、保証は一切できないことを申し上げておきます。すべて自己責任において判断ください。