貸農園のひと畝(12mX0.9m)を今年も借りてまして、ナニを植えております。
ナニとは何か。
それはかの昔、米沢藩の上杉鷹山公が領民に推奨されたという、”かてもの”(糧物=食べられる植物)の80種類のうち、一品種・ほど芋(アピオス)を数年前から植えておりまして、何もしない農法で、いわば放ったらかしにすることが、経験的にいい(私はですよ)ということがわかっている作物です。
サツマイモなどに比べると小さく、また甘みも淡白なのですが、滋養分は5~7倍という、なかなかのものです。
しかも、そのまま土の中に置いておくだけで保存も効き、同時に育っているという、まあいわば、昔の郵貯定期預金のような旨みのある作物なんですね。
肥料はやらなくてもいいみたいなんですが、東北の生産地では鶏糞をすき込んでいるとのことで、私も鶏糞ならと、去年は20Kg一袋を畝にかぶせときました。今年は、袋が大きめに破れたもので、二袋になっちゃいました。約200円。これであとは放っとくのです。
いやいや、イモ科ではなくマメ科なので、6月にもなれば蔓を2m以上に伸ばすため、その前に支柱の支えと網の設備が必要になります。その手間がかかりますね。
花もつけるのですが、地上にマメはできずに地下の根が太りまた増えるという具合です。
花を摘んだ方がイモが大きくなるとはいいますが、私はそんなむごいことはできません。(というより、なにもしたくない)
そしてまた、キリン草などの雑草が大きく生えてきますが、まったく抜いたりしません。(面倒なことは、したくない)
逆に雑草を抜いたりすると、その部分だけほど芋の本体が枯れてしまうのです。これにはびっくりして、放ったらかしにすることに決めました。これには農園の管理人のほうがびっくりしてましたね。周囲の利用者には、顰蹙ものかも知れんですが、どこにでもいるような、投げ遣りな奴だなあとでも思っといてもらったらいいのかな。そんな畝は他にいくらもありますから。
お蔭さまで、越冬をみごとに果たし、開けてみれば大粒芋になっておりました。
前に1mX0.3mほど試し堀りしましたら、こんだけ収穫
鷹山公はこれら”かてもの”によって、領民を天明の大飢饉から救ったとか。偉大な領主さまだったわけです。
米作は幕府の命令ですから、これは手を抜くわけにはいきません。そんなとき、手を抜くほうがいい作物なんて、そうあるものではありません。しかし、農民は米を口にできなくても、そういった植物によって、かろうじて生きてきたのですね。
鷹山公亡きあとも、後代の領主は”かてもの”を推奨したそうです。後に起きた天保の大飢饉も、米沢藩はみごと凌いだとのこと。
あっぱれ、あっぱれなるかや、鷹山公。