個々の固有の宇宙とは

誰一人として、同じ宇宙を歩く人はいません。
私の言っているのは、同じ人生のタイムラインを歩く人はいないという意味です。
直前の人と同じ動きで従うパフォーマンスをするグループ芸人がいますが、それでも彼らが食事をしたりトイレに入る時は個々別々でしょう。
タイムラインが異なるということは、各自の創造する宇宙がそれぞれに異なるからです。
各自がそれぞれの宇宙の創造主であるということ。
しかし、創造主であるからといって、その宇宙の成り行きに対して責任があるかというと、そうではありません。
宇宙の成り行きは、別のところからの配給に依ります。配給された宇宙が破壊されて滅んだとしても、配給ソフトの仕様がそうなっているのですから、みなさんの責任ではありません。
責任があるのは、それを見届けることにあります。だから、見届けを中座する自殺などは、責任放棄を問われるのが過去の通例でした。
しかし、ソフトの仕様上、それをある場合に限って許しています。
それはみなさんが黄泉の国の非常に過酷な局面に至った時、その腐敗から魂の高潔さを保つために行う、イザナギノミコトの行動に合わせること。その場合に限っています。
が、今はその規約も緩んでいます。
というのも、今の時代が黄泉の国の時代のラスト付近に差し掛かっているからです。
古事記の神話はこの宇宙(世界)の仕様書のあらましを記述したものです。
ほぼ同じ仕様の宇宙を旅する我々は、その仕様に載るシナリオに沿った中で、引き寄せの法則などの心の技術を使ってサバイバルしているわけです。
大きな川の流れの中で、心の持つ遊泳力で自分の理想に近づける努力をしている姿が我々です。
川の流れさえ変えることができる人もいるでしょうが、その人固有の宇宙においてであり、他の人の宇宙においてではないということ。つまり、普通の人は川の流れに流されるしかないのです。
第三次大戦がやってくるのを回避することができなくとも、心の法則で小さな変位を起こし、核爆発地点から離れていることはできます。もし核によってそのとき死んだとしても、責任はまっとうされたことになります。
昨今、心の引き寄せの法則を語る人が増えていますが、一方的な話になっていることに気づいてください。それはまるで、心の法則を理解して使っていないから、世の中が悪くなっている、あるいは世の中を悪く感じていると言わんばかりです。幸も不幸も人しだいというわけ。
その誘導の先には、すべて個人の自己責任にすり替えて、人のせいにしてしまおうとする動きがあること。
悪魔はいつも、その存在を隠して、神と人のせいに押し付けるように、人々の意識を誘導しています。
そして、おそらくこの世の先には、人類の滅亡と、次の時代(第五の時代)がやってくるというふうに繋がることになっているのでしょう。
しかし、その第五の時代の黎明期の歴史書には、「過去の時代もあったが、人類の愚かさに怒った神々の差配により、滅ぼされた」と語り継がれることでしょう。ちょうど今時代の最初にそうであったように。
そこには、悪魔が跳梁した故、という内輪話は微塵も出てこないでしょう。
歴史の書き換えは、彼らの常套手段とのことです。
第五の時代の最初にも、また神話のシナリオが設定されることでしょう。
それが次の時代の仕様書だとして認識されてもいいように。そして人知れず隠されて。
どうもパチンコ台(ゲーム機)の前に居憑きたがるのが人類なのかもしれないですね。
海物語の次は新海物語といった具合。
その実態を今回、天帝様にはお知らせするつもりです。こんなインチキにみんなひっかかってますよ、と。
むろん、私固有の宇宙における話であって、みなさんの宇宙に干渉するつもりは毛頭ありませんので、誤解なきよう。

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