ダイ・ハードとは死に損ないの意味。同題名のハリウッド映画「ダイ・ハード」はブルース・ウィリス主演のなかなか死ねない刑事の物語。主役は壮絶極まるアクションに息をつく間もないほど苦労します。
それでもまだ死ねない、死なない。
傍から見ればいいやないかと思われるかもしれませんが、やってる本人おおまじめ、見ている観客どっちらけのなんじゃこりゃの有様になっていることがほとんど。
そんな性質を持って生まれたようなことなんでしょうか、私もなかなかダイ・ハードなのでございますよ。
また心筋梗塞の死地から舞い戻って参りました。二度に渡るオペ、通算24日の入院、病院からの脱走1回、それもオペの3日後の絶対安静期間にパピヨン(脱走)やらかして、お小言頂戴しました。
しかし、そんなとんでもない奴でも主治医の先生は、懸命に患部を治そうとしてくださることに感じ入り、もうどんな先生の治療法でも素直に受け容れることにしました。
10種類以上の薬を一年間飲み続け、この先9か月後にまたカテーテルで検査することも、でございます。
私の死生観は、みなさんのそれとは、まったく異なることでしょう。いっしょだとおっしゃる方がおられたら、その方は同じことを言い返す漫才ロボットです。(笑)
私は実は、今回も死んだのでございます。もう何十回何百回あったうちの一回、あるいはそれ以上、死んでいるのです。
この2月9日に死に、プレイバックして異なるタイムラインにシフトして、厳密にはその後も何回か死んでさらにシフトを重ねて、最新のタイムラインに意識を置いて、今として認識しながら生きておるのでございます。
こうして、最長不倒距離(寿命)を目指してただいまを営んでおります。
なあに、みなさんもそうでありながら(何度も死にながら)、気付かないものですから、一連の人生をまだ生きていると思い込んでいるだけなんですよ。むろん例外はありますけどね。
キリスト教系には、「神の喜びによって言うが、私は日々死んでいるのである」という言葉があるとか。
小沢道夫さんぱ、「人生、日々これ誕生」と仰ったとか。
お釈迦さんは、刹那滅という、現代科学にも匹敵する断裂の概念を持っておられたとか。
要は、意識経験の旅が人生というものであり、意識なしでは人生は営めないのです。
意識は記憶と連動して、断裂している時空の前後関係を類推し、人生は矛盾なく繋がって営まれていると認識しているのです。
そうしたことを考えていたのはいつの日か。1983年には科学論文にしていました。
いまはここ、「超宇宙の仕組みモデル概念」として電子本にして閲覧に供しています。https://p.booklog.jp/book/91316/read
当時使った説明図の次のようなものは、現代の最先端のM理論においても包括的に適用できることでしょう。M理論とは、10次元の事象を扱う超弦理論をさらに11次元から説明したものと言います。
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11次元の世界では、我々の宇宙のようなものは、10の500乗個もあって、生成消滅を繰り返しているとか。今目下、神の数式として11次元を前提にすれば、整然としたシンプルさで示せるそうです。
宇宙とは何か?を追及して、五体不満足なホーキング博士の頭脳には、最終的にどんな宇宙像が求まっていたのでしょう。いまはもう亡きお方です。
アインシュタイン博士は死後なお向こうで研究と思考実験されていることは了知済み。ホーキング博士もさらに推敲を推し進められることでしょう。
お釈迦さんが言った宇宙の数は、恒河沙(ガンジス川)の砂粒ほどもあり、時間の長さにして百千万億阿僧祇那由他劫にもなっているとか。
彼の到達した所感では、それらすべて「空」だと言います。諸法皆空、五蘊皆空、色即是空とは、「空」すなわち仮想現実なのだと言っているわけです。
仮想現実を創るもの、仮想現実を創り出してやまないものとは、超越的レベルに発展した超々コンピューター(AI)に他ならないとして、私はモデル化しました。
このコンピューターがいっそう進化を遂げるなら、さらに描き出す次元を増やしていくことも、描き出す宇宙ソフトのストレージを増設していくことも可能でしょう。
そこにみなさんは意識の小舟で以てソフトの海に漕ぎ出して、ミクロのレベルで細部を精査してくるシミュレーターの役割をしているとすれば、無限の永遠性が保証されていることになります。
「超宇宙の仕組みモデル概念」は、千古不磨の包括的な宇宙像を預言したものになっていますので、ぜひご一考願いたく思います。
さて、私には50歳以降の人生の扉を開けてくれた最愛の女性がいて、2010年5月15日に沖縄にて海難事故で亡くなりました。
出会うことはままならずとも、意識的交流が醸す不思議やシンクロだらけにお互いが驚嘆してきた、通算7年に及ぶお付き合いでした。
この時空で彼女が亡くなった後、次に彼女に出会ったのが、2013年5月11日の未明の夢の中で、彼女は出雲大社の中にいて、髪長で単衣を着てお歯黒をした平安調スタイルの女御でした。
5月10日は式年遷宮のあった日です。彼女は出雲大社の大国主命の奥様をされていたのですね。https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635600/bookmark
その次に出会ったのが、同年10月3日未明の夢で、彼女はなんと、女優歌手としてデビューする祝賀の席上にいました。
片目に眼帯をしていて、観客席から花束をいただいた直後に、両サイドから放水が。彼女が水に慣れたことを知っている演出が施されているようで、コメディアン的なデビューに思えました。
10月2日は伊勢神宮の式年遷宮があった日です。どうしてこのような記念日の直後に見てしまうのだろうか、それはわかりません。https://p.booklog.jp/book/97441/page/2636826/bookmark
私は、彼女の人生に備わっていた、パラレルワールドのタイムラインを見てきたようです。彼女は、もしかするとその本命のタイムラインでまだ活躍しているに違いありません。
彼女の生前の願いは、女優になることで、若い頃から民間の劇団で稽古に励んでいたのです。それが見事に実った時空を私は見ることができました。
彼女も時空の旅人ですからね。やり遂げるタイムラインがちゃんとあるのです。そのタイムラインにおいて、私はどんなふうに存在しているのだろうと思ってしまいますが、ここからではわかりません。
ただ言えそうなのは、彼女にとって実りあるタイムラインでは、海は死んだりしておらず、毎年のようにスキューバに出かけていることでしょう。こちらのタイムラインでは、すでに大かたの海で珊瑚礁は死んでいますが。
仕方ありません。私が実らせるべき目標は「大建て替え」ですから、この世の質を問わないのです。
むしろ、もうらめえええええええ、といったほうがきっぱりできてよいくらい。どっち転ぶかわからない綱渡りのような成り行きでは、期待が目移りしてしまいよくありません。
ばっさり、この世は失敗作じゃ、ぎりー(斬りー)といったふうに行きたいところ。そうすればこの宇宙はお取り潰しになり、新生宇宙に道が開けます。生成消滅はまたよろしうおますなあ。
そんな10の500乗個の全宇宙の絶え間ない営みにさえ真実がないなら・・・根本的な大建て替えにこそ期待します。