タカタの跡をとりそうでなりません。
タカタの場合はよそさまに指摘されてのことでしたが、コウベの場合は自爆のようです。
1995年の阪神大震災の時、同社の株価は50円にまで叩き売られました。
もう倒産しかないだろうと思われていたのでしたが、製鋼部門の設備が動かなくても、キノコの栽培などで従業員を繋ぎ止め、苦心の末、20年後は完全に立ち直りましたのに、まあ、この不正横行と隠蔽の時代に、なんですかこの経営陣は。
まるで律義に不正がありましたと全面謝罪。世界市民はいい評価をするかもしれませんが、エスタブさんたちからすれば、飛んで火にいる夏の虫。
馬鹿を承知のパフォーマンスかと爆笑していることでしょう。
そもそもの発端はトヨタのリコールから始まったかと思うのです。エンジンが突然暴走しだすとかで。
以来、謝れば、高額賠償させられて、経営陣は退陣してそれで済み。そんな日本の道筋をつけてしまったら、以後その道しか通れなくなります。
まあもう日本は終わりましたなあ、とぽつりとぼやき。
神戸製鋼のラグビー部の平尾主将は、去年の今頃、病没されていますね。53歳とか。
阪神大震災の1年ほど後でしたが、私は神戸市内を走らせるタクシー運転手してまして、ラグビー練習場の神鋼灘浜グランドから、平尾さんら5人の選手を新神戸までお送りしました。
重量級の人ばかり5人も乗ったら、タイヤが半分ほどにひしゃげてたはずです。
平尾さんは震災後でしたが、大八木さんのときは、1994年の12月24日のクリスマスイブのとき、六甲アイランドのベイ・シェラトンホテルの玄関先から、奥さんとまだ1歳にならないほどのお子さんと一緒に乗ってこられて、大丸まで行ってくれと仰せつかったのですが、三の宮近辺が猛渋滞で、そごうまでにしていただきました。
このときの大八木さんはまるで宮沢賢治のような山高帽に分厚いコートをお召でした。
しかし、翌年の1月でしたからね、大震災は。
神戸製鋼での仕事はけっこうありましたよ。
しかし、長い間、高炉の火が灯りませんでした。そういう長い地道な経過を経て建て直した神戸を代表する企業を、もののあっさりと潰してしまう経営陣とはどこの回し者かと思います。
なんで最後まで、シラを切りとおさんのじゃい。
サッカーの世界では間違ってオウンゴールすることはありますが、ボールを持って走るラグビーなら、お前、どっち向いて走っとるんじゃとなって、あとで敵方のスパイだったなどとオチがつくんでしょうが。
まあ、いいでしょう。ニビルもやってきているし、そろそろいっちょうぶつけてきて下されば幸甚でございます。
こうなったら、ニビルも大建て替えに向けて参加してきてくれるのかと、期待しますからね。
だから、レッドは唸ります。ブルーは余計なこと、するんじゃないと。
あんたらは、集団意識の世界線で頑張ってちょうだい。ってわけ。