人生とは儚い線香花火の如し、とは誰かが言った言葉のように思います。
しかし、この線香花火、どこか面白い構造をしているように思います。
拙超宇宙論のモデルにはとてもふさわしく、これをひとつ切り取って、森野の人生ソフトとして売り出してみたい気にもなります。
うん、きっとそのようにして売り出した企画者がいたから、私はここにこうして、森野の人生を演じているのです。
むろん、森野の人生にどんな価値があるのか。 何の地位も名誉も持たず、ましてやおカネ持ちになったりする人生ではありませんから、まずこのソフトを買ってみようという酔狂な人はいないでしょう。
しかし、私はソフトのサブタイトルに小さく、「救世主になる男の物語」と書いてあったのに興味して、このソフトをレンタルで借りました。
レンタルなら、財布はさほど痛みませんからね。
そして贅沢にも、タイムライン総なめプレミアムコース契約して、このソフトの攻略にかかったのです。
やはり総なめコースは時間がかかります。 その替わり、救世主としての行動や心の持ち方が手に取るようにわかりました。
もし通りいっべんとうコースなら、当てもんのような成り行きに、救世主などどこにいたんだといった結果に終わったことでしょう。
総なめコースにしてよかった。 レンタル代は5倍ほどにつきましたけどね。 買い取るよりははるかに安価でした。
総なめコースには、森野の人生のあらましの解説とともに、ソフトのフローが添付されていました。 フローは次のようでした。
この解説書は、早く目的とする場面に到達できるように、ガイドするものになっていました。 だから、非常にたくさん出てくる選択分岐を比較的間違わずにこなすことができました。
しかし、間違って行き詰っても、プレイバックすればいいですからね。 間違って死んでも、過去に遡った分岐点から別のタイムラインに入ればいいだけ。 それをプレイバックと言っているのです。 山口百恵のプレイバックですね。 馬鹿にしないでよお。
そして彼の場合、救世主のメインのタイムラインに入ってしまえば、最長の工程をたどれば、いちばん最高の救世行為が果たせることになっているみたいです。
それは終始見届けの人生を送り、着実に世の中で起きることを記憶に留めることが大事になり、救世の最高実現である最後の審判と、大建て替えに繋いで任せ切るということにポイントがあるのです。
救世のアクションをして、いい救世になることはありませんでした。 新しい時代への更新にはなりますが、どうも中途半端な出来具合と言いますか。
それもあとでわかりました。 損傷部分にゴムを貼り付けるような救世の仕方になっていたのです。
損傷したのがタイヤなら、新品と取り換えるほうがよほどいいですよね。 また同じ場所でバーストしないとも限りませんから。
大建て替えの意義を日月神様はまくしたてられています。
「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」(松の巻第十二帖)
異議はまったくありません。まったくそのとおりです。今までは片手落ちの建て替えが続いていたのでしょう。どう片手落ちかというと、建て替え後の次の時代に、邪悪の因子を幾分かずつ積み残していたのです。時代の最後に和解などの方法を使ったり、綱紀粛正などの形だけの行事に留めていたのです。
この時代の終わりにも、おかしなことが画策されていました。日本書紀には、イザナギとイザナミの和解が白山菊理姫の取り持ちでなされることになっているとか。菊理姫は秘密結社が重用する神ではないですか。やはり、いつもこんなところに隠し玉が仕組まれているのです。
そこにこの宇宙の創造神の方針が関わっていたことも見逃せません。善悪混交の葛藤パワーを存続エネルギーに変える。しかし、悪はウイルスのごとく増殖が盛んで早い。そして破壊という簡単でエネルギーの要らない手段で与えるダメージは大きい。それがわからずに創造神が務まっていたとは、私ですら開いた口がふさがりません。そして寝言のように、どうすれば存続できるようになるのかと言っていたとか。時代を百万回繰り返したとて、無理というものでしょう。
「これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ[35]。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」(天つ巻第二帖)
「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」(天つ巻第四帖。富士の巻第二十帖。紫金之巻第五帖)
「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上(天界)も潰れるぞ、下(現界)も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分りては居らんのざぞ。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。」(同じく「天つ巻」第二帖。三ラの巻(そらの巻)第十帖)
「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉く(ことごとく)が同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。」(至恩之巻第十三帖。松の巻第八帖。|三の巻(ウミの巻)第十三帖)
「今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカへ(建替)ではないのであるぞ。」(扶桑の巻第一帖)
今度は神の道もさっぱりとつくりかえる。今までの神の道とは、ここにある創造神の独白にいう「あめなるみち」であったのでしょう。https://gejirin.com/amenarumiti.html
一読しただけで、やり方のまずさが目につきました。
創造神をとりまく神々官僚たちのよからぬ入れ知恵もありと見ました。
善と悪の性質をよく見極めもせず、善悪を容れて実験を繰り返していたのです。
六度、膏薬貼りの建て替えがなされたが、今度は堪忍袋も切れたの七度目。
この宇宙も更迭され、新品と置き換えざるを得ないのはむろんです。
この最後の大建て替えが、この世におけるいつの時点で始まるか。
森野の時空では、森野の死後ただちに最後の審判に取り掛かるよう督促が行きます。
邪悪のデーターは同時に天帝様のもとに届けられ、最後の審判の叩き台に。
森野はそこでガッチャマン・ホルスに替わり、火の鳥を起動してこの宇宙全体の焼却処分を開始します。
全体の焼却で、仮死状態になった魂たちを閻魔オシリスのもとに連れていき、魂の重さを秤にかけます。
今ではそれは高速化されていて、すべての魂はカードになっているため、それを超高速カードリーダーにかけると、重い魂は下辺のダストシュートから、パラパラと落ちていってしまいます。 たまにある軽い魂は天空に舞い上がります。
地獄に溜まった魂カードは、その一枚一枚がコンピューターにかけられ、魂は為してきた加害行為の被害者の人生をまるごと経験させられます。
人工知能が被害者側のプログラムを引いてきて、魂にバーチャル経験させるのです。 それは自動的になされます。
何もしなかった森野の魂の場合でも1000年分の被害者経験をこなさねばなりません。
世の暴君にあっては、数千億年や数兆年に及ぶことは珍しくありません。
そして、刑期の最後に魂の要不要を問われた時、あまりの苛酷さに九分九厘九毛九糸が不要を願い出て、魂の焼却消滅が図られます。
彼らにはそこで初めて唯物論者の涅槃が得られることに。
1糸の者が残って、宇宙創造神になるための階梯を登ります。 彼らには十分な資質が獲得されていると見込まれています。
他の宇宙にはない苛酷さがこの宇宙在籍者には予定されています。
それはなぜか。
多くの魂はその経験の中で、多くの悪徳と怠惰な心を身に着けてしまったからです。
新しい世界でそのような知識の一端が、純粋な者の心を捉えたらどうなるか。
魂の記憶は不滅です。 だから、自らの自制と理性により、悪しき弊害を超克しなくてはならないのです。
そのために、被害者の身になった経験が絶対視されているのです。
それが完了するまでは、新世界とは隔離されてあります。
喜んで被害者の身になりなさい。
喜んで被害に遭いそうな者を助けなさい。
喜んで正義の中に殉じなさい。
それらは魂の理性に病気予防のワクチンを打つことに匹敵します。
・・・てなことを書いていますが、森野のソフトを見ていて、そう感じただけのこと。(笑)
信じるも信じないも、あなた次第ということにいたします。
さああとどれほどでソフトのフィナーレを見ることになるのやら。
だんだんと飽きがきていますが、また起きて最後まで見届けることにいたしましょう。(爆)