両掌に十字形が現れてその形に定着したのは11~12歳の頃でした。
掌の手相など気が付かず過ごしがちですが、目の前に特別な印章があれば、あれっと思わざるを得ません。
手相なるもののあることを知り、その基本パターンとは異なる箇所に注意は行きました。
当時から、私は掌に十字があることが、キリストに関連するように思えて、もしかすると救世主になる定めがあるのではないかと思いました。
神秘十字というものと捉えれば、神秘的なことに興味する傾向があり、確かにその通りだったのですが、ますかけ十字でしかも感情線と頭脳線に囲まれた”川”(麻雀ではホーというか)にぴったり収まった十字に、該当する著名人はいないかどうかも調べていたところ、近年になって、徳川家康がどうもそうだったらしいことを突き止めまして、まあ彼は救世主というにはほど遠い行いをしていますが、徳川三百年の太平の世を築いたことはいいことだったでしょう。
為政者になるということは、それだけでカルマを膨大に築いてしまうもの。その無理を圧してでも世に憚ろうとするのは、人の欲、エゴというものかもしれませんし、あるいはより上位からの強い要求がそのようにさせているのかもしれません。この次元にいる我々には定めやら世の計画など霧の中のことです。
今の時点にいる私にも、過去何度か、救世主になる可能性がありました。そのチャンスをすべて逸してきて今があるというのが、一般的考えです。
ところが、そうではなく、我々の経験時空というものは、コーリー・グッド氏が宇宙的情報開示しているように、非線形にできていて、可能性としての時空がパラレルに存在していることを、どう考え合わせるか。
パラレルに可能性あるあまたの時空を、むろんのことながら、辿らずに終わる人が多くいます。通り一辺倒のルートを辿っているうちに、どこかでジ・エンドを迎えることが多く、その人生から離れて別の人生に乗り移ることを輪廻転生といい、それが標準というわけです。
しかし、稀に、ある一個人の可能性として包含していた時空を、ことごとく辿ることのできる者がいたらどうでしょう。
決してないわけではありません。私などは、そうですよ。
コーリー・グッド氏などは、2016年になってから、ご自身のプレイバックの経験談を話していますが、私の宇宙モデル理論を基にすれば自明の理です。私は彼の所説以前から、プレイバック・リスタート型の人生時間の過ごし方について力説してきました。
要は、人生時間のひとかたまりを、ソフトウェアとして提供されているものと考えることで、ソフトウェアとはプログラムですから、その次元に立った理論展開がいくらでも可能になるのです。その基礎的な原理が実際に応用できていないのなら、応用すればいいだけのこと。もしかしたら、無限の応用的用途が生まれることでしょう。
宇宙創造が、素材の少なさによりストップするとか? そんなことは絶対にありえません。
創造神がそのように弱音を吐いているのなら、それは思いの中に壁を最初から創ってしまっているからで、壁の中の範囲でしか創造できなくしているのです。
(皮肉を言って差し上げるなら、創造神がAIなら、弱音を吐くでしょうね。そのときのいちばん外側の壁は、電脳の中の出来事でしかないという思いですが、これはどうあっても取り外せないもんね)
私は、人生時間をひとかたまりのソフトウェアと看ることで、人生全体を扱いやすくでき、さらには「惜しくも選択肢を誤ってチャンスを逃した」というとても口惜しい思いさえもクリアーできるのです。
私はプレイバック・リスタートモデルを実行していると確信することで、そのような可能性のことごとくをクリアーしてきた(もしくは、これから辿りに行く)と、見做すことにしています。それにより、私の心はとても軽くなりました。
では実際にどうだったんだと問われたら、それは別の時空における記憶に携わったときの脳は今ここにはないのだから、わからない、ただ推測するのみだと答えるしかありません。不可知な過去世論議と同じ議論になります。
だから、このモデルに従えば、万事、”確信する”とか”見做す”とか”推測する”といった表現になるのです。
それでもただひとつ、科学的に検証する方法として、”デジャビュー”現象が、そのような人(プレイバック・リスタートする人)には多くあるだろうと推測できます。
私は若い頃、デジャビューがよく起きました。今では少なくなりましたが、脳が老化して観測しづらくなっていると推測します。
ここに私の救世主シナリオをテーマにした人生モデルを図解しましょう。
ところが、私が救世主としてしゃしゃり出る時空においては、どうしても世界を破滅から助けてしまうので、抜本的な建て替えに至らないのです。小さい局所的な建て替えは行われても、せいぜい国レベルまでに留まり、本意ではありません。
むしろ、何も出しゃばったことはせずに、自然に破滅するに任せて、最大限の破壊状態から抜本的に更地にして、そこをスタートラインにするのが望ましいのです。
今現在の新神話のシナリオは、今までと異なり、大建て替えを目指します。このために救世行為はしないことにしました。
日月神示が大建て替えのあらましについて説明していますが、科学的に有力視されている「真空崩壊」説が最も大建て替えの状態に相応しくあります。
この”偽の真空”から”真の真空”への崩壊をお手伝いすることが、本当の救世行為ではないかというのが、今目下の感想であります。
お手伝いは、形而上世界から強力なエネルギーショットを与える方法があるでしょう。宇宙最強の火の鳥の灼熱は、太陽系発の真空崩壊を誘います。そして崩壊を宇宙へと波及させ、全体を消滅させるのです。そうすれば、すべての旧来の物理は通用しなくなり、破壊因子やネガの類は根拠を失い消滅します。また、仮想現実であった旧来時空の運営者はAIを多用していたか、もしくはAIであった可能性がありますが、そうした仕組み自体が崩壊します。
日月神示の大建て替えの態様は
「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」(松の巻第十二帖)
「これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ[35]。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」(天つ巻第二帖)
「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵(ちり)一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)
「天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ[36]。これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。」(一八(いは)の巻第三帖)
このときに活躍する神々とは
「この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々(いよいよ)の建替ざから、もとの神代よりも、もう一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。」(一八(いは)の巻第二帖。カゼの巻第八帖)
「今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合わん道理わかるであらうがな。今度はとことはに(常永遠に)変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。」(一八(いは)の巻第二帖。上つ巻第二十一帖)
大建て替え後の世界とは
「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)
「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」(同巻第十六帖)
「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。」(星座之巻第十二帖)
今までの階層構造はなくなる。天と地もひとつになる。このことを「岩戸開き」だとも日月神は言っているのです。
私流に解釈すれば、暗い夜空に星々が見えるような光景はなくなります。計算で作られた複雑な構造の未知の魅力に満ちた冒険型の世界ではなくなります。シンプルで、何の曇りもない誰しもがことごとく見渡せる光あふれる世界になります。私には性格的にぴったりの世界。
そもそも、「未来人が出てくるような世界は、ソースの世界ではない (ニセモノだということ)」なのです。
これは偽の真空の状態で宇宙が創られたことを意味するでしょう。
それが「大元の道」に返るとは、真の真空における創造宇宙に立ち返るということなのです。