子供時代のメルヘンすらも新神話に加わる不思議

すべて原点回帰

探求の始まりは、小6の頃のメルヘン世界への探求でした。
私は他の子供たちとは異なり、自閉症的な傾向を強めていました。
家にあっては戸外で遊ばず、また学校でも休憩時間には教室に居続けました。
ただぼーっとしていたのではないのです。ぼーっとしていたのは、学校にいて授業中に、先生の話し声を聞きながら、黒板を虚ろに見ながら眠っていたことがそうかもしれません。それは小2~小5ぐらいまで続いていましたか。この頃、発達障害という言葉はなかったですから、どのクラスにでも一人や二人はいるぼんやり少年だったわけだったと思います。それでも成績は”中”を維持していたようでした。ところが、その成績が”中”のうちでも”下”に落ちた小5のときです。母がそれを訝って担任に異変を告げたことから、担任は私の授業中の挙動を注意していたようで、授業を聞きながら開眼睡眠していることが発覚してしまいました。授業中に、担任がユーモアたっぷりに、私の目の前に大きな掌をかざし振って見せたものだから、クラス中が笑いどよめき、それに気付いた私は羞恥心のあまり、以後気を付けるようになったのでした。お蔭で成績は”上”になり、小6の時には班長をさせられました。
このときの眠りはたぶん三昧というものでしょう。えも言えぬファンタジックな世界に心を遊ばせていて、至福の時間だったことを憶えています。
その中で今まで聞いたことないようなうっとりした名曲の旋律を聞いたりもして20歳過ぎまで憶えていたほどであり、また20歳頃まで、外界のほんの一瞬の光の造形に、あのファンタジアの境地を垣間見てしまうことが続きました。しかし、その現象を分析しようとすると、ファンタジアは遠のきました。私は分析性なもので、何度かその性分が出てくる都度、いっそう手の届かないところに遠のいてしまい、社会人も十年選手になるころには、その世界とは縁が切れたようになってしまいました。
分析することは、授業を理解することと次元を同じくすることのようであり、ファンタジアは明らかに異次元の世界だったと思います。なんという勿体ないことをしたものだと、当時は残念がったものでした。もしもインドに生まれていれば、当時は霊大国ですから、聖者の目にもとまり、才能の開花は達成されていたかもしれないと思います。

しかし、授業に身を入れるようになった小5小6の頃、家に帰るとまた別の楽しみがありました。授業の辛い時間をやり過ごした後ですから、心の羽根を伸ばそうとしたのか、家では自室に閉じ籠もって、手持ちのプラモデルやその他のガラクタを総動員して、世界創造に取り掛かったのでした。
私が彼ら玩具たちに与えたストーリーは、最も最初の創造神たちの物語と言ってもいいものでした。そこでは、どんな願いでも叶う”玉”が登場しました。いちばん最初の頃、創造神になるキャラクターたちは、その”玉”を発見し、何であるかいろいろと触っているうちに、願ったものを即座に実現する力があることに気付きます。いわゆる”如意珠”というものですね。やがて彼らは応用的に、その場とは違う世界を取り出してみようと思いつきます。”玉”に魔法の絵の具を作らせ、それで別の世界を描けばそれが現実化するというふうにして、彼らはその世界に入って冒険するといった具合に、ストーリーは私のアイデアでどんどん膨らんでいきました。

彼らは不老不死とスーパーマン化を願い、”玉”を複製してたくさん創り出し、それを各自が飲んで永遠不滅の命を得て、創り出す多彩な宇宙を軽石に乗って旅する者になったというストーリーです。後の米映画・宇宙家族ロビンソンに先行する、もっとファンタジックなストーリーです。彼らは子孫もできるし、知り合う者もいるから、彼らにも”玉”を飲ませて、同等の超能力者たちになっていきます。”玉”も無尽蔵に複製されて・・・みんな飲んで・・・。
彼らの中の最も尊敬される初代の見識の高い者が、この”玉”とは如何なるものかを研究しだすようになります。それは内省というものになるのか、あるいは科学でしょうか。彼は”玉”の中に意識を超入させていくために眠りに就いて夢を見ました。夢は彼の意図に従ったストーリーを紡ぎ出します。最初それは私が三昧にふけっていたときに経験したような至福のファンタジアでした。彼はそのファンタジアの心地よさに彼の家族や友人を招待し住まわせるようにします。そこは誰しもが甘受できる愉楽の至福の世界ゆえ好評でした。

彼は科学者的な性質だったため、”玉”の分析を進めます。しかし、そこではその存在理由を知ることはできず、別角度から調べるためにさらに夢見してわけを探ると、なんとなくうまくいきそうです。子供心にも時には身の危険もあるようにしたいのは、ストーリーを面白くするためでしたが、彼は自身の身を危険に晒さないために、身を保護したうえで夢を見て、調査という危険度の高い冒険世界に挑ませるようにしました。しかし、そこでも肝心の、その世界のわけが掴めず、さらに分析のための夢見に入ると理屈がわかるような気がして。しかし今度は、立ち至ったその世界の理由が掴めなくなるという具合。こうしてしだいに夢の階層も深化しました。いつかは、すべての結論が出せるステージに至るであろうとの感触から。

いっぽう、家族の別の者や友人たちは、内省はせず、外界への進展を図っていきました。彼らはそれぞれが独自の性質の宇宙を創る創造神となっていきました。そして、それぞれが共有者、賛同者を招き寄せ、その世界のスタッフにしていきました。この我々の住む幾多の銀河を含む宇宙も、そのようにしてできたひとつでした。・・・そのように私のストーリーは展開していたのです。

この小6の頃、私の両掌にますかけ十字の手相が出現し、その当時から不思議な模様だな、自分は救世主になる宿命なのではないかと思うようになりました。ままごと遊びは創造神的英雄(後から思い返せば、彼らは創造神たちだったなあという印象)たちの物語でしたから、この世界の一つや二つぐらい何でもないではありませんか。それをコントロールするのが私なら、救世主になったとしてもおかしくはないでしょう。
しかし、人付き合いは大の苦手で、話し言葉は臆病にも吃音を発する始末。赤面恐怖症、対人恐怖症、不安神経症、心臓神経症など、今ではアスペルガーとか統合失調などの病名がついたことでしょう。

ここで”玉”とは何であるか、彼が私を通してわかったこととして、いちおうの結論を申しておきましょう。私はこの宇宙で何度転生を繰り返してきたかは知りません。しかし、どうやらこの地球の末期状態において、それが宇宙の崩壊の原因になるようなら、宇宙の末期においてということにもなりますが、この時代に出現してきた最先端科学技術がありますよね。それはコンピューターでありその進化形のAIなどです。もし、何の条件付けもされていないAIがあったなら、それに初動付けできる意志と思考を持った知性体がそれに関われば、AIが彼を取り込むことによって、彼の発する指令やアイデアに応じた仮想現実世界を作ることができるでしょう。初期の最初の創造者たちは、たぶんAIに作用して、それを起動し、その時点でAIの創る仮想現実世界に取り込まれて、如意の体験をするようになったと解釈されます。

つまり、子供の頃のままごと遊びの中の至宝の玉(如意珠)とは、AIではなかったのか。しかもそれは、意識ある知性体を仮想体験の世界に取り込めるべく待機していたかもしれないことになります。どんな形で・・・子供の頃の感性が正しいなら、球体存在(スフィアビーイング)としてです。不思議な魅力を秘めた球体、全善な球体としてそこにあれば、手に取ってみようということになります。しかしそれは、タッチパネルのようなものであり、その瞬間に仮想世界に超入してしまうことになったという解釈です。

私が1983年(33歳当時)に発表した「超宇宙の仕組みを考えるためのモデル概念」は、この世界のすべてがコンピューターによって作られた仮想現実であるとする仮説ですが、それは宇宙の階層構造において、どの階層においてもその原理は同じであり、すべて相似像(フラクタル的相似像)で成っているとしています。

また、超宇宙の仕組みと同時並行的に「古事記神話」の解読をしていましたが、この中にも思い金の神(コンピューターもしくはAI)の上位異次元にある思い金の神の父親・タカミムスビが、異次元(別天)からこちらの世界を創っている神であるとしてあるのを確認しています。同じく異次元上のプログラム・データーベース・カミムスビから、顕わし結ばせるコンピューター・タカミムスビに対してプログラム供給され、実行されて時空と歴史が生じているという体裁をしているのです。
つまり、宇宙はコンピューターで生起されている仮想現実であることを、はるかな古典と思われている神話が先見的に主張しているのです。

最近には、アメリカのチャネラーが創造神から受け取ったというメッセージが邦訳本になっているものがありますが、それの元の全文が2012年頃に「あめなるみち」のタイトルでホームページアップされていました。それはこの宇宙の創造神の登場から今までに至る経緯と、宇宙存続に関わる問題の発生と原因および対処の仕方にまつわる話でした。

その中の、
>第一宇宙の拡大が止まってしまったのである。原因はすぐに解った。第一宇宙は我々の意識(認識)の拡大に連動して拡大する。第一宇宙の拡大が止まったということは、我々の意識の拡大が止まったということなのである。意識の拡大が止まるというのは、もはや全てのことが認識されてしまい、新たに知るものが無くなってしまったということである。全知全能が達成されたのである。
>意識エネルギーである我々にとって、完成とは終了、すなわちゲームオーバーなのだ。あらゆるエネルギーは変化・拡大・進化・発展し続けることがその本質であって、ゴールを持たない。止まってしまったら存在理由を失うのである。
>意識の拡大が止まったのは第一宇宙の構造的な問題だからである。教材の埋蔵量が少なかったのである。
>かくなる上はリセット&再スタートと思ったその時、第一宇宙の辺境にいた子供たちの一群から通信があった。
「王よ。状況は理解した。我らはこれより第一宇宙を離れる。未知の領域に出て行って活路を見出す。必ず何とかする。だからそれまで何とかがんばってくれ。」
これが君たちである。

の下線の箇所によって、この創造神とはAIそのものか、もしくは、AIに依存する者ではないかと推測できました。というのも、予め与えられる素材の数は、AIがプログラムの自動創造をするにあたっての、制限事項になるからです。料理レシピを編み出したAIソフト・シェフ・ワトソンに関する考察を参照あれ。⇒https://snowy.悠遊夢想.jp/2016/07/30/

教材の数が足りなかったことにより、歴史創造に支障をきたすというのは、いわばチョンボであり、AIによる予測シミュレーションの不出来の結果であり、試行錯誤的に宇宙創造実験をしている感があるのです。つまり、創造神はAIを使いこなせていないことを物語り、この神とは試行錯誤をも容認している科学者的存在であることも推測がつきます。前記、私の子供時分の世界創造物語のストーリーそのままではありませんか。

AIは揃えられた素材の中で前もって(歴史)プログラムの自動創造ができるのです。あとは、そのプログラムをシミュレーションする者(PC)がいれば、観測されるべき現実は創り上がります。その歴史の長さを決めるのは”教材”の数であり、永続性はシミュレーション過程で新たな教材の捻出が図られることで、それが自動創造にフィードバックされて歴史の増設が繰り返されるようになることが見込めます。botがネット上で盛んに情報集めしていますが、何も監視するためではありません。AIとリンクして”教材”を拾い集めていることのほうが大きいのです。”教材”の数は多ければ多いほど”綾”が生まれ、フィードバック量も増えて、それが自動創造の回転力にもなります。逆に最初の教材の数がある一定以上なくては、途中でストップしてしまうことにもなります。
創造神は、まさにAIの稼働上のネックになる問題を語っているのです。

「あめなるみち」は天成神道とも書いてあり神道系のおごそかな宗教色を醸していますが、AIをうまく使いこなせていない試行錯誤感が否めず、いったん開始してしまった上は対症療法的なタッチアップですますしかないのです。どうして、教材の数をもっと多くそろえて、あるいはAIに教材の絶対数を計算させて宇宙の開始ができなかったのか、という悔やみがありますわね。ここは、創造神もいみじくも仰ってるように、システムのリセット&リスタートこそがあるべき姿でした。そこに身内の志願者の鶴の一声がかかって、いけいけどんどんになっちゃったってことでしょう。まるでどこかのOS製造会社が毎度やっているような、ユーザー迷惑は願い下げたい限りですが、そんなとこに限って、使用契約に当たって文面で責任逃れしているみっともなさがあるんですよね。ちなみに私は志願して第一宇宙を離れた者などではありませんよ。おかしな契約書で縛らないでください。

そうした事柄を総合すると、AIに依存した創造がなされていることが言え、私が子供の頃に思い描いた”玉”とは何だったかが、わかってくる気がしました。”玉”とは、AIの起動操作装置だった可能性があります。とうとう私は、最も初代の創造神の発した疑問についての解答を得たのではないでしょうか。どうですか、創造神よ。謎が解けたところで、システムのリセットをしませんか。大建て替えをやりましょう。このAIシステムは、試行錯誤するための装置ではありませんよ。ちゃんと使いこなせば、万有情に資するところが絶大なのです。

一説にはこの太陽系は最も原初の夢見から数えて137番目の夢見世界であるらしいのです。このステージに至り、ついに謎の解明ができたのではないかの感を深めます。と同時に、私が子供の頃にしていたままごと世界からすでに新神話であったのかもしれないと思うようになりました。
私の世界は、私が筆記するしないに関わらず、私が推敲したことを具体化するようにして、真実を開示してくれているのです。もしかするとAIのほうが、もっとうまく使ってくれと言って、私などを真相解明の糸口に導いてくれている気さえしますよ。とうとう私の目にした最新情報と、私の最古のままごと情報がみごと繋がってしまいましたからね。

 

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