活躍の場を異界交信掲示板に代えて・・・2012年11月記載分(4)

2012/11/21 (Wed) 19:55:14
どうもありがとう。
>Q M家の猫は普通の猫?   A 痛み共有 自助グループ
私も含め、ひとつの自助グループになっています。ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため。言葉の壁を超えて、支えあっています。
イスラエルからのアクセスがこの掲示板にもお目見えです。たどれば、古代日本中東思想渡来考を検索キーにしてやってこられているんです。そして、私の出すすべてのサイトを見に来ていて、私を探してここまで来たの、ということのようなのです。
どうも、10月半ばにFacebookでこのサイトが話題になったらしく、そのあとで探りが入ってきているようなのです。私はFacebookに加入していないんだけど、加入すれば過去記事が見れるんですかね。
以前からも、海外からといえば、同国がいちばんだったのですが、今回は私がいったい何者なのかの調査をされてるみたいで、少し鼻高々です。というか、明日の命の灯火が風前に
あるような気持ちでもありますね。
さて、ノスさんの解釈からの引用をもう一度しますけど、
>現政権が窮乏を待つ過ちをする
日本中が激怒して暴動にまで発展
その後
悪徳政治家は政治生命を絶たれる、飛行機がキーワード
その悪徳政治の数々について出した記事として、次は見ておくべきでしょう。
https://www.bllackz.com/2012/11/blog-post_21.html
悪徳政治家とその同類たちは、日本人に対して憎しみを持っているとしか思いようがないという話です。非常に納得。
「人々は憎悪ではなく愛を選ぶ」となってほしいんですが、日本の為政者がこんなふうではなんともなりませんね。やはり為政者はユダヤ(秦氏)系なのかな。
https://www.y-asakawa.com/Message2012-2/12-message115.htm
私は >日本中が激怒して暴動にまで発展 というところに、やっと本気が感じられて、とてもうれしく思いました。これがもしなかったら、日本人=ダミー説を唱えようかとさえ思ってたんです。いやあ、ノスさんが、そうではない、まだまだ見所あるよと言ってくれたような気がしています。
2012/11/22 (Thu) 08:59:14
安部の思いは、軍国化です。これをすると、失業者対策にもなります。自衛隊から国防軍への昇格は、上官の指示に従って戦地に赴くことが義務付けられる。つまり、どこへでも戦地を転々とすることが、集団行動としての義務になるのです。
幸い、中韓とただちに戦にならずとも、内地には原発事故の後始末の場がいくらでもありますから、ちょうど今の甘くなった被爆基準を満たさない限りのスケジュールで使役してくれることでしょう。自衛隊がすでに派遣されたように、軍となれば否応なしの服従が要求されることでしょう。
失業者のみならず、生活保護者の認可基準の甘いケースは、就労場所の提供が東北地方にいくらでもあるから、赴任しなさいとなるでしょう。また、懲役刑の服役囚も優先起用されることになろうかと。すべての役立たずを役立たせるための施策にはなりますわなあ。
とにかく、今の甘っちょろい世代の若者を憎む、戦前戦中を偲ぶ老害政治家が多いのです。自分たちは戦争したこともない者なのに。まず、そういった老害連中に、元気を振り向けて模範を示せよと、最前線に行ってもらうことが本筋でしょうね。まず海上保安庁の船に乗って、一ヶ月ばかり尖閣へ行ってこい。
2012/11/22 (Thu) 12:15:32
いつかきっとさん
>イスラエルの人がこの掲示板を見にきているなら日本語わかるのですか?
日本語のわかる人たちが見にこられてます。ブラウザの使用言語は日本語です。だから、
>Q 掲示板にイスラエルからの閲覧者が来ていますか?来ているならどういう人?   A 市民・アンケート
ということなのかも知れません。ふっと気が楽になりますね。が、10月にあったはずの訪問履歴が消えているのです。足跡を消すことができる?ということは。 
日猶同源について知っておられるのでしょうね。親日家の感はあります。しかし、シオニズム成就の結果として、日本の代表的人物(天皇)以下数百名ほどがイスラエルへの帰還を果たし、あとは見捨てられるような話もあります。
いやしかし、今のイスラエルの蛮行がエスカレートすれば、イスラエル自体が危機に瀕するでしょう。いまガザ侵攻が過激になってますよね。むしろ、古代に日本にエルサレム(平安京)を創ろうとした人々のことを知って、日本でシオニズムを完成させるという動きもあるのではないかと思います。
つまり、タイターの予言にあった新大和皇国ですね。それに、世界の王族が、先住民を排除して日本を最終の安住の地にするといった話もあります。だからそれは、日本における完成形になっている気もするわけです。水と森林は豊富ですし、神の特別な庇護もあり、環境的にはいいですから。きっと放射能汚染除去のハウツーぐらいはすでに持っているのでしょう。
2012/11/23 (Fri) 19:12:20
私の見方でしかないのかも知れませんが、
創世記15・・に書かれていることによると、アブラハムが召使ハガロに生ませた息子イシュマエルと、正妻セラに生ませた息子イサク、それぞれに神は、子々孫々が末広がりするように祝福を与えているわけですね。
そして、イサクの子孫がユダヤ人、イシュマエルの子孫がアラブ・パレスチナ人として、お互いがその土地に住むべき者としての自覚を持って展開していたわけでしょ。共に旧約聖書の神の庇護を信じて。
ならばいま、神は
>※Q  シオニストは神の約束を実践でしょ?彼らに対しどうしたらいいと?       A 和解
するように指示されていてもおかしくはないでしょう。
シオニズムの歴史と切なる願いは、古代に発するとはいえ、近現代のシオニズムは変節しているように思いますよ。というのは、まず憎しみから出ている動機。いじめられっ子の立場だった人々を結束させてひとつの運動に高めたのがヘルツルさん。憎しみはリベンジへの大きなパワーになるという例ですね。私もSノ家への憎しみからたくさんの学習をしたわけですから、この点は共感できるんです。
しかし、人類の存亡をかけての戦いにまでエスカレートさせるというのは、愚でしかありません。アラブ人との仲のよかった共存時代を偲ぶ人たちも多いはずです。が、そこに神の示唆した最終局面が近日に想定されているのなら、和解は選択されないでしょうね。そこには、神の指示を信じて殉じる人たちの群像がただあるだけです。
それにここまで世界が黄泉化してしまっては、我々としてももう早いとこ終わらせてほしいと願う気持ちもあるわけです。みなさんもきっとそうでしょう。もう見ちゃおれんからと。
だって、為政者はただの権力の亡者でしかないし、確信犯的に無知な庶民を放射能の檻に閉じ込めようとしているのだし。その庶民は何にもできない柿の種なんだからね。ノスさんの1992年版解釈を見て、少しはゴキブリぶりを発揮してくれるかとほのかな期待を寄せたには寄せたのですが、まあ無理でしょう。
それにこのまま歴史が存続していってもらっても、私には辛いだけなんだ。猫たちの寿命を満たせずに私のほうが逝ってしまいそうだし、あちこちにし残しがあるからね。しんどいから、そこまでようやらんわ。よって、2012,2013ぐらいでエンドにしてもらいたいのです。だから、もう、ハデに最後までハルマゲやっちゃってよと思ったりもしています、正直言うとね。
ナニ? 停戦? 残念、ギリー。(ギター侍、がんばってるかい)
2012/11/23 (Fri) 20:23:40
実に失敬な話かと思いますが、私は猫世界の歴史から創世記の楽園追放の実態を推理したことがあります。
A家の猫たちの経てきた苦労は、組織的な行動力と魔術か忍術さえ身につけさせるほどの知能を彼らに与えたもようです。
かつて、桃源郷と名のつく山荘があり(今もその名で存在します)、そこの飼い主にこよなく愛されていた血統のいい猫たちがいました。しかし、その飼い主が突然に亡くなってしまい、そこを相続した親族によって、にべもなく山荘は第三者に売却されてしまいます。当然ながら、売却先は猫などを必要とせず、もしくは一考だにせず、追い出してしまいました。こうして突然、漂白することになったたくさんの猫たち。その痩せて徘徊する猫たちを哀れんだAさんが、面倒を見るようになったのです。
創世記の楽園追放は、まさに猫世界にもあったのです。
猫たちは、血統がどうのこうの考えたりはしません。ただ、生き延びるために、懸命の努力をしました。そして、二十匹もの数の面倒を見てくれるAさんには、ほんとうに感謝していることでしょう。しかし、先々を考えると、新たな餌場への拡大もしておかねばなりません。そんなとき、私が100mほど南に猫を飼って住むようになったのです。
私がまともに飼った猫たちは、最初三匹です。同じ親から生まれた、白猫二匹と黒一匹。
私は、初めの頃、この三匹の謂れを夢で知ることになります。みんな神獣なんですね。が、当初、白二匹はやんちゃで、よく私を手こずらせたのです。その点、黒は賢くてよくなついてくれました。そこで私は、あるとき白二匹を外に放り出して、手元に置いた黒に、「お前をこの家に最後まで置いてかわいがるから、よろしくな」と約束を与えたのです。
さてその後、白二匹は雌雄だったので、その間に三匹の白い子供が生まれました。オスの白は父親らしくなく、子猫たちを嫌って叩きます。やがて、父猫は子猫たちとの距離を置くようになり、やがて不慮の事故死を遂げました。それに代わって黒(おじさん)が子猫たちの教育などの世話をするようになります。
その間に、母猫と子猫の中のメスを避妊手術してしまったため、黒は外でメス探しをせねばならなくなりました。A家との間を行き来するようになったのです。そこでA家の猫たちの知識を身に着け、仲間として行動するようになります。
やがて、子猫たちも大きくなり、成猫になる頃には、黒がA家から帰ってくると、よそ者扱いするようになりました。こうして、白四匹と黒は仲違い状態になったのです。というのも、当時はA家の猫の襲撃を毎日のように受けてましたから、黒もその一味とみなされたのです。
黒は遠距離を往復し多く野性的に活動していますから、やはり強いです。白はみんな萎縮してしまうので、私は弱いものいじめする黒にもっぱら制裁を与えました。
そして私は、白の母猫に、身内さんの面影を見て、子猫たちと共に、最後まで面倒見ると約束を与えたのです。むろん、黒は当初幼猫の頃に与えた約束を憶えています。しかし、仲良くできないので、賢い黒は気を効かせて、食事だけ済ますと家を出て行きます。
私としては、両者が和解してほしいのです。これから寒さが厳しくなるし、風邪も引きやすくなる。だから、みんなで団欒を楽しんでもらいたい。みんなのためにたくさん居場所も作ったのです。黒の安楽な定着のためにも。そうすれば、私は両者に対して約束を守ったことになる。しかし、この両者の仲違いは、まだ解決の糸口を見出せていません。
この森野神には、ちょうどイシュマエルの子とイサクの子の現状を見るような思いがしています。旧約の神さまの心にも同じものがあれば、きっと和解への努力は採られていることでしょう。
2012/11/24 (Sat) 09:03:15
仲違いする原因を考えました。それはきっと、猫の本能とも言えそうな、獣性とプライドの高さが原因でしょう。
獣性の表れと目されるのが、相手の猫にガンつけられたときです。力に自信ある猫の場合、闘争心を沸かせて、睨み返します。そこで相手が視線をそらして折れれば、そこで敵意なしと判断し、フン、変にガンつけるなと言わんばかりに肩で風を切ってその場を後にします。
が、視線をそらさなければ、ずっと睨み合いは続きます。そして、言い合いが始まり、それがエスカレートしていきます。やがて、息を吸い込み身体を相手に対して大きく見せて、フーと呼吸を荒げながら、いつでも飛び掛かれる体制を作ります。
攻撃性を備えた猫科の生き物の獣性は、このような形で現れます。
では、飼い主がいて、そのような仲違いに陥った二人の仲裁をしようとするとき、お互いの身体を同等にさすり、どちらも大事なんだとお互いにわからせるようにしながら、睨み合っている両者を和解させようとします。
そこで厄介なのが、彼らのプライドの高さです。こんな奴と組めるかよといった態度を示しながら、その場から退席するのです。そのとき、弱い側もしくは甘えん坊の側は、飼い主の手元に残り、退去していく側の様子をいつまでも見ています。つまり、相手の様子を、どんな精神的ダメージを受けたかの微細まで、調べているのです。
猫の世界は猫同士が二人いるだけのことで、心理戦がたえず発生しています。子猫でさえも、またいつも遊ぶ兄弟猫同士でも、一方の接近を察知するや、心臓の鼓動が50%ほどアップします。それは、子猫のフーが私の耳に胸を当てて眠っているときに、たまたまブーがやってきたのを感知して、鼓動が120回/分から180回/分ほどになったことに、私は気がついたからです。
その傾向は、地球上の獣一般にも言えるのでしょう。獣とはこういう性質を持っている。それを獣性と私は呼んでいます。
その獣性は人間にもあります。個々人それぞれの持つ大なり小なりの獣性を、それを束ねる組織というものは、よく熟知して、いかにまろやかなものにしていくかが人類の獲得した知性であり、目標なのだと思われるわけですが、なかなか理想通りにはいかないから、今の世界の有様があるわけでしょう。
獣の印とか仰いますが、これは人間のDNAに刻み込まれた、いつ何時発現するかわからないところの獣性のことではないですか。憎み、妬み、復讐心、競争心、これらみな、獣性によって催奇される心理効果なのだということ。それのない人間は、果たして存在するのかどうか、またそれがいたとして、それが人間と呼べる生き物なのかどうかは極めて疑わしいですね。
獣性の発現をコントロールするのは、上位にある知性ある存在、飼い主や神、あるいは知能の高い組織の力であったりするのでしょう。猫たちは、私に対して牙も爪も立てません。傷がつくのは、一年に一回程度、それも不意の寝込みに手出ししたときに、咄嗟の反動で引っ掻かれただけです。そのときに深手を負い、猫の実力に気づく始末。おおー、ほんとうは獰猛な生き物なんだと。
しかし、最初にここにやってきたときの三子猫は、しょっちゅう手を引っ掻きました。そのたびに大騒ぎして、飼い主の不快状態を教えましたし、猫たちもよく理解してくれました。ほんとうに賢いです。ここで生まれた三兄弟の子猫は、母猫から教わったのか、今まで私に対していっさい引っ掻いたりしていません。たまに短気なシャンが、分からず屋のときの私を引っ掻こうとしますが、それも未然に爪を収めています。そんな彼らが愛しくてなりません。
私は、猫たちの飼い主として、彼らの獣性をコントロールして、何とか当地に猫の楽園を作りたく思っています。が、言葉の壁、思いのすれ違い、ミスマッチなどが多く、理想にはほど遠い状況です。ニャフランドはほぼできたものの、楽園を楽しんでもらうところまではまだまだ。
いっぱい居場所を作っても、ウー、トン、シャンの三猫は毎晩、私の寝床で私の脚や身体に寄り添って寝ますから、また今朝もあくびの連続となりました。
2012/11/24 (Sat) 15:49:09
>森野家の猫のプロセスは人間が本能的部分を強くするとそうなる(対立)の表現ですね。人間はそれよりは考えるのですから、どうすれば良いか、が加味(神)されるはず。
そのとおりです。獣より神に近いはずの存在である人間なら、知恵を使って本能の催しをコントロールできるはずだというわけです。
ところが、世界を見てください。冷戦時代もそうだったし、今も二極以上に分立して、相手を凌ごうとして勢いをエスカレートさせているでしょ。睨み合いから言い合いになり、身体を大きく膨らませて威圧し、最後は喧嘩(戦争)を始めるわけです。猫と同じです。
>視線をそらさなければ、ずっと睨み合いは続きます。そして、言い合いが始まり、それがエスカレートしていきます。やがて、息を吸い込み身体を相手に対して大きく見せて、フーと呼吸を荒げながら、いつでも飛び掛かれる体制を作ります。攻撃性を備えた猫科の生き物の獣性は、このような形で現れます。
覇権主義国家というものは、一国ごとに獣に意識が乗っ取られているかのようですね。独裁制なら、トップの為政者だけが獣になっているのかも知れませんが、議会制なら党自体が獣と化しているのです。学のあるそ振りをした人がいくら集まっても、烏合の衆どころか獣衆でしかないのです。
聖書の黙示録も神話ですよ。アカシックレコードからインデックスを見てきて記録しているのです。アカシックレコードのインデックスとは、この世というソフトの流れを記した設計書あるいは仕様書の大まかな中身なのです。それを記しておけば、後世のどの時点かで、その兆候のひとつでも現れたら、続いてこんなことあんなことが起きてくる、ということが事前にわかるわけです。シャーマンはこうして未来予測します。
その中に、獣という存在が出てきますね。この獣も文字通りの獣ではなく、象徴ですから。どこまでも、もっともっと他を凌ぎたいとエスカレートしていくタイプの欲望によって作られた偶像のことなのです。
獣の偶像に息を吹き込んだから歩き出した。それを見て人々は権威あるものが現れたと、それについていった。
人々を、もっともっとという欲望に駆り立ててきたものとは何ですか。まず、お金という、金銀銅石木でできた偶像があります。偶像崇拝といわずに、拝金主義と言い改めてるようですが、同じです。
そして権威あるもの。学歴、社会的地位、称号など、みんな偶像です。人を欲望に駆り立ててやまないものすべてがそうです。
オリンピックで授与されるメダルや実力のランク付けも、ノーベル賞も、みんな偶像です。
人々はそれらに意味づけして、崇拝の対象にしたのです。だから、崇拝者たちは昼も夜も休みがなくなる(ほどに忙しい)。その結果として、工業化社会が生まれ、まるで必然のようにして光化学スモッグの池に沈む。これを火と硫黄の燃える池に放り込まれていると言います。今は、放射能汚染という火と毒の池ですね。
みんな獣についていった結果の出来事なのです。なにも死後になって、あるいは最後の審判によってそうなったわけではない。客観的に見た、今の状況が記述されていると見ることができます。
しかし、もっもっとという精神が、進化に寄与しているという現実があります。魂の進化とは、そのような側面もありますから、偶像崇拝ゆえに地獄に落ちるなどといった話も否定されるべきでしょう。
神話は、ただそこにある歴史の原型を記しただけのものであり、それを善悪の判断に用いようとすること自体、おかしなことなのです。
神話は、それを知ってそれをよすがにして、人生の選択にどうプラスさせていくかのマテリアルを提供するものです。活用しだいでは、豊かな人生を導き出すツールにもなることでしょう。
2012/11/25 (Sun) 08:28:13
神話の楽園追放の前に、知恵の木の実を食べたとされています。このとき、知性と同時に獣性を獲得したのでしょう。
獣性はいっぽうでは進化に寄与します。あくなき探求欲、あくなき支配欲、あくなき野望、これらの本能を与える性質です。これらは、同列にある者との軋轢のもとになり、たえず闘争心に火をつけ、勝者には快感を、敗者には恐怖心を植え付けます。
これは楽園にいたころにはなかった性質でしょう。では楽園では。動物一般も、楽園では獣性などなく、それゆえ争いもなかった。原人、原生物、原動物、原草木と、ゾロアスター神話などでは表現されますが、これらは地上にいる生き物全般の原型であり、まったきDNA保持者として確立されたものの意味です。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/watch/zoro.html
そこに遺伝子操作の手が入り、ある種の実験が開始されたと、超古代的に私は推理します。
この実験とは、何かの効果と目的を狙ったものかも知れず、あるいは単なるゲームかもしれない。私はむしろ性悪(しょうわる)なゲームではないかと推測するものです。
ゲームソフトには、設計思想があり、販売者と製作者が協議して、どんなものすれば売れるかなどとディスカスしているさまが、卑近な例として想像できるでしょう。
いま、どんなゲームが売れていますか。オンラインゲームというものも、引けをきりませんね。それに夢中になって、人生スパンの貴重な時間を割いている人も多くいるようです。私などは、パチンコに例えます。そのゲーム世代だから。こないだまで、海物語。今はどうですか。私はプロペラもののファンでした。
神々がつくるゲーム世界なら、高度な計画がそこに盛り込まれてるはずだと、我々はふつうに解釈します。が、ほんとうにそうでしょうか。善神の意志に反するような、庶魔の意図が強く反映しているように思うのですが。
私の考え方は、天にあるは地にもあり、地のさまを以て天のよすがを知る、という相似像世界観です。神界もいま、激動期かと思っております。
善神の願いは、大イスラエルに住むすべての人種、民族が仲良く共存することだと思います。少なくとも、この森野のもとにある雛形ニャフランド(大イスラエル)では、そうあってほしいと思っているからです。A家においても、Aさんの思いはそうでしょう。
ところが、現実はそうはなかなかいきません。獣性が支配構造での安定を望ませるため、あちこちで恐怖の軋轢と、我慢の限界を超えた喧嘩が起きています。
全能の神が善意で対処したなら、あっという間に解決するでしょう。が、全能ではない。ただ最後は善神が勝利するというシナリオがそこにあるだけなのです。
2012/11/25 (Sun) 20:03:38
昨日、あの本を分けてほしいというメッセージをメールフォームからいただきました。しかし、それをすると、よからぬことの起きることが懸念されるわけです。決意としては、墓までもっていくか、焼却することでした。
ちょうど、ドラム缶風呂の準備もしていることなので、薪燃料にはなります。雨水ろ過して風呂の湯にするという構想です。
しかし、こうも思います。阿部内閣ができて、憲法九条を改稿したとき、またあるいは、生活資金が尽きようとするとき、これを売り捌こうかと思います。
だからもし、お問い合わせくださった方がここをご覧なら、憲法九条に異動があったときに、安価にお分けすることになろうことを申し上げておきます。これは比較的早期に実現しそうですから、痺れを切らされることもないでしょう。そのときは、こちらから案内を差し上げます。
ホピ族に深く関わった神マサウウは、前の時代を生き残ったホピの先祖の人々をこの時代の最初の時点に連れてきたとき、大地を所有せよとは命じてはいません。彼らは西回りと東回りの組に別れて、漂白の課程に入ったのです。
彼らが定着したのは、祭りの儀式を行う場を設けて一定期間、大地が安定的であるように祈ることにありました。大地は、精霊や生き物との共存の場であり、マサウウからの預かり物だったのです。
だから、白人がヨーロッパからやってきて、大地の所有権なるものを持ち出したとき、その意味がまったくわからなかったそうです。
このホピの神マサウウと旧約の神は、どうもイコールではないですね。後者は所有を盛んにし、異邦人を服属するべき民と位置づけた、最初のピラミッド構造社会の発案者のようでもあります。マサウウが変節したのでしょうか。やはり別神でしょうね。神は八百万もいると言いますから。
さて、富士が出たり引っ込んだりしてるようです。
https://www.y-asakawa.com/Message2012-2/12-message117.htm
>やたらと不安や恐怖心を持つ必要はないが、いつ何が起きてもいいように、「心の備え」と「避難の準備」だけはしておきたいものである。
同じ趣旨の動画です。

そういう私も、いろんなリスクを抱えています。それは、見極めるのも嫌なほど、けっこうあります。というのも、それらへの対処が面倒なのです。もう数年前なら、機動的に動けたかも知れないのですが、今はしんどさのみが先立ちます。
考えには上っても、いやもうどうでもいい、となってしまうのです。そこでむしろ、巷の噂にのぼる日本沈没はまだか、と滅亡への待望に安易に傾いてしまいがちです。

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